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天魔覆滅、魔王光臨、
といった具合の死や破滅、破壊を予感させる3~4文字の言葉を教えてください
(造語大歓迎です)
よろしくおねがいします。

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A 回答 (3件)

盛者必衰


平家物語で有名な言葉です。

生者必滅
生命あるものは、必ず死ぬときがあるという言葉です。
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この回答へのお礼

語呂的にこちらがよかったのでベストアンサーにさせていただきました。
みなさんありがとうございます!

お礼日時:2011/04/17 22:53

寂滅霧散(じゃくめつむさん)


羅利骨灰(らりこっぱい)
五濁悪世(ごじょくあくせ)
六百六十六(「ヨハネ黙示録」)
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「バルス!」って言うの、ダメ? ラピュタ見た人なら分かると思うんだけど・・・。

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Q2歳〜以降の幼児で、いつまでも かんしゃく を起こしたり お友だちに意地悪や、ぶったり叩いたり、言葉

2歳〜以降の幼児で、いつまでも かんしゃく を起こしたり お友だちに意地悪や、ぶったり叩いたり、言葉遣いが乱暴だったりする子って 何が影響していると思いますか?

Aベストアンサー

まぁでも2歳以降ってそういう時期じゃない?その悪いことを悪いと学ぶ時期じゃないかな?5歳以降で意地悪してたら家庭環境に問題があると思うけど

Q「死の棘」という言葉はどこから?

島尾敏雄の小説のタイトルに「死の棘」っていうのがありますが、これって何か昔からそういう慣用的な表現があったのでしょうか?それとも島尾さんのオリジナルなのですか? 

ふと、その言葉が気になって調べたんですけど、辞書にもないし、検索しても島尾さんばっかりで…。おまけに、その小説も読んだことがないので余計に分かりません。

もし何かに由来してるのでしたら、原典と意味を教えていただきたいのです。
本当にふとした疑問ですみません。

Aベストアンサー

新約聖書からの1節からきています。
「『死よ、なんぢの勝(かち)は何処にかある。死よ、なんぢの刺(はり)は何処にかある』死の刺は罪なり、罪の力は律法(おきて)なり。されど感謝すべきかな、神は我らの主イエス・キリストによりて勝を与へたまふ。然(さ)れば我が愛する兄弟よ、確(かた)くして搖(うご)くことなく、常に励みて主の事(わさ)を務めよ、汝等その労の、主にありて空しからぬを知ればなり」(コリント前書-第15章55-58)
訳によって「死の刺」「死の針」とあるそうです。読み応えのある内容でした。

Q「言葉」ってどういうものだと思いますか?

「言葉」ってどういうものだと思いますか?

テレビをつけても人が集まっても言葉が飛び交っている…。言葉言葉言葉…。

なんででしょうか?

Aベストアンサー

言葉は、人間が生きるための『ツール』として捉えています。

TVで言葉が飛び交うのは、コンテンツとしての情報発信のためです。
最終的には放送局が広告主から広告費をもらうために
視聴者をTVの前に釘付けにするためのツールとして
言葉がスピーカーから出てくるのです。
要するにこれも広告費を稼いで生きるためでしょう。
TVの場合は、言葉で無い場合もあります。映像だけでも成立しますからね。
ラジオも同じです。

人が集まって言葉が飛び交うのは、
何らかの情報の出力・入力をするわけですが、
これも究極は生きるためのツールです。

もし、緊急事態が起きて助けが必要な場合、
言葉を使って誰かにコミュニケーションをとらなければなりません。

言葉を使って緊急事態を伝えることが出来なければ
すなわち死が待っています。
SOSという信号も、SOSという言語=記号=言葉があって
初めて成立するものです。

言葉が存在する究極の意味は
人間が生存するために与えられたものだと思います。


逆に言葉がない世界を想像してみてください。
何か野蛮な匂いがしませんか?

獣の世界に変わると思います。

言葉が無ければ法律も成立しないでしょうし、
ましてや自制なんて働かないでしょう。

人にモノをとられても、取り返すことを伝える術がありませんからね。

言葉は、人間が生きるための『ツール』として捉えています。

TVで言葉が飛び交うのは、コンテンツとしての情報発信のためです。
最終的には放送局が広告主から広告費をもらうために
視聴者をTVの前に釘付けにするためのツールとして
言葉がスピーカーから出てくるのです。
要するにこれも広告費を稼いで生きるためでしょう。
TVの場合は、言葉で無い場合もあります。映像だけでも成立しますからね。
ラジオも同じです。

人が集まって言葉が飛び交うのは、
何らかの情報の出力・入力をするわけですが、
これも究...続きを読む

Q二つ文字牛の角文字直ぐな文字…

この古文の出典教えてください。なにかの出典の第六十二段です。宇治拾遺物語でしょうか。それとこのとき延政門院は何歳でしょうか。私の考えですと滅亡後からかぞえて推定21歳。

Aベストアンサー

徒然草 62段みたいです

後嵯峨天皇の皇女である延政門院悦子(1259-1332)が、幼いときに父君の御所に参る人に言伝てして奉った歌について書いた段のようです。

何歳とは徒然草が出たとき? というご質問でしょうか?

参考URL:http://www.nikkoku.net/ezine/asobi/asb17_01.html

Qこの意味の言葉の熟語って・・・

この前どこかの本で「無に還す」とか「無に還る」という言葉を聞きました。この言葉の意味の二字熟語を何か知りませんでしょうか??辞書にのっている言葉でお願いします。

Aベストアンサー

「抹殺」
  http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E6%8A%B9%E6%AE%BA&stype=1&dtype=0

「帰元」
  http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E5%B8%B0%E5%85%83&stype=1&dtype=0

など近いかと思います。

Qこの言葉は誰が言った言葉でしょうか?

曖昧な記憶しかなく、ニュアンスでしか覚えていないので、わかりづらいと思うのですが、
どうしても誰が言った言葉か知りたいので質問させてください。

「死ぬために生きるのではなく、
生きるから…」

といったような言葉です。すいません、ニュアンスで、もうちょっと違う言葉かもしれません。
確かちょっと前の詩人か、文人だと思うんです。

これかな?と思う方、いらっしゃいましたら回答をお待ちしています。
手がかりでも構いません!よろしくお願いします!

Aベストアンサー

こんにちは。

#4に追加します。

● たった一人しかない自分を、たった一度しかない一生を。

● 人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけでたいしたもんだ。

● 生きているということ いま生きているということ

● いかに死ぬか、いつ死ぬかを選ぶことはできない。
   選べるのは、いかに生きるか、それだけだ。

Q疑心暗鬼をやめたい

疑心暗鬼をやめたい。周りが信用できないのはなぜ?

Aベストアンサー

あちゃ~疑心暗鬼に陥ってしまったわけですね。
でも、疑心暗鬼を払拭するには、ただただ信じるしか
ありません。
誰かに、嘘をつかれたり、裏切られたりすると、どうしても
疑心暗鬼に陥ることになりますが、すべての人がそうとは限り
ませんから、ちょっと人を信じてみてください。
私自身も実は、過去のおいて、人を信じることができず、人間不信の渦へと。
しばらくは、疑いの目、距離を置いて、人と付き合うことにしました。
しかし、それが凄く疲れ、自分が嫌になり、人を少しづつ信じて付き合うことに
なりました。

周りが信用できないのは、自分が疑心暗鬼になっているからです。
なので、逆に疑心暗鬼にならなかったら、周りが信用できるように
なります。
私自身はそれで、人を信じることができるようになりました。

Q『失意の日も得意の日も・・・』という言葉、誰の言葉でしょう??

全文は、
『失意の日も得意の日も それからすっかり時がたって 全てが消えてしまっても いかに小さくとも真剣に激しく生きたときの思い出は残っている』
です。

何年も前の、メモに走り書きしたのを、最近発見したので、もしかすると全く有名なものではないかもしれませんが・・・

もしご存知の方がいらっしゃったら、誰の言葉か、また
本や詩の中の言葉でしたら、その作品名等教えて頂けない
でしょうか。
宜しくお願いします!!

Aベストアンサー

こんにちは!
自信は全く無いのですが、これはもしかすると井上靖さんのお言葉ではないでしょうか??
「失意の日」「得意の日」という言い回しにピンときたのですが、井上靖さんの「夕映え」という作品に、この言葉が出てきます。
井上靖さんのこの作品は、背景描写が本当に素敵なので、もしお時間がおありでしたら一度読んでみて下さい。

Q「誤解」という言葉の使い方

ある特殊法人が間違った税金の使い方をしたため、幹部数人が並んでお辞儀をして謝る場面をテレビで見ました。
このとき「今後こういう『誤解』を招くようなことは、一切致しません。」とのお詫びの発言がありました。
「誤解」という言葉の使い方は、これで合っているんでしょうか。
間違った行為をしながら、「誤解を招いた」というのは、おかしいような気がします。
しかし、いつも辛口のテレビコメンテーターも、変だとは指摘しません。
そして、このような「誤解」という言葉の使い方については、過去にも同様の謝罪会見で、何回か耳にたことがあります。
やっぱり、「誤解」という言葉の使い方は、これでいいのでしょうか。

Aベストアンサー

その特殊法人がどんなことをしたのかにもよりますが、
「間違った行為をした」のならば、「誤解を招いた」という言い方は間違っています。

ただ、お役所が行う謝罪というのは「間違った行為」に対して謝罪をしている場合は少なく、
「社会問題になったこと」に対して謝っている場合が多いです。
謝罪の言葉も、「間違った行為をして申し訳ありません」という言い方より、
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」という言い方が圧倒的に多いですね。
つまり、「間違った行為をした」のではなく、「間違ったと『思われる行為』をした」という認識です。
これは「自分たちは間違ったことをしたつもりはいないが、間違ったと思われる(誤解される)行為をして、
それが社会問題になり、(結果的に)国民に迷惑をかけてしまった」という考えになります。
こう言えば、本来処罰されるべきである間違った行為そのものに対しては、責任が問われないことになります。
そして、「国民に迷惑をかけたこと」という事に対してのみ責任を取って、幹部などの座を退く、
これで処罰は免れることができます。
特に、その行為が刑事罰の対象になるような場合、そこは徹底的に隠し通して、
マスコミや世論の責めを回避するために、その行為に対して責任をとったように見せかけて
事をうやむやにして終わらせようとしているのです。

>しかし、いつも辛口のテレビコメンテーターも、変だとは指摘しません。

確かにこれもおかしいですね。
本来、責任を取るというのは、その行為の詳細や原因を明らかにし、
二度とこのような「行為」がおきないように、対策を講じるのが本来あるべき姿です。
やめるかどうか、処罰されるかどうかなどはその後の話です。
しかし、日本ではこのようなことをしても評価されず、自ら退くのが善いとされています。
少なくとも政治やビジネスの場ではこのようなことはよろしくないですね。

その特殊法人がどんなことをしたのかにもよりますが、
「間違った行為をした」のならば、「誤解を招いた」という言い方は間違っています。

ただ、お役所が行う謝罪というのは「間違った行為」に対して謝罪をしている場合は少なく、
「社会問題になったこと」に対して謝っている場合が多いです。
謝罪の言葉も、「間違った行為をして申し訳ありません」という言い方より、
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」という言い方が圧倒的に多いですね。
つまり、「間違った行為をした」のではなく、「間違っ...続きを読む

Q神や仏、仙人は死んだ人??

みなさんは死人の世界とはどういうイメージをお持ちですか?
神様や仏様っていわば死んだ人のことですよね・・・?
それでは仙人も死んだ人なんでしょうか・・・?

Aベストアンサー

>神様や仏様っていわば死んだ人のこと

質問者氏の以前の質問も民俗学マターのものがありましたので、推測ですがこの質問もその分野の視点に立ったうえのものではないかと思えます。そうだとすれば、この見方はあながち間違いではありません。

混乱しがちですので簡単に整理します。
柳田國男が『先祖の話』の中で多方面から分析していることですが、古来日本人は死人を「ホトケ」と称して供養を行ってきました。この「ホトケ」はもちろん仏教の「仏」と同じものではありません。
仏教でいう本来の「仏」は、欲望をコントロールする聖人であり人間の到達し得る理想であったのは事実ですが、大乗仏教以降、法身仏などが生み出されたことで「仏」は残念ながら人間の手の届かない存在になってしまいました。

日本人が「ホトケ」と呼ぶものはこの「仏」のどちらの意味にもあてはまらない存在です。敢えて言えば「供養を必要とする存在一般」の総称であると言えるでしょう。
(宗教学や民俗学ではこのような混乱を避けるため、死者たる「ホトケ」と仏教の教学上の「仏」をそれぞれ区別して記載するのが普通です)

「ホトケ」を供養する必要があるのは、罪穢にまみれた存在であると受けとめられたからです。もろもろの罪汚れのために「ホトケ」は荒れすさび、社会に不幸や災厄をもたらすと考えられたため、それを供養によって浄化することは現実的に重要な課題だったのです。

古来の日本人の信仰では、供養による「ホトケ」の浄化は年月を必要とすることでした。柳田國男は三十三年間ないし五十年間の供養を行って初めて「問い切り(弔い切り)」などと呼ばれる供養の終了を迎えられることを指摘しています。またこの問い切り以降、死者が祖霊や氏神として祭られるようになることも柳田の指摘するところです。

つまり、供養の続いている間は死者は「ホトケ」として認識されますが、一定の期間の供養の満了をもって「ホトケ」は「カミ」として扱われる、というのが柳田の分析でした。死霊は浄化によって神霊化し得る、というわけです。

そもそも、霊魂の根本にある本性は穏やかで自然の運行に合致したものであって、それは「ホトケ」も「カミ」も共通しているはずだと考えられたのです。ただ、違いは「カミ」は完全に浄化され罪穢を離れているためにその本性を十分にあらわすことができる、ということにあるのです。

もちろん、ここでいう「カミ」も「神」とは少し違います。「カミ」は創造主でもなければ記紀神話に出てくるような人格神でもありません。人間社会に穏やかな恩寵をもたらす存在とでもいうべき茫洋とした括りで認識されていたのが「カミ」なのであって、むしろ生々しい個性が時間をかけて剥落することによって「ホトケ」は「カミ」たる資格を得たのです。

従って民俗学的に見れば「カミ」も「ホトケ」も同じ地平のうえの存在であるわけで、両者とも死んだ人、という見方は限定的にではありますが、間違っているわけではありません。こういう古来の民間信仰の下地があればこそ、神仏混交が民衆レベルで進行し得たのです。
繰り返しますが、あくまで「神」や「仏」と混濁させないことが重要です。

さて仙人ですが、正確には多少イメージの変遷を経ています。後漢のころまでは「僊人」と表記されており、これは文字通り「僊」つまり(魂が)抜け出た存在ということで、人間とは隔絶した存在でした。むしろ死んだ人に近いニュアンスだったでしょう。
しかし徐々に神仙思想が固まるなかで、不老不死を獲得した超越的な人間という位置付けに固まってきたのです。現在を問題にするのなら、仙人は人間でしょう。

※回答者には質問者のレベル(失礼)を知る術が限られています。より意味のある回答をするために、不明な点があれば補足でより具体的にポイントを絞った質問をするか、さもなければ質問を一旦締め切ったうえで新たな質問を立てて頂くことを希望します。以前回答した質問についても同様です。

>神様や仏様っていわば死んだ人のこと

質問者氏の以前の質問も民俗学マターのものがありましたので、推測ですがこの質問もその分野の視点に立ったうえのものではないかと思えます。そうだとすれば、この見方はあながち間違いではありません。

混乱しがちですので簡単に整理します。
柳田國男が『先祖の話』の中で多方面から分析していることですが、古来日本人は死人を「ホトケ」と称して供養を行ってきました。この「ホトケ」はもちろん仏教の「仏」と同じものではありません。
仏教でいう本来の「仏」...続きを読む


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