今だけ人気マンガ100円レンタル特集♪

素人です。
プラトンの有名なイデア論についてです。
イデア論の考え方については理解したつもりなのですが、

(1)なぜそういう考え方が必要だったのか

(2)イデア論はその後どういう展開や意義を持つものになったのか

がイマイチ明瞭に理解できません。
哲学史の流れの中での意義がよくわからないんです。

上記の二点について、できるだけ簡明にに説明してもらえるとうれしいです。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (7件)

イデアとは、概念である。

馬や犬、富士山の様な美しい山等、物的なイデアもあれば、国家や善と言った観念的なイデアもある。
 一々対象を調べて、その正しい操作方法を確認した上で行動するのは無駄である。犬は近づくと攻撃して来るか、それとも尻尾を振って来るか。餌をやると懐くか。一人で寂しいとき、一緒にいて慰めてくれるか。それらを、一々実験し確認してから、犬を飼うのでは時間が掛る。犬は人に懐き、主人に忠誠であると言うイメージに、犬を飼い友として暮らすと言う行動様式が結合すると、犬と言う概念となる。
 概念が成立すると、一々、犬とはどういう存在で、それに対してどう行動したら良いのかを確かめなくても、正しい行動が取れるようになる。

 プラトンが追求した、国家のイデアも同様である。人の集団は、どの様な形態を取るのが正しいのかを実験し、確かめてから国家を形成するのでは、何時までたっても作ることは出来ない。正しい集団の形態のイメージに、そこでの決定に従うと言う行動様式が結合し、国家と言うイデアが成立する。これで人は、一々考えなくてもイデア=概念により、国家を形成することが出来る。

 人は、イデアを生まれながらに漠然とした形で持っている。経験により、それらは具体的なイデアとなる。例えば、自分を襲う鬼や怪物と言う恐ろしい生き物のイメージや、自分の友となる忠実な生き物と言ったやさしい愛らしい生き物のイメージを、人は生まれながらに漠然とした形で持っている。これらが経験により、トラ・ライオン・オオカミと言った具体的な猛獣の概念となり、また犬や馬と言った家畜等の概念となる。

 ただ、イデアは典型的な形で成立するので、個々の場合には、その性質を確認する必要がある。犬にも、獰猛は犬もいれば、知らない人にも尻尾を振る犬も居る。この犬がどう言う性質を持つ犬かは、ある程度確認する作業が必要となる。

 国家も、細部については、どの様な形態が良いか思考錯誤が必要となる。この様に、ある程度性質を確認した後に、人は行動する。これなくして、典型的なイデアに固執し、それと結合した行動様式を取り続けると、イデアは固定観念となる。

 この様に、イデアは概念であり、大筋で人間を正しい行動に導く心のソフトウェアです。しかし、イデアは典型例をモデルに作られています。個々のケースでは当てはまらない場合も出てきます。その時、悟性により場面をシミュレーションして結果を見ながら正しい行動を判定します。この悟性が知性です。
    • good
    • 1

こんにちは



「イデア論という突飛な考え」がなぜあの時代に、あの場所で生まれたのか、という問いは知識社会学的に面白い問いだと思います。ですが、これに対して「正しい」答えはあり得ないし、何を軸にとるかによって様々な物語が作れます。これまでの質問者様と回答者の方々のやりとりを細かく呼んでいるわけではありませんが、どうも「独特」なものが多いように思われます。だから、間違っている、というわけではなく、いわゆる「教科書的」な説明がでてこないことを不思議に思いましたので、教科書的な説明を参考までにさせていただければと思います。

 ソクラテスがソフィストとの対話において彼らの返答に満足しなかったのは、彼らが議論になっている対象に関する個別の事柄についてばかり述べるからでした。例えば徳について語るにしても、ソフィストは正義や節制については語るが、それらに共通している本質的特性は何なのか、ソクラテスはこれを問うていたのです。アリストテレス風にいえばホリゼスタイ・カトルー(普遍的な定義)とです。
 しかしソクラテスは、自分はその本質的特性を「知らない」という。これに対してメノンは、知らないものをどのように「知る」ことができるのか、「知ったもの」が「知ろうとしていたもの」かどうかなどいかにしてわかるのか、と問う(メノンのパラドクス)。この問いに応えるためにソクラテスが用いるのが「想起説」です。つまり、魂は不死で、何度も生まれ変わってきたので、魂がまだ学んでいないことは存在しない。だから、知るべきものに行き当たった時、あぁこれだったとわかることができるのだと。
 プラトンはこの考え方を引き継ぎます。ソクラテスが求めた普遍的な定義、本質的特性、事例ではなくそれそのもの、これらをプラトンはイデアと呼びました。「それそのもの」は、決して生成・消滅せず、また増大・減少しません。そうしたものとしてイデアを想定していたからこそ、質問者様の言う「現実を超越した彼岸の世界」を創り出し、その世界のものとしたのです。

 以上が教科書的な説明です。ご参考までに。


>相対主義を掲げるソフィストたちに対抗し、「絶対的真」なる価値を有する世界を仮構した、と考えてもいいのですが。
 に関してですが、その観点からもプラトンのイデアの概念の出現は物語ることは可能だと思います。ただ、私が読んだ限りですと、道徳や徳に対するソフィストの懐疑(=相対主義)に対してプラトンが用いたロジックはイデアよりは「調和」あるいは「健康」の概念であったと記憶しています。身体の健康からのアナロジーで客観性を保とうとしていたあれです。

横やり失礼いたしました。
    • good
    • 0

>>何故ソクラテスが、その助言を拒否したのか、その理由もご存知なら



>これは教科書的な答え方をすれば「善く生きる」を実践するためですよね。

まあ そうですね。
一滴の水は腐りやすいが、大量の水は絶対に腐らないとは言えないが腐りにくいので、多数決で全員が間違えた判断をすることは非常に起こりにくいと考え、独裁者の判断ではなく、多数決による判断の方が質が良いと考え、だから民主主義がギリシャで発明されたということらしいです。
その考えに則り、ソクラテスは自分を罪だとした人々を擁護したのではなく、多数決による採決に軍配を上げたわけで、その多数決の結果により決まったことに背くことは正し生き方とは程遠くなると考え、死刑を受け入れたわけですよね。

多数決(多量の水)の方が腐敗政治をしにくい という考え。



>>ソクラテスの正義の人の生き方に驚愕した弟子のプラトンがひきつぎ、ソクラ
テスの正しい人の生き方だとして、イデア論を構築することに必然的になったと、
わかると思います

>ここがわかりませんねw
>つまり、「善」の問題を引き継ぐというのは必然性があると思うんですが
>ここからイデア論という突飛な考えが出てくる点が理解不可能ですね。
>なぜ現実を超越した彼岸の世界を設定する必要があるのか。

うーん、、、まず ソクラテスは書物を残していませんよね。
ソクラテスに関することは、弟子のプラトンが書いていますよね。
どこがソクラテスで、どこかが本当はプラトンの考えなのか、本当のところはわからない。


ただ、イデア論を作る<動機>となったのは、ソクラテスの正義の貫徹の仕方 これに間違い無いと思います。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E7%9B%B8

『質料そのもの(第一質料)はなにものでもありうる(純粋可能態)。これに対し形相そのもの(第一形相)はまさにあるもの(純粋現実態)である。この不動の動者(「最高善」=プラトンのイデア)においてのみ、生成は停止する。

すなわち、万物はたがいの他の可能態となり、手段となるが、その究極に、けっして他のものの手段となることはない、目的そのものとしての「最高善」がある。この最高善を見いだすことこそ人生の最高の価値である、としたのである』


<決して他のものの手段となることは無い>
これを聞いて思い出すのが、プラトンの国家。

誉高い人が、本質において善い人だから善い行いをし、良い評判を得ているのか。
それとも良い評判を得る手段として、良い行いをしているだけなのか。
やったことがバレてしまう程度は小悪党。
最低の極悪人とは、最低最悪のことをしながら、誰からも気づかれることなく、善い人だと高い評判を得ている者。

その人が本質そのものが善だから、そこから流れ出る行い すなわち善い行いをやっているのか。
それとも、利得を得るために、善いとされる行いをやっているにすぎないのか。
どっちか確かめるためには、罪が無いのに罪びとだとし高い評判を剥ぎ取り、十字架にかけて鞭を打ち、槍でついて、それでも最後まで誰を恨むのでもなくひたすら善い行いをし続けた場合、その人は善い人だったと証明できる。

こうプラトンは考えた。

どっかで聞いたような内容ですよね。
イエスの逮捕から磔刑までにシーン。
プラトンはソクラテスの振る舞いに驚愕して、善人の証明を書いたと思えます。

この考えは、キリスト教に引き継がれ宗教として活用されました。
が、プラトンは宗教話を書くつもりじゃあなかったのですが、人々は哲学というより信仰として活用したわけですね。
宗教も結局は、正しい生き方を研究する学問ですから。


で、結局 動機が起こったことで、急激に速度が増したのだと思えます。
ソクラテスがあんな死に方しなかったら、今までの思想のスピードのまま やっていたと思います。
あーでもない こーでもない と。

今でもあーでもない こーでもないと言っていますが、また 強い動機を誘発するような事件が起こったら、また 人の生き方に特化した考えが発生する かもしれないです。

民主主義の発明は、人類が発明したものの中でも 上位に食い込むと思います。
完全な善じゃあないですよ。
不完全ですが、独裁よりマシで画期的な発明。
    • good
    • 1

>お聞きしたいポイントは、このような背景から、なぜ「イデア論」となるのか、その「つながり」の部分です。




うーん、、、


古代では集団のリーダーはあらゆるものにおいても、決定権を持っていたと思えるんですね。
しかし、人が増えると複雑になっていき、結局分業をするようになり、うわゆる総理大臣が統括する人で、その下に大臣がそれぞれいて、その下にさらに、、、ってやっていて、生命に木のような状態になっていったと思えます。

宗教から枝分かれしていったと思え、そのひとつが哲学。
哲学は専門は<人としての道>ですが、他の分野とも連携を取ってかけ離れたものにならないようにしながら、専攻の<人の道>ってのをつきつめようとしたのではないかと。



>なぜ「絶対的に真なる世界」という仮構が必要とされたのか。
>ここがよくわからないんですよ。
>個人的には、師ソクラテスが追求していた「善」という問題意識をプラトンが受け継いだ形になったのだと思うんですが、>このあたりがまだ直接つながってこないので明瞭に理解できないのです。

ソクラテスは自分は、眠っている馬を刺すアブのようなものだ と表現していた。

産婆法を用いて、相手に質問をしつづけることで、相手に真理を導きさせた。
ソクラテスは「教えてください」と支配者層に質問したわけですが、自分はあらかじめ答えを持っていた。
Aだと思ったが、質問された人はBだと答えた。
『じゃあ これはどうですか?』  「B」、 『じゃあこれは?』 「B」、 『じゃあ これは?』 「A」  となり
『これがAということは、最初の質問もAってことですよね』となったわけです。

深く考えればAだとわかるのに、深く考えないからBだと思っていたと暗に指摘することになり、支配者層は 深く考えずに答えた自分の浅はかさを自覚することはせず、ソクラテスに馬鹿にされたと思い、ソクラテスを罪人だとして、罪状は「神を愚弄した」と裁判で訴えたわけです。

イエスと同じ理由。(おわかりだと思いますが、イエスの逮捕から処刑までの流れは、ソクラテスの話し)。


で、逮捕されたソクラテスですが、その頃は賄賂を渡せば簡単に脱獄できたので、弟子のプラトンはそれをソクラテスに薦めた。
ああ、 ここらへんもご存知ですよね。
何故ソクラテスが、その助言を拒否したのか、その理由もご存知なら、ソクラテスの正義の人の生き方に驚愕した弟子のプラトンがひきつぎ、ソクラテスの正しい人の生き方だとして、イデア論を構築することに必然的になったと、わかると思います。


で、ソクラテスの最後の弁明を読まれたと思いますが、ソクラテスは神を愚弄するどころか、神を崇拝していたからこそ、やったと証言していますよね。

で、えっと、、、、私も知らなかったのですが、ライラの羅針盤を見て、デーモンの語源を知った。
http://red.sakura.ne.jp/~co-wards/explain/term/d …

真理から放たれているアガソダイモンは、自分がよくないことをしようとすると止めたが、良いことであれば止めなかった。
博識者たちに問い続けることをしようとしたとき、アガソダイモンは自分を止めなかったから、良いことをしていると言えるとした。

彼の経験からして、「これは良くないことだ」と無意識から発せられるブレーキのことだと思いますが、そのブレーキがなかったことで、まさかそれが悪いことだとは思わなかったというわけです。
さらに 「もっとも優秀な人」だと神託を受けたと思っていたので、自分のダイモンが常に正しいと思っていたふしがある。

で、デルフォィの神託を受けて自信がつき、使命感に燃えて、「眠っていちゃいかん、生きているんだから目を覚まし正しい生き方を希求せにゃならん」って思って、アカデミーを開き、若者に喚起させたわけですが、支配者からすると「若者に支配者の言うことに疑問を常に持つようにたぶらかした(そそのかした)」となり、、、、、それでも脱獄という不正をせず自ら多数決による裁きを受けることで、正義を擁護した人となり、そのすさまじい自分の命をかけて正義を貫徹した生き方をしたソクラテスに驚愕した弟子のプラトンが、モリモリってイデア論を構築したんだったと思います。

この回答への補足

お礼の訂正です。

イデア論に「うばがる」
    ↓
  「つながる」です。

   すいません。

補足日時:2011/04/01 18:45
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>何故ソクラテスが、その助言を拒否したのか、その理由もご存知なら

これは教科書的な答え方をすれば「善く生きる」を実践するためですよね。


>ソクラテスの正義の人の生き方に驚愕した弟子のプラトンがひきつぎ、ソクラテスの正しい人の生き方だとして、イデア論を構築することに必然的になったと、わかると思います

ここがわかりませんねw
つまり、「善」の問題を引き継ぐというのは必然性があると思うんですが
ここからイデア論という突飛な考えが出てくる点が理解不可能ですね。
なぜ現実を超越した彼岸の世界を設定する必要があるのか。

この後にアリストテレスが本質を個物そのものに求めた、というつながりはわりとわかりやすいので、イデア論の「その後」の展開のほうがどちらかというとわかりやすいのですが、イデア論にうばがる「前」の段階の話は不透明な感じがするんですよね。

相対主義を掲げるソフィストたちに対抗し、「絶対的真」なる価値を有する世界を仮構した、と考えてもいいのですが。

何度もありがとうございます。

お礼日時:2011/04/01 18:43

イデア論がどういう流れでできたかってことですよね。



ソクラテス以前

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF% …

この世のすべては空気・火・土・水で構成されている と科学的?に考えた人がいた。
今じゃ それは無理だとわかりますが、古代の人は4元素でこの世は成り立っていて説明ができると考えた人もいたわけです。

大学のテキストを引っ張り出せば、ソクラテスにいきつくまでの流れが書けるのですが、試験終わったからどっかやっちゃった。
しかも、もう口頭で説明できないし、、、、、

ってことで wiki

<ソクラテス以前の哲学者の多くは自然と宇宙を自ら思索の対象とした。そのため彼らの思想は宇宙論あるいは自然学としばしば呼ばれる。彼らは外界の現象についてそれまでの擬人的な神話による説明を排除しより一般化された非擬人的な説明を求めた。たとえば雷はゼウスが怒り雷撃を投げているのではなく、雨雲が空気の裂け目を生じその裂け目から嵐が吹き出し光がみえているのだと説明される。
この姿勢は盲信的な宗教から離れ哲学、さらには科学へ至る考え方の転換点として世界史的にも画期的であった。>

<イオニアの自然哲学は宇宙生成論から出発し(宇宙はなにから生じるのか)、次第に身の回りの現象を説明する方向へと向かった。個々の現象についてなぜそのような現象が生起するのかが問われ、さらにそのような現象すべてを統御する原理が求められた。「ロゴス」と呼ばれたその統制原理は火や数という具体的なもののなかに求められた。ここから数の性質を問い、派生的な諸概念、たとえば無限についての探求が行われた。>


ヨハネの福音書の冒頭だったと思う。
<はじめにロゴスがあった。ロゴスは神とともにあった。神はロゴス(逆だったかな?)だ>と書かれていますが、どうして新約聖書がギリシャ地方で書かれたか、これでわかったと思います。
古代のソクラテス以前からソクラテス・プラトンによるギリシャ哲学の流れでそうなったわけです。

そんな雑学程度の知識でよければ、また質問があって、理解できている範疇でなら、情報提供しますよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

神話による世界説明から、「自然哲学」による世界説明へ、ということですね。

これはよく理解してます。
お聞きしたいポイントは、このような背景から、なぜ「イデア論」となるのか、その「つながり」の部分です。

なぜ「絶対的に真なる世界」という仮構が必要とされたのか。
ここがよくわからないんですよ。

神話による世界説明が否定されたからといって、なぜイデア論というアイデアが出てきたのか。

個人的には、師ソクラテスが追求していた「善」という問題意識をプラトンが受け継いだ形になったのだと思うんですが、このあたりがまだ直接つながってこないので明瞭に理解できないのです。

こちらの書き方が悪かった部分があるのかもしれません。
ご存知でしたら再びご教授いただきたいです。

お礼日時:2011/03/31 23:05

1)なぜそういう考え方が必要だったのか



今まで人が善というものを考えてきたわけですが、それを系統だてて整理しようとしたのがソクラテス。
人は単に生きているだけではだめで、善く生きなければ生きたかいが無いと考え、どうしてそのように人々は善について今までも考えてきたのかというと、人間は以前はまったくの善の世界の住民だったが、肉体という有限の中に入ったことで、善の世界でのことを忘れてしまったに違いないと考えたらしいです。

その考えをもうちょっと整理したのが弟子のプラトンで、ソクラテスの言うまったくの善の世界をイデアと名づけ、イデアは普遍 つまり 条件によって変わらないものとしたんです。
肉体は有限ですよね いつか滅びる だから 悪だとしたんです。

で、プラトンは有限の肉体に入ってしまった人間は、真理(イデア)がわからなくなってしまったが、ごく一部の人は有限の肉体に宿っても、イデア界を知覚できるとし、真理がわかるものの言うとおりにしていれば、イデア(真理)がなんなのかわからず、間違えたことをやってしまう ってことを防げるってしたんです。


(2)イデア論はその後どういう展開や意義を持つものになったのか

で、イデアとは美で、馬にとっての美は早く走ること。
なら、人間の美とは何かとなり、ただ単に生きるのではなく 美しく生きるこだとなり、では 美しく生きるとはどういうことかというと、徳のある生き方をすることだとなり、では徳のある生き方とはどういう生き方か と展開していったんです。

で、今もって徳のある生き方はこうだ と結論は出ていません。
が、今まで決定できなかったからといって、今後も決定できっこないとは断言できず、われわれは決定できると信じて、うんたら かんたら ってやり続けるべきだって なっているんです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

非常におもしろかったです。
ありがとうございます。
できればもっと聞きたいです。

ひとつさらにお聞きしたいのは、他の哲学の流れだと、ある一つの立場や考えが次の考えを生む、という流れがかなりわかりやすくつかめる気がするんですね。
たとえば、神学的哲学から人間中心的な哲学へ、という流れ。
たとえば、デカルトやヘーゲル・マルクスの流れから脱近代的な哲学へとつながる流れ。
たとえば、実存主義的な「主体」の哲学から構造主義的な「非・人間中心的」な哲学への流れ。

こういうものは、「はーん、なるほど」とあっさり理解できるし、つながりがわかりやすいんですよね。

でも、このイデア論というやつについては、その前後の流れのなかでどういうふうに理解すればいいのかがいつまでたっても理解できないんです。

今回のお二方の説明で少しづつわかってきました。
もしよろしければまたお話をお聞かせ願えるとうれしいです。

お礼日時:2011/03/31 12:31

(1)なぜそういう考え方が必要だったのか


(2)イデア論はその後どういう展開や意義を持つものになったのか
がイマイチ明瞭に理解できません。

○ 理解できないのが普通ですね。これが判れば神の計画がわかりますからね。
神の計画を理解する哲学者は近代ではヘーゲルやカントぐらいでしたからね。でもそれさえ理解不能でしょうね。
理解するための鍵は時間論での「正・反・合」ですね。
「プラトン⇒ニーチェ・マルクス⇒現在」 を「正・反・合」に当てはめると見えてくるものがあるでしょう。
プラトンは明確に「実在界:あの世」が本来の姿で「地上世界:この世」はその投影にしか過ぎないといっていますね。時を下って、「ニーチェ・マルクス」は神は死んだ。あの世など無い。この地上世界が全てだ。」といっているのですね。これが「正・反」ですね。すでに「ニーチェ・マルクス」思想は間違いであるとなってきてますから、次に来るものは「合」の思想ですね。
このように「正・反・合」を用いて人類を指導するという大きな計画があるのですね。ある意味、人類に対する試験なのでしょうね。ヘーゲルはそのことを言っているのですがあまりに難しすぎて理解はされなかったですね。
さて、プラトンの指摘のように実在界が全てだといってしまうと、地上界の意味が薄れますし、ニーチェ・マルクスでは地上界が全てとなってしまいます。これは唯物論ですね。
どちらも意味を有して存在していることは明らかですからその両方の意味を持つ「合」思想を経て一つの歴史的思想サイクルを形成しているということですね。
西洋哲学は「正・反・合」を教育の基本にしているという意味ですね。東洋では仏教哲学が「正・反・合」の代わりに「三帝:一義帝・仮帝・空帝」を用いていますね。「一義帝・仮帝・空帝」が仏教的な「正・反・合」ですね。一義帝(あの世が全て)・仮帝〔この世が全て)・空帝(あの世を知り、この世の意味を知り、中道に生きる)という意味です。
このように哲学も時間と空間の広がりがあり全体を捉えるのは難しいのですね。普通は判らないようになっているのですがまれに全容を説く者が出現してわかることがあるのですね。「合」の時代ですからね。
大雑把な捉え方は以上のようなものですね。参考になるかどうかだが?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

詳しい解説ありがとうございます。
大変興味深く、参考になりました。
自分は完全な素人なのでついていけない部分もあるかもしれませんが、
できればもっとお話を聞きたいです。

回答を読ませていただくと、ヘーゲル的な世界観のようなものがまずベースになっているように思いましたが、このような考え方はプラトンの時代にはなかったのですよね?

そうすると、プラトンがイデア論の構想を思いついた時点においては、後の弁証法的歴史観は彼の頭の中にはなかった、ということですよね?

もしそうだとすれば、プラトンがイデア論というつかみどころのない世界観を構想しなければならなかった理由がまだハッキリとはつかめません。

プラトンのイデア論を弁証法的な運動の端緒としてとらえればその意義は浮かび上がってくるように思いますが、そもそもプラトンはどういうところからこのアイデアを持ち出してきたのかがよくつかめないのです。

もしよろしければもう一度ご教授いただければと思います。

お礼日時:2011/03/31 12:17

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qプラトンのイデア論

プラトンのイデア論っ何ですか?
教えてください
それを理解するために、何の入門書お勧めですか?

Aベストアンサー

簡単に説明しますね。

好きなアイドルや俳優の写真を持ってますか?
持ってなくても持ってると思ってくださいな。
(テレビ番組でも映画でもドラマでも何でも構いませんが写真で考えましょう)

でもその写真は本物のアイドル(俳優)ではないですよね。
写真のもととなってるアイドル(俳優)が真実で、
逆にその写真に写ってるアイドルは言ってみたら偽物です。

真実であるそのアイドル(俳優)本人がイデアなんです。
(イデアは真実。イデア界は真実の世界)
そして真実である本人の姿を見たことがないのに・・・
僕達はいつもその偽物(写真)を見て恋し焦がれる。
それでもその真実のアイドル(俳優)に憧れて、もっと知りたいと思う。
これがエロース。

つまりイデアは現象界(僕達が住む世界)における物のカタ。
アイドル(俳優)そのものがカタで、
現象界に住む僕達はカタで作った偽物(写真や映像など)しか見れないのです。。

簡単に言えばこれがイデア論です。
かなり省きましたが・・・。

※エロース:イデアを恋し慕う事
※ちなみに人間も一人一人名前が違うように十人十色。
つまりイデアに真実の唯一の人間がいて、そのカタを元に現象界でたくさんの人間が創られた。


参考URLも分かり易いと思います。
NO.4さんがお勧めのソフィーの世界もかなりイイと思います。
では哲学頑張ってください。

参考URL:http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/gakuFrame.html

簡単に説明しますね。

好きなアイドルや俳優の写真を持ってますか?
持ってなくても持ってると思ってくださいな。
(テレビ番組でも映画でもドラマでも何でも構いませんが写真で考えましょう)

でもその写真は本物のアイドル(俳優)ではないですよね。
写真のもととなってるアイドル(俳優)が真実で、
逆にその写真に写ってるアイドルは言ってみたら偽物です。

真実であるそのアイドル(俳優)本人がイデアなんです。
(イデアは真実。イデア界は真実の世界)
そして真実である本人の姿を見たこ...続きを読む

Q形而上学とは

現在、国語の授業で
「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文を扱っています。
文章の雰囲気は分かるのですが形而上学
というテーマそのものがよく分からないので
どうも、しっくりこないでいます。

「形而上学」というものをくだいて説明して
頂きたいのですが。。。

中学3年の私にも分かるくらいのレベルで説明して頂けたら嬉しいです。(教科書は高校1年生のものですが)

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。



あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。

人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。

その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。

けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。

ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。

そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。

たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。

じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。

ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。



ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。

広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。



おわかりいただけたでしょうか。長くなりすみません。。。

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。
...続きを読む

Qソクラテスの『善く生きる』

ソクラテスの『善く生きる』という言葉の意味をできるだけ簡潔にまとめたいのですが、どのようにしたらよいでしょうか。私は専門が理学系なので哲学は未履修です。高校の倫理の教科書を借りて読んでみてはいるのですが、いまいち内容に合点がいきません。

Aベストアンサー

ソクラテスの『善く生きる』ですか。
ソクラテスやプラトンが用いる「善く」という意味がわからないと答えようがないですね。
かれらの意味する「善く」というのは単なる道徳や慣例・知識ではないのですね。神の目から見て「正しいこと」を「善く」といっているのですね。
ソクラテスの時代も現代も同じですよ。殆どの慣例や知識が神の目から見て「正しいこと」ではないので、『善く生きる』ということは「ラクダが針の穴を通るほど」難しいことですね。
とはいえ、回答としては「あなたの良心に従い生きること」が『善く生きる』に一番近いと思いますよ。
知識や道徳ではなく「良心」というのがみそですね。
とはいえ何か例がいりますかね。例えば、葬式の後の塩なんかは慣例ですが、だれが始めたのかも不明、効果も不明、単なる迷信ですが多くの人が信じて実行していますね。正しくないのでこんなのまねても『善く生きる』にはならないということですね。多くの知識や道徳・慣例などもあなたの良心に従い見直しながら生きるということですね。

Qイデア論【洞窟の比喩】の矛盾点?

結末部分で、洞窟(=現実の世界)の中から強制的に外の太陽のある世界(=イデアの世界)に出されて、、目を悪くして戻ると、「目を悪くするために洞窟の外に出たのか」と言われ、殺されてしまう。という流れなのですが、(この殺されたのは毒杯を仰いで殺されたソクラテスのことだと言われています)

洞窟の中は現実の世界だという事は、今私たちが生きている世界ですよね?
そうすると、日中に私たちが太陽を見ても、目を悪くしますよね(失明級)?
という事は、洞窟の中(=現実の世界)にいたって、目を悪くしていることになります。
なので、太陽のあるイデアの世界に行って当然のように目を悪くして洞窟にトポトポ帰ってきたソクラテスを「お前、目を悪くしたんだってなぁ~!」と言って殺すのは、何とも理不尽だと思えてなりません。

この結末は、ソクラテスの弟子であるプラトンが、
師ソクラテスは理不尽な理由で殺されたことを示すために、ワザワザ設定した矛盾のあるストーリーだったのではないでしょうか?

どう思いますか?
ご意見ご指摘ご鞭撻のほど、宜しくお願い致します。
モヤモヤして困ってます。

結末部分で、洞窟(=現実の世界)の中から強制的に外の太陽のある世界(=イデアの世界)に出されて、、目を悪くして戻ると、「目を悪くするために洞窟の外に出たのか」と言われ、殺されてしまう。という流れなのですが、(この殺されたのは毒杯を仰いで殺されたソクラテスのことだと言われています)

洞窟の中は現実の世界だという事は、今私たちが生きている世界ですよね?
そうすると、日中に私たちが太陽を見ても、目を悪くしますよね(失明級)?
という事は、洞窟の中(=現実の世界)にいたって、目を悪くして...続きを読む

Aベストアンサー

或る者は直接太陽を見つめても目を悪くしません。

洞窟に戻ってきて彼の目がぼんやりしているとは、真理を見たが体得していないために、真と偽を簡潔に判別できないということ。長い期間、骨を折るということ。
上の世界(真理)に連れて行こうとするものは、為政者、富裕層にとって都合が悪いために、殺してしまおうということ。

上文のように、ソクラテスを比喩したものではありません。はるか昔から、当たり前のことを当たり前として、
行う政治家や人々は殺されています。

Q学校のレポートで出された課題なのですが

学校のレポートで出された課題なのですが

ソクラテスの訴えられた真の理由

ソクラテスが知を愛するものの生き方

ソクラテスのしについて

というこの3つを合計2000字でだされてしましました・・・
お手伝いお願いします><

Aベストアンサー

知識人に対して「教えてください」とソクラテスは下手に出て質問をしたわけです。
知識人は質問されて常識とされることを答えた。
するとソクラテスは例えを出して「じゃあ これはどうですか」と問答を繰返しているうち、最初の答えとは違う答えを知識人に導かせることになった。

深く考えることで常識が正しく無いと、知識人に悟らせたわけです。

つまり知識人は実は深く考えていないおバカな人って暴いてしまう結果になった。

ソクラテスは暴くつもりはなく、もうちょっと深く物事を考えましょう、 考えることを愛しましょう という活動をしただけなのですが、知識人はバカを暴かれたと思って恥をかかされたと思ったわけです。


<ライラの冒険 黄金の羅針盤>って映画をみたことがあるでしょうか?
ライラはソクラテス。
ライラだけが真理を示す黄金の羅針盤を読める少女なのですが、教権は彼女を自分たちの地位を脅かす存在だとして、恐れたわけです。

ライラの冒険では、ダイモンが登場します。
ダイモンは誰にもくっついている。
その人の本性を表す動物のような形をしている。

ソクラテスはダイモンが自分についていて、間違えたことをしそうになるとダイモンが自分を止めてくれていると思っていた。
知識人に問答をふっかけることをダイモンは止めなったことから、それが間違えたことだとソクラテスは思っていなかった。
ダイモンはまったくの真理からやってくるものだと信じていたので、ダイモンが止めないってことは正しいことだと思っていたわけです。

そのように真理を探究したソクラテスを見て、若者はソクラテスに注目したわけです。
知識人よりソクラテスの方を重要視したわけです。

すると面白くないのは若者たちに尊敬されるはずの知識人です。

教権 すなわち アテナイの知識人は、ダイモンの存在を信じるソクラテスを「アテナイの神とは異なる神を信じ、若者を堕落させたと告訴した。

知識人たちは懲らしめのつもり程度で、ソクラテスを殺すつもりなんて無かったんです。
「ごめんなさい あなたがたに恥をかかせてしまった」ってソクラテスが非を認めたら、それでよかった。

だけどソクラテスは、ダイモンが止めなかったってことは自分が知を探求する姿勢は正しことであり、謝る必用な無いんですって非を認めなかったし、知識人をバカにするつもりなどさらさらなく、もっと深く物事を考えましょうって運動だったって主張したことで、知識人はムカついてだんだん本気になっていったわけです。


裁判でちょっと懲らしめる程度のはずが シリアスな状況になっていき、それでも脱獄は容易だったのですが、脱獄することは不正をするということであり、不正は自分の理に反するとして、多数決で決まったものは例え悪法であっても、法を守るためにはその判決に従うのが正しい人である として、自ら毒を煽って自殺したんです。

これが後にキリスト教のイエスが苦いブドウを飲むってエピソードに繁栄されたんだと思う。

プラトンの国家に義人の証明ってのがあります。
本当にその人が義人なのか、評判を得て得をするために義人のふりをしているのか、どうやって確かめられるかって理論をもって書いたもので、その人が義人ならたとえ名誉を奪われ十字架にはりつけになり槍で疲れても、最後まで義人であり続けたら、その人は得を得るために義人のふりをしていたのではなく、根っからの義人だったということが証明できる ってしていた。

つまり、プラトンの義人の証明がソクラテスの死なんです。
ソクラテスのことについては、プラトンの書いた書籍からしかほとんどわかっていません。
実在の人物だったとは思いますが、死亡は本当に死刑になったのかどうかわかりません。

知識人に対して「教えてください」とソクラテスは下手に出て質問をしたわけです。
知識人は質問されて常識とされることを答えた。
するとソクラテスは例えを出して「じゃあ これはどうですか」と問答を繰返しているうち、最初の答えとは違う答えを知識人に導かせることになった。

深く考えることで常識が正しく無いと、知識人に悟らせたわけです。

つまり知識人は実は深く考えていないおバカな人って暴いてしまう結果になった。

ソクラテスは暴くつもりはなく、もうちょっと深く物事を考えましょう、 考える...続きを読む

Qソクラテスの無知の知は矛盾していませんか?

ソクラテスの無知の知についてです。
高校の倫理でソクラテスのことを学び、
その中でソクラテスの思想に「無知の知」というものがありました。

ソクラテスは、
「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている(=無知の知)」
と習いました。

しかしここで思うのが、
ソクラテスは自分が無知であると言うことを知っていると言いましたが、
これを同じく返されたらどうなるのでしょうか?

ソクラテスは無知について知っているとは言えないのではないでしょうか?
ソクラテスに対して、
「あなたは実は無知であることを知らない」
と返した場合無知の知は無くなってしまうのでないでしょうか?

Aベストアンサー

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテスは考えます。
俺が一番賢いわけがない。


ソクラテスは、この神の言葉は間違いであることを証明しようと試み、自分より知者であると思われる、評判高い人々を訪れるわけです。その人達の職業は詩人であったり大工であったり様々です。


ソクラテスは彼らが自分よりも知者であることを期待して訪ねたのですが、話をしてみるとどうも勝手がちがいました。


といのも、彼らは確かに専門的な知識はソクラテスよりも優れていました。しかしそれに奢って
「徳であったり、本当に善いものに関する知識」
を持っていないにも関わらず知ったかぶりをして話をしていたのです。


その一方で自分は、徳とか善きものについて知らないということを自覚している。
その点で彼らよりも自分は賢い。
ソクラテスはそう考えました。


ここでソクラテスに初めて「無知の知」が自覚されます。


「無知の知」は「不知の知」とも表記されていて、私は後者の方がしっくりきます。

といのも、
「知っているものが何も無い」
という状態ではなく
「知らない(不知)ということを知っている」


と解釈しているからです。

ですから、質問者さんが問うように
「ソクラテス、あなたは無知(不知)を知らない」
と言われれば、きっとソクラテスは
「いや知っている、自分は善とか徳については何も知らないことを知って(自覚して)いるよ」
と答えると思います。


付け加えるなら
「ぜひ教えてくれないか、君も知らないならば一緒に探求しようではないか」
とも言いそうです(笑)



気になるようでしたらぜひ『ソクラテスの弁明』を実際に読んでみてください。文量は多くないので気軽に読むことができると思いますよ。


長文失礼しましたm(__)m

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテ...続きを読む

Qプラトンとソクラテスの違い

上記の二人が師弟関係だったことは周知の事実ですぅが、
彼らの思想の同じ点と、違う点をおしえていただきたいです。

Aベストアンサー

質問者さん、すこしは自分で調べようよ。
ソクラテス、プラトンでググろうよ。

初心者向けのいいサイトを紹介するので、
これを読んで、自分で考えましょう。

ソクラテス
http://www.geocities.jp/studia_patristica/philosophia7.htm

プラトン
http://www.geocities.jp/studia_patristica/philosophia8.htm

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q『善く生きる』?

「プラトン・ソクラテス・アリストテレスにとって『善く生きる』とはどういうことか?」という問題が学校で出ました。さっぱり解りません。
誰か解る方がいらっしゃいましたら回答をお願いします。

Aベストアンサー

うわ……大学ですよね。これは結構大きい問題で、真剣にやると
卒業論文クラスのものが3,4本書けそうなのですが…^^;;
ので最初に長くなりそうなことと、一定以上知識のある方から見ると
穴だらけになるであろうことをお断りします。

哲学史はタレスから始まるのが一般ですが、ソクラテス以前の哲学者は
多くが自然哲学的なことがらを主題として残っており、人間に目を向けるように
なったのはソクラテス以降、その影響が強いと言われています。
ソクラテスはただのらくらと生きる人々を捕まえて、「善とは何か」「美とは何か」などを問い、ただ生きるのではなく善く生きよ、と主張しました。
「善く生きよ」とは古代ギリシアを流れるテーマの一つであり、「善」論であり、
倫理学の根っこでもあります。

まずソクラテスからいきましょう。はっきり言って自信がないです。これには理由があるのですが…(苦笑)
ソクラテスは著作がありませんが、プラトンの書いたものののうち「弁明」と「クリトン」はソクラテス自身の主張を表しているとされます。
「善く生きよ」という言葉は「クリトン」の中のものです。
「クリトン」は死刑判決をくらったソクラテスのところに友人が来て脱獄を勧めるのをソクラテスが断るというお話です。
クリトンにおいてソクラテスはまず、「善」を「美」や「正」と同じであるとします。
ソクラテスは不正をされたからといって不正をし返すのは正しいことではない。
たとえ不正な仕方によって死刑になったとしても、アテナイが好きでアテナイに残ることを選んできたのだから
今更脱獄するのは不正であり、脱獄して法破りの人間として他国に亡命しても法を破ったものとして生きていくのは本意じゃないとソクラテスは言うのです。
ここでソクラテスのいう「善く生きる」がちょっと見えてくるのですが、「正しい(善い)」ことをすべきである、というような感じです。
ただその「善」とは「みんなは本当に知っている? すごく大事な何かが確かにあるんだ」と「無知の知」において問われてきたものなので、おそらくは普遍的なものでしょうがいまいちはっきりしません。議論があると思うので倫理学の論文とか読むといいかもしれません。

これが案外はっきりしてくるのはプラトンです。プラトンは「国家」第6巻において
これを善のイデアとしてずずずいっと挙げています。
イデアというのはご存知でしょうか、まあ美のイデアだったら色んな美しいものに
美を分け与えている普遍的絶対的な美そのもの、という感じです。
で「善」のイデアは一番すごいイデアで他のイデアをイデアとして存在させると同時に全ての善いものの大ボスなわけです。
ただこの善のイデア論は色々問題があって議論されてますし、プラトンも国家以降取り上げてません。
あとは知によって正しいことを知り、それを行うこと、つまり哲学することがよい、とかあります。
まあイデアに代表されるような絶対的価値があり、それに向かって生きていくべきだ、という姿勢が基本です。
でソクラテスとプラトンの違いの一つは、プラトンは一生の観点でものごとを見て善く生きようと思ってます。なので善いことのために「死んでしまう」のは考慮外なのです。生きてナンボです。

アリストテレスは上の二人とは違って個物を大事にする人です。
イデアより目の前にある個体だよっていうかイデアなんか無いよって人です。
彼の生き方に対する思想は倫理学の中に見られます。
アリストテレスは倫理学って善、それも人間が手に入れられる最高の善(人間的善)
を探すものだ、とします。それは何かというと幸福です。
幸福は幸福自体が目的で、お金や、徳や快楽は幸福のための手段なわけです。
でなおかつそれは一番善い徳に沿った(魂の)活動でであるとしました。
で具体的にどんな生き方、というと哲学者の生き方です(笑)もしくは観照的生活といいます。
実践的な生活、つまり生きるために働いたり、政治をやったりすることもいいことですが、それより理性を使って思索することの方がもっといい、とアリストテレスはします。
それは神の生活がそういう生活だからで、できるだけそれに近づこう、という理由からでもあります。

以上が三人の善論についてのかなり雑なまとめです。
まとめると哲学者バンザイになってしまうような気もして頭が痛いのですが・・・。
無理に三人の目指したものを一つにまとめるなら「善を目的として生きる」でしょうか。うーん・・・・。

まあ軽く参考程度に流してください(笑)
テクストはプラトン著作が「クリトン」「弁明」「国家」アリストテレスが「ニコマコス」を使ってます。
高校倫理レベルでしたら、まとめたページを探してみました。

参考URL:http://kobe.cool.ne.jp/sincos/phylo/hs/contents/greece.html

うわ……大学ですよね。これは結構大きい問題で、真剣にやると
卒業論文クラスのものが3,4本書けそうなのですが…^^;;
ので最初に長くなりそうなことと、一定以上知識のある方から見ると
穴だらけになるであろうことをお断りします。

哲学史はタレスから始まるのが一般ですが、ソクラテス以前の哲学者は
多くが自然哲学的なことがらを主題として残っており、人間に目を向けるように
なったのはソクラテス以降、その影響が強いと言われています。
ソクラテスはただのらくらと生きる人々を捕まえて、「...続きを読む

Q大学生の1ヶ月の遊ぶ金額

マネーにすべきか迷いましたが、こちらの方が
大学生が多く見ていると思い、こちらに質問します!

大学生って、1ヶ月平均で、
遊びのお金ってどれくらいかかっていますか?
遊びと言っては合わないものもありますが、
・洋服などオシャレ代
・サークルに入っていない場合の飲み会代
・お昼のご飯代
・その他
分かりやすく言えば、月でまとめて振り込んだり
払ったりするお金ではないものにかかる金額です。

こういうものには月いくらかけているのでしょう?
1万・2万程度じゃ少ないのでしょうか?

回答お願いします!
(分かりにくかったら聞いてください!)

Aベストアンサー

もう大学生ではありませんが……。

独り暮らししていた私は、1週間に使う金額を決めて遊んでいました。
月曜日~日曜日、1週間に1万円です。
その1万円の中身は、食費(朝・昼・晩)・本代・定期以外でかかる交通費・交友費・服飾費と言った感じでした。

月曜日に1万円下ろして、
次の日曜日までに余った分は取り出し口のない貯金箱行きです(笑)
足りなかった分は次の週の分から借りてきて、
次の週を少なくします。
なので、1ヶ月で使用する金額はピッタリ4万円(月によっては5万円)になる形にしました。

4年間で貯金箱にたまったお金は、なんと25万円にもなっていて、
それを卒業旅行の資金に当てましたvvv

社会人になった今、1週間に1万では付き合いとかやっていけなくなってしまったので、
同じ方法を1月単位に切り替えて実践中です♪
入社4年目で、その余ったお金貯金で新車購入しましたよ~☆


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング