太平洋戦争が始まって、
男子は戦場に駆り出されるわけですが、
宣戦布告で開始された戦争で
どうやって日本軍の階級はわけているのですか?

二等兵・一等兵・上等兵・少佐・大佐など
同時に始まった戦争で
戦争未経験者がほとんどの中
どのように階級分けされるのでしょうか

戦争中に成績残すと昇格や降格などもあるのでしょうか?

宜しくお願いします。

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A 回答 (10件)

徴兵制が無い今は別ですが


昔は徴兵制度がありました
階級は元々定まっていました
赤紙が来た人は一平卒として参加します。

上の階級にあがれるのは余程運の良い生き残った人です。

要するに上官が死んだら進級です。

直属の上官が生きていても、戦場が別れれば部隊も別れます。
一平卒が次の戦場では部隊をまかされる事もあります。

それでも軍事系の学校とかがあったので、あの頃も学歴社会だったとも言えます
結局階級があがってもそれだけ上官が死ぬ戦場って事なのであまり意味が無い時代でした。
「お前今から軍曹、で、あの戦場に、10人つれて行って来て、あでもあそこ死ぬほど危険だから」

みたいな感じです。
それで生き残ったらまた上に行くかもしれませんし、変わらないかもしれないしって事です

この回答への補足

一番早くご回答頂けたので
ベストアンサー

補足日時:2011/06/07 20:41
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この回答へのお礼

多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:34

ANo6の方陸軍士官学校と海軍兵学校がごちゃ混ぜになっています。

まず階級からせつめいします。( 昭和17年~20年)

陸軍は下から二等兵、一等兵、上等兵、兵長、でここまでが兵それ以上伍長、軍曹、曹長、ここまでが下士官、それ以上が准士官で、准尉、それ以上が士官(将校)で少尉、中位、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将、大将、元帥(正確には大将の中の特に優秀な人がもらう称号で正式な階級ではない) 海軍も下から、二等水兵、一等水兵、水兵長までが兵それ以上
二等兵長、一等兵長、上等兵長までが下士官でその上の兵曹長が准士官、それ以上は陸軍と同じです。ただ陸軍は大尉( たいい) 、大佐(たいさ)を、海軍では大尉(だいい)、大佐(だいさ)と言っていました。  士官学校は陸軍の士官要請学校で、
幼年学校出身と、旧制中学校出身の2組がありました。 兵学校は海軍の士官要学校です。  どちらも士官要請という目的はおなじですが、その待遇は天と地といわれるくらいの差があります。 まず陸軍の士官はまず予科士官学校に入校
しその間は星なしの二等以下階級称は赤い布で、予科を卒業後各部隊に上等兵の士官候補生として配属され、次第に進級して軍曹になった時に本科の士官学校に入校しそこを卒業すると、見習い士官として曹長の階級称と軍服を付けて、かって上等兵として配属された部隊に戻り、そこでしばらく勤務の少尉に任官します。  海軍は兵学校卒業まで途中短期実習のみで、卒業まで海軍生徒として学校教育をうけます。しかし生徒の身分は、入校と同時に下士官の上准士官たる兵曹長のしたの階級になります。兵学校の下士官教師にたいしても、構内では先に敬礼をしますが、郊外では、下士官教師が先に敬礼をしました。服装も士官そっくりで、短剣まて゛下げていました。夏季、正月休暇の時、新入生は上級生から上官には、丁寧に敬礼をし、下士官以下の敬礼違反はびしびし取り締まれと注意をうけ、それを怠ると上級生からしかられたそうです。食事も給仕が着き、「おい茶、お代わ」等とよびすてでよんでいいたそうです。 寝るときも士官並みにベットを使用していました。
卒業後は少尉候補生となり部隊に配属後少尉に任官しました。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2011/06/07 20:40

ANo6の方陸軍士官学校と海軍兵学校がごちゃ混ぜになっています。

まず階級からせつめいします。( 昭和17年~20年)

陸軍は下から二等兵、一等兵、上等兵、兵長、でここまでが兵それ以上伍長、軍曹、曹長、ここまでが下士官、それ以上が准士官で、准尉、それ以上が士官(将校)で少尉、中位、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将、大将、元帥(正確には大将の中の特に優秀な人がもらう称号で正式な階級ではない) 海軍も下から、二等水兵、一等水兵、水兵長までが兵それ以上
二等兵長、一等兵長、上等兵長までが下士官でその上の兵曹長が准士官、それ以上は陸軍と同じです。ただ陸軍は大尉( たいい) 、大佐(たいさ)を、海軍では大尉(だいい)、大佐(だいさ)と言っていました。  士官学校は陸軍の士官要請学校で、
幼年学校出身と、旧制中学校出身の2組がありました。 兵学校は海軍の士官要学校です。  どちらも士官要請という目的はおなじですが、その待遇は天と地といわれるくらいの差があります。 まず陸軍の士官はまず予科士官学校に入校
しその間は星なしの二等以下階級称は赤い布で、予科を卒業後各部隊に上等兵の士官候補生として配属され、次第に進級して軍曹になった時に本科の士官学校に入校しそこを卒業すると、見習い士官として曹長の階級称と軍服を付けて、かって上等兵として配属された部隊に戻り、そこでしばらく勤務の少尉に任官します。  海軍は兵学校卒業まで途中短期実習のみで、卒業まで海軍生徒として学校教育をうけます。しかし生徒の身分は、入校と同時に下士官の上准士官たる兵曹長のしたの階級になります。兵学校の下士官教師にたいしても、構内では先に敬礼をしますが、郊外では、下士官教師が先に敬礼をしました。服装も士官そっくりで、短剣まて゛下げていました。夏季、正月休暇の時、新入生は上級生から上官には、丁寧に敬礼をし、下士官以下の敬礼違反はびしびし取り締まれと注意をうけ、それを怠ると上級生からしかられたそうです。食事も給仕が着き、「おい茶、お代わ」等とよびすてでよんでいいたそうです。 寝るときも士官並みにベットを使用していました。
卒業後は少尉候補生となり部隊に配属後少尉に任官しました。
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ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:40

 昇進に成績は関係がありますが、一定期間は経過しませんと階級は進みません。



 戦死すると必ず二階級特進するというものではありません。
 特攻の場合はよく知られていますが、特攻でなくても功績があった場合は申請して認められれば二階級特進しました。
 多くは昇進しても一階級です。
 ミッドウェー海戦で戦死した第二航空戦隊の司令官だった山口少将は中将に昇進しました。
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この回答へのお礼

多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
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ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:39

No.4です。


No.6の方の回答もいささか気になるところがあります。少し詳しく説明します。

>駆り出されたのは国家総動員法が適用された昭和19年からです。それまでは志願扱いです。

多分、1943年の旧制高校・大学在学生に対する徴兵延期措置の廃止(この結果、10月21日の出陣学徒壮行式となる)と混同されているのではないでしょうか。国家総動員法は徴兵とは関係はありません。また、総動員法の公布は38年のことです。

>兵隊になるには大きく別けて2つの方法があります 士官学校を卒業する 兵学校を卒業する です、兵学校へ進んだ場合、まず初年兵(二等兵)となります。教習課程を終え2年兵へ進級した者を一等兵と呼びます。

兵隊になるのに「学校を卒業する」必要は全くありません。戦前の日本では1873年の徴兵令、1927年公布の兵役法によって、満20歳(43年からは満19歳)に達した男子は、全員徴兵検査を受けなければならず、合格者は翌年1月に入営して2年間の兵役に服することが義務づけられていました。最初は二等兵です。半年から1年で一等兵に進級し、2年後、除隊、予備役となります。上等兵に進級した成績優秀者にはそのまま勤務を続けることができました。中等学校、高校、大学卒業者に幹部候補生の道が開かれていたことはNo.4の回答に書きました。
また、陸軍に「兵学校」という学校はありません。なお、海軍兵学校は兵卒を養成する学校ではなく、海軍士官を養成する学校で、陸軍の場合の士官学校に相当します。(回答5の方の軍隊を学校に例えた説明は、まことに分かりやすく面白く読ませていただきましたが、「海軍士官学校」と書かれていることだけは気になりました。正しくは「海軍兵学校」です)

>士官学校へ進む場合は、士官学校の入試試験に合格しそこを卒業しなければいけません。

陸軍幼年学校卒業生はそのまま士官学校に進めます。それ以外の人の受験資格は、中等学校の4年生と5年生(現在の高一、高二に当たる)に限られていました。
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この回答へのお礼

多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:38

帝國陸海軍の人事制度についてのご質問と思います。



まず、駆り出されたのは国家総動員法が適用された昭和19年からです。
それまでは志願扱いですよ。兵隊になりたいです!と志願したのです。仕事がないから。
いきなり始まった戦争というのは日本は経験していません。
大東亜戦争の勅がでるまでに、台湾・朝鮮・中国・シベリアでの実践経験を積んでいます。
それに、鎮台兵が組織されて以来、明治・大正・昭和を経ている軍隊組織があるのに
戦争が始まるからと階級を割り振るというのはおかしいですし、そのような事例もみあたりません。

いろいろ矛盾点があるので少し指摘いたしました。

さて、ご質問についての解答ですが
兵隊になるには大きく別けて2つの方法があります
士官学校を卒業する
兵学校を卒業する
です、兵学校へ進んだ場合、まず初年兵(二等兵)となります。教習課程を終え2年兵へ進級した者を一等兵と呼びます。兵役は2年間です。兵役とは現役の兵隊として勤務できる年数の事です。
初年兵の際に上等兵修業者に選抜された者は上等兵になりました。さらに下士官勤務適任証書を貰った際優秀な者は兵長となり下士官扱いで勤務できました。
その後部隊へ配属され兵科ごとの教習に入ります。歩兵科や砲兵科などの兵科です。
兵科を修得し、配属された部隊からの推薦を受ければ昇進できます。推薦がなくても進級停年がくると自動的に昇進できました。
士官学校へ進む場合は、士官学校の入試試験に合格しそこを卒業しなければいけません。
兵科毎の勉強を行って、卒業した頃には少尉か中尉として任官されます。
卒業後、部隊勤務を行い士官候補生として半年間の実務経験を積みます。この際専任下士官とペアを組み実際の指揮はこの専任下士官が執ります。士官候補生教程が終了次第、少尉か中尉として部隊へ配属され実務となります。 以後の昇進は"抜擢"が基本です。
部隊指揮官としてどのくらいの規模を指揮できるのか現場の判断で評価され、抜擢されていきます。
現在と同じですね。
また、将校にも進級停年はありましたが、基本が抜擢によるのでなかなか昇進できませんでした。
欠員がでなければ佐官・将官への昇進は、勢いのある派閥にでも属さない限り不可能でもありました。

まだまだ予科練制度や特幹制度などいろいろありますが、長くなるのでここまでとします。
また、この内容は概略でありますので詳細は自衛隊に問合せてください。

さて、戦争中に成績残すと昇格や降格などもあるのでしょうか?についてですが
成績を残したのに降格された人はいません。普通ないです。あったら軍隊組織の崩壊です。
昇格したのに左遷された例ならば沢山あります。
軍隊内で犯罪を犯した場合、大きく別けて営倉、重営倉、銃殺、教化隊へ転属等の処置がとられます
戦功に応じての昇進は、下士卒ならば宣撫の為に広く行われていました。

長くなるのでここまでとします。
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この回答へのお礼

多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:38

・・・なんだか不親切な説明ばかりですね。

なんて、他人の回答にけちをつけたらまた削除の対象になってしまいます。

現代の学校や会社のような組織は多かれ少なかれ近代軍隊の影響を受けています。
陸軍を例に学校で例えてみます。まず小隊というのがあります。30人から50人程度が多いのでちょうど1クラスくらいですね。その小隊がいくつか集まって中隊が作られます。だいたい200人くらいなので1学年くらいでしょうか。その中隊がいくつか集まって大隊、大隊がおおよそ2から4つ集まって連隊(あるいは旅団)となります。この連隊がひとつの学校という感じですね。
なぜ大隊をすっ飛ばして連隊が学校になるかというと、学校は単なるクラスや学年の集まりじゃなく、給食室やら保健室やらを備えてあるひとつの完成された組織となっていますよね。連隊となると比較的独立して行動できる能力を持っているのです。
そして陸軍の場合、多くは連隊が複数集まって師団としているケースが多いです。1個師団でだいたい1万人から大きい軍隊で2万人くらいです。師団は完全に独立して行動できる組織です。お給料の支払いから何から何までが自立して行えるのが師団と思えばいいです。

さて、そうなると軍隊にはまず学校の生徒ともいうべき兵士がいます。これが二等兵とか一等兵とか。その上に小隊長がいますが、小隊長は担任の先生ですね。そして多くのクラスは班で分けられて生徒の中から班長が選ばれます。軍隊も同じで(というか学校が軍隊の組織を真似している)兵長や伍長がこの班長になるわけです。
そして中隊長、大隊長。連隊長は校長先生です。連隊長となるとやはり補佐が必要なので教頭先生みたいな存在もいます。師団長ともなると、万単位の人間が動くことを指揮するのですから、その補佐も何人もいなければなりません。補給とか連絡とかそれぞれ役割を与えられた参謀というのが連隊長を補佐します。師団より上級の組織もあります。将軍や元帥なんてなるわけです。

さて、そうなると兵士(生徒)と指揮官(教師)では明確に「使う・使われる」と役割が違いますね。使われる側はなんでもいいけど、使う側にはそれなりの訓練と教育が必要です。
軍隊ではそれぞれの立場を、兵士、下士官、士官に大別できます。兵士は説明不要でしょう。連隊長やらなにやらは士官、その兵士と士官の間の中間管理職が下士官です。
士官はそれを育てる学校、士官学校を卒業してなります。「陸軍士官学校」「海軍士官学校」なんてのがあります。自衛隊の場合は防衛大学です。しかし普通の大学を出て士官になる道もあります。自衛隊にもそういう制度があります。
しかし士官学校を卒業したての若造はまだ経験も浅いので小隊長などを命じて経験を積ませます。それが下士官です。
また一方、兵士の中にも経験を積んでリーダーにふさわしい人物がいたりします。そういう「現場のたたき上げ」も引っ張り上げることがあります。それも下士官です。
つまり、下士官は一般兵士の上限に近いところと、士官のスタート地点に近いところが下士官のゾーンです。官僚がそうですね。課長あたりがノンキャリアのたたき上げ官僚の出世の限界でしょうか。そして、キャリア官僚がいきなりそのくらいのポジションでスタートしたりします。というか、これも軍隊の組織の真似です。

これを見てわかるように、軍隊というのもひとつの巨大な「お役所」なのです。ゆえに、お役所ならではの非効率やら融通のなさがあります。これは程度の差はあれどこの軍隊でも同じ。犯人逮捕をバンバンすれば警察官が出世できるわけではないのと同じで、いっぱい敵をやっつければ元帥になれるわけでもありません。その代り、特別に活躍すると勲章などが与えられて表彰されます。これも学校や警察、消防なんかでよくありますね。国によっては、その勲章を与えられると年金が余計にもらえたりします。
どういうことかというと、戦争に参加して負傷し、二度と働けない体になってしまった場合は国から年金が出るのですが、そのとき余計にボーナスをつけてあげようということです。
他の方もちょっと触れている「戦死して二階級特進」は遺族に与えられる年金がその出世した階級に基づいた年金が与えられる(つまり受給額が増える)からです。これは現代日本の警察や消防も同じで、警察官や消防官が公務に伴う事故死をした場合二階級特進することがあり、その階級に基づいた遺族年金が遺族に支払われます。
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多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:37

No3の方の回答はいささか誤解があるので、その点だけ補足したいと思います。



>当時は高等学校(現在の大学)卒であるかどうかで階級に天と地の差がありました。高卒なら少尉から始まり、そうでない場合は二等兵からのスタートとなりました。

軍の学校である士官学校を卒業すれば、見習士官を経て少尉に任官できますが、軍とは関係のない国公私立の旧制高等学校を出ただけでは少尉になることはできません。敗戦の何年か前までは、高等学校、大学に進学していると徴兵が延期されたので、卒業後入営することになっていましたが、最初の階級は当然のことながら二等兵です。古参兵にいじめを受けたという証言が沢山あります。
ただし、当時は旧制高校、大学の卒業生については「甲種幹部候補生」という制度があり、その試験に合格すると(学校での教練の成績が極端に悪い人は合格は無理ですが、ほとんどの人は合格したようです)予備士官学校で教育を受け、一定期間見習士官として勤務後、少尉に任官できました。
また、旧制中学校の卒業者には、「乙種幹部候補生」という制度があって、試験に合格すると、軍曹または伍長になることができました。ただし、高学歴でも軍隊嫌いの人は、幹部候補生になれと勧められても断わって、二等兵のままでいたというケースもあったようです。

>戦死するとたいてい二階級特進がありました。

通常の戦死では、せいぜい一階級です。二階級特進は、上海事変の爆弾三勇士やハワイを攻撃した特殊潜航艇の九軍神など、極めて功績が顕著だったケースに限られます。もっとも、敗戦直前になると、功績顕著の評価はかなり甘くなったかもしれません。

なお質問者が使っている「昇格」「降格」は、旧陸軍では「進級」「降等」と表現されていました。
戦前、戦時中のことを知る人は年々少なくなっていきます。できるだけ、図書館などを利用して、正確な知識を得ていただきたいと思います。
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多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
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ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:37

>どうやって日本軍の階級はわけているのですか?



当時は高等学校(現在の大学)卒であるかどうかで階級に天と地の差がありました。
高卒なら少尉から始まり、そうでない場合は二等兵からのスタートとなりました。ただし例外もありました。うちの親は陸軍教導学校を出ましたので伍長からスタートしました。そのような下士官養成学校もあったのです。

>戦争中に成績残すと昇格や降格などもあるのでしょうか?

普通は年功序列ですが、目覚ましい働きをすれば昇格はありました。その反対もありました。また戦死するとたいてい二階級特進がありました。またポツダム宣言受け入れ後も昇進がありました。これはまあ、軍人の恩給をより多くもらえるよう配慮してくれたのです。
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ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:36

>どのように階級分けされるのでしょうか



当時の日本の健常な成人男子は皆、軍人の階級を持っていたのですよ。

当時は徴兵制が施行されていましたから、健常な成人男子は何年間かの一定期間、軍隊に入隊して軍人にならなければならなかったのです。
でっ、軍人ですからその時に階級が与えられます。
そして、その一定期間が過ぎると、その時の階級を持ったまま軍隊を辞めて民間人に戻りました。
この場合、ただの民間人ではなく「予備役軍人」として民間人に戻るのです。

例えば、少尉の階級で軍隊を除隊すると「予備役少尉」として民間人に戻るのです。
召集されると「予備役」が取れて、少尉として軍人に復帰します。

ですから、その時代、その辺の町を歩いているおっちゃんや兄ちゃん達は、皆、軍人の階級を持っていたのです。
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多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:35

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私も詳しいことはわからないので、ご参考までに。

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『軍事板常見問題』のキャッシュより
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http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k03.html#draft

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【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年度に作成し、予め警察署に保管、動員令が下令されると発行するものです。
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 これを、臨時召集令状と言い、師団毎に随時作成されています。
 比率から言えば、日中戦争勃発後、後者の令状が多く発行されています。

 この発行の基礎資料になったのが、各市町村役場の兵事課から提出された在郷軍人名簿です。
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 さて、召集記録の欄の末尾に「召集延期者」略して「召延」という朱印が押されると、召集対象外となり、召集令状は来ることがありませんでした。
 これには甲、乙と二つの区分があり、甲は絶対召集しない人、乙は人がいない時に初めて召集対象となる人です。
 この召集延期の制度は昭和2年から開始され、制度が年ごとに拡大していっています。
 ちなみに、この規定は、陸軍動員計画令(永年動員計画令)に記載されたものです。

 例えば、1943年当時の戦時召集延期者は以下の通りです。

1.侍従、侍医、東宮傅育官、皇宮警察官吏、皇宮警察部消防夫
2.陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者、及び特種の雇用人、工員にして必要欠くべからざる者
3.鉄道又は通信業務に従事し、必要欠くべからざる者(一般国民対象)
4.船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
5.民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
6.国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
7.陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
8.都道府県、地方事務所、警察署、市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
9.帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中、必要なる者、並びに外地最高司令官、朝鮮台湾軍管区司令官
10.帝国議会の議員
11.国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
12.上記の外、国歌総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして、必要欠くべからざる者

 つまり、一般人は輸送、通信関係の職員、陸軍大臣指定工場技術者、兵事係などの召集業務担当者が全面的に免れ、教師も一部が召集対象から外れています。
 また工場の熟練労働者も対象となっています。
 但し、工場などに於いてその選出は各工場に任されていた為、工場幹部の親戚が事務屋として入っていて、召集延期者として選出させた事例もあります。
 この場合は、発覚すると即座に召集されるようになっていました。

 1944年からは、臨時召集延期制度が始まります。
これは、航空機工場、特に重点機種(疾風とか飛燕とか言った戦闘機、飛龍などの爆撃機)の生産従事者は全員この対象となって、召集を延期されています。
 また、これ以外の航空機生産従事者、交通関係従事者、鉱山技師、炭坑夫、造船関係従事者、特攻兵器製造従事者は、例え徴兵検査で入営することが決まっていても、一定期間その入営を延期する「入営延期制度」対象者となっています。
 この制度も1944年から開始されています。

 これより先、1943年3月からは、既に入営した人で、軍需生産に必要な人でなおかつ、「軍の統率、団結、軍の士気上差支えなき範囲内に於いて」召集解除し、職場に復帰させると言う「特別召集解除制度」がありました。

 また、本土の食糧不足が深刻化していた1945年には、根刮ぎ動員があった反面、「召集要考慮制度」というもので、軍需生産だけでなく、農林水産業従事者も対象にしています。

 これらの総数がどれくらいあったかと言うと、召集延期制度が、1941年には10万人程度だったのが、1945年には85万人、臨時召集延期制度は不明、入営延期制度は、1944年で20万人、1945年で6万人、特別召集解除制度は1943~45年で4。3万人、召集要考慮制度は160万人が対象となっています。
 戦時中の在郷軍人数は約500万人、召集要考慮制度を除くと、総数で115万人以上に上っています。
 また、充員召集計画で召集令状を発行されていたのに、その充員召集計画自体が取りやめとなった為、結果的に召集されなかった人も多かったようです。(眠い人 ◆gQikaJHtf2)

うちの母方の祖父。福井出身で戦争当時大阪にいた。
薬剤師だったので徴兵されずに済んでいた。(戦局が悪くなっても製薬する人が内地に必要だったので)

 休みの度に薬をたくさん持って福井に帰り、薬を配って換わりに越前米をもらう。
 ↓
 福井から船でまだ稲作技術が発達していない北海道へ渡る。
 ↓
 米を売ってお金に換えて大阪に戻る。

と、いうのを延々とやっていたそうです。(生活板)

『軍事板常見問題』のキャッシュより
http://mltr.free100.tv/index02.html
(現在、上記サイトの項目が閲覧できないので…)
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq08k03.html#draft

【質問】軍に召集されなかった人には、どんな人がいますか?

【回答】旧日本陸軍に於いて、召集を担当するのは、各県にほぼ一つ配置された連隊区司令部です。この連隊区司令部で、参謀本部、陸軍省と言った中央が決定した動員計画に基づき、該当者を召集令状を作成します。
 これは、充員召集令状と言い、前年...続きを読む

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q終戦後の、旧日本軍の軍人

旧日本軍の軍人

志願して採用され、職業軍人となった人
令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人

大きく分けて、この二種類でOKですか?

また、太平洋戦争以前からの職業軍人の人達は、ずっと軍からの給料で生計を立てていたと思いますが、終戦後の処遇はどうなったのでしょうか?

Aベストアンサー

ズサンすぎると思います。質問者ならびに他の回答者の認識が。

まず質問者が、軍人とは「志願して採用され、職業軍人となった人」「令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人」に二分してOKかとの問いに、誰も訂正をしていない。ひどいもんです。旧日本軍の場合、一般社会から軍人になるのは「志願・徴集・召集」です。多くの人が漠然と考えている徴兵制とは「生まれてからずっと軍隊とはまったく無縁に暮らしていたら、ある日突然“アカガミ”によって“召集”されて兵隊になって戦地まで行ってしまう」とでもいうものでしょうかね。それって、ちょっと問題があります。

軍隊のことをウンヌンする場合には、たとえ戦争中の話題であっても、まず戦争のない平時の仕組みから知っておかないと大抵は結果として大きな間違いになる、と私は断言します。古今東西、どこの軍隊も基本は平時です。その基本のうえに戦時・有事という応用が問われるのです。これから長々と書いていきます。

“徴兵検査”ぐらいは聞いたことがあるでしょう。原則として前年12月1日から当年11月30日までに満20歳になる男子が、春から夏にかけての時期に身体検査(簡単な知能の検査もあるらしいが、この点は私もまだ不勉強)により甲乙丙などと判定されるわけです。その判定とさらにクジで順番が決められて、それによって“現役”、“補充兵役”などに分けられ、“現役”の者が数ヶ月後に予定どおり(強制的といえるでしょう)軍隊に入ります。これを“徴集”といいます。これが兵隊の基本中の基本なんです。“召集”じゃありません。この“徴集”はアカガミなんか一切関係ありません。明治時代に徴兵制が始まってから昭和20(1945)年に軍隊が無くなるまで、平時も戦時もこの“徴集”はありました(末期には年齢が19歳に下がり、身体検査の時期も変わることがありました)。

少し前の文で“現役”と書きました。この“現役”というのは非常に重要なキーワードです。軍隊について無知な人(つまり現代日本人の大多数、あなたも私も)が漠然とイメージする「軍人」とはこの“現役”の軍人だろうと思います。ところが“現役”でない者も結構いるんです。まず軍隊の下っ端である兵隊は何年も“現役”をやっていられません。上で書いた“徴集”で入った兵隊は何年かすれば除隊といって軍隊からシャバに出られます。そうして“予備役”になります。乱暴に今流の表現をすると「軍人OB」とでもいうようなもの。

志願で入った兵隊はふつう“現役”ですが、たとえ軍隊が好きで志願したとしても数年しか兵隊はできません。どうしても軍隊にいたいなら、“現役”下士官を志願して教育を受け採用されれば下士官になります。下士官からは「武官」で、本物の軍人はここからといって良いでしょう。

ところが日本軍の場合、下士官もいつまでも無条件で“現役”でいられるわけでもないのです。数年ごとに再志願というのをして、軍隊の予算とか本人の勤務評定などをクリアして受け入れられれば“現役”の下士官を続けていられます。下手すれば再志願が通らず「お疲れさん」で軍隊を出てシャバで仕事を探すことになります。“予備役”です。ですから「職業軍人」を考える場合に、日本軍の場合はやや不安定な立場の下士官を含めるかどうか議論の余地のあるところです。

将校の場合(軍医なども含めます)、陸軍士官学校などで学んだ“現役”将校なら、まさに
「職業軍人」です。ですが、将校においてさえ“現役”(すなわち「職業軍人」)であり続けることは今の我々が考えるほど容易ではなかっただろう、というのが私の見解です。昔の栄養・衛生事情は悪く、結核をはじめ身体を壊したりするリスクは現代よりはるかに高い、なのに軍隊が求める健康な身体は一般社会よりもレベルが上でしょう。それに将校だって勤務評定を受けます。エライ人に昇進する枠は少ないのです、のんべんだらりと低い階級のまま軍隊にいてもらっては困るのです。将校だっていつ「お疲れさん」と軍隊を出され“予備役”になるかわからない、ということです。“予備役”将校はもう「職業軍人」ではありません。

話は変わりますが“召集”というのは、有事に軍人の数を増やしたい場合やその他(教育のため等々)により“予備役”や、ときとして“補充兵役”の者を軍隊に入れる事です。本当は“現役”のほうが質が高いのだけれど、戦争などでは贅沢を言ってられませんから「臨時」に“予備役”などの人を使うのが“召集”です(あまりにも多くの人が“召集”をすでに述べた“徴集”と混同しています。それが腹立たしいので私はわざわざこんな長文を書いています)。それから既回答の中に「幹部候補生志願して、職業軍人となり・・」というのは、普通ありません。幹部候補生は”予備役”の将校・下士官コースですから「職業軍人」にはなりません(さらに教育を受け転役すれば“現役”ですが、極めて稀な事)。太平洋戦争のような大きな戦争では兵隊も多いし、下士官も増え、将校だって何千人にもなったでしょうが、実は「職業軍人」というのは思ったほど多くはないのです。このへんの事は私が執筆したWikipediaの『幹部候補生 (日本軍)』というのを読んでみてください。

ところで、軍人の定年というのは一般社会より早いものです。運良く健康でクビにならずにいても、エラい階級にならないかぎり早ければ40代から定年がやって来ます。

以上の事を総合すると、たとえ「職業軍人」といっても人生の中で第二、第三の商売をする覚悟を持っているのが普通であったでしょう。これが平時の基本の話です。それを十分に理解してから、初めて「戦争でどうだった」「終戦になってどうした」ということをウンヌンしなければおかしいということです。

最後の最後に質問に対する私の答えとして、「職業軍人」の終戦後の処遇は一般的にいって決して優遇はされなかっただろうと思います。「公職追放」というものもありました。ただ、戦争犯罪人でもなければ、投獄されたりするようなことはないので「職業軍人」ではなかった圧倒的多数の元兵隊や、予備役からの人と同じような普通の厳しい人生だったのではないでしょうか。

終戦からいくらか経ちますが自衛隊(最初は警察予備隊)ができてからは、「公職追放」が解除された元「職業軍人」の中には、適正もあったし、もともと嫌いな道ではなかったでしょうから自衛隊に入隊した人もかなりいます。初期の自衛隊のエライ人は大部分が陸軍士官学校、海軍兵学校など出身の元「職業軍人」といえます。もし本当に興味があったら、比留間弘さんという方の著作を探して読んでみると面白いですよ。もうお亡くなりになっているようですが、陸軍士官学校を出た現役将校でビルマ戦線で苦労したあと終戦になり、戦後はヤミ同然の商売から雑貨屋を始め、公職追放解除後に陸上自衛隊に入った人生を非常に楽しい文章で何冊かの著作にされています。検索すればamazonなどでもザクザク出てきますし、運が良ければ図書館にあります。

参考URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/幹部候補生_(日本軍)

ズサンすぎると思います。質問者ならびに他の回答者の認識が。

まず質問者が、軍人とは「志願して採用され、職業軍人となった人」「令状で召集され、(強制的に)軍人にされた人」に二分してOKかとの問いに、誰も訂正をしていない。ひどいもんです。旧日本軍の場合、一般社会から軍人になるのは「志願・徴集・召集」です。多くの人が漠然と考えている徴兵制とは「生まれてからずっと軍隊とはまったく無縁に暮らしていたら、ある日突然“アカガミ”によって“召集”されて兵隊になって戦地まで行ってしまう」とでも...続きを読む

Q旧日本海軍の階級昇進について

旧日本海軍はハンモックナンバー主義だったといわれてますね?
そこで質問なんですが、海兵のみ海大未の場合、
1.どこまで出世できたのでしょうか?(餞別昇進含む、殉職昇進含まず)
2.また旧陸軍では陸士を出てない叩き上げでも士官になった者も
多数だったらしいですが、本当ですか?
3.陸軍と海軍のこの昇進の違いはなぜなんでしょうか?
 入った瞬間に先が見えている海軍よりも一発当ててやろうと
 陸軍を志望するものが多くいたというのも本当ですか?

Aベストアンサー

1) 大将や中将に昇進する士官が海大甲種学生を経ているケースが多かったのは事実です。しかし、海大甲種学生を経ていなくても、中将に昇進した例は珍しくありません。

有名な例は、

大西 瀧治郎 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px40.htm#v007
栗田健男 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px38.htm#v009

他にも探せば数十人はいるのではないでしょうか。
将官に昇進した海軍士官については、下記のサイトにほぼ全員の履歴が載っていますのでざっと眺めてください。「海大甲種学生を経ずに出世コースを歩んでいる」例を少なからず見つけられるでしょう。
なお、大西中将も栗田中将も海兵の席次が比較的上(上位20%程度)であることに注意して下さい。
http://homepage2.nifty.com/nishidah/p_index.htm#aiu

2) 質問の趣旨が良く分からないのですが、陸軍でも海軍でも、士官学校や兵学校を出た正規の士官(将校)と、兵卒から叩き上げた士官が並存していました。陸軍でも海軍でも「兵卒から昇進した士官の最高位は通常は大尉、稀に少佐昇進と同時に予備役編入」であったのも同じです。
海軍の叩き上げ士官(特務士官)は「軍鑑で高度の熟練を要する仕事のプロフェッショナル」、陸軍の叩き上げ将校は「陸士出身正規将校だけでは小隊長や中隊長を充足できないので人数を補う」と言う点で違いがあったようですが。
なお、陸軍でも海軍でも「兵卒から叩き上げて将官に昇った人」は存在しないと思います。
※ 明治時代の陸軍に存在した下士官養成機関「教導団」に入り、そこで実力を評価されて、「改めて士官学校に入学して正規の士官となり」、最終的に大将や中将まで昇った人は何人もいますが、これは「兵卒からの叩き上げ」には当たりませんよね。
陸軍教導団
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E6%95%99%E5%B0%8E%E5%9B%A3
3) 質問の趣旨が良く分かりませんが、陸海軍の昇進の基準は大雑把に言うと

海軍:海兵の卒業時の席次が最重要。海軍では、全ての士官が海兵の卒業期と席次をリンクさせた「先任順」が明確にあり、定期的に先任順の名簿が更新されていました。なお、先任順は海兵を卒業した後も事情により動くことがあり、海兵卒業時は下だった人が、大佐になる頃には上になっていた例も珍しくはなかったようです。

陸軍:陸士の卒業成績はそれほど重要ではなく「陸大を卒業したか否か」が最重要。陸大卒業者は「天保銭組」と呼ばれ、人事権が陸軍省から参謀本部に移り、特段の事情がなければ必ず将官に昇進したようです。
一方、陸士を出た正規の将校であっても、陸大に行けなかった「無天組」は軍人生活のほとんどを「隊付将校」として送り、最高位は「連隊付中佐」、大佐昇進と同時に予備役編入、が平時は普通だったようです。無天で中将・第一師団長に就任した堀丈夫中将のような稀な例もありますが、海軍とは違い「大学校を経ずに将官に昇るのは奇跡」でした。
堀丈夫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E4%B8%88%E5%A4%AB
※ 支那事変、大東亜戦争と戦争が長く続きますと、無天組でも将官になる人、中将に昇進して師団長になる人が多く出ました。
ただし、無天の場合は特設師団の師団長どまりで、軍司令官や方面軍司令官には就任できなかったようです。
私自身がした質問ですが、下記の質問も参考にしてください。
「無天で将官に昇った堀井富太郎中将(南海支隊長)」
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3754309.html

また、陸軍でも海軍でも、華族で爵位を持っているから優遇される、と言うことはありませんでした。例えば、ロサンゼルス五輪で馬術で金メダルを取ったことで有名な西竹一陸軍大佐(通称 バロン西)は、男爵位を有し、戦前の「国民的英雄」でしたが、陸軍の内部では「単なる無天組将校」であり、全く優遇は受けていません。

「入った瞬間に先が見えている海軍よりも一発当ててやろうと陸軍を志望するものが多くいたというのも本当ですか?」
そういう話は聞いたことがありません。
反対に
「陸軍では、幼年学校出身者が出世しやすい。中学校を出て軍人になるなら、陸軍士官学校より海軍兵学校に行く方が良い」
と身内に言った陸軍軍人の話は知っていますし、陸軍で幼年学校出身者が出世した例が多いのは事実です。

1) 大将や中将に昇進する士官が海大甲種学生を経ているケースが多かったのは事実です。しかし、海大甲種学生を経ていなくても、中将に昇進した例は珍しくありません。

有名な例は、

大西 瀧治郎 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px40.htm#v007
栗田健男 中将
http://homepage2.nifty.com/nishidah/px38.htm#v009

他にも探せば数十人はいるのではないでしょうか。
将官に昇進した海軍士官については、下記のサイトにほぼ全員の履歴が載っていますのでざっと眺めてください。「海大甲種学生...続きを読む

Q背広組と制服組

基本的なことだと思いますが、イマイチ分からないので教えてください
1)制服組とは幕僚長以下の自衛隊仕官のことをいうのでしょうか?
(下士官も制服組でしょうか)
2)背広組とは防衛庁の職員のことをいうのでしょうか?
3)文民統制の文民とは背広組の人たちをさすのでしょうか?
4)防衛大学出身者は背広組ですか制服組ですか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

1)制服組とは自衛官のことを指します。幕僚長以下3士までの隊員です。自衛官は特別国家公務員です。医師や看護士もいます。もちろん普段の勤務は白衣ですが、制服を切ることもあります。
2)そうです。防衛庁職員は国家公務員です。広い意味では総理大臣や防衛庁長官も防衛庁職員ではないが背広組です。
3)そうです。
4)制服組です。現防衛庁長官は防衛大出身ですが、自衛官を退官(退職)して国会議員となっているので、背広組になります。

Q左側の肩・首周辺が痛くて困っています。

初めての投稿です。どうぞよろしくお願いします。
30才台の男です

2.3週間前から左側の肩周辺(首に近い部分、首の左下も)が痛みます。最初はなんとなく痛いかな?くらいでした。筋を違えただけだと思い、安静にしておけば直ると思っていましたが鈍痛がほぼ一日中続いています。

昨日カイロプラクティックの治療院に行き脊柱(首のあたりだけ)の治療を受けましたが全く痛みが引きません。

仕事はパソコンを使う仕事で一日中椅子に座っています。
また職場は暑い時期ですのでエアコンを使うのですが
暑がりな人がいるので設定温度が低く非常に寒いです。
そして私の左側に設置されているので一日中左半身を冷やされています。(寒いのでいつも上着を着てます)

先程思い出したのですが
2年前の夏に後頭部の少し下あたりがズキズキ痛み、すぐ
脳神経外科を受診したのですが検査の後エアコンの
当たりすぎで血行不良による神経痛と診断され「肩こり解消の体操方法」というプリントを手渡され、その後体操の効果かすぐにその痛みは収まり、再発していません。(その時と今も同じ職場です)

今回の痛みもその時と時期も同じですし神経痛なのかな?
とも思い始めました。

私の場合どんな病院等に行けばいいのか、動かした方がいいのか、安静にしていた方がいいのか わかりません。

どなたかご教授いただけないでしょうか?
よろしくお願いいたします。
本文が長くなり申し訳ありません <(_ _)>

初めての投稿です。どうぞよろしくお願いします。
30才台の男です

2.3週間前から左側の肩周辺(首に近い部分、首の左下も)が痛みます。最初はなんとなく痛いかな?くらいでした。筋を違えただけだと思い、安静にしておけば直ると思っていましたが鈍痛がほぼ一日中続いています。

昨日カイロプラクティックの治療院に行き脊柱(首のあたりだけ)の治療を受けましたが全く痛みが引きません。

仕事はパソコンを使う仕事で一日中椅子に座っています。
また職場は暑い時期ですのでエアコンを使うので...続きを読む

Aベストアンサー

腕、肩、首等の筋肉障害だと思います。パソコン等事務系の方には、多い症状です。
 簡単に言えば、肩こりの酷い症状と考えてください。酷くなると、鈍痛や痺れを起こします。また、お宅様の様に冷風にあたり続けると、肩の熱が奪われ、筋肉が一層、堅くなり、血行が悪く成ります。
 骨格の問題では無く、筋肉の血行障害からおこるものです。
 眼精疲労も肩こりに大きく影響して来ます。

カイロではなく、筋肉を良く解してくださる、治療院へ行って見てください。鍼灸でも良いです。マッサージ系の治療でも良いです。

病院で有れば、整形外科でしょう。でも、診察は出来ても、治療方法は、今一効果は、少ないのではないかと思います。電気治療が主ですから。

 不安が、有れば、整形に行かれ、診断して貰い。それから、上記の治療院等へ行かれたら良いと思います。

Qしゃぶしゃぶの作り方、入れる具、食べ方など教えて下さい。

お恥ずかしながら、私は1度しかしゃぶしゃぶを食べた事がありません。。。
1度食べた時は、しゃぶしゃぶ食べ放題のお店で食べたのですが子供が騒いでしまい落ち着いて食べる事が出来ませんでした。。。

しゃぶしゃぶの鍋には、お湯を入れればいいのでしょうか?だし汁なのでしょうか?だし汁だとしたら、だしのとり方も教えて下さい。
皆さんが入れている具は何ですか?「意外と、こんな具もあうよ」っていうのもあれば教えて下さい。
お肉は、しゃぶしゃぶ用と書いてあるお肉でいいのですか?
お店では人参もあった気がするけど、人参のような火の通りの悪い物は先に入れて煮込んでおいたほうがいいのでしょうか?
何をつけて食べてますか?お勧めのたれなども教えて下さい。手作りのたれを作ってるかたは、たれの作り方も教えて頂けると嬉しいです!
アレンジしてる方のお話も聞きたいです!
旦那が、鍋以外にもおかずを欲しがる人なんです。
しゃぶしゃぶにした時は、どんなおかずを出してますか?

質問ばかりで恐縮ですが、しゃぶしゃぶを1度しか食べた事ない私に色々と教えて下さい。
よろしくお願いします。

お恥ずかしながら、私は1度しかしゃぶしゃぶを食べた事がありません。。。
1度食べた時は、しゃぶしゃぶ食べ放題のお店で食べたのですが子供が騒いでしまい落ち着いて食べる事が出来ませんでした。。。

しゃぶしゃぶの鍋には、お湯を入れればいいのでしょうか?だし汁なのでしょうか?だし汁だとしたら、だしのとり方も教えて下さい。
皆さんが入れている具は何ですか?「意外と、こんな具もあうよ」っていうのもあれば教えて下さい。
お肉は、しゃぶしゃぶ用と書いてあるお肉でいいのですか?
お店では...続きを読む

Aベストアンサー

こんばんは。
No1の方の通り、鍋物のおいしい季節になってきましたね♪

我が家では、長ねぎ、えのき、まいたけ、お豆腐、白菜、くずきり(マロニーとかでもOKです)、を入れてます。
お湯でも、お野菜から出汁が出るのでいいと思いますが、昆布を3~5センチくらいに切ってそのまま入れています。

お肉は薄切りのしゃぶしゃぶ用がいいと思います。
お箸で取って、少ししゃぶしゃぶして、赤みが多少残っているくらいがおいしいので、あんまり厚手だと、火の通りが遅くなってしまうので…。

タレはゴマダレ、ポン酢が多いですが、大根おろしを使っておろしポン酢にしています。
その際、あさつきがあるとよりおいしいと思います。
大根おろしも、紅葉おろしを使うのがほとんどだそうですが、辛いものが一切ダメな私は普通の大根おろしにしています。(苦手なため、お野菜にも春菊は入れません…)
ポン酢が苦手という場合は、昆布つゆなどでもおいしいです。

食べ終わったあとにおうどんも良いかと思うのですが、我が家ではそうめんを使います。
予めそうめんを茹でておいて、残ったお出汁を器にとって塩コショウで味を調えて、お鍋でさっと湯がいて食べるのです。
おうどんよりするするっと入るので、結構オススメですよ!
夏の余りのそうめんの消化にもなります(笑)。

付け合せのおかずは、お野菜もお肉も結構な量を食べれてしまうので、白和えやキンピラ、おひたしなどもいいのではないでしょうか?
私はししゃもを焼いたりもしています。

しゃぶしゃぶは灰汁も多く出るので、取りながら食べるのは大変だとは思いますが、これをこまめに除いておくと味がかなり違いますので、がんばって取ってくださいね!

こんばんは。
No1の方の通り、鍋物のおいしい季節になってきましたね♪

我が家では、長ねぎ、えのき、まいたけ、お豆腐、白菜、くずきり(マロニーとかでもOKです)、を入れてます。
お湯でも、お野菜から出汁が出るのでいいと思いますが、昆布を3~5センチくらいに切ってそのまま入れています。

お肉は薄切りのしゃぶしゃぶ用がいいと思います。
お箸で取って、少ししゃぶしゃぶして、赤みが多少残っているくらいがおいしいので、あんまり厚手だと、火の通りが遅くなってしまうので…。

タレはゴマ...続きを読む


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