タイトルのまんまですが、刑務所で犯罪者が懲役中に作った食べ物は、穢れた者が作ったのだから、その食べ物は穢れていて、それを食べるのは穢れを体に入れる事にならないのかと疑問に思うのですが、どうなんでしょうか?

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A 回答 (14件中1~10件)

神道か、仏教なのかなど、どの宗教においての話なのかをはっきりさせて質問されるべきだと存じます。

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刑務所に入ったことはないのでよく分かりませんが、懲役中に作った食べ物が出回ることがあるのでしょうか?

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マタイ伝(15章の11節)には、こんなようなキリストのことばがあります。

「口にはいる物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」
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排泄物を肥料として作った作物は穢れているとは言わないと思いますよ。


そもそも刑務所に入っている犯罪者は罪を犯したことが自明になっている人だけです。
逃走中の犯罪者がもしかしたら食物工場に紛れているかもしれません。
また、食べ物の運送に携わっているかもしれなくて、店頭で売ってさえいるかもしれません。
自明となっている罪だけが穢れというわけでもないと思います。
不明の罪は穢れではないのかと言えばそういうこともないわけで。
だったら、どの時点で穢れと判定するかは、神ならぬ身には不可能、ということになるんじゃないでしょうかね。

例え、神がその食べ物を穢れていると判定したところで、泥に咲く蓮のように泥に染まらなければ、その穢れとは無関係に生きられるだろうと思います。
我が身が染まることのない穢れならば、その出自を問うことはあまり意味がないだろうと思いますよ。
宗教を持っていて、そういう教義があるのなら、それに従うことにも意味はあるでしょうが、そうでないのなら、日常的な感覚で、穢れを過剰に嫌うのは強迫神経症になるだけだろうと思います。
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なぜ、刑務所の受刑者が穢れていると思うのですか。


私には分かりませんが、刑務所には衛生上の問題が
あるということでしょうか。

また、法を犯したから穢れているというのなら、成人で
日本の国内法を一つも破ったことが無い(過失も含めて)
などという人はいないと思います。
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刑務所で犯罪者が懲役中に作った食べ物は、穢れた者が作ったのだから、その食べ物は穢れていて、それを食べるのは穢れを体に入れる事にならないのかと疑問に思うのですが、どうなんでしょうか?



○ ユダのような考えかたですね。イエスを裏切ったユダもそのようにしか思えなかったのですね。
ユダはイエスが娼婦であったマリアを愛する理由がわからず結果的に裏切ることになったのですね。
娼婦は穢れていると一般的に考えられていましたし、聖人は穢れを嫌うという考えがありましたしね。
でもイエスやもっと古くは釈尊もそうではなかったのですよ。釈尊も有名な娼婦であった女性の布施を受けていますし、後にその女性は弟子になっています。また釈尊は999人を殺した者さえ弟子にしていますね。
その理由は、人の心を見ていたからですね。どんな立派な肩書きでも、たとえ王様でも心が悪魔のようであればその人がその心で作ったものは穢れているのですね。逆にどのような境涯であれ、その心が清んでいれば、その心で作られたものは黄金色に光っているのですね。
つまり、その人の心が物に反映しているのであって、境遇が反映しているのではないということを真の聖人は知っているということなのです。
まがいものの聖人は物事を目やゴミ常識でしか判断しないのですね。それを現代のユダといいますが、まあそのような考えかたということですね。
何が正しいかは、真の正しさを学ぶしかないのですね。
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善人尚もて往生をとぐいわんや悪人をや、って言うから、娑婆の人の方が刑務所に入っている人よりも穢れているって言う説も聞いたことがあります。

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「穢れ」を恐れる人は、止めといたら。

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穢れるというか、受刑者の奴らが何を入れているのか


わからないので、それを考えると気持ちが悪くなる。
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手前の家の台所で作った料理だって豚肉を使えば穢れているのだから、食っちゃあならねえ、って教えも有るそうだから、それぞれの教えによって違うんじゃああんめいか。

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