戦時中、徴兵の兵隊は無理やり兵にさせられたので
ストレスから中国で悪事を働いたというのは本当ですか?
また、徴兵と志願兵だったらどっちの方が優秀ですか?
やはり志願兵ですか?

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A 回答 (4件)

日本の場合ですが、志願兵も、徴兵検査を受けています。


というか、徴兵検査は、徴税などと同じで、全男性の”義務”です。
で、徴兵検査で甲種・乙種合格したものが、志願”できる”わけです。
志願兵で、応募を断られるということは、平時でよほど人員過剰というのでなければ、基本的にはありません。
日本の場合は、長く戦時ないし準戦時体制が続きましたから、特別な事情がないかぎりほとんど志願兵は採用されます。
そして志願兵でまかなえない人員が、徴兵で徴募されるのです。
これは志願があろうがなかろうが、軍隊が規定の人数を必要とするためです。安定して兵員を確保すると言う目的、そのための徴兵制度です。

徴集兵がストレスから悪事を働いた・・・的な言説はただの方便です。そもそもその”悪事”は日本軍の軍紀に反する犯罪であり、軍の管轄で処罰すべき問題なのであって、ストレスがあろうがなかろうが、犯罪を犯してはならないのは法治国家としては、当たり前です。理由にはなりません。

日本軍、特に支那派遣軍あたりの蛮行は、主に統制の緩みが原因であり、指揮の無能が根幹にあります。陸軍の上層部に何人かは、その後明らかになりますが、非常に無能で、無責任な行動をとっています。軍の上層部を中心に、同窓や学閥、派閥で構成されるなれ合い体質であったため、管理上の問題を責任転嫁したり、不名誉な状況を無視したりする傾向にあり、極めて不健全でした。そういう負の連鎖が、末端におよぶとどうなるか、という近代軍隊の最低の形です。
実際の所、それは戦闘面にもでています。日本軍のトンデモナイ失敗のいくつかは、これらの無能な上層部の責任によるものであり、馬鹿馬鹿しい決定の数々によって、日本兵自身も多くが無駄死にしただけでなく、管理の悪さから、日本兵が蛮行を働いたり、あるいは組織的な収奪を行って結果として地域で大規模な飢餓(特にベトナム)が起きたりしました。

徴集兵は、所詮、臨時採用であり、懲役年数も短く、経験に乏しいですから、往々にして優秀な部隊ではありません。志願兵は、基本的に自分から望んで加わったわけですから士気が高く、訓練や装備も優遇されるため、一般には優秀です。日本軍では、志願兵と徴集兵での格差が特に激しく、徴集兵は激しいいじめの対象になったということは、有名ですね。こういう徴集兵いじめはどこの軍隊(現代のロシアや韓国などでも自殺者を出して問題となっている)でもあることなんですが、日本軍はビンタの文化で、当時は相当に厳しかったようです。

中国のことわざにあるように、”良木は薪にせず、良人は兵にならず”というやつでしょう。
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ストレスから悪事云々は実際の例を知らないので、お答えできません。

乱暴者はどんな集団にもいるものですし、その行動だけをみて、全体の評価をするのはフェアーではないでしょう。

軍隊の規律にしろ戦闘能力にしろ、それを高めるのは調練によるスキルアップしかありません。
錬度が足りなければ弱いままです。

志願兵はより早く従軍しているので、錬度は段違いに高かったでしょう。特にパイロットなどではその差は歴然であったと思われます。
徴兵された兵士は、手柄を立てることよりも、生きて帰ることを優先して考えたでしょうし、戦力というより工兵など機動力の一部として多くは補助的な役割に回されました。
強弱をいえば、弱かったでしょう。ただ、バンザイアタックなど、生還を考えない常軌を逸した戦法をとった場合、相手の心胆をして寒からしめる効果はあったのかもしれません。
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ひとつには当時は一般の中国人を「チャンコロ」といって蛮人化し、蔑視していたことに


よるものだと思います。
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志願兵の場合、体力・知力の問題から、「来なくて良いよ」って言えるわけです。


志願したからと言って必ずしも採用する必要はないわけですから。
体力知力に秀でるものを採用します。

徴兵の場合は、ここまでればるが下がってもしょうがないかな?ぐらいまで採用せざるを得ないです。

過去、日本でも徴兵制度がありましたが、調子の良いときは「甲種合格者」のみで賄えました。
が、戦争が続き、兵が少なくなると、「乙種」「丙種」更には「戊種」といった、本来は兵士になれないぐらいの病弱なものまで兵にしなければならなくなりました。
当然、体力がないんです。身体が小さいんです。病弱なんです。それでも銃や弾薬を持って歩かなければなりません。

志願で編成された部隊の方が、徴兵で編成された部隊より遙かに優秀です。

>ストレスから中国で悪事を働いたというのは本当ですか?
コレはまた別の話です。
徴兵だけではありませんよ。志願者も当時はいましたから。
ただ、極限状態というのは人を狂わせるのです。
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Q子ども兵?

『NHKスペシャル アフリカ ゼロ年』で「第3回 子ども兵を生んだのは誰か」というタイトルがついているのですが、なぜ呼び方が「子ども兵」なのでしょうか。
若年の兵士は、少年兵と言っていたと思うのです。

子ども兵と少年兵は別ものなのでしょうか。
それともなにか子ども兵という理由があるのでしょうか。

Aベストアンサー

旧軍では兵力不足を補うため徴兵年齢以下の少年を志願兵として採用していました。
これは訓練に長期間を要する兵種にある程度の学力のある人材を確保するためで、少年飛行兵、少年戦車兵、少年通信兵、幼年学校生などです。
これらは正規の軍人です。

「少年兵」というとこれらを連想するのを避けるため、また現在問題になっているのはもっと低年齢の兵士で正規兵でないものを対象にしているので「こども兵」と呼んでいるのです。
従って両者は全く別のものです。

「こども兵」と呼ぶのは志願したものは少数で、誘拐、拉致などの手段で集めた「こども」に強制的に軍事訓練を行い兵士としているものを指しているものです。  これらは正規兵は少数で多くは不正規兵です。  しかも男女を問いません。

現代は武器の進歩でカラシニコフという自動小銃は取り扱いが容易で故障も少なく軽量で「こども兵」でも使用できるという特徴を備えています。
小銃射撃や狙撃は少しの訓練で可能になるのも「こども兵」の登場に一役かっているのです。
彼らは次第に人を殺すことに何の躊躇いも感じなくなり殺人機械に成長していくのです。

旧軍では兵力不足を補うため徴兵年齢以下の少年を志願兵として採用していました。
これは訓練に長期間を要する兵種にある程度の学力のある人材を確保するためで、少年飛行兵、少年戦車兵、少年通信兵、幼年学校生などです。
これらは正規の軍人です。

「少年兵」というとこれらを連想するのを避けるため、また現在問題になっているのはもっと低年齢の兵士で正規兵でないものを対象にしているので「こども兵」と呼んでいるのです。
従って両者は全く別のものです。

「こども兵」と呼ぶのは志願したものは...続きを読む

Q徴兵制で集めた兵隊は志願者と比べ士気が劣る?

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8500154.html
徴兵制では自衛隊が人を傷つけることを嫌がる平和主義者だらけになってしまう、それでは戦争で勝てないという回答が多いのですが。
ということは、志願制オンリーで兵隊を集めていたら第二次大戦はもっといい勝負ができていたんでしょうか。
「徴兵制で集まる奴は志願者と比べて○○なやつばかりだ」的な当時の報告や記録が知りたいです。
日本でなくてもいいので徴兵制で集めた兵隊と、志願してきた兵隊で人間性や戦争下での強さ、そのほか何でもいいので何かが違うという記録や統計があったら教えてください。

Aベストアンサー

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%B5%B7%E5%85%B5%E9%9A%8A


入除隊と昇進より

「伝統的に志願制を採り、少数精鋭を目指している海兵隊では、入隊志願者は採用時に選別されるため、入隊する人数はそれほど多くない」

「練兵訓練を修了した者のみが「海兵」と名乗ることを許される。海兵隊除隊後に他の軍に入隊しても再度練兵訓練を受ける必要は無いが、他軍を除隊して海兵隊に入隊した者は、それまでの功績を問わず海兵隊の練兵訓練を受けなければならない。」

以上引用

少なくともアメリカ社会では、志願兵のみによる海兵隊は別扱い。
アメリカのドラマを見ていると、元海兵というのはよく出てきて別扱いになっている。


志願制オンリーで兵隊を集めていたら第二次大戦はもっといい勝負ができていたんでしょうか。

戦争のやり方が変わったから 志願兵と徴兵を同一の土俵に乗せられない。
第二次世界大戦当時は、兵員数勝負
今はもっと質を求められている


アメリカの特殊部隊の兵たちは40歳前後のおっさん揃い。
20年とかを鍛え続け無いと特殊部隊に入れないそうだ。

国の視点でみれば、それだけ育成費用がかかっています。

http://japan.discovery.com/episode/index.php?eid1=871491&eid2=000000
ネタ元は ディスカバリーチャンネル

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E6%B5%B7%E5%85%B5%E9%9A%8A


入除隊と昇進より

「伝統的に志願制を採り、少数精鋭を目指している海兵隊では、入隊志願者は採用時に選別されるため、入隊する人数はそれほど多くない」

「練兵訓練を修了した者のみが「海兵」と名乗ることを許される。海兵隊除隊後に他の軍に入隊しても再度練兵訓練を受ける必要は無いが、他軍を除隊して海兵隊に入隊した者は、それまでの功績を問わず海兵隊の練兵訓練を受けなければならない。」

以上引用...続きを読む

Q上等兵って自動的になれるものなんですか?

Wikipediaを見ると、旧日本陸軍の上等兵は、一等兵から選抜試験をパスした優秀者しかなれないとあったのですが、漫画家の水木しげる氏は昭和17年に徴兵され、最終的に上等兵まで昇進したそうです。水木氏の著作を読むと、彼は兵としては問題児でとても選抜をパスできると思えないのですが、一等兵でも2-3年で自動的に上等兵になれるんでしょうか?

Aベストアンサー

『陸軍兵進級規則』(昭和15年 陸達第63号)によれば、

第五条 現役二等兵ニシテ入営後概ネ六月ヲ超ヘ成績優秀ナル者ハ一等兵ヲ命ズルモノトス

とあり、それらは「上等兵候補」と呼ばれました。

そうでなかった者は、一年後に一等兵に進級するので、入隊6カ月に時点で差がついていることになります。このため2年後の除隊時もその後の召集時も一等兵であるため、「万年一等兵」と呼ばれる兵も存在しました。

さらに

第六条 現役一等兵ニシテ入営後一年ヲ超へ成績優秀ナル者ハ上等兵ニ進級セシム

とあり、「上等兵候補」の中から、さらに勤務考課を参考にして中隊長の選抜によって上等兵に進級する者は「一選抜の上等兵」として将来の下士官候補者とみなされ、通常の教練のほかに「上等兵教育」を受けたり「伍長勤務」に就いたりしました。

この差を覆すのは、戦場において殊勲を立てるとか、実戦での特技を発揮する、ということでした。

おそらく、水木氏は『ポツダム上等兵』(終戦により自動的に進級した)だったのではないでしょうか。『ポツダム上等兵』について詳しくはネットで検索してみてください。

『陸軍兵進級規則』(昭和15年 陸達第63号)によれば、

第五条 現役二等兵ニシテ入営後概ネ六月ヲ超ヘ成績優秀ナル者ハ一等兵ヲ命ズルモノトス

とあり、それらは「上等兵候補」と呼ばれました。

そうでなかった者は、一年後に一等兵に進級するので、入隊6カ月に時点で差がついていることになります。このため2年後の除隊時もその後の召集時も一等兵であるため、「万年一等兵」と呼ばれる兵も存在しました。

さらに

第六条 現役一等兵ニシテ入営後一年ヲ超へ成績優秀ナル者ハ上等兵ニ進級...続きを読む

Q戦時下の兵隊さんについて

お世話になります。

実はながらく疑問に思っていたことがありました。というのも私の祖父の話です。

祖父は旧制半田中学を卒業後、志願して海軍にはいり、航空戦艦日向に乗り込み、同艦が呉にて停泊中に座礁。その後は陸軍に編入。満州辺で終戦を迎え、一時はロシアの捕虜となり、漁船をかっぱらい脱走。北九州に上陸し、そのまま同地の炭鉱にて仕事を始め、しばらく後、落ち着きを取り戻した郷里(名古屋)に帰りましたが、そこで家族と一悶着。結局は流れて、僕の生まれ育った静岡県に居を定めると言った、例としては若干古いのかもしれませんが、スギちゃん風に「ワイルドだぜぇ!」といった青年時代を過ごしていました。

そこまでは、まぁ誰にでもある武勇伝にすぎないのでしょうが、僕が疑問なのは、現在、押しも押されぬ老人となり、日々デイサービスなどを利用しながら、余生を楽しく過ごしているのですが、そのデイサービスで、どうやら利用者数人で麻雀を打っているそうです。

てか、あの人、麻雀なんていつ覚えたんでしょうか?デイサービスでもどうやら強いらしく、祖父自体も半分ボケてますが、半分以上ボケておられる老人相手に「イカサマ麻雀」も打っているらしく、なんやら普通に麻雀を覚えたイメージがないんです。

(※デイサービスの職員の方の話だと、かなり大胆なイカサマで、自分の手前の山に良い手の牌をあらかじめ作って乗せ、配牌が終わって、みんなが自分の配牌を整理している瞬間、ヨイッショ…といった慣れた感じで、山の上に乗せた良い牌と自分の配牌をそっくり変えてしまうそうな…そんな姿を他人様に見られて…最悪です…)

そして、祖父は自営で仕事をしており、またその業態は接待麻雀のようなことが無い業態でしょうから、戦後に覚えたとは考えにくいんです。祖母に聞いたら「戦争中に麻雀ばっかやってたから…」といっていましたが、戦争中ですからね…内地にいた祖母は祖父が公費で海外に出かけ遊んでいるイメージしかないのかもしれませんが(そんな感じの祖母なんです<m(__)m>)戦争中って…

ただ、祖父が麻雀を覚えるチャンスって、祖母が言うように戦争中しか思い当たらないんですね…

そこで質問です。戦争中の兵隊さんは麻雀を打ち、覚えるといった事は可能なのでしょうか?
正直、祖父にも聞きましたが「自然とね…覚えた…」と証言しており、「子供のころから3・3ロッポウは見ずに引けってね…アンタの曾祖父に教えてもらったさ…」と言ってましたが「3・3ロッポウ」は花札ですよね(-_-メ)
モウロクしており、正確な情報を得る事が困難なため、こちらでご教授賜りたく、お願いいたします。

お世話になります。

実はながらく疑問に思っていたことがありました。というのも私の祖父の話です。

祖父は旧制半田中学を卒業後、志願して海軍にはいり、航空戦艦日向に乗り込み、同艦が呉にて停泊中に座礁。その後は陸軍に編入。満州辺で終戦を迎え、一時はロシアの捕虜となり、漁船をかっぱらい脱走。北九州に上陸し、そのまま同地の炭鉱にて仕事を始め、しばらく後、落ち着きを取り戻した郷里(名古屋)に帰りましたが、そこで家族と一悶着。結局は流れて、僕の生まれ育った静岡県に居を定めると言った、例...続きを読む

Aベストアンサー

えー、日本でもっとも長い伝統をもつ遊戯クラブ、日本麻雀聯盟は1929年創設で、初代総裁は菊池寛でした(日本でメジャーになったのは、関東大震災の直後、上海で西欧諸国の人がひらいたチャリティー麻雀大会後のことです)。日本で麻雀牌を最初に製品として販売したのは、菊池寛が創設した文藝春秋社です。

で、当時はよかれ悪しかれ日本は大陸中国と深く関わっており、昭和初期の麻雀ブームがこの動きとぶつかって、第一次マージャンブームがおきます。
当時はいまとちがったルールで、リーチがないとか、上海と北方で上がりの手がちがったりとかしたそうです。山本五十六も海軍きっての麻雀好きで、ルールしらない部下に一回(局)だけプレイさせて

「長官、わたし牌にぎるのは生まれて初めてです」
「やればおぼえるから」

という按配だったといいます。

艦隊が青島、香港などにはいると、象牙の麻雀牌を日本にもちこむ(当時は禁止ではないですが、関税がかかります)のに四苦八苦で、神戸・横浜ではないところに入港させ、税関の人を軍艦挙げて大歓迎し飲ませ酔わせ、そこで「気の利いた」古参の経理下士官が、ハンコを借りて通関済みのハンを押してしまう、というのを、聞いたことがあります

当然陸軍でも大はやりです。紙の麻雀牌などは手作りもメーカー製もありました。
捕虜になってもマージャンはプレイされており、シベリアで使われた木で作られた手作りの麻雀牌が、舞鶴の抑留、引き上げ記念館に展示されています。

家庭でも文藝春秋の麻雀牌は普及していたので、戦前の方が一般の人も遊ぶ機会が多かったと思います。
家庭マージャンですね。

お祖父様のやり方は、積み込みという初級のイカサマであります。
お金かけているのなら、お止めした方がいいと思いますが、そうでないのなら、むしろそれをおぼえた時の「武勇伝」をシッカリと聞いてさしあげるのが、いいとおもいます。

えー、日本でもっとも長い伝統をもつ遊戯クラブ、日本麻雀聯盟は1929年創設で、初代総裁は菊池寛でした(日本でメジャーになったのは、関東大震災の直後、上海で西欧諸国の人がひらいたチャリティー麻雀大会後のことです)。日本で麻雀牌を最初に製品として販売したのは、菊池寛が創設した文藝春秋社です。

で、当時はよかれ悪しかれ日本は大陸中国と深く関わっており、昭和初期の麻雀ブームがこの動きとぶつかって、第一次マージャンブームがおきます。
当時はいまとちがったルールで、リーチがないとか、上...続きを読む

Qなぜ越後兵は戦国最強だった?

以前、戦国時代に書かれた書物を本で読んだことがあります(現代訳で)。
それによると戦国時代、一番強い兵隊は越後の上杉兵だそうです。
ちなみに2番目が甲斐の武田兵、3番目が相模の北条兵と三河の徳川兵らしいです。
武田兵は騎馬隊があるのであるので強いのは分かりますが、なんで越後兵はそれより強かったんでしょうか?

Aベストアンサー

合戦には戦略というものがあり、目先の勝敗はどちらでもよいのです。
例えば徳川家康は「桶狭間の合戦」で大将の今川義元が首を打たれたため三河に敗走、越前攻めでは主将の織田信長が逃亡したので敗走、三方が原では武田信玄に敗れて浜松に逃げ込み、本能寺の変でもやっとの思いで三河に脱出、とどちらかというと負け戦の多い武将です。
中国でも漢を建てた劉邦はライバルの項羽にやられて逃げ回りますが、最終的には勝利を拾います。
「尾張兵は弱兵」といわれ、その理由として尾張は肥沃な濃尾平野に恵まれ、津島の海運により商業が発達して豊かなため、命を惜しむからといわれてきました。
それに対して隣国の三河は今川に富を吸い上げられ、貧しいので命がけで戦うため強いとか。
越後も雪国ですから、人間的には我慢強い気質の方が多いため、「強兵」といわれると思いますが、それと本当に強いかどうかはまた別と思います。
幾ら個々の資質が高くても越後の兵はアマチュアですから、尾張のプロの兵士に勝てるかどうか。
柴田勝家が手取川の合戦で散々敗れますが、あれも主君の信長が、越後兵はこれ以上南下しないと読みきっての戦略で、上杉にとっては余り実のある勝利とは思えません。
兵の強弱は江戸期に甲斐の軍略家がまとめますから(武田家滅亡後、徳川に多くが仕えた)、どうしても武田家を持ち上げる傾向があり、武田信玄が梃子摺った越後兵は強いとなったと考えます。

合戦には戦略というものがあり、目先の勝敗はどちらでもよいのです。
例えば徳川家康は「桶狭間の合戦」で大将の今川義元が首を打たれたため三河に敗走、越前攻めでは主将の織田信長が逃亡したので敗走、三方が原では武田信玄に敗れて浜松に逃げ込み、本能寺の変でもやっとの思いで三河に脱出、とどちらかというと負け戦の多い武将です。
中国でも漢を建てた劉邦はライバルの項羽にやられて逃げ回りますが、最終的には勝利を拾います。
「尾張兵は弱兵」といわれ、その理由として尾張は肥沃な濃尾平野に恵まれ...続きを読む

Q戦時中の日本の合法的な徴兵回避について

軍需産業の社員になるってのを聞いたことがあるんです。
が、あの時代、そういう会社に就職するためには何が必要だったのでしょうか?
今のそれと何か違う点はあるのでしょうか?
やはり金持ちや権力者や軍の大物の子弟などは社員になりやすかったりしたんでしょか?
また、軍需産業以外に全うに徴兵を回避する方法があったら教えてください。

Aベストアンサー

いろんな手段はあるけど…

俺だったら英語能力を完璧にして陸軍通信隊に動員される道を選びます

飯は食い放題!
仕事は米軍の通信傍受のみ!
部隊の70%は10代後半の女の子!

日本人の50%が農家だったんですよ。
軍需産業に入るのは専門学校や大学を出て技師になることです。
それには財力が必要です。現代でも変わりませんよ。

Q戦争時の兵の分類と装備

 最近、映画「プライベートライアン」を何回も観ています。その中で火炎放射器を持った兵やスナイパーライフルを持った兵、はたまた通信機を持った兵など多様な装備を持った兵がいます。そういった装備はどういう風に割り振られるのでしょうか。またどんな装備があるのでしょうか。
 それと、順番的に聞くのはこちらだと思いますが、ゲーム「バトルフィールド1942」などで見られる偵察兵(スナイパー)や工兵、衛生兵などの兵種はどのようなものがあるのでしょうか。またその兵種の装備はどういったものがあるのでしょうか。

乱文で失礼ですが、お知りの方教えてください。

Aベストアンサー

兵士の中多数をしめるのは歩兵で主な装備は小銃と手榴弾でした。
しかし近代戦の複雑な様相に対応できなくなり少数の兵士からなるグループで敵中に浸透し、確実、かつ迅速に敵を破壊殺傷する必要が生じ装備もそれに見合うものが必要になり、現在の歩兵は以前に比べ非常に他種類の装備を持つ事になりました。

以前は火炎放射器は工兵の担当でしたが、工兵出身者を配属するか歩兵を訓練して担当させます。
摘弾銃は中口径の爆弾を発射するもので以前の摘弾筒や軽迫撃砲に相当するものですがこれを小銃と合体させた武器で携行に便利にしてあります。

バズーカ砲は成形炸薬弾や通常弾をロケットで発射する装置で対戦車戦やトーチカのような堅固な目標を攻撃するのに使用します。
これは通常弾薬手兼装填手と二人一組を組みます。

通信は現代戦では重要で訓練を受けた歩兵が担当します。
狙撃兵は特別に選抜され訓練を受けた兵士が狙撃銃という特別の小銃を与えられます。 これは昼夜兼用の照準眼鏡を備え長射程の小銃です。 弾薬も特別なものです。

一般の歩兵も突撃銃という単発、連発、速射の切り替え自由な銃で装備します。  機関短銃という携帯用機関銃は分隊長用や特殊任務の兵士が使用します。
機関銃は重量もあり体格の優れた兵士が選抜されます。

近代戦は多様な様相に対応できるように訓練が必要な為、レンジャー部隊など特殊訓練を施した部隊を別に設けるのが普通です。

兵士の中多数をしめるのは歩兵で主な装備は小銃と手榴弾でした。
しかし近代戦の複雑な様相に対応できなくなり少数の兵士からなるグループで敵中に浸透し、確実、かつ迅速に敵を破壊殺傷する必要が生じ装備もそれに見合うものが必要になり、現在の歩兵は以前に比べ非常に他種類の装備を持つ事になりました。

以前は火炎放射器は工兵の担当でしたが、工兵出身者を配属するか歩兵を訓練して担当させます。
摘弾銃は中口径の爆弾を発射するもので以前の摘弾筒や軽迫撃砲に相当するものですがこれを小銃と合体さ...続きを読む

Q戦時中の徴兵について

野球の沢村賞で有名な大投手沢村栄治は3度徴兵され出征したそうです。(中国、パラオ、フィリピン)
何回出征すれば除隊になる、とかいう徴兵回数の制限はなかったのでしょうか。

Aベストアンサー

親父も3回徴兵された、とぶつくさ言っていました。
昭和19年以降でしょうか、学徒動員された頃になると
男で動ける者は徴兵の回数に関わりなく徴兵されたようです。

神風特攻隊や万歳突撃などの運用をしていたのでは兵隊が
いくらいても足らなくなるのは当たり前の話です。

その上、精鋭部隊は本土決戦に備えて精鋭部隊や最新の兵器は
温存する動きもあったようで益々人が足らなかったのでしょう。

Qアメリカの州兵ってどんな立場・存在?

州兵って、国家の兵とは別ですよね?
州下で災害・暴動などが起きたときに動くのですか?
どの州にも州兵がいるのでしょうか?
日本で言うところの、都道府県の機動隊といったところでしょうか。
でも州兵は警察とは別ですよねぇ?

Aベストアンサー

連邦政府の持っている連邦軍とは別に、州政府の持っている軍隊です。アメリカは日本と違い連邦制なので、各州政府も地方自治体ではなく歴とした政府です。従って独自に軍備を持てるのです。各州は、外交権は完全に連邦政府に委託していますが、軍事権に関しては全て連邦政府に渡していない、と言う事です。国家の成り立ち、歴史の違いによる軍備の形態の違いですので、中央集権国家である日本の自衛隊と同次元に考えると解らなくなります。
州軍の形態は各州によって違います。財政状態の良い州では常備軍を置いているし、収入の少ない州では一定の訓練期間と非常時だけ召集されるパートタイムであったりと、まちまちです。
これらの各州軍も、戦時には連邦軍に編入されます。訓練度の問題などから、通常、遠征軍(攻撃の主力)は連邦軍、後方警備は州軍、と使い別けるのが基本です。
まあ最近は、冷戦後の軍備再構築で州兵も外征軍に編入されたりしているようですが、その辺の事は今手元に資料が無い状態ですので、申し訳ありませんが詳しい事は割愛させて下さい。悪しからず。

Q戦時中の日本兵の生活について

 大戦中の一般市民の生活の様子についてはある程度知ることが出来たのですが、当の戦っていた日本兵の生活についてはあまり調べることが出来ませんでした。
 戦地や占領地、キャンプ地などでは兵士の方はどのような生活をしていたのでしょうか。給料や衣服、食べ物など、生活レベルを教えていただきたいです。

Aベストアンサー

海軍と陸軍で違いますし、士官、下士官、兵でまた差があります。
海軍の士官は、3食ともフルコースに近い食事だったそうです。
陸軍でも、士官はかなり美味いもの食ってたようです。
下士官は兵と同じですが、慰安所や飲み屋は違っていたようです。
生活としては、3食着いて、寝床つき、兵児に至るまで支給ですから、市民に比べる(ほとんどは農村ですが)と、格段に良かったと思います。
軍隊に入るまで、銀シャリを食べたことがないってこともあったようですから。
陸軍の戦地(戦場)はひどかったと思います。
補給というものをあまり重視しない軍隊でしたからね。
インパールしかり、ガダルカダルしかり・・・
目を覆うばかりの惨状ですね。


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