哲学的、宗教的ではなく科学的な質問なのですが、老衰やガン、あるいは放射線などで何故ヒトは死ぬのでしょうか?
細胞がどうなるからでしょうか?詳しい方、お教えください。

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A 回答 (6件)

究極論的な意味では、人の寿命を永久に伸ばすことが可能かどうかという点においてはわかっていないというのが答えでしょう。

培養細胞レベルでは、多くは癌化した細胞ですが、永久に増殖させ続けることは理論上可能で、実際には凍結保存も半永久的に可能になっています。

人間(ヒト)の死として考える場合、細胞レベルのその議論とは別の難しさがあります。ウイルスや細菌などによる死がかなりのレベルで解決可能になってきている現在、癌や脳梗塞などの病気が目立ってきています。これらの病気というのは、ある意味本来の人間の体のある機能が「正常か、正常でないか」という議論に近いものがあり、つまりは「ヒトの生を維持する様々な機関が衰えてきた」とも言えるでしょう。癌なんかは、極限的には細胞集団の暴走に他ならないというわけです。

通常は、人間のからだは様々な問題に解決するような機構が備わっています。若い人が癌や糖尿病、脳梗塞などで亡くなりにくいのは統計学的なものでしょうが、おそらく若い人ほどそういうフィードバック機構が十分に機能するからだと思われます。さらに、細胞レベルの話だと、たとえば人間を構成する数兆個以上もの細胞を考えると、常に2万個程度で遺伝子変異が起こるハズですが、それらの変異を修復したり、異常が不可逆的な場合はアポトーシスや老化というメカニズムで排除することがなされているわけです。細胞分裂数が寿命と関係あるのもおそらく個体の遺伝子情報の安定性や癌化のリスクの根を摘み取るために、増殖して時間がたつといなくなるような仕組みがあるとも考えられます。結果、人類という視野からすれば、世代交換というのもまた同じ生存のための自己死プログラムなのかもしれません。

結局のところ、そもそも人間が生き続けるというのは非常に複雑な機構が、何兆個もの細胞かお互いにコミュニケーションしながら、常に栄養を取り続けてまた、不要なものを排除しつづけている状態ということなのです。その中には、予期せぬ事態にも耐えられるようなある程度の柔軟性も持ちつつも、生じるエラーや異常を監視し修正、排除する機構もあるわけで、そういうものの完全性の維持がすなわち寿命といってもいいかもしれません。もっとも、それならばその機構を破たんさせてやれば無理やり寿命を延ばすことが理論上可能になりますが、それがもたらす結果が、ある意味、将来の医学や科学が見出すものなのかもしれません。
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人は子供をつくり、先に死んでいきます。


このようにして世代交代を繰り返します。

生物はみなそのようです。
何故そうなったのか?私にはわかりません。

そのほうが、生物の発展のためには都合が良いのだと思います。
環境に適するためにそうなったのでしょうか?

生物は子孫を残して死んでいきます。
なぜそうなのか、いまだに謎です。
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人の正常細胞は寿命があります。


肝臓細胞は18ヶ月です。
赤血球は3ヶ月。

これらからすると、細胞の寿命は3年以下のようです。

DNAの中にアポトーシス(自然死)に関連する箇所があり
ここがONになり分解酵素が出現して細胞をバラバラにしてしまいます。

肝臓癌を例にとります。
癌細胞はこのアポトーシスが壊れて寿命がありません。
5年でも10年でも生き延びます。

分裂増殖は活発です。つまりは癌病巣は大きくなります。
そして、ついには肝臓機能が維持できなくなって死に至ります。
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癌とか放射線は病気で生命が維持できなくなり死にます。


老衰の場合は細胞に再生回数が決められています。

つまり、それ以上は再生できません。
人間が細胞でできている以上、細胞が再生しなければ死亡します。

細胞には寿命があります。
肝臓細胞は18ヶ月です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

細胞の再生回数限度が理由で、再生されなくなると生命として機能しなくなるということですね。


癌とか放射線は病気とありますが、これも病気によって細胞の正常な再生ができなくなるから
と考えていいのでしょうか?

お礼日時:2011/04/07 22:10

 んー・・・私の聞きかじった情報によれば(酔汗)



活性酸素に傷つけられた細胞のDNAの複製ミス(コピーミス)
からくる機能不全と、老化(細胞のコピー回数が決まっている為)
が原因なのだそうです。

因みに、正常細胞では限定されているコピー回数が
ガン細胞では無限回に変異するそうです・・・
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何時までもあると思うな親と金


無いと思うな運と災難
生有るものはいつか死ぬ
ものにはすべて終わりがくる

        爺の独り言
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Q末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 

末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。 
末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。
これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。

母がすいぞう癌だと宣告されたのはおよそ1年前です。
肝臓にも転移しており既に手遅れでした。
今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが
4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。
あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。
肺へも転移し、咳がひどいです。
今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。
急に食欲もなくなりました。
一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。
母はこれからどうなっていくのでしょうか。
苦しみが増しますか? 
意識は最後まであるものですか?
自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?
この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。

文章がうまくまとまっていなくてすみません。
少しでも心の準備ができればと思います。
宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用
が止ることになり、肝性昏睡などの様々な症状を起こします。
大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。
腎臓の機能が低下すれば……
脳の機能が低下すれば……

つまり、がんがどこにあり、その臓器は、どんな仕事をしているのか、
ということです。
何が起きても不思議ではない、ということです。

「苦しみが増しますか?」
軽くなるということはないでしょう。
出てきた苦しみを押さえるということになります。

「意識は最後まであるものですか?」
わかりません。
先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている
場合もあります。

「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」
状況によりますが、オムツということも考えてください。
尿はカテーテルを留置することになります。

残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、
「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを
しないという選択肢もあります。

末期症状は、医師や看護師がよく知っています。
まずは、医師や看護師と相談してください。

「人はがんでは死なない」という言葉があります。
がんが特別な毒素を出すわけではありません。
では、なぜ、人はがんで死ぬのか?
それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、
その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。

様々な症状の一つには、疼痛もあります。
これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。

気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。
肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む

Qなぜ「どうせ死ぬのに」、頑張って生きるのですか?

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレベルで小さな変化や成長を自分の中に感じても、他人にとってはどーでもいいこと。

何かの技術に習熟して、他の人ができないことができるようになったとしても、やっぱり社会全体から見たら取るに足らないこと。

僕が何かの資格を取ったりしても、やっぱりそれは地球全体で考えたら本当に些細なこと。


そしてそもそもの話。

どんな風に生きたとて、結局のところ人は死にます。
当たり前の話ですが。

じゃあなんでどうせ死ぬのに頑張って生きるのでしょうか。

しかも、上述したように、何か頑張って成し遂げたとしても、ほとんどが自己満足。
自己満足を超えて社会に幾ばくか貢献できたとしても、その影響は本当に小さい。。。


もしあなたがベートーベンやゴッホなどの世界クラスの才能をお持ちであるならば、その影響は大きいでしょう。
ですが、そんな人は本当に極一握り。

僕を含む、彼ら以外のその他大勢の"凡人"は、結局頑張ってもその努力の跡や功績は後世には伝わらないんです。

じゃあ、頑張っても無駄じゃないですか?


一生懸命、大変な思いをしながら生きるのって、必要なくないですか?


ただでさえ、あなたは日本や世界という基準で見たら、小さい存在で、正直いてもいなくてもいいんですよ。
あなたは後世に残る程の偉人にはならないだろうし、多くの人間に必要とされる人間にもならないでしょう。


その上、悪口を言われたり嫉妬されたり、潰されたり、精神的に辛い思いをさせられたり・・・と、色々な目に遭いながらも一生懸命生きたとして、残念ながら結局は死にます。


じゃあもう、どうせ死ぬなら生きなくてよくないですか?



・・・・っていうようなことを、ここ3ヶ月ぐらい前からずっと考えています。



自分は今20代半ばで、これまで色々とその場その場で頑張って来たつもりです。


高校受験の為に勉強して、部活では一生懸命走って、大学受験をして、そして就職活動をして・・・と、なんやかんや頑張って生きて来ました。


でもここまで生きて来て急に気付いたんですよね。


「俺、どうせ死ぬんじゃん」
「このまま生きてても、どうせ俺は後世に何年も残る偉大なものを作り上げることなどできない。つまり長い歴史で見ると俺の人生なんて何でもないんだ」


ってことを。


これまで本を読んだりして知識を付け、本人しか分からないレベルで成長したこと。
趣味を一生懸命やって、そのスキルを磨いて自己満足を得たこと。
ダイエットして痩せたこと。
何かに感動したこと。
新しい経験をし、新しいことを知って喜びを感じたこと。


これら全て、結局僕以外の人間にとってはどうでもいいことなんだなと。
そして、当たり前ですが、結局死んで無になるんだから全ては無意味なんだなと。


こんなことを最近強く思ってしまうようになったんです。


別に仕事で辛いことがある訳でも、プライベートで絶望的何かがあったとかでもありません。
恋愛で躓いているとか、他人が羨ましくて仕方ないとかでもありません。
特にサボリたいとか、その様な怠慢状態になっている訳でもありません。


単に、

「凡人が生き続けても何も残らないし、自分が何に感動し何に喜びを感じても他の人にはどうでもいいこと。 しかもいつか死ぬ。じゃあ生きてても意味なくね?」

という気持ちが急に湧いて来て、消えないだけです。


巷には

「人間関係を円滑にする方法!」
「コミュニケーションをスムーズにする為の〇〇ステップ!」
「資格試験取得への第一歩!」
「10年先を見据えた生き方をしよう!」


みたいな趣旨を唱う自己啓発本みたいなのが山のようにありますが、こんなのも正直無意味です。

結局あなたに、そして僕待っているのは「死」なんです。



・・・みたいな、「そもそも論」的な部分でしか物事を考えられなくなってしまっただけです。



こんな状態なため、ここ3ヶ月は本を読んで知識を付けようと思っても、

「どうせ俺がこうやって知識を付けて賢くなっても、結局は自己満足だ。 しかも俺より賢い人はゴマンといる。 じゃあやっても意味ないよな・・・」

って考えてしまったり、趣味に没頭しようと思っても、

「どうせ俺がこうやって趣味を楽しんでも、俺よりこの趣味に習熟している人なんて山程いる。。。 じゃあ意味ないんじゃないか・・・」

こんなことを思ってしまい、もう全てに対してやる気が失せ、情熱を燃やすことができないんですよ。



この気持ちが一向に消える気配がないので、思い切って仕事も辞めようかとも思い始めてます。
仕事を辞めて、一切の友人関係を絶ち、部屋に引きこもって餓死するまでずっと横になって生ける屍になろうかと。

冗談ではなく、本気で。


かなり前置きが長くなって申し訳ありませんが、以上を踏まえて質問です。


なぜあなたは「どうせ死ぬのに」生きるんですか?
あなたが幸せになろうが喜びを感じようが他の人にとってはどうでもいいのに、なぜそれらを追い求めて一生懸命生きるのですか?
それと(これはできればで結構です)、どうすれば僕はまた生きることを肯定的に捉えられるようになると思いますか?


これらのあなた自身の明確な意見をお聞きしたいと思います。

(回答する際はお手数ですが、年齢の方も最初に明記して下さい。 その方が回答者様の人生経験などを推測しやすいので)

20代半ば、会社員です。


最近、あらゆることに対してやる気や情熱が持てなくなってしまいました。
理由は、質問のタイトルにも書いた通り「どうせ死ぬから」というもの。


例えば・・・

自分が勉強して知識を付けても、その内のほとんどは自己満足。

仕事でその知識を使い社会に貢献できたとしても、社会全体から見たらほんの極わずか。

自分が痩せて「嬉しい!やった!」と思っても、ほとんどの他人にとってはどーでもいいこと。ましてや社会にとっては何の意味もありません。

僕本人にしか分からないレ...続きを読む

Aベストアンサー

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のことだと思います。
「生きる意味を探す」「生きる意味をつくる」というのも、立派な「生きる原動力」です。

抽象的になってしまい、分かりにくくなってしまいました。
もう少し分かりやすく言うと、私は、いのちの期限が決まっているからこそ、可能な限り、自分に与えられた人生を全うしたいと思うのです。
「生きる意味」というのは、誰かに提示されるものではなく、自分で見つける、さらにいえば、自分でつくるものだと思うからです。
だから、簡単に見つかるものではないのは当然です。
一生をかけて、向き合っていかなければいけない問いなのです。

勉学に励むことも、恋することも、友達と過ごすことも、家族をつくることも、仕事をすることも、全て、無駄なことではないと私は思います。
それらは全て、自分の生きる意味を形成するための重要な材料になるからです。

19歳女性です。

生きる意味なんていうのは、私も分かりません。
でも、「なぜどうせ死ぬのに頑張って生きるのか」の答えは何となく分かる気がします。
あくまでも私の考えです。

私は、「どうせ死ぬから」こそ、頑張って生きているのではないか、と思うのです。
もし、いつか死ぬと分かっていなかったら、ここまで生きてこられなかったかもしれない。
「死」という人生のゴールがあるからこそ、そのゴールまでの道のりを全うしたい、と思えます。
さらにいえば、生きる意味が分からないのも当然のこと...続きを読む

Q死なない方法

死にたくないので、死なない方法を教えてください。私は本気です。科学的な論拠に基づいた考察をお願いします。たとえばよくSFマンガなどで、一万年前に冷凍保存された人間が息を吹き返す、なんて描写がありますが、あれは実際に本当に起こりえる話なんでしょうか?

Aベストアンサー

数万年単位は分かりませんが、三時間なら管理された条件下での蘇生に成功したそうです。
http://www.news.com.au/story/0,10117,17649225-13762,00.html?from=rss
抜粋すると、
死亡した犬の血液を全て抜き、代わりに0℃近い生理食塩水を注入し三時間保持。その後、新しい血液と濃度100%の酸素、電気ショックを与えた所、犬を蘇生することに成功。
蘇生した犬は完全に正常であり、脳にも障害は見られなかった。アメリカの軍医の弁によれば、あと10年でこの技術を用い、ある程度死亡を防ぐ事が可能になるでしょう。とか何とか。

また、ケンブリッジ大学の生物学博士(今は遺伝学研究所に勤務してるみたいです)が寿命延長の研究をしてるそうです。
http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/4003063.stm
あと20年で人間の寿命が1000才を超えるとか何とか。SENS計画っていうらしいです。
http://www.gen.cam.ac.uk/sens/

これは上の博士の続報みたいです。
http://www.slate.com/id/2115015/
細胞分裂の限界域であるヘイフリック限界を初めとする老化・死のプロセスを7つに絞って、それらに対し多方面的なアプローチをかければ老化現象を食い止める事が可能だ。とか何とか。
あと、博士が研究してるメトセラ(メスセラか?)マウスがどうだとか何とか。批判的な意見もあるが非常に興味深い研究だとか何とか。

あと、今現在地球上で唯一の不老不死の生物がベニクラゲらしいです。
http://www2u.biglobe.ne.jp/~moozoo41/

こういうの見てると何だかその内本当に実現しそうな気がしてきますねぇ…。

数万年単位は分かりませんが、三時間なら管理された条件下での蘇生に成功したそうです。
http://www.news.com.au/story/0,10117,17649225-13762,00.html?from=rss
抜粋すると、
死亡した犬の血液を全て抜き、代わりに0℃近い生理食塩水を注入し三時間保持。その後、新しい血液と濃度100%の酸素、電気ショックを与えた所、犬を蘇生することに成功。
蘇生した犬は完全に正常であり、脳にも障害は見られなかった。アメリカの軍医の弁によれば、あと10年でこの技術を用い、ある程度死亡を防ぐ事が可能になるでしょ...続きを読む

Q生まれる前と死んだあと…

人間って生まれる前は何処にいるのですか?死んだらどこにいくのですか?僕の友達が生まれる前の記憶があると真剣に語っていたのですが…。死んだらまた新しい人間としてやっていくのですかね?

Aベストアンサー

宗教的な考え方についていけないが、生まれる前は何もなく死後にも何もない、という考えにも賛同できないという方のために、
こういう考え方もある、ということをお伝えしておきます。

この考え方は、
人間は、その「肉体」と「意識」(俗に魂とか霊などと呼ばれているもの)とからできており
「肉体」は、その誕生から死までの間だけ存在するもの
「意識」は、生前・死後も存在し続けるもの
と仮定しています。

>人間って生まれる前は何処にいるのですか?
>死んだらどこにいくのですか?

人間は、現在の「意識」として生まれる前と死んだ後は、同じところにいるそうです。
(分かりやすく言うと、俗に「あの世」と呼ばれる場所です。)
その場所は、各宗教で言われているような「地獄」のようなところではなく、「天国」や「極楽」のようなところだそうです。

この、「地獄」とは、
宗教の指導者が、生きていく上で「悪い行い」を人々がしないように、
「悪いことをするとこのような場所へ行くことになる」という例えを表現したもので、
実際にそのような「場所」が存在するのではなく、
死後の自分の魂が、生前の自分の行いを振り返っているとき、自らの行為が他人へ及ぼした「悪影響」を知って、苦しむ様子を表したもの、だそうです。
この過程は、死後、誰もが通る過程であるため、「地獄」を避けることはできないそうです。
ただ、「地獄」の過程は、永遠に続くものではなく、死後の意識が生前の悪事を「反省」すれば、普通の「あの世」へ行けるのだそうです。

この、「あの世」へは、行ったきりではなく、多くの場合、また人間として生きるため、この世へ再び生まれてくるそうです。
#5の回答に、「すぐ」とありますが、「あの世」では「時間の概念」がないそうで、そのため「すぐ」と表現されてしまうようです。人間の時間に直すと、ほぼ死の「直後」から、数百年もの間があくこともあるそうです。
「あの世」では、次の人生のための準備をしているそうですが、特別な使命のある人はその準備を瞬時に済ませ、本当に「すぐ」に生まれ変わることもあるのだそうです。
ただしそれは、いわゆる「復活」ではなく、あくまで人生の最初からやり直すことになります。
逆に、準備が出来ない場合は、ある程度の期間、肉体を持たないままでいることもあるようです。
ただし、すでに人間として十分に修行を積んでしまった魂は、もう人間として生きる必要がないため、再び生まれ変わってくることは、(ほとんどの場合)ないのだそうです。

>僕の友達が生まれる前の記憶があると真剣に語っていたのですが…。

「意識」が存在し続けているので、その「記憶」もまた、存在し続けているようです。
ただ、これらの「記憶」は、「現在の自分の記憶」と混ざってしまうと不都合なことが多いので、通常の状態では思い出せないよう、隠されているようです。
たまたま、「現在の自分の記憶」がまだ少ない幼児の頃などに、そのような「記憶」を思い出す機会が度々あった人は、「現在の自分の記憶」にもそれが記憶されるため、「生まれる前の記憶がある」という自覚があるようです。

>死んだらまた新しい人間としてやっていくのですかね?

「意識」は存在し続けるようですが、それが以前と同じものである、ということは、表面的には分からないそうです。
以前生きていたときとは、入っている肉体の性質も違うし、違う人生を生きるために、性格も違っていることがあるからです。
その意味では「新しい人間」と言えますね。
次にどんな人間になるか、どんな人生を送るかは、ほぼ「あの世」で決めてくるそうですが、どこまできちんと決めてくるかは、その「意識」によって違うそうです。

ところで、いくつかの宗教では「魂」は不滅である等の考えを否定しているものがあります。
それらの宗教は人間が生きていく上で非常に厳しい気候・風土に根ざしたもので、
再びそのような厳しい「この世」に生まれて来ることなど、辛くて考えたくない、という人々にも教えを広めるために、
「死後は再び生まれ変わることがない」という考え方を取り入れたようです。
「生まれ変わることはない」のですから、いわゆる「前世」も、存在していてはいけないのです。
起こっている現象は同じことなのですが、それを表現する人のとらえ方・表現のしかたが異なるため、まるで違うことを言っているような、大きな相異が起こっているようです。
この「違い」のために、過去のみならず現在も、多くの人間の命が失われていることは大変に嘆かわしいことですが、もしかすると、それらの「違い」を理解し、乗り越えることも、われわれ「人間」の使命のひとつではないかとも思うのですが・・・。
 
以上に述べたような考えは、単なる空想だ、と片づけてしまうこともできるのですが、
ある程度の部分、「科学的に」証明されているようです。
それについて詳しくは、参考URLの本をご参照下さい。
宗教系の考え方になじめない人や唯物論者の方には、最適な参考書だと思われます。
実際、この本は、人の生死の場面に多く係わる医療系の方々や、「心の問題」を多く抱えてはいるが宗教を取り入れてはいけないことになっている公立校の教師の方々によく読まれているようです。

なお、このような考え方に賛同できない方もいらっしゃると思いますので、押しつけがましくならないよう、「自信なし」で書かせていただきました。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569627943/qid=1105365406/sr=1-3/ref=sr_1_10_3/250-2739906-7833016

宗教的な考え方についていけないが、生まれる前は何もなく死後にも何もない、という考えにも賛同できないという方のために、
こういう考え方もある、ということをお伝えしておきます。

この考え方は、
人間は、その「肉体」と「意識」(俗に魂とか霊などと呼ばれているもの)とからできており
「肉体」は、その誕生から死までの間だけ存在するもの
「意識」は、生前・死後も存在し続けるもの
と仮定しています。

>人間って生まれる前は何処にいるのですか?
>死んだらどこにいくのですか?

人間...続きを読む

Q母の死

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。

その日の朝は朝一番で近くの神社に行き、神主さんに祈祷をして頂きました。家族と病院に向かう途中「痛いのは胃だと言っていたので、最悪胃がんかも知れない、しかし、胃がんであれば手術が間に合うかもしれないし、今日はその説明かも知れない」とそれだけが頭の中にこだましていました。

しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。

涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。

それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。

退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。

ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。

今年の2月に主治医から「検査の結果、抗癌剤治療は中止し、今後は緩和ケアに移行したい」と説明を受けたと母が言いました。その時に母は非常に不安になり初めて弱気になりました。

母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。
そこで、4月の初めにセカンドオピニオンとして国立がんセンターに資料を提出し、見解を聞きました。当初、母も同行する予定でしたが、すでに家から外出するだけの体力も無くなっており、私一人で訪問しました。

そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。

家に帰ると母は「どうだった?何か他の治療とか紹介された?」と聞いてきました。
私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。

母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。

実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。
退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。

私の会社は外資(アメリカ)で確かに成果に厳しく、社員の出入りは激しいです。自分自身良くこんな自分でも10年以上居れたなと思っていました。パフォーマンスの低下は精神的な影響は多分にあったと思います。会社からはパッケージの提案があり、私はそれを承諾しましたが、1つお願いをしました。

それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。

会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。

1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。
その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。

母が「あんたは良い会社に入っているね」と喜んでいるのを凄く苦々しく感じましたが、一方これで一緒に入られると嬉しかったです。

在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。

そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。

そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。

なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。

感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。
同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。
宜しくお願いします。

4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。

昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。

母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む

Aベストアンサー

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。
その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。

でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言
「パパ後3ヶ月しかもたないって…」

頭が真っ白でした。
ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに…
この世に神様はいないのかと本気で思いました。
夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。
私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。
でも、ふとある時、よぎったのは
3ヶ月後は自分の誕生日……
ということ。
なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。

それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。
でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。
今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。
支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。
だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。
それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。

高校一年になってすぐ、お父さんは病気と闘いながら死にました。
今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。

お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。
当時私は私立の女子高に通っていました。
親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。
可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。
というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。
そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。
でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。
半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり…
こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。

だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。
もう一度高二からやり直すために転入しました。
今私は一年遅れの高校三年生です。
やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。

私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。
私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。
今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。
そんないまを悲観しないでください。
今は少し心が疲れてるんです。

こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。
そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。
私がそうだったように。

人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。
それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。

壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。
だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。
努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。

最後にあなたは一人ではありません。
苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。

そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。
だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。
長文失礼しました。

はじめまして。

今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。

私のお父さんも膵臓ガンでした。
あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。

私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。
三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。

何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔…
今思えば自分は本当に幼かった
そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む

Q眠るように死ぬ方法ってあるでしょうか?

あくまで健康な人が眠るように死ぬ方法、または眠ったまま二度と起きないという風に死ぬ方法ってあるでしょうか?
これは自殺志願のための投稿ではなくて、自分もいつか死ぬわけですからこんな死に方ができたらいいなと思っています。
医療の現場で行われる安楽死・尊厳死ってこういう方法なのでしょうか?またはこれに近いでしょか?

Aベストアンサー

「突然死」という言葉を聞いたことがありますか?
昨日まで元気だった方が、朝になっても起きてこないので、見に行ったら死んでいた。
こういう事例はよくあるそうです。
10年以上前になりますが、兵庫医大の法医学の教授の講演を聞きました。
テーマは「突然死」
突然死のおよそ80%は、虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞など)だそうです。
その中で、就眠中に亡くなるのは、およそ65%くらいだそうです。
急性心筋梗塞でも「眠るように」とはいかず、ある程度は苦しんだ末に亡くなるのでしょう。
私も、眠るように死ねればと思っております。
回答になってなければ、ごめんなさい。

Q人間の3大欲とはなに?

この質問は このジャンルでふさわしいのかどうかちょっと迷ったのですが・・・。

人間の 3大欲といわれるものがありましたよね。
あれは 食欲と 後はなんでしたでしょう?

また その「人間の3大欲」という言葉は
誰が 言い出したのでしょうか?

Aベストアンサー

人間の三大欲望は
食欲 睡眠欲 性欲 です。
食欲は,物を食べ,エネルギーにする事。
睡眠欲は,睡眠をとり,脳を休ませること。
性欲は,トイレで用をたしたり,エッチをしたり,する事
この3つはある程度は我慢が出来ますが,人間が生きていくためには必ず必要なことです。欲望というより,必要不可欠なことです。
でも、このことを言った人はわかりません。昔からの言い伝えではないでしょうか?

似たような語で,「衣・食・住」これは、生活の上のことです。

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q身近な人の死を体験した人の心理状態

親友が先月、母親を病気で亡くしました。

1ヶ月ほどたった昨日、突然メールが来て、「人は何のために死ぬんだろう?」と一言だけ書いてあり、私は「生命の重さと愛の深さを伝えるため」ということなどを含め、丁寧に返信してあげました。

すると、「ありがとう。救われた気がする」という返信は来たのですが、ちょうど私がメールを送信した頃に途中まで打っていたというメールを、あとで参考のために送信してきたのを見て、驚いてしまいました。

そこには、「母親の闘病生活の中で、医者から覚悟しておいたほうがいいと言われて、その時点で生命の重さは十分に分かったはずなのに、なぜ私だけがこんな目にあわなければいけないの?世の中にたくさんいる犯罪者や親不孝者が、なぜのうのうと生きているの?その人たちこそ悲しみを味わうべきよ!」という内容のことが書いてありました。

たまたま私が先に送ったメールで落ち着いたというものの、世間に対する恨みや怒りが湧き上がってくるのは、感情的になりすぎているような気がしました。
何より、自分だけが不幸だと思う感情にさいなまれている彼女がかわいそうでなりません。

世の中にはもっと不幸な人が大勢いるのに、自分だけが不幸に思えるようです。

大切な人を亡くしてしまうと、こういう心理状態になってしまうものなのでしょうか?
だとすれば、私にできることって何なんでしょう?

親友が先月、母親を病気で亡くしました。

1ヶ月ほどたった昨日、突然メールが来て、「人は何のために死ぬんだろう?」と一言だけ書いてあり、私は「生命の重さと愛の深さを伝えるため」ということなどを含め、丁寧に返信してあげました。

すると、「ありがとう。救われた気がする」という返信は来たのですが、ちょうど私がメールを送信した頃に途中まで打っていたというメールを、あとで参考のために送信してきたのを見て、驚いてしまいました。

そこには、「母親の闘病生活の中で、医者から覚悟してお...続きを読む

Aベストアンサー

こんにちは。
18歳の時に父親を亡くしました。(6年前)ですので、経験者として回答させていただきます。

さて、ご友人に対してpuentedecorazonさんがしてあげられることについてですが、ご友人の心の状態をしっかり見つめて支えていくことが今は大切なんじゃないんでしょうか?
できれば
>何より、自分だけが不幸だと思う感情にさいなまれている彼女がかわいそうでなりません。
>世の中にはもっと不幸な人が大勢いるのに、自分だけが不幸に思えるようです。
というような気持ちは押えて、彼女の不安定な感情を受け止めてあげてほしいな、と思います。

もしもpuentedecorazonさんが「世の中にはもっと不幸なひともいるんだよ?」とご友人に説明しても、「そうか、私はまだまだ幸せなほうなんだ。」とは思わないと思います。
むしろ「やっぱり私にしかこの気持ちは分からないんだ」と、心を閉ざしてしまう可能性もあります。
実際、私はそうでした。

私の父も9ヶ月の闘病生活の上で亡くなりました。心構えもしっかりできていたつもりです。
でも、父の心臓が止まった瞬間のことは未だに忘れられません。
足元が本当に崩れて、自分が砂になってボロボロこぼれてるような感覚でした。
悲しい、なんてものじゃ表現できないような感情なんです。
その時の感情は。。。やっぱり表現できませんね。不安や怒り、悲しみ、ものすごく辛い気分になったり、投げやりな気分になったり…とにかくいろんな感情が渦巻いていたような気がします。
私の弟は、父に対して怒りをぶつけていました。
感情をどう表現したらいいのか分からなかったのでしょう。「死にやがって!」と言いながら、よく壁を殴っていました。

>たまたま私が先に送ったメールで落ち着いたというものの、世間に対する恨みや怒りが湧き上がってくるのは、感情的になりすぎているような気がしました。
普段はそうでないご友人が、世間に対し恨みや怒りを抱いてしまうということは、それだけ悲しくて仕方がないのだ。とは思えませんか?
ご友人の話を心から聞いてあげてください。それがどんなに理不尽な事を言っていても、です。
私は、そうやって話を聞いてくれた友達のおかげで立ち直ることができました。

失礼な事も申し上げたかもしれません。お気を悪くなさらないでください。
参考にしていただけたら幸いです。
puentedecorazonさんも、ご友人のためにがんばってあげて下さい。

こんにちは。
18歳の時に父親を亡くしました。(6年前)ですので、経験者として回答させていただきます。

さて、ご友人に対してpuentedecorazonさんがしてあげられることについてですが、ご友人の心の状態をしっかり見つめて支えていくことが今は大切なんじゃないんでしょうか?
できれば
>何より、自分だけが不幸だと思う感情にさいなまれている彼女がかわいそうでなりません。
>世の中にはもっと不幸な人が大勢いるのに、自分だけが不幸に思えるようです。
というような気持ちは押えて、彼女の不安...続きを読む

Q知ってる人が死ぬとどうして悲しいのですか

知らない人が死んでもなんとも思わないのに、
知ってる人が死ぬとどうして悲しいのですか。

教えてください。

Aベストアンサー

こんにちは,

 知っている人が死ぬと悲しいのは,

その人との関係が深かったから.

その人を愛していたから

その人と過ごした時間が二度と繰り返されないことがどうしようもなくつらく惜しまれるから

その人と過ごすはずだったかもしれない時間,
その人とするはずだったこと,
それをすることはもう二度となく,
あれもしておけばとか
あの時ああ言えばとか
もっと一緒に過ごせばとか,
大切にすればとか

失われてしまったものを惜しむ気持ちと自分がもっと何かできたのではという後悔.

不全感がのこるのかなぁ.


心理学的に,配偶者の死は,個人にとって最大のストレスイベントと位置づけられています.

喪失体験や悲嘆の研究がされています.

勉強不足であまりお答えできませんが,
本もありますので,関心があれば読んでみてください.


『悲しみに言葉を―喪失とトラウマの心理学』

喪失研究入門―なぜ悲しみに言葉を与えることが必要なのか
用語の定義、解釈作りの視点
親しい人の死による喪失
離婚・離別による喪失
理不尽な暴力による喪失
戦争や大量虐殺による喪失
病気や事故による喪失
貧困、ホームレス、失業

『悲しみを超えて―愛する人の死から立ち直るために』


他の人の回答をあまり読んでいないので,回答が重なっていたら申し訳ありせん.


ちらりと目にとまったのですが,

知っている人が殴られたらつらいですが,知らない人が殴られていてもつらいです.

知っている人が死んだら悲しいけれど,

知らない人が死んで,悲しんでいる人を見たら自分も悲しいです.

想いが残るからというのは,とても深い意味を持っているように思います.

一言にすべてを含んでいるというか・・・.

相手に対しても,自分に対しても,未来に対しても,過去に対しても

すべてに対して想いが残る.

想いが残るとなぜ悲しいのでしょう.

達せられなかった,出来なかったこと,しなかったこと
したことすべてに後悔があるからなのかなぁと思います.


想いが残らなければ,知っている人の死も,諦められたりするのかもしれません.


悲しんでいる人は,みんな想いをいだいているのではないかなぁ・・・・.と思ったりします.


たとえば,心理学の説に,ジェームズ = ランゲ説というのがあるんですが,この人は,
『悲しいから泣くのではなく,涙が出るから悲しいのだ』といった人です.

つまり,生理的な反応が起こり,情動がラベリングされるという考え方ですね.

環境に対する身体的な反応こそが情動体験を引き起こす原因であるというのが彼の主張.


喪失体験→悲しい→涙でなく
喪失体験→涙→悲しいという考えです.

生体に情動反応が起こるのは,個体の維持や,個体を危機から守るためとも考えられています.

そうすると,質問者様が悲しいのは,質問者様の生体を守るためと言えます.

個体は,よりよい状態を求めるように動機づけられています.

知り合いを亡くすことは,自分にとっての損失となるので,生理反応が起き,情動がおき,その情動状態は個体を適応的なもの(たとえば,援助を求めるなど)へ
導くために起こっているとも考えられます.

質問者様の,知っている人を亡くしたらつらいのはなぜ?と理論的に理解しようとするのも,
質問者さまが適応的な状態へと動機づけられているからなのかなぁと思いました.

情動体験を知性化することで,感情から遠ざかろうと・・・・.

知性かも防衛機制の一つです.

私個人としては,悲しみを生理反応としてとか捉えても
苦しみは軽減しないと思っています.

そして,つらいこと,苦しいことがあれば,
これは何か意味のあることだ.
でないとこんなことあるはずないと思うのは,喪失体験をした人には当然の反応で,
その意味を探すことに必死になって,立ち直れなかったりすることも・・・.

意味を探すのではなく,徐々に受け入れられるように・・・.

今は難しいかもしれませんが,質問者様の痛みが,
いつか質問者様になじみますように・・・


なんの参考にもならないかもしれませんが・・・.

こんにちは,

 知っている人が死ぬと悲しいのは,

その人との関係が深かったから.

その人を愛していたから

その人と過ごした時間が二度と繰り返されないことがどうしようもなくつらく惜しまれるから

その人と過ごすはずだったかもしれない時間,
その人とするはずだったこと,
それをすることはもう二度となく,
あれもしておけばとか
あの時ああ言えばとか
もっと一緒に過ごせばとか,
大切にすればとか

失われてしまったものを惜しむ気持ちと自分がもっと何かできたのではという後悔...続きを読む


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