出産前後の痔にはご注意!

お世話になります。

戦争は、外交手段の一つの方法でしかも最後の方法です。それでも、70年前に日本は世界大戦を決断しました。

(この世界大戦に至る序章として中国東北部の植民地化があったと考えます。この植民地化は、日本の勝手な解釈で「欧米列強のマネであることが権利」で錯覚していた様子です。この意味では、日本を含め中国を占領した国家は中国に謝罪は必要です。)

その延長で、連合国との全面戦争は開始されましたが、

●技術的
●生産力
●資源力
●人員力

から見ても、圧倒的に不利であったはずです。合理的に考えれば、国力の差は戦力に比例するはずですよね。

でも、70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?その時の日本は、戦争をしなければならない 進退窮まる理由 があったのでしょうか?でも、敗戦は必定です。

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A 回答 (11件中1~10件)

マクロ経済の観点から考察する対米開戦はまさに無謀の一言、一例を挙げれば一般会計と臨時軍事費に占める直接軍事費の割合が脅威の75.7%、これは対米開戦直前の数字ですが、当時の日本は日中戦争以来まさに食うや食わずで戦争を継続していた事がこの点に於いて明らか。


冷戦構造下のソビエト連邦が、アメリカとの軍拡競争で経済が破綻した際の同比率が50%強ですから、戦争突入以前の直接軍事費が70%を超える事の異常さが御理解頂けるかと思います。

更にはGDP比換算で1(日本):20(アメリカ)、質問者様が仰る通り近代戦は国家としての総力戦でありまさに大人と子供の喧嘩、そう形容するしかない戦争でした。

>70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?

以上述べた前提はいかに当時の軍部主導下にあっても、大国アメリカとの戦争を想定した場合当然客観的判断材料として顧みられたはずであるが、では何故当時の大日本帝国首脳が対米開戦を決意したのか、その原因はそれこそ無数にあると思われますが、私なりの結論としては以下の2点。

1.本来日本の意図は対中権益の確保、本命である日中戦争を継続する為の石油・粗鋼の多くをアメリカに頼っており、その供給をストップされ且つ日本の対米資産凍結、更にはイギリス・オランダがそれに同調して所謂ABCD包囲網が構築された事で追い詰められていた事。

2.日露戦争の悪しき前例、即ち交戦期間2年程度を互角の戦いに持ち込み、ナチスドイツの欧州での勝利を希望的観測で織り込み、総力戦・消耗戦になる以前に仲介国を待つという戦略が可能であると甘く判断していた事。

但しドイツがソ連との不毛な戦争に突入した事で日本の思惑は大きく外れ、しかもアメリカの戦時経済が本格的に稼働しはじめた為、太平洋戦争開戦1年を過ぎた頃から国力相応の差が出始め、皆様御承知の通りの結果に終わってしまいましたが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

●ABCD包囲網による経済封鎖
●調停できる第三国の出現を期待した短期交戦と和平交渉

ですね。ただし、調停能力のある第三国は期待通りにはなく、米国をはじめとする連合国側は和平の意思がなかったとこが、誤算ですね。

お礼日時:2011/03/07 22:55

「誰が決断したか」も重要でしょうね。

なぜ、当時の強硬派、過激派が国を動かす力を持ったのか。当時の日本人だってバカばかりでは無かったでしょうから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

それまでの戦争は、ドローにも関わらず「審判の温情で勝ち」のような状態でしたよね。まさに「薄氷を踏む戦い」が、「国民には全面勝利!」と誤って伝わり、戦争指導者も「じゃ、次も・・・」と前に進んだのでしょう。

でも、その足元の氷は更に薄く、しかも深さは致命的・・・・

結局、戦争指導者は1名ではなく、「みんながKYして、なんとなく天皇陛下に上奏したら、勝てればいいよって言われて、アチャーご聖断が下っちゃたよ、やるっきゃない」となったのですね。

してみると、天皇陛下のご聖断も問題ですが、「勝つから任せて」って言われてのその気になった・・・のでしょうか?

お礼日時:2011/03/07 23:32

アメリカ大統領にはいくつか戦争をしたい理由があります。


イギリスが負けそうであったが、大統領は非戦を公約としていた。→日本に戦争を起こさせたい
中国の日本市場を奪いたい。
中華民国に多額の資本を投資していた→中国に負けてもらっては困る。

満州はたくさんある理由のうちのほんの小さな一つです。

アメリカが戦争したいとなったら、どんな力を持ってしても戦争を回避することは不可能です。
トンキン湾事件で事実無根の敵襲を捏造したり、イラク戦争でありもしない大量破壊兵器疑惑をでっちあげ戦争を起こしてきた歴史を見ればわかるでしょう。

アメリカ大統領が断固日本との戦争を望み、武装解除に等しい石油の禁輸を行ってきたのです。

もしあの時点でアメリカに屈服して属国となっていても、イラクのように抵抗力を失った時点で結局攻め込まれていた可能性も高いですし、武力を失えば相手の要求が高じ続けいずれは吸収解体されていたかもしれません。

そして当時の軍部・日本人は、例え1%でも勝つ可能性にかけるしかなかったといえます。
大枠で言って真珠湾の時点で戦争に踏み切ったことは、正しいといわざるをえません。
黙って屈服していたら日本が今あるかどうかさえ疑わしいと思います。
しかも当時の世論や軍部であれば、一方的な屈服は内戦突入の可能性が高いと考えられます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

中国東北部に進出したいため、日本に挑発的行動をしたのが米国ですね。その挑発は、最初の1発だけがヒットして、あとはズダボロでゴロ負けなのが太平洋戦争ですね。その戦争に、仲裁がなくて・・・・半殺しどころか、70年経ても支配しているのが米国・・・

お礼日時:2011/03/07 23:25

敗戦は必定? なんで?


やりようによっては勝ってた戦争ですよ。実際に大陸部分では連戦連勝だったのだし、米国と海洋域で1年以上に渡って戦うから負けたのであって、その点で質問者さんの言うとおりですがね。

負けるように戦ったから負けた。← ただこの一点。
私だったら当時、あらゆる手段を通じて「負けるように」仕向けたでしょうね。

だから… あの時代、私と同様の価値感覚を持つ人々が大勢いて、日本が何とか負けるように誠心誠意努力した結果、首尾よく負けて日本は■開放■された。
めでたしめでたし。ということでいいんでないの?
大勢死んだが、これは帝國によって殺されたので、だから靖国神社に葬って、英雄化する。

今の北朝鮮を開放しようとしたら、中の偉い人たちはどうします?
戦争をやって負けてみるのも一手ですね。。。。その為には「開戦の決断」をしなければならない。

コレ。

対米戦は真珠湾奇襲から始まって原爆投下で終わったが、途中和睦交渉するにしても、米国が対日和睦を行なうような気分にせんとダメなので。
勝つつもりなら米国上陸してワシントンまで進軍し、大統領「とか」を殺すかその家族とかを捕まえて拷問するとかして戦意をくじかなければダメ。
それをせんといて勝つも負けるもありませんよ。

南太平洋には島が多いが北太平洋に島影は希少。
開戦初期に北太平洋を横断し、北米西岸に上陸し、周辺を支配し、虐殺し、飛行基地を設定し、敵生産施設を空爆し、東進する。
北米に破壊の帝王として君臨し、カナダ・メキシコを引き込み北と南から対米攻撃させ、南米各国と結んで戦艦を米国東岸沖に集結させる。

米国の生産力は米国本土に存在する。
これを開戦初期に大きく叩けば米国の戦力は維持できない。
だが、、この戦いに負けたら酷いぞ…  日本人は皆殺しにされるな。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ご指摘のようにやって勝てない戦争はないかも知れません。ただし、戦争とは、一つの経済活動でもありますよね、生産→消費の繰り返しです。しかも、消費が破壊活動だから、いくら消費しても生産には貢献できない経済活動です。
(例えば、通常の経済活動なら、生産→消費→利益でさらに生産→別の消費の循環です。即ち、戦争は「ムダな消費」です。)

また、経済活動でたとえれば、大手スーパーと個人商店の戦いがあるでしょう。巨大資本と個人資本、客層を絞れば個人商店でも利益は出せるかもしれません。ただし、巨大資本より利益を出すことはありません。即ち、国家の戦争であれば、国力と人員が豊富で生産力が勝っていれば、ほぼ「勝ち」です。もし、負けても次の作戦を続けることができます。

(この反例でベトナム戦争をあげることができますが、この戦いは内乱かつゲリラ戦で、それまでの正面武力の衝突ではないので、世界大戦とは観点を変える必要があると考えます。)

お礼日時:2011/03/07 23:21

このような質問をする以上、日清日露戦争と、台湾領有や日韓併合が日本の領土的野心ではなく、安全保障の為だという事と、ハルノートの内容は理解しているという前提で回答します。



まず、日中戦争ですが、日本はロシアに対抗する為に朝鮮を併合した結果、清国崩壊後の中国とも国境を接した為に、蒋介石の国民党から悪質な挑発を受けていました。満州国はそのような嫌がらせに軍が切れた結果です。
中国を侵略したといいますが、清の滅亡後、大陸は様々な馬賊や自称軍事政権が跋扈しており、彼らが清の後継政権を名乗れるなら、清王朝の血統を皇帝に戴く満州にもその権利があるはずです。
実際、彼らは清国が外国と結んでいた条約を一方的に破棄しています。
そんなことをすれば、国際常識では後継政権とは認めらません。
そして、満州は無法者が支配する他の土地より治安が良かった為に、人口が流入し遥かに栄えていました。
日中戦争で中国奥地に行ったのは、その後も満州を脅かした国民党の本拠地を叩く必要からです。

上記の日中問題にアメリカが介入したのは、アジアで最後に残った手付かずの中国市場に参入する為です。
実は、それ以前からもアメリカは日本を潰すつもりで、オレンジプランやレインボー計画などの、対日政策を進めてきました。
アメリカは苦労して日本が手にした市場へ、自分もタダで参加させろという要求をしました。
更に、蒋介石を裏で支援し、戦争を泥沼化させます。(これがなければ、日本は勝っていました。)
国際法では、この時点でアメリカは日本と戦争状態だとみなされます。
つまり、真珠湾以前にアメリカンの方から仕掛けたということになります。(あまり知られていませんが)
他にも、イギリスから対ドイツ戦への参戦を要請されており、世論を納得させる材料が必要でした。
しかし、ドイツの同盟国の日本が先に手を出せば、それも可能になります。
それらのための手段がABCD包囲網とハルノートです。日本はこれに嵌って先に手を出してしまいました。

石油解禁にはハルノート受諾が前提ですがこれは禁輸解除の「交渉をする為の条件」に過ぎず、確実に石油が手に入る保証はありませんでした。そんな不確かなものの為に、日本は明治以降獲得した全ての領土を放棄する事を要求されています。これは領土だけでなく、明治以降苦労して手に入れた国際的な地位も捨て、三等国となり外国からの侵略の脅威に再び晒される事を意味します。
これは当時の常識から見ても無茶な要求で、「こんな条件を出されて戦争をしない国はない」と、東京裁判の判事であり、日本の無罪を主張したパール氏は言っています。

また、当時の日本政府は、開戦前の昭和16年に「総力戦研究所」を作り、軍・官僚・マスコミ等、各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っており、考えずに開戦したわけではありません。
そして、その結果は現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます)
ということは、軍部も勝てるとは思っていなかったということです。
可能性は、初戦の勝利によってアメリカの戦意を削ぎ、講和を計ることでした。(失敗しましたが。)
しかし、その僅かな可能性に賭けなければならない程、ハルノートは厳しいものでした。

また、国民に事実を知らせないのは、勝っている戦勝国でも同じでした。
戦争とは、国の全てを動員しなければ行えないもので、その為には、愛国心を盛り上げる為に、自国の正義や民族の優秀性のアピールなど、使えるものは何でも使います。
同時に、情報を統制し、敵国に利する言論は宣言されます。これらはどこの国でも行っていました。
スパイや工作員による情報漏洩やプロパガンダを許す国など、平時でもありません。
一部の戦場の敗北をスパイに利用され、厭戦気分が広がることもあります。
日露戦争でも、日本はロシアで革命勢力を支援しています。
戦前・戦中の日本をファシズム国家という人達は、そんな一時期の事を誇張して語っているだけです。
戦前の日本は、外国並みに民主主義が機能しています。
アメリカは自由の国であるなど自賛していますが、終戦後に公然と共産主義者を弾圧しています。

これらについて、日本の戦争は無謀だったとか、するべきではなかったとか、ご立派な意見を言う人はいますが、結果がわかった上でなら、どうにでも言えます。

動画の続きは↓で


http://www.youtube.com/watch?v=gmd7FHUelB0&featu …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/03/07 22:35

>でも、70年前の日本は、なぜ戦争を決断したのでしょうか?その時の日本は、戦争をしなければならない 進退窮まる理由 があったのでしょうか?でも、敗戦は必定です。



世界恐慌により列強はブロック経済を志向しました。日本は明治より富国強兵政策により、国力が増していたのは事実ですが、そのため、生活水準が上がってしまい人口も爆発的に増加しました。そんな中で世界経済が分割されて行くわけですから、自国の貿易の範囲を囲い込む必要がありました。ところが、すでに多くの地域は欧米に分割されており、出て行く場所がなかったのです。そこで、当時、混乱していて誰のものかはっきりとしていなかった中国大陸に目をつけました。

まず、最初に目をつけたのは中国政府があまり感心のなかった満州でした。満州はロシア・馬賊・軍閥が入り乱れて闊歩しており、当時の中国の国軍である国民党政府は、なかなか、実質的な主権を行使することができなかった土地でした。関東軍はここを占領し満州帝国を建国したわけです。そしてここを農業・工業の一大生産拠点として、一方で大きな消費市場にしようとしたわけです。おかげで、日本は列強の中で一早く世界恐慌から脱することができたわけです。

つまり、満州は戦略的にも、経済的にも日本の生命線となりました。この満州の主権を奪おうとしたのは、国民党政府でした。日本が侵略者なら、中国国民党もまた侵略者だったと思います。そして、この国民党と日本は戦争になるわけです。これが日中戦争です。この中国軍にアメリカやイギリスは義勇軍を送ったり援助を開始するわけです。この状況に対して日本は援助ルートを遮断するために、北部仏領インドシナに進駐したことが、アメリカのさらなる恐怖を煽ってしまいました。インドシナはフィリピンに近かったためにアメリカは当時植民地であったフィリピンが攻撃を受けるかもしれないと脅威を感じたわけです。

そして、ハルノートへとつながって行くわけです。

アメリカはハルノートによって満州を放棄せよといわんばかりの要求を迫って、一方で、石油とくず鉄の禁輸処置と在米日本資産の凍結を行ってきました。当時、石油はアメリカからかなりの量を輸入していましたから、日本の軍隊はいずれ動けなくなり、もって、日本及び海外領土の主権を維持できなくなることは火を見るより明らかです。簡単に言えば、日本人は餓死の危険にさらされたわけです。

もはやこの段階では、国民は戦争を開始しないと国内では収まりがつかないような状態になっていたのは必定だと思います。ハルノートによって、日本人は死ねと言われたのですから当然の話です。

そんな中で、開戦直前の太平洋の海軍戦力において真珠湾にいる艦船を沈めてしまえば、太平洋において日本の海軍戦力は圧倒的に優位になりますから、早期講話で勝利に一縷の望みをかけて米国との戦争に立ち向かったわけです。だから真珠湾攻撃なのですね。ここで空母まで全部たたけば、1年~2年で戦争を終了させることができる可能性が生じ、米国の生産体制が整う前に、戦争が終了できると読みました。

当時の工業生産額はたしかに米国の圧倒的優位にありました。そんなことはちょっと知識のある人たちならわかっていたはずです。NHK辺りはそれでもやった。愚かだった。という顛末で締めくくりますが、死ねと言われてはいそうですか?と言えないのは当然であり、初期の戦闘で米国艦船の主力を叩けば、勝利の可能性があるなら、戦争に突入するという選択はあながち間違った選択でもなかったと私は思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

中国東北部は、ロシア時代から不凍港湾の渇望でソ連としては重要な戦略地点でした。同様に日本にとっては唯一の未開拓の植民地でした。

(朝鮮半島と台湾は、植民地と見なすか日本の一部と見なすかは、ここでは「本土並み」とします。何故なら、国際法的に日本の委任統治領は異なるからです。)

その結果が、欧米からの圧力、取り分け 仮想敵国が事実上の敵国のアメリカでしたよね。アメリカの勢力範囲はフィリッピンまで拡大され、インドネシアはオランダ、東シナ半島はフランス、その他の大部分は英国でしたから、閉塞した国際情勢は圧倒的に日本に不利でした。その意味では、中国は戦争状態、ソ連とは膠着状態、英国・仏国・米国:蘭国との対峙は、一縷(いちる)ののぞみで戦争を決断したことを理解できます。

(その意味で当時の日本には誇りがありました。)

お礼日時:2011/03/07 19:44

このテーマを考えると悲しくなります。



日本は、今もですが、外交が下手という一言に尽きます。

資金・技術・資源・人員全てが不利は開戦前からわかってました。
名前忘れましたが、何とか機関というところが不利という報告書を作ってました。

開戦しなければ、進退窮まるという状況ではなく、
むしろ、開戦したほうが進退窮まる状況だったのですが、
判断ミス?人為敵的?策略にはまった?
まぁ、なにかの間違いで開戦しちゃったのです。

国際協調ということが理解できない状況だったのでしょう。

個人的な意見ですみませんが、
日本の決定的な失策は

1、桂ハリマン協定の破棄(小村寿太郎)
この協定に則って、満州開拓していれば、無念。

2、国際連盟脱退
自ら外交を閉ざした。

3、三国同盟締結
ありえない、同盟

4、日ソ中立条約締結
ありえない、同盟


この4つさえ、なければ、と思うと無念です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

戦争は、外交手段の一つで、しかも最終手段です。しかし、製造-消耗-補充を繰り返す経済活動でもありますよね。この観点からすると戦争指導者は、「自己の理想的な想定で進むことが前提」であったように思います。

戦後~昭和が終わる約40年間は、インパール作戦は最も杜撰な作戦と判断され批評されていましたが、現在では司令官の判断だけでは実施できない規模であり責任は大本営にあるとの評価に変わりつつあります。
同様にガダルカナルも米軍の戦力の楽観的すぎる見積りの甘さに観点が変わりつつあります。

その意味で、戦争より戦争前の多くの国際的な条約締結が、日本を戦争に突入せざるを得ない状況だったかもしれませんね。しかし、その状況でも国家の指導者は、戦争を回避する勇気を求めるべきでした。バクチをした、そして敗戦の事実を受け取った指導者の責任の取り方には疑問が残ります。

お礼日時:2011/03/07 19:29

世界の情勢をあまりにも知らな過ぎたのではないでしょうか。


アメリカが中国に対してそれほどまで、
後ろ盾をすると思っていなかったのでは。
アメリカは同じ世界の中の日本に、脅威を抱いていたの対し、
対岸のアメリカが、そこまでアジアに対して干渉する意味が
日本には見いだせなかったように思いますね。
距離感が、違いすぎますね。
アメリカは、世界を手中にしたうえでの、モノの考え方を
していたように思います。
すでに情報戦で、日本は当初より負けていたとおもいますが、
その意味さえも、戦争が終わるまで、
わかってなかったように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

なるほど、当時の国民は無知でしかも具体的な情報も入手が出来ていませんね。
見識者の判断では、「米国との戦争回避」は必定でしたよね。しかし、政府は日本の不利な状況は説明せず、戦局悪化には「神州国には神風が吹く」ことを信じて更なる破滅を招いた様子です。
(戦争回避をしていれば、占領した国家は独立したでしょうが、北方領土どころか千島樺太まで日本が統治できているかも知れません。)

お礼日時:2011/03/06 22:15

政府が嘘ばっかりを言ったからです。


これはどこの国でも同じです。
アメリカも国民に本当の事を言わないから
何十年も戦争をしています。
日本みたいに大負けしないと終わらないのです。
今の日本も嘘のかたまりです。
誰も本当の事は言いません。
日本は戦争に勝った国から二度と戦争しないような
憲法を作りましたから、なかなか戦争を出来なくなっています。
その分アメリカは永遠に戦争する事になっています。
アメリカは世界中の人から憎まれているのを国民に
黙っているのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

政府がホントのことは言わない・・・は、「百年安心の年金制度」ですね。つい、5~6年前に改訂した年金は、既に破綻していますよね。(社保庁のムダ遣いどころか、国家の構成員の急激な老化が原因ですよね。)

お礼日時:2011/03/06 22:09

簡単に考えると



●太平洋方面だけなら、米国に勝てるかも知れない とバクチに出た

のでしょう。大西洋方面の米国と英国は、枢軸国のドイツが担当しているので、太平洋方面だけを対策できれば、対等な戦争ができ、しかもごく短期間に講和に持ち込めれば 負けはない と判断したのでしょう。

即ち、海軍の戦力は米国の太平洋方面の戦力と互角であり、しかも戦争準備をしていた日本は有利と判断したからです。太平洋戦争の初期の日本軍の戦線拡大は 戦争準備が進んでいた だけです。

(ごく一部の兵器は、米国より勝っていたかも知れませんが、総合的には 米国に劣っていた と考えるべきです。)

例えば、経済的に破滅していたとしたら、最後に手元にある1000円をどう使うでしょうか?パンを買うなら1週間は生き延びられます。しかし、1週間後には、生きることができないかも知れません。そこで、1000円なら 宝くじ を買うか、パチンコ をするかも知れません。偶然的に、多額の金銭を得る可能性があります。パンを買うより、確実に 延命 です。ジリ貧になるより、バクチで米国と対等に交渉できる方法が 戦争の決断 だった・・・と考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

バクチ-破れかぶれですね。窮鼠猫を噛む・・・心境でしょうか?

お礼日時:2011/03/06 22:06

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5・なぜ周辺アジアと未だに仲が悪いのか

いまだに全く知らない自分が恥ずかしいです・・・。
よかったら教えて下さい。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北部中国へと、軍をすすめてゆきます。

当時の中国は、欧米列強による半植民地状態で、中国で、欧米との利害関係での対立を引き起こした事に起因します。

2.日本軍が、中国に深入りしすぎて、撤退も妥協もできなくなったため、国際間での調整がつかなくなったためです。

3.同盟関係は、とても複雑で、基本的には世界の2/3の国を相手に戦いました。
同盟国は、ドイツ、イタリア、ハンガリー、フィンランド、ブルガリア、ルーマニアです。

中立国は、スエーデン、スイス、スペイン、トルコ、タイなどです。

主な敵国は、アメリカ、イギリス、ソ連、オランダ、中華民国、中国共産党、自由フランス、などと、その植民地のオーストラリア、ニュージーランド、インド、カナダ、などです。

4.一応大本営は有りますが、各組織が勝手に作戦をたてて動いていました。

5.アジア周辺と仲が悪いと言っても、問題になるのは、中国および華僑圏と、韓国・北朝鮮です。

東南アジアの華僑は、大戦前は、シギリス・オランダ・フランスなどの植民地支配の手先として、現地人を支配する立場にいましたが、日本軍の進撃により、植民地軍が撤退すると、その利権を奪われてしまいました。
その後、日本の支援で独立国となったため、当時の利権を永久に失ってしまった事によります。

中国(中華人民共和国)は、戦勝国といっても、自分達では、全く無力で、何もできませんでした。
実際、中共軍と日本軍は、ほとんど戦っていません。
戦勝国といってみても、実質が全く伴っていませんでした。
そのため、日本に対し、強いコンプレックスを持ってしまい、やたらに正当性を主張するようになりました。
最近では、中国の国力がアップしてきましたので、コンプレックスは、より大きくなっているようです。

韓国ですが、本来韓国は、敗戦国なのですが、戦勝国としての地位を求め、他国からソデにされています。
ここでも日本に対して強いコンプレックスから、反日になっています。

ただ、韓国の場合でも中国の場合でも、日本に対して、真に反日の人は、それほど多くなく、パホーマンスの域を出ていないようです。

第2次大戦の事として、回答いたします。

1.これは、とても難しい話で、アヘン戦争の時代からの問題で、簡単には述べられません。
当初明治政府ができた時、朝鮮半島は、無政府状態で、そこに欧米列強の進出が有ると、国防上大変な事になります。
そのため、朝鮮半島を日本の勢力化に置き、本土の前哨線としようとしました。
そのため、利害の対立する、清やロシアとの戦いになりました。
朝鮮半島が日本の勢力下におかれると、さらにそこを守る前哨線として、隣接する満州地区を、さらに満州に隣接する北...続きを読む

Q日本とアメリカが戦争したきっかけは?

日本とアメリカが第二次世界大戦時戦争したきっかけはなんだったのでしょう?

Aベストアンサー

日本の中にもアメリカとは戦争したくないと言う声は少なくなかったのです。しかし、石油などの資源をアメリカに押さえられてしまい、これを打開しなければいけませんでした。

 当時、日本は「日独伊防共協定」を結んでおり、さらにドイツはソ連と「独ソ不可侵条約」を結びました。そこで、日本は日独伊の関係をさらに強化し、同時に、そこにソ連も加えて4カ国の同盟関係を作れば、アメリカも容易には攻撃できず、経済制裁の解除もしやすいと考え、「日独伊三国(軍事)同盟」を結成しました。だが、この軍事同盟に参加したことでアメリカは日本をヒットラー政権と同列に位置づけ、さらに日本への警戒心を強くしました。
 その後、日本は早期の4カ国同盟の結成を目指し、ドイツ側と調整を行っていました。ドイツは当初はこの同盟に(少なくとも表面上は)積極的でしたが、この頃になるとドイツはソ連侵攻の準備を始めていたので、(当然ですが)調整は上手くいきませんでした。なかなか動かないドイツに対してしびれを切らした日本は、ソ連と「日ソ中立条約」を締結し、残るイタリアとソ連との軍事同盟、そして新たなる4カ国での軍事同盟の再結成の準備に入りました。しかし、そんな思いも虚しく、中立条約締結の2ヶ月後には独ソ戦が開始されました。この時になって、初めて日本はドイツの真意を知りました。
 この結果、日本は大した後ろ盾もなくアメリカとの経済制裁の解除の交渉に臨まなければいけませんでした。その後、紆余曲折を経て、最終的に真珠湾攻撃となりました。

簡単に言えば、アメリカが日本に対して経済制裁を行い、これを解除しようと日本側はさらなる軍事同盟の強化・拡大という道を取ったものの、外交能力の甘さから自分の首を絞める結果になりました。

 余談になりますが、ドイツから見れば日本はドイツのじゃまばかりしたことになります。ドイツにとって「独ソ不可侵条約」は東側のフランスなどとの戦争を有利にするために、一時的に結んだ条約です(最初から、いつかは破ることを考えていました)。一方、ソ連側もいつかはドイツが破って攻めてくると考えていましたが、対日戦略のことを考えて条約を結び、戦力を東側に集めました。それを、ドイツが対ソ戦の準備を始めた頃に、日本が「日ソ中立条約」を締結してソ連の東側の脅威を消したために、東側に集中していたソ連の軍隊の大部分を西側に持ってくることができ、ドイツは当初の計画よりも、苦戦することになりました。
 さらに、当時アメリカは対独戦の大義名分もなく、国内の世論もヨーロッパの戦乱にアメリカが参戦すべきではないという声が多く、参戦できないでいました。そこに、ドイツとの軍事同盟を結んでる日本がアメリカに参戦してきたことで、アメリカは対独戦の大義名分を得ることになりました。

ついでに、ときどきヒットラーは軍事的なもので政権を取ったと勘違いをしている人がいますが、ヒットラーは選挙で徐々に自分達の議席を増やし、国会でヒットラー独裁政権のための法案を可決させ、独裁化しました。何でもかんでも多数決をしたがる人がいますが、それは危険なことだと教えてくれることです。また、日本は経済制裁を受けたことで、最終的に戦争に突入しました。北朝鮮への経済制裁も、行った結果(破れかぶれで)日本や韓国へ戦争して来るとも限りません。不用意に経済制裁をすべきではないのです。

最後に、戦後の「東京裁判(極東国際軍事裁判)」において、日本側の弁護についたアメリカの弁護士は、日本がアメリカに対して戦争を行ったことに関する弁護で「日本の(宣戦布告なしの奇襲である)真珠湾での攻撃をしたことを罪とするならば、広島・長崎において行われた新兵器による一般人も含めた大量虐殺も罰せられなければならない」という内容で弁明しましたが、無視されてしまいました。(アメリカはもちろんのこと、日本でも原爆による攻撃でポツダム宣言を受諾したと思っている方が多いのですが、実際は、ソ連の参戦により、連合国側との仲介役をソ連に頼もうとする考えができなくなり、ポツダム宣言を受諾したのです。ここでもいろいろあるのですが、余談が長くなるので、止めます。)

日本の中にもアメリカとは戦争したくないと言う声は少なくなかったのです。しかし、石油などの資源をアメリカに押さえられてしまい、これを打開しなければいけませんでした。

 当時、日本は「日独伊防共協定」を結んでおり、さらにドイツはソ連と「独ソ不可侵条約」を結びました。そこで、日本は日独伊の関係をさらに強化し、同時に、そこにソ連も加えて4カ国の同盟関係を作れば、アメリカも容易には攻撃できず、経済制裁の解除もしやすいと考え、「日独伊三国(軍事)同盟」を結成しました。だが、この軍事...続きを読む

Qアメリカは日本になぜ原爆を落としたのでしょうか

先日、テレビで広島に落とした原爆と長崎に落とした原爆では、種類が違うということを聞きました。
私はなぜ違うのだろうと疑問を感じました。

早く戦争を終わらせるためという理由だけでしたら、同じ種類の原爆でいいんじゃないかなと思ったのです。
アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

だけど、実験で何十万という人間が死んでしまうわけですから、アメリカが実験でそのようなことをするのかなとも思います。

すみませんが、お教えいただけましたら助かります。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

回答:そうです。

原爆使用の目的は↓です。

1:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
2:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

1についてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為に、広島への空襲を停止して建築物を保存し、人口を集中させました。

B:警告無しの使用の決定
トルーマン大統領は、自分が設置した暫定委員会で、原爆の使用は「労働者の住宅に囲まれた軍需工場に、事前の警告無し」で行われるべきだと語り、そのように決定しています。
(開発に携わった科学者は、無警告の原爆投下に反対しています。)


この質問は過去にも何度か出ており、警告については、連合軍は爆撃前にビラをまいて避難を呼びかけていたという意見がありますが、それには【広島】と【小倉】は入っていません。(画像参照)

実は、小倉は広島と同じ理由で選ばれていましたが、爆撃機が航路を誤って、長崎に落してしまいました。
長崎の投下地点の真上には、日本に始めて建設された「教会」がありました。
(アメリカはこの事を隠していますが)


アメリカの原爆の使用について、日本が降伏をしなかったからだという意見もありますが、それは間違いです。

当時の日本は条件さえ合えば降伏(というか講和)をするつもりでした。
しかし、アメリカは曖昧な降伏条件(国体の護持、天皇制の維持等が保証されていない)を出すことで、日本が降伏できないようにして、原爆を使用する準備をしました。
(降伏条件の起草段階では天皇制の維持が含まれていましたが、トルーマンはこの部分を変更しています。)

ただ、これについてはいつまでも戦争を続けていると、ソ連が参戦してしまい、戦後処理についてソ連に発言力を与えることとなり、タイミングが難しい作戦でした。(実際そうなりました)

日本は↑のような条件が不明な状態で降伏した場合、国が消滅する事もありえるので、安易に降伏はでいませんでした。
更に、降伏後に天皇が処刑された場合、国民や軍部が政府の意向に関係なく戦闘を行う場合もありえます。
そのような内戦になった場合、中ソが介入して朝鮮やドイツのような分断国家になり、冷戦の最前線になってしまう事も考えられます。

以上から、敗戦後の外交や政治まで考えれば、安易に降伏できる状態ではありませんでした。
そもそも、原爆の使用自体が、民間人の虐殺という国際法違反であり、日本が降伏しないことを理由に正当化するのは間違いです。


原爆の使用について、東京裁判で糾弾されていたという意見もありますが、それは誤りです。
原爆については、日本の弁護についたアメリカ人(ブレイクニー氏)が語っていますが、その目的は↓を指摘することで「裁判自体の無効」を訴えるもので「原爆の使用そのもの」を糾弾するものではありません。

【戦争は国家の行為であり、戦争指導者であっても個人に責任は発生しない。
なので、日本の戦争指導者が個人として責任を追及されているのは間違っている。
日本人が「個人」として裁かれるなら、原爆の使用を決定した者も裁かれるべきである。】

それに、彼の意見は、↓の動画では、裁判所の意向に拠って却下されています。

【A級戦犯は冤罪】(動画:東京裁判の映像)
http://www.youtube.com/watch?v=sDTJVZheUwo


この類の質問ではよく言われることですが、戦争は政治であり、外交の一手段です。
である以上、国家間の約束や契約である条約は守る必要があります。
戦争では【国際法】がそれにあたります。
そして、【法】である以上、一国の【都合】や【政治的判断】とやらで解釈や判決が変えられるべきではありません。
勝てば何をしても不問になるなら、国際法は無意味になります。


ご質問の主旨とは外れますが、
対立する意見の者を「ネトウヨ」と呼んで、「歴史の一部」だけを取り出して、「事実」を歪曲したり、印象操作、誤解、させるのは愚の骨頂である。ということを書き加えさせて頂きます。



>だけど、実験で何十万という人間が死んでしまうわけですから、アメリカが実験でそのようなことをするのかなとも思います。

質問者様は、WW2が人種差別との戦争であると言われている事をご存じないのでしょうか。
またアメリカ国内の人種差別を知らないのでしょうか。

アメリカには1964年までジム・クロウ法という、黒人は白人と同じ公共施設を使用できないという内容の法律がありました。
こんな法律があるくらいなので、民間でもそれぞれ専用の店があり、トイレも分離されていました。

徴兵されたアメリカの黒人兵は、
【何故我々が、白人と戦っている日本人と戦争をしなければならないんだ】
と言っています。
(アメリカ軍内では、戦闘では黒人がまず先に出され、枢軸軍に応戦させて位置を調べてから、砲撃をしています。)

黒人だけでなく、日系人(アメリカ国籍)も差別の対象でした。

【第442連隊戦闘団(アメリカ日系人部隊)】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC442%E9%80%A3%E9%9A%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E5%9B%A3
(アメリカ政府は、アメリカ国内の日系人社会の動向を、黄色人種に対する人種差別的感情を背景に(実際に同じく敵国であったドイツ系やイタリア系アメリカ人については、大がかりな強制収容は行われなかった)不安視していたことなどから、1942年2月以降に、アメリカ西海岸に居住していた日系人と日本人移民約12万人は、ほとんどの財産を没収された上で全米に散らばる強制収容所に強制収容された。)

同じアメリカ人同士ですらこの有様なので、日本人への扱いは更に酷いものでした。

【大東亜戦争における米軍の残虐行為】(動画)
http://www.youtube.com/watch?v=g6MmpEuGipQ

質問の主旨は↓でよいのでしょうか。

>アメリカが日本に原爆を落としたのは、実験の意味もあるのでしょうか?

回答:そうです。

原爆使用の目的は↓です。

1:原爆(2種類)の効果を、実際の都市や人間で確かめ、データをとる事。
2:他国に使用可能な核保有国であることを示し、戦後の国際関係で優位に立つ為。

1についてですが、上記の目的を満たす為に、投下する都市は↓のような経緯で選ばれています。

A:周囲を山に囲まれた直径3マイル以上の市街地を持つ都市。
アメリカは、↑の条件をより満たす為...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Q日本はこれから100年以内に戦争をしてしまうのでしょうか?

日本はこれから100年以内に戦争をしてしまうのでしょうか?

私はこの春から中学生になりますが、本当に本当に心配です。
心配で死にそうです。
戦争が本当に怖くて、戦争を体験するくらいなら、先に死んでおきたいです。

母にも何度も大丈夫?と聞いていますが、皆したくないと思っているから大丈夫。と
あまり安心できない答えが返ってきます。
何度母に大丈夫といわれても、心配で心配で繰り返し同じことを聞いたので、精神科に行く?
とも言われてしまいました。学校も心配で楽しくありません。
もう怖くて死にたいです。
ごはんもおいしく感じないし、なかなか眠れないし、ずっと不安に追われています
1、日本は100年以内に戦争をする可能性はどのくらいあるんでしょうか?
2、もしも戦争が起きてしまった場合、核は使われるのでしょうか?
3、今第九条改正の声が高まっていますが、それって戦争に近づくということなんでしょうか?
4、皆さんは戦争についてどう思いますか?
教えてください。
私は、今頃戦争をしても何にも利益はないと思っています。
そう思いたいです。
そういう風に自分に言い聞かせていますが安心できません。 

未来が怖いです。もう死んでしまいたいです。助けてください。安心させてください。

日本はこれから100年以内に戦争をしてしまうのでしょうか?

私はこの春から中学生になりますが、本当に本当に心配です。
心配で死にそうです。
戦争が本当に怖くて、戦争を体験するくらいなら、先に死んでおきたいです。

母にも何度も大丈夫?と聞いていますが、皆したくないと思っているから大丈夫。と
あまり安心できない答えが返ってきます。
何度母に大丈夫といわれても、心配で心配で繰り返し同じことを聞いたので、精神科に行く?
とも言われてしまいました。学校も心配で楽しくありません。
もう怖く...続きを読む

Aベストアンサー

戦争は、一般的な常識を持った人なら、だれしもがしたくもないと思っているものです。日本は今平和ですが、日本以外では紛争や戦争が起き、憎しみの連鎖が起こっています。それは日本から遠く離れた国々だけでなく、日本に近い国々も同様です。
質問者様は、この春から中学生になるということですので、12歳ぐらいでしょうか? 僕が12歳で小学校を卒業する時は、ちょうどイラク戦争が始まったときでした。なんと、卒業式の日にちょうどアメリカがイラクに進行したのです。そのニュースをテレビで見たときは、とても怖かったことをおぼえています。

質問に答えさせていただきますね
1、100年先のことは誰にもわかりません。1年先のことも、10年先のことだってわかりません。可能性はゼロではありません

2、万が一戦争が起きたとしても、核兵器は使われることはおそらくないでしょう。もちろん、可能性はゼロではありません。

3、今も昔も憲法改正が時代によって表に浮き上がってくることがありますが、これは何も戦争を日本からしかけてやるとか、他国を侵略するために改憲するというわけではありません。今日本を守っているのは自衛隊という組織ですが、これは政府の見解では軍隊ではありません。非常に微妙な立場にあるのです。
憲法では軍隊や武器を持つことを禁じられ、専守防衛という決まりでこの国を戦争が起こっても、こっちからは最初に手は出さない。相手が(例えば核兵器などを撃ってくるなど)しかけてこない限りは、手を出さないということになっているのです。(もちろん、相手が攻撃してくるのにただ見ているというのはあり得ません。ですので、敵のミサイル基地などを先に攻撃して、最低限の自衛行為を相手の攻撃がなくても行えるなどという議論もあります。重要なのは、先に攻撃できるという結論がでていないことです。あくまで、できるだろうという議論をしているだけなのです)つまり、今の憲法はややっこしいのです。憲法改正の目的は、自衛隊の存在を認めさせ、その他日本の防衛に関してよりきちんと、戦争から国を遠ざけ守るために改憲しようとしています。ですので、なにも戦争をするために改憲するわけではありません。

4、戦争はもちろん嫌です。そして、怖い。しないにこしたことがありません。ただ僕は、予備自衛官という予備役というものですので、戦争があれば行かなければならないかもしれません。なので、非常に怖いです^^;

質問者様がおっしゃる通り、今日本が戦争をしても利益はありません。それは、中国や、韓国、北朝鮮などすべての国について言えることです。現代社会、戦争はそう簡単に起こるものではありません。さまざまな要因が絡み合って、初めて起こるものです。
未来が怖い。よくわかります。誰しもが、怖いのです。そして、質問者様の年齢ぐらいなら、その怖さはきっとお母様や僕といった人たちより、何倍も強いものだと思います。
でも、怖がっているだけではだめです。たくさん勉強してください。中学に入って、公民や現代社会や日本史や世界史を勉強することになると思います。そうすれば、知識が増えます。日々のニュースや新聞を読んでください。そうすれば、世界が広がります。そして、世界のことを知ってください。

戦争は、誰もが怖いです、あなただけではありません。だから、安心してください。悩みすぎないでください。何かあれば、自衛隊が必ずこの国とあなたを守ります。だから、心配しないでください。怖がらないでください。あなたが悲しめば、お母さんも悲しみます。
あなたのような人がたくさんいれば、きっと戦争はおきなくなります。その気持ちと考えを大事にしてください。

戦争は、一般的な常識を持った人なら、だれしもがしたくもないと思っているものです。日本は今平和ですが、日本以外では紛争や戦争が起き、憎しみの連鎖が起こっています。それは日本から遠く離れた国々だけでなく、日本に近い国々も同様です。
質問者様は、この春から中学生になるということですので、12歳ぐらいでしょうか? 僕が12歳で小学校を卒業する時は、ちょうどイラク戦争が始まったときでした。なんと、卒業式の日にちょうどアメリカがイラクに進行したのです。そのニュースをテレビで見たときは、と...続きを読む

Q戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍人、民間人合わせて310万人の人が死亡し、都市面積の30%が消失したと言われています。
しかし、310万人の死者は一見多いように見えますが、1億人の人口から見たら3%で、97%の国民は生き残っているわけです。
また、国土が焼け野原になったと言われますが、都市面積の70%は無傷だったわけです。

これらのことから見ても、当時の国民で、肉親や親戚に死亡した人がおらず、空襲も受けなかった人はかなりの数がいるはずです。
その中でも、農村部に住んでいる人であれば、食料にも不自由せず、普段通りの生活をしていた人も多くいたと推測されます。
もちろん時代が時代ですから、派手なパーティーをやったり、観光旅行にでかけたりということはできなかったでしょう。
しかし、戦後世代の人が教わったような、日本中が地獄絵と化したというのはちょっと大げさなのではないでしょうか。

当時は情報も統制され、日本がどんどんやられているというような情報は入って来なかったでしょうから、いずれ自分たちも攻撃を受けるというような危機感もなかったと思われます。
当時の国民の、少なくない数の人たちが、実は普段通りの平和な生活を送っていたと推測されます。
戦時中、実際にこのような普段通りの平和な生活を送っていた方の体験談を聞かせていただけませんか。
また、そのようなことを紹介したサイトなどがあれば教えて下さい。

なお、私が聞きたいのは「戦争中、普段通りの生活をしていた人の話」であって、「そんな人はいない」とか、「そのような質問は不謹慎だ」というような回答はお断りします。
質問の趣旨を理解した上で回答をお願いします。

戦争中、普段通りの生活をしていた人の話を聞きたい

戦争体験としてよく語られるのは、原爆や空襲などの攻撃によって肉親が死んだり、家が焼かれたりというものが中心ですよね。
戦後世代の人は、戦時中は1億人の国民全員がこのような辛酸をなめ、苦しい生活を送っていたと信じ込んでいます。
戦時中を過ごした1億人の国民全員が苦労人で、戦後の日本があるのはその人たちのお陰で、その人たちに感謝しなくてはならないという論調が多く見られます。

でも、これってちょっとおかしいですよね?確かに戦争で軍...続きを読む

Aベストアンサー

 母は田舎にすんでいたので、まったく戦争の影響はなかったそうです。
確かに統制品は手に入りにくかったらしいですが、食べるのにはまったく困らなかったそうですよ。
 よく、都会から食べ物を分けてくれって人が来たらしいです。

 父は逆で都会で生活していたので疎開をしました。
疎開には、集団疎開と縁故疎開ってのがあるんです。
中でも悲惨なのが集団疎開です。学校の力関係が24時間中です。いじめっ子はずっといじめ、いじめられっこはそれこそ現代で言うイジメなんかと比較できないほど酷かったらしいです。

 また、縁故疎開っていうのも、ようするに都会のこじゃれたガキが、自分の親戚をたよって田舎に疎開するんです。すると、もちろんその子のキャラにもよりますが、めちゃ人気者になった人もいたみたいです。

Qなぜ「広島」「長崎」に原爆投下?

どうして広島と長崎に原爆投下したんですか?
他にも候補地がいくつかあったみたいですが・・。
東京、川崎、横浜とかも入っていたんですよね。
広島に落とすより、東京に落とすほうが意味があるような気もしますが・・・。
気象の関係と言うことも聞いたことがありますが、わかりません。

Aベストアンサー

下記リンクの中の「原爆投下都市の選定理由」に書いてあることが、私の知るところと概ね一致しています。

その中にあるように、長崎に原爆を落とした時は、小倉が第一目標であったが、小倉に落とせずに長崎に落としたとされています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86#.E5.8E.9F.E7.88.86.E6.8A.95.E4.B8.8B.E9.83.BD.E5.B8.82.E3.81.AE.E9.81.B8.E5.AE.9A.E7.90.86.E7.94.B1

日本に対する都市無差別空襲について、下記の本が参考になりますので推薦します。「京都が空襲されなかったのは、文化遺産を惜しむアメリカの配慮」というのが根拠のない俗説であることが論証されていますが、「空襲の優先順位」などについても分かります。

日本の古都はなぜ空襲を免れたか
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31002714

「東京、川崎、横浜とかも入っていたんですよね。
広島に落とすより、東京に落とすほうが意味があるような気もしますが・・・」

日本の主要都市は、昭和20年8月にはほとんどが焼け跡になっていました。東京も川崎も横浜も徹底的に空襲されて、燃えるものが既にない状態でした。

原爆の投下候補都市は、「ある程度大きく、かつ大規模な空襲を受けていない都市」として選ばれたようです。

下記リンクの中の「原爆投下都市の選定理由」に書いてあることが、私の知るところと概ね一致しています。

その中にあるように、長崎に原爆を落とした時は、小倉が第一目標であったが、小倉に落とせずに長崎に落としたとされています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%9F%E7%88%86#.E5.8E.9F.E7.88.86.E6.8A.95.E4.B8.8B.E9.83.BD.E5.B8.82.E3.81.AE.E9.81.B8.E5.AE.9A.E7.90.86.E7.94.B1

日本に対する都市無差別空襲について、下記の本が参考になりますので推薦します。「京都が空襲されなかったの...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Q小学生でもわかる第二次世界大戦の流れ

小学生と、知的障害がある中学生に第二次世界大戦のことについて
説明してほしいと頼まれましたが、しゃべった内容が難しかったのか
ぽかーんとされてしまいました。自分が完ぺきに理解しているというわけでもないので
説明しながら自分でもわからなくなってしまいました。

そこで、子どもにも簡単に説明できるような第二次世界大戦の
開戦きのっかけ、流れ、終戦、状況などをとても簡単に教えてください。
お願いします。
一時間以内で話せたらいいかなあと思っています。

Aベストアンサー

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメリカ
  やイギリスが邪魔をしたのでそれら強国との大戦争に
  なった。
 ・ドイツも同じく周りの国々を軍隊の力で支配し、
  アメリカやイギリスと大戦争になった。
 ・強国に支配されていた国々は日本やドイツのやりかた
  が酷かったので日本やドイツと戦いを始めた。

(3) 流れ

 ・日本とドイツの戦争のしかたは奇襲といって相手が
  油断しているときに突然襲う戦い。だから初めは
  勝つけれど、より強いAグループが本気を出すと
  日本・ドイツは負けていく。そして支配の仕方が
  酷いので支配された国の人から恨みをかい日本と
  ドイツは大敗する。

(4) 終戦
 ・負けることがわかっても日本だけ戦いつづけた。
  理由は天皇を守るためということだった。
  戦いが続く中、アメリカは原爆という大きな爆弾を
  日本の広島と長崎に落として日本は降参した。

(5) 状況

 ・この大戦争は初めは強国どうしのよその国を奪い合う
  喧嘩だった。けれど日本やドイツが少人数の偉い人の
  命令をみんなは文句を言わず聞け、一人一人の事より
  国=偉い人のほうが大事なんだという考え方と、一人
  一人の事を大切にする考え方に賛成する国々との戦い
  となり、最後は日本と80の国々との戦いとなった。

 ごめんなさい。やはり難しいですね。でもこれを下敷きに

もっとお話し的に変えたらどうでしょう?

 

 こういうのでどうでしょうか?

(1) 世界は3つのグループがあった。
 A)アメリカやイギリスなどお金持ちの強い国。
  Cグループの弱い国を支配していた。

 B)日本・ドイツなど貧しくて強くなりたかった国。
  AグループからCの国を奪おうとして戦争を起こした。

 C)AグループやBグループに支配されていじめられて
  いたので支配から逃れようと運動をおこしていた。

(2) 開戦

 ・日本は朝鮮や台湾・中国の北部を支配していた。
  中国全部を支配しようと戦争を始めていたが、アメ...続きを読む

Q原爆・長崎・広島の被害者数は一体どれくらいなんでしょうか。

鳥インフルエンザ、新型(鳥)インフルエンザが流行してしまった場合、最悪の事態の予想を、新型インフルエンザ対策検討小委員会が明らかにしたという数値をみて、死者、患者共にその数の多さに驚きました。あくまで最悪の場合の予想とはいえ、ものすごい惨事であると思いました。そこで、生物兵器という言葉を思い出しました。兵器には核兵器もあると。そこで気になりました。原爆・長崎広島の被害者数はどれくらいなんでしょうか。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

広島は当時人口42万人、死者、行方不明合わせて
12万2338人、長崎は、人口24万人、
死者、行方不明合わせて7万3884人と言われています。

被爆後5年間の間に広島で20万人、長崎で14万人
です。


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