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素人です。
プラトンの有名なイデア論についてです。
イデア論の考え方については理解したつもりなのですが、

(1)なぜそういう考え方が必要だったのか

(2)イデア論はその後どういう展開や意義を持つものになったのか

がイマイチ明瞭に理解できません。
哲学史の流れの中での意義がよくわからないんです。

上記の二点について、できるだけ簡明にに説明してもらえるとうれしいです。

gooドクター

A 回答 (7件)

イデアとは、概念である。

馬や犬、富士山の様な美しい山等、物的なイデアもあれば、国家や善と言った観念的なイデアもある。
 一々対象を調べて、その正しい操作方法を確認した上で行動するのは無駄である。犬は近づくと攻撃して来るか、それとも尻尾を振って来るか。餌をやると懐くか。一人で寂しいとき、一緒にいて慰めてくれるか。それらを、一々実験し確認してから、犬を飼うのでは時間が掛る。犬は人に懐き、主人に忠誠であると言うイメージに、犬を飼い友として暮らすと言う行動様式が結合すると、犬と言う概念となる。
 概念が成立すると、一々、犬とはどういう存在で、それに対してどう行動したら良いのかを確かめなくても、正しい行動が取れるようになる。

 プラトンが追求した、国家のイデアも同様である。人の集団は、どの様な形態を取るのが正しいのかを実験し、確かめてから国家を形成するのでは、何時までたっても作ることは出来ない。正しい集団の形態のイメージに、そこでの決定に従うと言う行動様式が結合し、国家と言うイデアが成立する。これで人は、一々考えなくてもイデア=概念により、国家を形成することが出来る。

 人は、イデアを生まれながらに漠然とした形で持っている。経験により、それらは具体的なイデアとなる。例えば、自分を襲う鬼や怪物と言う恐ろしい生き物のイメージや、自分の友となる忠実な生き物と言ったやさしい愛らしい生き物のイメージを、人は生まれながらに漠然とした形で持っている。これらが経験により、トラ・ライオン・オオカミと言った具体的な猛獣の概念となり、また犬や馬と言った家畜等の概念となる。

 ただ、イデアは典型的な形で成立するので、個々の場合には、その性質を確認する必要がある。犬にも、獰猛は犬もいれば、知らない人にも尻尾を振る犬も居る。この犬がどう言う性質を持つ犬かは、ある程度確認する作業が必要となる。

 国家も、細部については、どの様な形態が良いか思考錯誤が必要となる。この様に、ある程度性質を確認した後に、人は行動する。これなくして、典型的なイデアに固執し、それと結合した行動様式を取り続けると、イデアは固定観念となる。

 この様に、イデアは概念であり、大筋で人間を正しい行動に導く心のソフトウェアです。しかし、イデアは典型例をモデルに作られています。個々のケースでは当てはまらない場合も出てきます。その時、悟性により場面をシミュレーションして結果を見ながら正しい行動を判定します。この悟性が知性です。
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こんにちは



「イデア論という突飛な考え」がなぜあの時代に、あの場所で生まれたのか、という問いは知識社会学的に面白い問いだと思います。ですが、これに対して「正しい」答えはあり得ないし、何を軸にとるかによって様々な物語が作れます。これまでの質問者様と回答者の方々のやりとりを細かく呼んでいるわけではありませんが、どうも「独特」なものが多いように思われます。だから、間違っている、というわけではなく、いわゆる「教科書的」な説明がでてこないことを不思議に思いましたので、教科書的な説明を参考までにさせていただければと思います。

 ソクラテスがソフィストとの対話において彼らの返答に満足しなかったのは、彼らが議論になっている対象に関する個別の事柄についてばかり述べるからでした。例えば徳について語るにしても、ソフィストは正義や節制については語るが、それらに共通している本質的特性は何なのか、ソクラテスはこれを問うていたのです。アリストテレス風にいえばホリゼスタイ・カトルー(普遍的な定義)とです。
 しかしソクラテスは、自分はその本質的特性を「知らない」という。これに対してメノンは、知らないものをどのように「知る」ことができるのか、「知ったもの」が「知ろうとしていたもの」かどうかなどいかにしてわかるのか、と問う(メノンのパラドクス)。この問いに応えるためにソクラテスが用いるのが「想起説」です。つまり、魂は不死で、何度も生まれ変わってきたので、魂がまだ学んでいないことは存在しない。だから、知るべきものに行き当たった時、あぁこれだったとわかることができるのだと。
 プラトンはこの考え方を引き継ぎます。ソクラテスが求めた普遍的な定義、本質的特性、事例ではなくそれそのもの、これらをプラトンはイデアと呼びました。「それそのもの」は、決して生成・消滅せず、また増大・減少しません。そうしたものとしてイデアを想定していたからこそ、質問者様の言う「現実を超越した彼岸の世界」を創り出し、その世界のものとしたのです。

 以上が教科書的な説明です。ご参考までに。


>相対主義を掲げるソフィストたちに対抗し、「絶対的真」なる価値を有する世界を仮構した、と考えてもいいのですが。
 に関してですが、その観点からもプラトンのイデアの概念の出現は物語ることは可能だと思います。ただ、私が読んだ限りですと、道徳や徳に対するソフィストの懐疑(=相対主義)に対してプラトンが用いたロジックはイデアよりは「調和」あるいは「健康」の概念であったと記憶しています。身体の健康からのアナロジーで客観性を保とうとしていたあれです。

横やり失礼いたしました。
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>>何故ソクラテスが、その助言を拒否したのか、その理由もご存知なら



>これは教科書的な答え方をすれば「善く生きる」を実践するためですよね。

まあ そうですね。
一滴の水は腐りやすいが、大量の水は絶対に腐らないとは言えないが腐りにくいので、多数決で全員が間違えた判断をすることは非常に起こりにくいと考え、独裁者の判断ではなく、多数決による判断の方が質が良いと考え、だから民主主義がギリシャで発明されたということらしいです。
その考えに則り、ソクラテスは自分を罪だとした人々を擁護したのではなく、多数決による採決に軍配を上げたわけで、その多数決の結果により決まったことに背くことは正し生き方とは程遠くなると考え、死刑を受け入れたわけですよね。

多数決(多量の水)の方が腐敗政治をしにくい という考え。



>>ソクラテスの正義の人の生き方に驚愕した弟子のプラトンがひきつぎ、ソクラ
テスの正しい人の生き方だとして、イデア論を構築することに必然的になったと、
わかると思います

>ここがわかりませんねw
>つまり、「善」の問題を引き継ぐというのは必然性があると思うんですが
>ここからイデア論という突飛な考えが出てくる点が理解不可能ですね。
>なぜ現実を超越した彼岸の世界を設定する必要があるのか。

うーん、、、まず ソクラテスは書物を残していませんよね。
ソクラテスに関することは、弟子のプラトンが書いていますよね。
どこがソクラテスで、どこかが本当はプラトンの考えなのか、本当のところはわからない。


ただ、イデア論を作る<動機>となったのは、ソクラテスの正義の貫徹の仕方 これに間違い無いと思います。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E7%9B%B8

『質料そのもの(第一質料)はなにものでもありうる(純粋可能態)。これに対し形相そのもの(第一形相)はまさにあるもの(純粋現実態)である。この不動の動者(「最高善」=プラトンのイデア)においてのみ、生成は停止する。

すなわち、万物はたがいの他の可能態となり、手段となるが、その究極に、けっして他のものの手段となることはない、目的そのものとしての「最高善」がある。この最高善を見いだすことこそ人生の最高の価値である、としたのである』


<決して他のものの手段となることは無い>
これを聞いて思い出すのが、プラトンの国家。

誉高い人が、本質において善い人だから善い行いをし、良い評判を得ているのか。
それとも良い評判を得る手段として、良い行いをしているだけなのか。
やったことがバレてしまう程度は小悪党。
最低の極悪人とは、最低最悪のことをしながら、誰からも気づかれることなく、善い人だと高い評判を得ている者。

その人が本質そのものが善だから、そこから流れ出る行い すなわち善い行いをやっているのか。
それとも、利得を得るために、善いとされる行いをやっているにすぎないのか。
どっちか確かめるためには、罪が無いのに罪びとだとし高い評判を剥ぎ取り、十字架にかけて鞭を打ち、槍でついて、それでも最後まで誰を恨むのでもなくひたすら善い行いをし続けた場合、その人は善い人だったと証明できる。

こうプラトンは考えた。

どっかで聞いたような内容ですよね。
イエスの逮捕から磔刑までにシーン。
プラトンはソクラテスの振る舞いに驚愕して、善人の証明を書いたと思えます。

この考えは、キリスト教に引き継がれ宗教として活用されました。
が、プラトンは宗教話を書くつもりじゃあなかったのですが、人々は哲学というより信仰として活用したわけですね。
宗教も結局は、正しい生き方を研究する学問ですから。


で、結局 動機が起こったことで、急激に速度が増したのだと思えます。
ソクラテスがあんな死に方しなかったら、今までの思想のスピードのまま やっていたと思います。
あーでもない こーでもない と。

今でもあーでもない こーでもないと言っていますが、また 強い動機を誘発するような事件が起こったら、また 人の生き方に特化した考えが発生する かもしれないです。

民主主義の発明は、人類が発明したものの中でも 上位に食い込むと思います。
完全な善じゃあないですよ。
不完全ですが、独裁よりマシで画期的な発明。
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>お聞きしたいポイントは、このような背景から、なぜ「イデア論」となるのか、その「つながり」の部分です。




うーん、、、


古代では集団のリーダーはあらゆるものにおいても、決定権を持っていたと思えるんですね。
しかし、人が増えると複雑になっていき、結局分業をするようになり、うわゆる総理大臣が統括する人で、その下に大臣がそれぞれいて、その下にさらに、、、ってやっていて、生命に木のような状態になっていったと思えます。

宗教から枝分かれしていったと思え、そのひとつが哲学。
哲学は専門は<人としての道>ですが、他の分野とも連携を取ってかけ離れたものにならないようにしながら、専攻の<人の道>ってのをつきつめようとしたのではないかと。



>なぜ「絶対的に真なる世界」という仮構が必要とされたのか。
>ここがよくわからないんですよ。
>個人的には、師ソクラテスが追求していた「善」という問題意識をプラトンが受け継いだ形になったのだと思うんですが、>このあたりがまだ直接つながってこないので明瞭に理解できないのです。

ソクラテスは自分は、眠っている馬を刺すアブのようなものだ と表現していた。

産婆法を用いて、相手に質問をしつづけることで、相手に真理を導きさせた。
ソクラテスは「教えてください」と支配者層に質問したわけですが、自分はあらかじめ答えを持っていた。
Aだと思ったが、質問された人はBだと答えた。
『じゃあ これはどうですか?』  「B」、 『じゃあこれは?』 「B」、 『じゃあ これは?』 「A」  となり
『これがAということは、最初の質問もAってことですよね』となったわけです。

深く考えればAだとわかるのに、深く考えないからBだと思っていたと暗に指摘することになり、支配者層は 深く考えずに答えた自分の浅はかさを自覚することはせず、ソクラテスに馬鹿にされたと思い、ソクラテスを罪人だとして、罪状は「神を愚弄した」と裁判で訴えたわけです。

イエスと同じ理由。(おわかりだと思いますが、イエスの逮捕から処刑までの流れは、ソクラテスの話し)。


で、逮捕されたソクラテスですが、その頃は賄賂を渡せば簡単に脱獄できたので、弟子のプラトンはそれをソクラテスに薦めた。
ああ、 ここらへんもご存知ですよね。
何故ソクラテスが、その助言を拒否したのか、その理由もご存知なら、ソクラテスの正義の人の生き方に驚愕した弟子のプラトンがひきつぎ、ソクラテスの正しい人の生き方だとして、イデア論を構築することに必然的になったと、わかると思います。


で、ソクラテスの最後の弁明を読まれたと思いますが、ソクラテスは神を愚弄するどころか、神を崇拝していたからこそ、やったと証言していますよね。

で、えっと、、、、私も知らなかったのですが、ライラの羅針盤を見て、デーモンの語源を知った。
http://red.sakura.ne.jp/~co-wards/explain/term/d …

真理から放たれているアガソダイモンは、自分がよくないことをしようとすると止めたが、良いことであれば止めなかった。
博識者たちに問い続けることをしようとしたとき、アガソダイモンは自分を止めなかったから、良いことをしていると言えるとした。

彼の経験からして、「これは良くないことだ」と無意識から発せられるブレーキのことだと思いますが、そのブレーキがなかったことで、まさかそれが悪いことだとは思わなかったというわけです。
さらに 「もっとも優秀な人」だと神託を受けたと思っていたので、自分のダイモンが常に正しいと思っていたふしがある。

で、デルフォィの神託を受けて自信がつき、使命感に燃えて、「眠っていちゃいかん、生きているんだから目を覚まし正しい生き方を希求せにゃならん」って思って、アカデミーを開き、若者に喚起させたわけですが、支配者からすると「若者に支配者の言うことに疑問を常に持つようにたぶらかした(そそのかした)」となり、、、、、それでも脱獄という不正をせず自ら多数決による裁きを受けることで、正義を擁護した人となり、そのすさまじい自分の命をかけて正義を貫徹した生き方をしたソクラテスに驚愕した弟子のプラトンが、モリモリってイデア論を構築したんだったと思います。

この回答への補足

お礼の訂正です。

イデア論に「うばがる」
    ↓
  「つながる」です。

   すいません。

補足日時:2011/04/01 18:45
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この回答へのお礼

>何故ソクラテスが、その助言を拒否したのか、その理由もご存知なら

これは教科書的な答え方をすれば「善く生きる」を実践するためですよね。


>ソクラテスの正義の人の生き方に驚愕した弟子のプラトンがひきつぎ、ソクラテスの正しい人の生き方だとして、イデア論を構築することに必然的になったと、わかると思います

ここがわかりませんねw
つまり、「善」の問題を引き継ぐというのは必然性があると思うんですが
ここからイデア論という突飛な考えが出てくる点が理解不可能ですね。
なぜ現実を超越した彼岸の世界を設定する必要があるのか。

この後にアリストテレスが本質を個物そのものに求めた、というつながりはわりとわかりやすいので、イデア論の「その後」の展開のほうがどちらかというとわかりやすいのですが、イデア論にうばがる「前」の段階の話は不透明な感じがするんですよね。

相対主義を掲げるソフィストたちに対抗し、「絶対的真」なる価値を有する世界を仮構した、と考えてもいいのですが。

何度もありがとうございます。

お礼日時:2011/04/01 18:43

イデア論がどういう流れでできたかってことですよね。



ソクラテス以前

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF% …

この世のすべては空気・火・土・水で構成されている と科学的?に考えた人がいた。
今じゃ それは無理だとわかりますが、古代の人は4元素でこの世は成り立っていて説明ができると考えた人もいたわけです。

大学のテキストを引っ張り出せば、ソクラテスにいきつくまでの流れが書けるのですが、試験終わったからどっかやっちゃった。
しかも、もう口頭で説明できないし、、、、、

ってことで wiki

<ソクラテス以前の哲学者の多くは自然と宇宙を自ら思索の対象とした。そのため彼らの思想は宇宙論あるいは自然学としばしば呼ばれる。彼らは外界の現象についてそれまでの擬人的な神話による説明を排除しより一般化された非擬人的な説明を求めた。たとえば雷はゼウスが怒り雷撃を投げているのではなく、雨雲が空気の裂け目を生じその裂け目から嵐が吹き出し光がみえているのだと説明される。
この姿勢は盲信的な宗教から離れ哲学、さらには科学へ至る考え方の転換点として世界史的にも画期的であった。>

<イオニアの自然哲学は宇宙生成論から出発し(宇宙はなにから生じるのか)、次第に身の回りの現象を説明する方向へと向かった。個々の現象についてなぜそのような現象が生起するのかが問われ、さらにそのような現象すべてを統御する原理が求められた。「ロゴス」と呼ばれたその統制原理は火や数という具体的なもののなかに求められた。ここから数の性質を問い、派生的な諸概念、たとえば無限についての探求が行われた。>


ヨハネの福音書の冒頭だったと思う。
<はじめにロゴスがあった。ロゴスは神とともにあった。神はロゴス(逆だったかな?)だ>と書かれていますが、どうして新約聖書がギリシャ地方で書かれたか、これでわかったと思います。
古代のソクラテス以前からソクラテス・プラトンによるギリシャ哲学の流れでそうなったわけです。

そんな雑学程度の知識でよければ、また質問があって、理解できている範疇でなら、情報提供しますよ。
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この回答へのお礼

神話による世界説明から、「自然哲学」による世界説明へ、ということですね。

これはよく理解してます。
お聞きしたいポイントは、このような背景から、なぜ「イデア論」となるのか、その「つながり」の部分です。

なぜ「絶対的に真なる世界」という仮構が必要とされたのか。
ここがよくわからないんですよ。

神話による世界説明が否定されたからといって、なぜイデア論というアイデアが出てきたのか。

個人的には、師ソクラテスが追求していた「善」という問題意識をプラトンが受け継いだ形になったのだと思うんですが、このあたりがまだ直接つながってこないので明瞭に理解できないのです。

こちらの書き方が悪かった部分があるのかもしれません。
ご存知でしたら再びご教授いただきたいです。

お礼日時:2011/03/31 23:05

1)なぜそういう考え方が必要だったのか



今まで人が善というものを考えてきたわけですが、それを系統だてて整理しようとしたのがソクラテス。
人は単に生きているだけではだめで、善く生きなければ生きたかいが無いと考え、どうしてそのように人々は善について今までも考えてきたのかというと、人間は以前はまったくの善の世界の住民だったが、肉体という有限の中に入ったことで、善の世界でのことを忘れてしまったに違いないと考えたらしいです。

その考えをもうちょっと整理したのが弟子のプラトンで、ソクラテスの言うまったくの善の世界をイデアと名づけ、イデアは普遍 つまり 条件によって変わらないものとしたんです。
肉体は有限ですよね いつか滅びる だから 悪だとしたんです。

で、プラトンは有限の肉体に入ってしまった人間は、真理(イデア)がわからなくなってしまったが、ごく一部の人は有限の肉体に宿っても、イデア界を知覚できるとし、真理がわかるものの言うとおりにしていれば、イデア(真理)がなんなのかわからず、間違えたことをやってしまう ってことを防げるってしたんです。


(2)イデア論はその後どういう展開や意義を持つものになったのか

で、イデアとは美で、馬にとっての美は早く走ること。
なら、人間の美とは何かとなり、ただ単に生きるのではなく 美しく生きるこだとなり、では 美しく生きるとはどういうことかというと、徳のある生き方をすることだとなり、では徳のある生き方とはどういう生き方か と展開していったんです。

で、今もって徳のある生き方はこうだ と結論は出ていません。
が、今まで決定できなかったからといって、今後も決定できっこないとは断言できず、われわれは決定できると信じて、うんたら かんたら ってやり続けるべきだって なっているんです。
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この回答へのお礼

非常におもしろかったです。
ありがとうございます。
できればもっと聞きたいです。

ひとつさらにお聞きしたいのは、他の哲学の流れだと、ある一つの立場や考えが次の考えを生む、という流れがかなりわかりやすくつかめる気がするんですね。
たとえば、神学的哲学から人間中心的な哲学へ、という流れ。
たとえば、デカルトやヘーゲル・マルクスの流れから脱近代的な哲学へとつながる流れ。
たとえば、実存主義的な「主体」の哲学から構造主義的な「非・人間中心的」な哲学への流れ。

こういうものは、「はーん、なるほど」とあっさり理解できるし、つながりがわかりやすいんですよね。

でも、このイデア論というやつについては、その前後の流れのなかでどういうふうに理解すればいいのかがいつまでたっても理解できないんです。

今回のお二方の説明で少しづつわかってきました。
もしよろしければまたお話をお聞かせ願えるとうれしいです。

お礼日時:2011/03/31 12:31

(1)なぜそういう考え方が必要だったのか


(2)イデア論はその後どういう展開や意義を持つものになったのか
がイマイチ明瞭に理解できません。

○ 理解できないのが普通ですね。これが判れば神の計画がわかりますからね。
神の計画を理解する哲学者は近代ではヘーゲルやカントぐらいでしたからね。でもそれさえ理解不能でしょうね。
理解するための鍵は時間論での「正・反・合」ですね。
「プラトン⇒ニーチェ・マルクス⇒現在」 を「正・反・合」に当てはめると見えてくるものがあるでしょう。
プラトンは明確に「実在界:あの世」が本来の姿で「地上世界:この世」はその投影にしか過ぎないといっていますね。時を下って、「ニーチェ・マルクス」は神は死んだ。あの世など無い。この地上世界が全てだ。」といっているのですね。これが「正・反」ですね。すでに「ニーチェ・マルクス」思想は間違いであるとなってきてますから、次に来るものは「合」の思想ですね。
このように「正・反・合」を用いて人類を指導するという大きな計画があるのですね。ある意味、人類に対する試験なのでしょうね。ヘーゲルはそのことを言っているのですがあまりに難しすぎて理解はされなかったですね。
さて、プラトンの指摘のように実在界が全てだといってしまうと、地上界の意味が薄れますし、ニーチェ・マルクスでは地上界が全てとなってしまいます。これは唯物論ですね。
どちらも意味を有して存在していることは明らかですからその両方の意味を持つ「合」思想を経て一つの歴史的思想サイクルを形成しているということですね。
西洋哲学は「正・反・合」を教育の基本にしているという意味ですね。東洋では仏教哲学が「正・反・合」の代わりに「三帝:一義帝・仮帝・空帝」を用いていますね。「一義帝・仮帝・空帝」が仏教的な「正・反・合」ですね。一義帝(あの世が全て)・仮帝〔この世が全て)・空帝(あの世を知り、この世の意味を知り、中道に生きる)という意味です。
このように哲学も時間と空間の広がりがあり全体を捉えるのは難しいのですね。普通は判らないようになっているのですがまれに全容を説く者が出現してわかることがあるのですね。「合」の時代ですからね。
大雑把な捉え方は以上のようなものですね。参考になるかどうかだが?
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この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます。
大変興味深く、参考になりました。
自分は完全な素人なのでついていけない部分もあるかもしれませんが、
できればもっとお話を聞きたいです。

回答を読ませていただくと、ヘーゲル的な世界観のようなものがまずベースになっているように思いましたが、このような考え方はプラトンの時代にはなかったのですよね?

そうすると、プラトンがイデア論の構想を思いついた時点においては、後の弁証法的歴史観は彼の頭の中にはなかった、ということですよね?

もしそうだとすれば、プラトンがイデア論というつかみどころのない世界観を構想しなければならなかった理由がまだハッキリとはつかめません。

プラトンのイデア論を弁証法的な運動の端緒としてとらえればその意義は浮かび上がってくるように思いますが、そもそもプラトンはどういうところからこのアイデアを持ち出してきたのかがよくつかめないのです。

もしよろしければもう一度ご教授いただければと思います。

お礼日時:2011/03/31 12:17

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