ハルノートのハリーホワイトはソ連のスパイ?
youtubeでチャンネル桜の動画を見ました。
ハルノートのハリーホワイトはソ連のスパイだったという根拠は何なのでしょうか?
日本の戦争責任とか議論するつもりはありません。
根拠だけが知りたいのでよろしくお願いいたします。

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A 回答 (2件)

スパイ説は、昔からあるが、


・ 1948年の夏に、下院非米活動委員会において、FBIに逮捕されたエリザベス・ベントリー女史が
NKGBアメリカ支局長ボリス・ブコフ大佐指揮下の秘密工作機関について、その一員に彼の名前があったため、非米活動委員会に召還された。委員会において彼は自分がスパイであることを否定した。
(ただし、これはいわゆるマッカーシズムの影響で誇大に報道されたが、免責を得るために、かなりおおげさ、かつ不正確な証言であると後日検証されている)
このころのアメリカでは、多少なりともソ連を利する行動したものは、スパイと呼ばれる傾向あった。

ハリー・ホワイトの経歴、リトアニアからのユダヤ人移民の子ということなどから、
彼は、個人的に、ナチス・ドイツへの反感と同程度にスターリン・ソ連も嫌っており、
ソ連に征服されたリトワニア亡命政府に肩入れしており、
ハーバードで近代経済学で博士となり、ケインズの高弟として財務次官補
にまでなった彼が、ソ連のスパイとなる動機は、うすい。

ソ連崩壊後、いくつかのKGB文書、工作員の証言に
ハリー・ホワイトが登場する。あるものは共産主義を信奉する同志スパイとし、
別のものは、単に情報提供の接触対象としており、矛盾しており確証はない。
結局、1997年に 元KGB工作員パブロフがNHKのインタビューに答えたように
「ホワイトには利用するために接触したが、彼はソ連のスパイではない」
という程度ではないか。
(ゾルゲ事件で言うと、社会主義の立場からゾルゲ指揮下のスパイとなった尾崎でなく、
ゾルゲを友邦ナチ・ドイツの記者として信用し語り合った西園寺公一、犬養健に相当する)

※ソ連は独ソ戦となり、日独双方から挟撃されるのを恐れていた。
パブロフは、日本軍を満州から撤兵させるきっかけをつくるために
ワシントンでホワイトに接触。
「日本軍を満州から撤退させる」 コトの重要性をさりげなく説いたようです。
これに影響されたか???
後にハル・ノートの原案を作成したが、
その内容は、確かに関東軍の大半が撤退し、かつ、太平洋戦争は確実に回避されたであろう
ものであった。

ホワイトが書いた 「ハルノートの原案」 とされる書簡の内容は↓
日米交渉を妥結させるための条件を提示しています。
<アメリカ政府がとるべき措置>
1.太平洋からアメリカ艦隊の大部分を撤収する。
2.日本との間に20年間の不可侵条約を締結する。
3.満州問題の最終的解決を推進する。
4.英・仏・日・中・米の合同委員会で、インドシナの利益を擁護する。
5.中国における全ての治外法権を放棄する。
6.日本人のアメリカへの移民を禁止した 「移民法」 を廃止する法案を議会に提出する。たいへいようせんそうは
7.日本との貿易協定を折衝し、日本に最恵国待遇を与える。
8.向こう20年間に渡り、年利2%で20億ドルの借款を提供する。
9.ドル・円の為替レート安定のために基金を創設する。
10.在米日本資産の凍結を解除する。
11.日本がアメリカ・イギリスと同じように世界の原材料を確保できるようにする。
<日本政府がとるべき措置>
1.全ての陸海軍および警察力を中国(1931年の国境線)、インドシナから撤収する。
2.「国民政府」以外の中国における政府への支援を中止する。
3.中国に流通している全ての軍票・傀儡紙幣を円貨幣に交換する。
4.中国における全ての治外法権を放棄する。
5.中国再建の援助のために、年利2%で10億円の借款を提供する。
6.ソ連が極東の前線から撤兵する条件で、2個師団を除き満州から全日本軍を撤収する。
7.現在の戦争資材の生産量の4分の3を限度として、アメリカにこれを売却する。
8.全てのドイツ人技術者・軍職員・宣伝員を国外退去させる。
9.日本はアメリカと中国に最恵国待遇を与える。
10.米・中・英・蘭・フィリピンとの間に10年間の不可侵条約を交渉する。
そして 「日本側の利点」 として、ホワイトは書いてます。
アメリカと戦争しないで済む。
・面子を失わずに中国から撤兵できる。
・対外貿易の飛躍的増大が期待できる。
・その勢力や資本を日本の再建、満州の建設、貿易拡張に充当できる。

残念ながら、日本に余り譲歩しすぎるとして
ハル国務長官により、ほとんど却下されたが、
ソ連の影響で作成したかは、ともかく
ホワイト原案のままのハルノートが提示されたら、
いくら頑迷な帝国陸軍も、これを受け入れ、
太平洋戦争は
おきなかっただろうから、
残念と言えば、残念である\(^^;)...
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
偶然見つけたのですが、1940年から1948年までアメリカからモスクワに送られていた暗号電波をアメリカ政府が1980年に解読して冷戦後CIAにより公開されたベノナ文書というのが根拠のようです。
これによると当時アメリカ政府に300人もの共産党スパイがいてハリーホワイトもその一人だったようです。
こういう文書がでなければkusirosiさんの見解が通説になるのかもしれませんね。
スパイ同士が話をしていてもお互いを同志だと気づかないなんてことは当然かもしれませんが。
私のブログです。よろしければおいでください。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/

お礼日時:2011/04/12 11:48

ないものねだりです。

この世で馬鹿正直に自分がスパイであることを自供し、聞いてもいないことまでべらべらしゃべりだし、果ては手記や日記も残すスパイなんてのは日本人だけです。

ハリーホワイトについていえば、スパイ的行為の目撃証言があるだけです。それを根拠とみなすか根拠にならないとみなすかは質問者さんが判断すればよろしい。

ちなみに北朝鮮による日本人拉致事件を捏造だ、でっち上げだと主張していた一味は金正日があっさり認めて大恥を掻きました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ないものねだり?というのは納得できませんが、No.1さんへのお礼にて触れましたが、こういう文書がでてわかる事実というのが歴史のおもしろいところですよね。
私のブログです。よろしければおいでください。
http://nomorepropaganda.blog39.fc2.com/

お礼日時:2011/04/12 11:50

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Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Qどうして南部仏印に進駐したのか?

僕は歴史の授業で、日本軍が南部仏印に進駐したことによって米国が態度を硬化させ、ハル・ノートに至ったと教わりました。
では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

大東亜戦争は自衛のためだったとは思いますが、援蒋ルートを遮断するなら北部仏印まででよかったのではないでしょうか?

Aベストアンサー

↓の回答は、質問が求めるているものは、↓の南仏印進駐への理由とその経緯であって、それ自体やその後の事への評価や回答者の意見ではないということと、当時の日本の政府や軍人がどのように考えてしまったのか?ということであるという前提でのものです。

>では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

回答:資源の確保と援蒋ルートの遮断の為で、ビルマルートよりは簡単だと判断されたからです。

南進論自体は、スパイ(尾崎秀実)の工作だと思いますが、その細部(南北仏印への進駐)は、それに乗せられた政府と軍人によるものだと思います。

日本は、ドイツのフランス占領を契機に外交交渉をして、1940年に北部仏印に進駐しました。
それが原因で、米国は屑鉄の対日輸出を全面的に止めました。

その3ヵ月後、タイと仏印との間で国境紛争が起こります。
日本は、間に立って調停を行い、1941年タイ・フランス平和条約が成立させます。
(この功績で日本の評価が上がった事に不満な米英は、オランダ領インドシナに日本への石油の禁輸の圧力をかけました。)
その為、日本は南方に資源を確保する必要に迫られました。

一方で、英国はビルマルートから中国に支援をしていました。
このビルマルートの遮断と、南方の資源確保の為に、日本は南部仏印にも進駐する必要がありました。

日本は仏印政府と交渉して1941年に南部仏印に進駐しました。
これは外交による平和的なものでしたが、アメリカはこれを南方への侵略準備と見なしました。

参謀本部の田中第一部長は手記に「仏印、タイを我が軍事的結合圏内にすみやかに編入するため、取りあえず、仏印南部に所要の兵力を進駐させる必要がある。
その目的は全仏印の実質的把握…更にタイに、にらみを利かせ…情勢に応じてはビルマに進駐する為の基地とするにある。
これによって対支封鎖の陣形は完成される」と書いています。

また御前会議の理由書にも
「…最近米国ヲ中心トスル英米蘭支ノ戦略態勢強化…若シ帝国トシテ速ヤカニ之ニ対抗スル措置ヲ執ルコトナク…日ヲ閲スルニ於テハ…支那事変ノ 解決ハ更ニ遷延スヘク…帝国トシテハ此ノ際仏印・タイ全域ニ渉リ帝国ノ軍事的地歩ヲ先制確保スル要極メテ緊切ナリ…」
とあります。

以上から、日本の真の目的は支那事変の解決であり、仏印進駐はその為の資源確保の必要からのものです。

その支那事変ですが、戦争を仕掛けているのは中国です。
英米蘭はそれを理解せずに、被害者である日本だけに制裁をし、加害者の中国には支援をしています。
(彼らはWWIIの終戦後、朝鮮戦争やベトナムでやっと中ソに騙されている事と共産主義の危険性を理解しましたが、既に後の祭りでした。)


スパイ(尾崎秀実)の工作ですが
欧州で独ソ戦が始まったとき、日本は↓の選択を迫られました。
北進論:ドイツを助けてソ連を攻撃する。
南進論:資源確保のために南方に進出する。

ソ連のスパイである尾崎の任務は、日本を南進論に導くことでソ連が日独に挟撃されることを阻止することでした。

日本は支那事変の和平を成立させる方向で動いていましたが、ナチスドイツの快進撃を材料に、近衛と尾崎が三国同盟を締結し南進に向かわせました。

http://www.youtube.com/watch?v=5aowyJM8Cpc

↓の回答は、質問が求めるているものは、↓の南仏印進駐への理由とその経緯であって、それ自体やその後の事への評価や回答者の意見ではないということと、当時の日本の政府や軍人がどのように考えてしまったのか?ということであるという前提でのものです。

>では、どうして日本は反発覚悟で南部仏印に進駐したのですか?

回答:資源の確保と援蒋ルートの遮断の為で、ビルマルートよりは簡単だと判断されたからです。

南進論自体は、スパイ(尾崎秀実)の工作だと思いますが、その細部(南北仏印への進駐)は、...続きを読む

Q朝鮮戦争の原因は何ですか?

映画「BROTHERHOOD」を観ました。
突然に北側から攻撃が始まるのですが、この戦争の原因は何でしょうか?
主義が違うからといっていきなり同じ民族同士で戦争を始めるというのが理解できません。
また韓国にはアメリカ軍もついているわけですから、勝てる見込みもありません。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり、補給も中国を経由して確保できますから短期決戦で勝利出来る計画でした。
開戦当初は計画とうり戦車部隊を先頭にした北朝鮮が優勢でしたがアメリカ軍がその背後の仁川に逆上陸し、補給路を切断したので補給を絶たれた北朝鮮軍は敗北後退し、アメリカ軍の優勢な空軍力により中国国境近くまで追いつめられました。

緩衝地帯の消滅を恐れた中国が義勇軍を送り中朝連合軍と国連韓国連合の戦争になり持久戦となりました。

この時点で中国とアメリカの戦争になったのです。

戦争に残虐な行為はつきもので、双方の兵士、民間人を問わず戦場になった所は悲惨な運命にあいます。

朝鮮戦争はソ連アメリカの代理戦争で、日本の敗戦により北朝鮮を支配したソ連よりの北朝鮮人民共和国が朝鮮半島を統一支配する為に起こしたものです。
背後にはソ連、中国がいたのです。

アメリカは韓国を緩衝地帯としていましたからその防衛は韓国軍にまかせる方針でした。

朝鮮は確かに同一民族といえますが古くは高麗、百済、任那時代から敵対関係の時代もあり、気候風土、気質もかなり異なります。
アフリカで民族よりも氏族単位で内戦が絶えないのと同様です。

北朝鮮はソ連の余剰戦車が多数あり...続きを読む

Qなぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

なぜ戦前の日本軍は暴走してしまったのですか?

関東軍の暴走や、5.15事件、2.26事件…。
真珠湾攻撃の前には既に南方で勝手に戦端が開かれていたとか。
それから、敗戦時にも玉音放送を中止させようと陸軍のクーデターが起こるなど、なぜ戦前の日本では、軍事がコントロール不能になってしまったのですか?

当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?

※これはド素人の質問ですので、質問文中に認識違いなどがあった場合は遠慮なく指摘して頂いて結構です。その際はどうぞお手柔らかに…

Aベストアンサー

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良かったのでしょう。
内閣・国務大臣も戊辰戦争を戦ってきた人々でしたからね。

時代が進むにつれて、「統帥権」の変容したのが、軍部の暴走した要因だと思います。
大日本帝国陸海軍には行政組織の陸軍省と海軍省が有り、それぞれに大臣がおりました。
これらは内閣の一員の行政組織で、人事権、徴兵などを行政事務を行ないます。
それとは別に海軍には軍令部、陸軍には参謀部があり、軍令部総長・参謀総長がおりました。
実際の作戦立案、実行を一手に握っていました。

最初は海軍省>軍令部、陸軍省>参謀部の関係でした。
現役の軍人とはいえ、官僚ですのである程度の常識を持ちイケイケの軍人を抑えていたのですが
それに不満を持つ軍人が「天皇は陸海軍を統帥す」の文言を盾にとり、統帥権の独立を画策し始めました。
次第に省令等を改定し、海軍省<軍令部、陸軍省<参謀部の力関係になりました。
つまり、軍人の文が弱まり、武が強くなってきました。
国会議員が異議や反対意見を述べたりすると「統帥権干犯」を持ち出し、反対意見を封殺していきました。
つまり、建前上、天皇のみしか軍隊を指揮命令する事が許されない
神聖にしてだれも犯す事の出来ない武力集団に仕立て上げたのです。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/tousuikennnokannpann.htm

しかるに、昭和天皇は皇太子時代、大英帝国を訪問し、英国の立憲君主制に触れ、それを模範にするお考えが有りました。

国王・皇帝が独裁的に指揮・指示・命令をするのではなく、それを輔弼する内閣・国務大臣の政策を承認する形を取りました。
それで、天皇の名の下に、自分の都合よく相手国に武力行使を独断専行で行い、全て事後承諾で戦争へと進んだのです。
結局は、降伏か戦争継続かで意見が分かれ、収集が付かなくなり、昭和天皇のご聖断となった訳です。

>当時の米国や英国ではそうならかったということは、戦前の日本の政治体制や統治機構に何か根本的な誤りがあったのですか?
一言で言えば大日本憲法の条文にある「統帥権」でしょうね。
米国・英国の軍隊は文民統制(シビリアンコントロール)が為されていました。
大日本帝国軍の指揮系統は建前上、天皇の命令だけしか聞き入れない制度になっていました。
これを「統帥権」と呼びます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%B1%E5%B8%A5%E6%A8%A9
明治天皇のように、自から指揮、命令していた時代はそれで良か...続きを読む

Q第二次世界大戦で日本は絶対勝てなかったのでしょうか

第二次世界大戦で日本は絶対勝てなかったのでしょうか
もし日本がミッドウェーで勝利しアメリカ空母艦隊が崩壊したうちに
ハワイ・パナマを占領しアメリカ西海岸を爆撃、細菌兵器をアメリカ本土にばら撒き、
結果アメリカ国民の世論を反戦に動かし、日本が有利な形で講和できなかったのでしょうか。

Aベストアンサー

当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。
そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。

長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送・補給船団が潜水艦に攻撃されたとしても大した損害はないだろう」、「護衛は旧式駆逐艦でもつけとけばいいだろう」と考えた結果もともと少ない輸送船及び護衛艦は大損害を出し、次第に作戦遂行に影響を与え始めます。

昭和18年11月になってようやく「海上護衛総司令部」を設置し12月には護衛空母4隻を編入するなど、それなりの体裁を整えますが、主力となるはずの駆逐艦は「峯風型」や「神風型」といった旧式艦ばかりでした。

帝国海軍の駆逐艦は対潜戦闘よりも上記の艦隊決戦構想のため対艦戦闘と主眼とした装備で対潜性能が低く、狩るはずの潜水艦に逆に沈められるケースも多く、もっとも米潜水艦による駆逐艦の損害が多かった昭和19年だけでも30隻の駆逐艦が撃沈されています。

長々と書いてまいりましたが、
(1)日本海軍は開戦初頭に占領したウェーク島の補給が限界地点だといわれており、ウェークよりもさらに遠いハワイやパナマを占領し維持し続けるための輸送能力及び護衛戦力があるのか?

(2)ガトー級だけでも200隻あまりを計画し大戦中にほとんどを整備した米国の造船能力・潜水艦戦力に対抗できるのか?

(3)北方(ソ連)を重視し、泥沼の中国戦線を抱え、南方に戦力を割かなければならない状況を苦々しく思っていた陸軍からハワイ・パナマを占領し維持するために必要な戦力を抽出することが可能か?

等々、ハワイ・パナマを占領し維持するだけでも「日本軍には不可能」と言わざるを得ません。


西海岸の爆撃ともなると防弾性能の貧弱な日本軍機が、管制された雲霞のような米軍迎撃機群、対空砲火網を突破し、爆撃し、帰還出来る機体が何パーセントあるのか、など考えるだけでも恐ろしい損害を出すことが予想されます。

細菌兵器の使用に関しては昭和19年から実行された米本土爆撃作戦(ふ号作戦)で計画されたものの作戦内容を知った天皇陛下によって細菌兵器の使用が禁止されたことがあるため、今回のケースでも実行されることはないと思います。

長文失礼しました。

当時の帝国海軍及び陸軍の致命的な欠点の一つとしてあげられるのが「補給の軽視」です。
そもそも海軍の対米戦略は「艦隊決戦による早期講和」でそのために艦隊の整備を行って来ました。

長大な航続距離と偵察機を装備した「イ号潜水艦」はその典型で「艦隊決戦を行う前に敵艦隊の戦力をすり減らすため」といった通商破壊を主とするWW2での各国の潜水艦戦略とは大きく異なった運用法からも見てわかるとおり、「潜水艦はあくまで補助戦力」といった考え方から抜け出せず、米軍の魚雷の劣悪な性能も相まって「輸送...続きを読む

Q日本軍の世界的評価

戦時中の日本軍の世界的評価はどうだったのでしょうか?

Aベストアンサー

結論からいうと、「頑張ったけど、そんなもんだった」だと思います。

まず、当時は人種差別が「常識」であったことを前提にする必要があります。白人種がもっとも優秀で、黒人種、黄色人種は体力も知力も劣っている、と考えるのが当時の欧米人の常識でした。優しい白人種であれば、知的レベルが劣っている黒人やアジア人を白人が保護してやるべきだと考える人も少なくなかったほどです。
現在でも、「アフリカで作られた自動車」と聞いたら「そんなのちゃんと走るの?」と聞く人は少なくないと思います。それと同じように、当時、「日本で作られた飛行機」なんていうと「ちゃんと飛ぶのかよ・笑」というリアクションをとる欧米人は多かったと思います。

そこからすると、当時の日本はよくやっていた部類です。まず、アジアの国でありながら植民地ではなく独立国として存在していること、工業国であることです。
しかしながら、工業国といっても紡績などの軽工業が中心で、重工業国ではなかった。重工業の需要がまだ国内でさえ思うようにありませんでした。だから、当時の日本は軍需産業が重工業の牽引役だったのです。自動車全体で年間2万台程度しか生産がなく、自動車運転技術が「特殊能力」だった日本と、自家用車だけで年間200万台を生産し、自動車免許を持っているのが常識だったアメリカとの違いは比べるだけバカバカしくなるほどです。
ですので、どうしても重工業力が問われる軍需兵器の類いとなると、欧米との差は明らかです。
日本軍の主力戦車であった九七式チハタンと、ドイツの3号戦車は初期型ではカタログスペックはほぼ同じですが、後期型となると雲泥の差がついて、その原因はなにかというと、エンジンの馬力の違い(170馬力と300馬力)です。
エンジンの非力さは日本軍の宿命で、欧米の主力戦闘機が1200馬力くらいのエンジンを積み始めたのに日本では1000馬力の栄エンジンしか作れないので、ゼロ戦は軽量化を追求しました。ピックアップトラックのボディに軽自動車のエンジンはつけられませんやね。ドイツで1940年に作ったBf109のメルセデスエンジンのコピーが飛燕ではとうとうまともに作れませんでした。
重工業力の差は、大砲の性能の差になります。大型で質のいい鋼鉄を大量生産できないから、大和の46センチ砲みたいな一品モノならまだしも、師団や連隊に支給されるような大量生産の大砲となると、同じ口径でもアメリカ、ドイツ、ソ連のものに比べると射程距離も威力も落ちました。
通信技術となるともっと悲惨で、とうとう最後までまともなレーダーも性能のいい無線通信機も作れませんでした。太平洋戦争が始まる前にバトル・オブ・ブリテンでイギリスとドイツがやっていた「レーダーで敵機と味方機を追跡しながら無線で誘導して迎撃する」なんてのは夢のまた夢。1945年でも実現できませんでした。

戦前はそういった部分に対しては過小評価されていて、どうせ日本軍の戦車なんてまともに動きもしないだろとたかをくくっていたら、思いのほかあっさりやられて大苦戦、それが逆に「日本人は生まれながらにしてのジャングルファイターだ」という評価になりますが、しかし根柢にあったのは差別意識です。
日本軍と戦っていた米兵が日本兵のことを「ニップ」と呼んでいたのがその証拠です。いうまでもないですが一応説明すると、「ニッポン」と「エイプ(猿)」を合体させた造語ですし、あるイギリス兵は自分たちより劣っていると思っていた日本人に捕虜にされるという屈辱の経験を戦後にSF小説にして、それは映画化され「猿の惑星」と呼ばれたのは有名な話です。

欧米に比べれば技術面で大いに劣っていたのは否めない事実ですが、しかし当時の周辺アジア諸国はほとんどが植民地にされていたわけで、軍隊もほとんど山賊に毛が生えたようなものしかありませんでした。中国軍(国民党軍)なんてほとんど山賊ですし、紅軍(毛沢東軍)に至っては山賊そのものです。紅軍の二線級部隊は鎌や青竜刀で武装していたのですよ(本当)。
それに比べれば、ドイツやフランスより優れた戦艦は持っているわ、空軍は持っているわ、戦車は持っているわ、ですから優れた軍隊であるのは確かでしょうが、しかし弱い奴らとばかり戦って「無敵」といってもそれを評価すべきかどうか。信長の言葉を借りれば、「あれは鳥なき島の蝙蝠」というところではないでしょうか。

結論からいうと、「頑張ったけど、そんなもんだった」だと思います。

まず、当時は人種差別が「常識」であったことを前提にする必要があります。白人種がもっとも優秀で、黒人種、黄色人種は体力も知力も劣っている、と考えるのが当時の欧米人の常識でした。優しい白人種であれば、知的レベルが劣っている黒人やアジア人を白人が保護してやるべきだと考える人も少なくなかったほどです。
現在でも、「アフリカで作られた自動車」と聞いたら「そんなのちゃんと走るの?」と聞く人は少なくないと思います。それと同...続きを読む

Q民主党の国会議員には、なぜ、元在日朝鮮人が多いのか

衆議院だと、民主党の議員の3人に1人(分裂前)は、元在日朝鮮人です。
民主党の国会議員には、なぜ、元在日朝鮮人が多いんでしょうか?
考えられるのは、3年前の衆議院選挙のとき、民主党が、朝鮮総連や韓国政府から、巨額(数百億円だそうです)のワイロをもらい、その見返りとして、党公認の立候補者に、多くの元在日朝鮮人を立てた、ということです。
でなければ、こんな異常な議員構成には、なりません。
日本人にだって、政治家になりたい人は、たくさんいます。
日本人を差し置いて、朝鮮人を候補者に立てる理由としては、さしあたり、”金”しか考えられません。
また、民主党の政治家と、韓国の政治家の異常な親密ぶりは、裏取り引きがあることを推察させます。
この推論に、異論のある人は、いますか?

Aベストアンサー

「人種・民族」と「国籍」の違いが理解できない人や、
「民主党の国会議員には、なぜ、元【在日朝鮮人】が多いのか】
という質問に、
「日本人も【在日】だ」とか答えてしまう読解力のかわいそうな常連さんが湧いていますね。


>民主党の国会議員には、なぜ、元在日朝鮮人が多いんでしょうか?

回答:民主党は朝鮮人の為の政党でもあるからです。


>衆議院だと、民主党の議員の3人に1人(分裂前)は、元在日朝鮮人です。

そこまで多いかは疑問ですが、以下の理由で他の党よりは多いと思います。
(旧社会党より多いかは疑問ですが)


>日本人を差し置いて、朝鮮人を候補者に立てる理由としては、さしあたり、”金”しか考えられません。
>また、民主党の政治家と、韓国の政治家の異常な親密ぶりは、裏取り引きがあることを推察させます。

民主党は、在日韓国朝鮮人や、日教組などのサヨク組織から支援を受けています。

【マスコミが報道しない民主党の実態】
http://www.youtube.com/watch?v=sppB9R6dxMU


以前は民主党の党員には外国人でもなれました。(このような制度は民主党以外ありません)
そして、党員は党の代表選挙への投票権がありました。
(与党の場合、代表=首相 ということになります)
↑は国会で問題になり現在は廃止されていますが、↓の事から外国人の影響力が全くなくなったわけではないと思います。

【国会中継、西田議員が野田の民潭癒着を激しく糾弾】
http://www.youtube.com/watch?v=yAVJr_l0ss8&feature=player_embedded
【韓国マダンに集まる売国議員の皆さん】(白真勲・田嶋要・奥野総一郎・中後淳・加賀谷健)
http://www.youtube.com/watch?v=10T4W1AenJY
【売国奴・岡崎トミ子を追求!!】((韓国の反日デモに参加)
http://www.youtube.com/watch?v=J5Euglb42jg
【“売国的行為”土肥議員が民主会派復帰 竹島領有権放棄訴える共同宣言に署名】
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121017/plt1210171551007-n1.htm
(土肥氏は昨年2月27日、ソウルでの「3・1節」の関連行事に出席し、竹島について「日本政府は歴史教科書歪曲と独島(竹島の韓国名)の領有権主張によ り、後世に誤った歴史を教え、平和を損なおうとする試みを直ちに中断しなければならない」と記された共同宣言に署名したのだ。)

「竹島領有権主張問題 共同宣言文の骨子」
一、日本は恥ずかしい過去に対し、歴史の真相を糾明し、日本軍慰安婦、サハリン強制徴用被害者など、歴史の被害者に対する妥当な賠償措置を履行しなければならない。両国の善隣関係は、真実の謝罪と賠償が出発点となる。
一、日本は、平和憲法改正と軍国主義復活の試みを直ちに中断しなければならない。
一、日本政府は歴史教科書歪曲と独島(注、竹島の韓国名)の領有権主張により、後世に誤った歴史を教え、平和を損なおうとする試みを直ちに中断しなければならない。


他にも外国人参政権法案を何度も国会に出してきたり、
今の国会でも人権侵害救済法案を通そうとしています。(動画参照)
(そんな法案より、するべき仕事は山ほどあるはずです)

【人権侵害救済法案の廃案を訴える日本国民の会】
http://jinkenhouanhaianproject.web.fc2.com/index.html

https://www.youtube.com/watch?v=YEt5D1uxSv0

「人種・民族」と「国籍」の違いが理解できない人や、
「民主党の国会議員には、なぜ、元【在日朝鮮人】が多いのか】
という質問に、
「日本人も【在日】だ」とか答えてしまう読解力のかわいそうな常連さんが湧いていますね。


>民主党の国会議員には、なぜ、元在日朝鮮人が多いんでしょうか?

回答:民主党は朝鮮人の為の政党でもあるからです。


>衆議院だと、民主党の議員の3人に1人(分裂前)は、元在日朝鮮人です。

そこまで多いかは疑問ですが、以下の理由で他の党よりは多いと思います。
(旧社会党...続きを読む

Qなぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?

僕は死ぬほど歴史が苦手で、ろくに勉強してこなかったことを後悔しています。

最近知ったのですが、真珠湾攻撃に参加した零戦パイロットの原田要(はらだかなめ)氏(97)は、真珠湾に米軍空母はいなかったと証言しています。

なぜ真珠湾に米軍空母がいなかったのですか?偶然にしては出来すぎではありませんか?

Aベストアンサー

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました。

エンタープライズは、ウェーク島に飛行機を運んでいた帰りに母港の真珠湾が襲われたので、日本艦隊を1隻で探していましたが空振りであります。6隻もいる空母機動部隊に一隻で立ち向かうのですから、温存どころか無謀に近い勇気があるものだと感心します。

航空母艦は英語でCarrier 単なるキャリアーです。文字通り飛行機運びをしていたわけですね。で、戦艦は大事に要塞地帯である真珠湾に温存されていました。

空母が温存、どころか、飛行機運びと修理していただけでです。運んでいただけですから攻撃能力もありません。

空母しか残らなかったので、空母でしか初期の戦争行動ができなかったのが真相で、珊瑚海ではレキシントンまで沈められてしまうし、ミッドウェイでは1隻が半分こわれた状態で使われています。

情勢はガダルカナルが終わるまでアメリカにとって決して楽ではありません。

陰謀とか空母を温存しておいたというウソがこの時代になっても大手をふって出てくるということこそ、歴史を学ぶ上でひっかかってはいけないホラ、都市伝説でしかないことを、見抜けるようになってください。

その証拠に、陰謀を言い立てる人は、証拠を出すことができません。ネタとしても、もう賞味期限切れでしょう。

太平洋には3隻しか航空母艦がいませんでした。これはドイツの海軍が大西洋で活動を激化させたのと、英国への武器援助法などのほうが重要だったので、大西洋に重点的に空母を配置したからです。

太平洋にいた空母ですが、サラトガは、サンディエゴで整備をしていました。攻撃後、あわてて真珠湾に進出しましたが1月12日に真珠湾の近くで日本の潜水艦から魚雷を撃ち込まれて大損害をだし、またもや本土のブレマートンで修理する羽目となりました。

同じ型式のレキシントンは、ミッドウェイに飛行機運んでいました...続きを読む

Q安重根が伊藤博文を暗殺した理由

安重根は日本による朝鮮併合を阻止する意図で伊藤博文を暗殺した。
ところが伊藤博文は朝鮮併合には反対だった。
安重根は政治的な知識、情報に乏しくかったので、併合反対してる人間を殺してしまった。

ということですが、もしかしたら安重根は日本による併合を願ってた、ということはありえないのでしょうか?

それと、安重根が伊藤博文を殺さなければ、朝鮮併合が無かったかもしれないのに、なぜ安重根は英雄とされてるのでしょうか?

Aベストアンサー

暗殺の理由については、以下の事を日本の裁判所で語ったと言われています。

1:明成皇后を殺害した罪
2:1905年11月、韓国を日本の保護国にした罪
3:1907年丁未七条約を強制的に結ぶようにした罪
4:高宗皇帝を退位させた罪
5:軍隊を解散させた罪
6:罪のない人々を虐殺した罪
7:韓国人の権利を剥奪した罪
8:韓国の教科書を燃やした罪
9:韓国人たちが新聞に寄与しないようにした罪
10:(第一銀行)銀行紙幣を強制的に使用した罪
11:韓国が300万ポンドの負債を抱えた罪
12:東洋の平和を破った罪
13:韓国に対する日本の保護政策を糊塗した罪
14.:日本の天皇の父上である孝明天皇を殺した罪
15:日本と世界を欺いた罪

↑の内容については、シンガポールの英字新聞が発見されています。(画像参照)


>もしかしたら安重根は日本による併合を願ってた、ということはありえないのでしょうか?

理由の2と13から、それはないと思います。


>それと、安重根が伊藤博文を殺さなければ、朝鮮併合が無かったかもしれないのに、なぜ安重根は英雄とされてるのでしょうか?

今の韓国の反日教育では、当時の日本は韓国を侵略する目的で様々な事を仕掛けていたという事になっています。
なので、伊藤博文もそのような考えで動いていたとされています。
その為に、伊藤を殺した彼は英雄と言う事になります。

しかし、当時の伊藤博文は日韓関係について↓のように語っています。

【明治日本の対韓政策】(深谷博治著 友邦協会)
「日本は非文明的、非人道的な働きをしてまでも韓国を滅ぼさんと欲するものではない。韓国の進歩は多いに日本の望むところであって、韓国はその国力を発展せしむるため、自由の行動をしてよろしいけれども、ただ、ここにただ一つの条件がある。すなわち、韓国は日本と提携すべしということ、これである。日章旗と巴字旗(韓国旗)とが並び立てば日本は満足である。日本は何を苦しんで韓国を亡ぼすであろうか。自分は実に日韓の親睦を厚くするについては、自分の赤誠を貢献しようとしている。しかも、日清・日露の両大戦役の間、韓国は一体何をしたか。陰謀の外に何をしたか。戦争中は傍観しただけではないか。諸君は、日本が、にわかに来たって、韓国を亡ぼすならんと思うのは、果たして何に基づくのか聞きたいものである。
 日本は韓国の陰謀を杜絶するため、韓国の外交権を日本に譲れというた。だが、日本は韓国を合併する必要はない。合併は甚だ厄介である。韓国は自治を要する。しかも、日本の指導監督がなければ、健全な自治を遂げ難い。これが今回の新協約を結んだ所以なのである」


更に、1905年の伊藤のメモには、「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、
彼は、保護国とするのは国力がつくまでの一時的なものと考えていたと思います。


しかし、後述する義兵闘争が盛んになった為、1909年に桂太郎(首相)と小村壽太郎(外相)の併合方針を是認しました。


理由の1~15についてですが、ほとんど彼の誤解や無知によるものだと思います。

1は、閔妃殺害事件のことですが、伊藤博文や日本政府が直接関与したという資料はありません。
大院君の部下である李周會が「自分が閔妃を殺害した」と供述し、処刑されています。
それに、暗殺団は閔妃の写真を持っていたので彼女だけを殺したとされていますが、現在ではそれは別人の写真とされています。(↓動画参照)

【閔妃暗殺は内ゲバ?!~やはり真人間は生きられない韓国】
https://www.youtube.com/watch?v=Y-G5R9o8NFw



2は、1905年の日韓保護条約(第2次日韓協約)です。
日露戦争の講和条約で「日本は朝鮮を指導、保護、監督する権利を有する」という条項が基になっています。
こうなった原因ですが、朝鮮は1895年の下関条約で独立しましたが、その後もロシアに擦り寄るなどしており、このような朝鮮の行動によって北東アジア情勢が混乱しており、東洋の治安と朝鮮の保全のために、この保護条約は必要なものでした。


3は、7ヶ条の第3次日韓協約のことです。

↓が協約の内容です。
A:高級官吏の任免権を韓国統監(当時は伊藤博文)が掌握すること(第4条)、
B:韓国政府の官吏に日本人を登用できること(第5条)

こうなった原因ですが、高宗は2の保護条約を無視し、1907年にオランダのハーグで開かれた万国平和会議に密使を送り、日韓保護条約の無効を訴えました。
(これは国際条約を無視し行為であり、締結国である日本の体面を傷つけた事になります)
 これの事件で激怒した伊藤博文は、高宗に謁見し電報の写しを見せながら
【かくの如き陰険な手段を以て日本保護権を拒否せんとするよりは、むしろ日本に対し堂々と宣戦を布告せらるるには捷径なるにしかず】
と迫ったと言われています。


4の退位ですが、実は退位を最も強く迫ったのは、朝鮮の農商工部大臣、宋秉畯だった。
(皇帝である高宗を怒鳴りつけたそうです。)


5の軍隊の解散ですが、
 詔書を出したのは、純宗皇帝(高宗の子)です。
理由は、両班制度が残る軍隊は役立たずだった為と、後日に徴兵制を実施する為です。


6は、4の高宗の退位と5の軍隊解散に対して決起した「義兵」を、日本軍が殺したことについてです。
 しかし、その「義兵」は正規の条約に基づいた朝鮮駐留の日本軍を襲うなどしており、それを鎮圧するのは自衛権として当然のことです。
それに、その「義兵」は何故か、朝鮮民衆、日本人、シナ人を襲うなどしています。


7の権利の剥奪ですが、
独立しても、自立できずに1~7のような有様では仕方がないと思います。


8と9ですが、教科書と新聞の規制ですが、
1~7の結果保護国になった状況で、「反日的排他的教科書」や「反日煽動新聞」を取り締まるのは当然だと思います。


10の第一銀行券の発行ですが、
第一銀行券の使用は1905年で、伊藤統監の就任以前(1906~1909)に発行しています。
それに、それ以前の朝鮮は清国の属国だった為に通貨の発行権がなく、定額の銅銭しかないような有様で、紙幣どころか貨幣経済以前の状態でした。


11については、国債2300万円を募り、官吏の間で分配し、この時土地も奪ったと言っています。
しかしこれらは根拠がありません。


12は、大韓帝国皇帝を退位させる等の行為を言っています。
しかし、大韓帝国皇帝の高宗は、日露戦争中はロシアに通じ、外国人記者を買収し、日本軍の鉄道・電信の破壊を内密に命じる等しています。
これらは明確な日本に対しての背信行為です。
(それに、彼は当時のイギリス、フランス等の植民地の国王が同じことをしたら、どうなるか考えた事があるのでしょうか。)


13は、親日派と協力して、保護の名目で大韓帝国に不利な施策を行った(と思っている)事についてです。
これも1~12までの事への誤解によるものです。


14.の孝明天皇の暗殺ですが、
考明天皇の崩御は1866年12月25日で、当時の伊藤博文は長州の三田尻にいましたし、そもそも宮中に入れる身分ではありません。

15は、国際社会に「大韓帝国は無事です」と宣伝したこと(彼の中では事実を欺いている)ですが、
当時は世界最貧国で、清国の属国で、権力闘争による王族の殺し合いや、それらの悪政による両班の横暴、賄賂、人身売買、盗賊の横行など、国とは言えない状態でした。
それを日本が保護国とすることで治安が確立し、朝鮮人の生活は改善されました。
私は、これが無事ということだと思います。
(そもそも、清国の属国やロシアの傀儡が「無事」なのでしょうか)

暗殺の理由については、以下の事を日本の裁判所で語ったと言われています。

1:明成皇后を殺害した罪
2:1905年11月、韓国を日本の保護国にした罪
3:1907年丁未七条約を強制的に結ぶようにした罪
4:高宗皇帝を退位させた罪
5:軍隊を解散させた罪
6:罪のない人々を虐殺した罪
7:韓国人の権利を剥奪した罪
8:韓国の教科書を燃やした罪
9:韓国人たちが新聞に寄与しないようにした罪
10:(第一銀行)銀行紙幣を強制的に使用した罪
11:韓国が300万ポンドの負債を抱えた罪
12:東洋の平和...続きを読む

Qなぜインパール作戦は失敗してしまったのですか?

僕は日本史の勉強をサボってきたので大雑把な質問しかできなくて申し訳ないんですけど、なぜインパール作戦はうまく行かなかったのですか?

インパール作戦が失敗したのは、牟田口廉也中将の「突撃主義」が破綻したからと言われてますけど、それは具体的に、何がどうダメだったのですか?

Aベストアンサー

まず、作戦の目的が軍事上の必要よりもむしろ東条がチャンドラ・ボースの自由インド政府構想に参ってしまいその政治拠点を作ろうと言う政治的要素が強かった事。

牟田口が盧溝橋事件の時の現場の隊長であったため、日中戦争以来のおとしまえをつけて自分が手柄を立てて戦争を終わらせるなどと言う個人的な動機により立案した事。
川辺がそれを許容した事。

英印軍を侮り、2週間分の食料しか携行していなかった事。マラリアなど熱帯性の疾患が発生したときの備えが皆無だと言っていいほど貧弱だった事。これにより戦病死者・餓死者が続出した。日本軍の撤退路には餓死者、重病者が放置され白骨街道とまで言われた。またこの白骨転々と転がる様が後続部隊の道しるべとなったとさえ言われる。

武器弾薬の補給が全く考慮されていなかった事。
牟田口はジンギスカン作戦と称して牛に荷物を運ばせ最後にはその牛を食えばいいなどと言うフザケタ運輸方針しか持っていなかったため、山脈越えやチンドウィン川を渡河するときに牛はどんどん損耗していった。
敵は飛行機などをフルに使って補給を行ったがそれに対して無策だった事。
日本軍は山越え行軍のため軽装備であったが敵は戦車や大砲を備えた円筒陣地で待ち構え、日本軍の切り込み攻撃を無力化した。

司令官の牟田口は前線に出る事もなく知る事もなく避暑地のメイミョウあたりで安楽にしていた事。一説によればメイミョウでは遊郭まであったそうな。

現場の師団長3名の反対を押し切り牟田口が作戦を強行した事。
意見の違う師団長3名を作戦中に罷免し指揮が崩壊した事。

現場指揮官のそれぞれをみれば勇戦敢闘したケースも見られる(特に撤退時の宮崎繁三郎少将など)が、そもそもの作戦の土台自体が牟田口のアレなもので、成功する見込みははなからなかったと言える。

まず、作戦の目的が軍事上の必要よりもむしろ東条がチャンドラ・ボースの自由インド政府構想に参ってしまいその政治拠点を作ろうと言う政治的要素が強かった事。

牟田口が盧溝橋事件の時の現場の隊長であったため、日中戦争以来のおとしまえをつけて自分が手柄を立てて戦争を終わらせるなどと言う個人的な動機により立案した事。
川辺がそれを許容した事。

英印軍を侮り、2週間分の食料しか携行していなかった事。マラリアなど熱帯性の疾患が発生したときの備えが皆無だと言っていいほど貧弱だった事。これによ...続きを読む


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