我々の自然を愛するのは自然は我々を憎んだり嫉妬したりしないためもないことはない。

ご覧のとおり「ない」が三つもあるので、わからなくて混乱しています。意味を教えていただければ助かります。お願いします。

A 回答 (3件)

元の文が日本語として間違っています。



「我々が自然を愛するのは、自然が我々を憎んだり嫉妬したりしないためでないこともない。」

言いかえれば、
「我々は自然を愛する。その理由として自然は我々を憎んだり嫉妬したりしないという
こともあるかもしれない」

つまり、自然が我々を憎んだり嫉妬したりしないことが
理由だと断定したくない、あいまいな言い方をしたいという
表現です。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなっていてすみません。ご回答ありがとうございます。たすかりました。

お礼日時:2011/04/15 21:48

「ないこともない」「はあるとも云える」と言う推察のの言葉に置き換えられます


我々が自然を愛するのは、自然は我々を憎んだり嫉妬したりしないからであるともいえる。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなっていてすみません。ご回答ありがとうございます。たすかりました。

お礼日時:2011/04/15 21:51

いい文章とは言えませんが、舌足らずではあっても間違いとは言えないと思います。



「我々が自然を愛するのは〔なぜかと言えば〕、自然は我々を憎んだり嫉妬したりしないため〔という理由〕もなくはない。」
とすれば、明確になると思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなっていてすみません。ご回答ありがとうございます。たすかりました。

お礼日時:2011/04/15 21:50

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『日本語逆引き辞典』
http://www.taishukan.co.jp/book/b197553.html

>それぞれどんな愛なのかを教えてください

とりあえず、「専愛」「貧愛」「憐愛」の3語以外は下記に説明があります。

コトバンク (Web辞書サイト)
[愛] で終わる語
http://dic.search.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E6%84%9B&ei=UTF-8&b=1&dic_id=jj&stype=suffix

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私たちが理性を持つ者ならば、
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禁ずる → 禁じる(可能形:禁じられる)

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(「愛す」の活用形「愛せば」はあまり使わない)

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Q罪を憎んで、人を憎まず

法律に詳しい方にお尋ねします。

死刑の是非を巡ってある人が、ブログのコメントに次のように書いていました。私はその意味がわかりません。それは表現がおかしいからではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか。

国家という名のもとに、結局人が人の命を奪う。ですから死刑には反対です。「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義から見ても、今の日本は、マスメディアによるリンチ的報道が過剰なまでに溢れていると思います。

私がおかしいと思う表現 ⇒ 「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義

Aベストアンサー

 罪を憎んで、というのは以下の意味と語源ですね。

http://kotowaza-allguide.com/tu/tsumiwonikunde.html

 現在でも、原意に即した理解をされていると言って差し支えないでしょう。

 お示しであり疑問に思われる『「罪を憎んで、人を憎まず」の罪刑法定主義』は、文学的修辞として、想像力を駆使して意味を考えることができないわけではありません。

 ただ、事実を明らかにしたうえで意見を明快に述べているブログがあって(ちょっと読んできました)、それに対して書くべきコメントではないでしょうね。コメント主が言いたいことを、読み手に慮らせてはいけません。

 そういうのって、荒らしがよく使うテクニックの一つであったりします。曖昧なこと、矛盾しているようなこと、意味的や論理的なつながりを欠いたこと、そういうことを言って、相手に意味を考えさせる手間と労力を強います。荒らし側に都合のいい考えを引きだしたり、読み手が推測で述べたことに次々と「そういう話ではない」と駄目出しを続けることができます。荒らし側は片手間、読み手は一生懸命ですから、読み手側が疲れてしまいます。

 こういうときは、「意味不明である。明快に述べたら考慮してやってもよい。」と突き放すべきです。もちろん、明快かどうかは、今度はこちらの裁量で判断します。相変わらず不明瞭なら、「考えを持っていないなら喋るな。邪魔以外の何ものでもない。」などと述べて、以降は完全スルーです(自分のブログなら、おちょくって遊んでもいいですが、他所様の場所ですとね)。

 罪を憎んで、というのは以下の意味と語源ですね。

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