サンデル教授の問題提起「5人の命と1人の命どちらをえらぶか?」について
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1.走っている電車のブレーキが利かなくなり、汽笛も壊れている。
前には5人の作業員、そのままつっこめば確実に死ぬ。
わきの線路へ自分がハンドルを切れば1人の作業員が死ぬ。
この事実は変わらないとして、あなたが電車の運転手ならどちらを助けるか?

2.橋の上にいる大男を線路に落とせば電車は止まる。
云々
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という有名な倫理観チェックの問題がありますが、

これだといまいち状況的にあり得ないというか、
それほど高くない確率的事象を強引に確定的事象にしているので現実味が無いですよね。

普通に考えて作業員5人は誰かが避ける可能性が高いし、
橋の上から落としても電車にぶつかる前に避ける可能性が高い。


そこで、もうちょっと確定的事象になるように内容を置き換えられないでしょうか?
絶対確実とまで言えなくてもかなり確率的に高いような話であればokです。


よろしくお願いします。

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A 回答 (5件)

 有名なトコではトム・ゴドウィンの『冷たい方程式』なんてのがありますね。


 詳しくはhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%B7%E3%81%9F% …を(ネタバレあり)。
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この回答へのお礼

これもカルネアデスの板に近いですね。

元々助けようとしていた多数がいて、
それが違う1人の存在により妨害されようとしていたならば
それを排除することが倫理上問題になることはほとんど無いでしょう。

ましてやそれが違法行為によるものであればなおさらです。

お礼日時:2011/04/21 23:18

実話だったと思いますが、ゴムボートなどで漂流する話があったと思います。


ちょっと脚色してみました。
仮に6人で漂流していて食べ物が完全に尽き、ひとりの若者が瀕死の重態という設定。
瀕死ではあるが点滴がたっぷりあるので相当の期間生きながらえる確率は高い。
しかし、他の5人は明日にでも飢えで死ぬのは間違いない、という状況。
で、ナイフでこの若者を殺して食べるのは是か非か。

一人より5人の命が助かるので是とするのは、たしか?功利主義。(あるいは帰結主義でしたかよくわかりませんが)
殺すという行為そのものを否定するため不可、が道徳論でしたっけ。
ま、それはさておき、上のような例ではどうでしょうか。
一人が瀕死という条件が加わると、ちょっと意図が違ってきますかね。
また、点滴を使い回せばいいじゃないか、ということにもなりそうですが、それは、元の位置に刺し戻す技術を持っていない、ということにしましょう。
点滴が無いと、いずれ全員死ぬ運命になるわけで、そうするとまた全然違ってくるのでしょうから、点滴は必須ですよね。

もうひとつ考えたのは、
ダムの放流。
係員が放流スイッチを【今まさに】押そうとしている。
離れたところで監督していた自衛隊員が、麓の村にまだ5人が残っているという連絡を受けた。
しかし、係員に連絡する手段はない。
望遠のライフルで係員を射殺して麓の5人を助けるか、または傍観するか。

他にいくらでもありそうですが、条件が条件なので「確率的に高いような話」というのはなかなか難しいと感じました。
    
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この回答へのお礼

それだとカルネアデスの板の話になっちゃいますね。
いわゆる自己の緊急避難における倫理観。

おそらくその場合においては正当性を認める倫理解釈が大半を占めると思います。


質問の例は「他人」を助けて「他人」を殺すから倫理解釈が分かれるのです。


もう一つ出して頂いた例のほうは間違ってないです。
ありがとうございます。

お礼日時:2011/04/21 23:11

さんでるさんのそのお話はTVを見ていませんので回答は知りませんが、私にはよくわかりません。


私だったらハンドルは切らずにそのままにしておくかな、とか思ってしまいます。ハンドルを人為的に切ったために死ぬ人は確実に私の殺人になってしまいますからね。でも5人を死なせてしまったことがむさいの人為的だと訴えられるかもしれないし、答えはないのではないでしょうか。

そこで回答ですが、よく分かりません。たとえば5人をぶっ飛ばす爆弾のスイッチを押さねばゲリラに殺されるという被脅迫の立場に立ったひとの行為が罪に問われるかどうかというのはどうでしょうか?少し違うようにも思います。または本土防衛で怖くて敵前逃亡をした自衛隊兵士が罪に問われるか?というのもかなり違いますが私の疑問でもあります。

フクシマでシーベルとの高い原子炉建屋へ入ってスイッチを入れなければ今にも水蒸気爆発をするという極限状況で、命令された自衛隊員は拒否する自由はあるでしょうか?多分いまどき命令はされず、爆発が起こるままになるように思えます。

そうとう回答を逸らせたようです。
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この回答へのお礼

えーと、質問を読んで頂ければわかると思いますが「答えを求めている」わけではありません。
というか、この質問に答えはありません。
「どちらが罪に問われるか」とかそんな問題でもありません。
ただの倫理観チェックの質問です。
法律上はどちらも一緒だと思ってください。

少数を殺すことで大多数が助かる という状況において
倫理的に「どちらを助けるべきだと思うか」という感覚の変化を知るためのものです。

お礼日時:2011/04/21 16:16

私はアメリカに住んでいます。

私はサンデルさんのことは良く知りませんが、彼の議論の仕方はアメリカ人の典型的な議論の仕方ですね。アメリカで人気があるのは分かるような気がします。多分そのやり方で説得されるのは世界広しと言えどもアメリカ人だけだと思います。

アメリカ人の思考法は、目に前の問題を解決するときにその問題を世界の出来事から孤立させて考える傾向があります。そしてその孤立させた状況から外に出ることを許さず、その中だけで世界が出来ているとして、その中で最上の解答を探そうとします。だから、「そんなこと言っても世の中そうは動いていないよ」と言っても聞く耳を持ちません。ここでのサンデルさんの質問の仕方も、「この事実は変わらないとして」なんて条件をつけてしまって、現実の世界では何が起こりうるかとの思考を停止するように制限をつけてしまい、その中だけで最上の解を探そうとしている。だから「理屈はそうかも知れないけど」ってな気にはなれるんだけど、現実の世界には全く役に立たない結論しかでて来ませんね。

他の例で、私が「へー、アメリカ人てそう考えるんだ」と感心した例を紹介しましょう。それはアメリカのPBSという公共テレビ局で麻薬取り締まりに関するドキュメントでした。アメリカでは各州で法律が違います。ある州で、マリファナを未成年者に売った者には最低20年の刑を施す法律を作りました。その結果、何人もの人が20年以上も牢屋に入ることになった。受刑者がインタビューされて、刑が重すぎると訴えて居りました。そこで、今度はその法律を提案した人がインタビューされておりました。その人は、麻薬がどんなに危険なものであるかを滔々と述べ、ましてやそれを未成年者に売ることがどんなに罪深い犯罪であるかを理路整然と述べておりました。ですから、この問題だけを聞いていると、その法律提案者の言うことは一々筋が通っていました。

ところが、そのインタビューをしている人がその提案者に「確かにマリファナを未成年者に売ることは悪いことかもしれないけど、この州では10才ぐらいの少女を強姦して殺した人間が、12~3年ぐらいの服役後に釈放されていますよね。何かが可笑しいんじゃないですか」と問い掛けたら、「私は今麻薬の話をしているので、殺人の話をしているわけじゃない」の一言でその質問を却下していました。不思議なことにアメリカ人の多くの人は、その答えで満足しているようです。要するに、あれもこれも考え出すと答えが分からなくなるから、話しをそらさないでくれ、と言っているらしいです。

だめ押しに、最近インターネットで出ていた他の例を紹介します。アメリカで、ある50才程の女性が未成年の男性を誘惑して、自分の乳房に触らせたことに対する裁判で、彼女は無期懲役の判決を受けました。その時、やはり女性の弁護士が裁判官に泣きながら「もし、その時に彼女がその男性を殺していたら、法律によると彼女は15年ぐらいの刑で済んでいた。なのに彼女が彼を殺さなかったので無期懲役とは、どうしても可笑しいではないか」と訴えておりました。しかし、裁判官は「残念だが、これは殺人に対する裁判をやっているわけではない」と言う趣旨のことを言っておりました。

サンデルさんはそう言う国で人気があり、生き残って来た先生です。だから彼が物を考えるときには、「人間とは」とか、「社会はどう出来ているのか」と言うことには興味がないようで、要するに今目の前の問題を出来るだけ効率よく解決するために、意識的にその問題を外界から切り離して考えると言う癖が身に染み付いているようですね。

NHKでサンデルさんの番組をやっているらしいですが、NHKの主催者さんたちは、日本人もサンデルさん的な思考法で社会問題を解決出来るように日本も早くアメリカに追いつかなくちゃならない、と焦ってでもいるのでしょうか。
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この回答へのお礼

私には回答者様のその回答こそが
「話をそらさせないためのものでしかない」という決めつけの理論に見えますが。


最近ネット上でもよく見る意見ですが、
一つの理論を出しただけなのに「他の理論を排除している」と否定する。

しかし理論というのはそもそも「例外ありき」で成立しているものであって、
その中の例外を除いた場合の根本的な考え方を示しているに過ぎないということ。


回答にいただいてるような例はそれこそ
「話を変えるために全然違う例を出す」の典型ではないでしょうか?

サンデルさんがそう言ったというのなら別ですが。


切り離して考えるのではなく、根本的な考え方として用いるのです。

それを何でもかんでも事象に当てはめて考えたら提示して頂いた例のようになりますが、
近い事象を探したり、外界の条件を付与して当てはめればそうはなりません。


例えば過去のジェノサイドや現在のリビアなどについて
国連が軍事介入するべきかという倫理観がこれに近いものがあると思います。

こういった戦争について国民の倫理観は概ね反対派です。

まさに「切替スイッチを押して1人を殺す」という行為ですからね。
切替スイッチを押さなければもっと多くの人が死ぬことは明らかなわけですが。

お礼日時:2011/04/21 16:11

サンデルさんが文無しの漁師に夕食のロブスターを狩らせれば


漁師は数日ながく生きるがロブスター300匹は食い殺される

ふつうに食べたがってたけど奴隷はダメでエビならいいのか?
中世の貴族たち奴隷は人間じゃねえよとか反論しそうなんだが
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