
四角、三角、丸など様々な形の狭間があります。
狭間は、外側(攻め手側)も内側(守り側)も同じ形状をしているようです。
厳密には外側の方が少し浅いですが…。
これでは、攻め手側の矢は、狭間の真ん中を外れても狭間を通り抜けるはずです。
なぜ、外側に向かって広くなるような形状にしたのでしょうか。
外側の開口部を小さくしておく方が有利だと思うのですが、そのような狭間もあるのですか。
内側から蓋をできる狭間があることは知っています。
もう一つの疑問です。
添付URLの写真は、姫路城天守閣近くの土塀を外側から写したもので、webから拾い上げたものです。
外堀も中堀も内堀も越えて、ここまで敵が押し寄せて来たということは、あとは篭城するしかない状況だと思います。
すると、この写真の狭間は、鉄砲を撃ったり、矢を射たりすることよりも、通風や見通しをよくするのが主目的だったのでしょうか。
http://lh5.ggpht.com/_VAMc9QrSPF4/ShiqdM1YH-I/AA …
よろしくお願いします。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
外側の開口部を小さくしておく方が有利だと思うのですが、そのような狭間もあるのですか。
↓
火縄銃を持って、体の軸を動かさずに前後左右に照準を変えてみる。
その火縄銃の筒の動いた部分を残して壁を作ると、外部の開口部が広い狭間となる。
本丸だけになった段階を 巣城とか素城とかいうらしい。
その段階から、数日間攻城戦は続いたらしい。つまり狭間による銃撃戦は続いた。
あるいは、その間を凌げば、援軍が来る可能性も高まるし、場合によっては攻めている方が兵糧切れで・・・という場合もある
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E8%B0%B7% …
小谷城の場合本丸だけになってから、2.3日保っています。
全ての狭間は、穴の最小部が壁の中ほどにあります。
私は、最小部が壁の外側になるようにすれば視野も広く、かつ攻め手側から見れば穴が小さいので狙いが定めにくいのではないか、と思ったのですがそうではなさそうですね。
鉄砲の筒先を穴の先に突き出して照準を定める姿勢を想像すると、視点(つまり体)は穴からかなり遠くになります。
そして、穴の最小部が先にあるほど(遠いほど)視野は狭くなります。
これが弱点ということですね。
しかし、視点(つまり体)を左右に移動させて見た場合、穴の最小部がどこにあろうと視野の広さに変わりはない、と思います。
すると、穴は壁の外側に近いほど守り手側に有利ではないか、と思っていました。
「火縄銃を持って、体の軸を動かさずに前後左右に照準を変えてみる。
その火縄銃の筒の動いた部分を残して壁を作ると、外部の開口部が広い狭間となる」
とのことですが、なんとか理解できました。
ご教示ありがとうございました。
それから、小谷城の話。
本丸だけになっても徹底抗戦する気概がなければ戦国時代を生きていけませんね。
天守閣近くの狭間も、そのように素直に解釈すればよいということですね。
納得しました。
No.6
- 回答日時:
話がそれすぎてすいませんでした。
写真の場所の特定は必要ありません。
>なぜ、外側に向かって広くなるような形状にしたのでしょうか。
>外側の開口部を小さくしておく方が有利だと思うのですが、そのような狭間もあるのですか。
狭間は採用された頃は内と外で同じ大きさでしたが時代と友に外側より内側を大きくするのが
標準的になったと思います。
外側が広いのは急角度で射撃出来るように縁に角度を付けてあり設計上、縁に当たっても
矢が狭間の中に入って行かない角度に設計してあります。
高知城に見られますが実際は内側から外に向かってテーパー状に開口部が狭くなっています
ので穴自体は内側の方が大きいです。
この狭間が最も実戦的だと思います。
その他現存天守で調べましたが
姫路城、松本城、松山城、松江城、彦根城、丸亀城、備中松山城は内側の開口部が外より
が大きいです。
>写真で判断するのは早計ですが、写真の狭間では、長方形(矢狭間)も三角形(鉄砲狭間)も同じ高さ>に見えます。
おっしゃるとおりですね。
やや不自然ですね。
姫路城には同じ正方形の狭間が一つ置きに立った位置、座った位置にありますので
もしかしたら当時からこの位置に設計したのかもしれません。
ご回答ありがとうございます。
「外側が広いのは急角度で射撃出来るように縁に角度を付けてあり設計上、縁に当たっても
矢が狭間の中に入って行かない角度に設計してあります」とのことですが、
これはきわめて重要な内容です。
円形の狭間の場合、外に向けた開口部をお椀のような形にすれば、そのような効果が期待できます。
しかし、弾や矢を逸らすためにわざわざそのような傾斜をつけるよりも、円錐台形の底となる部分を壁の外に向けておけば、その方が狭間を作りやすいと思います。
視野も広くなりますし、強度的にもたいした差はないと思います。
狭間は、内側から近づいて見ることはできますが、外側の開口部は遠くからしか見ることができません。
望遠写真で見てみたいと思いますが、土塀では築城当時の形がそのまま残っているのか、疑問です。
一度、じっくりと外側から見てみます。
No.5
- 回答日時:
回答3です。
回答4をクリックすれば姫路城の見取り図が出ます。
念の為、もう一つの見取り図をはります。
姫路城公式サイトです。
http://www.himeji-castle.gr.jp/JAPANESE/kakeasi. …
質問者様の写真は見取り図の「ほの門」の門と言う字から3と書いてある
方向を見た写真だと思います。
地形的に一致するのはここだけだと思います。
写真右の狭間は「にの門」の裏側から見た時の門に繋がる土塀の一番左だと思います。
写真の右の方に「にの門」の裏側があります。
狭間としては裏側です。
写真左の方に「ほの門」の表があると思います。
写真左の狭間は本丸から本丸下の「にの門」の後ろの曲輪の敵を狙う狭間で風通しの為の物で
はありません。
No.4
- 回答日時:
No.3
- 回答日時:
ご質問されている狭間は写真右側の四角い狭間でしょうか?
そうであればこれは鉄砲狭間の内側だと思います。
狭間はまず、開口部は内側を広く、外側を小さくが常識です。
また、もしこの狭間が外側であれば狭間のある土塀の面と石垣の面が数十センチ程度
の筈です。(例 左上の土塀と石垣)
しかし右側の四角い狭間の前にはスペースがあり柵のような物があり良く見ると3、4段の
石段が見えます。
この石段を登りひざを付いて鉄砲を撃ったと思います。
恐らく鉄砲狭間の内側でしょう。
鉄砲狭間の特徴は正方形、三角、丸でひざを付いて打つので40センチから50センチ、
矢狭間は縦長で立って引くので70センチから80センチ程度の高さです。
この回答への補足
左側の長四角、三角形の狭間についての質問です。
手元にある写真集を見ていますが、これが「にの門」の内側かどうかは分かりません。
質問に添付した写真は「画像検索 狭間」で見つけたものです。
また、http://blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/43/0b/kageto …は、開くことができませんでした。
ご回答ありがとうございます。
「狭間はまず、開口部は内側を広く、外側を小さくが常識です」とのことですが、
私は、この常識とする理由が解らないので質問しました。
円錐台形や三角錐台形のままとし、ごくわずか外側を広げておけばよいと思うのですが、実際はかなり外側も広くなっているのが不思議です。
>鉄砲狭間の特徴は正方形、三角、丸でひざを付いて打つので40センチから50センチ、
矢狭間は縦長で立って引くので70センチから80センチ程度の高さです。
写真で判断するのは早計ですが、写真の狭間では、長方形(矢狭間)も三角形(鉄砲狭間)も同じ高さに見えます。
これは外側から見た様子ですが、内側は坂道になっているので、ちょうどよい高さになっているのかも知れません。
あるいは、まさかとは思いますが、土塀の修復時のミスではないかと…。
No.1
- 回答日時:
>攻め手側の矢は、狭間の真ん中を外れても狭間を通り抜けるはずです。
理論的に考えると、その通りですよね。
狭間外側に矢は沿って、狭間の穴に抜けます。
が、実際には「不可能」なのです。
平時でも、最短の距離から狭間を目掛けて矢をいっても狭間には命中しませんよ。
あまり近づき過ぎると、狭間は死角になります。
戦時中なら、なお更です。狙っている間に「ズドン」と、種子島の餌食です。
弓道でも、丸い的を的確に狙うのは困難なのです。私が例外なのかも?
>なぜ、外側に向かって広くなるような形状にしたのでしょうか。
狙う的を広く捉える為です。
狭間を力点(支点)とすると、矢・銃口は上下左右広くに狙いを定める事が出来ますよね。
10度角よりも45度角度の方が、広い的を獲る事が可能です。
トーチカと同じ理論です。
(鉛筆の真ん中を支点にすると、鉛筆の先は左右に大きく振れますよね)
外側に向かって広くしていないと、狙撃手は的を狙う度に体勢を変える必要が出来て無駄な動きが増えます。
>この写真の狭間は、鉄砲を撃ったり、矢を射たりすることよりも、通風や見通しをよくするのが主目的だったのでしょうか。
本丸天守まで敵が攻めてくると、先ず勝ち目はありません。
最後の戦として、守備隊から見て死角が無くなる様に配置した狭間でしようね。
狭間を持った城壁というよりも、固定式の盾としての意味合いが強いのでしよう。
ここまで敵が攻め込んで来ると、日本人的な「有終の美」を飾るのだと思いますね。
余談ですが・・・。
かつての姫路城は、本丸に続く道全てが「どこかの狭間からの照準に合っている」という話を聞いた事があります。
石垣や土塁の上の土塀に狭間があるわけですから、守り手側は高い位置から寄せ手を見下ろして攻撃できます。
外側に向かって開口部が広がっているとしても、寄せ手側が狭間を狙って攻撃することは極めて困難だと、いうことですね。
納得しました。
三重の堀をもつ大規模な城郭で、本丸近くまで敵が押し寄せてきた状況では、弾や矢はとっくに使い切っているのではないか、と思って質問しましたが、
「狭間を持った城壁というよりも、固定式の盾としての意味合いが強いのでしよう」とのご見解に納得しました。
ご教示ありがとうございました。
ところで、姫路城の狭間の数ですが、姫路城の研究家・橋本政次氏によれば、矢狭間602、鉄砲狭間2523だそうです。
本丸に続く道全てが「どこかの狭間からの照準に合っている」という話は、私も聞いたことがありますが、この数であればもっともです。
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