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あまり高度な質問でなくてすみません。

どういうわけかこの3つを同時に愛好している人をたまに見かけます。
中学の頃の同級生で、将来大学に入ったら、何をしたい?と聞いた時に
「数学か物理学か哲学!」と答えた子がいました。
また知り合いでも大学で数学科、自称物理おたくの宗教家、哲学に詳しい、というこの3つをコンボで持っている人がいます。前者は女の子で生徒会に入りたがるようなタイプ、後者は男で陰気根暗タイプでした。

この3つの学問には何か共通点があるのでしょうか?
私はこの3つとも門外漢ですが、何か気になっています。

A 回答 (12件中1~10件)

理解した後に賢くなった気になれることでしょう。



思考重視で自分が理解したということに強い快感を覚えるタイプなのではないでしょうか。

あるいは、逆に実体験を積んでいくことに快感が少ないのかもしれませんね。
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数学→論理学


物理学→自然科学
と考えれば、哲学と同じ(宗教や信仰とも同じです)
真理の探究ということになります。
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物理の問題について、補足訂正?


波は、水深によって、伝播速度が一定、波長×振動数=一定
となっていますが。不用意に振幅と書いてしまいました。
しかし、振幅×波長=一定(=水深)というのが、間違っているかと言うと。
合っているかも知れない。とも考えられます。
水深によって、速度が一定とは、浅くなると、波長が短くなり、振幅が大きくなる。ということでしょうが。それでも津波になるでしょうが。
波の速度は、発生時の水深によって決まる、と考えると。
浅くなると、動く水量が一定であるが故に、速度が遅くなる。水深は不確定(×1)と
なる。のでは、と考えると。間違いとも言えない?(学校の試験などにそう答えると、間違い、
となるでしょうが。物理学は波は水深によって速度が一定。を波とは不思議なものですね。
で。数学が当てはまらない、事象、のようです。



という事ですが。
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哲学、数学、物理学は、同じものなの、と見ることができます。


いずれも、「知恵によりて見る」であり。喜怒哀楽の感情や、
利害虚栄の思惑が介入出来ない、知恵=考え方、によって
世界や事象の、在り方、起こり方の、法則性、を見いだそうとする
学問、方法論、なのです。哲学を文系、などと思うのは、現代の日本人
や西洋思想の考え違いなのです。哲学と、心、思惑の思想、認識論、
や宗教思想、は反対のもの。対立物であり。哲学とは、元々存在論
、つまりは、物理学、なのです。
哲学=物理学 事象×哲学=物理学 であった。そうであらねばならなかったのが。
、知恵の暗黒、キリスト教会支配の、1000年に及ぶ、ヨーロッパの中世。のなかで
。知恵は神の領域、となり。哲学は、神学、形而上学、に転化、変質したのです。
西洋思想の、あまりの知恵のなさ、への反動として、「神がいなかったとしても」の
物理学が起こり。その物理学を進歩させたのは、知恵=哲学、ではなく。
教会、神学、が否定出来ない、否定する意味がない。数学、なのです。
物理学=数学 事象×数学=物理学 の形態が起こったのです。
数学は知恵か、知恵の代役たり得るのか。現実の事象の在り方、法則性と合致するのか。
しない、あるいは、半分の知恵、にしかならない。数学は定義の上に成立する形而上学なのです。
架空、妄想が避けられない、方法論、なのです。
例えば、自然数の集合は、無限集合である。というような定義は、
数学では成立するのです。数には、万、億、兆、、と限りはないのです。
しかし現実は、何が、1、なのか。なのです。羊が一匹、羊が2匹、、、羊が無限匹。
とはならないし。1秒2秒、、何億兆秒、、無限秒なら、そう数える、認識するのに、コンピューター
でも、無限の時を要するのです。つまり、数学の定義は、時間=変化 を無視しているのです。
諸行無常、世界は変化してゆく過程として、今、ある。という現実世界の中に
ゼロやマイナス、という事象はない。私が今か金がない、は金が無くなったのではなく、
昨日(パチンコ店に?)移動した。今日、(外れ馬券に?)転化した。というような事象なのです。
数学を知恵の代役とする物理学は、数学の架空が取り込まれ、現実と妄想の区別がつかない
学問になる。それ以前に、根元的に考え違い、見落とし、をしているのです。
先日、物理学カテの質問に、
物理学の事象法定式は、A×B=C=一定となるものです(なぜそうなるかは略しますが)
として回答しましたが。惑わせるだけになったのかも知れません。
被災者や役人、報道には失礼な事になるのかも知れませんが。
物理科学が、机上の空論になってしまい。現実の人間の知恵、になっていないのでは。と思ったことは。津波、というものが解っていない。昔は、津波が来る、となったら。
船は一斉に、出航し沖に向かって逃げ出したものです。
深海で地核が50メートル陥没しても、引き下げられる海面は何十センチ
であり、それが、振幅×波長=一定(=水深)として移動します。
振幅×波長=一定の間は、水は移動しない、上下運動をしているだけなのです。
外海で津波にあっても、波長が長ければ、船に乗っている者は津波に気づかない。
のです。報道の映像を見ると、沖に向かっている船は一隻も見られませんでした。
高台から、来た、来た、と言っている。時点でも、見えるのは、3、4mと思える波であり、それからでも
沖に向かえば、間に合う、それくらいの波を乗り切るのはさしたる事ではないのです。
津波の怖さ威力は、水深が浅くなり、振幅が大きくなり、振幅が重なり、波、が、水流、水の前進力に転化し、その水量の多さ、なのです。陸に上がった津波は、押し寄せる前進力により、水位を増しながら、前進し。15mの津波は最後には30m以上斜面をかけ上るような、
水圧、水流となっていたようです。そして一斉に沖に引き戻すのです。
巻き込まれたらひとたまりもないのです。
津波警報は、人は高台に、船は沖へ。のはずです。
それが、今回の警報では、船は沖へ。がなされなかった。忘れられていた。
形跡があるのです。
湾の入り口あたりの島々では、津波の被害は殆どなかった事に、学者が
島に津波のエネルギーが分散された事によって、などと、馬鹿げた事?
を言っていましたが。周りに水深があれば、波である間は、ただの高潮、なのです。
科学の進歩とか、情報化時代、などと言われながら。肝心の現実に対応する
人間の知恵、が退化しているのでは。
と残念に感じたものでした。
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学問に共通する事とは何でしょうか?



それは、自分と自分じゃない世界をどの様に解析するか?という事にあります(学問研究対象)。そして、自分と自分じゃない世界との関係・現象をどの様に解析するか?という事にあります。

そうして様々な現象を対象として、解析の世界があります。

物理現象(物理学)
経済現象(経済学)
政治現象(政治学)
文化現象(文化学)
生命現象(生物学)
思考現象(哲学)
数の変化現象(数学)
心の変化現象(心理学)

などですね。

そして、その現象世界を観察する事を土台として、解析する世界が始まります。

数学・物理学・哲学の共通点が見えますでしょうか?

次に、個々の部分的な現象を捉えて解析する世界を、各学問のジャンルだとしましたら、全体的な現象に興味を持つ事も人間ですから当然にしてありますね。

その場合、全ての現象世界を生み出す様にさせている根本原因とは一体なんだろうか?という質問になったり、全ての存在を存在させ、その存在を変化・運動・移動させる仕組み・メカニズムとは一体なんだろう?という質問になったり、します。

残念ながら、現段階で西洋を出発とした学問ではそこまでの追求はなされていない為に、そうした学問がありません。annaismiさんの知人の方は、そうした全体を知りたい、全体を理解したい、という意欲があるのでしょう。

ですが、学問の中では見つからない為に、辛うじてそれを叶えるためには・・・という妥協案として、数学・物理学・哲学をまたがって興味を持つ人もいますし、他の学問にもまたがって興味を持つ人も大勢います。

物理学は、存在(外)を追求する世界で、哲学は、認識(中)を追求する世界で、数学は伝達技術(言語。中と外を行ったり来たりする)という様な意味合いで観ても面白いかもしれません。

ですが、もしannaismiさんの知人が本当に全体を知りたい、全体を理解したいという興味・関心の方だったのでしたら、西洋の学問からでは到達は不可能です。ですから、もし全体に興味・関心がある方でしたら、HITOTSU学をおススメします。

HITOTSU学は、HITOTSUの動きだけで、全ての変化現象を説明できる新しい理解方式・認識方式で、西洋の学問の限界を補いながら、東洋の知の叡智までも学問化させる事に成功している日本発の学問です。

HITOTSUから、

物理現象(物理学)
経済現象(経済学)
政治現象(政治学)
文化現象(文化学)
生命現象(生物学)
思考現象(哲学)
数の変化現象(数学)
心の変化現象(心理学)

その他の様々な現象も、全てHITOTSUから解析可能な優れものです。

全ての学問の次元を上昇させる事に成功しています。

東洋と西洋の融合を果たした世界初、歴史初の学問体系です。
全体を知り、全体を理解するにはHITOTSU学がおススメです。

HITOTSU学の後に、数学・物理学・哲学に入れば、短時間で全てが理解出来ます。西洋の学問からスタートしますと、逆にどれだけ時間があっても足りません(部分の現象を足し合わせても全体にはならない為)。
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哲学の対象は、人間、自然、神 です。



時代が進み、人間は生物学、自然は科学、
神は宗教に浸食されてしまいました。

科学と言えば、物理が、物理といえば
数学が頭に浮かびます。
だから、これらはみな根っこのところで関係しているのです。

西洋哲学者は数学者が多かったのですよ。
数学が嫌いな人が哲学をやる日本とは異なります。
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この世界は、物理学だの化学、生物学、数学だのと、


分かれて存在している訳ではなく、1つの実体である。
ただ、それを扱おうとする人間の側の能力の限界に
よって、それぞれの特徴的な部分をとらえて解析する
しかできないだけです。
(原子(物理学)>分子(化学)>細胞(生物学)>肉体
(医学)>集団(社会学)>地球(地学)>宇宙(天文学)
といった具合に、物質の持つ階層現象性に対応して)

この中で、「1つの実体」である以上、上位の学問は、
下位の(より原理的な)学問による知見に基づかねば
ならず(少なくとも矛盾してはならず)、下位の学問は
上位の学問に対して還元主義的であると言えます。
ただ、現代の「学問」は、そうした1つの世界観としての
追求よりも、研究者としての成功のための“論文書き
競争”に堕しており、以前生物学の研究所に勤めて
いた時に、「生き物は嫌いだけど、物理学に行けるほど
成績が良くなかったから生物学に進んだ」という研究者
がいた状況なので、上記のような本質性は忘れられ
がちなのは事実ですが。
要するにお友達は、『本質的なものを知りたい』という
志向があるのでしょう。
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数学、物理、哲学の取り扱い上の整理ですが 私は次のように考えます。



哲学は森羅万象についての主張だと思います。主張するための手段としては 言語か非言語か分けるのが理解されやすいと思います。言語はさらに分けられ論理的か非論理的かにわけられます。これらの手段を上手につかって言いたいことを主張する これが哲学と思います。

数学は論理の一つで定義(公理)より出発して演繹により数学的命題を証明して森羅万象に適応できる定義系を構築するものです。公理が変れば色んな数学が構築されます。

物理(論理が適応されるものは全て)は定義(仮説)より出発し演繹による物理現象を予想し観測により確認して 森羅万象に適応できる定義系(物理学)を構築するものです。仮説が変れば 色んな物理学ができます。

でこれらに共通することは何かですが (1)何れの学問であれビジネスであれ 主張したいことは あるわけで、哲学、数学、物理とも基底の部分は主張であり哲学になると思います。細かく見ると(2)論理的哲学、数学、物理は論理学に含まれると思います。又(3)数学と物理は 数式を用いた展開が数多くでてくると思います。
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物理学の専門用語で、相転移という言葉があります。

それを形作っている物質は同じなのに、その現れ方が違うものに変わることです。例えば、氷が水に相転移し、水が水蒸気に相転移する、などと使います。

人間も成長と共に相転移するようです。小さい子供が電車等で頻りにウンチなどの汚い言葉を繰り返して親や周りの大人達を困らせている光景を時々見掛けますね。これは、その子供が「言葉」には人を動かす力があることに目覚めて、周りの大人達が困ることを楽しんでいるのですね。これも子供の頭の中で起こった一種の相転移ですね。また、思春期になると殆どの人が理屈っぽくなる。これは、論理に目覚めたからなんですね。論理は少なくとも自分の世界の見方を変えてしまうと言うことに気付き始めた。これもまたそれ以前とそれ以後でその人の在り方が変わってしまった相転移の一種ですね。

しかし、論理の使い方に目覚めたばかりなので大変未熟です。だから、思春期の連中の理屈は殆ど屁理屈ばかりです。いずれにしても、この相転移を経たあとにそれに魅せられて理屈好きになる傾向の人がいる。未熟でしかも理屈好きとなると、一見単純で判り易い論理に特に引きつけられる。そんな人に「数学と物理と哲学」がぴったりなんですね。しかし、その反対に単純な故に魅力を感じない性格の人もいる筈です。世の中、そんなに単純じゃない。もっと複雑なんだ、と考える人達はどうも、この三つから逃げて行くような気がします。だからこの三つに特に魅力を感じ人は、どうも子供っぽい傾向にあるようです。

しかし、この三つの学問の名誉のための逸話を最近或る物理学の著名な先生から聞きましたので、それも序でに紹介します。その方は、物理学でノーベル賞以外のあらゆる高名な賞を受賞している方で、何故ノーベル賞が貰えないのかと皆さんからその不運さを訝られている方です。彼曰く
「私が高校生だった頃、化学に興味を持っている友人が、物理学では長さだ時間だ重さだと大変詰まらない物ばかりを扱っているじゃないか。それに対して化学では色が変わったり、煙が出たり、新しい物質ができたり、爆発したり、とずっと面白い、と言っていた。そしたらそれを聞いていた年配の先生が、確かに物理は化学なんかよりも一見単純な事物を対象にしているように見える。しかし、物理学を何年もやって見ると、実は物理学の方が化学よりもずっと深いことをやっていることが分かって来るよ、と言っていた。そして私は物理をやったんだが、その年配の先生の言ってたことは本当だね」

だから、少なくとも物理学は単純な脳味噌の持ち主を引き付ける学問ですが、結構深くまで行ける学問のようです。
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私は学問に疎いですが、数学には緻密な、徹底的な論証が居る。


数学自体は頭の中以外に存在しないからこそで。

ですが、哲学は大胆さがものをいいます。
なぜなら知覚する我、及び常識さえ、
この有機生物の世界観をひっくり返してしまう。
「無から有を生じる」これは物理の論理では扱いきれません!

人間活動の全般を扱う哲学は愛でも美でも主観で翻訳することが出来る。
ところが、生物の営みは追求していくと、
どうしても「汚く映る」ものなので、
生物学の根本の無機質の性質ぐらいだとちょうどいい加減になれるかもです。

優等生タイプと根暗タイプの共通点をあげるとするなら「相対的にそういう人」
なのですね。

哲学が世界観を変えてしまうのは「絶対的にそういう人」です。
絶対は、以前に起こらなかった現象や、所有することもなかったことが当たり前になることです。
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