中国の国名は隋唐清…などいろいろ変わってますよね?
国の名前が変わるというのは、日本で言うとどういう時なのでしょうか?

ヨーロッパでみると、ローマ帝国や神聖ローマ帝国など今はもう無い国が存在しました。ある時から、現在もある例えばイングランド、フランス、イタリアなどがでてきました。それぞれの中で王朝や王は変わっていますが、名前は変わっていませんよね?日本も、平氏、源氏、豊臣、徳川、明治政府と支配者が変わっても、日本と言う国は変わっていませんよね?

一方で中国はちょいちょい名前が変わっています。これはどういう意味なのでしょうか?これが一点目。もう少し抽象的に、国の名前が変わる、というのは一般的にどういう時なのでしょうか。

歴史初心者なので愚かな質問になっているかもしれませんが、宜しくお願いします。

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A 回答 (15件中1~10件)

既に、多くの方々から様々な回答が寄せられております中、いきなり元に戻ってしまうような回答になりますが、歴史を語る上で、隋・唐・清といったものは『国名』と考えるのは、一般的なのでしょうか?


形式論は後に述べるとして、一般的には、王朝名と考えるように思います。
「漢」(紀元前202年~220年)を例にします。

Gooの国語辞典では、「中国古代の王朝」となっています。
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/47311/m0u/% …

Yahoo百科事典でも「秦(しん)に次いで中国を統一し支配した王朝(前202~後220)。」です。
http://100.yahoo.co.jp/detail/%E6%BC%A2/

Britannicaでも、Han Dynasty(漢王朝)です。
http://www.britannica.com/EBchecked/topic/253872 …

因みに、イングランドのチューダー朝は、Britannicaでは、記事の見出しこそ、House of Tudorですが、やはり「an English royal dynasty」とされています。
http://www.britannica.com/EBchecked/topic/608456 …

私が学校で歴史を習ったのは、もう○十年前なのでよく覚えていませんが、今の私の知識から、敢えて「隋・唐を国名と捉える」場合の根拠を探せば、形式論(&それに伴う結果としての外交上の取扱もあった?)を思いつきます。

形式論とは、以下のような事です。

古代中国(殷・周の時代)は、ある種「都市国家」のようなものが数多くあり、その中の殷・周が、本家・分家といった形で、非常に緩やかな支配関係を、その他の都市国家に及ぼしていました。その中で、諸侯と呼ばれる立場の有力者のもつ、城壁で囲まれた都市を「国」と呼びました。
そこらへんの事は、Wikiの邑部の項で説明されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%91%E9%83%A8
因みに、大きな漢和辞典で「国」の意味を調べると、その中に、「諸侯の領土」、「都、首都」というものがあります。(今日、本屋の立ち読みで、何冊か調べてみて確認してきました。)
その後、春秋戦国時代になると、周の、他の都市国家を支配する力が弱くなる一方で、秦といった『国』が、領土を拡大しかつ領土内での支配力を高めました。そして、秦が中国を統一したのはご存知の通りです。秦の統一は15年程で崩壊し、項羽と劉邦の争いを経て、劉邦が「漢」という王朝を始めたわけですが、この「漢」という王朝名も、劉邦が項羽によって漢中王の地位&領域支配権を与えられた事から来ています。漢の最初の頃は、斉・楚といった春秋戦国時代の「国」が復活(秦は、「国」をおかず、郡県制をひいた)、王が任命され、かなりの程度の独立性も認められていましたが、これも、呉楚七国の乱などを通じて、徐々に「国」の独立性、その支配者としての「王」の力は弱められ、徐々に「王」は、領域支配権のない称号に近づいていきます。しかし、その後も、王朝名は、地名を起源とするとする伝統は、例外はあるにせよ、長く維持される事になりました。三国時代の魏は、曹操が魏公(=その後魏王)になった事に由来しますが、曹操の本拠であるギョウ(業におおざと)は、春秋戦国時代は、「国」の一つである魏の領域にあったので、全く根拠の無いものではありません。(私の知る限りでは、元、明、清は、地名起源ではありません。遼、金もたぶん違うと思います。)

というわけで、中国の王朝名は、形式論で言えば、春秋戦国時代の「国名」を受け継いだもの、といえます。そして、それが伝統に則った名前であるが故に、外交上もそれが使われた、というのは言えるかも知れません。(とはいっても、中国が、外交上王朝名を使った、というのは、日本が中国に派遣した外交使節を、遣唐使と呼んだり、延喜式に新羅とならんで大唐という国名があることからの、私個人の類推です。)

「中国で国名が変わるのはなぜか」というご質問に対する、私の回答は以上の通りです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

こちらにまとめてお礼とコメントをしたいと思います。
まず、素人の素朴な質問に皆様丁寧に回答してくださり、本当にありがとうございます。
また、お礼が遅れて大変申し訳ありませんでした。

さて、最終的に一つの回答ができあがったかな、と思っています。
つまり以下のように言えるのではないでしょうか。

各地域に、地域の名前がある。
支配者がそこを支配する際に、国名や王朝名を付ける。
これは、支配者が変わるたびに変更される。

ヨーロッパ、中国、日本それぞれで、国名・王朝名と地域名の間の関係は異なる。

日本で歴史の概略を学ぶ際、中国は地域名よりも国名(王朝名)が焦点を当てて紹介され、ヨーロッパは地域名をベースに国名・王朝名が紹介されるため、中国では国名が変わるのにヨーロッパでは国名(実は地域名)が変わらないという印象を私が持ってしまった。ということでしょうか。

ヨーロッパ諸国で、ヨーロッパおよび中国の歴史を教える際に国名・王朝名と地域名の関係をどのように教えているのか、また日本周辺の国で日本のそれをどのように教えているのかが気になりますが、とりあえずはここまでとします!


ありがとうございました!

お礼日時:2011/10/21 14:15

#2,#8のCaromsです。


皆さん長文で熱く語られるので、読むのが大変ですねー。

まず、本題の中国の国名変更の意味から整理しましょう。中国は日本と違った意味で非常に特殊な例なんです。まず、Wikiから易姓革命の記述を引用します。(西洋との違いの答えでもあります)

(長いので多少不要な部分を削ります。)
『天は己に成り代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命(天命を革(あらた)める)が起きるとされた。それを悟って、君主(天子)が自ら位を譲るのを禅譲、武力によって追放されることを放伐といった。
後漢(劉氏)から魏(曹氏)のように、前王朝が徳を失い、新たな徳を備えた一族が新王朝を立てる(姓が易(か)わる)というのが基本的な考え方であり、日本で言われているような「単に前王朝の皇室が男系の皇嗣を失って皇統が断絶する」ような状況を指す概念ではない。中国においても例は少ないながらも別姓の養子に皇帝の位を継承した五代の後周のような例もあり、血統の断絶ではなく、徳の断絶が易姓革命の根拠となる。
易姓革命論は実体としては王朝交代を正当化する理論として機能していたと言える。またこのような理論があったからこそ劉邦や朱元璋のような平民からの成り上がり者の支配を正当化することが出来たとも言える。これは西洋において長年にわたって君主の血統が最も重視され、君主の血統が断絶すると他国の君主の血族から新しい王を迎えて新王朝を興すのとは対照的である。』

つまり、天命(=大義名分)を得て、王統が交代することにより、新国家が旧国家に成り代わって誕生することを、中国は古くは堯舜から新しくは清に至るまで続けてきた訳です。

万世一系の天皇が売りの日本とは事情が完全に異なります。天皇は「象徴」とされたことにより、「帝国」の主から、理屈の上では日本国そのものになったのですから。

イギリスの件は、日本に伝わった最初の名称から「英吉利=イングランド」であり、イングリッシュが英国語として認識され、首都ロンドンもイギリス正教会もイングランドにあるのですから、もうそれでいいのではないかという気がします。(イギリス人自身には違うのでしょうが)

あと、フランスの国名が変わってきたと書いたのは、「政体が変わったから」というまさにその通りです。フランス革命後、まず「フランス共和国」に変わり、ナポレオンが皇帝になって「フランス帝国」となり、王政復古・七月革命で「フランス王国」が復活し、第二共和制でまた「フランス共和国」その後帝政が復活して「フランス帝国」第三共和制でまた「フランス共和国」、第二次大戦で一度は国を失い、「自由フランス」の奮闘により、大戦後、現在の「フランス共和国」が復活しました。
こんな千変万化が単なる政体の変化であるわけがありません。フランス国民は王国の民・帝国の一員・共和政府の一員・亡国の民・救国の英雄までのすべての状態を短期間に経験してきたのです。
そんな変化の中で国民がすがったのは、フランスという故郷の名だけだったでしょう。

結局、国名変化を分類し法則化することは可能なのでしょうか。国名はその所属民のアイデンティティです。そこには思想があり、執着があります。こうあってほしいという夢が籠められているのです。
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お礼日時:2011/10/21 13:56

雑文失礼します。


1.国の名前が変わるというのは日本で言うとどういう時なのでしょうか?
Ans 天皇家に関わる人が統治権を失い、異民族が支配した場合 
つまり易姓革命です。日本は皇統が堪えた事はまぁちょっとありますがまったくの異民族が支配した時代はありませんので固有名称も変わりません。

2.イングランドやフランスの国名が変わらないのはなぜ?
Ansアングロ・サクソン人の王朝が絶えなかった。フランク族の王朝が絶えなかった。
支配権をもつ民族の血が変わらない為国名の変更がなかったとまとめます。

3.日本も支配者が変わったのに名前がかわらないのはなぜ?
Ans 日本で支配者が変わった事はありません。
幕府というのは天皇から将軍宣下を受け征夷大将軍(戦争中に置かれた臨時職)に任命された人が開くことのできる行政機構です。外交と神事は国が行うが、戦争に勝つ為に臨時に軍事・内政を天皇が委任するという考えから生まれたものです。
征夷大将軍はあくまで天皇の代理であって支配者ではありません。故に国名も変わりません。
幕末の混乱はこういう事情からもたらされました。

4.中国はちょいちょい名前が変わっています。これはどういう意味か
Ans 生活習慣も言葉もことなり、まったく共通の基盤を欠く異民族が王朝をひらいた場合
殷周は根底は同じ、秦も漢も根底は同じ、晋からは異民族が跋扈してくるという事情。
例えば漢民族を圧倒した清朝。
少数の蒙古族が大多数の漢族を長く支配した王朝ですが
異民族が"漢"を踏襲するのは不都合が生じます。みんなが漢といえば劉さんだべ!と思い込んでいたら劉さんの命令を聞いて新しい王朝の命令は聞きません。
易姓革命は統治者の変更を知らせることにもなったし、手っ取り早いのが氏姓だった。
この理由から、他の文明とは違う歴史が刻まれたのでしょう。
漢といえば劉さんと言うように、無教養な者でも氏姓が理解できたこともあるでしょう。
徳の考え方はこのようなものだと思います。

5.抽象的に国の名前が変わるというのは一般的にどういうことなのでしょうか。
Ans うーんいろいろなケースがあるけど中国の場合は易姓革命時 日本の場合は皇統断絶時 西洋の場合は民族が消滅した場合や併合された、或いは独立した場合 (ワロニア人やフラマン人のような民族もあるので)
現代では、民族の独立を承認されたか政治形態が変わったかですかね。
チェコやポーランドの歴史を少し見てみればなんとなくわかると思いますよ。
消滅しては復活するたくましさに惚れ惚れしますよ 
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回答ありがとうございます。

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お礼日時:2011/10/21 13:54

#5、#7です。


遅まきながら質問者様の質問の核心がようやく見えてきた気がします。

#8補足2.3.4.の国名が変わる理由についてですが、まず国名が変わる理由についてです。
原則としては、支配者が変わる、政体が変わる、その他の理由で変わるとどれもありえるのです。
日本の場合、幕府や明治維新などがあっても、政治は天皇が任命した者が行うということは、まったく変化していません。これは支配者が変化していないということで、日本はずっと日本なのです。

しかし地域によっては変化の仕方に特徴があります。
中国の場合は、支配者が変わると必ず名前が変わりました。また中国といっても常に全土を統一した王朝があったわけではなく、三国時代などいくつかの国に分裂していた時代もあります。
中国の場合、古代から律令制で官僚は国が分裂、統一されても新しい支配者に忠誠を誓うことでそのままの職務に残ることも多かったため必ず新しい国名をつけて命令が下されたこと、易姓革命で違う名前をつける文化があったことなどがあげられます。
日本人もなるべく人と違う名前をつけたがりますが、国名も滅ぼした国とおなじ名前はイヤなので必ず新しく付け直したという文化的な要素もあるのです。

ヨーロッパにおいては、どの地域を「誰が」支配するか、というのはかなり複雑な内容であり、先に書いたように貴族は横のつながりもありましたので、支配者一族の名前をつけるよりも、地域の名前をつけるほうが便利だったという理由もあります。
資料をということですので、ウイーン会議で認められた国の支配者一族の名称の一覧を見てください。同じ苗字がいっぱい出てきます。
http://www1.ncv.ne.jp/~amu/page041.html
たとえばフランス王国もスペイン王国も同じブルボン家が治めた地域ですので、ブルボン王国という名前ではどちらの地域なのか分からなくなってしまうのです。そのため、地域名称を多用することになるのです。
その当時ドイツで各国をどのように呼んでいたかは
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/ …
をご覧ください。フランス王国はKGR. FRANKREICH(カーゲーアー.フランクリッヒ)です。
ほぼ同時期を表示したイタリア語での表記地図
http://moterma.altervista.org/Tesina/Images/L'Eu …
フランス王国はREGNO.DI.FRANCIA(レグノ.デ.フランシア)
同時期、各国の支配者は自分の国をどう定義していたか、というとたとえばロシアは
Российская империя(ラスィーイスカヤ・インピェーリヤ)「ロシア帝国」
と定めていました。ところが同じヨーロッパでも他国はキリル文字を採用していませんので、まったく読むことも書くこともできないことになります。
国境を接した、隣の国であっても文字が違えば正式な名称を記載することは不可能です。ですので、この時点で通名が利用されることになってしまうのです。

これを踏まえると#8の補足1.の理由を説明することができます。
各国の教科書に国名を採用するには、どの言語の発音を利用するかも検討対象になってしまうということです。変化しないと教わるわけではなく「教科書レベルでは変化するという内容まで教えられない。通名で対処せざるを得ない」というのが事実なのです。中国の古代でも同様で、隋、唐などと習いますが、発音は日本語読みであり、通名であることには違いはなく、イギリス・オランダなどの日本の教科書に出てくる通名は江戸時代に日本で流通するようになった名前です。

国名というのはその実態をつかむのがどれくらい難しいか、お分かりいただけたでしょうか。

国名は支配者が変われば改名される、のは原則です。しかし、後から学習するのにその実態を知るには、知りたい国の言語まで合わせて学習しないと無理なのです。
一応地域によっては次のような取扱になってはいます。
・ヨーロッパのような統一された地域では、発音がほとんど同じなので、表記はそれに近い各国語で書く
・漢字文化圏は、各国の発音がかけ離れているので(中国は現在でも地域によって通じないことがある)漢字で書いたら、あとは各国語で好きに読む
・その他の独立した文字などを持つ国は、自国語で正式名を書いたら後は回りが通名を使うのを許す

結局歴史を学ぶ場合は「歴史の本質」の理解が重要であり、名前の重要度は低いのです。そのため、理解の妨げにならない程度に様々な名前・通名が利用されることになるのです。
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お礼日時:2011/10/21 13:54

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD

上記より主な引用
「東方的な君主制と共和制以来の「インペラトル」、そして、キリスト教の思想が結びつき、「元老院・市民・軍隊の推戴」をうけた「神の代理人」である皇帝が「全世界の主」として統治するという体制が築かれた。」

「西ヨーロッパ諸国は古代末期から8世紀までは、名目上コンスタンティノポリスにいるローマ皇帝(上記のように、通常「東ローマ皇帝」「ビザンツ皇帝」などと呼ぶ)の権威に服し、各国の王は皇帝の代理として旧西ローマ帝国領を統治するという形態をとっていた。しかし、7世紀以降イスラムやスラヴ人の侵攻によってコンスタンティノポリスの帝国政府の力が弱まり、また、ローマ教皇とコンスタンティノポリス総主教の宗教的対立や、ラテン語圏の西欧とギリシア語圏の東ローマの文化的な対立などから旧東西ローマ帝国の亀裂が深まっていった。そこで、ローマ教皇はフランク王カールを「ローマ皇帝」に戴冠し、コンスタンティノポリスの皇帝からの独立を図った。これがカール大帝の「西ローマ帝国」であり、その後継者を名乗る神聖ローマ帝国である。」

あるいは カール五世の称号
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC% …(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)

Charles, by the grace of God, Holy Roman Emperor, forever August, King of Germany, King of Italy,  以下略


August までとそれ以下とでは、表記方法が違う、つまり意味が違います。
後半部は ○○という領域の 王 であるのに対して、前半部は違っているのです。

チャールズ 神の御名において 聖なるローマの皇帝 永遠なるアウグスッス ドイツの王 イタリアの王  以下略

なので、歴史地図なので 神聖ローマ帝国の領域・・・なんて表示されているのは、簡略化しているだけです。

地上の聖俗において聖のすべてを統治するのがローマ教皇で俗のすべてを統治するのがローマ皇帝。
という構造になっています。
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お礼日時:2011/10/21 13:50

No.4です。



易姓革命は中国です。

ヨーロッパではないです。少し誤解されてる印象をうけたので書いときます。
勘違いだったらすいません。中国の場合とヨーロッパの場合もちろん
違います。中国はかなり歴史が特殊です。
で、それであるに+してヨーロッパは正統性が途絶えたり人が変わっても
同じ国名だ。とお書きになってますが、ほんと申し訳ないんですが
趣旨がちょっとつかみきれてないです。
ノルマン人のことを引き合いに出されていましたので、ちょっと
調べてみました。
確かにノルマン人について1066年にノルマンディー公ウィリアムが
イングランドを征服した。と記されていますね。そしてノルマン朝を
樹立した。
つまりノルマンディー公国、という国がイングランドを征服し、
ノルマン朝を起こした。確かに王朝名はノルマンとなった。
だけどイングランドっていう名前はかわってないじゃないかー。
ってことですよね。?

イングランドっていうのはあくまでも土地名であって、国名ではない
んです。今でもイギリスは4つの連合国になってまして、イングランド、
ウェールズ・スコットランド・北アイルランドとあります。イングランドは
もともと地方名です。(連合国だから今は国なんでしょうね。)
だからあたかもノルマン人がイングランドを征服。そこにイングランド国
あり。みたいな感じでかいてますけど、その地方を征服した。という
意味にとどまります。だからもともとその土地を治めていた別の王朝名
があって、その名前は変えられているはずです。
では何て名前なんでしょうかね。
もともとイングランドにはケルト人っていう民族が住んでて、そこは
国、ではなく民族がたくさんいたと。で、一度ローマの
ユリウス=カエサルが征服してます。そのときブリタニア、という
呼び名にしてますね。ゲルマン人がくると放棄。
んで、アングロ=サクソン人が侵入、征服。部族ごとに
小王国を建設。このとき征服した部分がイングランド地方
つまりアングロが変化してイングランドになったと言われています。

ここまで見ると、彼らまではまだ国、というより、生きる土地を
探していただけみたいに聞こえます。ローマを除いて。
んで、イングランドは自然とそう呼ばれるようになった。
という具合なんでしょうね。

教科書や参考書の説明の違いによるのでしょうが、イングランドを
征服した。とあったりすると、色々理解のすれ違いがあるのでは
と。

で、このとき征服したノルマンディー公ウィリアムは、あくまでも
フランス王の家臣ですね。で、その後ずっとフランスの
人らが統治してますね。フランスは、すでに王国、朝がたってます
け、イングランドを征服したとしても、そこに王国がなければ、
イングランドっていうのじゃなくて、新しい王国をたてた。
だからイングランドっていうあくまでも「地名」は変わらなかった
んだと思う。ブリタニアはあっても放棄されたしそんなの
フランスは知るよしもない。
で、ローマがやってきてブリタニアってしたのも、やっぱローマ
は王国だったから、んで、そっちのケルト人がいたときは王国
なんてなかったから、ブリタニアってつけたんだと思う。
思う思うですいません。だけどいい線いってると思ってますw

日本でも鎌倉幕府、室町幕府~とかたてられても、土地名
までは変わってません。中国も同じです。中国の場合変わる名前は
首都でしょうかね。特に統治者が自分の国への思い入れからつけたり
しますね。また重要な拠点として名前を設定する必要があったりし
ます。

昔は県じゃなくて藩だった。とか越中越後とかの地方名は変えられ
てるじゃん。っていう反論もありますが、これは行政区画として
適切であるかどうかという観点から変えられたわけであり、
戦争で勝ったから変えた、というのとは異なります。

書いたとおり中国では宗族が治めてますね。大体歴代皇帝は1代
皇帝の血族が次の王になってます。また中国は父系ですから、女
帝が出てきたのは唐の則天武后のみが例外ですね。

血族が治めることはヨーロッパでも変わらないし日本でも変わらない
大統領や内閣とは全然違いますね。日本は天皇家の血筋は
今も守られています。イギリスの皇子さんらもそうでしょう。
また長くなってすいません。少しでも疑問が解消されれば
幸いです。大変みたいですが頑張って読んでくださ~い。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

すべての回答にコメントを付すのが大変になってきたので、まとめてNo.15さんの回答に書かせていただきます。

お礼日時:2011/10/21 13:49

国名は、地域名を名乗る場合と、統治のコンセプトを名乗る場合の大きく分けて二つ有ります。


キッチリと二つに分けられるわけではありませんが、大きな政変(支配者が変わるとか)があったりすると、国号を変更するときと、前政権からの継続性を主張して国名を変えない場合があります。

イングランド や フランス などで国名が変わらなかったのは、大きな政変・王朝の変化にともなって、支配領域の変更が無かったので、変えないほうが統治の正統性を主張できるということで変えない。

日本というのも、天武天皇のころに国のあり方のコンセプトとして日本と名乗ったが、いつのまにか地域名になったという感じ。

正統性の主張といういうときに、主張する相手というのが重要になります。
日本が日本と名乗ったのは、中国の王朝に対してです。702年に唐王朝に対して申請しています。
ヨーロッパでは、各王家の上位概念として(神聖)ローマ皇帝がいましたので、国名を変更しないほうが正統性を主張できる。

中国の場合、ヨーロッパにおけるローマ皇帝のような上位概念がないので、国名を変更したほうが、氏姓革命という天との契約者が変わったということを明確にしやすいので、国名を変えることのほうが正統性を主張しやすい。
元の前までは、帝国になる前の名前を継承することが多かったが、元からは、統治コンセプト。
元 とか 明 とか 清 という地域名を冠した地方王から成り上がったのではなく、その漢字に込められたコンセプトで天と契約して皇帝になりましたよという感じ。

日本の場合は、概念上の統治体系は変わっていないので、変更する理由がなかった。
強いていうとちょこっとの間 大日本帝国と自称した。

ソ連なんかは、コンセプト表示ですね
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

 No.8さんの回答のところに補足としてこれまでのご回答と私の理解を整理いたしました。それに従いますと、tanuki4uさんの回答は、「3.為政者が交替した時に国名が変わるという前提が間違い。違う理由で国名が変わる。」に当たると思います。つまり国名変更は、政治戦略的な問題であって、為政者が変わっても必ず国名が変わるわけではない、ということですよね。

 これまでもいくつかそういった回答はいただいており、非常に説得的です。本来の質問の意図はある程度達成できたのかもしれません。ただもしよろしければ、それらを事実として保証する資料等を紹介していただけると大変助かります。
 
>>ヨーロッパでは、各王家の上位概念として(神聖)ローマ皇帝がいましたので、国名を変更しないほうが正統性を主張できる。

 私の理解では神聖ローマ皇帝は決して各王家の上位概念として存在していたわけではありません。もし仮にそうだとしても神聖ローマ帝国内が限度ではないでしょうか。イングランド国王やフランス国王が神聖ローマ皇帝に正統性をもらうという図式はちょっと私には想像がつきません。
 もしよろしければ、そういったことがきちんと書かれている文献・資料を教えていただけないでしょうか。宜しくお願いします。

お礼日時:2011/04/12 11:40

案の定、様々な薀蓄が飛び交っていますね。

ご依頼があったので西欧の話をしに来ました。

ごく簡単に幾つかの例のみで話します。
No.5さんのロシアの名称についての話ですが、これは英語圏以外の話で、英語圏ではSoviet UnionまたはUSSRと呼ばれていました。例え通称がロシアであろうとUSSRやCCCPの表記は五輪などにより、公式に世界中に知られています。
いずれにせよ、日露戦争で日本が戦ったロシア帝国は、ロシア共和国となった現在とは民族・領土以外はまったく別の国といっていいでしょう。

イギリスの現在の正式名称はご存知の通り、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国。イングランド・スコットランド・ウェールズ・北アイルランドの総称であり、イギリスは通称でしかなく=イングランドでは決してありません。

フランスは王朝時代とそれ以降で考えた方がいいですね。フランス革命後、この国は共和制・帝政・共和制・王政・共和制の転換を繰り返しました。こんな状態で国民がアイデンティティーを保つ為には「フランス」という歴史在る名称と名高きトリコロールが必要だったでしょう。

そんな訳で、国名変更はちゃんと行われてきています。通称が変わらないので意識できないだけです。
「国民」が居る限り国は存続しています。

中国はそういう意味で国家として意識が弱く、易姓革命は天数(運命)の為せるところという考えがあります。確からしい歴史では、殷を倒した周以降漢民族の支配が続いたわけですが、「中華」とは、自分達を華(文明)の中にあるとする選民的な思想であり、華の外にある世界や文明を夷狄(野蛮・未開)として区別(または差別)する価値観です。したがって、存在を認めざるを得ない清は歴史にありますが、蒙古(匈奴)に支配された「元」は中国の年表には存在しません。つまり「倭寇」は日本の罪でも「元寇」は中国の罪ではないのです。面白いですが、腹の立つ話ですね。

この回答への補足

【これから回答してくださる方へ】

これまで素晴らしい回答をいくつもいただき、大変勉強になっておりますが、私の理解が追いつかずアップアップなため、少し整理させていただきました。こちらを参考にしたうえでのご回答を宜しくお願いします。

*この整理はNo.5様の回答までしか読んでいません。

――――
私の質問をもう一度整理しますと、
「日本の高校の歴史教科書レベルにおいて、中国は国名が変化するのにも関わらず、ヨーロッパの特定の時代の一部の国や日本では変化しないのはなぜか」
「国名が変わるのはどういう時なのか。」
というものです。

もし「為政者・支配者が交替した時に国名が変わる」というのであれば、なぜヨーロッパの特定の時代、一部の国では国名の変化が行われなかったのでしょうか(ノルマン征服など)。
ヨーロッパの国々でも国名が変わったことがあるのは承知しております。しかし、教科書レベルでは変わっていない国もあります。為政者が交替した時に国名が変わるのなら、これはなぜ起こるのでしょうか。

この疑問に対して説明となりうるのは、今の私に考えられるのは
1.日本の教科書では変わっていないけれども、ヨーロッパでは、あるいは厳密な歴史学では違う名前になっている。
2.ヨーロッパの為政者交替で私が出した例は、国名が変更する条件である「為政者・支配者の交替」には入らない
3.為政者が交替した時に国名が変わるという前提が間違い。違う理由で国名が変わる。
4.中国の国名が変わっているという考え方が間違え。
この四つです。

そうでなければ、為政者が変わった時、中国では常に国名が変わるのに、ヨーロッパでは国名が変わったり、変わらなかったりする理由がわかりません。

今のところuchi-さんの「個人的には「国名が変わる」=あたらしい為政者の趣味だと思っています。」というお答え(上記の3)や
phjさんの回答から示唆を受けて私が考えたもの、
つまり、「日本では、中国の国名は変化、ヨーロッパ国名は無変化と教わるが、それは地理的な問題で、ヨーロッパでは逆にヨーロッパの国名は変化、中国の国名は無変化と教わる。」というもの(上記1.4.)が一定程度納得のいくものとなっています。

この整理を踏まえたうえで、これまでの理由をより説得的に資料などを用いて説明してくれる方は、そのほかの説明をくださる方、この整理を含めて私の間違いを指摘してくださる方をお待ちしております。

補足日時:2011/04/12 10:16
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

代表して、こちらの補足に私がNo.5さんまでの回答を読んでの整理をつけさせていただきました。ご了承ください。

 前半に答えてくださった方の多くの方が為政者・支配者が変わると国名が変わる、とおっしゃっていましたが、後半に答えてくださった方の多くはそれ以外の理由も合わせて国名の変化を説明してくださっています。Caromsさんの説明は少し複雑です。前半でお示しいただいたように、Caromsさんは「国家を成している政体が台頭した新しい勢力に取って代わられるとき、即ち皇帝や王が自国への支配力を失い、簒奪者が新しい皇帝や王を名乗る場合」に国名が変わるとおっしゃっています。つまり、同様のことが起きる時ヨーロッパ各国でも国名は変わっていると。ただし、変わらないように思われるのは、それが通称だから、という説明です。

 「通称」という概念が私には少し難しく感じられました。

>>国名変更はちゃんと行われてきています。通称が変わらないので意識できないだけです。
と言ってしまうと、通称は変わらないが、国名変更は起きている、ということになります。すると、フランスは「フランス」というのは通称で、国名は常に変わってきたということでしょうか?それは、「フランス第一共和政」「第一帝政」「第一復古王政」…といった名称のことでしょうか?私にはこれらは「国名」ではなく、政治体制に従ってあとから時期を分けただけのものに思われるのですがいかがでしょうか。

お礼日時:2011/04/12 11:30

#5です。



ああ、痛いところ突きますね・・・
とても歴史初心者の質問ではないですよーー(笑)

さて中国ではなく、ヨーロッパを舞台にすると国の遍歴もまた様相が変わります。
実はヨーロッパの歴史は日本の歴史と似ているところがあるのです。ですので「国」の考え方は中国などのように、征服王朝によって呼称が変わるというのとはちょっと違います。

まず、ヨーロッパの歴史の源流は古代ローマにあることは世界史を習っておられるなら分かると思います。ローマ帝国の版図はユリウス・カエサルとその継嗣の初代皇帝アウグストスそしてハドリアヌス帝のころまでに、スペイン半島からギリシャの手前まで、そして北はドーバーを超えてイギリスに、北西はライン川までとなっていきます。この地域は西暦1世紀には統一された地域であり言語も文化も一つのものとなっていたのです。
その後ローマ帝国は崩壊するのですが、ローマ時代に貴族として地域の有力者だった家系が(紆余曲折はあるものの)近代まで生き残り、様々な国を作り出していくことになります。

日本史でいえば、平安末期までに守護地頭として日本全国に散った有力貴族たちが武士階級に変化し、鎌倉・室町を経て戦国時代に至るのと似ているのです。

ですので、ヨーロッパの歴史に焦点を当てると、国の名前とそこを治める家系の名前は一致しないことが多いのです。有名なところでいえば、オーストリアを治めたハプスブルグ家はスペイン王国やナポリ王国さらにはハンガリーまで治める大勢力でしたし、ルネッサンス復興の立役者になったフィレンツェのメディチ家などの家系もありました。

この地域はすでにローマ帝国時代に地名が統一されていたため、そこを治める王族・貴族の名前と一致しないことが多いのです。これは日本でも尾張の徳川など、地名と治める家系が一致しないのとおなじことです。

またヨーロッパ貴族はローマ時代にすでにサロンが形成されていましたので、王族・貴族間の政略結婚も多く、戦争をしても実は源流が同じ家系とか奥さんは敵方から嫁入りしている、などの日本の戦国時代を思わせる様相を呈していました。

ですので、ヨーロッパに限っていえば国名と支配者名は一致しませんし、支配者が名称を押し付けるということもほとんど無かったようです。

で、そもそも「国」というものの理解に関してなのですが
> ある国が存在し、その国の中の王朝の変遷として、その国の歴史を理解する理解の仕方と、ある国の存在を自明とせずに王朝が変わるたびに違う国ができたかのように理解する仕方の二つがある

というのは正しくありません。時代と地域によってかなりいろいろな国のあり方が存在するからです。
現代のアメリカ合衆国やイギリス連邦の例を書きましたが、現代でも「国」というのは一定のフォーマットがあるわけではないのです。

古代においては基本的に「誰それが統一した」というのが王朝の始まりなのはたしかです。しかしアテネなどの民主主義国家も古代から存在しました。東アジアにおいては、中国皇帝に朝献外交し冊封することでようやく周辺国同士の外交関係が成立したのです。
ですので、今でも朝鮮や沖縄は冊封関係があったために「一時期中国の領土だった」という見方もできるし、日本史では当然のごとく朝鮮王国・琉球王国として歴史にでてくることになるのです。

どこの国の歴史を見る場合でも、自国で学んだ類型を当てはめると違う文化圏では間違えてしまいます。
東アジアは中国を中心として、文化や貿易関係が出来ていたために、中国の支配者の変化によって影響を受けてきました。また中国の周辺には蛮族が多数いたため蛮族が支配者になる征服王朝も多かったのです。
東南アジアからインド中近東は、古代から力を持った様々な民族があったために、それらが領土争いをしていました。征服王朝というより、文化や宗教的な違いが民族間の差となりどこも常に大きな領土を求めて争っていたからです。

ヨーロッパは先に書いたようにローマ時代に宗教的にも文化的にも統一されていましたので、国の違いはちょっとした言葉の差と地域の有力貴族(王族)が支配地を大きくしたい、という欲望で動いたものです。

日本の歴史観で西洋を見ると間違えますし、西洋の見方で東洋を見ても間違えます。

残念ながらこれらのことをまとめて読める文献は存在しないと思います。ヨーロッパの歴史を学び、東洋の歴史を把握し、さらに政治学的なアプローチと文化・宗教的な比較が為されないといけないからです。

歴史は勉強するのは嫌なものですが、学ぶことはとても有益です。是非、日本史と世界史の興味のあるところから紐解いてみてください。そのときに宗教的な視点を入れておくと、ものすごく違いが明確に分かると思います。

この回答への補足

最後の「なのですが、事実としてどうか、と言う点がやはり不安になってしまいます。例えば、イングランドという呼称は」は消し忘れです笑
お恥ずかしい。

補足日時:2011/04/12 11:12
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この回答へのお礼

二度目の回答ありがとうございます

 歴史は初心者です。ですから、みなさまのように歴史に精通してらっしゃる方はつっかからないような部分でつっかかってしまうのです。皆様の情報量の多さの見解にはただただ驚くばかりです。

さて、No.8さんの回答に補足をつけましたので、もしよろしければそちらもご覧になってください。そちらで整理させていただいた枠組みに従って、kuroneko3さんの回答への感想を述べたいと思います。

>>地名が統一されていたため、そこを治める王族・貴族の名前と一致しないことが多い
この視点は、うすうすは感じていたのですが、改めて明示されるとかなり重要かも、と思ってしまいます。つまり、ヨーロッパでは地名としての名前が既にある程度固定化されていたため、その中で多少の勢力図の変化や支配者・為政者の変化があっても、地名としての名前で呼ばれる、ということですね?
 イングランドの例をNo.6さんのお礼のところで詳しく述べましたが、この場合「イングランド」という地名の名前は既にローマ時代に広まっていたため、その後の王朝の変化、あるいは民族の変化によっても変化しなかったということでしょうか。
 これは私がNo.8さんのところで整理したものでは、「3.為政者が交替した時に国名が変わるという前提が間違い。違う理由で国名が変わる。」ですね。中国では、というか日本からみた中国の歴史では、地名としての言葉よりも王朝の変化の方に重点が置かれていたため、「中国の隋が唐へ」ではなく「隋が唐へ」となるわけですね。

 説明としては非常に説得的です。ぜひ裏付ける資料が欲しいですね。私が先に出したイングランドで言えば、ある程度これで説明できるかと思います。ローマ期にブリトニアを名付けられましたが、ローマが引き揚げ、アングロサクソン人が入った後は、「アングロサクソン人の土地」と言う意味のイングランド(の語源にあたるもの)と呼ばれたようです。この時代、7王国時代には「イングランド」という名前を持つ国は存在しませんが、全員アングロ・サクソン人なので土地を「イングランド」と呼んだ、とするのは理解できます。その呼び名が定着したため、その後アングロサクソン人ではないノルマン人によって侵入、支配されても呼び名としてはイングランドが続いたと言うことでしょう。しかも都合が良いことに、ノルマン人によって支配されるまでに7王国は統一されており、ノルマン人もその地域をまとめて統一しつづけたました。「イングランド」と呼び続けるのに矛盾が無いように思われます。

ありがとうございました。



なのですが、事実としてどうか、と言う点がやはり不安になってしまいます。例えば、イングランドという呼称は

お礼日時:2011/04/12 11:11

 他の方からもいろんな回答が出ていますが,一応ご参考までに。


<質問1について>
 たしかに,歴史の教科書を読むと,中国のように国名がしばしば変わっている国と,日本のように支配者は変わっても国名自体は変わらない国があります。しかし,そもそも現代に伝わっている国名というものは,あくまで現代人から見た名称であり,必ずしもその当時から一貫して使われている名称とは限りませんし,時の支配者による政治的意図に左右されている場合もありますし,そもそも「国名」というものの考え方が国によって異なるという事情もあります。
 まず中国の場合,秦から始まっていろんな国名が登場し,複数の国家に分裂していた時期もありますが,それでも古代から中国人は,一貫して一個の国,すなわち「中華」の民であるという民族意識を持ってきました(少なくとも「持っていた」ということにされています)。中国にとっての「国名」には,ヨーロッパ諸国にいう「カペー朝」や「ブルボン朝」などと同程度の意味しかなく,日本やヨーロッパ諸国にとっての「国名」とはそもそも意味が違う,という考え方もできるでしょう。
 次にイギリスとフランスですが,これらの国は昔から当然のようにあったわけではなく,ヨーロッパ各地にあった諸王国が興亡の歴史を辿った結果,最終的に生き残った国の一つであるというのが実情に近いでしょう。なお,イギリスという国名は通称で,正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」ですが,現在の国名になったのはアイルランドの独立による1921年のことでしかなく,それまで国名はちょくちょく変わっています。
 イタリアに至っては,古代ローマ時代からイタリアという地名自体はあったようですが,現代イタリアの基礎となったイタリア王国が成立したのは1861年のことでしかなく,それ以前は大小様々な国家に分かれており,イタリアというのは単なる地方を指す名称にしか過ぎませんでした。
 日本についても,そもそも史料に「日本」「日本国」といった表記が見られるのは12世紀頃からと言われており,現代にも通じる「日本」という国の概念が定着したのは明治維新を迎えてからのことでしかありません。「日本は,神武天皇の時代から万世一系の天皇によって統治されてきた独立国である」というのは,実は明治政府が国家をまとめ上げるために創作したフィクションでしかありません。
 他の国の例も挙げたらきりがないのでこのくらいにしますが,歴史の教科書に載っている国名というのは絶対的な正解ではなく,「国名とは何か」という命題で諸国の歴史を研究すれば,それだけで一個の論文ができそうなくらいの深いテーマだということです。

<質問2について>
 国の名前が変わるとはどういうことか。これも,「国名とは何か」という命題と同じくらい深いテーマだと思いますが,一般的に国の名前が変わるというのは,国家の支配領域や政体を抜本的に変えるというその国自体のメッセージです。
 1469年,アラゴン王フェルディナントとカスティリャ女王イザベルの結婚により両国は統一されスペイン王国と名を変えましたが,従来の国名を使用せずスペインという新たな国名に変えたのは,当時のヨーロッパにはよく見られた同君連合(一人の国王に治められているが,国の政府や議会は別々に存在した)ではなく,一つの統一国家にするという対外的メッセージであったといえます。もっとも,スペイン(イスパーニャ)という国名が定着するのはしばらく後のことだったようですが。
 一方,日本は1910年に韓国を併合していますが,このとき日本の国名は変えていません。これは,日本という国名を残した方が国家として有利であるという政治的判断によるのでしょうが,その結果韓国の国民は被征服者とされ日本に対する敵意が残り,1945年の終戦とともに韓国は再び独立しました。日本と韓国を一つの国にするという目的を重視するならば,併合の際に日本という国名も変え,韓国人にとっても面目の立つような国名と政体にすれば,あるいは歴史は大きく変わっていたかも知れません。
 その他,アイルランドをエールと改称したり,ビルマをミャンマーと改称したり,外国人に付けられた国名をその民族本来のものに改称したり,1897年に李氏朝鮮が大韓帝国と名称変更したように,中国の冊封体制から離脱したことを明確にするために国名を変更した,などという例もあります。  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

No.8さんの回答に補足をつけましたので、もしよろしければそちらもご覧になってください。そちらで整理させていただいた枠組みに従って、kuroneko3さんの回答への感想を述べたいと思います。

>>国家の支配領域や政体を抜本的に変えるというその国自体のメッセージです。
 これは、uchi-さんの回答と似ていて私にとっては説得的です。つまり、為政者が変わっても国名が変わることもあれば、変わらないこともある、ということですね。私の整理ですと、「3.為政者が交替した時に国名が変わるという前提が間違い。違う理由で国名が変わる。」に当たります。

>>古代から中国人は,一貫して一個の国,すなわち「中華」の民であるという民族意識を持ってきました
 これも私の整理では「4.中国の国名が変わっているという考え方が間違え。」というものに当たり、説得的です。

 つまり、中国の国名が(日本の教科書で)変わっているからといって、それがヨーロッパにおける王朝交替などと実質的に大きな差があるわけではない、ということですよね?それなら納得できます。


【【「イギリス」について】】
 多くの方がイギリスについて言及されているので、すこし補足をしたいと思います(kuroneko3さん以外の方からの回答も念頭においてあるのでkuroneko3さんにとっては的外れな話だと感じられるかもしれませんがご了承ください)。
 私もヨーロッパを含め多くの国の名前が不変だとは思っていません。しかし、一定の時期・一部の国では王朝や支配民族が変わっても国名が変わっていないことがあります(教科書レベルでは)。その例としてイングランドをだしました。イギリスとしなかったのは、イギリスは四つの国の連合国家ですし、イギリス連邦という考え方もあり複雑だったからです。
 私が意識したのはイギリスになる前のイングランドです。例えばノルマン朝からテューダー朝までは、王朝が変わっていますが、イングランドという名称は変わっていません。このあたりを意識して質問文には「イングランド」と書きました。説明が足りずに申し訳ありませんでした。

 これに対して、ヨーロッパ諸国では当時からイングランドとは呼ばれていなかった、あるいは王朝が変わるたびに、日本での中国理解のように、全く別のもののように理解されていた、という考え方があるならば教えてください。私がしつこく「教科書レベルでは」という言い方をしているのは、そのためです。少なくとも日本の教科書レベルでは全て「イングランド」と呼ばれているのは事実です。
 kuroneko3さんのように国名変化の有無は、支配者の政治的な戦略如何というのであれば、今述べた問題はでてきません。今述べたのは、支配者・為政者が変わると国名が変わる、と定義されていた方々への注です。


*全くの余談ですが、もしヨーロッパでイングランドとは呼ばれず、イングランドのある地はブリテン島と呼ばれていたら、また「イングランド」としてではなく王朝(名)によってあの政治共同体が理解していたとしたら、イングランドという呼称でブリテン島南部の歴史を理解させようとする日本の世界史記述のあり方は無理があるように思いました。

お礼日時:2011/04/12 10:51

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http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761569000/content.html

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