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お世話になります。

戦争は、外交手段の一つの方法でしかも最後の方法です。それでも、70年前に日本は世界大戦を決断しました。

(この世界大戦に至る序章として中国東北部の植民地化があったと考えます。この植民地化は、日本の勝手な解釈で「欧米列強のマネであることが権利」で錯覚していた様子です。この意味では、日本を含め中国を占領した国家は中国に謝罪は必要です。)

その延長で、連合国との全面戦争は開始されましたが、

●技術的
●生産力
●資源力
●人員力

から見ても、圧倒的に不利であったはずです。合理的に考えれば、国力の差は戦力に比例するはずですよね。

でも、70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?その時の日本は、戦争をしなければならない 進退窮まる理由 があったのでしょうか?でも、敗戦は必定です。

A 回答 (11件中1~10件)

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。


冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)、質問者様が仰る通り近代戦は国家としての総力戦でありまさに大人と子供の喧嘩、そう形容するしかない戦争でした。

>70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

以上述べた前提はいかに当時の軍部主導下にあっても、大国アメリカとの戦争を想定した場合当然客観的判断材料として顧みられたはずであるが、では何故当時の大日本帝国首脳が対米開戦を決意したのか、その原因はそれこそ無数にあると思われますが、私なりの結論としては以下の2点。

1.本来日本の意図は対中権益の確保、本命である日中戦争を継続する為の石油・粗鋼の多くをアメリカに頼っており、その供給をストップされ且つ日本の対米資産凍結、更にはイギリス・オランダがそれに同調して所謂ABCD包囲網が構築された事で追い詰められていた事。

2.日露戦争の悪しき前例、即ち交戦期間2年程度を互角の戦いに持ち込み、ナチスドイツの欧州での勝利を希望的観測で織り込み、総力戦・消耗戦になる以前に仲介国を待つという戦略が可能であると甘く判断していた事。

但しドイツがソ連との不毛な戦争に突入した事で日本の思惑は大きく外れ、しかもアメリカの戦時経済が本格的に稼働しはじめた為、太平洋戦争開戦1年を過ぎた頃から国力相応の差が出始め、皆様御承知の通りの結果に終わってしまいましたが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

●ABCD包囲網による経済封鎖
●調停できる第三国の出現を期待した短期交戦と和平交渉

ですね。ただし、調停能力のある第三国は期待通りにはなく、米国をはじめとする連合国側は和平の意思がなかったとこが、誤算ですね。

お礼日時:2011/03/07 22:55

「誰が決断したか」も重要でしょうね。

なぜ、当時の強硬派、過激派が国を動かす力を持ったのか。当時の日本人だってバカばかりでは無かったでしょうから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

それまでの戦争は、ドローにも関わらず「審判の温情で勝ち」のような状態でしたよね。まさに「薄氷を踏む戦い」が、「国民には全面勝利!」と誤って伝わり、戦争指導者も「じゃ、次も・・・」と前に進んだのでしょう。

でも、その足元の氷は更に薄く、しかも深さは致命的・・・・

結局、戦争指導者は1名ではなく、「みんながKYして、なんとなく天皇陛下に上奏したら、勝てればいいよって言われて、アチャーご聖断が下っちゃたよ、やるっきゃない」となったのですね。

してみると、天皇陛下のご聖断も問題ですが、「勝つから任せて」って言われてのその気になった・・・のでしょうか?

お礼日時:2011/03/07 23:32

アメリカ大統領にはいくつか戦争をしたい理由があります。


イギリスが負けそうであったが、大統領は非戦を公約としていた。→日本に戦争を起こさせたい
中国の日本市場を奪いたい。
中華民国に多額の資本を投資していた→中国に負けてもらっては困る。

満州はたくさんある理由のうちのほんの小さな一つです。

アメリカが戦争したいとなったら、どんな力を持ってしても戦争を回避することは不可能です。
トンキン湾事件で事実無根の敵襲を捏造したり、イラク戦争でありもしない大量破壊兵器疑惑をでっちあげ戦争を起こしてきた歴史を見ればわかるでしょう。

アメリカ大統領が断固日本との戦争を望み、武装解除に等しい石油の禁輸を行ってきたのです。

もしあの時点でアメリカに屈服して属国となっていても、イラクのように抵抗力を失った時点で結局攻め込まれていた可能性も高いですし、武力を失えば相手の要求が高じ続けいずれは吸収解体されていたかもしれません。

そして当時の軍部・日本人は、例え1%でも勝つ可能性にかけるしかなかったといえます。
大枠で言って真珠湾の時点で戦争に踏み切ったことは、正しいといわざるをえません。
黙って屈服していたら日本が今あるかどうかさえ疑わしいと思います。
しかも当時の世論や軍部であれば、一方的な屈服は内戦突入の可能性が高いと考えられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

中国東北部に進出したいため、日本に挑発的行動をしたのが米国ですね。その挑発は、最初の1発だけがヒットして、あとはズダボロでゴロ負けなのが太平洋戦争ですね。その戦争に、仲裁がなくて・・・・半殺しどころか、70年経ても支配しているのが米国・・・

お礼日時:2011/03/07 23:25

敗戦は必定? なんで?


やりようによっては勝ってた戦争ですよ。実際に大陸部分では連戦連勝だったのだし、米国と海洋域で1年以上に渡って戦うから負けたのであって、その点で質問者さんの言うとおりですがね。

負けるように戦ったから負けた。← ただこの一点。
私だったら当時、あらゆる手段を通じて「負けるように」仕向けたでしょうね。

だから… あの時代、私と同様の価値感覚を持つ人々が大勢いて、日本が何とか負けるように誠心誠意努力した結果、首尾よく負けて日本は■開放■された。
めでたしめでたし。ということでいいんでないの?
大勢死んだが、これは帝國によって殺されたので、だから靖国神社に葬って、英雄化する。

今の北朝鮮を開放しようとしたら、中の偉い人たちはどうします?
戦争をやって負けてみるのも一手ですね。。。。その為には「開戦の決断」をしなければならない。

コレ。

対米戦は真珠湾奇襲から始まって原爆投下で終わったが、途中和睦交渉するにしても、米国が対日和睦を行なうような気分にせんとダメなので。
勝つつもりなら米国上陸してワシントンまで進軍し、大統領「とか」を殺すかその家族とかを捕まえて拷問するとかして戦意をくじかなければダメ。
それをせんといて勝つも負けるもありませんよ。

南太平洋には島が多いが北太平洋に島影は希少。
開戦初期に北太平洋を横断し、北米西岸に上陸し、周辺を支配し、虐殺し、飛行基地を設定し、敵生産施設を空爆し、東進する。
北米に破壊の帝王として君臨し、カナダ・メキシコを引き込み北と南から対米攻撃させ、南米各国と結んで戦艦を米国東岸沖に集結させる。

米国の生産力は米国本土に存在する。
これを開戦初期に大きく叩けば米国の戦力は維持できない。
だが、、この戦いに負けたら酷いぞ…  日本人は皆殺しにされるな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ご指摘のようにやって勝てない戦争はないかも知れません。ただし、戦争とは、一つの経済活動でもありますよね、生産→消費の繰り返しです。しかも、消費が破壊活動だから、いくら消費しても生産には貢献できない経済活動です。
(例えば、通常の経済活動なら、生産→消費→利益でさらに生産→別の消費の循環です。即ち、戦争は「ムダな消費」です。)

また、経済活動でたとえれば、大手スーパーと個人商店の戦いがあるでしょう。巨大資本と個人資本、客層を絞れば個人商店でも利益は出せるかもしれません。ただし、巨大資本より利益を出すことはありません。即ち、国家の戦争であれば、国力と人員が豊富で生産力が勝っていれば、ほぼ「勝ち」です。もし、負けても次の作戦を続けることができます。

(この反例でベトナム戦争をあげることができますが、この戦いは内乱かつゲリラ戦で、それまでの正面武力の衝突ではないので、世界大戦とは観点を変える必要があると考えます。)

お礼日時:2011/03/07 23:21

このような質問をする以上、日清日露戦争と、台湾領有や日韓併合が日本の領土的野心ではなく、安全保障の為だという事と、ハルノートの内容は理解しているという前提で回答します。



まず、日中戦争ですが、日本はロシアに対抗する為に朝鮮を併合した結果、清国崩壊後の中国とも国境を接した為に、蒋介石の国民党から悪質な挑発を受けていました。満州国はそのような嫌がらせに軍が切れた結果です。
中国を侵略したといいますが、清の滅亡後、大陸は様々な馬賊や自称軍事政権が跋扈しており、彼らが清の後継政権を名乗れるなら、清王朝の血統を皇帝に戴く満州にもその権利があるはずです。
実際、彼らは清国が外国と結んでいた条約を一方的に破棄しています。
そんなことをすれば、国際常識では後継政権とは認めらません。
そして、満州は無法者が支配する他の土地より治安が良かった為に、人口が流入し遥かに栄えていました。
日中戦争で中国奥地に行ったのは、その後も満州を脅かした国民党の本拠地を叩く必要からです。

上記の日中問題にアメリカが介入したのは、アジアで最後に残った手付かずの中国市場に参入する為です。
実は、それ以前からもアメリカは日本を潰すつもりで、オレンジプランやレインボー計画などの、対日政策を進めてきました。
アメリカは苦労して日本が手にした市場へ、自分もタダで参加させろという要求をしました。
更に、蒋介石を裏で支援し、戦争を泥沼化させます。(これがなければ、日本は勝っていました。)
国際法では、この時点でアメリカは日本と戦争状態だとみなされます。
つまり、真珠湾以前にアメリカンの方から仕掛けたということになります。(あまり知られていませんが)
他にも、イギリスから対ドイツ戦への参戦を要請されており、世論を納得させる材料が必要でした。
しかし、ドイツの同盟国の日本が先に手を出せば、それも可能になります。
それらのための手段がABCD包囲網とハルノートです。日本はこれに嵌って先に手を出してしまいました。

石油解禁にはハルノート受諾が前提ですがこれは禁輸解除の「交渉をする為の条件」に過ぎず、確実に石油が手に入る保証はありませんでした。そんな不確かなものの為に、日本は明治以降獲得した全ての領土を放棄する事を要求されています。これは領土だけでなく、明治以降苦労して手に入れた国際的な地位も捨て、三等国となり外国からの侵略の脅威に再び晒される事を意味します。
これは当時の常識から見ても無茶な要求で、「こんな条件を出されて戦争をしない国はない」と、東京裁判の判事であり、日本の無罪を主張したパール氏は言っています。

また、当時の日本政府は、開戦前の昭和16年に「総力戦研究所」を作り、軍・官僚・マスコミ等、各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っており、考えずに開戦したわけではありません。
そして、その結果は現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます)
ということは、軍部も勝てるとは思っていなかったということです。
可能性は、初戦の勝利によってアメリカの戦意を削ぎ、講和を計ることでした。(失敗しましたが。)
しかし、その僅かな可能性に賭けなければならない程、ハルノートは厳しいものでした。

また、国民に事実を知らせないのは、勝っている戦勝国でも同じでした。
戦争とは、国の全てを動員しなければ行えないもので、その為には、愛国心を盛り上げる為に、自国の正義や民族の優秀性のアピールなど、使えるものは何でも使います。
同時に、情報を統制し、敵国に利する言論は宣言されます。これらはどこの国でも行っていました。
スパイや工作員による情報漏洩やプロパガンダを許す国など、平時でもありません。
一部の戦場の敗北をスパイに利用され、厭戦気分が広がることもあります。
日露戦争でも、日本はロシアで革命勢力を支援しています。
戦前・戦中の日本をファシズム国家という人達は、そんな一時期の事を誇張して語っているだけです。
戦前の日本は、外国並みに民主主義が機能しています。
アメリカは自由の国であるなど自賛していますが、終戦後に公然と共産主義者を弾圧しています。

これらについて、日本の戦争は無謀だったとか、するべきではなかったとか、ご立派な意見を言う人はいますが、結果がわかった上でなら、どうにでも言えます。

動画の続きは↓で


http://www.youtube.com/watch?v=gmd7FHUelB0&featu …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/03/07 22:35

>でも、70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?その時の日本は、戦争をしなければならない 進退窮まる理由 があったのでしょうか?でも、敗戦は必定です。



世界恐慌により列強はブロック経済を志向しました。日本は明治より富国強兵政策により、国力が増していたのは事実ですが、そのため、生活水準が上がってしまい人口も爆発的に増加しました。そんな中で世界経済が分割されて行くわけですから、自国の貿易の範囲を囲い込む必要がありました。ところが、すでに多くの地域は欧米に分割されており、出て行く場所がなかったのです。そこで、当時、混乱していて誰のものかはっきりとしていなかった中国大陸に目をつけました。

まず、最初に目をつけたのは中国政府があまり感心のなかった満州でした。満州はロシア・馬賊・軍閥が入り乱れて闊歩しており、当時の中国の国軍である国民党政府は、なかなか、実質的な主権を行使することができなかった土地でした。関東軍はここを占領し満州帝国を建国したわけです。そしてここを農業・工業の一大生産拠点として、一方で大きな消費市場にしようとしたわけです。おかげで、日本は列強の中で一早く世界恐慌から脱することができたわけです。

つまり、満州は戦略的にも、経済的にも日本の生命線となりました。この満州の主権を奪おうとしたのは、国民党政府でした。日本が侵略者なら、中国国民党もまた侵略者だったと思います。そして、この国民党と日本は戦争になるわけです。これが日中戦争です。この中国軍にアメリカやイギリスは義勇軍を送ったり援助を開始するわけです。この状況に対して日本は援助ルートを遮断するために、北部仏領インドシナに進駐したことが、アメリカのさらなる恐怖を煽ってしまいました。インドシナはフィリピンに近かったためにアメリカは当時植民地であったフィリピンが攻撃を受けるかもしれないと脅威を感じたわけです。

そして、ハルノートへとつながって行くわけです。

アメリカはハルノートによって満州を放棄せよといわんばかりの要求を迫って、一方で、石油とくず鉄の禁輸処置と在米日本資産の凍結を行ってきました。当時、石油はアメリカからかなりの量を輸入していましたから、日本の軍隊はいずれ動けなくなり、もって、日本及び海外領土の主権を維持できなくなることは火を見るより明らかです。簡単に言えば、日本人は餓死の危険にさらされたわけです。

もはやこの段階では、国民は戦争を開始しないと国内では収まりがつかないような状態になっていたのは必定だと思います。ハルノートによって、日本人は死ねと言われたのですから当然の話です。

そんな中で、開戦直前の太平洋の海軍戦力において真珠湾にいる艦船を沈めてしまえば、太平洋において日本の海軍戦力は圧倒的に優位になりますから、早期講話で勝利に一縷の望みをかけて米国との戦争に立ち向かったわけです。だから真珠湾攻撃なのですね。ここで空母まで全部たたけば、1年~2年で戦争を終了させることができる可能性が生じ、米国の生産体制が整う前に、戦争が終了できると読みました。

当時の工業生産額はたしかに米国の圧倒的優位にありました。そんなことはちょっと知識のある人たちならわかっていたはずです。NHK辺りはそれでもやった。愚かだった。という顛末で締めくくりますが、死ねと言われてはいそうですか?と言えないのは当然であり、初期の戦闘で米国艦船の主力を叩けば、勝利の可能性があるなら、戦争に突入するという選択はあながち間違った選択でもなかったと私は思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

中国東北部は、ロシア時代から不凍港湾の渇望でソ連としては重要な戦略地点でした。同様に日本にとっては唯一の未開拓の植民地でした。

(朝鮮半島と台湾は、植民地と見なすか日本の一部と見なすかは、ここでは「本土並み」とします。何故なら、国際法的に日本の委任統治領は異なるからです。)

その結果が、欧米からの圧力、取り分け 仮想敵国が事実上の敵国のアメリカでしたよね。アメリカの勢力範囲はフィリッピンまで拡大され、インドネシアはオランダ、東シナ半島はフランス、その他の大部分は英国でしたから、閉塞した国際情勢は圧倒的に日本に不利でした。その意味では、中国は戦争状態、ソ連とは膠着状態、英国・仏国・米国:蘭国との対峙は、一縷(いちる)ののぞみで戦争を決断したことを理解できます。

(その意味で当時の日本には誇りがありました。)

お礼日時:2011/03/07 19:44

このテーマを考えると悲しくなります。



日本は、今もですが、外交が下手という一言に尽きます。

資金・技術・資源・人員全てが不利は開戦前からわかってました。
名前忘れましたが、何とか機関というところが不利という報告書を作ってました。

開戦しなければ、進退窮まるという状況ではなく、
むしろ、開戦したほうが進退窮まる状況だったのですが、
判断ミス?人為敵的?策略にはまった?
まぁ、なにかの間違いで開戦しちゃったのです。

国際協調ということが理解できない状況だったのでしょう。

個人的な意見ですみませんが、
日本の決定的な失策は

1、桂ハリマン協定の破棄(小村寿太郎)
この協定に則って、満州開拓していれば、無念。

2、国際連盟脱退
自ら外交を閉ざした。

3、三国同盟締結
ありえない、同盟

4、日ソ中立条約締結
ありえない、同盟


この4つさえ、なければ、と思うと無念です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

戦争は、外交手段の一つで、しかも最終手段です。しかし、製造-消耗-補充を繰り返す経済活動でもありますよね。この観点からすると戦争指導者は、「自己の理想的な想定で進むことが前提」であったように思います。

戦後~昭和が終わる約40年間は、インパール作戦は最も杜撰な作戦と判断され批評されていましたが、現在では司令官の判断だけでは実施できない規模であり責任は大本営にあるとの評価に変わりつつあります。
同様にガダルカナルも米軍の戦力の楽観的すぎる見積りの甘さに観点が変わりつつあります。

その意味で、戦争より戦争前の多くの国際的な条約締結が、日本を戦争に突入せざるを得ない状況だったかもしれませんね。しかし、その状況でも国家の指導者は、戦争を回避する勇気を求めるべきでした。バクチをした、そして敗戦の事実を受け取った指導者の責任の取り方には疑問が残ります。

お礼日時:2011/03/07 19:29

世界の情勢をあまりにも知らな過ぎたのではないでしょうか。


アメリカが中国に対してそれほどまで、
後ろ盾をすると思っていなかったのでは。
アメリカは同じ世界の中の日本に、脅威を抱いていたの対し、
対岸のアメリカが、そこまでアジアに対して干渉する意味が
日本には見いだせなかったように思いますね。
距離感が、違いすぎますね。
アメリカは、世界を手中にしたうえでの、モノの考え方を
していたように思います。
すでに情報戦で、日本は当初より負けていたとおもいますが、
その意味さえも、戦争が終わるまで、
わかってなかったように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど、当時の国民は無知でしかも具体的な情報も入手が出来ていませんね。
見識者の判断では、「米国との戦争回避」は必定でしたよね。しかし、政府は日本の不利な状況は説明せず、戦局悪化には「神州国には神風が吹く」ことを信じて更なる破滅を招いた様子です。
(戦争回避をしていれば、占領した国家は独立したでしょうが、北方領土どころか千島樺太まで日本が統治できているかも知れません。)

お礼日時:2011/03/06 22:15

政府が嘘ばっかりを言ったからです。


これはどこの国でも同じです。
アメリカも国民に本当の事を言わないから
何十年も戦争をしています。
日本みたいに大負けしないと終わらないのです。
今の日本も嘘のかたまりです。
誰も本当の事は言いません。
日本は戦争に勝った国から二度と戦争しないような
憲法を作りましたから、なかなか戦争を出来なくなっています。
その分アメリカは永遠に戦争する事になっています。
アメリカは世界中の人から憎まれているのを国民に
黙っているのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

政府がホントのことは言わない・・・は、「百年安心の年金制度」ですね。つい、5~6年前に改訂した年金は、既に破綻していますよね。(社保庁のムダ遣いどころか、国家の構成員の急激な老化が原因ですよね。)

お礼日時:2011/03/06 22:09

簡単に考えると



●太平洋方面だけなら、米国に勝てるかも知れない とバクチに出た

のでしょう。大西洋方面の米国と英国は、枢軸国のドイツが担当しているので、太平洋方面だけを対策できれば、対等な戦争ができ、しかもごく短期間に講和に持ち込めれば 負けはない と判断したのでしょう。

即ち、海軍の戦力は米国の太平洋方面の戦力と互角であり、しかも戦争準備をしていた日本は有利と判断したからです。太平洋戦争の初期の日本軍の戦線拡大は 戦争準備が進んでいた だけです。

(ごく一部の兵器は、米国より勝っていたかも知れませんが、総合的には 米国に劣っていた と考えるべきです。)

例えば、経済的に破滅していたとしたら、最後に手元にある1000円をどう使うでしょうか?パンを買うなら1週間は生き延びられます。しかし、1週間後には、生きることができないかも知れません。そこで、1000円なら 宝くじ を買うか、パチンコ をするかも知れません。偶然的に、多額の金銭を得る可能性があります。パンを買うより、確実に 延命 です。ジリ貧になるより、バクチで米国と対等に交渉できる方法が 戦争の決断 だった・・・と考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

バクチ-破れかぶれですね。窮鼠猫を噛む・・・心境でしょうか?

お礼日時:2011/03/06 22:06

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