太平洋戦争が始まって、
男子は戦場に駆り出されるわけですが、
宣戦布告で開始された戦争で
どうやって日本軍の階級はわけているのですか?

二等兵・一等兵・上等兵・少佐・大佐など
同時に始まった戦争で
戦争未経験者がほとんどの中
どのように階級分けされるのでしょうか

戦争中に成績残すと昇格や降格などもあるのでしょうか?

宜しくお願いします。

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A 回答 (10件)

徴兵制が無い今は別ですが


昔は徴兵制度がありました
階級は元々定まっていました
赤紙が来た人は一平卒として参加します。

上の階級にあがれるのは余程運の良い生き残った人です。

要するに上官が死んだら進級です。

直属の上官が生きていても、戦場が別れれば部隊も別れます。
一平卒が次の戦場では部隊をまかされる事もあります。

それでも軍事系の学校とかがあったので、あの頃も学歴社会だったとも言えます
結局階級があがってもそれだけ上官が死ぬ戦場って事なのであまり意味が無い時代でした。
「お前今から軍曹、で、あの戦場に、10人つれて行って来て、あでもあそこ死ぬほど危険だから」

みたいな感じです。
それで生き残ったらまた上に行くかもしれませんし、変わらないかもしれないしって事です

この回答への補足

一番早くご回答頂けたので
ベストアンサー

補足日時:2011/06/07 20:41
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この回答へのお礼

多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:34

ANo6の方陸軍士官学校と海軍兵学校がごちゃ混ぜになっています。

まず階級からせつめいします。( 昭和17年~20年)

陸軍は下から二等兵、一等兵、上等兵、兵長、でここまでが兵それ以上伍長、軍曹、曹長、ここまでが下士官、それ以上が准士官で、准尉、それ以上が士官(将校)で少尉、中位、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将、大将、元帥(正確には大将の中の特に優秀な人がもらう称号で正式な階級ではない) 海軍も下から、二等水兵、一等水兵、水兵長までが兵それ以上
二等兵長、一等兵長、上等兵長までが下士官でその上の兵曹長が准士官、それ以上は陸軍と同じです。ただ陸軍は大尉( たいい) 、大佐(たいさ)を、海軍では大尉(だいい)、大佐(だいさ)と言っていました。  士官学校は陸軍の士官要請学校で、
幼年学校出身と、旧制中学校出身の2組がありました。 兵学校は海軍の士官要学校です。  どちらも士官要請という目的はおなじですが、その待遇は天と地といわれるくらいの差があります。 まず陸軍の士官はまず予科士官学校に入校
しその間は星なしの二等以下階級称は赤い布で、予科を卒業後各部隊に上等兵の士官候補生として配属され、次第に進級して軍曹になった時に本科の士官学校に入校しそこを卒業すると、見習い士官として曹長の階級称と軍服を付けて、かって上等兵として配属された部隊に戻り、そこでしばらく勤務の少尉に任官します。  海軍は兵学校卒業まで途中短期実習のみで、卒業まで海軍生徒として学校教育をうけます。しかし生徒の身分は、入校と同時に下士官の上准士官たる兵曹長のしたの階級になります。兵学校の下士官教師にたいしても、構内では先に敬礼をしますが、郊外では、下士官教師が先に敬礼をしました。服装も士官そっくりで、短剣まて゛下げていました。夏季、正月休暇の時、新入生は上級生から上官には、丁寧に敬礼をし、下士官以下の敬礼違反はびしびし取り締まれと注意をうけ、それを怠ると上級生からしかられたそうです。食事も給仕が着き、「おい茶、お代わ」等とよびすてでよんでいいたそうです。 寝るときも士官並みにベットを使用していました。
卒業後は少尉候補生となり部隊に配属後少尉に任官しました。
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この回答へのお礼

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お礼日時:2011/06/07 20:40

ANo6の方陸軍士官学校と海軍兵学校がごちゃ混ぜになっています。

まず階級からせつめいします。( 昭和17年~20年)

陸軍は下から二等兵、一等兵、上等兵、兵長、でここまでが兵それ以上伍長、軍曹、曹長、ここまでが下士官、それ以上が准士官で、准尉、それ以上が士官(将校)で少尉、中位、大尉、少佐、中佐、大佐、少将、中将、大将、元帥(正確には大将の中の特に優秀な人がもらう称号で正式な階級ではない) 海軍も下から、二等水兵、一等水兵、水兵長までが兵それ以上
二等兵長、一等兵長、上等兵長までが下士官でその上の兵曹長が准士官、それ以上は陸軍と同じです。ただ陸軍は大尉( たいい) 、大佐(たいさ)を、海軍では大尉(だいい)、大佐(だいさ)と言っていました。  士官学校は陸軍の士官要請学校で、
幼年学校出身と、旧制中学校出身の2組がありました。 兵学校は海軍の士官要学校です。  どちらも士官要請という目的はおなじですが、その待遇は天と地といわれるくらいの差があります。 まず陸軍の士官はまず予科士官学校に入校
しその間は星なしの二等以下階級称は赤い布で、予科を卒業後各部隊に上等兵の士官候補生として配属され、次第に進級して軍曹になった時に本科の士官学校に入校しそこを卒業すると、見習い士官として曹長の階級称と軍服を付けて、かって上等兵として配属された部隊に戻り、そこでしばらく勤務の少尉に任官します。  海軍は兵学校卒業まで途中短期実習のみで、卒業まで海軍生徒として学校教育をうけます。しかし生徒の身分は、入校と同時に下士官の上准士官たる兵曹長のしたの階級になります。兵学校の下士官教師にたいしても、構内では先に敬礼をしますが、郊外では、下士官教師が先に敬礼をしました。服装も士官そっくりで、短剣まて゛下げていました。夏季、正月休暇の時、新入生は上級生から上官には、丁寧に敬礼をし、下士官以下の敬礼違反はびしびし取り締まれと注意をうけ、それを怠ると上級生からしかられたそうです。食事も給仕が着き、「おい茶、お代わ」等とよびすてでよんでいいたそうです。 寝るときも士官並みにベットを使用していました。
卒業後は少尉候補生となり部隊に配属後少尉に任官しました。
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お礼日時:2011/06/07 20:40

 昇進に成績は関係がありますが、一定期間は経過しませんと階級は進みません。



 戦死すると必ず二階級特進するというものではありません。
 特攻の場合はよく知られていますが、特攻でなくても功績があった場合は申請して認められれば二階級特進しました。
 多くは昇進しても一階級です。
 ミッドウェー海戦で戦死した第二航空戦隊の司令官だった山口少将は中将に昇進しました。
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多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
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ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:39

No.4です。


No.6の方の回答もいささか気になるところがあります。少し詳しく説明します。

>駆り出されたのは国家総動員法が適用された昭和19年からです。それまでは志願扱いです。

多分、1943年の旧制高校・大学在学生に対する徴兵延期措置の廃止(この結果、10月21日の出陣学徒壮行式となる)と混同されているのではないでしょうか。国家総動員法は徴兵とは関係はありません。また、総動員法の公布は38年のことです。

>兵隊になるには大きく別けて2つの方法があります 士官学校を卒業する 兵学校を卒業する です、兵学校へ進んだ場合、まず初年兵(二等兵)となります。教習課程を終え2年兵へ進級した者を一等兵と呼びます。

兵隊になるのに「学校を卒業する」必要は全くありません。戦前の日本では1873年の徴兵令、1927年公布の兵役法によって、満20歳(43年からは満19歳)に達した男子は、全員徴兵検査を受けなければならず、合格者は翌年1月に入営して2年間の兵役に服することが義務づけられていました。最初は二等兵です。半年から1年で一等兵に進級し、2年後、除隊、予備役となります。上等兵に進級した成績優秀者にはそのまま勤務を続けることができました。中等学校、高校、大学卒業者に幹部候補生の道が開かれていたことはNo.4の回答に書きました。
また、陸軍に「兵学校」という学校はありません。なお、海軍兵学校は兵卒を養成する学校ではなく、海軍士官を養成する学校で、陸軍の場合の士官学校に相当します。(回答5の方の軍隊を学校に例えた説明は、まことに分かりやすく面白く読ませていただきましたが、「海軍士官学校」と書かれていることだけは気になりました。正しくは「海軍兵学校」です)

>士官学校へ進む場合は、士官学校の入試試験に合格しそこを卒業しなければいけません。

陸軍幼年学校卒業生はそのまま士官学校に進めます。それ以外の人の受験資格は、中等学校の4年生と5年生(現在の高一、高二に当たる)に限られていました。
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この回答へのお礼

多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:38

帝國陸海軍の人事制度についてのご質問と思います。



まず、駆り出されたのは国家総動員法が適用された昭和19年からです。
それまでは志願扱いですよ。兵隊になりたいです!と志願したのです。仕事がないから。
いきなり始まった戦争というのは日本は経験していません。
大東亜戦争の勅がでるまでに、台湾・朝鮮・中国・シベリアでの実践経験を積んでいます。
それに、鎮台兵が組織されて以来、明治・大正・昭和を経ている軍隊組織があるのに
戦争が始まるからと階級を割り振るというのはおかしいですし、そのような事例もみあたりません。

いろいろ矛盾点があるので少し指摘いたしました。

さて、ご質問についての解答ですが
兵隊になるには大きく別けて2つの方法があります
士官学校を卒業する
兵学校を卒業する
です、兵学校へ進んだ場合、まず初年兵(二等兵)となります。教習課程を終え2年兵へ進級した者を一等兵と呼びます。兵役は2年間です。兵役とは現役の兵隊として勤務できる年数の事です。
初年兵の際に上等兵修業者に選抜された者は上等兵になりました。さらに下士官勤務適任証書を貰った際優秀な者は兵長となり下士官扱いで勤務できました。
その後部隊へ配属され兵科ごとの教習に入ります。歩兵科や砲兵科などの兵科です。
兵科を修得し、配属された部隊からの推薦を受ければ昇進できます。推薦がなくても進級停年がくると自動的に昇進できました。
士官学校へ進む場合は、士官学校の入試試験に合格しそこを卒業しなければいけません。
兵科毎の勉強を行って、卒業した頃には少尉か中尉として任官されます。
卒業後、部隊勤務を行い士官候補生として半年間の実務経験を積みます。この際専任下士官とペアを組み実際の指揮はこの専任下士官が執ります。士官候補生教程が終了次第、少尉か中尉として部隊へ配属され実務となります。 以後の昇進は"抜擢"が基本です。
部隊指揮官としてどのくらいの規模を指揮できるのか現場の判断で評価され、抜擢されていきます。
現在と同じですね。
また、将校にも進級停年はありましたが、基本が抜擢によるのでなかなか昇進できませんでした。
欠員がでなければ佐官・将官への昇進は、勢いのある派閥にでも属さない限り不可能でもありました。

まだまだ予科練制度や特幹制度などいろいろありますが、長くなるのでここまでとします。
また、この内容は概略でありますので詳細は自衛隊に問合せてください。

さて、戦争中に成績残すと昇格や降格などもあるのでしょうか?についてですが
成績を残したのに降格された人はいません。普通ないです。あったら軍隊組織の崩壊です。
昇格したのに左遷された例ならば沢山あります。
軍隊内で犯罪を犯した場合、大きく別けて営倉、重営倉、銃殺、教化隊へ転属等の処置がとられます
戦功に応じての昇進は、下士卒ならば宣撫の為に広く行われていました。

長くなるのでここまでとします。
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この回答へのお礼

多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:38

・・・なんだか不親切な説明ばかりですね。

なんて、他人の回答にけちをつけたらまた削除の対象になってしまいます。

現代の学校や会社のような組織は多かれ少なかれ近代軍隊の影響を受けています。
陸軍を例に学校で例えてみます。まず小隊というのがあります。30人から50人程度が多いのでちょうど1クラスくらいですね。その小隊がいくつか集まって中隊が作られます。だいたい200人くらいなので1学年くらいでしょうか。その中隊がいくつか集まって大隊、大隊がおおよそ2から4つ集まって連隊(あるいは旅団)となります。この連隊がひとつの学校という感じですね。
なぜ大隊をすっ飛ばして連隊が学校になるかというと、学校は単なるクラスや学年の集まりじゃなく、給食室やら保健室やらを備えてあるひとつの完成された組織となっていますよね。連隊となると比較的独立して行動できる能力を持っているのです。
そして陸軍の場合、多くは連隊が複数集まって師団としているケースが多いです。1個師団でだいたい1万人から大きい軍隊で2万人くらいです。師団は完全に独立して行動できる組織です。お給料の支払いから何から何までが自立して行えるのが師団と思えばいいです。

さて、そうなると軍隊にはまず学校の生徒ともいうべき兵士がいます。これが二等兵とか一等兵とか。その上に小隊長がいますが、小隊長は担任の先生ですね。そして多くのクラスは班で分けられて生徒の中から班長が選ばれます。軍隊も同じで(というか学校が軍隊の組織を真似している)兵長や伍長がこの班長になるわけです。
そして中隊長、大隊長。連隊長は校長先生です。連隊長となるとやはり補佐が必要なので教頭先生みたいな存在もいます。師団長ともなると、万単位の人間が動くことを指揮するのですから、その補佐も何人もいなければなりません。補給とか連絡とかそれぞれ役割を与えられた参謀というのが連隊長を補佐します。師団より上級の組織もあります。将軍や元帥なんてなるわけです。

さて、そうなると兵士(生徒)と指揮官(教師)では明確に「使う・使われる」と役割が違いますね。使われる側はなんでもいいけど、使う側にはそれなりの訓練と教育が必要です。
軍隊ではそれぞれの立場を、兵士、下士官、士官に大別できます。兵士は説明不要でしょう。連隊長やらなにやらは士官、その兵士と士官の間の中間管理職が下士官です。
士官はそれを育てる学校、士官学校を卒業してなります。「陸軍士官学校」「海軍士官学校」なんてのがあります。自衛隊の場合は防衛大学です。しかし普通の大学を出て士官になる道もあります。自衛隊にもそういう制度があります。
しかし士官学校を卒業したての若造はまだ経験も浅いので小隊長などを命じて経験を積ませます。それが下士官です。
また一方、兵士の中にも経験を積んでリーダーにふさわしい人物がいたりします。そういう「現場のたたき上げ」も引っ張り上げることがあります。それも下士官です。
つまり、下士官は一般兵士の上限に近いところと、士官のスタート地点に近いところが下士官のゾーンです。官僚がそうですね。課長あたりがノンキャリアのたたき上げ官僚の出世の限界でしょうか。そして、キャリア官僚がいきなりそのくらいのポジションでスタートしたりします。というか、これも軍隊の組織の真似です。

これを見てわかるように、軍隊というのもひとつの巨大な「お役所」なのです。ゆえに、お役所ならではの非効率やら融通のなさがあります。これは程度の差はあれどこの軍隊でも同じ。犯人逮捕をバンバンすれば警察官が出世できるわけではないのと同じで、いっぱい敵をやっつければ元帥になれるわけでもありません。その代り、特別に活躍すると勲章などが与えられて表彰されます。これも学校や警察、消防なんかでよくありますね。国によっては、その勲章を与えられると年金が余計にもらえたりします。
どういうことかというと、戦争に参加して負傷し、二度と働けない体になってしまった場合は国から年金が出るのですが、そのとき余計にボーナスをつけてあげようということです。
他の方もちょっと触れている「戦死して二階級特進」は遺族に与えられる年金がその出世した階級に基づいた年金が与えられる(つまり受給額が増える)からです。これは現代日本の警察や消防も同じで、警察官や消防官が公務に伴う事故死をした場合二階級特進することがあり、その階級に基づいた遺族年金が遺族に支払われます。
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多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:37

No3の方の回答はいささか誤解があるので、その点だけ補足したいと思います。



>当時は高等学校(現在の大学)卒であるかどうかで階級に天と地の差がありました。高卒なら少尉から始まり、そうでない場合は二等兵からのスタートとなりました。

軍の学校である士官学校を卒業すれば、見習士官を経て少尉に任官できますが、軍とは関係のない国公私立の旧制高等学校を出ただけでは少尉になることはできません。敗戦の何年か前までは、高等学校、大学に進学していると徴兵が延期されたので、卒業後入営することになっていましたが、最初の階級は当然のことながら二等兵です。古参兵にいじめを受けたという証言が沢山あります。
ただし、当時は旧制高校、大学の卒業生については「甲種幹部候補生」という制度があり、その試験に合格すると(学校での教練の成績が極端に悪い人は合格は無理ですが、ほとんどの人は合格したようです)予備士官学校で教育を受け、一定期間見習士官として勤務後、少尉に任官できました。
また、旧制中学校の卒業者には、「乙種幹部候補生」という制度があって、試験に合格すると、軍曹または伍長になることができました。ただし、高学歴でも軍隊嫌いの人は、幹部候補生になれと勧められても断わって、二等兵のままでいたというケースもあったようです。

>戦死するとたいてい二階級特進がありました。

通常の戦死では、せいぜい一階級です。二階級特進は、上海事変の爆弾三勇士やハワイを攻撃した特殊潜航艇の九軍神など、極めて功績が顕著だったケースに限られます。もっとも、敗戦直前になると、功績顕著の評価はかなり甘くなったかもしれません。

なお質問者が使っている「昇格」「降格」は、旧陸軍では「進級」「降等」と表現されていました。
戦前、戦時中のことを知る人は年々少なくなっていきます。できるだけ、図書館などを利用して、正確な知識を得ていただきたいと思います。
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多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:37

>どうやって日本軍の階級はわけているのですか?



当時は高等学校(現在の大学)卒であるかどうかで階級に天と地の差がありました。
高卒なら少尉から始まり、そうでない場合は二等兵からのスタートとなりました。ただし例外もありました。うちの親は陸軍教導学校を出ましたので伍長からスタートしました。そのような下士官養成学校もあったのです。

>戦争中に成績残すと昇格や降格などもあるのでしょうか?

普通は年功序列ですが、目覚ましい働きをすれば昇格はありました。その反対もありました。また戦死するとたいてい二階級特進がありました。またポツダム宣言受け入れ後も昇進がありました。これはまあ、軍人の恩給をより多くもらえるよう配慮してくれたのです。
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この回答へのお礼

多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:36

>どのように階級分けされるのでしょうか



当時の日本の健常な成人男子は皆、軍人の階級を持っていたのですよ。

当時は徴兵制が施行されていましたから、健常な成人男子は何年間かの一定期間、軍隊に入隊して軍人にならなければならなかったのです。
でっ、軍人ですからその時に階級が与えられます。
そして、その一定期間が過ぎると、その時の階級を持ったまま軍隊を辞めて民間人に戻りました。
この場合、ただの民間人ではなく「予備役軍人」として民間人に戻るのです。

例えば、少尉の階級で軍隊を除隊すると「予備役少尉」として民間人に戻るのです。
召集されると「予備役」が取れて、少尉として軍人に復帰します。

ですから、その時代、その辺の町を歩いているおっちゃんや兄ちゃん達は、皆、軍人の階級を持っていたのです。
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多くの方から、質問内容以上のご回答頂き
大変、勉強になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/06/07 20:35

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http://mltr.e-city.tv/faq08e.html

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自衛隊でも、旧軍でもいいです。(できれば両方)
もちろん、ほかの国の軍隊でもいいです。

例えば、任務を成功させるとか、敵部隊を壊滅させるとか、そういうなにかしらの結果を積み重ねると昇進できるんですか? スコア(?)とか。
それとも、成果+試験(?)みたいなものの結果で昇進できるんですか?

戦場で、例えば隊長を務めていた大尉の階級の者が戦死したとします。
そしたら、どこかから中尉の階級の者を引っ張ってきて、その人を昇進させて補完するみたいなことはあるんですか?
それとも、同じ隊内で済ませるんですか? 昇進させずに、例えば副官を務めていた者を隊長にするとか。

あと、二等兵から始まった者は、どこまで昇進できるんですか?
曹長? それとも、もっと上まで行けますか?

士官学校を卒業すると、少尉から始まりますよね。
彼らは、どこまで上がれますか? 大将まで?

それから、階級名って下から
二等兵
一等兵
上等兵
伍長
軍曹
曹長
准尉
少尉
中尉
大尉
少佐
中佐
大佐
准将
少将
中将
大将
でいいんですよね?
陸軍と海軍で呼び方が違うんでしたっけ?

とある漫画で、士官学校出が准尉から始まっているんですけど、こういうところもあるんですか?


質問だらけで申し訳ありません。
分かるものだけで結構ですので、解説お願いいたします。

軍隊には階級があって、昇進したり、場合によっては降格したりしますよね?
この、階級が変動する仕組みを教えていただきたいのですが。

自衛隊でも、旧軍でもいいです。(できれば両方)
もちろん、ほかの国の軍隊でもいいです。

例えば、任務を成功させるとか、敵部隊を壊滅させるとか、そういうなにかしらの結果を積み重ねると昇進できるんですか? スコア(?)とか。
それとも、成果+試験(?)みたいなものの結果で昇進できるんですか?

戦場で、例えば隊長を務めていた大尉の階級の者が戦死したとしま...続きを読む

Aベストアンサー

軍隊の昇進は、平時か戦時かで違います。
平時は学校(士官学校、兵学校)卒業時の成績+勤務評価+経験。
戦時になると、上記の条件+戦果。

軍隊では指揮権の優先順位が決まっています。
隊長が死んだらその次は誰、その次は誰、というように部隊での指揮権の順番が決まっているのです。
新しい隊長が来るまでは、その順番の一番上の人間が指揮を取ります。
ただ戦時になると、人材が物凄い勢いで枯渇していきますので、
新しい隊長が来ない場合があります。
その時には、優先順位の一番上の人間が指揮を取り続けます。場合によってはその人間が臨時に昇格する場合も有ります。

二等兵からスタートしても、人によっては最高、中佐まで行けます。
何万人に1人の割合ですが。大抵は軍曹、曹長止まりです。

士官学校を卒業しても、大半は中佐までしか昇進できません。
この後に、陸軍(海軍)大学校という上級幹部養成学校があり、ここを卒業していないと大佐以上になるのは難しいのです。陸軍では大学校を卒業していないと将官以上は無理。
この大学校は、士官の中から更に選抜されるエリート中エリートで基本的には士官学校の成績上位者だけしか入学できません。

士官というのは、「少尉」以上の階級を持つ軍人を指します。
准尉は士官ではありません、下士官に分類されます。
士官学校を卒業したら、通常「少尉」に任官するのが普通です。

軍隊の昇進は、平時か戦時かで違います。
平時は学校(士官学校、兵学校)卒業時の成績+勤務評価+経験。
戦時になると、上記の条件+戦果。

軍隊では指揮権の優先順位が決まっています。
隊長が死んだらその次は誰、その次は誰、というように部隊での指揮権の順番が決まっているのです。
新しい隊長が来るまでは、その順番の一番上の人間が指揮を取ります。
ただ戦時になると、人材が物凄い勢いで枯渇していきますので、
新しい隊長が来ない場合があります。
その時には、優先順位の一番上の人間が指揮を取り続...続きを読む

Q太平洋戦争の日本軍の疑問

太平洋戦争では、
1)ゼロ戦、隼など戦闘機にパラシュートは付いていますか?
米英独ソなど他国の戦闘機はどうでしたか?※熟練パイロットは特に大事だと思います。

2)日本軍は石油を確保するために南進しましたが、初戦の勝っている間に、
石油をガンガン日本の基地へ運ばなかったのですか?

3)レーダーを日本が開発できなかった要因は何ですか?

Aベストアンサー

 重複する部分もあるかとは思いますが。

1)ゼロ戦、隼など戦闘機にパラシュートは付いていますか?米英独ソなど他国の戦闘機はどうでしたか?※熟練パイロットは特に大事だと思います。
 ⇒この時代の戦闘機には(例外を除いて)パラシュートは「付いていません」。パラシュートは搭乗員の装備のひとつであり、持って乗り込むものです。他国の戦闘機も同様。日本ではパラシュートを使わない者もいたとのこと。

2)日本軍は石油を確保するために南進しましたが、初戦の勝っている間に、石油をガンガン日本の基地へ運ばなかったのですか?
 ⇒当時の日本の総船腹量は約600万トン(アメリカの1/3程度)、うち半数を民需用、半数を軍需用として使っています。ご存知の通り戦域が馬鹿みたいに広かったので、ガンガン運ぶためには船腹量が不足していましたようです。ちなみに昭和18年には一年で170万トン(半分だね)を喪失しています。それから、そもそもロジスティクス自体が軽視されていたことから、効率も相当悪かったとのこと。例えば南方へ兵士を輸送した後、何も積まずに空荷で帰ったこともあったそうです。

3)レーダーを日本が開発できなかった要因は何ですか?
 ⇒開発できなかったわけではないです。大戦末期には潜水艦クラスにもレーダーはいきわたっていましたし、航空機では攻撃機の天山の生産機の約1/3は機上電探装備機だったとのことです。がしかし、いかんせん性能が低かった。性能が低かったのは、レーダーに限らず陸海軍間の対立で資源(学者や技術者も含む)の有効活用ができず、効率的に開発できなかったこと、軍部に電波兵器全般の知識がなく、「電波を発する=敵に位置を暴露する」といった誤解もあり、採用に積極的でなかった(予算も付かない)ことなどがあげられています。まあ、基礎工業力が低かったというのは大前提ですが。
 なお、大戦末期には無線機も含めてかなり高性能なものができていたらしい(戦後の米海軍のテストでは、戦闘機の無線機はあちらのものとほぼ同等の性能だったらしい)です。ただし、今度は量産する力が残っていなかったということです。

 重複する部分もあるかとは思いますが。

1)ゼロ戦、隼など戦闘機にパラシュートは付いていますか?米英独ソなど他国の戦闘機はどうでしたか?※熟練パイロットは特に大事だと思います。
 ⇒この時代の戦闘機には(例外を除いて)パラシュートは「付いていません」。パラシュートは搭乗員の装備のひとつであり、持って乗り込むものです。他国の戦闘機も同様。日本ではパラシュートを使わない者もいたとのこと。

2)日本軍は石油を確保するために南進しましたが、初戦の勝っている間に、石油をガンガン日本の基...続きを読む

Q第二次大戦中の外国人義勇兵の階級について

例えばなのですが、米国参戦前の第二次大戦中、英空軍に義勇兵として参加しイーグル戦闘機中隊で活躍した米空軍兵などが、英空軍に加わっている間に名乗る階級は米国空軍でのものでしょうか。それとも英空軍からも階級を与えられ、それを名乗るのでしょうか。
『Captain ○○○』の場合、英空軍なら大佐、米空軍なら大尉、と相当する階級が異なります。『Captain ○○○』が米空軍から英空軍への義勇兵の場合、階級を日本語で言うと大尉でしょうか、大佐でしょうか…。

Aベストアンサー

イギリス空軍の階級呼称は、イギリス海軍の呼称を元にしています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%9A%8E%E7%B4%9A%E5%91%BC%E7%A7%B0%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E8.8B.B1.E5.9B.BD.E8.BB.8D.E3.81.AE.E9.9A.8E.E7.B4.9A.E5.91.BC.E7.A7.B0
で「英国軍の階級呼称一覧」をヨコに見れば分かるでしょう。

さて、アメリカで「空軍」が成立したのは第二次大戦後です。戦前・戦中は、陸軍・海軍・海兵隊がそれぞれ航空部隊を持っていました。ちなみに、アメリカ空軍の階級名は陸軍のそれをベースにしています。日本の航空自衛隊の幹部(将校)が外国人に対して名乗る際は、アメリカ空軍の階級名(すなわち陸軍式)を準用して名乗るようです。

さて、そのドラマで

「「名乗る」と書いたのは、自己紹介で「私は Captain ○○○。英国空軍133飛行中隊。アメリカの義勇兵だ」と名乗るからです。」

と言っていたのなら、恐らく「アメリカ陸軍大尉」ということではないのでしょうか?
※ 海軍のCaptainは大佐ですが、海軍大佐が自分で操縦桿を握ることは通常ありません。パイロットとしての現役に耐える年齢を既に超過しているからです。米国海軍航空隊のパイロットが英空軍に参加したのなら、Lieutenant (海軍大尉)あたりでしょう。なお、Lieutenantはアメリカでは「ルテナント」、イギリスでは「レフテナント」と発音しますので、発音でアメリカ人・イギリス人の区別が一瞬でできます。

そのようなドラマで「Captain」という階級名が「アメリカ義勇兵パイロット」の階級名として出れば、無条件で「大尉」と訳して差し支えないでしょう。前記の通り「海軍大佐の義勇パイロットは年齢的に有り得ない」からです。

「やはり米語で自己紹介した(つまり大尉でOK)と思っていいんでしょうか」
イギリス軍に参加しても階級名は米軍のものを使う、ということだろうと思います。

イギリス空軍の階級呼称は、イギリス海軍の呼称を元にしています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E9%9A%8A%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E9%9A%8E%E7%B4%9A%E5%91%BC%E7%A7%B0%E4%B8%80%E8%A6%A7#.E8.8B.B1.E5.9B.BD.E8.BB.8D.E3.81.AE.E9.9A.8E.E7.B4.9A.E5.91.BC.E7.A7.B0
で「英国軍の階級呼称一覧」をヨコに見れば分かるでしょう。

さて、アメリカで「空軍」が成立したのは第二次大戦後です。戦前・戦中は、陸軍・海軍・海兵隊がそれぞれ航空部隊を持っていました。ちなみに、アメリ...続きを読む

Q太平洋戦争での関東軍について。

太平洋戦争で日本軍がやろうとしたことは欧米列強による植民地支配を許さないこと、
というのが真意だったというのが何冊か読んだ本の中に書いてあり、
同時に満州に攻め入ったのは関東軍というアンチ日本軍だったように書いてあります。

やがて日中戦争が勃発したようですが、
天皇は併合で日本人となった朝鮮人の将軍に勲章を授与したとも書いてあります。
関東軍が天皇の言うことを聞かずに満州へ攻め入ったならば、
天皇は日中戦争を勝利に導いた将軍に勲章を授与したのは何故だったのでしょうか。
また天皇も日本軍も戦争には否定的だったようですが、
ならば日中戦争は何だったのかなと疑問でなりません。

僕は満州事変と日中戦争が関係のない出来事なのにセットで考えて迷っているのかも知れません。

もし詳しい方がいらっしゃれば、
僕の疑問に回答をお願いいたします。

Aベストアンサー

>太平洋戦争で日本軍がやろうとしたことは欧米列強による植民地支配を許さないこと、
>というのが真意だったというのが何冊か読んだ本の中に書いてあり、

それはその通りです。そもそも欧米列強が19世紀にアジア諸国を植民地化していった狙いはアジアを資源・食料・原材料の供給基地として囲い込み、商品の輸出先として囲い込む狙いがあった訳です。産業革命で飛躍的な工業生産力を備えた先進国は、そういった目的で自国の勢力圏として囲い込んでいった訳です。ところが明治維新後にようやく近代化の端緒についた日本が工業化を果たした時には、もう日本が進出できそうな国はどこにも残されていなかった。それは大げさな表現かも知れないが、日本は大幅に出遅れてしまったことだけは確かです。幕末に結んだ不平等条約を日清日露で改定して、ようやく先進国に追いついたといっても条件はかなり違っていました。日本が工業国として成立させる為には、欧米列強に植民地化されたアジア諸国を解放して他の先進国と対等・平等に貿易が成り立つようにする必要があったのです。そしてまさにアジア諸国の解放に成功したことが今日の日本の経済立国・貿易立国の基盤になっています。

日本がアジア諸国を解放したなどというつもりはないし、そんな事実はない。しかし日本が太平洋戦争に打って出たことが、アジア諸国に独立の勇気を与え、独立の機運を作ったことは否定できません。太平洋戦争そのものは日本の敗戦で終わり、国土を灰燼に化してしまった。しかし植民地化されていたアジア諸国を独立させるという目的は果たしたのです。例えば、今、ブルネイの天然ガスの輸出先の半分は日本が占めています。それが火力発電所の燃料になっている。しかしブルネイは太平洋戦争当時はイギリスの植民地でありました。

>同時に満州に攻め入ったのは関東軍というアンチ日本軍だったように書いてあります。

それは違います。日露戦争後、ポーツマス条約で日本はロシアから租借地として大連・旅順を、南満州鉄道として東清鉄道の南満州支線を割譲されました。それらを防衛する為の軍が関東軍だったのです。満州事変後に満州国が成立した後は満州国の国防も担いました。役割的には関東軍は、日本軍とは異なりますが、アンチ日本軍だった訳でもないし、ましてや満州に攻め入ったなどという事実はない。軍中央の統制に従わない暴走した関東軍将校のことであれば、「アンチ日本軍」という評は当たってないこともないが、それは個人的にそうだっただけで関東軍が組織的にアンチ日本軍だった訳ではありません。

>ならば日中戦争は何だったのかなと疑問でなりません。

日中戦争を理解する為には、辛亥革命後の中国大陸の歴史を知らなければなりません。ポーツマス条約で大連・旅順、南満州鉄道の利権を獲得した日本は、「辛亥革命後の中国大陸の歴史」に翻弄され続けたといったことなのです。辛亥革命後の中国大陸の歴史を簡単に説明することは不可能ですし、歴史の授業でもほとんどまともな説明もされていません。これは一冊の本でも書ききれないぐらい複雑怪奇な問題なので、ここで回答せよというのは無理難題。ここでいえるのは、日本は血を流して獲得した利権を守ろうとしただけだということだけです。それとは別に蒋介石にも清からロシア、ロシアから日本に渡った利権を回収したいという悲願があった。その激突が日中戦争だったということです。簡単にいえば、それだけです。日本にすれば、蒋介石に文句をいわれる筋合いはなくて、それは満州国から借りているだけだということになるのですが、蒋介石にすれば満州国の独立など認めない。満州も中国の一部だというのが蒋介石の主張なのだから、まるで話が噛み合う余地は無かった訳です。

だから太平洋戦争と日中戦争はそもそも全く別な話なのです。一方は欧米列強から植民地を独立させることが目的で、もう一方は既得権益を死守しようということが目的です。だからまあ、虫が良すぎるというか欲張りすぎというか、身の程知らずに手を広げすぎということもいえる。

このへんで私の回答としては一旦筆を置かせていただきます。

>太平洋戦争で日本軍がやろうとしたことは欧米列強による植民地支配を許さないこと、
>というのが真意だったというのが何冊か読んだ本の中に書いてあり、

それはその通りです。そもそも欧米列強が19世紀にアジア諸国を植民地化していった狙いはアジアを資源・食料・原材料の供給基地として囲い込み、商品の輸出先として囲い込む狙いがあった訳です。産業革命で飛躍的な工業生産力を備えた先進国は、そういった目的で自国の勢力圏として囲い込んでいった訳です。ところが明治維新後にようやく近代化の端緒につ...続きを読む

Q外国(特にアメリカ)での軍の階級について??

洋画をよく見るんですが、軍事もの、その他の中でも、軍人さんが肩書(階級)で表現される事がありますね。
中でも、
将軍・大佐・中佐・少佐 の階級差が未だに理解できていません><
少佐でもすごく偉そうな人がいたりしますからねw
軍曹や伍長、上等兵など下部の階級は解りやすいのですが、上や幹部の階級が理解でいていません。
より洋画を楽しく観るためにも是非とも理解しておきたいです。
ネット検索で見てみましたが、いまいち詳しすぎて良く解りませんでした。><
どなたか解り易く解説して下さいますか。?

Aベストアンサー

 前記の方々の階級は間違いじゃないが、真面目に覚えてもあんまり役に立たないから。
 (特にこんなのは日本語で覚えてもどうしょうもない。外国語の映画ならその言葉オリジナルで分かるようにしておくといろいろ覚えられる。)そもそも階級章を覚えて軍隊生活送るわけじゃないんで。
 一応覚えておくと役に立つ軍隊予備知識
 軍隊は非常に過酷な状況で、日常とは違う行動を強行させるため階級制によって指示伝達をし、組織を動かす。特に士官とそれ以下の兵隊との差は大きい。
 現場の最高責任者は佐官(colonel;少佐、大佐など)lieutenant(尉官;現場の小チームを指揮する指揮官/アメリカでは警部一歩前の警部補も意味する,刑事コロンボはlieutenant Colomboと呼ばれる。)このlieutenantの直下が下士官(士官ではない)通常鬼軍曹と言われる連中がいる。これがsergeant。ときおりサージ(searge)という言い方を耳にすると思うがこれはsergeantを短くした日常の会話で使われる。(別にガニーという言い方もある。)
 *general(将軍)は軍隊の最高峰にあって、主に政治的なやり取りをする。例えば外交上軍事力をつかう場合の分析やその効果を政治家に伝える、いわば軍事面でのアドバイザーと同時に、常に非常時に備えた計画を立案し、政府の求めに応じて軍事政策を提言する。そのため必要な装備品や訓練に必要な予算の要求と兵器開発のための民間企業との協議なども行う。けっこう激務。
 *大佐は現場監督のトップ。約2万人からなる師団一個を動かせる。戦前ドイツで考案された師団編成はあたかも単体のような独立した活動ができるように編成されている。(なので自衛隊が震災地へ向かう車両の中に「炊飯車」や「給水車」がいる。アメリカが中東へ出たときは電源船からの電力でトイレや郵便制度なども含んだ街一個を作った。)特に通信関係には多大の費用と手間をかけている。
 *lieutenantは中間管理職。上からの指示を現場に実行させるのが基本。通常、師団など上級司令部からの作戦計画書を読んで、手持ちの資源(員数、兵器在庫、訓練レベルなど)と擦り合わせ、同時に作戦目的にあわせた訓練を行い、開始日までの準備を行う。
 *軍曹(sergeant)は最小チームのリーダーであり教育係。つまり小さなコミュニティのボスのような立場で活動する。軍隊の価値観を自分の身体で体現している、カナメのような存在。そのため軍隊を離れてもつながりが続く場合が多い。

 これはすべての職業に言えることだが、同じ仕事についているもの同士は言葉が違っても見事なくらい話が通じる。言葉を超えやっていることは同じだから。特に軍隊のように過酷な状況下でともに生き延びた者同士の結束が強固になるのは容易に想像できる。だからドラマになるとも言える。
 映画も結構だが、背景を色々調べるとおもしろいものがいっぱい出てくる。

 ちなみにuncleはおじさんという意味だけではなく、日本で言う「~先生」のような意味合いで使われることが多い。つまり「私をいろいろ支援してくださった人」の意味。

 前記の方々の階級は間違いじゃないが、真面目に覚えてもあんまり役に立たないから。
 (特にこんなのは日本語で覚えてもどうしょうもない。外国語の映画ならその言葉オリジナルで分かるようにしておくといろいろ覚えられる。)そもそも階級章を覚えて軍隊生活送るわけじゃないんで。
 一応覚えておくと役に立つ軍隊予備知識
 軍隊は非常に過酷な状況で、日常とは違う行動を強行させるため階級制によって指示伝達をし、組織を動かす。特に士官とそれ以下の兵隊との差は大きい。
 現場の最高責任者は佐官(col...続きを読む

Q太平洋戦争における日本軍の捕虜について

 第二次世界大戦では、孤立した部隊が降伏し、高級将校が捕虜になった事例がいくつか見られます。(スターリングラードのパウルス独元帥、シンガポールのパーシバル英中将等)
 日本軍は戦陣訓によって、捕虜になる人間は比較的少なかったわけですが、太平洋戦争中に捕虜になった日本軍人での最高位者はだれなのでしょうか。(将官はいたのでしょうか)
 陸海軍それぞれの捕虜の最高位者について、捕虜になった際の階級と事情をご教示ください。

Aベストアンサー

沖縄戦の八原大佐は有名です。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%8E%9F%E5%8D%9A%E9%80%9A


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