カテゴリが違うかもしれませんが、質問させて頂きます。
本や時代小説を読むと「イデオロギー」という言葉をたまに見かけます。
この言葉はなんとなくのイメージではわかるのですが、簡単に言えばどういう意味
なのでしょうか?

歴史上の出来事を例にとってご説明して頂けたりすると、幸いです。

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A 回答 (2件)

1の方が書いているように、元々はドイツ語。


正確に言えば、参考URLにあるように、マルクスとエンゲルスが書いた「ドイツ・イデオロギー」が大本になります。

既存の価値観に対して「ちゃいまんがな!」と異議申し立てするときに使ったわけです。

資本主義駄目でんがな、共産主義でんがな。と。

この辺の発想というか、マルクス主義は一定の世代にとっては必読書。

文章を書いていても、出てきちゃうわけです、そういった用語法が。

で、出ちゃうんです。時代小説を書いていても。
今の体制じゃ駄目だ!新しい体制でないと。

日本の夜明けは近いぜよ!

という文脈では。

織田信長が、中世ではなく、近代人の発想で物を考えたとか・・・
幕末の志士が、幕藩体制でなく、近代国家を考えていた・・・
なんて文脈で出てきますね。

参考URL:http://www.otsukishoten.co.jp/search/Detail.asp? …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私は司馬遼太郎さんの本が好きなので、何度かイデオロギーという言葉が出てきました。
そこで「勤皇思想はイデオロギーではない」という表現があったんです。
「勤皇思想」は万人に普遍的にある考えで、イデオロギーではないと。
ですのでイデオロギーというのはもっと難しい意味で、革命思想に繋がるものなのかと
漠然と思ってました。
なんとなくですが、意味が分かりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2003/09/24 12:50

階級別の歴史的、社会的な思想体系を現すドイツ語です。


英語はideology.

今風にいえば思想傾向や政治に対する考え方でいいでしょう。「彼は友人だが彼のイデオロギーには賛同できない、ついていけない」などと使います。階級闘争、イデオロギー対立が顕著でない現在では、主張や意見の意味で使われることもあります。

戦前の戦争、労働闘争などはイデオロギーの対立が原因のひとつであり、戦後しばらくまで激しいイデオロギー闘争(論争)が続きました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>主張や意見の意味で使われることもあります。

そうなんですか。
イデオロギーというのはもっと「重い」使い方だと思ってました。
でも、現在ではあまり使わない言葉ではありますよね。

お礼日時:2003/09/24 12:45

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Qイデオロギー的とは

「イデオロギー的」とは「偏った考え方」という意味であっているでしょうか?
単に政治的という意味でも使うのでしょうか?
例えば「それはイデオロギー的な考え方だ!」と言った場合は「それは偏った考え方だ!」と同義ですか?
よろしければ使用例なども挙げつつ説明していただけないでしょうか。
*「イデオロギー」ではなく「イデオロギー的」という語の使用法についての質問です。まぎわらしくてすみません。

Aベストアンサー

例でお話しします。
例えば、共産主義の理論体系の中ではほぼあらゆる事象に対して、「それについてはこう考えるべきだ」、という答えが準備されています。原理原則から理論的に展開してでてきた答えですから、それを曲げることは原理原則に反することになります。したがって、こういう人と議論をしてもまったく歩み寄りというものはありません。「こうあるべきだ」という教科書的建前をふりまわすだけです。
 同じ共産主義のなかでもいくつか別の理論体系ができて、イデオロギー論争をしていたこともあります。
 宗教も全く同様にあらゆることに「それはこう考えなさい」という答えを準備してくれるのですが、こちらに対してはあまりイデオロギー的という言葉は使いませんね。イスラム原理主義については使っているかもしれませんが。

Q歴史上で番狂わせな出来事

歴史上で番狂わせな出来事を教えてください。
マイアミの奇跡のようなスポーツのものや、昔の戦争、合戦など、なんでも構いません。

Aベストアンサー

<西洋史>

・レウクトラの戦い
古代ギリシアで無敵の無双であったスパルタ軍を相手に歩兵の数で劣っていたにも関わらず勝利。古代ギリシア史はあまり詳しくないですが、他にスパルタ軍が敗北した戦いってあるのかしら(映画「300」の元ネタになったテルモピュライの戦いは圧倒的多数の敵に押しつぶされたもので、同数以下の敵に敗北を被ったのはレウクトラの戦いのみのはずです)?

・イッソスの戦い
アレクサンドロス大王に率いられたマケドニア軍はおよそ3万。一方のペルシア軍は10万だったといわれています。アレクサンドロス大王伝説の戦いですね。

・カンナエ(カンネー)の戦い
当時のローマ軍は今でいえばアメリカ軍のような近代的で最強の陸軍。一方のハンニバル率いるカルタゴ軍は、カルタゴ軍というより反ローマ連合軍ともいうべきはっきりいって烏合の衆。この戦いで文字通りにローマ軍は壊滅。世界中の戦いでも、よく敗北側が全滅という表現がされますが、実際には敗北側は四散しているもので本当の本当に全滅するってことは滅多にないのですが、この戦いは本当の本当にローマ軍は全滅しました。「人類の歴史において、これを上回る勝利を納める戦いはないだろう」といわれています。古代史に燦然と輝くローマ帝国(当時は共和政ローマだったけど)の歴史において、唯一本当にローマが滅亡しかかりました。

・ジャンヌ・ダルク
存在そのものが番狂わせといってもいいんじゃないかしら。フランスが超絶に不利だった百年戦争でフランスからイングランド勢力を一掃できたのは彼女の存在を抜きにして語れないでしょう。文字通りの「神がかり」。田舎に生まれたひとりの少女が、カリスマ性ひとつで世界史を変えました。

・ナポレオン・ボナパルト
この人も存在そのものがチート。不世出の軍事の天才。軍事システムというか、戦争のスタイルというか、そういうものをたった一人で根底から変えてしまいました。史上最強の戦術家を三人選べとなったとき、エパミノンダス(レウクトラの戦い)だアレクサンドロス(イッソスの戦い)だハンニバル(カンナエの戦い)だ韓信(背水の陣)だと出るでしょうが、そのうちの一人であることは外せない。

<中国史>

・劉邦
「百戦して百敗したが、肝心のたったひとつの戦いで勝利したために皇帝になった」といわれるくらい番狂わせ。負け続けたのは後の三国志の劉備もそうだけど、劉備は天下を取れませんでしたしね。

・井陘の戦い
その劉邦に仕えた韓信の有名な戦い。「背水の陣」の語源になった戦いです。

・毛沢東
中世中国史に詳しくないので一気に時代が飛びますが、元々はゲリラの隊長みたいなもんで、戦えば日本軍はもちろん国民党軍にも鎧袖一触されるような土豪の衆を率いて最終的には中国全土を統一しちゃいました。あの絶対ひとつにまとまりそうにない中国人をひとつにまとめちゃったんだから、並大抵の人物ではありません。文化大革命で自国民をあんなに殺したのに失脚はもちろん反乱さえ起こさなかったってどういうこと?身分低いところから登りつめたといえば明の太祖(朱元璋)がいますけど、私が生まれたときに生きていた歴史に永遠に名を残す人物だということで。

<日本史>

・千早城の戦い
日本史は回答者が多いと思いますので、この戦いだけを。わずか1000人の手兵で籠って、百万(と誇張したくなるくらい)の大軍を相手に勝利。普通、戦争から人質事件に至るまで、籠城側が籠城という戦術のみで勝利するというのはあり得ません(河越城の戦いなどにしても、外部から救援の部隊がきている)。長引けば攻城側が必ず勝利するのに、その攻城側が根底から士気を失うほどのダメージを与えました。

<番外編>

・UEFAチャンピオンズリーグ2004-2005決勝
マイアミの奇跡も奇跡だけど、あくまでローカルニュース。世界で最も注目を集めるチャンピオンズリーグの決勝戦で、しかも相手がACミランで3失点したところから勝つなんて、ねえ。ちなみに私、この試合の中継をテレビで見ていたのですが前半終わって3-0になったところで「ミラン相手に3点じゃ絶対追いつかねーや。決まったな」と眠かったので寝てしまいました。嗚呼もったいないことをしたもんだ。

<西洋史>

・レウクトラの戦い
古代ギリシアで無敵の無双であったスパルタ軍を相手に歩兵の数で劣っていたにも関わらず勝利。古代ギリシア史はあまり詳しくないですが、他にスパルタ軍が敗北した戦いってあるのかしら(映画「300」の元ネタになったテルモピュライの戦いは圧倒的多数の敵に押しつぶされたもので、同数以下の敵に敗北を被ったのはレウクトラの戦いのみのはずです)?

・イッソスの戦い
アレクサンドロス大王に率いられたマケドニア軍はおよそ3万。一方のペルシア軍は10万だったといわれています...続きを読む

Qイデオロギーについて

イデオロギーをわかりやすく説明して欲しいのです。イデオロギー的な○○とか、全く意味不明です。
なんとなく、観念的なとか、観念と訳していますが、かなり抽象的で、意味不明です。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

イデオロギーは19世紀頃からフランスで多く用いられ始めたことばです。
その頃の、もともとの意味は「観念の形成プロセスを研究する科学分野」というようなものでした。つまり「彼女はひな菊のように美しい」という気持ちになったときに、なぜひな菊なのか、どういう経過でそういう気持ちになったのか、といったようなことを追究する科学分野の名前だったのです。

そして次に、このことばを発展的に使いはじめ、広めていったのがマルクスです。このマルクスの概念を端的にいうと、観念(上部構造)は歴史や階級(下部構造)によって規程されるとしたものです。その「上部構造としての観念」がイデオロギーにあたります。
これをマルクス主義用語以外のことばにすると、単に「意識形態」「観念形態」「行動形態」ということになります。具体的にいってしまえばなんてことはありません。要するに 芸術・哲学・宗教・道徳・発言 などの具体化されたもの、または、その元となった世界観全般をさしているのです。階層的には一番上ずみの部分にあたり、政治・法などの社会的なシステムによって規程もされ、また相互にも作用しあうものとなります。

イデオロギーを理解する上では、それが階層化した最上階の部分--つまりイデオロギーには土台がある--という意識と理解が特に重要だといえます。つまり、イデオロギーということばが使われた場合には、聞き手はその話し手が「何を土台としたものとして話そうとしているのか」を判断することが一番の鍵になるのです。「彼女はひな菊のように美しい」はイデオロギーそのものですが、これを実際に「彼のイデオロギー」と呼んだ場合には、彼にそう言わせた、彼の教養・出身・仕事・所得・家柄・信仰・経験などなどの「なんらかの土台」が「美しいという観念」とセットになっている、ということを意味しているのです。

ちなみに、最近「イデオロギー政党はよくない」というような言い方をよく目にします。これは特定階級、特定宗教組織、特定社会集団など、そこに固有の観念だけで活動している政党は…という意味です。しかし、そこから誤解したのか、最近では単に「独善的」「観念的」というような意味で使っている人が増えてきたように思います。このような使い方は誤りです。

イデオロギーは19世紀頃からフランスで多く用いられ始めたことばです。
その頃の、もともとの意味は「観念の形成プロセスを研究する科学分野」というようなものでした。つまり「彼女はひな菊のように美しい」という気持ちになったときに、なぜひな菊なのか、どういう経過でそういう気持ちになったのか、といったようなことを追究する科学分野の名前だったのです。

そして次に、このことばを発展的に使いはじめ、広めていったのがマルクスです。このマルクスの概念を端的にいうと、観念(上部構造)は歴史や階...続きを読む

Qもともと違う言葉だった例

もともとは違う意味の言葉だったのが、時代とともに意味が変化してしまって、現代においては多くの人が知らずに使っている例を教えて下さい。

例えば…
「サラリー」→塩
「セックス」→6番目

等です。例が二つしか出てこなくてすいません。
あるところに残忍な王様がいて、王様の名前が変化して「残忍な」という言葉になったとかそんな感じです。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

   背広-ザビルロー
イギリスにある仕立て服街の名称で、これは何と日本人が質問したら訊かれた側は作った場所を質問されたと思い「ザビロー」と答えた。日本人はセビロという服と思った

   カンガルー
英国人がアボリジニに「あれは何て動物?」と聞いたら、質問の意味が分からず「わからない」と答えた

   ズボン
西洋式袴はズボンと穿けると日記に書いたらその後、ズボンという言葉が広まった

   伊万里焼
本来は有田焼の事なのだが、出荷港が伊万里であったため、箱にFrom IMARIとなった。それを見た西洋人は「これは伊万里焼なのか」と勘違いした

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q30年くらい前の出来事から今にかけての世界の出来事

イラン革命 ベルリンの壁崩壊 ソ連崩壊 イランイラク革命 湾岸戦争 イラク戦争と
色々語句だけ書いてますが、これすべてつながりがあるんですか?
何がつながりあるか教えてください

Aベストアンサー

×イランイラク革命 → イランイラク戦争(宗教的対立)
湾岸戦争(イラクによるクェート侵攻)
イラク戦争(アメリカによるフセイン大統領暗殺未遂)
この3つはいずれもフセイン大統領がらみという意味ではつながりが
ありますが、直接の関係は無いと見るべきでしょう。
イラン革命とイランイラク戦争には因果関係があると思います。
ベルリンの壁崩壊とソ連崩壊はいずれもペレストロイカから始まった
という意味ではつながりがあるでしょうね。

Q現在の日本に新しいイデオロギー構築はなされるか否か。

現在の日本に新しいイデオロギー構築はなされるか否か。

イデオロギー自体に無知であるかもしれず大変恐縮でありますが、思考実験として質問させて下さい。
ちなみに私はイデオロギーという概念を「社会を形成する思想の潮流」として捉えております。
少しでも「こうではないか」と思う所があれば、あるいはイデオロギーに対して無学でありますので、初学の者に分かりやすく教えて頂ける方がいらっしゃいましたらご教授下さい。

歴史の観点から見て現在の日本に新しいイデオロギー構築・転換はあるでしょうか? 
もしなされるとしたらそれはどのような形で行われ、対抗軸はどこでどのように阻害されるのでしょうか? 
これらを研究するにはどのような書籍を研究すれば良いでしょうか。
あるいは
また、日本に台頭する新しいイデオロギーはこうじゃないか、というご意見があれば教えて下さい。

尚、私自身の意見を言うと、共産革命的な暴力を伴うイデオロギーの転換や、あるいは戦前の軍事政権的なものは今後出てきて欲しくないなあ、と個人的な希望を持っています。
ですが実際にはどうなるか分かりませんよね。
イデオロギーとは違うかもしれませんが、もし自分がやるなら、かつて福澤諭吉が目指したものが良いのだと、こちらの著作を遅々とながらも追っています。

時間があれば教えて下さい。宜しくお願い致します。

現在の日本に新しいイデオロギー構築はなされるか否か。

イデオロギー自体に無知であるかもしれず大変恐縮でありますが、思考実験として質問させて下さい。
ちなみに私はイデオロギーという概念を「社会を形成する思想の潮流」として捉えております。
少しでも「こうではないか」と思う所があれば、あるいはイデオロギーに対して無学でありますので、初学の者に分かりやすく教えて頂ける方がいらっしゃいましたらご教授下さい。

歴史の観点から見て現在の日本に新しいイデオロギー構築・転換はあるでしょうか?...続きを読む

Aベストアンサー

「社会を形成する思想の潮流」をイデオロギーと規定する限りでは、日本独自(固有)のものが生まれる土壌はあるように思います

 歴史的に俯瞰すれば、
現在の日本外交の基本戦略「人間の安全保障」というイデオロギーは、国連を含めて世界的安全保障の潮流と言えます

 その内容は、既存の安全保障概念が、軍事・国防などに収斂するものでその主体は、国家でしたが、人間の安全保障では、個人が安全保障の主体となる概念が発展しています。

 参考資料として以下のサイトを案内しておきます
http://www.humansecurity-chs.org/japanese/index.html
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/hs/sympo1007_gaiyo.html

これは、あくまでも政治(国際政治でも安全保障に関する)イデオロギーの変革を示唆するもので、いわゆる哲学思想全般のイデオロギーとは異なります。


さて、個人的には、イデオロギーが嫌いです

イデオロギーはそれを大義に思考停止・視野狭窄に陥る人間を生むからです

新しいイデオロギー以前に、精査されていないイデオロギーを再検証するほうが、建設的だと思いますが、目新しい方がいいでしょうか?

 イデオロギーとは何か?という命題からしても永遠と思慮するべきものですし・・・・


以上
 

「社会を形成する思想の潮流」をイデオロギーと規定する限りでは、日本独自(固有)のものが生まれる土壌はあるように思います

 歴史的に俯瞰すれば、
現在の日本外交の基本戦略「人間の安全保障」というイデオロギーは、国連を含めて世界的安全保障の潮流と言えます

 その内容は、既存の安全保障概念が、軍事・国防などに収斂するものでその主体は、国家でしたが、人間の安全保障では、個人が安全保障の主体となる概念が発展しています。

 参考資料として以下のサイトを案内しておきます
http://www.humans...続きを読む

Q外国の歴史では、武士と言う言葉をみたことがありませ

日本の歴史署には、武士と言う言葉が使われています。
Wikiには、
<武士(ぶし)は、10世紀から19世紀にかけての日本に存在し、戦闘を本分とするとされた、宗家の主人を頂点とした家族共同体の成員である。>
となっています。
ところで、外国の歴史では、武士と言う言葉をみたことがありません。
なぜ、見ないのか、が不思議です。私は、苦し紛れに次のようなことを考えつきましたが、どうなのでしょうか?
1、武士は日本固有の存在で、外国には武士に相当する人がいなかった。
2、外国にも武士に相当する人は、日本と同様に、存在していたが、武士と言わずに、他の言葉で表現し、それを日本語で武士とは翻訳しない。
などを考えていますが、本当はどうなのでしょうか?

Aベストアンサー

park123さん、2ですね。

ヨーロッパでは中世の騎士階級が武士階級では馬廻りに大体相当するでしょう。ただ、下級武士にあたる徒歩は騎士ではなく、従者なんですかね。足軽はたぶん、兵卒なんですかね。

Qイデオロギー とは?

カテゴリが違うかもしれませんが、質問させて頂きます。
本や時代小説を読むと「イデオロギー」という言葉をたまに見かけます。
この言葉はなんとなくのイメージではわかるのですが、簡単に言えばどういう意味
なのでしょうか?

歴史上の出来事を例にとってご説明して頂けたりすると、幸いです。

Aベストアンサー

1の方が書いているように、元々はドイツ語。
正確に言えば、参考URLにあるように、マルクスとエンゲルスが書いた「ドイツ・イデオロギー」が大本になります。

既存の価値観に対して「ちゃいまんがな!」と異議申し立てするときに使ったわけです。

資本主義駄目でんがな、共産主義でんがな。と。

この辺の発想というか、マルクス主義は一定の世代にとっては必読書。

文章を書いていても、出てきちゃうわけです、そういった用語法が。

で、出ちゃうんです。時代小説を書いていても。
今の体制じゃ駄目だ!新しい体制でないと。

日本の夜明けは近いぜよ!

という文脈では。

織田信長が、中世ではなく、近代人の発想で物を考えたとか・・・
幕末の志士が、幕藩体制でなく、近代国家を考えていた・・・
なんて文脈で出てきますね。

参考URL:http://www.otsukishoten.co.jp/search/Detail.asp?ID=676

Q今から1410年前の今日第1回遣隋使派遣と歴史にありますがこの頃言葉の

今から1410年前の今日第1回遣隋使派遣と歴史にありますがこの頃言葉の問題はどうしたのでしょうか。教えて下さい。

Aベストアンサー

遣隋使の乗員に関しては名簿が発見されており、それには外国風の名前が多数記載されています。
これから、帰化した渡来人を通訳として随行させていたと思われます。
日本書紀によると、小野妹子は中国語を話せず、鞍作福利という渡来人を通訳として同行させていたという記述があります。

「隋書東夷伝」には日本に中国人が村を作って住んでいたという記述があります。
それ以前の時代でも、卑弥呼は中国の柵封を受けおり、当時から交流はあったので、それなりに言葉のわかる人間はいたはずです。

しかし、渡来人が帰化し、一氏族を形成できる程度に重用された事はありますが、現地人を征服し支配できるほど、一時期に大量に渡来した記録はありません。DNA的な分析や、稲作の伝播経路の研究からも、日本人のルーツとしての大陸との関係は否定されつつあります。

文字と言語は違うものです。
当時の日本に独自の文字が存在したか否かは、未だはっきりしていませんが、当時の支配階級が「文字」として中国語(漢文)を「書いていた」のは確かだと思います。
しかし、「言語」は日本語を「話していた」はずです。それ以前に当時の平民は文字自体を読み書きできなかったと思いますし。

遣隋使の乗員に関しては名簿が発見されており、それには外国風の名前が多数記載されています。
これから、帰化した渡来人を通訳として随行させていたと思われます。
日本書紀によると、小野妹子は中国語を話せず、鞍作福利という渡来人を通訳として同行させていたという記述があります。

「隋書東夷伝」には日本に中国人が村を作って住んでいたという記述があります。
それ以前の時代でも、卑弥呼は中国の柵封を受けおり、当時から交流はあったので、それなりに言葉のわかる人間はいたはずです。

しかし、渡来人...続きを読む


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