なぜ選挙にいくのでしょう?そしてメディアや知識人はなぜ「選挙に行くこと」を良い事のようにアナウンスするのでしょう?

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A 回答 (14件中1~10件)

私は選挙には行く気はありません。

むしろボイコットします。消費税でもそうですが税金を上げて貰いたい人が選挙に行けば良いと思います。日本全国有権者全員で投票をボイコットすれば今の政治は代わると思うけど(笑)
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1社会人として、民主政治に参加することは 当然の義務という考えなのだと思います。


有権者が参加しなければ、今回の消費増税法案採決のように、法案採決の権利ある権力者だけで勝手に一般庶民が苦しめられ、生活がどんどん辛くなる政治制度に強引に押し切られてゆきます。
選挙で投票したのに、裏切られた、背信行為だと言う国民もいます。
議員さんたちはすぐ、国民との約束を守れないと、こうした反論する国民に、選挙でこんな党を支持する国民が悪い、と責任転嫁する人もいます。

しかしながら、国民には総理大臣を決める選挙権が なぜ、ないのでしょう?
地方選挙の 何してるかもわからない人の選挙なんて、投票しろと強く言われても、全然誰がいるのかすら、わかりません。
総理なら、テレビで適任を国民は渦中にいないからこそ、見分けられるのに。

総理大臣選出、消費増税法案含め、国民にとってより肝心な取り決めの採決投票の権利ももらえないというのに、選挙だ、投票だ、と強いられる今の政治の在り方はおかしいですね。
革命は庶民の不自由な生活を理解できる感覚の人でないと出来ないもの、なのに、お金持ちで潤いすぎている人たちの権力争いと利益強要ばかりで、まともに政治がちっとも回ってない、国家の借金の尻拭いを国民に背負わせているのも、おかしなことです。

そうした、政権与えてくれたら、投票してくれたら何かしてやる、、、的、ふんぞりかえった人たちの、お金がないと立候補すらできない政治制度自体、が変わらなければ、ころころ総理大臣も(続かずすぐ変わる)、世界に白い目で実は見られていることも、変わりませんよね。

そんな、国家で既に決まりきっている選挙に、わけわからず人気投票みたく参加しなきゃならない国民の立場も考えて欲しいです。

国会議員以外の、国民ほぼ全員が、選挙で投票せず、棄権をしたら、変わるのでしょうか?
国会議員VS国民 になって、消費増税法案強引採決のように、国民に背信行為を全員でするような、虐め国政を 国民の税金でお給料もらいながら、嫌がらせにしつづける議員ばかりになるんでしょうか?
今回ニュースでもちきりですが、野田さんは自民党の人になっちゃったのか?と、
国民弱者虐め国会議員、みたい にみえました。
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とりあえずメディアが選挙に行くことを推奨している理由はわかりませんが、まあ選挙なんか行くなとも言えないでしょうしねぇ。



ちなみに私が選挙に行く理由は、投票したヤツが当選したら、「お前に投票した者なんだけど、家の近くの道路に最近たむろしてる若者がいるんだがなんとかしてくれよ」などと色々ケチつける為だったりします。
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>なぜ選挙にいくのでしょう?



民主主義者にとっては大切な儀式だから。


>メディアや知識人はなぜ「選挙に行くこと」を良い事のようにアナウンスするのでしょう?

民主主義思想を広める事が、彼らの仕事だから。
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1、何故選挙に行くのか


考えてみればおかしな話です。
候補者の事なんか何も知らないのに、それでも
選べ、と言うのですから疑問は尤もです。
それでも選挙に行くのは、何か良いことをしている
ような錯覚を持たされているからでしょう。
つまり、民主制というものを深く考えないで
良いものだ、と信じているからではないでしょうか。
もはや宗教です。

2,メデアや知識人が良いことのように言うのは
彼らが民主制を良いことだ、と信じている
からでしょう。
知識も素養も情報も持っていない選挙民の意思を反映する
政治がよいことだ、と疑っていないのです。

3,あえて選挙の意義を求めるとすると、それは
選挙に行かないと、政治家が国民に不利な政策を
安易に採用するようになる、ということでしょうか。
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なぜ選挙にいくのでしょう?_


 一文の得にもならないのに態々出向くはずはない。何かしらの何か餌のようなものがあるのではないでしょうか・・・

「選挙に行くこと」を良い事のようにアナウンスするのでしょう?_
メディア _サクラの情報も選挙の情報もその他の情報もすべて同じ番組枠のトピックとして価値は同じ扱いなのではないでしょうか?

知識人 _何かしらのバロメーターとするはよく訊くところではないでしょうか?

 いずれにしろ見通しが悪いのは、春に種を播いて秋に収穫する農作物と一緒、実ははやく収穫するに越したことはない、とはいえないでしょうか...
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#6です。



いやいや

見識の相違だと思われます。

権利を主張する前に義務を遂行するのが、一般的な社会の構図です。
対価を得るには、その金額に見合った労働が必要です。
共産主義国家であればすべからく平等と唱えていますが、現実は特権階級が利益を搾取し、平民にはチャンスすら認められていない。

民主国家にしても、それすら(義務の履行)しない者には、どんなに大声で権利だと呼びかけても誰も耳を貸し相手にもしてくれません。

また、政治体制の異なる(極端に違いすぎます)国と同意に解釈し議論を展開するのも選挙を棄権をすることで意思を表すよりも無意味であり無駄です。

この回答への補足

tec21865さんたびたびの御回答ありがとうございます。
権利と義務は同意できますが、選挙はやはり権利でも義務でもありません。他の方の補足にも書かせて戴きましたが「おふざけ」以外なにもでもないように思います。選挙という義務を履行してもなんの権利もありませんし、また逆も同じです。つまり「どうでも良いおふざけ」をやっているにすぎません。
北朝鮮は民主主義国家ですよ「朝鮮民主主義共和国」しくみは異なりますが、形式は合っています日本とおなじようにね

補足日時:2011/04/10 15:50
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なぜ選挙にいくのか?という本質的な問に対して、お応えしたいなぁと思います。



昔は、個人には自由がありませんでした。

個人一人ひとりは、自ら夢や理想を描く事はそこまで赦されるものではありませんでした。昔々の話です。まだ、社会のプレートが農業社会の頃、そして、社会の中心が王様であった頃の時代です。

個人には、引越しの自由もなく、結婚の自由もありません。

引越しも、結婚も、王様にお伺いを立てて、王様の意に叶う引越し、結婚だけが赦されました。それが、王様の権力であり、王様が得た権利です。

勿論、それが当たり前の社会ですので、その時代では、それが正義と言いますか、正しい事でした。実際、王様の判断基準にどこまで合わせる事ができるかが、その国の力を示すバロメータですし、それが出来なければ他の国が攻めてきて、愛する人も親しい人も、奴隷にさせられてしまうから、それは大変な事です。

ですから、国が強くある為にも王様の判断基準にピッタリ合わせる事がとても大事でした。

ところが、ある時そこに変化が起きます。

天動説から地動説へと意識の変化が起きる事をキッカケに、社会プレートが全体的にゴソッと入れ替わる様になっていきました。それまでは、神・聖書・教会・牧師の理解方式・認識方式に沿う事が正しい事だったのですが、天動説から地動説へと成り代わると、宇宙自然の仕組みを理解する為に、何も神・聖書・教会・牧師を通さなくても良い様になっていきます。

やがて、ニュートン・デカルトがx軸y軸z軸の直交座標や方程式などを開発する事を通して、個人一人ひとりが自ら宇宙自然の仕組みを理解出来る土台が広まりました。これをキッカケに、神中心から人間中心へと全てが移行していきます。

俗に言う西洋のルネッサンスですね。

その流れの中で、フランス市民革命、イギリス産業革命などが起こり、個人主義は益々加速する様になります。王様は、当時の市民たち(多くは商人)によってその地位を追われ、その時の宣言がフランス人権宣言です。

そこには、国の荒廃は、人の権利に対する無知・忘却・軽視によって起きたものだから、自然に人が有する権利に対して守っていこう・・・という様な事が書かれてあります。後世の人が、忘れる事がない様に・・・と血と汗と涙を流しながら記したものです。

フランス市民革命が起きる前には、如何に王様によって市民が苛められて来たかが見て取れる様な文章です。

ですから国を運営する際にも、そのリーダーを選出する権利が個人一人ひとりにあるべきだとするのがフランス市民革命、フランス人権宣言によって生まれてきました。

日本を始めとして多くの東洋の政治は、西洋のルネッサンスをただ輸入して真似たものですので、西洋の国づくりを参考にしている事が多いです。

選挙に行く理由が見えてきますでしょうか?

歴史的な背景や、当時の市民たちの願いを借りるならば、もう二度と個人一人ひとりが有する権利に基づく自由選択意思に対して、無知・忘却・軽視にならない様にしたいとの切なる願いが込められていて、だからそんな社会を創る為の在るべきリーダー像は、一人ひとりの権利を行使する事によって選出しようとするのが選挙ですね。

いわば、どんな社会を創りたいのか、どんな生き方をしたいのか、について表現するのが権利の行使であり、一つには選挙というやり方があります。

如何でございましょうか?

この回答への補足

zakky74さん御回答ありがとうございます。
いろいろと教えて戴きましたが、御説明にある歴史的に民主主義が必要になったという意味は理解できます。しかしこの国には民主主義の前提になる「個人」が存在しません「個人」とはキリスト教が元になっている、一つの人間の生き方だと思います。「個人」が存在しない以上民主主義もありえません。ましてや選挙なんか「おふざけ」も良いとこで、自粛するべきです。日本人は近代化で西洋の習慣(選挙、クリスマスなど)や物を取り入れましたが、結局「個人」という考え方は習得出来ませんでした。だから、買い溜めをしたり、情報を隠蔽したりして自分の手に届く人にしか感心を寄せません。
つまり西洋人より「サル」に近い存在でしょう。自分の所属している群れにしか感心を寄せないんだから。

補足日時:2011/04/10 14:04
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直接



政治に対して参加できる限られた権利、並びに義務である、と言えるのでは

政治に参加したくても、議会で発言権がなければ、声も届きません。

よって、自身が指示する人物や政党に対して票を入れる、と言う行為では・・・

投票権を棄権していながら、国政にしろ自治体にしろ「こんな制度など納得できない」は通らない道理です。

海外では、義務化されている所も多く、大学を卒業できない、就職ができない等々、社会人として認めてもらえない事もあるようです。

この回答への補足

tec21865さん御回答ありがとうございます。

権利と義務は相反する関係だと思います。言葉の意味を確認して下さい。
投票権を棄権しなくても、政治は何も聞いてくれません。
北朝鮮では投票率が99%らしいです。それを目指しますか?

補足日時:2011/04/10 13:23
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補足ありがとうございました。



権利って、政治に参加する権利じゃないんですか?

私は市議にも府議(京都なので)にも立候補しませんので、私の政治に参加する権利(参政権だったかな?)を「この人なら」って候補者に投票するものだと思っています。

20歳になってから、一度も棄権した事はありませんし、一番乗りして、投票箱が空であることの証明書を書いたこともあります。

この回答への補足

hiroki033さん御回答ありがとうございます。

ただ単に盲目的に選挙に行って、それでおしまい。でよいのでしょうか?
現代日本で「みんなで決めなければいけない事」は税金の配分つまり予算編成ですよね。その予算編成は国会でいろいろやっていますが、基本的な青写真は官僚が製作しています。それを大臣やらが国会で答弁しているだけじゃないですか?つまり議員は官僚のスピーカーみたいなものです。そのスピーカーに莫大な税金を投入しているのが現代の日本です。しかもそのスピーカーに権利を与える為の選挙なんか「ふざけている」としか思えませんね。

補足日時:2011/04/10 11:28
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