清水寺の音羽の滝の水がたまっている所で小指に水を付け、自然に乾くまで一言も喋らなければ、願いが叶うという言い伝えを聞き、実際やってみたことがあります。

また、 節分に食べる恵方巻きも願い事を思い浮かべながら、無言で黙々と食べると願いがかなうという言い伝えがありますよね?

この2つの事柄から…
日本の文化において(何かを成し遂げるまで)無言であることは何か良いとされているのでしょうか?またそのような文献がありましたらぜひ教えてください。
気になったので質問させていただきます。何か知っていらっしゃる方、回答お願いします。

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A 回答 (4件)

日本では昔から言霊信仰というものがあり、言葉に力があって、


口に出したことは、世の中の物事に影響を与えると信じられていました。

たとえば、万葉集には、
「志貴島の日本の国は事靈の佑はふ國ぞ福くありとぞ」
(日本の国は、言霊によって幸福がもたらされる。)
とあります。
上の歌では幸福とありますが、その影響には良いこともあれば悪いことも
あります。更に言えば単に音が同じというだけで全く関係の無い事柄に
影響を与えることもあり(磯良が崎の逸話が有名です)、
口に出した本人すら制御できない厄介なものでもあります。

質問の例は神事というべきものですが、下手なことを口に出して
それが悪い影響を与えることを避けるために、無言とされているのでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
言霊信仰…聞いたことはあります。
大事なことこそ、口に出すのがはばかられるな…と思うことがよくあります。自然と根付いているのかもしれませんね。
ですが、願い事となると言葉を発することによって、そこに目的を実現する霊的な力が宿るのならば悪いこともあるかもしれないけれど言ってしまえと思い、口に出してしまうかもしれません。ここが昔の日本の文化との違いですかね?
ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/10 22:02

しゃべらないでいることは良いことというよりは、難しいからではないでしょうか。


意外と難しいですよ。しゃべらないって。
たやすくできることで願い事が叶うのなら、有り難みが無いじゃないですか。
だから実行困難なことを成し遂げた者だけが願い事が叶うみたいなことにしているのではないでしょうか。

無言の行
http://www.spacelan.ne.jp/~teruteru/houwa/mugon. …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かに、2つの例においてもほんの数分なのに意外にも難しかったです。苦労した方が叶いそうですもんね。
無言の行のお話もありがとうございました。無言の行なんてものがあるんですね。
修行について調べたところ、「仏の悟りを求めて実践すること」を指すとの記述がありました。
全ての雑念を追い払うという意味の無言でもあるのでしょうか?(例えば座禅のような)
ありがとうございました。

お礼日時:2011/04/10 22:20

日本文化ではないのですが、


沈黙は金、という言葉がスイスに
あります。

「言葉もまた偉大ではある。偉大ではあるが、最も偉大なものではない。
スイスの銘にあるように、《雄弁は銀、沈黙は金》である。
あるいはこういい直した方がより適切だろう。
《言葉は束の間のもの、沈黙は永遠のもの》と。」
(カーライル)



あまり参考になりませんね。
ごめんなさい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
無病息災が「束の間」でないように言葉は加えず、「永遠」であるように沈黙を守っているのかなと思いました。
新しい知識が増えました、ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2011/04/09 17:09

とりあえず、民俗学の本を読んで見られてはどうでしょうか、(何かヒントになるかもしれません)


直接お役に立てず申し訳ありません。

参考URL:http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480056 …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
興味深い内容の本だったので、さっそく取り寄せてみました。何か手がかりが見つかると嬉しいです。

お礼日時:2011/04/09 16:58

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Q日本文化における中国の影響

日本文化における中国の影響について質問させて頂きます

古代、日本は中国の文化(思想・技術など)に大きな影響を受け、
現在の日本文化の礎が築かれたと私は考えています
もちろん、土着的な文化もあったと思いますが、当時の国力差から考えると、
中国文化の方が先進的で、より魅力的であったのではないでしょうか

よって、日本文化は中国の文化に大きな影響を受けている以上、
日本特有の文化といえども、その起源には何かしら中国文化の影響力やが残っている場合が多いといえます
この場合、日本文化とはどこからどこまでの範囲を指すのでしょうか?

グローバル化に伴い、「わび」「さび」の日本文化が称賛されることが多くなり、
日本人自身にも、日本文化への表面的な回帰も見られます
しかし、合理化が進む我々の実生活の中で、これらの日本文化に基づいた生活を送っている人は、
少ないと思います(どちらかというと日本びいきの外国人のほうが多い気がします)

やや話がずれてしまいましたが、日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います

近年、ネットを中心に、中国や韓国を忌避する傾向が強くなり、
日本の文化は、日本固有な崇高な文化であり、中国や韓国といった国々からの影響は少なかった、
という意見も少なからず見られます

しかし、私としては、中立的な立場で、日本文化はどこから到来し、どのように発展してきたか、
歴史的事実として興味があり、このような質問をさせて頂きました
盲目的な日本文化への賛美や懐古にはやや疑問も感じます
私としては、そのなぜその文化を賛美したり、懐古するのか、
その文化的背景や根拠を知りたいのです

散文となりましたが、ご回答よろしくお願いします。

日本文化における中国の影響について質問させて頂きます

古代、日本は中国の文化(思想・技術など)に大きな影響を受け、
現在の日本文化の礎が築かれたと私は考えています
もちろん、土着的な文化もあったと思いますが、当時の国力差から考えると、
中国文化の方が先進的で、より魅力的であったのではないでしょうか

よって、日本文化は中国の文化に大きな影響を受けている以上、
日本特有の文化といえども、その起源には何かしら中国文化の影響力やが残っている場合が多いといえます
この場合、日本文化とはど...続きを読む

Aベストアンサー

>日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います


「文化」というのは、そもそもの元をたどればオリジナルは決して多くはありません。せいぜい古代の4台文明ぐらいが文化の発祥といえるぐらいでしょう。後は、アメリカ大陸のマヤ民族やネイティブ・アメリカンあたりが独自の文化でしょうか。

そうなると、中国の周辺である、日本や朝鮮半島・モンゴル・ベトナムは中国の文化圏ですし、タイやインドも影響を受けている、と言えます。しかしベトナムならベトナムの文化がありますし、モンゴルにも日本にも「独自」と言われる文化があります。

文化がその当時の先進的な国から伝わってくるさい、必ず起きる変化があります。それは流入-受容-改良です。
 流入とは、日本が遣隋使を送ったように求めて輸入するものもあれば、中国の漢民族が満州族に征服された清の時代の辮髪のように、強制的に文化を押し付けられる場合もあります。
 そして、その流入から2世代から3世代経つ頃には、その文化が一般的になり疑問を感じないようになったころに「受容」が完成すると言えます。
 しかし、元々他の地域の他の文化ですから、そのままでは利用しにくく、受容したもののそれを自分たちの文化や気候・生活スタイルなどに合わせて「改良」していくようになります。

そしてこの「改良」がひとつの形になったときが、その民族や地域の文化の形ができた、ということになるのが一般的です。

たとえば日本の場合、飛鳥時代から平安時代まで大陸の文化を輸入し、受容しつづけてきました。法律は律令制を倣い、宗教は仏教、文字は漢文と当時の大国である隋や唐を手本に受容し続けたといえます。まあ、仏教はインドから隋が受容したものですが・・

ところがこれをそのままにしておくと、日本の風土に合わないものが出てきます。たとえば律令制などはすぐに良くない影響がでました。そもそも律令制を維持するためには、国内の優秀な人材を集め活用するために科挙が一緒にくっついてくるはずなのですが、日本の場合すでに天皇を頂点とした貴族階層があり、彼らが行政を握っていましたので、科挙で庶民を活用することはできなかったのです。

そのため、法律的に可能な部分だけ律令を取り入れ、制度的に受け入れられない部分は日本の風土に合わせたものに変革しました。
これは明治憲法などでも同じことがおきており、そもそも憲法を作るときに西洋各国の憲法から国家元首の権力の強いワイマール憲法を参考にしたと言われています。
つまり流入と受容そのものに、取捨選択があるのです。

また文字についても、輸入した文字をそのまま利用してる民族はほとんどありません。たとえば世界最古の文字と呼ばれる楔文字はシュメール人が開発したものですが、シュメール人はこれをひらがなのように音節文字として利用していました。これを受容したアッカド人は中国語と同様、音節と意味が一体になっている表語文字として利用できるように工夫し、さらにアッカド語を受容したヒッタイトでは音節文字として利用したために、日本語の漢字・仮名の書き分けというか、万葉仮名の書き分けのような複雑な法則で記されることになったようです。
アルファベットを使っている西洋諸国でもドイツのウムラウトのように独自の文字を足したり、記号を利用したりして自国語を表記するのに改良しています。

この「楔文字」ひとつとっても、発明したシュメール・表語文字にしたアッカド・さらに複雑に受容したヒッタイトのように、それぞれの民族の文字といえるほどに変化しています。これがそれぞれの文化になるわけで、「楔文字だからぜんぶシュメール文化」という乱暴な区分けはできないのです。


これらの法則にしたがって、中国文化を受容し改良した日本をどこで区分けするかと言う点については、大体平安時代が区切りとなってその後は日本文化としての改良になっている、といえるでしょう。そして明治維新前後の西洋文明の受容があり、その改良は現在も続いているといえます。

個別に中国文化から日本文化に切り替わった時点を見てみると
・政治権力 5世紀には中国の皇帝に朝貢し、その威光を借りて権力に正当性をつけていたが、100年ほど朝貢が中断した後、再開された遣隋使では、有名な「日出ところの天子・・」という文章があり、この時点で大和朝廷が、大陸の後ろ盾がなくても国の権力を収めていることが伺えます。
 このときの隋の煬帝は返書で「皇帝問倭皇 使人長吏大禮・・・」と倭皇(王ではない)と認めており、政治権力としては日本の文化的独立が6世紀には成立していた、と言えさらにその王朝が現在まで存続していることを考えれば天皇制と天皇の勅許で政権を開く権力構造は「日本文化」と認定しても良いと思います。

・政治制度 日本の王朝は6世紀に成立したとして、しかし遣隋使を派遣することで仏教や法律・建築学・天文学そしてその他の学問を吸収し始めたわけですから、この時点で日本の文化がすべて独立していたと見ることは無理があります。
 政治制度については、この時点から律令法を学び始め、平安時代に大宝律令として完成を見ます。この大宝律令には律令を支えるはずの科挙がなく、またそれ以外にも換骨奪胎したものが多くありましたので、中国の法律を学びながらも日本の風土に合う改良がくわえられていたと言えます。この程度では「文化」とはいえませんが、それから30年程度で「墾田永年私財法」ができ、律令の本筋から離れていきます。
これを「改良」というかはともかく、日本的な風土に合わせた変化とこの法律がやがて武士の発生を促したことを考え合わせれば、8世紀の中庸には日本的な法律文化が形成され始めていた、といえるでしょう。
なお、この墾田永年私財法の法的概念はその後の日本の法律に強く影響を与え、現在でも土地収用に時間と費用がかかる原因になっています。「文化」というのそれぐらいの影響があって初めて「独自の文化」といえるのではないでしょうか。

・宗教 7世紀の大化の改新については一定の疑問があるものの、嵩仏派の蘇我入鹿一派が勝利し、仏教受容に動いたことは間違いなさそうです。これにより日本は「国策」として仏教を輸入しついでに学問も輸入していきます。仏教の受容から1世紀経った8世紀ごろから、各地で神宮寺が建てられるようになっていきます。つまり神社に付随したお寺を建てると言う方法です。
 これには国策となった仏教と、各地の豪族がそれまで信仰していた地域の神とを習合させるものであり、この結果日本は神と仏が同列に並ぶ宗教体系を得ることになりました。この改良を「神仏習合」と呼ぶのですが、これ以降の日本の宗教観は世界のどことも似ていない独自の文化になっていきます。
 しかし、習合自体はそれほど珍しいことではなく、たとえば古代ローマは多神教で各地に道祖神の祠が立っていたものを、ローマがキリスト教を国教化した後、道祖神をキリスト教の聖人になぞらえて、祠を維持したという例もあります。これはキリスト教でもイタリアにしかない独特の文化でしょう。

・学問 まず文字については、万葉仮名からひらがな・かたなかが開発され日本語を表記する形式が整った時点で「日本文化」と言うべきでしょう。その後、源氏物語などの宮廷文学も生まれています。
 それ以外の学問に関しては平安時代までに大学寮が設置され、数学や天文学・薬学・法学などを学べるようになりましたが、基本的には大陸の書物を中心にしていたようです。
 それが武家政権の鎌倉幕府以降は、もともと庶民である武士階級を中心に学校が開かれるようになり(足利学校など)必要なことを教えるようになっていきました。しかし、江戸時代まで四書五経が中心でしたので、江戸時代の中庸、和算の発達などの例外を除けば、学問が独自の文化として定着したかについては、学問ごとに見るしかないのかも知れません。
 しかし、逆に面白いのは雅楽や宮廷作法などの平安時代までに大陸から輸入されたものが、大陸では長い間に消失し、日本にだけ古来の姿で残っている、ということです。(韓国にもありますが、遺産としてです)
これを日本文化とみるか、大陸の遺産と見るかは難しいところです。

これらをみてみると、どの国、地域でも文化が周辺の大国から流れてくるのは間違いの無い事実でしょう。しかし、それをそのまま受容している国家や民族というのはほとんどなく、いずれその地域の風土や生活スタイル・道徳観などと触れ合って、変容していくものです。
その変容が一定のスタイルとしてその民族に世代を超えて伝えられるようになったときが「文化」なのだと思います。

現代でもアニメーションなどは外国で開発された手法であるのに、すでに受容してから100年以上経ち、手塚治や富野 由悠季・宮崎駿などの天才たちを通して日本的なアニメになっています。これは明らかにディズニーアニメとは違いますし、他の国でまねしても同じものが作れるわけではありません。
アニメ自体が日本的な手法や考え方、そしてそれらを産業として支える仕組みによって、独自のものになっているからです。

こういうのを「オリジナルの文化」っていうんじゃないでしょうか。

>日本文化における中国文化の影響、
そして、日本文化とは一体何を指し、他の文化と区別する意味は一体何のためなのか、
教えていただければと思います


「文化」というのは、そもそもの元をたどればオリジナルは決して多くはありません。せいぜい古代の4台文明ぐらいが文化の発祥といえるぐらいでしょう。後は、アメリカ大陸のマヤ民族やネイティブ・アメリカンあたりが独自の文化でしょうか。

そうなると、中国の周辺である、日本や朝鮮半島・モンゴル・ベトナムは中国の文化圏ですし、タイやインドも影響を...続きを読む

Qオタク文化て本当に世界に誇れるんでしょうか?最近、どうもオタク文化に懐

オタク文化て本当に世界に誇れるんでしょうか?最近、どうもオタク文化に懐疑的なんです。

そう思ったのは、一昔前から現在にかけて多くのマンガ、アニメ、ゲームのキャラが、いかにも、「どうぞ、男性向けのエロ同人や女性向けのBL同人のネタにしてください」といわんばかりで、その上、版権側のほとんどは、未だに黙認状態にしているし、私には、嘗められてるように思えてきます。

さらにネットでは、そのような内容の同人作品が海外にも流出しているらしく、情けなく感じます。

いくら流行のアニメや漫画、ゲームが賑わってても、国内・海外のオタクイベントでのコスプレ写真など、明るく賑やかに見える記事を見ても、嫌でも疑心暗鬼になります。

私以外の人でも、同じような思いをしてる人ていますか?

Aベストアンサー

>オタク文化て本当に世界に誇れるんでしょうか?最近、どうもオタク文化に懐疑的なんです。

質問文から、いわゆる 同人文化(2次創作) のみについての質問と解釈します。

私自身は、只の趣味の一ジャンルであり、誇るとか卑下するとかという感覚とは、無縁のものだと思っています。
そもそも日本全体で考えても、誇っていませんし、今後もそうでしょう。
元々オタク文化は日本国内だけのもので、作る方も買う方も、海外進出とか考えていませんでした。
自分たちが楽しむ為にやっていたもので、彼等自身「文化」という認識もなく、「誇れる」などとも思ってはいませんでした。
しかし文化というものの意味を考えれば、公権力の支援もなく、好きなものを楽しむことで、いつの間にかここまでなったわけで、むしろ理想的な発展形態といえるかもしれません。
海外への流出は、日本に来てオタク化した外国人が、母国に持ち込んだ結果のもので、日本としては、何の操作も工作活動もしていないので、責任はありません。


>私には、嘗められてるように思えてきます。

違うと思います。
オリジナル側が、トータルで話題・知名度等で、利益に貢献するから、容認しているだけのことです。
質の高い2次創作は、オリジナルにも良い影響を与えもします。
このような共存関係は日本だけです。外国には、利益を目的としない同人文化自体が存在しなかったので、パクリ商品への規制のみ重視された為、外国マンガの2次創作は存在しません。


嘗められているのは、むしろそれ以外の一般ユーザーだと思います。

>、「どうぞ、男性向けのエロ同人や女性向けのBL同人のネタにしてください」といわんばかりで、

この部分は、全面的ではありませんが同意します。
これはオリジナルを提供する側が、安易に、売れるパターンさえ抑えておけば、結果として「質」をないがしろにしても、消費者は付いてくると思っている、ということになります。
需要に応えることは必要ですが、本来オリジナルの提供側は、客の想像力を超えた創作物を提供し、それで収益を得ることを目的とし、それはプライドにも関わっていたはずです。
創造性・オリジナリティ、それらを捨てたらクリエイターは職人以下です。
(職人を軽蔑しているのではありません。職人はまず注文に応えるのを優先にしますから)
↑の事を続ければ、負の連鎖で質が落ち続け、市場は2次創作のネタにもならない、クズばかりとなり
文化として衰退・消滅していく怖れがあります。
一方で、この混沌が新しい「何か」の母体となり続けているのも確かです。
どちらにしても、受け手の質が大きく影響すると思いますが。

>オタク文化て本当に世界に誇れるんでしょうか?最近、どうもオタク文化に懐疑的なんです。

質問文から、いわゆる 同人文化(2次創作) のみについての質問と解釈します。

私自身は、只の趣味の一ジャンルであり、誇るとか卑下するとかという感覚とは、無縁のものだと思っています。
そもそも日本全体で考えても、誇っていませんし、今後もそうでしょう。
元々オタク文化は日本国内だけのもので、作る方も買う方も、海外進出とか考えていませんでした。
自分たちが楽しむ為にやっていたもので、彼等自身「文...続きを読む

Q明治以前の日本文化と現代

明治以前の日本文化と現代

日本文化についての課題論文をやっているのですが、「日本のマイナス点、プラス点」「明治以前の日本文化」について教えていただけないでしょうか。
どれかひとつでもかまいません、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

大学生の課題だと想定して回答しますと、参考になるのが、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』という短いエッセーです。

その中でも触れていますが、明治以前の日本文化では「曖昧さ」が大切にされていました。簡単に言うと「融通」でしょうね。例えば三味線の小唄ひとつとっても、メトロノームでは演奏できないんです。雰囲気に合わせて微妙にテンポをずらしますし、歌いにくければ途中で1オクターブ変えたりしちゃうんです。

そういう「さじ加減」的なものが、明治に伴う西洋化で忘れ去られていきました。プラス面としては、アメリカ型の効率が、それによってアップしたことで、ゆえにアメリカ型のビジネスが主流の今、日本は対等にわたり合っていけているのです。

ちなみに「西洋」とは申しましたが、同じ西洋でも「米国のビジネス」と「その他の西洋や、その他の文化」とではまた違い、米国のビジネス界がいちばん現代的な効率を優先しています。反面、例えばラテン音楽などは、かなりアバウトなノリのなかでうまく立ち回っているのです。

手短に書くとそんな感じです。大学を前提にしたのは、あとは自分でいくらでも調べられるはずだからです。

大学生の課題だと想定して回答しますと、参考になるのが、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』という短いエッセーです。

その中でも触れていますが、明治以前の日本文化では「曖昧さ」が大切にされていました。簡単に言うと「融通」でしょうね。例えば三味線の小唄ひとつとっても、メトロノームでは演奏できないんです。雰囲気に合わせて微妙にテンポをずらしますし、歌いにくければ途中で1オクターブ変えたりしちゃうんです。

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Q原発基準で汚染水タンクを作ったら水漏れしました!

原発基準で汚染水タンクを作ったら水漏れが止まりません。

どういうことですか?

Aベストアンサー

ガスタンクや石油タンクから。これほどの燃料漏れがあるでしょうか?それに比べたら杜撰としか言いようがありません。ただのドラム缶でも塗装さえしておけば、一年や二年で錆びたりはしないでしょう。溶接せずに接続部分にゴムパッキンでを噛ませただけの安物だからです。しかも水位の上限より高い位置に水位計があったとの報道がありました。会社の経営がそうとうヤバいとみるべきです。火力発電の燃料費高騰のため料金を上げたというのがただの言い訳であることの証明のような事例です。事故処理の資金がないのでしょう。

Q日本語と日本文化の勉強

日本に来たばかりのものですが、日本語と日本文化をよくこなすことができなくて苦しんでいます。
日本に来た以上、よく日本文化を理解し、日本語を上手にしたいですから、何か役に立つ本を教えていただけませんか。
日本人らしい会話、日本語常用単語、日常生活の日本文化などを勉強したいです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

日本語の特徴でしたら、金田一春彦の「日本語 上下」岩波新書 を薦めます。旧版は1冊でしたが新版は上下2冊になりました。日本語の特徴を各分野にわたって余すことなく述べられております。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004300029/qid=1140010636/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/503-2982533-6233514
次にあげるのは  芳賀 綏 (著) 日本人らしさの構造―言語文化論講義 大修館書店です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4469212903/qid=1140011353/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/503-2982533-6233514
著者の芳賀綏氏は金田一春彦氏と親交があり、彼が若かりし時に著書を著したときに絶大なる賞賛の辞を寄せています。彼の優れている点は単なる言葉の特徴だけでなく、もう一歩踏み込んで日本人の精神構造、行動様式などを明らかにしていることです。その中で日本人の遠慮深さ、へりくだりの行動は凹みの文化を形作り、言葉遣いにも現れているとしています。つまり他律型の対人意識が日本の民族性の一大特色であり、「日本人はすぐ謝る、スミマセン・メンタリティがある」そうです。
<書評より>
日本人の意識と行動の型を端的に表現するキーワードは数限りなくある。勿体ない・なつかしい・やるせない・仕方ない・義理・恥・世間体・貸し借り・先輩・後輩、その節はどうも・すみません・目は口ほどに・角が立つ・円くおさまる…これらの〈指標語句〉はそのまま「日本文化の索引」となるもの。
本書は、その索引語をフルに使って、日本人の自然観・宇宙観、対人意識、美意識、道徳意識、事物認識の方法、等等を明快・懇切な語り口で手にとるように活写したものである。>

日本語の特徴でしたら、金田一春彦の「日本語 上下」岩波新書 を薦めます。旧版は1冊でしたが新版は上下2冊になりました。日本語の特徴を各分野にわたって余すことなく述べられております。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4004300029/qid=1140010636/sr=1-2/ref=sr_1_2_2/503-2982533-6233514
次にあげるのは  芳賀 綏 (著) 日本人らしさの構造―言語文化論講義 大修館書店です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4469212903/qid=1140011353/sr=1-2/ref=sr_1_10_2/503-2982533-62...続きを読む

Qアメリカの文化

ある本で、
「アメリカのテーマパークは子供より30代の大人がよく行く、大人の第一の遊び場」
と書いてあったのですが、この理由がその本を読んでも書いてありませんでした。
この理由分かる方いたら教えてもらえないでしょうか、
もし分からなくてもこうじゃないかなと思う事でもかまいません。
お願いします。

Aベストアンサー

子供を喜ばせるつもりで家族でテーマパークへ行ったが、
実際は親が子供の頃を思い出し、童心へ帰りはしゃいでしまう
って意味ではないでしょうか??
私が実際そうでしたから(笑)

Q日本文化と,禅宗について

日本文化において,禅宗の役割とは?

私は,浄土真宗でして,そういった環境にいますと,禅宗は,厳しい規則のある宗教で,日本文化の役割についてはほとんど無視できる気もするのですがいかが思われますか?
何か,日本文化に影響を与えたのでしょうか?

Aベストアンサー

>何か,日本文化に影響を与えたのでしょうか?

極めて大きな影響を与えています。
鎌倉時代の執権、北条時宗が深夜に至るまで坐禅修行したことは良く知られています。他にも禅に傾倒し、その影響を受けた権力者や文化人は、枚挙に暇がないほどです。鎌倉時代以降、京都五山、鎌倉五山などを中心として、禅が盛んになったのは、このような支配階級や知識人の深い帰依と支援があったからこそであり、逆にいえば、禅にはそのような人たちの心をとらえる何物かがあったからに他なりません。
近世では、山岡鉄舟も剣禅一如の境地を極めた人物としてよく知られています。
禅は禅僧のみのものではなく、現在でも、各地の修業道場には老若男女を問わず多くの一般参禅者が熱心に集い、修行に励んでいます。実際、禅を支えているのはこうした一般参禅者による「居士禅」であり、こうした人たちが、「実践の宗教」である禅の心を一般社会で生かすことによって、禅は今日でも社会に少なからぬ影響を与えていると私は考えます。

私自身も学生時代に数年間、修行道場に通い、老師の指導を受けて参禅しました。その当時お世話になった先輩居士の中には、その地方の教育界、実業界などで指導的な立場の方もいました。

禅宗ではは坐禅・読経のみならず、食事・清掃などの日常的業務も、すべて「真実の自己」を究明する機会としてとらえ、そのために一挙手一投足に至るまで、厳しい規則があることは、おっしゃる通りです。しかし、学問であれ芸道であれスポーツであれ、何事によらず道を求めようとすれば、先人が苦労して作ってくれた「形」に従うことは当然必要であるし、それが最も合理的でもあるのです。禅の道場の規則が厳しいと言っても、一旦納得してしまえば当たり前のことばかりですし、自らの心を磨くために必要かつ妥当なものであることは、すぐに理解できます。

禅の修行者には質実・清廉・謙虚・勇気・忍耐・報恩などを重んずる気風があります。これらは禅の宗風から生まれ、守られてきたものですか、実社会でも尊重される普遍的な道徳でもあります。これらは武士道にも取り入れられ、長く日本の支配階級の倫理道徳を支えてきたと思います。

先にお二人の回答者の方が指摘された有形の文化遺産も、もちろん貴重なものであり、禅と日本文化との深い関わりを示すものです。しかし、それにも益して、禅のもつ深い精神性が日本文化に与えた、そして現在でも与え続けている影響は、計り知れないほど深いものがあると、私は考えています。

蛇足ですが、禅は自力、念仏は他力と言われますが、必ずしもそれだけでしょうか。禅にも他力的な要素があり、念仏にも自力的な面が皆無とは言えないでしょう。
禅の修行者が厳しい修業に自ら飛び込み、先人の智恵の所産を体得しようとすることは、形こそ違え、「仏にすべてを任せる」という親鸞上人の教えと、根本において何ら異なることはないものと思います。

>何か,日本文化に影響を与えたのでしょうか?

極めて大きな影響を与えています。
鎌倉時代の執権、北条時宗が深夜に至るまで坐禅修行したことは良く知られています。他にも禅に傾倒し、その影響を受けた権力者や文化人は、枚挙に暇がないほどです。鎌倉時代以降、京都五山、鎌倉五山などを中心として、禅が盛んになったのは、このような支配階級や知識人の深い帰依と支援があったからこそであり、逆にいえば、禅にはそのような人たちの心をとらえる何物かがあったからに他なりません。
近世では、山岡鉄舟...続きを読む

Qヒュー、ヒューはどこの文化

はやし立てるときに使う
ヒュー、ヒューはどこの文化の言葉ですか?
どこからどのような経緯で日本に伝わってきたのか詳しく教えてください。

Aベストアンサー

口笛がどこで生まれどのように伝来したかは分からないと思います。口笛はおそらくどの民族でもコミュニケーションの補助手段として持っていたはずです。或いは神との交信、或いは悪魔を避けるために吹いていたかも知れません。私は子供のころ夜に口笛を吹くものではないとよく叱られました。外国では人を口笛で呼ぶことに抵抗感を持たない人々がいますが、日本人は嫌う人が多いと思います。

スペイン領カナリア諸島のある民族は口笛語を持っていたことが知られています。現在ではごく一部の人がその技法を受け継いでいるそうです。山間部で遠くの人と口笛で連絡を取り合うことが出来たそうです(たとえば外国人が3人やってきたという風に)

スペインや中南米では人をはやし立てたり、侮辱したり、女性の気を引いたり、いろいろな場面で口笛を吹き、民俗音楽にも一部取り入れられています。異民族の交流が激しい地域では、ある習慣がどこで生まれたかを探るのは至難の技です。

Q日本文化について

日本文化について教えてください。

・文学や絵画などの日本文化、芸術は『 』の文化・芸術であると言われる

『』に入る言葉は何でしょうか?
教えてください。

Aベストアンサー

『和』でしょうかね。
和は『なごむ』とも読みます。
日本文化、芸術は『和み』の域ですからね。

Q日本のケータイ文化について

こんにちわ。学校の課題で携帯電話についての論文を書くことになりました。
「日本の携帯電話の機能は世界と比べても高機能なもので、街を歩けば多くの若者が携帯に釘付けになっている」

私達にとってはこれが当たり前の事になっていますが、欧米からみると
それは異常な事のようです。

携帯電話は様々な便利機能を搭載し、私達は何でも携帯1つで済ませてしまう、そんな時代になりつつあると思います。それは海外からみると1種の特殊な文化といえるようです。

そこで質問なんですが、なぜそのような文化が日本だけに形成されたのでしょうか?
明確な答えを出すのは難しい質問だとは思いますが、何か意見があればぜひ聞かせて頂きたいです。

よろしくおねがいします。

Aベストアンサー

私なりの考えですが。
 まず携帯市場が小さい事があります。市場が大きいと多少悪くても数が出れば利益は出てきます。しかし、日本では売れる台数が少ない。他の会社との差別化を明確にするには、なにか新しい物を入れるのがアピール出来るからです。幸いにも日本の技術は高いので高性能の機能を組み入れることが出来るように成りました。何を追加するのかを競い合ってきました。別に要らない機能までつけて。
 売る側のも外せばと考えるも、外せば客が離れるのでは?外せば安物に見えないか?という不安があるそうです。ヘタをすればそういった技術が無くなったと考えたり、その会社はそういったゆとりが無いから外したとも考えられかねません。したがって、高機能を追求し続けるしか無い状態でしょうね。
 おかげでハードは優れていくけれどソフト面に関しては弱くなってきた感じがします。
 安いコストで大量に売りさばけないからこそ生まれた文化だと思います。また、日本は海外からの物まね以上に進歩させる能力もありますから。


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