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旧東ドイツにおける言論、音楽などの表現の規制がどのようにあったのか? 職業選択の自由があったのか?(例えば路上で靴磨きなどで稼げたのかなど)教えて頂きたいと思います。 宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

あなたの疑問に答える本が出ていますよ



『ニセドイツ1』『ニセドイツ2』 伸井太一著 社会評論社

建前では御法度ですが
西ベルリンという西側のショーウインドーが国内にある東ドイツは
西側の文化的攻勢に必死に抵抗すべく?

生地が悪いジーンズを生産し
ヌード雑誌も発行され
皮肉なことにあらゆる公刊雑誌を差し置いて東ドイツでは最高の売上

ロックバンドもどきもありました
ただ上記の本を見る限りファッションやヘアスタイルは同時代の西側バンドを必死に真似たようですね

結局あらゆることを西側の真似ようとしたが、何れも中途半端
勿論反体制的な表現はできないし消費財は粗悪
それでも探偵小説、冒険小説、SF小説など娯楽小説や西側のパクリTVゲームなどありました

市場経済導入後のハンガリーを除けば
東ドイツは他の東側諸国に比べれば文化的自由度は高かったでしょう

一度上記で紹介しました本をご覧になってください
堅苦しい北朝鮮と全く違い滑稽と思えるほど東ドイツは面白い国と思えますよ
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この回答へのお礼

書籍のご紹介ありがとうございます!

読んでみます!
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/13 10:14

旧東ドイツ(DDR)において、社会主義ですので、勿論、言論の自由などありませんでした。

音楽も反政府を歌ったロックやフォークソングなども歌えませんでした。 東ベルリンは西ベルリンを囲んでいたので、西ドイツの夜の8時のニュースだけは見ることが出来ましたが、その他のTVは見られませんでした。西からの書籍物は一切読めませんでした。
当時は隣人も友人であっても、密告が当たり前だったようで、例えば、西からの親戚がたびたび訪ねて来るような家は、隣人からの妬みから党に密告されるようなことがあったようです。 西ベルリンに親戚が居る人は、コーヒー、チョコレート、ニベア、バナナ、オレンジなどの土産を西から持ってきてもらうのが普通のようでした。当時高級品だった、デジタル時計やカメラは税関を通るのが難しかったようです。

職業の自由はありません。但し、フィギュアースケートのカタリーナ・ヴィットの様に、オリンピックでメダルをいくつも取ってくるような選手はホーネッカーと肩を並べてDDRのプロパガンダとして大いにもてはやされ、若くても一軒家を与えられたりしましたので、オリンピック候補になりそうな他種目の子供達はドーピング漬けの日々でした。 

大学への進学も党に入らないと進学できないとかあったようです。

路上での靴磨きはドイツの習慣として、西も東にもありません。
小遣いを稼ぎたいときは、畑仕事などを手伝うとかの簡単な手伝いしかなかったのではないでしょうか。または、楽器の演奏の家庭教師なども考えられます。
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この回答へのお礼

一つ一つ御丁寧にありがとうございます。

参考になりました!

お礼日時:2011/04/14 23:08

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