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夏目漱石の『こころ』でよく先生が自殺をした理由であげられるのが、乃木将軍が明治天皇に殉死したことに触発され、「明治の精神」に殉ずる形で自殺を行った。しかし、先生は自分の妻を一人に残したくないから自殺できないともうしています。ならなぜ、乃木将軍の殉死で自殺ができたのでしょうか?

A 回答 (2件)

「先生」は死ぬきっかけをずっと探していたのだと思います。


でも奥さんのことを考えると、なかなか踏ん切れないでいた。
明治天皇が亡くなるということは元号が変わる、時代が変わるということです。
もう自分は新しい時代には生きていくのを止めよう、明治と一緒に自分もいなくなろう、と思ったのではないでしょうか。
明治という時代は今の私たちが思う以上に明治を生きた人々には大きな時代だったようです。明治天皇も明治神宮に祀られていらっしゃいますが、当時の人々の精神の支柱になったような天皇でした。
明治に殉ずる、というのは乃木大将だけでなく「こころ」の主人公が殉死しても、当時としては説得力のある理由だったのだと思います。
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Kの言っていた「覚悟」ではないでしょうか?


主人公は自分のしてきた行動に後悔しながら生きてきた。
それと同時にKの「覚悟」の真の意味を知ったときに、
自分自身の生き方に対しての潔さのなさを
痛感していたのだと思います。
乃木大将の殉死は、それの比喩で用いられているんだと
思います。触発されたのではないと思います。
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Q夏目漱石の「こころ」の先生の自殺の理由。

やっと「こころ」を読み終えたのですが、いくつかの疑問点が浮かび上がったので、どうぞ皆様の知恵をお貸し下さい。

1.Kが自殺した理由は?
私なりの解釈では、Kが自殺した理由は自分は修行僧(?)でありながらお嬢さんに恋してしまい、しかも先生に裏切られたということを知って先生に負の感情を抱いてしまった。そんな中途半端な自分に絶望し、自殺。と思っていたのですが、なんだかこれも腑に落ちない感じです;
これが本当の理由のなのでしょうか??

2.先生はなぜ明治の終わりと共に「生き残っているのは時代遅れ」と感じて自殺したのか?
ここは本当にわからなかったです。何も知らない奥さんを残して、何故?しかもなんで時代遅れなのか??疑問だらけです--;

なんとなく手に取って読み始めた本にこれほど悩まされるとは思いませんでした。

どうぞ、よろしくおねがいしますっ

Aベストアンサー

1.Kが自殺した理由は?

法華経を修行していたKは、お嬢さんに恋をしてしまった。
かつて先生に発言した「精神的に向上心のない奴は馬鹿だ」という
同じ言葉を逆に指摘されてしまった。
その自分の言葉に追い込まれてしまい自殺したのでしょう。
まあ、若かった故ですね。高僧でも女狂いの僧侶はいくらでも現実にいるわけですから。


2.先生はなぜ明治の終わりと共に「生き残っているのは時代遅れ」と感じて自殺したのか?
ここは本当にわからなかったです。

明治天皇の死と乃木大将の殉死がきっかけですね。
当時の時代状況です。それと重ね合わせることは、当時の読者にもある程度共感できたのでしょう。
漱石も鴎外も乃木大将を尊敬していたようです。
その死がきっかけで、Kを自殺に追い込んだ自分の長い間の負い目を清算したいと考えたのでしょう。
当時の天皇観や名君観は信奉に近いもので、それが理解できないと先生の自殺がなかなか納得できないですよね。

Q夏目漱石「こころ」で「K」が自殺した理由

夏目漱石の「こころ」で友人「K」が自殺した理由について、詳しく教えてください。いろいろ考えましたが、いまひとつ腑に落ちない部分もありますので。
テストが近いので焦っています!お願いします!

Aベストアンサー

「こころ」懐かしいです。もうこれを学んでから10年以上も経ってしまいました。

きっとKの自殺の原因は人によっていろいろな解釈の仕方があると思うのですが、私が心に留めているのはこんな感じです。

Kは宗教家(確か僧侶でしたっけ?)を目指して禁欲的な生活を送っていたはずですよね。精神的な高みに登ることを目指していた彼にとって、恋愛という世俗的な心の動きは受け入れがたいものでした。

そして「先生」の裏切り。友人の裏切りにあってまず自分以外の人間に対して絶望した。つまり人間不信ですね。

さらに、他人に絶望した自分に対して絶望してしまった。つまり宗教家として人の心の弱さを受け入れられなかったことにたいして無力感を感じてしまった。自分は宗教家として生きる価値の人間でないと思ってしまった。

だいぶ前のことなので記憶もあやふやですが、大人になってからも、よくこの感想文を書いたときのことを思い出します。haittelさんにとっても心に残る作品になると嬉しいです。

Q夏目漱石「こころ」で「先生」が自殺する原因は?

夏目漱石「こころ」で「先生」が自殺する原因は?
昔、「こころ」をドキドキしながら読んだ記憶があります。
あんなに小説に引き込まれたのは初めてですが、結論に納得出来ないものを感じます。
結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?
将来に対する明るいメッセージはないのでしょうか?

Aベストアンサー

思うに、高校の教科書のいずれもが、「先生と遺書」中の先生がKを出し抜いてお嬢さんと婚約し、その後Kが自殺するという箇所を採用してきたがために、多くの読者も、

>結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?

という疑問に囚われざるを得なくなるのではないでしょうか。
そして、いつまでたっても、どこか「結論に納得出来ないものを感じます」という違和感を持ち続けざるを得ないのではないでしょうか。

でも、虚心坦懐に「こころ」全体を読んでみれば、この小説には、質問者さんがおっしゃるように、まさに「将来に対する明るいメッセージ」に満ちていることが浮き彫りになってくるはず、と私には思われてなりません。

思うに、この小説の最大の謎は、先生が、妻にも明かせない、自分の最重要な内奥の秘密を綴った《遺書》を、ほかでもなく、田舎出の、世間知らずで、勝手に先生に魅了され、勝手に先生宅に押しかけ、勝手に先生を師と仰ぐ、やや青臭さく、思慮の浅い、しかし理想家肌の一青年に託そうとしたのはなぜか?という点にあるのではないでしょうか。

で、その前に「「先生」が自殺する原因は?」となると、先生がKを出し抜く形でお嬢さんと婚約したことは、大正以降の日本人の常識的な倫理規範に照らして、特に恥ずべき行為ではないにせよ、「明治の精神」(封建道徳)に照らす限り、許すべからざる行為であったが故に、乃木将軍が明治天皇に殉死したことに触発され、「明治の精神」に殉ずる形で自殺することを選んだと解しうるのではないでしょうか。

ただし、漱石自身となると、「明治の精神」を単純に賛美していたわけでも、時代遅れの旧道徳と蔑んでいたわけでもないことは、「現代日本の開化」からして明らかでしょうね。
「明治の精神」には、封建道徳だけではなく、文明開化と同時に流入してきた個人主義思想も含まれていたはずですが、かつて信頼していた叔父によって父親の遺産を横領され、その後自分を信頼してくれていたKを裏切るという経験をした先生としては、西洋近代思想である個人主義をとても手放しでは容認できなかったはずです。
となると、この自らのエゴイズムを罰するには、やはり「明治の精神」に殉じるという方法しかなかったのではないでしょうか。

その上で、先生が自殺に至るまでの生き様や経緯を告白した遺書を、主人公の「私」に宛てた動機や理由を考えてみますと、主人公がまだ思慮が浅くとも、理想家肌の青年であることからして、先生はこの青年に、自分の精神上の息子として、自分に代わって新しい時代を生きてくれることを期待したのではないでしょうか。
その意味では、先生の遺書には、大正という新時代を生きる青年の指針、成長の糧となって欲しい、という先生の切なる祈念が込められていると言えるのではないでしょうか。

また、「こころ」という小説を、より主人公中心の視点、観点から眺めてみると、主人公が来るべき新時代を自立(自律)して生きていくための、一種の父親殺し(旧思想切り捨て)に通じるモチーフが潜在していると評することもできるかもしれませんね。
さらには、同じような意味で、「こころ」は「三四郎」と同様、主人公の人間的成長過程をテーマにした、一種のBildungsroman(教養小説)に通底する基本性格を持っていると評することもできます。

もし、「こころ」に以上のような解釈の可能性が内在しているとすれば、やはり、漱石の「将来に対する明るいメッセージ」が潜んでいると解してもあながち間違いではないと思います。

思うに、高校の教科書のいずれもが、「先生と遺書」中の先生がKを出し抜いてお嬢さんと婚約し、その後Kが自殺するという箇所を採用してきたがために、多くの読者も、

>結局、「先生」は友人を裏切った良心の呵責に耐えかねて自殺しただけなんでしょうか?

という疑問に囚われざるを得なくなるのではないでしょうか。
そして、いつまでたっても、どこか「結論に納得出来ないものを感じます」という違和感を持ち続けざるを得ないのではないでしょうか。

でも、虚心坦懐に「こころ」全体を読んでみれば、この小説...続きを読む

Q夏目漱石『こころ』を先に「下」から読んだ方々に

例えば学校の教科書に載っていた、などの理由で、夏目漱石『こころ』を先に「下」から読んだ方々に質問です。

(1)「下」から読んで、どんな印象を持ちましたか?
 例)『こころ』ってただの三角関係の話じゃん。
(2)その後全文を読んで、どんな印象を持ちましたか?
 例)そんなところに伏線があったのねー。

なお、寄せられたご回答は私の現代文のレポートの参考とさせていただきます。でもだからといってレポート向けの答えにする必要は全くございませんので、思ったことを自由にお書き下さい。
回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

1シンプルだけど面白いなー

2主人公かわってるやん・・・

夏目漱石は全部面白いですよね。

私は坊ちゃんが好きです。

Q夏目漱石の「こころ」。「私」はなぜ「先生」に惹かれたのか。

今夏目漱石の「こころ」にはまっているんですけれども、
なぜ「私」が「先生」に惹かれたのかがいまいちよくわかりません。
考えられる可能性としては、「私」が「先生」の奥さんに一目ぼれしてしまった、ってことなんですけど・・・。

おしえてください、よろしくおねがいします

Aベストアンサー

 こんにちは。私もNo.1さんと同様に、人生の師と仰ぐべき「先生」としての、また一人の人間としての「尊敬」の気持ちと、「先生」のなぞめいた雰囲気に、惹かれたのだと思います。
 先生との最初の出会いは、鎌倉の海水浴場で、先生が西洋人を連れていたところから始まります。東京帝国大学の学生である「私」は、若い頃の「先生」や「K」と同様、明治という新しい時代(「私」が大学を卒業してすぐ、明治は終わってしまいますが。)に希望を持ち、社会的に有用な人間になるべく、自分の未来に大きな夢を持っていたのではないかと思うのです。そうした私の目の前に現れた「西洋人」を連れた一人の日本人は、時代の最先端を行くとても魅力的な人物として見えたのではないでしょうか。この時「私」は意図的に「先生」の目につくような行動をしています。「私」は、「先生」を大学の講義とは違う「生きた教材」として「先生」に近づいていくうちに、「先生」の人柄、「先生」のなぞめいた行動、若い「私」には理解しがたい「先生」の言葉に、どんどん引きつけられていったのだと思います。「先生」の遺書を受け取った「私」は、実の父親が、重病であるのにもかかわらず、東京に向かってしまうほどにまでなっていました。

 こんにちは。私もNo.1さんと同様に、人生の師と仰ぐべき「先生」としての、また一人の人間としての「尊敬」の気持ちと、「先生」のなぞめいた雰囲気に、惹かれたのだと思います。
 先生との最初の出会いは、鎌倉の海水浴場で、先生が西洋人を連れていたところから始まります。東京帝国大学の学生である「私」は、若い頃の「先生」や「K」と同様、明治という新しい時代(「私」が大学を卒業してすぐ、明治は終わってしまいますが。)に希望を持ち、社会的に有用な人間になるべく、自分の未来に大きな夢を持っ...続きを読む

Qこころ 夏目漱石

こんにちは。こころ、を読んだのですが疑問点が消えません。もしよければお力貸してください。

お嬢さん、についてです。彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
なぜ結婚は母親ひとりで決断したのでしょうか。
なぜkと二人であったり、こそこそしてたのでしょうか?
もしkが好きだとしたらなぜ先生と結婚したのでしょうか?
本文中に書いてあること、つまり根拠と一緒に教えてくださると助かります。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

1、彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
:先生だったのではないかと思います。
【根拠1】
まず、kの同居を奥さんが拒もうとします。これは、お嬢さんを含めた三角関係をあらかじめ防ごうとしたものでしょう(実際懸念したような結果になるわけですが)。
つまり、奥さんは、お嬢さんが先生を好きなことを知っていたということだろうと思います。
【根拠2】
kが来てからのことを考えてみます。
お嬢さんはkと2人だけでいるところを2、3度ほど先生に見られます。
そして、その時に先生の(恐らく)心配そうな顔を見て笑うという対応を何度かしたはずです。
これは、先生の嫉妬を茶化したということが言えると思います。
自分が先生に対して好意を持っていたからこそ、先生の好意も理解できたのでしょう。
仮に「自分が好意を持っていない人」の「自分に対する好意」を感じて笑ったのだとすれば、これは嘲笑になるわけで、作品中のお嬢さんがそこまで性悪な女性として描かれているとは思えません。
【根拠3】
kと2人でいるところを見てぎこちない対応よりできない先生を、「変な人だ」と皆の前で言います。
これは、「何の感情も持っていなければ普通に対応できるのに変な人だ。」という意味でしょう。
自分が好意を持っている相手の本音を確かめようとする(無意識の)常套手段であり、仮にkの方をすきだった場合にはこのような言い方はしないように思います。

2、なぜ結婚は母親ひとりで決断したのでしょうか。
:先に述べたようにお嬢さんが先生を好きなことは奥さんが良く知っていたからでしょう。
また、本人との話し合いも無しにという意味であれば、昔は親が一方的に決めることが不自然ではありませんでした。
中には見合い写真だけで結婚式の日まで相手の顔を見たことがない、などという極端な場合もあったようです。

3、なぜkと二人であったり、こそこそしてたのでしょうか?
:特にこそこそしていたわけではないと思います。
先生に嫉妬させるための策略という穿った見方もできますが、そこまで歪んだ性格の女性としては捉えられていないと思います。
元々は、kの気持ちがほぐれるように対応してくれと、先生から頼まれていたことでもありますし、多少興味はあったとしても恋心を持ったわけではないでしょう。
kの自殺に関して殆んど無頓着な感想しか持っていないことからみても、それは明らかなように思います。

4、もしkが好きだとしたらなぜ先生と結婚したのでしょうか?
:述べてきたように、個人的には元々先生の方が好きだったので先生と結婚したと思っています。
しかし、先生がもう少し消極的だったら、あるいはkがもっと積極的だったらどうなっていたか、神のみぞ知るといったところかもしれません。

1、彼女は先生とk、どちらが好きだったのでしょうか?
:先生だったのではないかと思います。
【根拠1】
まず、kの同居を奥さんが拒もうとします。これは、お嬢さんを含めた三角関係をあらかじめ防ごうとしたものでしょう(実際懸念したような結果になるわけですが)。
つまり、奥さんは、お嬢さんが先生を好きなことを知っていたということだろうと思います。
【根拠2】
kが来てからのことを考えてみます。
お嬢さんはkと2人だけでいるところを2、3度ほど先生に見られます。
そして、その時に...続きを読む

Q夏目漱石『こころ』はエゴイズムを描いたのか

似た質問がありますが、少し違う視点から質問しますので皆様、盆休みの間によろしくお願いします。

よく『こころ』はエゴイズムを描いた小説とされますが、何度読んでみてもどうもしっくり来ないのです。
先生のせいでKが自殺することになったのは確かです。けれど、先生はエゴをふりまくタイプではないし、もちろん自覚的なエゴイストではありません。
うまく表現できませんが、先生は何だか流されてそうなってしまった人といった印象を受けるので、普通イメージするような「エゴ」「エゴイズム」ということではくくれないような気がするのですが。
作者がエゴイズムを描いたとすると、どう解釈すればいいのでしょうか。また、他の解釈があれば教えて下さい。

Aベストアンサー

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『それから』『門』にも出てきます。
『それから』では主人公代助は友人の妻である三千代に恋愛感情を持つ。
『門』での宗助は、友人の妻であった御米を妻にしている。

『こころ』でKが自殺しなかったらどうなっただろう、という仮定を、『門』の中に見ることもできます。
漱石は、宗助と御米の姦通に対して、宗助夫婦から富を奪い、健康を奪い、三人の子を奪うという、という残酷な刑罰を課しています。
漱石にとって、こうしたエゴイズムの発露は、許せないものだったんです。

当時でさえ、こうした漱石の倫理観には、反発する人もあったようで、谷崎潤一郎などは、若い頃“世の中というのは、もっとふしだらな、ルーズなものではなかったか”みたいなことを言っていたようです。

漱石は人間の心の奥深くに巣くうエゴイズムを暴こうとしました。それを白日の下に晒していけば、人々は反省し、自然で自由な世界へいくことができる。それが、後期の“則天去私”の心境とされています。
晩年の『明暗』を読むと、もっとその漱石流のエゴイズムがわかるかもしれません。

『こころ』は人間の心に潜むエゴイズムを描いた小説である、と、自分の持っている文学事典にも載っていました。

この場合の“エゴイズム”は、
辞書にある“自己の利益を最優先させる態度”と取ればよいと思います。

先生は、Kの恋愛感情を知りながら、Kに自分の気持ちを告げることなく、先回りして、お嬢さんとの仲をまとめてしまった。
この行為が“エゴイズム”なんです。

いまの見方からすると、こういうことってあるよね、という感じではあるのですが。

この恋愛パターンは、中期三部作と言われる『...続きを読む

Q夏目漱石の『こころ』  先生の責任について

夏目漱石の『こころ』についてなのですが、Kが自殺した理由として、
先生がKより先にお嬢さんに告白したために、Kが自殺してしまったのでは
ないかと思います。よって先生にはKの自殺に対する責任があると思いますか?
もしくは、「私」は自分に責任があると『思い込んでいる』だけで本当は責任はないのでしょうか?

Aベストアンサー

結果がすべて、というならば責任は「ある」と思います。しかし、それにいたる「経過」を考えると、親しい身内以外は、必ずしも断罪できるものではないでしょう。

つまり、Kが自殺する以前にも「私」は重苦しい責任を感じていたわけですが、自殺した後の責任と比べると、明らかに異なる要素が入っていると思います。表現しにくいですが、前者は「卑怯」な手を使って友人を出し抜いた(あるいは裏切った)責任、後者は友人を「死」に追い込んだ責任というふうに分けることができると思います。もちろん、両者はつながっているわけですが、それはあくまで「結果」であって、Kの自殺は予想外のことだったことは見落としてはならないと思います。

「結果的に死に追い込んだ」と言えばそれまでですが、この小説のミソはそこではないように思います。やっぱり、いろいろ考えるべきところはあるんです。

Kはお嬢さんが好きでした。「私」はそれを知っていました。でも、「私」も好きでした。客観的には、ここにおいて「男の勝負」が始まったのではないか、とすれば、「私」は正々堂々と勝負しなかった、つまり闘わなかったわけですね。闘わずして、「謀略」でものにしたことになる。ところで、これは「卑怯」の二文字で片付けられるでしょうか。

ずいぶん前になりますが、私がこの小説を読んだときは、何ともいえない罪悪感で胃が痛くなりました。客観的に見ると、やっぱり卑怯なんですよね。でも、本気で人を好きになった経験のある自分としては、自分を先生に置き換えてみると、その気持ち、理解できなくもなかった。胃が痛くなったのは、読み手の私の中でも葛藤が出てきたからです。

それと、Kの態度が煮え切らぬものだったので、「私」は明らかにイライラしていました。なおさら、こんな半端な男にお嬢さんを渡したくない、という気持ちも出てきたのかもしれません。この気持ちもよくわかります。

だから、結局、客観的には、「私」の行動は「良くない」ことだったのは明らかです。「私」にもその自覚はあった。だからこそ何度もKに自分の心を打ち明けようとしましたよね。どうせ明らかになることですし。

ところがKが自殺してしまった。もう、詫びることもできません。これによって先生は生涯その苦悩を背負って生きていくことになります。私は、この先生の「生きざま」と、それを「解き明かしていく」構成がこの小説の魅力だと考えていますが、いずれにしても、この苦悩を「責任」と考えるか、「結果」と考えについては、どちらとも言いにくい、その辺もこの小説の考えさせられるところだと思います。

結果がすべて、というならば責任は「ある」と思います。しかし、それにいたる「経過」を考えると、親しい身内以外は、必ずしも断罪できるものではないでしょう。

つまり、Kが自殺する以前にも「私」は重苦しい責任を感じていたわけですが、自殺した後の責任と比べると、明らかに異なる要素が入っていると思います。表現しにくいですが、前者は「卑怯」な手を使って友人を出し抜いた(あるいは裏切った)責任、後者は友人を「死」に追い込んだ責任というふうに分けることができると思います。もちろん、両者はつ...続きを読む

Q夏目漱石の『こころ』でKが自殺した理由

夏目漱石の『こころ』で、Kが自殺した理由というのは、一般的に、
□お嬢さんへの恋
□現実と理想のギャップ
□さみしさ
と言われているようなのですが…。
他に考えられる理由があるとすればそれは何なんでしょうか??

Aベストアンサー

高校のころ、この話を読んでKの気持ちがすごくわかったと思った。
今はちょっと薄らいできてしまっているので、うまく表現できるかどうか。。。

Kは別に「先生(わたし)」のことも「お嬢さん」とのことも、どうとも思っていなかった。
確かに、お嬢さんのことは少し心にあったかもしれないが
淡い恋心程度だったんじゃないかな。

Kが死んでしまったのは、「自分が死んでも、世界はどうともならない」と思ったからだと当時感じた。
私には漠然とそう言う時期があった。
今、自分が生きているのは自分が自殺してしまったら
悲しむと言うよりは困る人がいる。
だから死なない。
そう考えて過ごした時代がある。
そんなときに、これを読んだからか、Kの自殺は
悲しみも困る人もいないから、ただ死んだんだと思った。

今読み返すと違う答えが出るかもしれないけれど。

Q宮澤賢治「永訣の朝」の解釈

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二」を使っているのか?
4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 御影石材が踏み石や飛び石のことならば、あぶなくはないので、これは別のものと考えるべきなのか。
 水のたまるような形状をした庭石のことでしょうか?
4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 これは霙じゃなく雪ですよね。松の枝に霙はたまりませんから。
 みぞれがたまっているのは「みかげせきざい」の上。
 みぞれは、「雪がとけかけて雨まじりに降るもの。」広辞苑
 半分溶けた雪のことを「あめゆじゅ」というのか?
 それとも、とし子はみぞれを所望したが、賢治は気を利かせて雪をとってきたのか。
 あるいは、雪ではなく、松の枝から滴り落ちる水を陶椀で受けたのか?
 「たべもの」「アイスクリーム」という表現があるので雪と思いますが。
5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 「おら、おらで、一人、逝くも」と解釈しますが、どうしてローマ字表記なのか?
 「おらおらでしとりえぐも」では通じないと考えたのか、現代的感覚を読者に訴えたかったのか。


けふのうちに
とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふっておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
うすあかくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちょびちょふってくる
(あめゆじゅとてちてけんじゃ)
青い蓴菜のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがったてっぽうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
蒼鉛いろの暗い雲から
みぞれはびちょびちょ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになって
わたくしをいっしゃうあかるくするために
こんなさっぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまっすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゅとてちてけんじゃ)
はげしいはげしい熱やあえぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽、気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
…ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまってゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまっしろな二相系をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらっていかう
わたしたちがいっしょにそだってきたあひだ
みなれたちゃわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびゃうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまっしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

宮澤賢治「永訣の朝」の下記部分の解釈を教えてください。

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 あめゆじゅとは霙(みぞれ)のことですか?本当にそんな方言があるのでしょうか。
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 なぜふたつなのか?一つは賢治のぶんでしょうか。とし子が2椀欲しがったのか。
 お金持ちなのに、欠けた陶椀を使い続けてきたのはなぜか。
3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 御影石材でしょうか?どうして「ふたきれ」なのか?
 ふたつの陶椀、雪と水とのまっしろな二相系など、意図的に「二...続きを読む

Aベストアンサー

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという願いにも読み取れます。

3.「ふたきれのみかげせきざいに」
 「2」が繰り返されるのは私と妹の「二人」を暗喩する数字でしょう。
 「2」から「1」になるという事を際立たせています。

4.「わたくしはそのうへにあぶなくたち」
 濡れた御影石の表面は滑りやすいので、アブナク、です。

4.「松のえだから/わたくしのやさしいいもうとの/さいごのたべものをもらっていかう」
 「あめゆじゅ」は雨と雪。賢治が採ったのは松の枝に積もったみぞれ交じりの雪。

5.「(Ora Orade Shitori egumo)」
 草稿では平仮名だったそうですね。
 妹の今際の言葉として、文字の意味ではなく「音として記録」した、という解釈ができるでしょう。


~~~
言葉の美しさを愛した詩人で、「永久の未完成これ完成である」なんて言葉が残されてますが、完成した作品に何度も手を入れていたような方です。改稿も本人にとっては「そうしたほうが好ましい文章になった」というだけのことで、作品は彼のフィーリングがその一時結晶化した結果に過ぎない。作品を売って金にしたわけでもなし、彼の念を文書に表せればそれで十分、「解釈」なぞは後の人が勝手にすればいいというのが彼のスタンスではなかったでしょうか。

彼の作品は各人が思い思いに韻を楽しみ、言葉に酔えばいいのでしょう。

参考URL:http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/13616/1/16_p175-191.pdf

1.「あめゆじゅとてちてけんじゃ」
 私はネイティブではないですが、岩手県花巻の方言で、「雨雪取ってきて欲しいな」、といった
 ちょっと甘えた言い方らしいですね。
 
2.「これらふたつのかけた陶椀に」
 死去のとき、「妹」は24歳。 病床で彼女と賢治は昔の思い出話などしていたのでしょう。
 「欠けた陶椀」は二人が子どもの頃、あるいはママゴト遊びの中で使用したものと推測。
 1のセリフも、もしかしたらその思い出話の中に出た言葉だったのかもしれないですね。
 その昔の事を再現してくれという...続きを読む


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