特設のアンケートカテゴリがあるようなので利用させていただきます。
今回の質問は武道経験者、または武道の指導に携わる方へ向けて発するものです。

内容はタイトルの通り「武道とは何ですか」です。

「私は武道を学んでいる」
「私は武道を教えている」

という人はたくさんおられると思います。

武道という単語は一つの記号であり、当然のことながら「何か」を指し示して用いられているものだと思います。その「何か」とは、一般的には「道場と呼ばれるスペースで古風な服装でやるスポーツ」だったりするわけですが、実際に武道を学んでいたり伝えていたりする皆さんはまた違った見解をお持ちであろうと思います。

そこで、武道の素人に自分の学んでいるもの、自分が教えているものを「これこれこういう性質のものである」と噛み砕いて伝える時のようにお答えいただければと思います。

言うまでもなく、この場での議論を目的とした議題ではありません。

経験者の方が「武道」をどういったものとして捉えているのかという軽い意識調査、認識調査のようなものですので、仮にどれだけ偏った意見であっても、びっくりするほど説明が長くなっても全く問題ありません。是非お聞かせください。

ではよろしくお願い致します。

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A 回答 (5件)

> 武道というのは、物理運動的、人数的、所持物的に不利な立場にある人間の


> ためだけにあるものだとお考えでしょうか?

「ためだけにあるもの」どころか「ためだけに<あるかもしれない>もの」
だと考えます。
少なくとも、
武道というのは、物理運動的、人数的、所持物的に有利な立場、
あるいは同等な立場にある人間のためのものでは無いと考えております。

> 「不当な暴力」とはなんでしょうか?

ここで言う「不当な暴力」とは差別の一種、相手と立場的な差異が
存在すると信じた者が相手に対して与える差別です。
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「武道」とは、


「物理運動的、人数的あるいは所持物的に不利にある立場の人間が、同時期同空間に存在する有利な立場の人間の不当な暴力に対峙した際、社会的に許される範囲の行為をもって、当該暴力を無効にすることが可能となる確度を上げることができる技術を習得することが可能であると自らに信じさせるための肉体的かつ精神的な訓練」である。
人間は獣性によって、自分より弱い立場の人間には容易に不当な暴力を突きつけるが、このような技術が存在すると信じることによって自らの暴挙を押さえることができる。また、このような信心を得ようと訓練を行っている者は、不当な暴力に対峙する勇気を持つに至る。例えそのような勇気が無謀なことであり、個人的には損害を被ることはあるにせよ、社会全体的には有益な効果が期待できる。このため「武道」には、先に仕掛けた者が負ける動作を、反復して憶え込ませようとする訓練や、攻撃の初動を待てる限界まで行わせずに我慢させた上で冷静に対処させようとする訓練が多く見られる。このように武道は正しく勝てることを「信じるための道」であって、その「社会性」も加えて「宗教」と親和性がある。
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この回答へのお礼

回答をいただきありがとうございます!

もしよろしければ、もう少しご説明いただきたい部分があります(当然お答えいただかなくても結構です。気が向いたら答えていただければ嬉しいな…というぐらいの質問ですので。

<その1>
>「物理運動的、人数的あるいは所持物的に不利にある立場の人間が、同時期同空間に存在する有利な立場の人間の不当な暴力に対峙した際、社会的に許される範囲の行為をもって、当該暴力を無効にすることが可能となる確度を上げることができる技術を習得することが可能であると自らに信じさせるための肉体的かつ精神的な訓練」である。

とのことですが、武道というのは、物理運動的、人数的、所持物的に不利な立場にある人間のためだけにあるものだとお考えでしょうか?

<その2>
「不当な暴力」とはなんでしょうか?

お礼日時:2011/11/20 21:19

他の方もかいているように、武道とは、矛の納め方のことです。

よって武道家とは、矛の納め方を知る者です。ですので、戦わずして勝つことを知る者ですから、無手勝流を知っております。無刀取りというのも、無刀で勝つ、ということです。刀を抜くことなくして勝利を収めることです。私は、極真空手の有段者、合気道、居合道と修行しました。合気道は、23年間修行しております。現在も修行いたします。ちなみに、喧嘩は両成敗です。つまり、刀で相手を斬りつけて、死なせたら、自分は切腹しなくてはいけません。そうしないと、仇討ちが始まるからです。従いまして、刀を抜く以上は、死ぬ覚悟が、無いといけません。私闘による刃傷は、そういうモノです。また、警刀といって「やるか!」というシグナルを送った相手に対して、自分の刀の柄に手をかけたら、相手に殺されても文句は言えません。敵対行為だからです。同時に、時代劇のように、キンカンするわけではないのです。鍔で相手の刀を受けて、防御し、それから攻撃に転じます。キンカンしたら、刃こぼれしてしまいます。私は、無外流を学びましたので、ご了承ください。他流の方はどう判断するかわかりませんが、無外流の考えを述べました。以上です。
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この回答へのお礼

回答をいただきありがとうございます!

キンカンしたら刃こぼれしてしまうんですね。勉強になりました!

お礼日時:2011/11/20 21:05

武道とは。



武とは、二つの矛を止めるという意。字体。

つまり、争いをいさめて和と成す、本当の力。

それが強さ。

勝ち負け言っているうちは、序の口以前の問題。

人間は猿ではない。

猿ではない人間の価値を持て。

この回答への補足

回答をいただきありがとうございます!

もしよろしければ、もう少しだけご説明いただきたい部分があります(当然お答えいただかなくても結構です。気が向いたら答えていただければ嬉しいな…というぐらいの質問ですので)

〈その1〉
争いを諌めて和を成すというidonoyokoさんの仰る「本当の力」を培うためにはどのような稽古が必要だとお考えでしょうか?

〈その2〉
idonoyokoさんは、猿と人間(“動物と人間”に置き換えられるでしょうか)の決定的な違いはどこにあるとお考えでしょうか?

補足日時:2011/04/20 21:37
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人を倒す術を身体で学び それを以って人を活かし自分が生きる道を求めるもの



ナイフの危険性はナイフ持ち、そのナイフで傷ついた者が一番よく知っている。

危険性を知った上でナイフを持てば、そのナイフでお腹が空いた子どもにリンゴの皮を剥いてきり与えられ、他人の役に立てる人間になることができる。

柔道経験者(小学生から柔術と柔道の道場に3年ほど通っただけで昇段試験前に問題を起こして止めてしまった半端な経験ですが。^^;)の私が15年ほど前に沖縄剛柔流空手を習いたいと言い出した息子にこんなことを言いました。

息子の空手は10年以上続いていましたが覚えてるのかな?
今度、帰省した時に訊いてみます。
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この回答へのお礼

回答をいただきありがとうございます!

息子さんが覚えてらっしゃれば嬉しいですね。
空手を10年以上学ばれている息子さんにも「武道とは何か」という質問をさせていただきたいぐらいです。

お礼日時:2011/04/19 22:47

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