なぜ人は自粛するのか?
まず、その自粛とは何か?辞書を引いてみました。

【自粛】
[名](スル)自分から進んで、行いや態度を慎むこと。

僕は思う。
自粛して物理的に良い方向に向かうこともあるだろう。
が、まったく何の意味もないのに人は自粛しているのは
なぜであろうか?

例えば人は、身近な人が死んだら自粛する傾向にある。
しかし、自粛したからって死んだ人が生き返るわけでもない。
また、どこか不幸があっても人は自粛する。
自粛したからって、不幸が幸福になるわけでも、あったことが
なかったことになるわけでもないのに。

自粛は自己満足に過ぎず、要するに人は善人でいたい
わけなのだ。
と、僕は思うのですが、みなさんはどう思われますか?

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A 回答 (11件中1~10件)

自粛するのは構わんが、「自粛してますっ!」って宣言する奴がおるからやんなっちゃうね。



自粛なんらだから自粛しておればよいだけなのに、なにか「俺は自粛してやってんだ」みたいな恩着せがましさが見え隠れしねえかぃ?
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自粛するフリをしたり、周りが自粛するから自分も空気を読んで真似だけする、


タイプの人なら、自己満足で偽善だとは思います。

ただ、心から自粛したい、悲しみを分かち合えないのは分かった上で
それでも分かち合いたい、という気持ちのとき、自然に自粛という行動に
つい出てしまうのではないでしょうか。

そこには見返りや計算はないと思います。

その人のテンションや立場、悲しみ、気持ちの低さにまで、自分を下げて、
一緒の高さにするだけでもいいから、何かしたいと思ってしまいます。
それで何がどうなる、というわけでもないです。
ただ、そうしたい、と思う人情は確かにありうると思います。
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島国文化に代表されるような「遠慮文化」がある。


それが他律的社会性としての暗黙の規律や戒律なのだ。

「自粛」というのは「自律的社会性のような」という意味。
結局のところ狭い土地に暮らす民族の「遠慮文化」です。

私の知る範囲では、例えば祖父が死ぬと、内蔵を取り除き、
ミイラにして、格好はアグラをかいて、棒に串刺しにして、
それを、祖先の形見として、祭りで「串刺しミイラ」を
かついで、踊り明かす。こうした文化は、遠慮文化じゃないよね。

この民族は「善人」ですか?「悪人」ですか?
そんな問いも、もはや無用でしょう。
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他人の不幸に感情移入して、何もできない人に対して、できる自分を申し訳なく思う気持ちが自らの行為を自粛させるんじゃないでしょうか。


つまり、申し訳ないと思う自分の気持ちのバランスを取るために、申し訳なさにつながる喜びや楽しみを制限する、ということですね。
そうなると自粛するのは不幸にあった人のためというより、その人の不幸に感情移入している自分のため、ということになるかと思います。
確かにそれは自己満足ですが、善人に思われたいというよりも、自分の精神のバランスを取るための自然な衝動だろうと思います。
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 既に回答に在るように、本来は相手を思いやる気持ちの現れ。



 でも、メディアが自粛という行為を宣伝するので、社会にそうしなければという風潮が起き、その風潮に押されての“自粛”という行為があって、そして我々はこうした行為を、メディアを通してのみ知ることになるので、berryz100さんの今回のような疑問が起きるのだと思います。

 「自粛」の中身は本来のものである場合もあれば、自己満足であり、善人でいたいから、という場合もあるはず。

 マスコミから発せられる“自粛”の情報は、批判的目線で見たくなりますね。

 
 
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なるほどと納得するところもあります。



どうやらネット上では、過剰な自粛と経済活動とのバランスをどう見積もれば良いのかが分からないという様な事が話題になっているそうですね。賛否両論と言いますか、僕は、どちらの言い分も聞いてみればなるほど、と思えます。

ランチ会に参加したり、勉強会に参加する時にも、そうした自粛の話が話題になっていたので、これは深めるに値する話題だと気付き、ブログに書いてみました。

手前味噌で、かつ厚かましいおススメとなりますが、ぜひ読んで頂きたい自粛についての記述でございますので、目を通されてみて下さい。

【自粛の意味とは何でしょうか?経済活動とのバランスを図り、復興に向かうには?
http://ameblo.jp/shima-zakky/entry-10855962347.h …

>しかし、自粛したからって死んだ人が生き返るわけでもない。また、どこか不幸があっても人は自粛する。自粛したからって、不幸が幸福になるわけでも、あったことがなかったことになるわけでもないのに。

この観点も大いにありましょう。

ですが、だからこそ真に自粛が必要とも言える事もあるのではないでしょうか?真の復興とは何だろうか・・・本当に復興させるべきものは何だろうか・・・生きる為に最後まで津波と戦ったけれども命をなくされた方々の意味とは・・・目に見える形だけを元に戻す復旧・復元ではなく、復興を遂げる為には、何をどの様に復興させるべきなのかがとても大切なんだろうと思います。

自粛の当為について、見直す機会になればいいなぁと願いつつ書いたものです。また、受けた破壊のエネルギーを、何百倍もの創造のエネルギーへと転じて、それが再び世界にまで届く様になればいいなと願いつつ書いたものです。

日本の心は世界の為に機能できるものです。
世界は、日本の心をとても待ち遠しく待っていると思います。
復興に向けて、積極的な自粛でありたいと思っています。
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この時勢、ふつーの人間だったら、自ら心がしおれて、とても歓楽に現を抜かす気にはならないものです。


少なくも私を含めて身近の人たちはそのようです。

ここしばらくはレジャーランドも閑古鳥だそうですし、まんざらわたしだけでもないようです。

私のような人の一部にはそうでもないひとたちが浮かれ騒ぐのを不快に思い、それを先取りした気の利いた人が「じしゅくー」と号令をかけているのでしょう。

私はまあ余計かな、とは思いますが。
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山道を登りながら、こう考えた。


 智に働けば、角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。 
 住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、自粛が生まれる。
 人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに自粛という倫理できて、ここに自粛という使命が降る。あらゆる自粛の士は人の世を丸くし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
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仲間に対する思いやり だと思う。

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自粛の是非は論じないとします。



「自粛したからって死んだ人が生き返るわけでもない」
これを言い出すと、すべての葬祭行事は無意味です。
葬式でいくら泣いたとしても、
香典をいくら包んだとしても、
死んだ人が生き返るわけではない。

あなたが葬儀や埋葬に関するすべてを否定しているなら、話のつじつまは合います。

そうでないなら、やはりどこか矛盾しているでしょう。

葬儀は身近な人だからいいんだ、と言うかもしれません。
では身近の定義は?

日常で縁のない人とはいえ、
国内で2万人以上が亡くなっている可能性があり、
しかもなお多くの人が避難生活を余儀なくされ、
今後の生活に見通しが立っていません。

このような事態を踏まえ、直接的に関係のない人であっても、
悲しい気持ちになるものです。
少なくとも私は悲しい気持ちになります。

亡くなられた方の葬儀に直接参加することこそないけれど、
日常において鎮魂の気持ちを表現したい、
その結果の自粛であれば、想像に難くないと考えます。

自粛を是とするわけではありませんが、
気持ちとしては理解できる、という意味です。
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