お産婆さんは助産婦さんになり、今は助産師です。昔の女性の高収入技術職といえば、更に髪結いさんでしょうか。

 曽って、“産婆の亭主”、“髪結いの亭主”という言い方、慣用句が使われました。
私たちが中学を出る頃、団塊の方々がご誕生で、地域のお産婆さんはたいへんでした。
 友人の家も助産所という看板でした。確かに旦那さんもちょいとどうかなということはありましたし、4人の子ども達も、結局、生活する社会人になりえず、離散しました。
子ども時代は大層、羽振りがよかったのですが。

 60数年前、大学に就職した時、用務員で元憲兵大尉(非制服組・営門大尉、だから中尉で終戦でしょう)であった方も奥さんは助産婦でご本人、やはりちょいとどうかなというお方でした。
 なお他人のことはいえず、私の母も相当の収入のある職人ではありまして、やはり私もあまり常識ある成長は出来ませんでしたが。

 質問:
 1. 産婆の亭主、髪結いの亭主という慣用句の成立する根拠は事実としてあったのでしょうか?
 2. どうしてこういう高収入の方のご家庭は展開が幸せではないのでしょうか?

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A 回答 (3件)

父方の祖母は助産婦の資格をもっていましたが(お産婆さんです)、大変厳格な家に嫁ぎましたので、結婚してからは仕事を続けられませんでした。

結婚後の女性が仕事に就くことに理解のない時代であったと思います。

母方の祖母は明治30年代の生まれで、和裁の免状を持っておりましたが、やはり格式の高い家に嫁ぎましたので、子供の世話、姑の世話が優先で、和裁を再び始めたのは姑もなくなり、子供達の手が離れてからでした。私が知っている祖母は皆に”おしょさん”と呼ばれて和裁学校の先生をしていましたが、良妻賢母を絵に描いたような、身持ちの硬い人でした。

さて、問題の髪結いの亭主ですが、祖母の妹が横浜の下町で髪結いさんをしておりました。お客さんは皆さん粋筋の方です。旦那は確か、お米関係(専売公社か?)に勤めていましたが、影が薄くていてもいなくても同じ。頻繁に遊びに行った私ですが、昼間の幽霊のようで何一つ覚えていません。出髪(お客様のところに髪を結いに行くこと)も頻繁でしたし、お休みのときに家にいることも、台所でお料理をすることもなかったように思います。いつも頂き物や、近所からの出前で食事を済ませていました。とにかく、付き合いが派手だったので、物堅い私の家と比べると、まるで別の世界にいるようでした。あそこのうちがいわゆる”髪結いの亭主”の典型だったと思います。幸せな家庭とは呼べなかったと思います。幸田文の”流れる”を読むと、その当時の有様が蘇ってきます。

というわけで、40年前まで、髪結いの亭主は存在しておりました。

2.としては、奥さんが仕事優先だからでしょうね。

社会的地位のある夫に連れ添った女性達は家庭優先で、自分達の技能を生かさずに、一家を支える妻でいることに満足していたようです。

逆に仕事を続けてゆけた女性は、結婚相手に十分な権力あるいは収入がなかったため、そういった社会的かつ家庭的制約の枠外にいて、十分自我を満足させられる状況が作り出せたのでしょう。フェミニストムーブメントとは少し違いますが、家庭内の力関係によるものだと思います。

夫の力量次第であった。。というのが結論でしょうか。

懐かしい人たちに関するご質問でしたので、つい回答してしまいました。

この回答への補足

 Ciaopolpoのご親族のご家庭のように立派なお家、けじめがつけられるご当人もおられるでしょうね。
 私の幼友達の二軒のお医者さん。一軒はその友人とその弟が医者になりました。まぁ大勢兄弟がいましたが。
 もう一軒は子どもが医者、孫が医者と歯科医ですが、まぁおばぁさまも眼科医だそうですが、全く医院も開設せず、診療もしておりませんでした。
 このお宅はやはり立派にしっかりと地域医療をお祖父様のころから、80年以上も継承されています。
 おばぁさまはそのあたりをけじめつけていたのですね。

 そういう言い方と見方が当を得ているかどうかは、確認しにくいですね。
 ぁあ、最初の事例の友達のお家では、おかぁさまはとても忙しかった。何しろ自治体の議員を何期もやり、且つ、地域の団体の役員やらなにやで。
 友達はどこか寂しかったようです。いま医師としては兄貴の方はそろそろ外科メスを神棚に預ける年齢でしょうが。
 家って、何か基本のことがあるような気がするんですが。

補足日時:2011/04/16 09:24
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この回答へのお礼

 有り難う御座います。
 身持ちの堅いとは、懐かしいご表現ですね。
 私の知っている二軒のお産婆さんのお宅も、仰せのお宅のようにご由緒のある家ではないが決して自堕落ではありませんでした。
 一軒の家は、同じ男子系私立中学生同士が友達でした。
 上に長男の大学卒業間際のひとやその上に長女がいまして、家事も子育ても心配のないお家でしたが、どういうわけか私たちが大学に入る頃は崩壊し、みなさん、離散し、且つ、惨めなお生活になりました。
 でも何がたりなかったのか、不思議な感じを受けましたが、そういえば産婆の亭主なんて慣用句があったなぁ。
 と思い出しました。
 そして気がついたのは、就職した大学の用務員さんも産婆の亭主でした。
 ここでは家事やおさんどんはこの非制服ですがもと憲兵さんがやっていました。
 まぁ、ほんとは、位、人臣を極めているべき経歴なのに用務員です。
 思想からはしょうがないのでしょうが、体制側というか、管理者側の協力などに動いたりしてとても私たちとしては困ったものでした。
 やはり終わりは孤独な亡くなり方でして。何かがあり、なにかが欠落していそうです。そんな思いなんです。

お礼日時:2011/04/16 07:31

1.そもそも慣用句として世間に広まる過程で「あすこは髪結いの亭主だからさァ」といえば世間で意味が通じたわけですから、そういう「イメージ」はあったと思います。

しかしそういうイメージがあるから事実はどうかといえばまたそれは違う話なのではないでしょうか。
ここなどで丹念に探せば「ウチはそうじゃなかった」って人は大勢見つかるでしょう。100人に1人としても事実は事実としてあったから、と考えるか、それなら全体のたった1%じゃないかと考えるか、どちらも考えとしては成立しうると思います。
ただ、今は「美容師の夫」なんていっても通じないしそういうイメージもありませんよね。そもそも美容師さんが今はどちらかというと収入の低い部類の仕事ですからね。奥さんが美容師で一家を食わせていけるほど稼ぐのは大変でしょう。さしずめ今なら「女性タレントの夫」でしょうか。

2.それもまあ事実としてはどうかなというところはあると思います。前述したように、探せばその状況でも幸せだった人をいくらでも探すことはできるでしょうからね。
しかも幸不幸というのは非常に個人的な価値観です。貧乏でも幸せと感じる人もいれば、平均的日本人の生活レベルは世界レベルでいえば非常に豊かでしかも安定している(例え非正規雇用のフリーターでも、明日には仕事がなくなるかもというリスクは小さいものです)けれどもここを見ても分かるように「自分は不幸のズンドコだ」と嘆く人は非常に多いものです。戦乱の国から逃げてきた人なら「戦争もなく仕事もあって家族が平穏に暮らせるのだからそれだけで幸せ」と思うでしょう。
ただ、個人的人生経験からも社会的成功と家庭的幸福というのはやや反比例の傾向にあるのかなという気はします。愛すべきパパ、家族想いの夫のような人は人間的魅力はあっても、いやそのせいか狡猾に金を稼ぐ才能には恵まれていない人が多い「ような気」はします。また社会的に成功するためにはやはりなにがしかの犠牲は強いられるもので、多くの場合は家庭が犠牲になりがちかと思います。売れまくっている女性経済評論家なんか、離婚は2回だか3回だかしているし、お子さんとも折り合いが悪いらしいですからね。ご自身も母親としては失格だったと明言しています。

この回答への補足

 すみませんみなさんに、お礼できませんので。
 本当に無理をして敢えて選択させてください。

補足日時:2011/04/16 09:26
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この回答へのお礼

 該博高邁なご識見からのご回答を有り難う御座います。

 1.【そもそも慣用句として世間に広まる過程で「あすこは髪結いの亭主だからさァ」という通じた「イメージ」】
  質問者⇒イメージの内容なるのかもしれませんが、『やっかみとある種の見くだし』でしょうか、確かにありましたね。

 【イメージがあるから事実はどうか】
  質問者⇒蓋然性の問題もあるでしょうし、何かと産婆の亭主だったなぁという一致性も意識される場合が多かったのかもしれませんね。
 だかろこそ根拠性があるのかというのがこの質問でした。むろん今の「美容師の夫」も「女性タレントの夫」なんてことも私の思いの中にはありませんでした。

 2.【幸不幸】
  質問者⇒幸不幸ということではなく、欠落していることがあるような人生の歩みだなぁという感想からの質問でした。

  【“社会的成功と家庭的幸福というのはやや反比例の傾向”・“愛すべきパパ、家族想いの夫のような人は人間的魅力はあっても”】
  質問者⇒仰せのような人を画く事はできますが、事実としての存在性はもっと多様でありどの方もいろんな相矛盾する側面があるものですね。

  【また社会的に成功するためには(補足:周囲の人は)やはりなにがしかの犠牲は強いられる】
  質問者⇒質問での現象事項に近いものがありますが、ちょいとこの問題とはちがうようですね。
 産婆の亭主とかいう場合には、そういう周囲の犠牲もさることながらそのご家庭での核存在や父系的なものに問題性を産出する何かがあったのかなぁというのが問題意識でした。
 家庭構成員の意識と生活に問題があるような気がするんです。本当に日々身近につきあいましたので。

有り難うございました。

お礼日時:2011/04/16 08:56

1.「ひも」のことです、両方とも。


その両方は基本的に持家が多く、
客の切れない商売なので(髪結いは贔屓がいれば口コミで広まったし、産婆は腕が良ければ引っ張りだこ)、
男が仕事しなくても養えたからです。

2.全員がそうではありませんが、
子どもができれば、女が世話をしなければならないので、
仕事に割く時間を短縮しなければなりません、これで収入が激減します。
まともに働いてくれる男や育児の手伝いをしてくれるのならいいですが、
そうでなければ、収入より支出の方が多くなるのは当然のことで、
先々破綻するのは目に見えています。


落語の厩火事を聞いてください。

この回答への補足

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8E%A9%E7%81%AB% …
 ですね。ひもの家庭は確かに問題があり、家庭構成員の意識と生活にやはり問題が醸成されてきますね。
 そういう意識と生活のことが私の問題関心だったのです。
 男子系私立中学生同士、その上の大学生、その上の姉様。彼の妹。
 豊かでいい生活であるが、どうしても、“様”にならない。
 そしてそれから60年。みなさん離散し惨めなご生活で、いまはもうどなたも行方知れずです。
 何かがあり、何かがない。ひものご家庭ですよね。

補足日時:2011/04/16 09:11
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この回答へのお礼

 有り難う御座います。
 お産婆さんっていう語は今は、死語ですね。
 産婆の亭主って、まぁ紐かどうかわかりませんが、こういご家庭って、何かちょいと違うのだろうという思いからの質問でした。
 私の知り合いは私たち中学生の上に長男の大学卒業間際のひとやその上に長女がいまして、家事も子育ても心配のないお家でしたが、どういうわけか私たちが大学に入る頃は崩壊し、みなさん、離散し、且つ、惨めなお生活になりました。
 貧乏な我が家はみんなで頑張って、なんとか人並みの生活ではありますが。

お礼日時:2011/04/16 07:20

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身籠もったのが障害児とわかれば、さっさと殺すべき?

茨城県の教育委員会が 

「障害児の出産は出来る限り減らすべき。出産前に検査を徹底して、障害児だと分かれば胎児のうちに殺すのも必要。」

と発言したことが話題になりましたが、出生前診断によって障碍胎児だと分かった人の九割が堕胎しているというデータがありますから、多くの人は障害児の誕生を望んでいません。

障害児かどうかの検査は今は任意ですから、これが必須になればどうなるのかという段階です。

もし、自分の子どもが障害児だと分かったら堕胎して殺しますか?産みますか?

殺すのは残酷だと言われても、障害児を育てるのは金も時間も普通の子どもの何倍もかかるので、貧乏人が障害児を未公開場合は、胎児のためにも自分達のためにもさっさと殺すべきだと思います。

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貴女の文面は「殺す」という言葉が出てくるので、きっと過剰に反応する人が多いと思いますが、実際お腹にいる時に障害が分かっていたら…「中絶なんて殺人は絶対出来ない。どんな子でも生みます!」とは正直言えないですね。

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上手く言えませんが、長男の事はとても可愛いし大切です。
でも、生まれ変わっても障害児を育てたいとまでは思わないし、人に「障害があっても大丈夫。生んでみてごらん!」とお勧めはできません。
私の場合は育てるのが大変だったからではなく、長男が成人に近づいてきた今、ちゃんと親が死んでも生活出来る様に準備するつもりですが、いつまでも子供の様な長男を残して死ぬ事が切ないからです。

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はお勧めしたいです。(著者は自閉症で有名な先生なので、障害児のこともきちんと書いてあります)
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Q昔の舞妓さん、芸子さんについて教えてください。

舞妓さんは300年くらい前からいたそうですが、昔の舞妓さん、芸子さんはどのような生活をしていたのでしょうか。
(1)今の舞妓さん、芸子さんと違う点
(2)1年を通して、もっとも忙しい時期はいつだったのか、
(3)舞妓さん、芸子さんの習慣や行事
(4)その他

など教えていただけるとありがたいです。

なお、ウィキペディアは読みましたので
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%9E%E5%A6%93
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E5%A6%93
ウィキペディアには書いていないような情報をいただけるとありがたいです。

Aベストアンサー

こんばんわ。
私は、自称「歴史作家」です。

>>(1)今の舞妓さん、芸子さんと違う点

江戸時代に書かれた「古今役者大全」によると、
「諸方へ召され舞事(しょさ)をして、それを業(なりわい)とするを芸者といひ・・・」
とありますが、やがて、専(もっぱ)ら踊を担当する者を「踊子」と呼ぶようになった。・・・とあります。

大道寺友山の「落穂集」には、
「野も山も踊子、三味線弾きばかりのようになったのは、元禄以来の事であろうか。女の子を踊子などにするには、親達も物入りであるから、五百石や千石の知行取の武士を目当てにすることではない。せめて六~七千石から万石以上の領主、或は国主の方へ奉公させたい願いで、師匠を択し(たくし=選び)物入り構わずに稽古させることである」
とあるように、踊が上手であることが、奥入りでは大変な出世コースに乗れる要件だったのかも知れません。

従って、踊子は元禄時代(1688~)から三味線や琴、鼓(つづみ)なども習うが、踊を専門とするようになったようです。

そして、舞妓についてはWikipediaにあるように水茶屋が原点のようですが、昭和45年の赤線が廃止されるまでは、舞妓が一人前になる証として「水揚げ」(贔屓の旦那に処女を捧げる)の儀式がありましたので、どちらかと言うと、やや「遊女」に近い部分があったと考えます。

そして、「芸子」(芸妓・げいこ)の見習いを「舞子」と呼ぶようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%B8%E5%A6%93
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1310960148

歴史?については(4)その他でお答えします。



>>(2)1年を通して、もっとも忙しい時期はいつだったのか

やはり、秋でしょうね。
京都は吉野(山)や色々な寺院での紅葉が見ごろになりますから、人出も多くなり、ひいては、舞妓や芸子を呼んでのドンチャン騒ぎも盛んになるでしょう。
また、夏の祇園祭「宵山」(7月14日~16日)、「山鉾巡行」(7月17日)、「神輿渡御」(7月17日)なども観光客で賑わい、多忙な時期ではないでしょうか。


>>(3)舞妓さん、芸子さんの習慣や行事

有名なところでは、
年末の行事:
京都の祇園などでは師走の花街行事として「事始め」が行われました。京都の花街の「事始め」は、正月を迎える準備を始める伝統行事です。毎年12月13日に、舞妓さんや芸妓さんが、日頃お世話になっている芸事の師匠の家を回って一足早く新年の挨拶を交わします。華やかな着物姿の舞妓さんは1年の感謝を述べ、師匠から舞扇を受け取ると、来年の芸事への精進を誓います。

年始の行事:
京都で一番多い舞妓を抱える宮川町では5日から新年の行事が始まる。5日は事始め、贔屓をしてくれるお茶屋、料理屋に、
「おめっとうさんどす、本年もどうぞよろしゅう、お頼のもうします」
と, 挨拶廻りをする。
始業式は7日だが、80名からの芸舞妓が黒紋付に身を固めて宮川筋を行き来する5日の景色は一足早い京都の春。

現代の年間行事:
1月7日・・・・・・・始業式
2月3日・・・・・・・節分奉納舞
3月中旬~下旬・東山花灯路
4月18日・・・・・・平安神宮例大祭奉納舞踊
6月第三土・日・・都の賑い
7月下旬・・・・・・・ゆかた会
7月24日・・・・・・花傘巡行、小町踊
10月22日・・・・・時代祭
11月1~10日・・祇園をどり
12月初旬・・・・・・南座顔見世総見
12月13日・・・・・事納め

古くは、もっと行事が立て込んでいたように思いますが、史料がみつかりませんので、ご勘弁を・・・。



>>(4)その他

歴史:
★舞妓や芸者を辿っていくと、「古事記」や「日本書紀」などに見られる、天岩戸の前で舞を舞った天鈿命(あめのうずめのみこと)にその原型が見られるとも言われています。
★天平時代(1165~)の「万葉集」に「遊行婦女」(うかれめ)が出てきます。「遊行婦女」とは宴席に侍り歌舞、音曲などをしたと言われています。春をひさいだかは定かではありません。
★平安時代になると、神社の巫女(みこ)が布教と勧進のため、諸国を巡り舞を披露したとも言われています。そして、白い直垂(ひたたれ)に水干、立烏帽子、白鞘巻の刀を差していたことから「白拍子」と呼ばれました。

★また、昔は現代のようにディズニーランドなどがありませんでしたので、神社は恰好な「遊覧地」でした。そこで生まれたのが淫売行為でした。つまり、「遊女」の起源も巫女にあったのです。
★諸国勧進に回っていた巫女も公家などの屋敷で歌舞、音曲を披露した後、多額な浄財を得るため春をひさげたりしました。
★では、寺では・・・と言うと、寺でも尼さんが諸国勧進に回ったりしましたが、江戸時代の江戸では堕落した尼が春を売り、
坊主頭で売春と聞くと変な感じもしますが、江戸っ子には変態もいて、結構人気があったようで、
「三が日待たず 比丘尼は 見世を張り」
と言う狂歌にまで詠まれ、正月の三が日さえも休むことができなかったとか。


答えになっているでしょうか・・・・。

こんばんわ。
私は、自称「歴史作家」です。

>>(1)今の舞妓さん、芸子さんと違う点

江戸時代に書かれた「古今役者大全」によると、
「諸方へ召され舞事(しょさ)をして、それを業(なりわい)とするを芸者といひ・・・」
とありますが、やがて、専(もっぱ)ら踊を担当する者を「踊子」と呼ぶようになった。・・・とあります。

大道寺友山の「落穂集」には、
「野も山も踊子、三味線弾きばかりのようになったのは、元禄以来の事であろうか。女の子を踊子などにするには、親達も物入りであるから、五百石や千...続きを読む

Q障害児を理解していただくために。

私は行政で働く者です。先日知的障害児(自閉症)をもつ母親からの要望がありました。
それは、公立保育園での保護者参観時に他の保護者達からの障害児に対する冷ややかな態度やヒソヒソ話による精神的ダメージを受けたというもので、具体的には「あの子障害児なんだって~。かわいそう~」とか「あらら・・先生の言うことも全くわかんないんだねぇ」みたいな感じの態度をとられ理解されず非常にショックを受けたそうです。
行政としてもっと「障害児」というものを他の保護者達や、地域の人たちに理解してもらえるような努力をしてほしいという要望でした。
私としては、ひとまず保育園の「園だより」等に「障害児とはこういう感じで、こういったことをやったり言ったりするけれども・・・・皆様のご理解?をお願いします」的な文面を載せたいのですが、堅苦しくならず、やわらかく、障害児を理解していただくために、何かよい文面がありましたら教えてください。

Aベストアンサー

 過去に自閉症の子どもの保育で健常児の親と自閉症児の親の板挟みになり苦しんだ経験を持って居ます。
 自閉症児は明らかに見れば一目瞭然ですので、集団生活殆ど取れず健常児の遊びを妨害して、健常児からクレームが出る。
 嫌がる反応が面白く又繰り返す日常生活はこれの繰り返しでした。
 ある日、制作をしている中で障害児がちょっかいを掛けて作品をめちゃくちゃにしてしまい、作った子は大泣きで保護者に直訴、その事が園長に入り
制作時は入れるなと指示がでました。
 障害児と健常児の垣根無しの保育を原則にすると言う趣旨から、かけ離れて仕舞い悩んでいましたが、園長、保護者の要求は従う必要からしぶしぶ制作時は別の部屋で保育をしていました。
 
 そしたら、ある日自閉症児の親が園に来て隔離されている状況を見て、役所にこの事を直訴して、我が子が障害児として差別をうけていると言う内容でした。
 確かに、健常児の子と同室で同じ事も出来ない現実を自閉症児のお母さんに話しても、我が子は変わりますと信じている心中を察すると現実話も切り出せずに、私は板挟み状態で1年が暮れました。
 
 障害児のお母さんは、引け目は強く持っていますし、少しの変化は凄い成長に見えるらしく、ハイテンションで些細な事も話て来ます。
 健常児には普通の事が・・・・
 ですから、理解と言う内容で書くことで障害児差別と切り出さないとも限りません、ましてや文章にして出す事で証拠として残りますので極力避けた方が良いのです。
 善意が悪意に変わるのも、こうした保護者の方に多い傾向です。
 ですから、障害児を持つ方の会とかNPOを立ち上げるとかして仲間の絆で結び会い皆さんは集団で行動される事で、お互いを励ましあって見えると思うのです。
 
 やはり、障害の苦しみは当事者で無いと分からないし、それを健常児の親から見ると何を詰まらない事と感じても障害を持つ子の親さんには、凄い悩みとその格差は秤しれません。
 やはり、人と人触れあう関係で無いとこの問題は永遠の課題です。
 それと無く見守りをしてあげる位で無いと、差別問題で訴えられかねませんので、文章は絶対に止めて下さい。
 

 過去に自閉症の子どもの保育で健常児の親と自閉症児の親の板挟みになり苦しんだ経験を持って居ます。
 自閉症児は明らかに見れば一目瞭然ですので、集団生活殆ど取れず健常児の遊びを妨害して、健常児からクレームが出る。
 嫌がる反応が面白く又繰り返す日常生活はこれの繰り返しでした。
 ある日、制作をしている中で障害児がちょっかいを掛けて作品をめちゃくちゃにしてしまい、作った子は大泣きで保護者に直訴、その事が園長に入り
制作時は入れるなと指示がでました。
 障害児と健常児の垣根無し...続きを読む

Q日本の通信技術と計算技術の歴史

海外から入ってきた通信技術と計算技術が、
当時の日本に社会的にどのような影響を及ぼしたのか。

というテーマでレポートを作成中なのですが、
良い資料がなかなか見つかりません。

サイトでは、ペリーが幕府に有線電信機を献上した、
等のものは見つかるのですが、深い情報には行き当たりません。

幕末、明治あたりの電信技術、それ以降においての計算技術(タイガー計算機のようなもの)に関して、面白い詳しい資料がありましたら教えて頂ければと思います。

サイトでも書籍でも、一般的に手に入るものであれば何でも構わないので、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

こんにちは
>海外から入ってきた通信技術と計算技術が、
>当時の日本に社会的にどのような影響を及ぼしたのか。
 伏線として海外から入ってきた計算技術と当時の日本の実力にどの程度の差があったのかという観点で「和算」も把握しておいた方がよいと思います。
 wikiの記述をレポートには使用しないと思いますが、最後に参考文献がISBNコード付きで掲載されているので助けになると思いました。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%AE%97

Q養護学校、障害児学級の先生になる人は、、、

新聞記事を読んでいてふとわいた疑問です。

養護学校、障害児学級の先生は、、、自ら目的意識を持って障害児に関わることを選んでなっている先生と、、、人事異動で命令されて、またはペナルティとして?仕方なく来ている人と、、、どのくらいの割合でしょうか。

ちなみに、、障害児学級、養護学校の教員は一般の教員とは別の資格を持っているのでしょうか。

Aベストアンサー

 地域によって、採用のされ方は全く違います。
 A県では採用試験の発表の際、「障害児学級担任となりました」と言われ、障害児学級採用となるとその後の転勤でも小学校の障害児学級か養護学校へしか異動できませんでした。
 本人の希望は2次試験の願書に「障害児学級にいってもよい」という欄に○をつけるようになっていたような。
 ちなみにA県では地元の教員養成系大学出身者以外は障害児学級採用となるという噂がありました。
 B県では小学校の教師の中から希望で養護学校へ行ったり障害児学級を持ったりしています。B県では特殊免許をもっている人はまれです。ペナルティとして来ている人はB県ではいないと思います。やる気のある人とない人の割合は私の感触では9:1ぐらい。きっかけはどうあれ、結構、情熱をもっている人が多いです。肉体的にきつい仕事なので当然といえば当然ですが、他の先生より少し給料がいいので、ペナルティというより「喜んで」やっている人が案外多いかも。

Q技術が量に勝った例、量が技術に勝った例

技術が量に勝った例、量が技術に勝った例があれば教えて下さい。

戦争・経済・国力・文化などなど、ジャンルは問いません。
また現在進行形のものでも結構です。

Aベストアンサー

技術が量に勝った例:
・桶狭間の戦い
・アテネ軍のサラミスの海戦の勝利
・英国が無敵艦隊を破った例(ただし、これには蒙古来襲と同じように、神風の影響も重要であったと言われています。)
・ダーウインの「種の起原」の中に書いてあることですが、イギリス育ちの雑草がオーストラリアの雑草を駆逐した例
・米国至上主義の政治家や官僚や企業幹部の巧妙な技量や国民教育によって個人主義を喧伝し、量で誇る労働組合を骨抜きにして行った例

その他、幾らでも例があります。

量が技術に勝った例:
・秀吉の小田原攻め
・ギリシャのテルモピライの戦いでレオニダス率いるスパルタ軍の敗北
・急降下爆撃の発明や航空機から水面下ぎりぎりで落とす沈まない魚雷等の発明で圧倒的技術を誇った太平洋戦争時の日本海軍が、米国の物量作戦に破れた例
・北ベトナム軍がアメリカ軍を駆逐した例
・大金融機関や大国がお金の量に物を言わせて、中小企業や発展途上国を次々に餌食にして格差を広げて行く例
・程度の高い内容の本で誇る古本屋が、劣悪なマンガ本の圧倒的な量で次々につぶれて行く例
・街の専門店がスーパーマーケット、コンビ、巨大モール等の出現でつぶれて行く例
・集団行動をすることで一匹々々は大変貧弱なアリが、その反対に一匹で何でもしてしまうという技量で誇るクモよりも、バイオマス(すなわち、その生物の全体重の合計)を圧倒的に増やすことに成功している例(因にアリのバイオマスは全人類のバイオマスより何十倍も大きいです)

その他、幾らでも例があります。

技術が量に勝った例:
・桶狭間の戦い
・アテネ軍のサラミスの海戦の勝利
・英国が無敵艦隊を破った例(ただし、これには蒙古来襲と同じように、神風の影響も重要であったと言われています。)
・ダーウインの「種の起原」の中に書いてあることですが、イギリス育ちの雑草がオーストラリアの雑草を駆逐した例
・米国至上主義の政治家や官僚や企業幹部の巧妙な技量や国民教育によって個人主義を喧伝し、量で誇る労働組合を骨抜きにして行った例

その他、幾らでも例があります。

量が技術に勝った例:
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