新聞の投句欄などを見ていていつも思うのです。たったの5、7、5ですよね。そうすると、かなの数を大ざっぱに50音として、50の17乗という句数の限界が見えます。いくら日々新語が誕生するからといって、その中でも意味を成しているものはかなり限られると思うのですが、俳句はそのうちなくならないのでしょうか。短歌も同様です。

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A 回答 (5件)

意味をなすものがどのくらいあるか、大雑把な計算をしてみます。



俳句に入る可能性のある単語を、これも大雑把です5000種類とおきます。
(普通の国語辞典で数万単語あるので、少なめに見積もっています)
俳句には平均4つの単語を入れられるとします。

そうすると5000×5000×5000×5000で、
約600兆通りの組み合わせがあります。

全国民が一日一句作ったとして、
組み合わせがつきるまでに一万六、七千年かかりますから、
まー、しばらくは、心配しなくていいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

このような計算を出していただくと納得できます。当面心配ないようですね。

お礼日時:2003/09/23 13:39

50の17乗という計算自体がほとんど意味をなさないのですが。

(言葉の組み合わせですからね。)

それでも単純に50の17乗とは「76,293,945,312,500,000,000,000,000,000

ですからね。普通に考えると尽きることはないでしょう。
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この回答へのお礼

私は、あまりのゼロの多さに、電卓に手を伸ばしかけてやめました。で、その中で、文章をなすものって、ごくごく限られていると思うんですよね。やっぱりそあと数千年くらいのうちに、なくならないかな?と思いますが。ご投稿ありがとうございました。

お礼日時:2003/09/23 13:44

私は俳句好きというわけではないのですが、事情があってある俳句同人誌によく目を通します。


そして、似た句がよくあることには気付いていました。
俳句は季語の制約があるため、発想が似たものになりやすく、本格的に俳句を作る人はそのことに常に神経を尖らせていると思います。
その点、短歌は季語の制約がないので、ほぼ無限に作れるのではないでしょうか。

なお、季語・季節の無いものを俳句の範疇に入れるかどうかについては様々な見解があると思いますが、これも俳句とするならば、やはり無限に作れると思います。
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この回答へのお礼

類似作品で、入選作からおろされた、とかいう問題になった例もあると聞いています。ご投稿ありがとうございました。

お礼日時:2003/09/23 13:41

>>50の17乗という句数の限界が見えます



「かな」てそんなに少ない!!
それに、字余りや字足らず、究極は5・7・5に捕らわれず
季語もない自由句もあります。何より漢字は何文字あります。
同音でも意味の違う漢字があります。

計算のやり直しですね。=>尽きる事はないでしょう。
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過去の全てをデータベース化して検索できるようになって居なければ、既存なのか新規なのかが分らないですよね。


分らなければ、いつまでたっても出てきますね。
テレビの再放送と同じです。
見てない人にとっては、耳新しい物であれば、いいわけですから。
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この回答へのお礼

ご投稿ありがとうございました。自分が知らないなら過去のものがまた出てきてもそれでいいんでしょうね。もしかしたら、「俳句データベース」って誰か作っているでしょうかね?

お礼日時:2003/09/23 13:38

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Q俳句の表現技法

今、私は、
俳句の大意、表現技法、季語などを調べています。
そこで水島秋桜子さんの
『滝落ちて群青世界とどろけり』について
表現技法以外は分かったのですが、
表現技法がどうしても分からないのです。
誰か分かる人教えてください。お願いします!

・・あと表現技法ということ自体が
全体的によく分からないので
時間があれば
1から説明していただけるとありがたいです。
たくさんあってすみませんがお願いします!!!

Aベストアンサー

No2です。

>切れ字ですね?

そうですね。

ところで、一つの俳句に使われる表現技法は一つだ、と思い込んではいませんか?いえいえそんなことはないんですよ。全く技巧的な表現がみられないものもあれば、たくさんの技巧が使われているものもあります。

事実、この有名な句は、人によってはテクニック遊びだと批判する人もいるくらい(そんな人は極々少数で、実際には水原秋櫻子の代表作とされていますが)技巧的なんですよ。

この俳句は、目を閉じても、情景をまざまざと美しい色で思い浮かべることができますよね?それは何が根拠かな?

また、表現技法だけでなく大意にもかかわるのですが、次の部分をどう訳しましたか?「群青世界とどろけり」
 群青が世界に とどろいたことだよ
 群青世界が とどろいたことだよ
どうとるかで使われている表現技法も変わってきます。と言うよりも、使われている表現技法のうけとり方で、意味が変わってくるというか……。

この句は研究家が多いので大筋でこう考える……というものがあるようですが、俳人に表現の自由がある以上、読み手にも自由に読み取り想像する自由があります。あからさまな間違いでなければ、色々発想していいんですよ。自分なりに考えてみてくださいね。


※例えば、室生犀星の有名な詩に有名な次のフレーズがあります

「ふるさとは遠きにありて思うもの」

この故郷について、室生犀星の研究家で実際に親交があった学者先生が、『都会で、幼少の頃に良い思い出のなかった作者が、その心境を詠んだ(現実には故郷に戻っていない)』と解釈したために、長くそのように思われていたのです。
ところが最近では「よしやうらぶれて異土の乞食になるとても帰るところにあるまじや」を踏まえて、
『実際に故郷に帰ってきてみれば、厄介者扱いされて辛いことばかりだ、こんなことなら都会で故郷の事を懐かしんで悲しんでいた方がどんなによかったか…』と訳すことが主流になっています。

つまり、偉い学者が言うことがいつも正しいとは限らないのです。あなたなりの解釈をしてみましょう。


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実は、この句が発表された当時、この句で季語とされているものは、季語の扱いをされていませんでした。
だって年がら年中そこに存在するものでしょう?
夏の季語として周知されるようになったのは、この句が発表され絶賛されたからだと言われています。そうでなければ、この句は「季なし」のルール破りと思われていたかもしれません。
自由律俳句で有名な山頭火なら俳句の季語なしは当然でしょうが、水原秋櫻子はそうじゃないですからね。

No2です。

>切れ字ですね?

そうですね。

ところで、一つの俳句に使われる表現技法は一つだ、と思い込んではいませんか?いえいえそんなことはないんですよ。全く技巧的な表現がみられないものもあれば、たくさんの技巧が使われているものもあります。

事実、この有名な句は、人によってはテクニック遊びだと批判する人もいるくらい(そんな人は極々少数で、実際には水原秋櫻子の代表作とされていますが)技巧的なんですよ。

この俳句は、目を閉じても、情景をまざまざと美しい色で思い浮かべること...続きを読む

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化学なら
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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

古今和歌集のこの歌だと思います。

竜田川 錦おりかく神無月 しぐれの雨をたてぬきにして

http://www.milord-club.com/Kokin/uta0314.htm

Qいろんな俳句、教えて下さい。

表題の通り、いろいろ俳句を教えて下さい(爆)
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日常の疑問について思わず頷いてしまう様な俳句、
語呂が俳句に近いような格言・川柳的なモノでもかまいません。

とにかく沢山の俳句を集めていますので、ご助言よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

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蛸壺やはかなき夢を夏の月
石山の石より白し秋の風
美しや障子の穴に天の川
芭蕉

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裏を見せ表を見せて散るもみじ
どちらも良寛の辞世の句という俗説があります。
真偽は色々語っているサイトがありますので
興味があれば探してください。

露の世は露の世ながらさりながら
一茶辞世の句

耕運機盛りのゲンゲ裏返す
作者失念。

一日も捨てる日もなし梅の花
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糸瓜ぶらり夕顔だらり秋の風
秋の蝿追えばまたくる叩けば死ぬ
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逝く空に桜の花があれば佳し
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塾の国語の教師をしております。

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もちろん入っていたら×ということもないですけれど。

つまり、同じ「恋」を詠むにしても、
俳句だと季語との兼ね合いを考えて内容を考えなければなりませんが(恋の始まり=「芽吹く」「山笑う」など)、
短歌では季語との兼ね合いを考えなくても良いということです。ぶっちゃけキチンと体裁が整っていれば、今の気持ちを素直に詠んでもOKということになります。

現在かなりの「短歌入門」「俳句入門」などの本が売られていますので、
「歳時記」も持っていないのであれば、
一緒に購入されてみてはいかがでしょうか?

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虹二重神も恋愛したまへり  津田清子
 昭和24年の作で、恋愛の語が新鮮であった頃の、初々しい感性の所産であるとの解説あり。

気管支を痛める恋や竹の秋  寺井谷子
 平成5年の作で、気管支という部位がエロチシズムを感じさせるとの解説あり。

愛されずして沖遠く泳ぐなり  藤田湘子
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懲りずに今日学校の図書室で「みだれ髪 チョコレート語訳」を借りて少し読みましたが
分かったような、分からないような感じです。

といっても、国語の時間に習ったものは自分なりに味わえているから、
注釈や解説を読めばいいことなのかもしれません。
でも、他人の解釈を参考にして読み解くのではなく、その作品だけを見て
自分で何かしら感じられるようになりたいのです。

どうすれば、こうした作品を楽しめるのでしょうか。

Aベストアンサー

 
 おもむき ~ それがどうした ~
 
 女性は、男声の容姿よりも、男らしい声に性的魅力を感じるそうです。
 言葉の意味や内容でなく、声音にしびれるのです。
 したがって「役者は一声二顔」と云われます。
 
 西欧の古典は、一に韻文、二に対話、三四がなくて五に散文です。
 シュリーマンは、乞食を雇ってギリシャ語の朗読を聞かせたり、言葉
の通じない国の遺跡で、ホメロスを吟じたら、みんな泣いたそうです。
 
 日本語の文学は、七五調の詩歌を生みだし、くわしく述べないところ
に趣向があり、代表作は芭蕉の「古池や、かわず飛びこむ池の音」です。
 いくら考えても、だからどうしたのか分らない点が、ゆかしいのです。
 
 ふだん「七五調で会話している」と、噂されている佐々木家の三代目
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「風呂上り ふたつちんぽこ 端午の節句」いやはや……。
 

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間抜けな質問だと思いますが、教えて下さい。

Aベストアンサー

以下はすべての短歌俳句に当てはまるものではありませんが、こんな感じで自分なりに整理しています。
和歌は作り手の心情をストレートに述べるもので、57577という詩形の短歌が、その心地よいリズムゆえか、多く作られるようになっていった。日本人の心から欲するものが自然と形になったもののように思われます。
その後歴史を刻むにつれて、ちょっとこりだして、心情をズバリと盛り込まず、風景そのものや、それを見つめる作り手の目線によって作り手の心情をあらわそうとするものが作られ始めた。そういう流れの中で、詩形そのものを短くし、まるで写真のように一瞬の場面を切り取り、それによって逆に豊かな心情を盛り込もうとしたのが、俳句なのでは、と思っています。俳句の方が想像の余地が広いのは、そういうことから来ているのかもしれませんね。

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たわむれに 母を背負ひて そのあまり 軽きに泣きて 三歩あゆまず
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