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戦争には一般市民を攻撃してはいけないなどルールがあると知りました。そのルールについてもう少し知りたいです。また当時のアメリカ軍はなぜ一般市民をまきぞいにする原爆を投下したのでしょうか?戦いに勝てばなんでも許されるという前提のもとに投下したのでしょうか?回答、宜しくお願いいたします。低レベルの回答でお願いいたします。すみません。

A 回答 (5件)

こんにちは




> 戦争には一般市民を攻撃してはいけないなどルールがあると
> 知りました。

一般市民、つまり交戦資格の無い非戦闘員(下記の条約上では
"文民"という表現)の保護については

「戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネ
ーヴ条約」(通称 ジュネーヴ第四条約)
http://www.mod.go.jp/j/presiding/treaty/geneva/g …
及び、
「1949年8月12日のジュネーヴ諸条約の国際的な武力紛争の
犠牲者の保護に関する追加議定書(通称 第1議定書)、
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty1 …
そして、
「1949年8月12日のジュネーヴ諸条約の非国際的な武力紛争
の犠牲者の保護に関する追加議定書(通称 第2議定書)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/treaty1 …

が あり、戦時下における文民の生命、財産、の保護と、生活をする
ために必要な場所や施設(住居、教会、食品庫、水道)への攻撃の
禁止などが定められています。


> 当時のアメリカ軍はなぜ一般市民をまきぞいにする原爆を投下
> したのでしょうか?

まず、前述の様な戦時国際法、国際人道法、との関係については
後ほど触れるとして、当時の米国が我が国に対して原爆を使用し
た理由として、戦争の早期終結、自国軍人の犠牲者の低減、と
いった理由が今まで定説とされていましたが、昨今の研究によると
"兵器として実戦での有効性(被害範囲、威力、自軍への影響等)
を確認した"とする説が有力になりつつあります。

ざっくばらんに言えば「我が国を実験台とした」ということでしょう。


> 戦いに勝てばなんでも許されるという前提のもとに投下したので
> しょうか?

さて、この原爆投下が戦時国際法及び国際人道法に照らしあわせ
ると違法行為になるか否か? が、ご質問の真意かと存じますが、
前述の"ジュネーヴ条約(関連議定書も含め)"は、すべて太平洋
戦争終了後に締結されましたので、原爆投下時(1945年8月時点)
の米軍及び米国政府においては、これら諸法を遵守すべき要件は
ありません。


当時有効であった類似の条約としては

「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」及び同附属書「陸戦ノ法規慣例ニ
関スル規則」(通称 ハーグ陸戦条約/規定)があり、その中(規則
25条)に
「防守せざる都市、村落、住宅又は建物はいかなる手段によるも
これを攻撃または砲撃せざるを得ず」
という いわゆる 「無防備都市攻撃の禁止」と、

空戦法規第24条での、爆撃についての軍事目標主義、つまり軍隊
の基地、弾薬庫、兵器庫、軍需工場等、明確な軍事目標以外への
爆撃の禁止

などがあります。

しかし、前者においては「無防備状態」の定義が曖昧で、また後者
については"法規"と言っても、正確には"条約案"という扱いで、なん
ら法的拘束力が無いものであるため、原爆はもとより東京大空襲の
ような"無差別爆撃"に対しても、その違法性を明確に指摘する根拠
は当時は無かった、と思われます。
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この回答へのお礼

回答、ほんとうに有り難うございました。私にはちょっと難しいかもしれませんが教えて頂いたサイトをなんども読んで理解していきます。

お礼日時:2011/03/31 21:05

戦時国際法については以下にあります。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E6%99%82% …

実はいろいろと細かいことが決まっているんですね。

アメリカがなぜ原爆を使ったのかということについては、いくつもの理由があげられると思います。決してなにかひとつだけの理由ではなかったはずです。
建前上の理由は「パールハーバー攻撃への復讐」です。アメリカ人の論理からすると、そもそもパールハーバーで卑怯な攻撃をしたのはお前たち日本人なのだから、それに見合う復讐をされるのは仕方がない、というものです。一般的なアメリカ人が口にする理由はこれだと思います。
また、味方の兵士の命を10人救うために、敵国の国民が100人死ぬのはやむを得ない、という考えもできます。それに耐えられないなら降伏しろ、というわけです。
その他に、大金を投じて開発した新型爆弾を実戦で使わないままにしておくのはもったいない、という思惑もあったでしょう。どんなものでも実際に使ってみないと使えるのか使えないのかが分かりません。広島と長崎で分かったことは、たしかにたった一発で都市がまるごと消飛ぶほどに強力だけど、被曝問題など後の問題が大きすぎて使い物にはならないというものでした。実際問題、長崎以降はどの戦争でも使われていません。アメリカがいくらビン・ラディンが憎いといっても、彼を核爆弾で吹き飛ばすことはできませんでした。
被曝がどんなにやっかいで深刻な問題を引き起こすか、アメリカ人は現代に至るもピンときていない気がします。現代でも劣化ウラン弾による被曝問題が指摘されていますが、米軍は劣化ウラン弾を使い続けています。実は劣化ウラン弾によっていちばん被害を受けているのが他ならぬ米兵なのです。
もちろん、投下する前は誰もそこまで深刻なことになるとは思わなかったでしょう。広島と長崎の経験が、「原爆は恐ろしい」ということを気付かせたのです。
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。本当に勉強になりました。

お礼日時:2011/03/31 06:15

一応「戦時国際法」 (ないし「戦時法」) という国際法があって, 例えば


・ふつ~に生活している非戦闘員を殺しちゃダメ (もちろん「戦闘員」は殺してもいい)
・正規の戦闘員をつかまえたらきちんと保護すること (逆にいうと, ゲリラのような「非正規戦闘員」に対しては, 「つかまえたあと拷問をするだけして殺す」ことがあっても戦時国際法には反しない)
などが決められています.

実際に戦争になったら, そんなのそうそう守れませんけどねぇ.

あと, 事実としては日本も「一般市民をまきぞえにする攻撃」をしてたりします.
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。勉強になりました。

お礼日時:2011/03/31 06:16

原子爆弾が投下されなくとも、日本は負けていました。

東条英機も山本五十六も一、二年は戦えるけども、長期戦は・・・と言っていましたし。

一番の思惑は、実験台です。当時、アメリカはソビエトを警戒していました。(大戦後、ソ連の影響を受けて、中国や北朝鮮が建国され、アメリカの危惧するところは、ソ連の存在共々、現実となります)

アメリカが強大な殺傷兵器を保有していることを世界に知らしめる絶好の機会だったのです。当然、国内でも野党は反対します。
トルーマン大統領は、ソ連のスターリンに原爆投下を打診していました。国内よりも早くに。

日本は開戦当初アメリカが思った以上に奮戦したのです。国のために命を懸ける精神力ももつ。高い技術力。
現在、自衛隊にF2戦闘機があるけど、当初は、日本で開発される予定でした。でも、アメリカが嫌い、(恐れたという説も)結局技術面で日米共同開発となってしまいました。

不況、震災・・・色々あっても概ね平和・・・その平和をつくり上げたのは先人たちですね。兵隊さんも一般市民も。決して無駄死にじゃありません。

震災後の原発事故の放射能にナーバスになるのは、心のどこかで、原爆の恐ろしさをダブらせるからだと思います。

この回答への補足

戦争の国際ルールって建前だけだとは思いますがどんなルールだったんでしょうか?

補足日時:2011/03/30 22:42
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。確かに放射能=原子爆弾って考えてしまいます。

お礼日時:2011/03/30 22:43

戦争は「軍」と「軍」との闘いですからね、基本。

一般市民を巻き添えにしちゃいかんというのはかつては暗黙のルールだったんですが、勝てば官軍、勝つ為には手段は選ばんというわけです。

アメリカが原爆投下したのは、戦争を早く終わらせる為の最後の手段です。昭和19年後半~昭和20年にかけて日本軍は連戦連敗。アメリカとしては、日本が無条件降伏の勧告を受け入れるのを待っていたんです。一般市民を巻き添えにしよう等という意図はありませんでした。しかし帝国陸海軍上層部は言う事を聞かない。ならば、という事で「東京大空襲」「沖縄地上戦」「原爆投下」という図式になってしまったんです。アメリカの力を見せつける為です。同時にこれは私の推測ですが、日本本土を空襲或いは攻撃して一般国民を犠牲にする事により、日本国民の軍部に対する批判を煽る意図があったかもしれません。そして世論を動かし戦争を早く終わらせようと。しかし頑固な日本は言う事を聞かず抵抗を続け、8月6日に広島、8月9日に長崎とたて続けに新型爆弾(当時はそう呼んでいた)を投下されたんです。そこでようやく日本は降伏を認めました。認めなければ、アメリカはまだ原爆投下を予定していたそうです。

因みに昭和天皇は早々と戦争を終わらせなければならないと御前会議でも提言してたそうですが、軍部の強硬な姿勢に押される形になってしまったわけです。当時の心境を綴ったメモも発見されています。昭和天皇は初めから太平洋戦争には反対の立場だったんです。
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この回答へのお礼

早々の回答、有り難うございました。勉強になりました。
原爆の被災に遭った方には失礼な言葉ですが仰るとおり原爆投下によってそれ以上の被害は無かったのかもしれませんね。

お礼日時:2011/03/30 21:24

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