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映画や小説では吉良さんは険悪な意地悪爺さんに描かれていますが、
実際はどのような人物だったのでしょうか?
それでもって最後は赤穂浪士に叩き斬られてしまうのは
なんだか可哀想に思うのですが・・・

A 回答 (2件)

全ては「話を面白く、分かりやすく」するために、です。

21世紀の現代は「何が正義で何が悪か」ってのが分からない時代ですよね。でも、米ソ冷戦の時代までは正義と悪が割とはっきりしていたのです。例えば仮面ライダーも昔は敵の怪人を「悪の手先」として問答無用で殺していましたし、それに対して視聴者も特に疑問は感じていませんでした。でも今の仮面ライダーって単純な正義の味方じゃなくて、見てもどっちがええもんでどっちが悪いもんかわからんですね。

んで、忠臣蔵の元ネタになった赤穂浪士の討ち入りですが、元々はご存じのとおり浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかったのが原因です。ところがね、なぜ浅野内匠頭が吉良上野介に襲いかかったのか、これが永遠の謎なんです。斬りかかったときに「覚えておろう!」みたいなことを言ったらしいんですが、それが何の話かどうもわからんのです。
聞いたことがあるかもしれないのですが、浅野内匠頭って人は以前からエキセントリックなところがあったようで、どうもその、接待役という大役のプレッシャーで精神的におかしくなったんじゃないかってのが今最も有力な説となっています。

なにしろ、浅野内匠頭はその日にロクな取り調べもないまま切腹させられました。で、本来であれば「喧嘩両成敗」なので浅野内匠頭が切腹させられるなら吉良上野介も何らかの処罰があるべきなのにそれが全くなかったのですね。おそらく、関係者の間じゃ当時「浅野さん、狂っちゃったからね」ってのが暗黙の了解だったんじゃないかって思うんですが、武士の対面からするとこれは「片手落ち」なんです。
「武士道は、死ぬことと見つけたり」という言葉がありますが、武士っつーのは体面が全てなんですね。だから、体面が持たないのです。これは当時の武士じゃないとピンとこないところだと思います。

ですので実は吉良上野介は赤穂浪士に斬られたわけではないのです。いや実際に殺しているのは彼らなんですが、赤穂浪士は吉良上野介の首を泉岳寺の浅野内匠頭の墓の前に持って行って「どうぞ、無念をお晴らしください」といい、当たり前ですが何も起きないので「では代わりに失礼させていただきます」といって小刀でえい、えいと斬ったふりをするという「儀式」をやりました。
実は赤穂浪士の最終目的はこの「儀式」にあり、これができなければ全てが「ムダ」なんです。だから赤穂浪士が最も恐れたのは吉良上野介の首が奪回されることだったんです。上野介の息子が上杉藩の藩主になっていて、吉良邸と泉岳寺の間で上杉邸の近所を通らなきゃならなかったんです。もし息子が首奪回のために兵を出したら、上杉藩といえば謙信公以来非常に精強なことで有名ですから奪回されてしまう可能性が高い。ですので実は上野介の首はひそかに船で運ばれたという説もあります。

赤穂浪士は私怨で討ち入ったわけではないのです。「主君の無念を晴らすために復讐を代行した」のであり、それは当時の考え方としては「実に正しい」ことだったのです。

ああ、話が思いっきりそれてしまいました。なぜ上野介が意地悪爺さんと描かれるのかというと、もし上野介が名君ということになると赤穂浪士の正義が説得力がなくなってしまうからです。
お芝居なんかを見ると分かりますよ。たまにすごい凝ったストーリーにしているものがありますけど、途中で「あれ、こいつ悪い奴だっけ?それとも主人公の味方の奴だっけ?」と分からなくなっちゃうのです。映画でも芝居でも、名作といわれる作品て比較的ストーリーは単純なんですよ。
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こんにちは。


私は、自称「歴史作家」です。

>>なんだか可哀想に思うのですが・・・

日本で『忠臣蔵』がウケないのは、三河吉良庄(現在の愛知県幡州郡吉良町)と米沢(上野介の長男が養子として入った上杉家のお膝元)だけだという。
吉良町では当時から現在に至るまで吉良上野介義央は名君として慕われており、『忠臣蔵』に対して疑問が提出された戦後には、さらに再評価された。
 いわく、
洪水に苦しむ領民たちのために一夜で「黄金堤」を築いた…、
妻の富子の眼病回復祈願として「富好新田」を拓いた…、
吉良庄に立ち寄ると赤毛の馬にまたがって領内を巡視し人々と親しげに語り合った。

吉良上野介の領地では以上のような名君として慕われていたようです。
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