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戦国時代の料理について調べていると、
「焼く」、「煮る・煮詰める」といった料理はよく見かけるのですが、
油を用いた、「揚げる」や、「炒める」といった調理法の料理をあまり見かけません。
天ぷらの走りの様なものはあったみたいなので、その発想が無かったというわけでも
無かったはずでが・・・、特に、この時代の「炒める」料理は見たことすらありません。

又、食用には何の油を使ってたんでしょうか??

菜種、胡麻、綿花、ピーナッツなどの現在でもある油が使われてたんでしょうか?

知ってる方いらっしゃったら是非教えて下さい。
よろしくお願いします!!

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A 回答 (3件)

時は奈良時代、仏教が盛んになり精進料理が流行しました。


しかし、精進料理だけでは油脂が足りない事から主に荏胡麻の利用が始まりました。
揚げる料理が普及するのは江戸期、当時は南蛮料理と呼ばれました。
炒めるのは明治期に入ってからとなります。
以下は年表
縄文時代末期:中国から胡麻が伝わり栽培
弥生時代後期:製油技術の輸入
     211年:榛の実の油を灯火と食用油(搾油)として使用
          荏胡麻の搾油が始まる  
  奈良時代 :胡麻は租税の代納が認められるほどの貴重品で高位の人の食用・灯火用。
          食用油が市場に流通する。庶民は荏胡麻を使用
  平安時代 :綿実の搾油が始まる
     859年:長木(搾油器)で灯明油として荏胡麻油を献上
  戦国時代 :胡麻、胡桃、麻実、椿実の搾油が始まる
  江戸時代 :菜種油の搾油が始まる
 
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南蛮人のフライを見た日本人は


テンプラを開発、戦国から江戸時代初期には
徳川家康の死因は、
鯛のテンプラに食あたりしたからだと噂されるほどに
広まりました


今の天ぷらとは異なり、鯛を栢(かや)の実の油で揚げ、それをさらに煎り、
上にニラの摺ったものをかけたもので、から揚げ に近いものです。
京の豪商、茶屋四郎次郎が、京で流行してると家康に教えたそうで、
家康は早速に作らせてそれを食べ、おいしいので、食べ過ぎ、その日の夜に激しい腹痛をおこしたそうな。

もっとも 、死亡したのは三か月後なので、直接の死因とは思えませんが( ^^) _旦~~
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荏胡麻油ですね。

売買システムは「座」の管理でしたから、厳密でした。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B1%B1% …

油を使った料理のはなしではこんなサイトがあります。

『中世に入ると、油を用いた精進料理は社会の各層に普及し、それに伴って食用油の需要も増したと考えられるが、日本食の中心に躍り出ることはなかった。それでも、安土桃山時代には、天麩羅が登場し、豆腐類を油で揚げるなどの方法が生み出された。この時代南蛮料理という言葉が流通したが、それは油で揚げたものを意味していたのである。』
http://japanese.hix05.com/Folklore/Food/food06.o …
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Q戦国時代の服装

戦国時代~安土桃山時代の服飾に触れている資料を探しています。武士だけでなく、女性、庶民や僧侶などまで網羅しているものはないでしょうか

Aベストアンサー

やっぱり、このサイトじゃないでしょうか・・・
有名なので、もうご存知かも知れませんが・・・

http://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000100

Q戦国時代の人々の名前について

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は御屋形、ある人は信玄公、ある人は信玄様とさまざまな呼び名で統一されなかったのには意味があったのでしょうか。

ある身分の人ならば織田様と呼び、ある身分の人は、弾正忠様と呼び、ある身分の人は信長様と呼んで良いなんていう規則もあったのでしょうか?

また農民とかならば、個人を特定するような名前自体存在しなかったのでしょうか。
小説で読んだ中では志乃とかお清とか名前はみかけたので、名前がないということはあるでしょうが、人々の命名規則等は存在したのでしょうか。
(苗字は名乗ってはいけないとか、こういう名前を使ってはいけないとか言う規則はあると考えています)
(また、将軍の姓を使った織田とかは名乗れなかったと思います)

苗字を名乗れるのは、どういう身分の人たちなのでしょうか。
小説の中で山崎屋とか商人の人々には名前があったと思うのですが、村里の人々での苗字はみかけませんでしたし。

質問がわかりづらいかも知れませんが、
1.身分によって相手を呼ぶときの名前に対し厳しい制約は存在していたのか。
2.庶民(農民、商人等)の人々の名前についてどういう命名規則があったのか。
(農民は名前のみ、商人は苗字(店の名前)のみ、武士は苗字+名前を名乗ることができたなど。)
3.また、命名規則があればどのような名前が多かったのでしょうか。
(農家の男なら五平、六平。女なら志乃、清など)
の3つ教えてください。
よろしくお願いします。

司馬遼太郎の国盗り物語を読んだのですが、すこし感覚が掴めなかったので質問させてください。

戦国時代の人々の一般的な名前はどういったものなのでしょうか。
たとえば武将でいえば武田信玄、織田信長、明智光秀の呼び名は有名ですが、これらの名前って現代の人たちが理解しやすいように略した名前ですよね。
武田信玄は徳栄軒信玄
織田信長は織田上総介信長
明智光秀は明智十兵衛光秀
といった感じで、苗字+名前の形式ではなく、ミドルネーム?みたいなものはどういう規則であるのですか?
ある人は...続きを読む

Aベストアンサー

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分の人たち、名主クラスです。

次に中大夫・平大夫・五郎大夫など大夫が付く人が10名・・・中介・江介・三郎介など介の付く人が6名、「大夫」や「介」は古代の令制の官位の呼び方ですが、すでにこの時代には農民が、一定の年齢に達した時、幼名から改名する際に使用していたようです。

新検校・惣別当・安寿など名の付く人が3名・・・「検校」や「別当」「安寿」などは、ご存知のように本来、寺院や荘園・官庁の役職名ですが、やはりこの時代ではすでに農民のレベルでも名乗っています。

次に、かい丸・牛丸と「丸」の付く人が2名・・・「丸」は本来、幼名に使用する文字ですが、牛飼いなどの運搬業に携わる人は、成人しても使用していたそうです。

平細工・孫太郎細工と「細工」と付く人が2名・・・彼らは手工業の職人だったと思われます。

残り24名は、この時代の農民の一般的な名前と言える物・・・藤内・源内・中江・孫太郎・孫二郎・彦二郎・平二郎・藤二郎・弥二郎・中三郎・惣四郎・孫五郎など、この中の「彦」や「孫」や「弥」は全国的に使用されている最も一般的な文字です。
「平」「源」「藤」「中」は貴族の姓を名前に取り入れています。
その後につく二郎や三郎というのは、お察しの通り、大抵は出生順の「○郎」と付けたようです。
彼らは、小百姓層の人たちです。

以上、先にも書かせていただいたように、これらの名前はすべて、中世の惣村の農民の名前・・・一揆の起請文の署名です。
女性の名がないのは、一揆の場合の署名は、一家の家長が代表して行う事が多かったためだと思われます。

長々と書いてしまいましたが、少しは参考になりますでしょうか?

質問1については、先の回答者さんが答えておられるので、2と3について・・・

時代は少し古くなるのですが、建武の新政が行われた1334年に、若狭の国・太良荘(たらのそう)で、地頭の交代を請求した一揆の起請文には、惣村に属する農民・59名の署名が書かれています。

それを例にあげますと・・・
この一揆のリーダーだったと思われる僧実円・僧禅勝といった僧の名の付く人が6名、大山貞重・中原吉安・物部宗弘といった姓と実名のある人が6名、この内3名は花押も持っていて、グループの中では上層の身分...続きを読む

Qお米1合はご飯何グラムですか?

お米1合(150g)は炊きあがり後の「ご飯」になった時は大体何グラムでしょうか?
また、炊飯ジャーなどで、容量6L等とありますが、このリットルはどの状態の事を差すのでしょうか?(米?ご飯?、容積?)

Aベストアンサー

一合150gのたきあがりは約300gです。ちなみにお茶碗一杯150gおにぎり一個100gすし一貫20gカレー一人前300g弁当一個220gが標準です。

Q中国料理の食用油

中国料理は昔から揚げものや油を使った炒め物が多いのだろうと思いますが、(精進料理の天麩羅など中国由来ですし)、油って日本では江戸時代以前は高級品ですよね?

中国では歴史的に食用油は何を使っていたのでしょうか?
特に歴史的に長く使われていて比較的安い食用油はどんなものでしょうか?

魚油でしょうか?

Aベストアンサー

歴史的というのであれば、ラードとごま油です。
現在も使われています。
昔から油を使った料理が多かったわけではありません。
食用油は日本と同様に長い間高級食材でした。
中国料理で油を使った料理は来客時の饗宴用や宮廷料理などで、ある意味でステイタスでした。
食用油が普及した現在でも油の使用量が少ないとケチと思われる習慣が残っています。

比較的に安いというよりも、食肉として豚肉を好みましたので、豚の油を精製したラードが入手し易かったということです。
ご飯にラードと醤油をかけただけの庶民料理といいますか食べ方がいまでも残っています。
更に、ラードは植物油よりも劣化しにくいという特徴があります。
中国料理の油の使い方を見て頂くと分かりますように、高温で食材とサット混ぜて、その直後に油を濾して取り除き繰り返し使用します。
日本のフライやコロッケ、天麩羅のように大量の油で加熱するという調理方法とは違います。
中国式ですと、劣化の早い植物油よりも劣化し難いラードの方が結果的に経済的になります。

ごま油は植物油の中でも歴史的にもっとも早くから使われた油です。
ごまは日本の縄文遺跡からも見つかっています
ごま油というと独特の香りがする油をイメージしますが、これは搾る前に焙煎したことによってつけられた香りです。
焙煎をしないでそのまま搾ったものはあまり香りはしません。太白油と呼ばれます。
調理用にはこの太白油が使われます。
植物油の中では劣化し難い油です。
ごまは栽培し易い植物ですので、余り手をかけずに栽培できます。
そういう意味では入手し易い油でした。

魚油は臭いが強く、日本でも安物の行燈の油に使われる程度で、食用には不向きです。
中国は大陸国ですので、鰯などの海洋魚から作られる魚油は普及しませんでした。
冷蔵庫も保冷車も無い時代にはすぐに腐敗してしまいます。          

蛇足 
(精進料理の天麩羅など中国由来ですし)とされておられますが、具体的にはどれをイメージされておられますか。
「てんぷら」と言う呼称の使い方は関西以西(主として九州地方)と関東では使い方がちがうのを御存知でしょうか。
魚のすり身を主材として油で揚げたものは関東では「さつま揚げ」として関西以西のように「てんぷら」とは呼びません。
いわゆる「じゃこ天」や「つけあげ」は関東では天麩羅とは呼ばれません。
新鮮な魚介類に衣をつけて油で揚げたもののみを天麩羅と呼びます。
江戸時代の江戸の庶民が屋台で食べるファーストフードでした。
「天麩羅の指をぎぼしへ引んなすり」とう川柳もありました。
日本橋の付近の川岸は魚河岸でした。
魚河岸の若い衆が屋台の天麩羅を食べたあと汚れた手を日本橋の擬宝珠になすりつけた光景です。
いちいち箸を使わなくてもいいように、串が刺してありました。
魚介類に衣をつけて揚げた天麩羅は江戸の郷土料理とされて、料理屋のメニューとなったのは幕末からです。
それまでは庶民の安い食べ物でしたが以降現在のように高級料理に仲間入りしました。
全国に普及したのは関東大震災以降とされています。
精進揚げと呼ばれる野菜類に衣をつけて揚げる調理方法は京都が発祥です。
ご質問で「精進料理の天麩羅」と言われるのはこの精進揚げのことでしょうか。
野菜の天麩羅というように、あえて野菜という断りをつけて呼びます。

「てんぷら」という呼称は厄介な呼称です。
関西以西の女性が関地方の男と結婚して、嫁姑のトラブルの元になることもあります。

歴史的というのであれば、ラードとごま油です。
現在も使われています。
昔から油を使った料理が多かったわけではありません。
食用油は日本と同様に長い間高級食材でした。
中国料理で油を使った料理は来客時の饗宴用や宮廷料理などで、ある意味でステイタスでした。
食用油が普及した現在でも油の使用量が少ないとケチと思われる習慣が残っています。

比較的に安いというよりも、食肉として豚肉を好みましたので、豚の油を精製したラードが入手し易かったということです。
ご飯にラードと醤油をかけただけの庶...続きを読む

Q弓の達人といえば?

弓矢の達人はいろいろいると思います。
アーチェリーでもかまいません。

弓矢の達人の名前を教えていただきたいです。
レアな方でも構いません^^
日本人、外国人とわずです!
歴史上での達人など知りたいです。

お願いします!

Aベストアンサー

一弓引きとして、答えずにはいられないですね。
中国ならまず養由基。春秋時代の楚の人で、史記に登場します。百歩はなれて柳葉を射て百発百中したとか。中島敦の『名人伝』にも登場します。
あとは孔子も名手だったという話があります。
当時射は六芸の一つとされ、士以上の教養とされていたので、起居進退の所作に通じていた、という意味ではないかと思いますが。

日本なら、鎧射貫き等の源義家、百足退治の藤原秀郷、鵺退治の源頼政等の伝説が有名ですね。
日本の弓術は室町期に射法の大変革がありまして、それが紆余曲折ありながらも現代にまで続いているのですが、弓引きにとって達人というとそれ以後の人のほうが馴染み深いかもしれません。
日置流祖日置弾正正次(実在しないという説が有力と聞きます)、吉田出雲守重賢(六角佐々木氏家臣で子の重政が#8さん指摘の佐々木義賢に伝授)、吉田源八郎重氏(家康に召しだされ(実際には高齢のため子が仕官)代々将軍家指南役に)、三十三間堂通し矢で有名な星野勘左衛門、和佐大八郎などです。明治以降なら浦上榮氏でしょうか。
達人とはいえないかもしれませんが、武将では細川幽斎、豊臣秀次等が有名です。
村田銃開発者の村田経芳氏はかなりの達人と聞いてます。

アーチェリーなら現代人ですが彼↓かな?
的まで30メートルで10点は直径8センチだったと思います。

参考URL:http://freett.com/4649archery/news/news8.htm

一弓引きとして、答えずにはいられないですね。
中国ならまず養由基。春秋時代の楚の人で、史記に登場します。百歩はなれて柳葉を射て百発百中したとか。中島敦の『名人伝』にも登場します。
あとは孔子も名手だったという話があります。
当時射は六芸の一つとされ、士以上の教養とされていたので、起居進退の所作に通じていた、という意味ではないかと思いますが。

日本なら、鎧射貫き等の源義家、百足退治の藤原秀郷、鵺退治の源頼政等の伝説が有名ですね。
日本の弓術は室町期に射法の大変革がありまし...続きを読む

Q世界の弓の威力について

歴史上の戦闘でもっとも威力があって射程距離が長かった弓はどこの国の何時代の弓ですか?それと比べて日本の弓の優劣はどのようですか?またそういったことを扱ってる本とかURLをご存知の方がいらしたら教えて下さい。

Aベストアンサー

当方弓道をやっておりますので、知る範囲でお答えします。
威力と射程は矢により変化(一般的に矢重に比例する威力と、矢重に反比例する射程はトレードオフの関係)するので、弓自体の性能についてお話しします。

 一般論になりますが、弓は当然ながら”強い弓”をより引き尺をとって使えば威力・射程とも上がります。
しかし引き絞った時に強いからといって弓にパワーがあるというわけではありません。
 正確には、「引き絞っていく途中の加重の積分値」が弓のエネルギーになります。
(平たく言えば、弓の引き尺に対しての加重をプロットしたグラフの、その曲線の下の部分の面積)
 木製・合板の弓や単純な湾曲の弓ではこの引き尺と加重がほぼ比例します。(和弓もだいたい比例します)
 しかし、強靭な材料を使い、湾曲を複雑にすれば、この曲線を上に膨らますことができるので、前者の弓と引き絞ったときに同じ加重でも(つまり、同じ筋力の射手でも)、より威力のある矢を飛ばせます。
 
この後者の条件に当てはまるのが、騎馬民族系の大きく湾曲した弓で、トルコ弓などとも呼ばれます。
(ちなみにコンパウンドボウという現代の弓は非常に高効率、正確なことで知られていますが、この弓をヒントに作られました。)

 そのため形状で言えば単純湾曲弓より、上記のような特徴を持つ湾曲弓のほうが高性能でしょう。実際、トルコ弓の最大飛距離は実用の矢で400m、遠矢用で約600mだそうです。
材質は、木だけのものは、折れるのを防ぐため引き尺が取れず(ロングボウは折らずに引き尺をとるために長いのです)しなりが少ないため不利で、木竹をあわせた合板弓(和弓はこれ)や、さらにはより強靭な角・腱・革を使ったもののほうが高性能でしょう。

結論として、ご質問のものは時代はわかりませんが、騎馬遊牧民族系の弓だと思います。

和弓では、長い距離を飛ばす競技で最高400mという記録がありますが、これは専用の軽い矢を使った記録なので、征矢では最大でも200m位だと思います。
因みに和弓は、番える位置が中心より下寄りになっているため矢は先端をやや上げて飛行し、遠くに飛びやすくなっています。

有効射程となると一口で言うのは難しいですが、
~2,30m だいたい急所を狙える
~40m だいたい人を狙える
~7,80m だいたい騎馬を狙える
くらいだと思います。
威力ですが、フライパンぐらいなら結構簡単に射抜けますし、
http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/kamakura/kyuba.html
かつて明珍の鉄兜を串刺しに射抜いた人もいます。

書籍ですが、確か歴史群像シリーズの『北条時宗』で蒙古弓と和弓の比較をしていたと思います。
あとは検索で見つけましたが
http://www.coatl-head.com/arc.html
の『武器の歴史(Weapons)』(マール社)が詳しそうです。
キャッシュでしか見られませんが
http://72.14.203.104/search?q=cache:gEp-EUHAqMkJ:
www.if-n.ne.jp/member2/netdh/Item/mktext.pl
%3Fcorpus%3D0%26id%3DOTAwNjU
も詳しいです。

当方弓道をやっておりますので、知る範囲でお答えします。
威力と射程は矢により変化(一般的に矢重に比例する威力と、矢重に反比例する射程はトレードオフの関係)するので、弓自体の性能についてお話しします。

 一般論になりますが、弓は当然ながら”強い弓”をより引き尺をとって使えば威力・射程とも上がります。
しかし引き絞った時に強いからといって弓にパワーがあるというわけではありません。
 正確には、「引き絞っていく途中の加重の積分値」が弓のエネルギーになります。
(平たく言えば、弓...続きを読む

Q日本の戦国時代の領主の製鉄施設

戦国時代の各領主は自分の領国内に製鉄施設を保有していたのでしょうか。

Aベストアンサー

日本古来のたたら製鉄は砂鉄を原料としましたから砂鉄の産地である出雲地方で発達しました。

しかし鉄砲の生産地は滋賀県の国友村や堺で盛んでこの地区に技術者集団が集まりました。
従ってこの地方を領有した大名が有利でした。

鉄砲以外の軍事専門の製鉄技術設備は幕末まで日本には存在しません。
幕末に大砲製造の必要に迫られ、伊豆に反射炉が建設され、一方九州の佐賀藩が独力で反射炉や大砲鋳造所を建設しおおくの大砲を製造しました。

当然技術の保全には注意がはらわれました。

Q【醤油の歴史】 醤油は日本発祥?中国発祥?韓国発祥?

先日、中国人・台湾人・韓国人、アメリカ人などの友人たちとご飯を食べに行きました。
「醤油はSoy sauceと呼ばれ、世界的に有名な調味料だよ。」とアメリカ人(クリス)が言ったので、
私は「醤油は16世紀に和歌山県(紀州)で発明された日本独自の調味料だよ。」と言うと
隣の中国人(プーチン)が「ちょっと待て!醤油はおよそ3000年前の中国で発祥したんだよ。中国発祥だ。」と言いました。
すると韓国人(パク)が「醤油は韓国発祥だ。」と言いました。
そこにいた全員が「韓国人が言う歴史だから・・・」といつものように無視したのですが、
醤油は日本発祥?中国発祥?韓国発祥?なのでしょうか?


調べてみると、中国にも大豆から作る「ジャンユ」があります。
韓国ではカンジャンと呼ばれる醤油があります。
インドネシアでも大豆を原料としたケチャップマニス・ケチャップアシンが使われています。
タイでも魚醤であるナンプラーがあり、大豆から作られた醤油(シーユー)もあります。
日本人が多く移民し、現在も日系人が多数在住しているハワイでも独自の醤油が生産されています。
日本では1640年代頃の寛永年間に、1年で製造できるこいくち醤油の生産が開始され、うすくち醤油は、1666年、円尾孫右兵衛によって開発されたとされています。

また「醤油のルーツは、古代中国に伝わる“醤(ジャン)”である。」という説から、「醤油は日本独自の調味料文化である。」という説など、多数ありました。

もし日本の薄口・濃口醤油が中国発祥なら、タイのナンプラーやインドネシアのケチャップマニスも中国発祥ということになりますか?

先日、中国人・台湾人・韓国人、アメリカ人などの友人たちとご飯を食べに行きました。
「醤油はSoy sauceと呼ばれ、世界的に有名な調味料だよ。」とアメリカ人(クリス)が言ったので、
私は「醤油は16世紀に和歌山県(紀州)で発明された日本独自の調味料だよ。」と言うと
隣の中国人(プーチン)が「ちょっと待て!醤油はおよそ3000年前の中国で発祥したんだよ。中国発祥だ。」と言いました。
すると韓国人(パク)が「醤油は韓国発祥だ。」と言いました。
そこにいた全員が「韓国人が言う歴史だから・・...続きを読む

Aベストアンサー

ルーツ・発祥などは「伝搬ルートが解明される事」によって特定出来る物だと言えます。

たとえば日本の麺類、蕎麦・うどんは明らかに中国にルーツを持ち、伝搬時期より前の物はありません。この場合、明確に「日本の蕎麦・うどんは中国に起源を持つ」と言える(うどんは中国で言う「雲呑」の訛ったもの)訳です。

さて、今回の醤油で「明確にルーツを特定出来る」でしょうか。
私は存じませんでしたが、質問者さんの調べた所に寄ると「明確な伝搬ルートは特定出来ず、同時発生的に生まれたとしても無理はない」のではないでしょうか。

先に生まれていたとしても伝搬がつまびらかでなければ、起源を名乗るのは異な物なのではないでしょうか。
これはたとえば日本の足軽と、イングランドのKnightについて、どちらかが先に生まれたとしてもそれを以て起源とする事は無理がある事と似ています。醤油について先に生まれたという事だけではなく、交易・文化交流の有無、文化伝搬などと併せて考える必要があるのではないでしょうか。

Q戦国時代の時計の数え方

タイトル通りなのですが、戦国時代の時計の数え方について教えて頂きたいです。私が詳しく知りたいのは、一時や二時などの時のことです。知っている方がいらっしゃいましたら、24時間全て教えて欲しいです。勿論、この時間はこうやって言うなど全てじゃなくても構いません。宜しくお願いします;

Aベストアンサー

十二支で数えていました。

子の刻 0時ごろ
丑の刻 2時ごろ
寅の刻 4時ごろ
卯の刻 6時ごろ
辰の刻 8時ごろ
巳の刻 10時ごろ
午の刻 12時ごろ
未の刻 14時ごろ
申の刻 16時ごろ
酉の刻 18時ごろ
戌の刻 20時ごろ
亥の刻 22時ごろ


「歴史」の「日本」の項を読んでみてください。
(戦国時代は、室町時代と安土桃山時代の間です。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E5%88%BB

Q自分の職歴が思い出せません(年数など)

結婚して3年ほど無職でしたが、社会へ出たいと思いパート・アルバイトをしようと考えております。
ところで、
恥ずかしながら、自分の職歴(入社・退社の年月)が思い出せないのです。
結婚前に勤めていた会社(正社員)は、多分、年金手帳(主人の会社に預けてあります)を見ればわかるかな?と思うのですが・・・それ以前のものは、派遣だったりアルバイト・パート(いわゆるフリーター)をして食い繋いでいたので、年金手帳を見てもわからないと思います。

確か、どんな職業形態であっても、労災なんかはありますよね?あれを元に自分の過去の職歴を捜し求めることは可能でしょうか?
何か良い方法無いものでしょうか・・・・

Aベストアンサー

うーん、思い出せないのならば空白にしておくしかないでしょうねえ・・・
だいたいの記憶で書いても問題はないと思いますが。
その場合、事実と違えば詐称ということになってしまいますが、現実にそれがバレることはほとんどはありません。それをよしとするか?しないか?はご自分で判断してください。
労災なんか調べるよりも、派遣だった分は派遣会社に直接問い合わせてみてはいかがですか。
確かに「なーに聞いてんだ、この人は」と思われるかもしれませんが、意外とそういった問い合わせ窓口は独立してますので、その会社での今後の仕事紹介に影響が出るとは限りません。(出るかもしれないけど)
アルバイトに関しても、直接そこに聞いてみるとわかると思いますが。
ただそこまでしなくても、短期間の就労ならば空白にしておいていいと思います。

ちなみに、年金記録からあなたの職歴がバレるということは絶対にありません。
法令遵守というものを知らない人はそんなことを言うかもしれませんが、あなたの年金記録を他者が閲覧することは不可能ですので、ご安心を。


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