優越感を持つ人は劣等感も持っている。
(違った側面で)劣等感を抱く性質の人しか優越感は抱かない。
これは正しいですか?

A 回答 (5件)

基本的に正しいと考えます。



それは、どちらも他人とに比較から生まれるもので、比較する性質が根を張っているからです。

他人を余り意識しない人は自己完結型で、悪く言えば自己満足型です。
自分との戦いしか見えないため、優越感も劣等感も抱き難いでしょうが、独り善がりになりやすいかもしれません。
芸術家や研究者なんかには向くかもしれません。

実は、必ずしも、違った分野で持つのではなく、劣等感がある分野だからこそ、ムキに頑張って他人を超え、無意識に劣等感を隠すために優越感を持っているのかもしれません。

幼少期の育ちも大きく影響するでしょうし、広汎性発達障害などもかなり影響しますし、外見も影響します。

基本的には劣等感を持たない人は優越感も持たないでしょう。
優越感が無くても高慢・傲慢の問題がありますが、優越感とのはっきりした区別が出来るケースを出来ないケースと、複雑ですねぇ~~
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一理はあると思います。



が、劣等感の塊のような人は優越感に浸ってもいい分野でも遠慮したり、「この程度で…」などとわざわざ劣等感から抜け出さない人もいます。
その逆も然り。
まぁ裏でどう思っているかはわかりませんが…

というわけで“正しい”と断ずるには至らないと思います。
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他人と自分を比較しようとしなければ、劣等感も優越感も持ちようがないと言えます。



http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/4106/m0u/
ただ、劣等感と引け目は類義語と言われるが、意味合いは全く違う。
前者は相対的な自己否定、後者は絶対的な自己否定である。
前向きな自己否定は成長に繋がるので、これは悪い事ではない。

無意味な比較は劣等感や優越感に繋がりますが、人の心は理屈だけではありません。
だからこそ、心の病気は無数に存在します。正しいかと言われると、例外が存在すると
思うので、同意はできません。
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あくまで私の考えですが・・・


「正しい」の中の一つだと思います。
優越感しか持たない人もいれば、劣等感しかもたない人もいると考えています。
後者の 劣等感を抱く性質の人しか優越感は抱かない というのは
正しくないと感じます。

ちなみに、なんか諦めないで頑張ろうと思えた問いかけでした。
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正しいと思います。

しかしほかの人より劣っているとか勝っていることを正確に認識することと劣等感や優越感を感じることとは区別したほうが良いように思います。前者は具体的に対応できますが後者は何も生み出さないばかりか多くの場合自分も他人も不幸にするものです。
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Q日本人は英語に対して劣等感があるのか、それともアメリカ人の方がおかしいのか?

お世話になります。

英語で記載された映画や商品名などを見ていると不思議な感じを受けます。

たとえば、映画、アメリカンコミックスの「SuperMan」というのがあります。このSuperMan、英語が共用語ではない我々日本人が聞くと
「SuperManなんだ、スーパーなんだ、ヒーローなんだ、すごいやつなんだ!」
と思います。しかし日本語に翻訳するとショボく聞こえます。
SuperMan = 超人間 です。
こういうのは他にももっとあります。

映画タイトル
スパイダーマン = 蜘蛛男
バックトゥザフーチャー = 未来へ帰れ
スターウォーズ = 星戦争(?)
日常語
コンビニエンスストア = 便利商店
スーパーマーケット = 超市場

果たして、日本語でこういわれたら魅力的な響きに聞こえるでしょうか?
僕としてはあまり魅力的に聞こえません。

で、肝心なのはここからです。
英語を共用語としている国の人たちは上記のような言葉を使っているわけですが、彼らの会話はこうなります。
「今度の日曜日に映画デートでもしないか?
 映画館に行く前に”便利商店”でお菓子を買って、 
 新作映画の”超人間”か、”蜘蛛男”を観ようじゃないか。
 帰りは”超市場”によって食材を買って、君の手料理をご馳走になろう」

ロマンチックな響きはあまりしませんね。
でも、英語を使っている人間からすると、こういう意味になるはずです。変ですよね。

こういう感覚は我々日本人(もしかして僕だけ?)が英語になんとなくコンプレックスをもっているからそういう感じを受けるのでしょうか?
それともアメリカ人が映画のタイトルが”超人間””蜘蛛男”でもなんとも思わないヒトたちなのでしょうか?

 だって、”蜘蛛男”ですよ。気味悪いでしょ。もし邦題が”蜘蛛男”だったら絶対女の子は観に行きませんよね。江戸川乱歩原作かと思いますよね。
 でもアメリカ人にとってのタイトル名は”クモオトコ”なわけですよ。むしろアメリカ国内でのタイトルを”KUMO-OTOKO”にして、輸出版タイトルを”スパイダーマン”にしたほうがウケると思いますが・・・。

お世話になります。

英語で記載された映画や商品名などを見ていると不思議な感じを受けます。

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「SuperManなんだ、スーパーなんだ、ヒーローなんだ、すごいやつなんだ!」
と思います。しかし日本語に翻訳するとショボく聞こえます。
SuperMan = 超人間 です。
こういうのは他にももっとあります。

映画タイトル
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Aベストアンサー

似たようなことを思ったことがあります。同じ疑問を持つ身なので自分なりの結論に過ぎませんが、日本人の劣等感とかアメリカ人の感覚がおかしいとかそういうことではなく、単に文化による感覚の違いではないかと思います。

日本は海外から文化や技術を吸収し応用することで発展してきましたし、日本語もそれに適した言語です。一方アメリカやイギリスは世界の大国でそれなりの誇りを持っていますし、外国語を学ぶ必要も日本人の英語を学ぶ必要ほどはありません。ですからまず英語以外の言語を用いる習慣が日本ほどはなく、例えば「KUMO-OTOKO」と題してもそれが何を意味するのかどういうニュアンスを持つのか伝わりづらいのではないでしょうか。

「蜘蛛男」という題について、私も乱歩原作っぽいなと思いますが、多分私たちにとっての蜘蛛男と彼らにとってのspider manは違うのだと思います。私たちはスパイダーやマンという語を得て、その直訳が蜘蛛や男であることを理解しつつ別のニュアンスを与えました。これが私たちの感じるスパイダーマンと蜘蛛男の違いになるわけですが、もし日本語だけで生活していたなら、さしたる違和感もなく蜘蛛男的な邦題になっていたのではないでしょうか。アメリカ人はおそらくこの状態です。

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Q劣等であることと劣等感は違う

劣等であることを認めても、劣等感を持たない人がいます。さらに、劣等性を認められるということは、すでに劣等感を克服できている、ということでもあります。
劣等を劣等でないと意識できる(劣等を受け入れられる)ようになるなら、本当の劣等とは何ですか?劣等の概念て何でしょうか?実在しない虚像のようなものでしょうか?

Aベストアンサー

心理学カテに相応しいのか否かちょっと悩みますが・・・以下お読みください。

まず質問文にある
>劣等を劣等でないと意識できる(劣等を受け入れられる)ようになるなら、本当の劣等とは何ですか?
という部分から、劣等感と劣等が少なからず融合した形で理解しておられる印象を受けます。
折角タイトルに「劣等であることと劣等感は違う」とお書きなのですから、ここは明確に区別してお考えになった方が宜しいでしょう。

劣等感とは、自己の能力や立場が他者と比較して劣っている時に生じる(負の)感情、です。
劣等とは、他と比較して劣っている事(事実)です。
ですから
>劣等であることを認めても、劣等感を持たない人
とは、別の比較において負けていない部分を持っている人でしょう。(例えばアナタに期末試験の総合点で負けたが、バレンタインにチョコをもらった数で比較したらこっちが勝ってる、とかね)
そうでなければ、負けるのが当然なので負の感情が生じない人でしょう。(アナタに期末試験の総合点で負けた、でもあんなに頭のイイ人になら負けるのは当然だ、とかね)

>劣等性を認められるということは、すでに劣等感を克服できている
のは、劣等であると認められた分野(成績・学歴・年収・社会的実績・名声etc.)を「大した事無い」と思っている場合(大学教授が100m走で学生に負けても別に悔しくない/横綱がダイエット大会で女性に負けても悔しくない)と、現実は劣等でも自分には潜在的な能力があり、未来は逆転できると思っている場合(あすなろ、ですね。この場合、自らを客観視しているケースと誇大妄想のケースがありますが)が考えられます。

ですから劣等感からくるコンプレックスこそが
>実在しない虚像のようなもの
であって、劣等か否かは客観的な事実(数値で表せるもの)です。

劣等か否かはあくまでも、ある一つの基準についてにのみ平均より劣るか否か、なのであって民族や人間性そのものには適用できないのです。

ですから、アナタ自身がお書きの
「劣等」を受け入れられる=「劣等感」の克服
という図式は正しいのです。
劣等と劣等感をはっきり区別して考えれば問題ない事が分かりますよね。

心理学カテに相応しいのか否かちょっと悩みますが・・・以下お読みください。

まず質問文にある
>劣等を劣等でないと意識できる(劣等を受け入れられる)ようになるなら、本当の劣等とは何ですか?
という部分から、劣等感と劣等が少なからず融合した形で理解しておられる印象を受けます。
折角タイトルに「劣等であることと劣等感は違う」とお書きなのですから、ここは明確に区別してお考えになった方が宜しいでしょう。

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Q劣等感について

劣等感について

男性はひとつの劣等感にグジグジ悩み
いつまで経ってもダメージが残り、
女性は劣等感を感じても
すぐ開き直るので劣等感が
長く続かないと聞いた事があります。

では男性はどうすれば劣等感に
振り回されずに生きていけるのでしょうか?

Aベストアンサー

50代男性です。

女の基準は美人度だけですが敗者には「可愛い」という魔法の言葉があります。

男は敗者には何もありません。
ただし、美人競争に敗者復活戦はありませんが、
男には何度も敗者復活戦があります。

劣等感があっても死ぬまで挑み続ければいいのです。

Q人はなぜ、劣等感というものを感じるのでしょうか?

みなさんは「劣等感」もしくは「人より劣っているかもしれない。」という風に思ったことはありませんか?僕はよく感じます。もしかしたら自分が一番劣っているんじゃないだろうか?と思うととても恐怖を感じます。

その度に、最初はみんなできないんだ。頑張ればできるようになるはずだ、と思うようにしていますが、それも結構しんどいものです。人間は何故、劣等感を感じるようなシステムになっているのでしょうか?人間以外の動物も感じるものなのでしょうか?

Aベストアンサー

劣等感を持つとストレスを感じてとてもつらいですが、劣等感・不安を持たないと自発的な行動を起こせないのではと思います。
不安を感じずに自ら行動・進歩することができる「強い」人はなかなかいないと思います。
劣等感や羞恥心は成長する為に必要なものなのではないでしょうか。

Q劣等感をバネに伸びる人と劣等感で駄目になる人の違いは何処にあるんでしょうか?

劣等感をバネにして伸びる人と劣等感が原因で駄目になる人の違いは何処にあるんでしょうか?

自分は最近偉人とか所謂成功者と言われる人達の自伝を読んでいたんですが
結構劣等感をバネにしている人が多いなと思ったんです

だから劣等感を強く意識することは大事だなーと思いました

しかし劣等感を強く意識するあまり逆に駄目になる人もいるわけじゃないですか

でその違いは何処にあるのかと疑問に思いました

何処に違いがあるんでしょうか?

Aベストアンサー

あきらめるか、あきらめないかですよね。

本人に備わっている向上心とか野心とか、
運やそれに伴う経験とか、
環境も大きいんじゃないでしょうか。

自分自身で感じているのは、劣等感でだめだと感じていたときは、そばに誰もいない感じでした。
家族がいても友達がいても前向きになれずにいました。
でも同じ境遇で成功した人と出会ったことで、劣等感があってもいいんだって受け入れられました。
目を背けずにまっすぐ自分を見つめることができ前に進むことができました。
そういうきっかけがあるかないか、あったときにそれにしがみつけるかどうかなのかなと思いました。

Q妄想的な優越感

お世話になります。

誇大な自己評価や不当な他者否定等によって、妄想的に優越感を抱く心理や、
そのような心理状態を作り出すパーソナリティ構造、及び相互行為等を説明している学説があれば、
その概要や要点を教えて下さい。

誇大な自己評価等にも段階がありますし、その様相も一様ではありませんが、
この事柄に関する知識の無い私には明確な線引きが難しい為、ここではやや幅を持たせた質問とさせて頂きました。
(「私は神の子」「僕は総理大臣です」等、一部の病者が抱くような妄想と、
「この人は私よりも頭が悪い」「コイツよりも俺の方が喧嘩が強い」
等といった憶測を確信してしまうレベルの妄想とを分けることができるならば、
私は後者をイメージしております)

どうぞ宜しくお願いします。

Aベストアンサー

「若者だけに見られるものでは」なくて「信頼性のある理論が欲しい」とのことですが、当方、専門の勉強をしたわけでないので、しろうとの考察です。飽くまで御参考程度に願います。

一言で言うならば、いわゆる「幼児的万能感」というものが相当するかと思われましたが、これは一部の世代だけにみられるものではなく、誰しもが人生の出発点において通るところでしょう。
俗に言う「パワハラやイジメ等」の行為を、それと自覚せずに当然の要求として行ってしまうとしたら、それは、ちょうど乳幼児が養育者(母親)に対して母乳や乳房を要求するにあたり泣き声を発する、そのときに、その要求は必ず聞き入れられるものということを露疑うものではなく大前提として叶えられるべき要求です。このことと同じ構造があるかもしれません。
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御質問の本文に挙げられました
>「この人は私よりも頭が悪い」「コイツよりも俺の方が喧嘩が強い」等といった憶測
これらは他者と自己との比較検討によって起きるものです。
ですから、何らかの防衛機制的反応による「誇大な自己評価や不当な他者否定等によって、妄想的に優越感を抱く心理」が起こってきたものと考えてみますと
>「自分より弱い」と妄想的に確信してしまう
という結果を生み出すには、さきに申し上げた他者との比較検討の後、下した判定、この判定が妄想的確信、ということになります。
つまり、そこには冷静な客観的姿勢が欠けているわけですから、比較検討というのは、知力の表れではありますが、客観的判断力という、より高次の知力が発達していないということになります。
或いは大きな抑圧や障害や挫折や限界を経験せずにきた、もしくは、その経験から学ぶことができていない、それだけ狭い世界に生きてきたということかもしれません。
いずれ「幼児的性格」という周囲からの批判を招くことになるのでしょう。

「若者だけに見られるものでは」なくて「信頼性のある理論が欲しい」とのことですが、当方、専門の勉強をしたわけでないので、しろうとの考察です。飽くまで御参考程度に願います。

一言で言うならば、いわゆる「幼児的万能感」というものが相当するかと思われましたが、これは一部の世代だけにみられるものではなく、誰しもが人生の出発点において通るところでしょう。
俗に言う「パワハラやイジメ等」の行為を、それと自覚せずに当然の要求として行ってしまうとしたら、それは、ちょうど乳幼児が養育者(母...続きを読む

Q劣等感という感覚を無くしたいのですがどうすれば劣等感が消えますか?

劣等感という感覚を無くしたいのですがどうすれば劣等感が消えますか?

Aベストアンサー

視野を広げて、自分の周囲を見回して、自分は、今どういう状況の中にいるのかを見極めます。
そして、理想ではなく、小さくても良いので、達成可能な目標を定めて、その目標に向かって行動する事ではないでしょうか。

一生懸命努力して何かを成し遂げた結果が得られれば、達成感を感じられるようになります。
小さくても良いので、達成感を幾つも積み重ねていけば、自信が付いてくるでしょう。

自分自身に自信が持てるようになれば、劣等感も薄らいでくるのではないかと思います。
それと同時に、自分の長所を見付けて、自分自身を好きになることも大切です。

Q嘲笑と優越感

嘲笑には優越感が含まれているでしょうか。

Aベストアンサー

嘲笑を嘲笑されている相手に聴かせている場合には、その相手の価値基準に従っての優越感ですから、意外にも劣等感の裏返しのようにも思います。自信のある優越感というのは、むしろ相手に対する憐みのようなものを伴い、嘲り笑うというような心情とは無縁のものだと思います。言葉としては優越感と自分の優越性に対する確信とは違うようにも思います。自分の優越性に対する確信は嘲笑より憐憫によって特徴づけられるように思います。

Q劣等感をバネに努力するのは

劣等感をバネに努力するのは間違っていますか?劣等感からの努力は必ず不幸になるときいたもので。

Aベストアンサー

半々ですね。
劣等感は劣等感を呼びます。
ただ劣等感が向上心にもつながります。

劣等感を持って「こんな自分じゃダメだ」と
努力して成果を出したとします。
その時にどう考えるか、ですね。

「俺全然ダメじゃないじゃん」と
前向きになれるなら劣等感の克服かも知れませんが、
何をやっても満たされない自分に気付くと
それは劣等感が劣等感を呼んだことになります。
そうすると違うアプローチが必要ですね。

ようは劣等感が「信念」だったりするとやっかいなわけです。

ただどちらにせよ前に進まないとわからない
ことではありますね。

Q他人の不幸を喜んで優越感に浸る女の生物的正体とは?

他人の不幸を喜んで優越感に浸る女の生物的正体とは?

他人の不幸を喜んで優越感に浸る人が男女問わずいます。
これは一体どういう心理的メカニズムによるのでしょうか?
動物としてのヒトが持つ生来的本能なのでしょうか?
また、誰もがそのような側面を持ち合わせているとはいえ、
その程度に大きな個人差があるのはなぜでしょうか?

         ***

人間の性格は、育った環境の影響も大きく受けるとはいえ、
やはり生まれつきの「悪人」がいると、経験則上感じています。
例えば、同じく苦労して育った人間であっても、
その人格は次の二通りのタイプにハッキリと分かれます。
(1)自身の経験から、人の痛みを理解する人間。
(2)人に自分以上の苦しみを与えないと気がすまない人間。

もちろん善悪の基準は人間社会が決めたものに過ぎません。
例えば、殺人が悪であり、人道に反するとされるのは、
人間同士が決めた契約に過ぎないということが、
生物学の世界では常識のようです。

人間の倫理観も、生物学の世界では打算の産物と言われます。
もしも突然この世から法律がなくなったり、
悪いことをしても処罰されない特権階級が生まれたりしたら、
殺人を犯しても罪に問われない特権を手にした男性が、
強いオスとして女性からモテモテになるでしょう。

そして、残酷なことに、人間として優れた善人が、
子孫をたくさん残す生物的優等生とは限りません。
人間として優れていることと、生物として優れていることは、
互いに全く別物であり、両立しないことが多いような気がします。
善人だけが子孫を残していれば、我々はみな善人のはずです。
歴史上の善人は子孫が残らず、死に絶えてしまったのでしょうか。

やはり、人間にこのような攻撃性やマイナス思考があるのは、
動物の進化の過程で必要だったとされる本能が、
今でも名残として残っているためなのでしょうか?

もう少し具体的な事例は、以下で述べることとします。

時々このような女性を見ます。
(わかりやすいようにわざと誇張して書きます。)

彼女らは、長身で高学歴の男性が好きと言います。
理由は、子供に男性の体質や知能が遺伝するからだそうです。

しかし、子供に遺伝するのは、男性が持つ先天的素質のみです。
男性の身長や学歴は、先天的素質ばかりではなく、
10代までの育った環境、親が与えた環境などの、
後天的影響も少なからずあります。
先天的素質に恵まれながら、大人になるまでの短い間、
後天的素質である環境に恵まれなかったため、
素質が開花せずに大人を迎えてしまった人もいます。

ところが、恐ろしいことに、この種の女性の中には一部、
このような(ある意味気の毒な)男性を見下して、
優越感に浸る者がいるのです。
ごくたまに、環境に恵まれなくても、生まれつき頭が良いのか、
塾にも通わず独学でエリート大学に合格する苦学生もいます。
「バカが子供に遺伝するのは嫌だ」と言いながらも、
恵まれた環境で育った低学歴の遊び人以上に、
このような貧乏苦学生を見下す女性がいるのです。

冒頭で挙げた例とは逆になりますが、不思議なことに、
経済面や愛情面などで恵まれた家庭で育ったはずの女性も、
次の二通りに分かれます。
(1)素直で純真な人間に育ち、どんな人にも愛情を持つ女性。
(2)家柄で人を見下し、恵まれない人を内心で見下す女性。
同じいわゆる「令嬢」でも、このように性格が割れます。
実際のところは、前者(1)のタイプが多いと感じていますが、
たまに後者(2)のような女性もいます。

自身の経験則を総合すると、どう考えても、
人間の性格は生育環境だけでは説明がつかない気がします。

やはり、男女を問わず生まれつき悪い人間はいるのでしょうか?
また、そのような悪人も、生物学的視点からは、
生物界全体の進化向上にとっては必要であるが故に存在する、
“必要悪”と考えられるのでしょうか?

他人の不幸を喜んで優越感に浸る女の生物的正体とは?

他人の不幸を喜んで優越感に浸る人が男女問わずいます。
これは一体どういう心理的メカニズムによるのでしょうか?
動物としてのヒトが持つ生来的本能なのでしょうか?
また、誰もがそのような側面を持ち合わせているとはいえ、
その程度に大きな個人差があるのはなぜでしょうか?

         ***

人間の性格は、育った環境の影響も大きく受けるとはいえ、
やはり生まれつきの「悪人」がいると、経験則上感じています。
例えば、同じく苦労して...続きを読む

Aベストアンサー

>他人の不幸を喜んで優越感に浸る人が男女問わずいます。
これは一体どういう心理的メカニズムによるのでしょうか?
動物としてのヒトが持つ生来的本能なのでしょうか?

おっしゃるとおり「>生来的本能」が大いに関係しているでしょう。
ただ、「他人の不幸を喜ぶ」というのはひとつの形態にすぎないのであって、根本的には、相対的な価値観でしか自己基盤を確立できない憐れな(ある意味で健気な)人種と言えます。
いわゆるアイデンティティ無しには人は生きられないようですが、このアイデンティティを確立するには案外手間がかかります。
動物としての(無くてはならない)本能を適度に制御しつつ、精神の高みを目指すよう人はプログラムされているわけですが、本能を制御するということは中々難しいことです。
しかも自主的にそれを為すとなれば余計に難しいでしょう。

そこで、自らは努力せず、自分よりも弱い立場のものを見つけ、その者と比較することによって自らの優位性を確認しようとします。
これによって彼の存在意義は確立され(たと勘違いし)安心するわけです。
ところで、「弱い」と判断する基準が、二義的ではありますが問題になります。
一般的には「異質性」を以って弱いという判断が為されるのではないかという気がします。
こういった人々は「他人と違わないこと」に腐心することでしょう。
ゆえに、「他人の不幸を喜ぶ」というレベルから「他人の不幸を醸成する」段階へと足を踏み入れる者がいたとしても何の不思議もありません。
 
生来的とはいえ本能に操られつつという状態でしかアイデンティティを確立できないというのは、人間としては不幸な状況ということが言えます。
なぜ不幸かと言えば、(進化論を信じるとすればですが)動物が人間へと進化した、まさにそのほんのわずかの違いが、本能に対する制御が可能かどうか、という点だからです。
つまり、
「他人の不幸を喜んで優越感に浸る」ような人は、この違いをクリアしきれていない人種という結論が導かれることになります。

ところで、
「>動物としてのヒトが持つ生来的本能」と
「動物の本能」とは区分して考えるべきだろうと個人的には思います。
「>動物としてのヒトが持つ生来的本能(のひとつ)」とは、ここでは「アイデンティティの確立」を指すわけですが、この観点からすると、
「他人の不幸を喜んで優越感に浸る」ような人は、この確立方法を誤った人である、ということに気づかれると思います。
(時節柄なので)オリンピックに譬えれば、金メダル候補の失敗を願う(あるいは足を引っ張ろうと画策する)選手のようなものです。
何が誤りかと言えば、自らの(人間としての)可能性を貶めていることになる(しかも、そのことに気づけない)からです。

>やはり、男女を問わず生まれつき悪い人間はいるのでしょうか?

上で述べてきたような私見に基づけば、基本的には、【生まれつき】悪い人間というのは存在せず、あくまで「作られるもの」だと考えます。
なぜならば、「生来的本能」を制御していく超自我性というものは動物との違いとして人間に【芽として】備わってはいますが、それは育てていかなければ育たないものだからです。
いくら踏まれても芽を出すたくましいものもあるでしょうが、これは個体差があります。
ひねくれた方向に育ったり、あるいは途中で枯れてしまうものだってあるでしょう。
また過保護に育てすぎても正常な発達は望めません。
適度の栄養と適度の水分と適度の陽の光りを必要とする植物のようなものです。

無論、植物と違うのは、人間は成人ともなれば自己責任が伴うということです。
責任は負わなければなりません。
しかし、そうなった原因が全て本人だけにあるということとはまた別の問題です。
「>人間の性格は生育環境だけでは説明がつかない気がします。」
とおっしゃる点については、このような感想を述べるにとどめておきましょう。

>また、そのような悪人も、生物学的視点からは、
生物界全体の進化向上にとっては必要であるが故に存在する、
“必要悪”と考えられるのでしょうか?

「必要悪」というわけではなく、生物学的視点からは、
単に「そういったものだ」という確率論になるのではないか、という気がします。
総体としてどうなのか、ということは留意されても、個体ごとの評価をしようとするのは(生物学的には)おそらく無意味でしょう。

人という種族が仮に進化すべき方向に向かうならば、そういった個体(悪人)の出現する確率も次第に減ってくるだろう、ぐらいのことになるでしょうか。
さらに言えば、そうなった時点では「悪人」の概念もまたさらに進化?というか、他の要素が組み込まれている可能性はあるでしょう。

とりとめもない感想に終始してしまい失礼しました。
  

>他人の不幸を喜んで優越感に浸る人が男女問わずいます。
これは一体どういう心理的メカニズムによるのでしょうか?
動物としてのヒトが持つ生来的本能なのでしょうか?

おっしゃるとおり「>生来的本能」が大いに関係しているでしょう。
ただ、「他人の不幸を喜ぶ」というのはひとつの形態にすぎないのであって、根本的には、相対的な価値観でしか自己基盤を確立できない憐れな(ある意味で健気な)人種と言えます。
いわゆるアイデンティティ無しには人は生きられないようですが、このアイデンティテ...続きを読む


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