・・・わたしは 和を乱すことを知らなかった。:(α)
この(α)の命題についてお考えになるところをおしえてください。
参考になるかどうか 聖徳太子についての批判をつづります。
・論文:聖徳太子は ただのくそったれ
▲ (十七条憲法) ~~~~~~~~
一に曰(い)わく、和(やわらぎ)を以(も)って貴(とうと)しとなし、忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
人みな党(たむら)あり、また達(さと)れるもの少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に順(したが)わず、また隣里(りんり)に違(たが)う。
しかれども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(1) 最後の一文は いわば民主主義に通じる自由な言論 これを 基礎とすると言っています。明治維新でも 同じく《万機公論》と言いました。
▲ (五箇条の御誓文) 一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ
(2) 次に 同じ最後の一文の中からですが
▲ 上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて
☆ については 眉唾物です。お上つまりお二階さんの論理と目線で ものを言っているといううたがいを拭えません。時代は違いますが:
◆ (上田正昭:『日本文化の原点』) ~~~~~~
【直木孝次郎】・・・たとえば七一一(和銅四)年に出された詔(みことのり)に
《このころ聞く 諸国の役民 造都に労れ 奔亡するものなほ多し。禁ずと
雖も止まず》。
とある。これは・・・労役のために都へ出てきている人民――これが都城建設 道路づくりに使役されるわけですが 生活 労働が苦しいために途中で逃げ出す者が多い。禁止しても止まない。・・・
【上田正昭】 その翌年の正月にも
《諸国の役民は 郷(さと)に還へるの日 食糧絶え乏しく 多く道路に飢ふ。
溝壑(こうがく=みぞ)に転びうづまるもの その類少なからず》。
というのが出ていますね。
【直木】 ・・・『続日本紀』つまり 当時の正史に記録されているわけですね。
【上田】 柿本人麻呂も 有名な歌を残していますね。
《草枕旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か
国忘れたる 家待たまくに》 (万葉集 三・426)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(3) その(2)のうたがいを証拠立てるには 聖徳太子の同じような趣きの歌を見てみれば分かります。
▲ (万葉集 三・415) ~~~~~~~
上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首
家にあらば妹(いも=妻)が手巻かむ
草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ 人麻呂の歌(426番)では すでに死んだ人に向かって 早く起き上がりなさい ふるさとに帰って行きなさいと声をかけていますが 聖徳太子の歌では ああ かわいそうにとだけ言っています。
(4) ▲ 忤(さから)うこと無きを宗(むね)とせよ。
☆ と言われても 庶民はもともと けんかをしつつも仲間として和をもって暮らしていた。ところへ お二階さんたちが これをパクって 《和を以って》うんぬんと言いだした。まねをして和をとうとぶと言われても けっきょく 人びとよ自分たちには《さからうな》と言っているとしか聞こえません。都合のよいことだけを言っているとしか聞こえません。
(5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらってもねぇ。
権力は握った もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。
(6) 無念のうちに波に呑み込まれた人たちも――つまりあるいは お二階からのでっかく酷い津波に呑まれかけたこれまでの歴史上の数多くの人たちとともに―― われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きたと いまいちど起き上がって言って欲しい。
(7) しかも・しかも 聖徳太子の場合には みまかれる人は のちに聖人であったと分かったと伝えられることになります。聖と聖こそ互いによくわかり合えるのだとか。ちゃんちゃらおかしいわい。
(8) 人麻呂スサノヲの心意気なら 先の(α)の命題を飲みませんか?
No.15ベストアンサー
- 回答日時:
こんばんは、Hidochiでございます。
以前、聖徳太子について、お教えいただいたときから、自分なりに太子について調べてみました。残念ながら、諸説が存在し、明確な像が浮んでは来なかったのですが、冷酷な“マキャべリスト”の印象は持ちました。
仏教を広めたとされていますが、そもそもそれは豪族仏教であり、新羅等の朝鮮半島との外交戦略が裏には存在したと考えられます。
> (5) 聖徳太子は 国を挙げて例の仏教を受容するか否かのとき 崇仏派と排仏派の戦いになりそこで前者に味方し 後者の物部守屋を亡きものにすることにたずさわった。そのように敵を倒したあと《和を以ってとうとしと為せ》と言っちゃってもらってもねぇ。
権力は握った もうおれたちには逆らうなとのたまわっていらっしゃいます。
現実問題としまして、地政学的に、(畿内最大の拠点として、大和川下流の大阪府八尾市を持つとされています)豪族物部氏を倒す必要があったと思われます(宗教戦争の意味合いが強かった戦いでしたが、宗教だけが問題ではなかったものと察せられます)。
> (8) 人麻呂スサノヲの心意気なら 先の(α)の命題を飲みませんか?
「和を以って貴しと為せと言われなかったなら」 → 「われわれは、“和”という言葉に馴染みが少なくなっていたかもしれない。しかし、それはそれで、じゅうぶんであった。」
と解します。
なお、せっかくサイコロさんの「審美眼」のスレッドに、お誘いいただいたのですが、当初よりブロックされたままとなっておりまして、受け付けてもらえませんでした。従いまして、参加できずにおります。かなり嫌われているようですが、これは致し方ないと思っております。
最後まで、お読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ひどっちさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。
★ なお、せっかくサイコロさんの「審美眼」のスレッドに、・・・
☆ そうでしたか。わたしは どういうわけか ブロックされていたのが解除になっているのに気づいたのでした。
さんざん投稿したあとですが ではわたしももうやめます。ちょうどあとは 《法悦》とかの彫刻(?)についての批評のみが課題でしたから もうやめてもいい頃だとも考えますから。
(いましばらくは見守っていますが どうしても投稿したほうがよいと判断するのでないかぎり 加わらないこととします)。
★ 仏教を広めたとされていますが、そもそもそれは豪族仏教であり、新羅等の朝鮮半島との外交戦略が裏には存在したと考えられます。
☆ 経文がもたらされたことは 半島との交通の深まりとともになのでしょうね。
その著と言われる『三経義疏』はかなり高度な注解書のようだと聞いています。学力が優秀だったのだと思います。(辞書などはなかったでしょうし 漢字漢文を読むだけでも一苦労でしょうから)。
★ (宗教戦争の意味合いが強かった戦いでしたが、宗教だけが問題ではなかったものと察せられます)。
☆ けっきょくその後には 本地垂迹説まで出ましたから その神仏混合の状態が日本人に合っているとすれば 仏教導入によって古神道を排斥するというのは 手段であったかも知れないと思われます。
★ 「和を以って貴しと為せと言われなかったなら」 → 「われわれは、“和”という言葉に馴染みが少なくなっていたかもしれない。しかし、それはそれで、じゅうぶんであった。」
と解します。
☆ ええ。そういう社会的な基礎――つまりは 市民らの生活そのもの――がもともとあったと言いたかったのでした。
《和》は もともとどうもそれ以前の――卑弥呼らの時代からの――《倭国》の倭から来ているとも言います。倭は 背が猫背のようだという意味を帯びて字が好字ではないということで 替えられたのだと。
そして やまとは 養徳(ヤントク)とも書いた時期がありました。徳を養うという好い意味を持って音が似ているということのようです。そして別様にもともとの《ワ》という音韻を継承して また好字二字という原則がありましたから 大和としたらしいです。
ふり返ってみれば この質問は 【Q:日本人は 論理思考をそなえている】の援軍のようなねらいを持ったものでした。そちらのほうは 二つの主題があって それぞれその主題に対応する別の質問が挙げられていて それぞれに反論を伝えるというねらいをも持って 立てたのでした。
そのようにしてこの哲学カテゴリにおいて全体として ちょっと見渡してみますと その問い求めの度合いが煮詰まって来たかにも感じています。自分の投稿がからんでいますので 高ぶりの所為でそんなことを言うのではないかと言われても仕方がないのですが どうも審美眼あたりから《ときが満ちる》感覚をおぼえています。そのことの手放しの表出です。あけすけの表明です。
それにしても 大きな事件がおこりましたね。
地球人かで はこぶるさんが天皇制について触れていたのが やや驚きでした。以前には触れようとされていないと受け取ったことがあったものですから。
不用意な発言になりますが (1) われら(?)が心の炉心なるアマテラシテが 溶け始めたのではないか? (2) この OKWave の哲学カテゴリという場が 或る程度(部分的にでしょうが)日本なら日本の縮図であるような感じを持ちます。(3) 大事件は 東京をも巻き込んだということが大きいように思います。(4) しかも思った以上に世界が気持ちをも寄せて来ているようで 何だか歴史が動いていることを感じさせるようです。
そんなこんなにて。
No.26
- 回答日時:
>☆ いえいえ はっきりと悪の部分を露出していますよ。
探してみてください。興味がないので結構です。
>ひどっちさんに それは 基本的に言って(理論として)まちがいだとさとされました。
道から外れている という程度のことです。
>☆ うまいことを言いましたね。(すこしどこか直すところがあるようにも思いますが)。
適当に書いたので、後は勝手に直してください。大体あってりゃ(なんとなく分かれば)いいでしょ
>互いに精進してまいりましょう。
???
No.25
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
ヒドッチでございます。> 前々からでしたが ちょとつのおっちゃんは よほど相い対する態度が おかしい。まともに話を わたしに対しては出来ない。何故かは必ずしも分かりませんが とにもかくにも わたしとまともに向き合ってはもう話しが成り立たない状態に成りました。よって わたしのほうから去ります。
ちょとつ様(cyototu様のことでしょうか)は、その分野では相当の業績もあげられておられるようですので、サイコロ様のような学究肌の方からしますと、尊敬の念を抱かれるものかと思われます。また愚生よりもご年配でしょうし、またその業績から、ちょとつ様に対しましては、批判を加えることはしてきませんでしたし、また別段そのつもりもございませんでした。因みに、Hidocch君の方はと申しますと、ご存知のことかと思われますが、関西の某大学の客員准○△似すぎず、残念ながらそんな大した業績をあげてはおりません。それに、もうすぐ任期も切れますし.....
ただ、どうして「まともに向き合ってはもう話し」をされないのかは、愚生には全くわかりません。
> そこからは サンダルの底の塵を持って帰るようなことなく払い除いて やはりわたしはわたしから去ります。
了解致しました。愚生も一切の回答をしない旨伝えましたので、関わらないつもりでございます(幾度も、気を使うのも疲れますため)。
> あとは わたしにとっては論外のひとがいましょうか。
現時点では、いないかと推察しております。
> AXISさんの“「ストーカー」と言うだけの知恵はあるようなので”の発言に対しまして
まず、「外道」につきまして、愚生はこんな偉そうなことをほざいておりましたでしょうか。申し訳ございませんでした。お恥ずかしい限りでございます。
「ストーカー」の件なのですが、つまりここでは「ストーカー規制法」のことかと思われますが、以下の文言のように“恋愛感情”を持っていることが必要かと考えられます。ですが、AXISさんの文章を読んでみましても、“恋愛感情”は見出されないのです。つまり、「ストーカー(規制法)」とは何ら関係のないものかと察せられます。
もしかしますと、単純に錯誤があったのか、もしくは(特に悪意は感じられないため、考えたくはないのですが)試されれたのかもしれません。
「規制対象となる行為を、公権力介入の限定の観点から、恋愛感情に関するものに限定する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88% …
実際、条文にて確認をしてみましたが、その箇所が見つかりました。
ストーカー行為等の規制等に関する法律
(定義)
第二条 この法律において「つきまとい等」とは、特定の者に対する恋愛感情その他の好意の感情又はそれが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で、当該特定の者又はその配偶者、直系若しくは同居の親族その他当該特定の者と社会生活において密接な関係を有する者に対し、次の各号のいずれかに掲げる行為をすることをいう。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO081.html
ご質問内容とは関係の話に終始してしまいましたが、以降は新たなご質問の方に、お伺いさせていただこうかと考えております。
それでは、よろしくお願い申し上げます。
ひどっちさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。
製薬会社での研究所においてご教授されているといったふうに――あぁ イメージだけで受けとめていたのでしょうか――思っていました。申し訳ありません。ほんとうに先生でいらっしゃるのですね。でも呼び方は 変えないでおきます。みな同朋の思想において。
ストーカーは 恋愛感情に関するものに限定する ですか。
でしたら ここで荒らしとしてしつこく食いついて来るような場合 何か言葉を考えたほうがよいかも知れません。ダニがあるにはありますが。
その関係で 相手先のほうですが 例のサディズムのサドをえらく持ちあげているようでした。そこでわたしは去ったわけで ちょうどよいころ合いだったかと思います。
この質問は 見落としがないかを固める意味合いが大きかったでしょうか。
ほかの方から投稿があるかも知れませんので もう少し開いています。
No.24
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、どうもありがとうございました。
Hidocchiでございます。> いえ もっぱらのアマテラスお二階さんが どこまでその尻に火がつくかという俗っぽい観点からわたしは見ています。
どうなのでしょうか。お二階さんにつきましてはそれはそれでいいとしまして、産業上の損失は結構甚大なものかと思っているのですが(本社が東京に集中しておりますし、その近辺例えば住金工場の火災等の問題でございます)…….
> ところが今度の《玉音放送》は なぜか力なく 隙間風が吹き抜けて行ったのではないかとさえ思われるような影のうすいものだったのではないか。
やはり、天皇陛下自らが被災地にご訪問された方がよろしいかと考えております。それにしましても、最近、雅子妃の醜聞を耳にすることが多くなりました。
サイコロ様からのご回答につきまして、以下に愚見を述べてさせていただいております。
確かに、アマ様と荒れました。今は削除されていますが、「通報して、bragelonne様と愚生のID削除してもらう」とか(別段、当コミュニティーの利用規約に反することはしていなかったつもりですが)、最後には、「誹謗中傷の攻撃を、ウ○病のひどっちさんが、一緒に始めてしまった。これをわたしは嫌いました。ウ○病の病理というのはね、苛めの加害者になるということの自覚ができないんです。」とも叫ばれました。
どこが誹謗中傷なのか全く理解できませんし(そのとき、偶然居合わせましたリトルキッス様ならご存知かもしれません)、そもそも、人数的にこちらの方が圧倒的に不利な立場だったかと記憶してございます。
従いまして、おそらくアマ様との修復は極めて困難かと考えております。
全く勝手ながら、 サイコロ様からご回答がございましたので、 以下の欄をお借りいたします。幾度も、誠に申し訳ございません。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
サイコロ 様へ
アマ様との対話を望んでおられるサイコロ様におきましては、そちらを優先してくださいませ。愚生は回答を慎ませていただきます。
今回、回答しようとしていた内容も、“美の無関心性(作品それ自体が快をもたらす)”と“「美」には「快」の存在が十分条件ではないが、必要条件である”といったものであり(主に、カントの「判断力批判」から影響を受けています)、おそらくアマ様とは甚だしく意見が異なるものかと推察しております。つまり、二人が同時に回答しますと、荒れるのは必至かと予想しております。
繰り返しとなりますが、サイコロ様に対しましては、Hidocchiからの回答は金輪際一切しないことを、硬くお約束いたします。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
bragelonne様
サイコロ様に対する内容が主になってしまい、申し訳分けござませんでした。深くお詫び申し上げます。
ひどっちさん めまぐるしく情況が変わってしまって わたしからの言葉としましては――それより前に ご回答をありがとうございます―― わたしは今回の《後日譚》騒動につきましては 機会を広げられればと考えましたという一点になると思います。
前々からでしたが ちょとつのおっちゃんは よほど相い対する態度が おかしい。まともに話を わたしに対しては出来ない。何故かは必ずしも分かりませんが――わたしの思想が 自虐的だからというふうに推し測られるかとも思いますが―― とにもかくにも わたしとまともに向き合ってはもう話しが成り立たない状態に成りました。よって わたしのほうから去ります。
そのおっちゃんの文章を徳があると褒めています さいころくんは。ならば まわりまわって そこからは サンダルの底の塵を持って帰るようなことなく払い除いて やはりわたしはわたしから去ります。
あとは わたしにとっては論外のひとがいましょうか。
こうお伝えします。
No.23
- 回答日時:
「思いやり」で意識が下ばかり行くのは外道。
サイコロがいくら偽善者ぶって、本人もその気でいたとしても外道は外道。
「思いやり」で弱者を弄繰り回すのは逃げ。
上ばかりでも下ばかりでも外道。
しかしゴキブリを追い掛け回したつもりが「ストーカー」と言うだけの知恵はあるようなので、文献学者とはいえ 一応ゴキブリ以上のようです。
せっかく投稿して来てらっしゃるので ふたつ思うところを述べます。
★ 偽善者
☆ いえいえ はっきりと悪の部分を露出していますよ。探してみてください。
★ 外道
☆ わたしは いわゆる仏教のどこかにそういう目でほかの信仰および宗教を見る習慣が残っているのではないかと思っているのですが ひどっちさんに それは 基本的に言って(理論として)まちがいだとさとされました。ただブディズムの外(そと・ほか)の信仰という意味に取るべきだと。
単純に《外道》というののしりの言葉に成り下がっている場合もありますから あまり使わないほうがよいと考えます。
★ 知恵はある
☆ と言いますか もともと多少の悪をみづからの生活に許容しつつ あたらしい社会の力と旧い勢力とのぶつかり具合いをながめているといったところではないでしょうか? つまり そこにおいてその社会的な力学だとかあるいは世間のいわゆる知恵は わきまえているようです。
わたしは 模索しているところかとも思ったりしましたが。
★ 「思いやり」で弱者を弄繰り回すのは逃げ。
☆ うまいことを言いましたね。(すこしどこか直すところがあるようにも思いますが)。
互いに精進してまいりましょう。
No.22
- 回答日時:
こんにちは、bragelonneさん。
●気まぐれと相手に対するウヤマヒの無さとはちがうんでないかえ?
ふむふむ、ベルニーニ作品をもうちょこっとよくみてみましょう。
● 『Le Estasi di Santa Teresa』 ~~~
http://maszo.exblog.jp/8021496/
左の手はすでに下へ垂れているけれど、右足はかろうじて岩にかかっています。うーん、ここがミソなのかなぁ。ま、それはそれとして、つぎ、左足はといえば服の布で判りづらい。右足同様に踵がかろうじて後ろの岩にかかっているのでしょうか、どうでしょう?うん、今椅子に座りながらこの絵のポーズをとってみましたが、岩に踵がかかっていなかったら、このポーズをとるのって結構辛い。足に力が入る。ならば、足の力が抜けていくとすると当然ダラリとダラリの帯のように垂れ下がることだろうに。
http://www.google.co.jp/images?um=1&hl=ja&rlz=1T …
膝と足の甲の曲がり具合が直角とはいえないまでもそれに近い角度になっている。岩に踵がかかっていたら逆にこの膝と足の甲の曲がり具合を直角に近い角度をとることで足の力が抜けていても足に力が残っているかのように見せることが可能となってくる。錯覚?誤認?判断が分かれるところ。生と死の境目?
タイトルは「聖テレジアの法悦」とあり、作品は聖女テレジアが神と出会い、その喜びに満たされる奇跡の場面。とWikipediaには記されていたが腑に落ちない。作品は遠のいていく意識の中で、踏みとどまろうとするこころと逝くこころの鬩ぎ合い、こころの葛藤とみることできませんか?
鑑賞者であるわたしはこの作品を鑑賞するなかで沸々と疑問がわく。岩に左足の踵がかかっているのか?足には、いや、横たわるこの人物には、生きようとする気力が残っているのか。死に逝く者の姿と見ればそう見ることもできもするが、左足の踵が岩にかかってないのなら精も根も尽き果てようとする中にあってもまだなおわが身の一部がこわばりを覚えるのではないか。膝と足の甲の曲がり具合が直角に近い角度にあることが眠っている力があると、生きようとするサインではないのか。
写し鏡。
感情と合理性の葛藤
http://www.iser.osaka-u.ac.jp/~saijo/pdffiles/20 …
無意識
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E6%84%8F% …
こんにちは。りとるきすさん。ご回答をありがとうございます。
まづ 現金(預金でもよい)100(単位は 万円でも億円でも)をもって資本金として事業を始めます。これから役に立つものは まづ――理屈抜きで――左側に記入します。それに対応するものは 右です。
[資産]現金預金 100 | [資本]資本金 100
これで PC 20を買ったとします。店まで電車で行ったとして。費用は 資産が収入を得るのに役に立ったそのものだから やはり左に来ます。PC はこれから役に立つので 左です。
[資産]備品 21 | [資産]現金預金 21
[費用]交通費 1 | [資産]現金預金 1.05
[資産]仮払消費税等 0.05 |
PC で何か文書を仕上げて 商品として売った。売上高40。売上は 費用の反対だから 右。
[資産]受取手形 42 | [負債]仮受消費税等 2
| [収入]売上 40
ここまでを試算表としてまとめれば:
[資産] | [負債]
現金預金 77.95 | 仮受消費税等 2
受取手形 42 | [資本]
仮払消費税等 0.05 | 資本金 100
備品 21 |
[費用] | [収入]
交通費 1 | 売上 40
______________________________
計 142 | 142
この状態で 消費税等を納めるとすれば
仮受消費税等 2 - 仮払消費税等 0.05 = 1.95
これだけを納税します。その分を売上に際して預かっていたという意味です。
No.21
- 回答日時:
おはようございます、bragelonneさん。
☆ 《法悦》というのは 次の彫刻です。あなたは どう見ますか?
↑
「どう見ますか?」って、いや、そういわれてもなぁー (-_-;)uuu…
八卦見じゃないってばさぁー
それは見れないけど、見るのは見てますよ、決算書を
検算 検算 見参!?
●ベルニーニ作品は 下に垂れた片方の手とそしてやはり片方の足…
↑
勘定科目の「右」と「左」とみた!
http://itzei05.blog62.fc2.com/blog-entry-2.html
ホント、左手垂れてます下へ
見れば左のお足も垂れてます下へってか???
※収入と負債は、費用や資産とは反対のルールになります。
左側に金額をかいたら「減る」、右側に金額をかいたら「増える」、と逆になります。
たしかに… 頭の中がこんがらがってしまいそう (-_-;)uuu…
あー ややこしやぁー ややこしやぁー
森の生活
http://www.soumunomori.com/about/
「ソローの牢獄」
https://qir.kyushu-u.ac.jp/dspace/bitstream/2324 …
「投票税」
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bull …
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bull …
ツツ
http://aboutusa.japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-pu …
No.20
- 回答日時:
最後になりそうなので、投稿してみることにしました。
おっしゃるように、「和をもって尊しとなす」が常に適切に作用するとは限りません。抑圧の言説として働くこともあります。何しろ、管理する側にしてみたら、和を尊重してもらった方が楽なのです。しかし不当な抑圧には自由がないでしょう。したがってマナー違反ということではなく、正当な抵抗なら、闘争で自由を勝ち取るのは正しいと言えると思います。ただし、難しいのは、何にでも抵抗するのが、当人のためになるとは限らないということです。というのも、大雑把にいって自由には、二種類あると私は考えています。一つは、和をもって尊しとせず、争ってでもつかみとる自由。もう一つは何の争いもなく手にできる自由。前者は持たざる者にとっての自由であり、革命などをイメージすればよいでしょう。後者は、貴族が嘯く自由です。しかし貴族的自由の言い分にも理があるのです。画家のドラクロワは、美食外交で知られるタレーラン伯爵のご落胤とまで噂されるほどで、上流階級に属しますが、次のように述べています。
>そういう自由、いくつもの戦闘を通じてやっと贖われた自由などというものは、まったく自由ではありません。自由とは安穏に往来し、じっくりものを考えることなのですから(1845年ジョルジュ・サンド宛ての書簡)
闘争関係に陥ると、気楽さが失われますが、彼にとっては、気楽さこそ自由であったのです。もちろん彼は「民衆を導く自由の女神」の作者です。したがって、何かが変だと思われるかも知れませんが、どうやら、それは若い時の一作であり、例外的であるようです(阿部良雄著『群衆の中の芸術家』)。1845年という年月は重要で、この後の1848年の革命を予兆しての不安として読めます。大革命の伝説には熱狂したが、いざ自分たちの革命が迫ってくると、本音のところでは「気楽さ」がよいというのがドラクロワであるわけです。
しかし、同じように考える人は多いでしょう。アマテラスに反対するように何千年も前に敷かれた抑圧体制を問題だと感じるとしても、やはり自分の幸福とは何かを考えざるを人は得ないでしょう。
そして特に現代では、闘争する理由というのも、かなり微妙なのです。たとえばある問題について抵抗するとして、エゴイスティックなクレマーなのか、自由を獲得するための闘士なのか――時としてわからないと言えます。というのも、絶対的な悪はなく、打ち倒すべき大いなる敵が曖昧だといえないでしょうか。時代劇やアニメのように、悪代官や悪の秘密結社があるわけではありません。ブッシュが「正義」という言葉を連発しましたが、彼の正義は悪を措定することでしか成立しませんでした。闘うにあたって絶対的に正しいことなど、あまりないといえませんか。
たとえばブラジュロンヌさんはアマテラスを敵としていますが、私の率直な感想をいうと、今一つ焦点を結びません。ご著作の経歴を見ると、ブラジュロンヌさんご自身は旧帝大の出身です。仕事をなさっても、よい地位につけたでしょう。アース役だとしても、万年平社員ではなかったでしょう。社会的には中流より上に入るのではないでしょうか。
かくして、闘争に関しては消極的になるのが、現代の風潮であるでしょう。しかし消極性であったとしても「われは堂々と立派にまともに真面目に地道にふつうによく生きた」と述べることと両立するように私には思えます。そうであるからこそ、闘争より「思いやり」って大切だなと私は思いますし、そういうことを正面切って言える方が、カッコいいと思うのです。かくいう私は文献の蔭に隠れてしか言いませんし、言えませんけれど。正面切って勝負するのは、思想家に頑張ってもらいたいと思うところです。理想の押し付けでしょうか。
追記)ヒドッチさんへ
ヒドッチさん、慣用句でも「鬼」はよくないですよ。こういう風に神経を尖らせるのを過剰だとお笑いかもしれませんね。しかし、私はそれほどに雨合羽さんは傷ついたと思っているのです。鬼はよろしくないでしょう。しかも良くないことが自分でわかっておいでだから、「オ○」などと伏字にしていますね。すみませんが、私のところに来るのは、ご遠慮してください。上記のこととも関連しますが、私はあまり有能な管理者ではありませんから。
信念に従って 存在は別としますが あなたの文章とチョトツのおっちゃんの文章は ともにわたしにとっては要らないと判断しました。
一方的に伝えるということは わたしの思想ではありませんが この際そのほうがふさわしいと考えました。
No.19
- 回答日時:
短い表現で畏れ入りますが、御邪魔を致します。
『「建て前」での尊崇が元々身分制度の上位階層から押し付けられていた』
という事情から類推しますと、
『本来の日本的な「尊敬」には
「御互いの称え合い」の発想が比較的に乏しいのではあるまいか』
と思われるのですが、矢張りその解釈は誤っているのでしょうか?
おおしまさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。
わたしは まったく間違っていると考えております。
考えてもみてください。
いまちょうど あなたはわたしに対して しかるべきウヤマヒの心でお話してくださっているではないですか。
この質疑応答の場では いろんな人たちがいますが ウヤマヒがおこなわれているのが 日本人の基(もと)いであり礎(いしずえ)であるのではないでしょうか?
★ 「御互いの称え合い」
☆ と言うと 何か特別の振る舞いについてその誉れを称えるという感じを持つのですが それゆえ生活日常においては ウヤマヒという言葉をわたしは用いますが このウヤマヒ合いは まったくふつうにおこなわれていたし おこなわれて来ていると考えます。
そしてほかのところで述べましたが まづこのヱブ上では 普段の同輩どうしのウヤマヒ言葉でじゅうぶんであるはずです。そこをさらに 仮りにもしこの場で 相手が何らかの地位や身分の上の人であったとしたら どうその言葉づかいをすることになるか?
何ら変わりませんか?
でも 中には変わるという場合もあることでしょう。つまりは そのような・基礎としてのウヤマヒ語法の上にさらにその人間関係を気にした語法が用いられることがある。これが そのとき相手を持ち上げるかたちでは尊敬語法であり自分を落としめて相手を引き上げるかたちでは謙譲語法であるという敬語のナラワシだと思われます。
第一次のウヤマヒ合いとしての敬語と そしてそこからさらに二階を増築したような身分関係を気にする尊敬かつ謙譲の第二次敬語法だと見ます。
おおむねその第二次の敬語法は
★ 『「建て前」での尊崇が元々身分制度の上位階層から押し付けられていた』
☆ のでしょうが それを人びとは《くにゆづり》をして そうしたからには 相手を何はともあれ立てて その身分敬語法をもやむを得ずとしてでも飲んだ。飲んで使うようになった。
もっとも その時代には たとえば《えらい人や立派な人を直接見ると目がつぶれる》というような迷信が――これもその《えらい人》の側からカリスマをみづからに与えるために考え出されたものだと思われますが―― 出回っていたことでしょう。この迷信は ちなみに インドネシアから太平洋の島々の人びとにおそらく最近まで信じ込まれていたもののようです。
つまり このようなナゾとしての能力を持ったそのことをカリスマとして仰ぐ習慣も濃く残っていたからでしょう 言葉づかいとしても 屋根の上にまた屋根を置くような第二次の敬語法が 身分関係の確立とともに出回るようになったものと考えます。
そこへ――そのような新たな身分語法が発進したところへ―― そのお二階から《和を以って貴しと為せ》というお触れが出たときには あなた 人びとはどうしましょう?
その《和》の内容は 自分たちがいつも思っていてウヤマヒとして振る舞っているそのことでありこれをズバリ言い当てられたとき 人びとはどうしましょう?
はははぁーーっと ひれ伏しましょうか? やっぱしえらいさんは いいコトを言うなあと感心しましょうか? あんたはえらい 惚れなおしてやるよと後援会に入るでしょうか?
この情況があらたに出来上がったときには そしてそれからの日本社会では
★ ~~~~~~
日本的な「尊敬」には
「御互いの称え合い」の発想が比較的に乏しいのではあるまいか』
と思われる
~~~~~~~~
☆ と思われます。つねに相手の顔色をうかがい タテマエとホンネを使い分け(これ自体は それほどの不思議でもないと――人間社会としては――おもわれますが) 究極的には最終のお上の意向に沿って 前へならえ!も右向け右!も そのまま忠実に従順にもおこなわれるようになった。つまりウヤマヒの基礎も失いかけており 称え合いはヨイショのためにだけ――ウラではあっかんべえと舌を出しつつ――おこなわれるという情況にさえなっている。のでしょうか?
ですから
★ 『本来の日本的な「尊敬」には
☆ というその《本来の》は 普段の基礎としてのウヤマヒ合いであり それがもしあるとしたなら何故いま風潮として見られるような薄っぺらい《尊敬語法》しかないようになっているのか? と問うならば それは 身分制度の成り立ちの初めが《くにゆづり》によっているからだと答えます。
言いかえると ユヅルことをおこなわなかったなら おそらく欧米の尊敬語法のようになったのではないでしょうか? 互いに奪い合いもするが 互いに相手のよいところを称え合うというようなナラワシになったであろうと。
どちらも 人の――自由を実現することのむつかしさによる――弱さから来るものと考えます。
No.18
- 回答日時:
こんばんは、ご返答いただきまして、厚く礼申し上げます。
Hidochiでございます。> ★ なお、せっかくサイコロさんの「審美眼」のスレッドに、
愚生と致しましては、上述のサイコロ様のご説明もございましたので、アマ様が来られる前に、1、2度、ご回答をお寄せしたいと思っております(“オ○のいぬ間に洗濯”でしょうか)。
bragelone様のご説明にもございましたように、総じて、聖徳太子は知略に長けた有能な(老獪な)人物だったと推察しております。
> 《和》の由来、そして「やまと」の語源につきまして
ご教示いただきまして、どうもありがとうございました。とても勉強になりました。
> はこぶるさんが天皇制について触れていたのが やや驚きでした。
そうだったのですか、全く知りませんでした。文面を見る限りにおきましては、とても純粋な方かと推察しておりましたが。
> それにしても 大きな事件がおこりましたね。
(1) われら(?)が心の炉心なるアマテラシテが 溶け始めたのではないか?
確かに、その兆候は見られているかと思われます。一昔前(不動産バブルが弾ける前でございます)ですと、官僚、その他の類する人たちに誤りがあったとしましても、問題視されなかったかと思われます(政治家の不祥事等は頻繁にございましたが)。まさか、(大阪)地検の問題が公になるとは思っても見ませんでした。
(2) この OKWave の哲学カテゴリという場が 或る程度(部分的にでしょうが)日本なら日本の縮図であるような感じを持ちます。
はい、愚生は、現代の人たちがどのようなことに疑問を抱いているのかを知りたいがため、社会カテゴリー(時事、政治と経済)もよく目を通しているのですが、一回限りの「質問-回答」というケースが大半のように見えます。それに比べ、哲学カテゴリーでは(原則、タブーはございませんため)、結構なやりとりがございますので、意外なところまで、言及が及ぶためなのかもしれません。
(3) 大事件は 東京をも巻き込んだということが大きいように思います。
何分、世界的な大都市ですし、また中央集権化した国でもございますため、影響は大きかったかと推察しております。
(4) しかも思った以上に世界が気持ちをも寄せて来ているようで 何だか歴史が動いていることを感じさせるようです。
グローバリズムの波に従い、個人主義がかなり広まっておりましたが(これ自体を否定するつもりは全くございませんが)、一人でできることには限界があるということを改めて再認識した次第でございます。
みすぼらしい手織り職人の長男として生まれ、アメリカンドリームをつかんだアンドリュー・カーネギーにおきましも、つぎの言葉が墓石に刻まれているようです。
”Here lies a man who was able to surround himself with men far cleverer than himself.”
Hidocchi訳 ”自分より優れし者を周りに置くことができた者、ここに眠る”
一見カーネギーと言われますと、アメリカ人らしくワンマンプレーにより、のし上がったように思われそうですが、チームワークを非常に重視したとされています。今回も、各組織(コミュニティー)の連携・ 協力・ 互助の精神(特に日本人は得意とするものかと考えております)の重要性に、アメリカンナイズされた日本人も再度その必要性を認識したものかと考えております。
誠に申し訳ございません。以下は、サイコロ様へのご回答にたいするものでございます。
> 失礼ながら、ブラジュロンヌさんに同調する形で書かれているように見えたのです。
審美眼のご質問では、元々bragelonne様と意見が一致していたことが主な理由かと考えております。クリスチャニズムにおきましてもそうでございますし、ブッディズムにおきましても、ナーガルジュナの偉大さを認めているところ、また釈尊自身は宗教を説かなかったという点等は共通点かと、勝手ながら思ってございます。
> ヒドッチさんの回答は確かに優秀ですが、ご意見の芯が、私には見えませんでした。
別段、優秀でも何でもございません。もちろん、「参考になった」といわれますと、愚生も非常にうれしく思います(大げさかもしれませんが、生きてきて良かったと思っています)。
> 私としては、前の審美の話しでこじれたものを修復したいという動機で、あれを投稿したので、これ以上こじれるのは避けたかったのです。
了解致しました。この趣旨に沿ってご回答をお寄せできればと思ってございます。
駄文、最後までお読みいただきまして、どうもありがとうございました。
ときが満ちるという風が吹いて来ているかなという気持ちが いろいろにわたしにとっては現われて来ている。こう思わざるを得ないところです。物語はすでに閉じているけれども 後日譚があったというようなことでしょうか。
ひどっちさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。
★ ”自分より優れし者を周りに置くことができた者、ここに眠る”
☆ オーケストラでしょうか。
★ 何分、世界的な大都市ですし、また中央集権化した国でもございますため、影響は大きかったかと推察しております。
☆ いえ もっぱらのアマテラスお二階さんが どこまでその尻に火がつくかという俗っぽい観点からわたしは見ています。
★ ~~~~~~~~~~
(1) われら(?)が心の炉心なるアマテラシテが 溶け始めたのではないか?
確かに、その兆候は見られているかと思われます。一昔前(不動産バブルが弾ける前でございます)ですと、官僚、その他の類する人たちに誤りがあったとしましても、問題視されなかったかと思われます(政治家の不祥事等は頻繁にございましたが)。まさか、(大阪)地検の問題が公になるとは思っても見ませんでした。
~~~~~~~~~~~
☆ アマテラス公民に関しておっしゃるとおりだと思います。
アマテラシテについては このたびは人によって平成の玉音放送だと言ったお見舞いの言葉がヰ゛デオで伝えられましたね。ところがじつは 終戦のそれやあるいは俗に言う人間宣言 これらは歴史のあゆみを促すのにそれなりの役目があったと――後ろ向きの役割かとは思うのですが なくてはならなかったかと――思われます。
ところが今度の《玉音放送》は なぜか力なく 隙間風が吹き抜けて行ったのではないかとさえ思われるような影のうすいものだったのではないか。
これらはすべて根拠のない不用意な発言です。そして歴史の流れから行けば そのようにすすむのではないか。こう思っております。皇太子が雅子さんへの人格批判があったと発言したときから そしてその事態をめぐる人びとの思わくや対処の仕方やあるいは要するに くにの象徴としてのアマテラシテがひとえに世襲のもとに担わされているという制度 について人びとが考えを持とうかとするに到ったときから 土台がゆるぎ始めたというよりは 土台がはじめからなかったということが 気づかれ始めたのではないか。こんな空想をいだきました。
世襲制は 国民主権や身分や門地による差別を排する平等思想に反すると思われます。どこまでが例外かということなのでしょうけれど。
むろんつばめが一ぴき来たからと言って 春になるわけではありません。
勝手な空想が尾を引きました。吹き飛ばしておいてください。
★ 文面を見る限りにおきましては、とても純粋な方かと推察しておりましたが。
☆ はこぶるさん。経験世界の外には目を向けることをなさらないのではないか。このひとつのことのみ 要らぬことながら 気にかかっています。ナゾはすべて 《無意識》の領域なる引き出しにしまい込んでおくようなかたち? ・・・
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