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王貞治氏は、ダイエー監督に就任して9年で、
3回目の優勝をしそう(9月27日現在)です。
立派な成績です。

しかし以前、巨人軍の監督をしていたときは、その指導能力を批判されていました。
週刊誌とか、4コママンガ雑誌とかでは、
「動くと負ける」とか、「『ピッチャー鹿取』としか言わない」とか、「錯乱采配」とか、
それはそれはヒドい言われようでした。

私は野球に詳しくないので、采配の正否を判定できないのですが、
その当時と、現在では、王貞治氏の監督としての能力は変わっているのでしょうか。

・変わっていないが、戦力に恵まれている。
・挫折を経験して、選手の気持ちがわかるようになった。
・たまたまダイエーのチーム構成が、王氏に合っている。
・人気球団の監督は、何も悪くなくてもいろいろ言われる。

いろいろな可能性が考えられます。
当時の采配と、今の采配を比べて、どういう変化があったか、
あるいはなかったか、ご教示ください。

A 回答 (5件)

今晩は。



>当時の采配と、今の采配を比べて~
ですが、采配自体は、後ろに抑えがいて逃げ切る投手継投や攻撃面に関しても基本的には、現在と変わっていないと思います。
>『ピッチャー鹿取』と言われるように彼を酷使した事は、間違いないと思いますが、
当時は、現在のように抑えは最後の1イニング限定といったリリーフ投手の分業制はまだ確立されてなく、彼のような抑えはどこのチームも7~8回位から登板していましたが、王監督は、勝っている試合だけではなく、同点でも彼を投入させていましたし、9回の土壇場で追いつかれたりするような状態になっても、彼を変えずに投げさせていましたから、彼は先発投手並の球数を投げたうえに、翌日も彼を登板させるような投手起用を行っていた記憶があります。
また、王監督が巨人で最後に指揮を執った年は、抑えの鹿取に繋ぐセットアッパー的な役割を斎藤投手が、担っていましたが、当時、彼は精神的に弱く、ランナーを背負うとストライクが入らない状態になりゲームを壊していたのですが、それを懲りずに登板させ、解説者からはかなり非難されていましたが、この斎藤投手をこのような場面で使わず、頭から先発で使った方が良いと言っていたのが、今回、巨人の監督に就任した堀内氏と王監督の後、就任した藤田氏の御二方でした。
事実、藤田氏は彼を先発で起用し20勝させていますし、戦力的には、ほとんど前年の王監督の時と変わっていませんでしたので、彼の采配に問題があったように言われましたが、私は、あのような采配は、当時は他の球団の監督も似たような采配はしていと思います。ただ、当時投げていた巨人の投手の話によると、ピンチの場面でマウンドに監督自ら来た時の投手に対しての発言などは、彼は投手心理と言うものを全く理解していないと語っていました。

私の記憶の中では、当時の王監督は、いつも眉間に皺をよせた暗い表情で、巨人の選手自体も暗かったイメージがあります。また選手からは、煙たい存在だったようで、彼のことを選手達は「ワン公」と陰で呼ばれていたそうで、これは、幼少の頃「王貞治物語」を読んで育った人間としては、ショックでしたが、現在の王監督は、試合中時折、笑みを見せ、あの頃と比べて表情は、明るくなっているように見えますし、巨人時代には、無かった余裕のようなものを感じますが、それも初めてダイエーが優勝した年辺りぐらいからで、その前年までは相変わらず、巨人時代の険しい表情をしていましたよ。

では、彼が変わったのはどの時期かと言うと、私は、98年のオフ辺りではないかと思います。この年は、優勝を逃し、ダイエーのフロントは彼の采配や監督としての資質に疑問を持ち、彼自身、解任寸前のところまで追い込まれ、しかも球団ぐるみのスパイ疑惑が発覚したうえに、先発の柱の武田投手がFAで中日に移籍が決定し、かなり王監督自身も精神的に追い込まれ、自分自身を深く見つめ直した時期だったのではないかと思います。
そのような時に現在、投手コーチを務めている尾花氏に直接、自ら連絡をとり投手コーチを要請したそうです。尾花氏本人はかなり驚き、まさかあの世界の王から呼ばれるなどと思っていなかったらしく、思わず「どちらの王さんですか?」聞き返したそうです。
私は、現在の王監督にとって彼の存在は、大きいと思います。

巨人OBの故青田昇氏は、王監督や長嶋前巨人軍監督と言った大物選手は、プライドが高く、人の意見を聞かず、自分が何でもできると言った自己過信があるため、何もかも一人でやりたがる傾向がある為、彼らには彼らの為に片腕となる名参謀役をつけてやりたいと生前語っていました。
まさにこの王監督にとっての名参謀が尾花コーチではないでしょうか。ベンチでは、常に王監督の傍には彼がいますし、投手交代にしても右打者に対して、渡辺正和、吉田修司といった左の投手を投入させたりして、巨人時代では考えられない投手起用をしますので、これらの投手起用は、尾花氏の意見に耳を傾けているのだと思います。
この人の意見に耳を傾ける姿勢が、巨人時代と変わった要因の一つだと思います。

あとダイエーのフロントですね。ここのフロントは、一度、1軍2軍のコーチの仕事を経験させますので、現場の事を良く理解していますので、選手の補強に王監督を中心とした現場が、どういった選手を求めているのか理解していますので、フロントと現場が一体となっていて上手く機能している印象が、あります。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなってすみません。
日本シリーズも最終戦までもつれ込みました。
(現在、第七戦が始まる前)
王氏・星野氏とも、ここまで来たのはすばらしいと思います。
---------
みなさんご意見ありがとうございました。
(ポイントは感覚で付けます。悪しからず)

お礼日時:2003/10/27 12:09

ロ●テと並ぶ最下位球団から優勝したんだから、単に戦力だけの問題じゃないと思います。


今年だって、「主砲」小久保ぬきに「100打点カルテット」でカブレラ、ローズを擁する西武、近鉄にリードしています。
(松井がぬけたあとペタをいれて低迷している某球団とはえらい違い)

城島の入団を巡っては桑田の入団の時みたいに非なんもありましたが、地元九州出身の高校生が入りたがるようなチームになっていることも事実です。

個々の選手もフロントも王さんを信頼してまとまっているんでしょうね。

オリックスがイチロー、長谷川、田口とメジャーに言ってしまい、低迷しているのもダイエーにとってはラッキーだった。主力選手がFA権とるころにどうなっているか?

(身売りのあとどうなるかわからないな)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
ダイエーの前は南海でしたね。
そういえばあまり優勝に縁がないチームでした。
それを今日の状態にしたのは立派ですね。

お礼日時:2003/09/29 17:13

え、それって今のダイエーを見れば分かる事ですが、監督が能無しじゃ優勝は無理です。


確かにダイエーは、毎年のようにドラフトの目玉をさらい、和田、杉内、新垣、寺原の先発陣に代表されるようにどこに言ってもエースになれるピッチャーそして、最高級のバッターが並んでいます。はっきり言って、優勝できて当然と言う言い方もありますが、それだけの集団をまとめ上げ、チームを同じ方向にもって行けているのは王監督のすごさでしょう。だって、考えてください。そもそもダイエーは若手主体のチームで、大黒柱城島もまだまだ若いですし、先発陣に関して言えば、ほとんどが20代前半とかです。エース斎藤だって26歳とかですよね??今年は怪我ですが、星野も28歳とかだと思います。つまり、これだけの若手軍団しかも個性は集団をまとめられるのも王監督の采配のすばらしさですよ!

ってか、巨人の場合、今回の原監督の交代劇もそうですが、OB会がかなりドロドロしてて、誰かが監督をやれば、次の監督候補がいて、その人が筆頭になって、現監督を引きずり落とそうとするんです。それが、野球界の嫌な事というのは、紛れもなく、阪神星野監督の言葉です。だから、多少なりともそう言う部分が巨人監督時代にはあったと思います。だから、日本テレビで完全に芸能人のようにテレビに出てる江○の言葉をなるほどと信じてる方も多いと思いますが、あの人の発言も結局自分が将来巨人の監督になるための下準備ですから、100%信用できませんし、本当の意味で、そう言う派閥とかに関係なく、解説してくれるのは、長嶋終身名誉監督くらいです。あの人の言う事に逆らうのは(どんなカンピューターから来る間違えた発言でも)、野球界ではご法度ですし、あの人は派閥にかかわらず、勝手にものを言うので!
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
巨人監督時代の王監督は、マスコミではボロクソに言われていました。
私も若くて、マスコミの言う事を信用していた頃なので、
そんなに能力がないのか、と思っていたところがありました。

巨人の場合は、派閥とか、特に面倒そうですね。
その辺で苦労したところもあるかもしれません。

お礼日時:2003/09/29 17:04

そうですね#1の方の仰るとうりでしょう。


王さん、現役時から完全主義者だったと思います。
決して巷間言われている大陸的、大らかな性格とは異なり、理想を追求すると、とことん求め続けるタイプだったと思います。
中内オーナーからどうしてもと請われて就任し、世界的大打者の威光と、元巨人の監督というレッテルで理想の
球団作りを始めてみれば、毎年Bクラス、で挙げ句はファンからヤメロコール、生卵ぶつけ事件とさんざんな目に・・・・

でも永い目で見てくれるオーナーと、忘れてはならないのは、故根本球団社長の選手全員に言ったひと言、

「なぜ皆、そんなに構えているんだ!(王監督は)ただのラーメン屋の小倅なんだぞ」

このひと言で選手達との一体感が出来上がったと聞いています。翌年は見事日本一に、そしてV2、常勝球団にと歩んできました、今年も優勝するでしょう。王監督が理想とする(他の球団監督もですが)球団になって来たという事でしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>生卵ぶつけ事件
ああ、そういえばそんな事も…。
世界の王なのに…。

根本氏も、監督としては大成しなかったけれど、
相当な人物だったと聞いた事があります。

お礼日時:2003/09/29 16:54

巨人時代の王監督は、まだ指導経験も少なく(藤田監督のもとで、多少の経験はしていますが)その割には、(巨人というブランドのせいで)期待も大きいので、かなりのプレッシャーを受けながら、試行錯誤で指揮してたと思います。


巨人の体質として、優勝しなければ『ダメ監督』とのレッテルを貼ってしまうので、今回の原監督のように、暗黙に退任に追い込まれてしまいます。
その当時長島派と、川上派(王派)が有りいろいろと裏で揉めてたそうで、フロントとの確執も有ったようです。

それに比べ、ダイエーでの王監督はフロントサイドから絶大なる信頼を受け、就任した背景があり、王監督主導で改革が進められていました。
最初成績が上がらず、下位争いをしていたときも、フロントは長い目で見ていてくれました。そういった信頼関係が築かれていたため、腰をすえてダイエーを建て直していけました。
ダイエーサイドとしても、王監督のネームバリューを便りにしていた面も有りますが(当時まだ人気選手がいなくて、監督に頼っていた)
それと巨人時代の経験と反省が大いに役立ってるのではと。
やはり今回はフロントの信頼をバックに長期的展望をもって若手を育成したため、今の100打点カルテットやリーグ一の投手陣が育ったと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
原監督の件では、巨人ファンでない私でもかわいそうに思いました。
長い目で判断した結果、現在のダイエーが育ったわけですね。

お礼日時:2003/09/29 16:46

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