人は能力や条件に見合わない理想や向上心を持ち、それを実現しようと
するために苦労したり悩んだりします。
もし理想や向上心がまったくない人間がいたとしたら
それは幸福でしょうか?

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A 回答 (16件中1~10件)

多分、貴方の質問は子供の方が大人より幸せではないのか、と言う質問に重なるのでしょう。

それに関する答えは簡単です。子供は自分で独立して考えることが出来ません。常に親に頼っている。だから、子供が幸せになれることは無いんですね。それが出来るのは大人だけです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2011/05/17 06:44

>もし理想や向上心がまったくない人間がいたとしたら



その理由によるでしょう。
いじけて卑屈になっているなら不幸
完全に自分自身に満足しているなら幸福
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>もし理想や向上心がまったくない人間がいたとしたらそれは幸福でしょうか?



それはもはや人間とはいえないでしょう。
少なくとも、苦節100万年ここまで営々苦労して人間をたくましく繁栄させてきたご先祖の同類とはいえませんね。たとえかれらが”幸福”だとしても、それは次元の違うものです。

>人は能力や条件に見合わない理想や向上心を持ち、それを実現しようと
するために苦労したり悩んだりします。

そういうことです。
そしてささやかなりそれが実現したとき、ひとは極大の幸福をあじわうのでしょう。その瞬間のためにこそひとは日々苦労しています。
通俗的思考ですがそういうものです。
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★ 理想や向上心がない人間は幸福か ★



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

○ それが 幸福である以上 幸福である。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

イエスは言った 石をパンに変えてはならない。
幸福を、ものさしに変えてはならないのである。

ブッダは言った 生まれながらに備わっている。
不幸など、一切無いのである。

故事ことわざには、こうある。
a.人間万事塞翁が馬
b.棺桶の蓋が閉まるまでわからない

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

幸福など本人以外には、わからず、
本人でさえ、死ぬ瞬間まで気がつかないのである。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

相補性において、幸福と不幸の比率である。
幸福を望まなければ、喪失感による不幸も無く
すべてが無に帰したとき、生まれたこと自体による
物質から精神活動への変換は加速的に推移し
超光速さとあいまいさによってベクトル合力R方向に向かう
エントロピーは増大し絶対値としての幸福は幸福である。

結局いつも通り、意味不明な回答になってます。
困ってます!
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>討ち死にばっかやってる若い連中に勝てるんかね



そういえば近年めぼしい失敗をしなくなってきた。
ちゅうことは若い特攻隊みたいなのが上げるかもしれない成果はもう期待できないっちゅうことか。 

仕事上の成功・不成功は確かに50歳ぐらいまでであらかた決まるんかね。

ワシ個人としては心の若さを保ち、驚きに満ちた日々を過ごしながらも、社会の役に立たない人間をやってるっちゅうことか。

当たらずとも遠からずってとこだなぁ。
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嬉しいね。

あたしが常々敬愛する木造米虫と丁々発しで議論出来る。

さて、

>子供のような探究心、

分かるよその気持ち。若いもんが思っているのと反対に年取るほど桁違いに良い質問が出て来るもんなんだよね。良い質問てえのは、良い解答より優れている。でも若いもんと違って、その質問は明日解こうなんて年寄りは考える。だから、若いもんのくだらない質問とちがって、年寄りはいつまでその質問の解が見付けることができないんだ。

でも時には若いもんの癖にそんな年寄りの深刻な疑問に気が付いてしまうことがあって、そんな若いもんが明日でなく今日問題を解いちまう。だから年寄りちゅうのは、若いもんに負けるんだね。まあ、その80の爺は問題の面白さに驚いているんで、それどう解くかは明日考えようと言ってんじゃないかな。

あんたの壮年期の生産性が討ち死にばっかやってる若い連中に勝てるんかね。多分99.99パーセントはあんたの勝ちだろうが、その0.01パーセントで世の中変わっちゃんじゃないんかね。
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六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の


煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・
人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
===抜粋おわり===

サミュエル・ウルマンちゅう爺さまは80歳で自費出版したそうじゃね。

ワシはまだ無理数∪有理数の集合で有理数を選ぶ確率の話を聞いて驚いた。そしていつも驚きへの憧憬を持っちょるがな。

これからも沢山の人生の喜びが待ち受けていると確信し、心をときめじかせる毎日じゃ。

老人やってる場合じゃないね。
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>愚拙はまだ壮年期なんじゃっ!



別に木造米虫の歳を聞く気はさらさらないんだが、あたしゃ50になったときに俺って信長より長生きしちまったのかって思ったね。だから、50過ぎは壮年期なんて思ったことがない。体がどうこうじゃなくって、今まで生きて来た頭の方の歳ってえのんもあんじゃないんですかい。まさか、でえくの棟梁が若いもんと一緒になって玄翁ぶっ叩いてるてえこたあないと思うんだが。それともなにかい、マキタなんかのお陰で、信長より長生きしてるちゅうのにこき使われてるんですかい。
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普通に幸せになれるぞ@でなきゃ原人あたりで滅びてる

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愚拙はまだ壮年期なんじゃっ! (笑)



衰退期に入ったら入ったで、すぐにその時期における幸福の条件を見極めると思うよ。今までもそうだったからね。
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そうですね。そのようにもみえますね。
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哲学カテなのでちょっと御託が長くなってしまいましたね。

>>どうも「幸福を願う心」こそが結果として「不幸への道案内」をしているように思えます。

そうですね。そのようにもみえますね。
「幸福を願う心」をもう少し分析的に捉えると、個人でいえば、幸福になりたいという意味は、欲しいものが手に入る。ということでしょうか。そういう意味での幸福であれば欲望は際限ないですから「不幸への道案内」になりますね。別の質問に愛が欲しいというのがありましたが、これも幸福と同義でしょうね。言葉の意味が正確に使われていないので渇愛のことを愛と勘違いしている...続きを読む

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Aベストアンサー

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代わりに計算してみたよ。

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ただ、まだ成長途中の年齢。
あまり熱心にダイエットすると、ショボイ体のまま成長が止まっちゃうよ。
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体重なんてあくまで目安。他人から体重が見えるわけでもないしね。
体脂肪率とお肌のツヤを重視して、ほどほどに頑張ってね。

バイ

参考URL:http://www.trimpark.co.jp/tool/bmi.html

Q文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、 文学や倫理学や心

文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、

文学や倫理学や心理学等に関しては幾らでも難解な本を読み、その分野についての知識や教養、また、洞察力や分析力、裏読み等には秀でてはいても、

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他に、感受性や素直さや芸術的センス等、誰でも何かしらの得意な分野も苦手な分野もあるものですね?

Aベストアンサー

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

その叱られている方は状況適応が出来ていないんですね。そして学があることが周囲にも分かっているから、周囲はことさらつらく当たるのでしょうね。出る杭は打たれる、です。学問を続けていて思うんです。No6の猪突先生のおっしゃることはごもっとも。人間、左程変わりません。だからその悩んでいる人には、お書きのように、言ってあげたらいいと思います。100%の人はいません。

ただ人間、環境が伴わない限り、幸福にはならないのです。仮に職場の部下にサルトルがいたと想像してみてください。誰も使いこなせないでしょう。話もあわないでしょう。職場環境をぶっ壊す可能性大です。彼みたいな人はフリーの物書きでないと生きていけません。

しかしもし仮に、こういう人が諸事情で、普通の職場に入ってしまったら、どうなのか。環境に溶け込むか。当人の思うままに追求するか。リチャード・バックの『かもめのジョナサン』がちょうどこのテーマですね。

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

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昔から顔も体型も変わりません。
いわゆる痩せ体型で体重は56kgです。
健康診断でも痩せすぎで必ず
引っかかります。
身長は174cmです。
理想の体重は65kgです。
ガチムチになりたいです。
良い方法ご存知の方居ませんか?
どれだけ食べても間食しても体重は
増えません。
教えて下さい、お願いします!

Aベストアンサー

筋肉量を増やすためにはたんぱく質をしっかり摂ること。
もともと痩せすぎということはひょっとしたら筋肉量が少ないかもしれません。
少ない筋肉量で運動しても意味がありません。
まずは良質のたんぱく質とバランスのとれた食事、ミネラル、カルシウム、ビタミンなどをしっかりして、それと併用してトレーニング。
たんぱく質量の多い食べ物はささみのお肉やまぐろのさしみはおすすめです。
それから納豆、豆腐、枝豆なども良いです。
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筋肉の量に対して極端に体脂肪率が高いのではないでしょうか。
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Qある言葉の意味や目的が変化すること。または、ある言葉が複数の意味や目的を持つこと。

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同じ人が同じ人に言う同じような内容の言葉であっても、
その言葉の意味や目的が、必ずしも毎回同じとは限りません。

言葉の目的が変化する場合もあれば、
複数の目的を持つ言葉もあります。

たとえば、小学生のA君が同級生のB君に
「校長先生の新車のガラスを割って来い」と言ったとします。

この言葉は元々『嫌いなB君を遠ざけることを目的とした、ムリな命令』だったとします。

しかし、同じ会話を繰り返すうちに、その言葉が別の意味や目的を持つようになることがあります。
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そのように会話が別の意味や目的を持つようになると、会話の表面的な内容も、
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たとえば「じゃあ、タイヤの空気を抜いて来いよ」等と言った、けっして無理とは言えない内容、
つまり当初の目的である『無理な命令』とは矛盾した内容に変わる場合等が、それに該当します。


そこで質問ですが、上記のような状況を上手く説明する用語や理論等は無いでしょうか?


ご存知の方が居ましたら、ご回答の程、宜しくお願い致します。

お世話になります。


同じ人が同じ人に言う同じような内容の言葉であっても、
その言葉の意味や目的が、必ずしも毎回同じとは限りません。

言葉の目的が変化する場合もあれば、
複数の目的を持つ言葉もあります。

たとえば、小学生のA君が同級生のB君に
「校長先生の新車のガラスを割って来い」と言ったとします。

この言葉は元々『嫌いなB君を遠ざけることを目的とした、ムリな命令』だったとします。

しかし、同じ会話を繰り返すうちに、その言葉が別の意味や目的を持つようになることが...続きを読む

Aベストアンサー

人によって、または同じ人でもその条件や環境によって、意味付け、価値付けが異なる、または変わってしまうということは、よくあることですよね。
それによって、誤解や理解不足がうまれ結果的に、争いに発展したり不信に発展したりすることもよくあることです。

それは、個人の判断のものさしに起因するところが大きいですね。
では、その判断のものさしがどういうプロセスで作られているのか、その判断のものさしが人間社会にどんな影響、プロセスを作り出してきたのかを説明できる理論として、マインドーム理論がというものがありますよ。

Qどの体重が理想的ですか?

みなさんの意見を聞かせてください。
参考にしたいので。

私の現在の身長は162.6センチです。
この身長だったらみなさんは体重何キロが理想ですか?もしくはこの身長だったら何キロの体重になりたいですか?
もちろん計算したりネットで調べれば数値は出てきますがそうではなくみなさんだったらどんな意見か参考にしたいんです。
(1)~(6)の中で理想的な体重を選んでください。
出来たら選んだ理由も教えて頂けると有難いです。
宜しくお願い致します。

『身長162.6に対して』

(1)45キロが理想
(2)48キロが理想
(3)50キロが理想
(4)52キロが理想
(5)55キロが理想
(6)60キロが理想

アンケート宜しくお願い致します。

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Q機械も心を持っている?

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なんでも結構です。お願いします。

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まず「心」という言葉の問題ですが、およそ機械との関係で論じられる時には、「意思や感情」などの総体という意味で使われているのがほとんどではないでしょうか。AI関連で出版されている書籍での「心」は、英語では通常“mind” であって、“spirit”や“heart”、“soul”について論じたものではありません。ここから伺えるように、日本語の「心」という言葉の持つ広いニュアンスのうち、現実には「意思や感情」という意味に限定的に使われているわけです。
つまり「機械と心の関係」を巡る多くの議論の焦点は、ふつう合目的的かつ合理的に作られたものである機械が、自分の意思や感情という一見不合理なものを持てるようになるのかどうか、という点にあるのではないでしょうか。ここが不明確のままだと話が拡散しすぎてしまい、何の議論をしたいのかわからなくなってしまうと思います。(以下、この意味で「心」と書かせてもらいます)

もうひとつ、「機能主義」について。
ものごとについて機能的定義、構造的定義ということが言われます。椅子を例にたとえると、「イスとはその上に座れるものだ」という使われ方に着目するのが機能的定義、「足と背があって尻を置く平らなところがあるもの」という、部分間の実体的な関係性をみるのが構造的定義です。
機械について機能主義の立場が必ずしも「機械に心があると考える」わけではないと思いますが、「心」というものの働きを要素に分解して、パターン認識、計画代数、再帰的管理手続き…という個々の機能群の集合体だとみれば、程度の問題はあるにせよ、個々の機能が実現し得るならその総体である「心」も創造し得るということになるわけで、正確には「原理的には機械は心を持ち得る」というのがその主張でしょう。
(しかし実際にはこのように明快に二分できるものではありませんし、物事の認識にはその双方が必要だ、という現実的な立場をとる人が多いのではないでしょうか)

いずれにしても、「機械も心を持ちうる」という立場の代表的論客として、古くはブライテンベルク(「模型は心を持ちうるか」、哲学書房)がおり、現代ではマーヴィン・ミンスキーが挙げられるのだと思います。
ミンスキーはかつて人間の「心」を「肉でできたコンピュータ」と譬えたことがあります。つまり彼の立場では、「心」は既知の物理法則に則って作動する機械だ、ということになります。

「心」というのは原理的に沢山のプロセス(彼の呼ぶところの「エージェント」)から成り、各々のエージェントは思考を全く必要としない単純なことしかできないが、エージェントたちがレベルやフレームといった構造を通じて十分に複雑な形で社会を構成することで知能や感情を達成している、というのが彼の主張です(ミンスキー「心の社会」、産業図書)。
言ってみれば、「心」の実体は「とるに足りない動作をする無感覚なループと系列」から成る、というわけですから、「心」は現実に機械によって実現され得る、とみているわけです。

程度の違いはありますが、ダグラス・ホフスタッターもこの立場に近いでしょう。彼は、個人的な意見と断りながら「十分に複雑な知能プログラムを持つ機械は必然的に感情を持つようになる」という意味のことを書いています。もちろんこの感情や意思は、プログラムの中に明示的に書かれている必要はないものです(ホフスタッター「ゲーデル、エッシャー、バッハ」、白揚社)。
また彼は、テューリング・テストに合格するようなプログラムが創造されたとしたら、たとえそこに「心」が存在しなくとも、私達はそこに「心」を認めるだろう、とも述べています。

ただこの二人の間には結構な温度差もあります。「女の子が持っていた風船を風にさらわれて泣いた」というような文章を見た時、果たしてプログラムはそれを本当に理解できるのかどうか、という問題です。
ミンスキーなら可能だと答えるでしょうが、ホフスタッターなら、プログラムがそれを知的に理解するということまでは認めても、果たしてそれを“真の意味で”理解していると言えるのかどうか、という点については時期尚早だとして恐らく結論を保留するでしょう。

この二人の違い、「人間主義的論点」により一層の重きを置いて、「泣けないコンピュータには結局心がない」とするような立場が、ひとまず機能主義論点に対する反論となっているのではないかと思います。
この反論では、「理解」とは外形的な機能標準を満たすだけでは不充分で、もっと違うレベルを持つのが人間の「心」なのだ、とするわけです。
ここには確かに深い問題があると思いますが、実際にはAI方面の人達はあまりこの問題をとりあげるのを好みません。この立場は科学的立場を貫くことが難しく、容易に「人間の心は根本的に神秘的な理由によってプログラム不可能だ」という結論に走る危険性があるからです。背景には、人間をその精神性ゆえに高貴とし、その働きの本質は不可知であると考えたい欲求を持つ人が特に西洋には多い現実があるのでしょう。

もうひとつ、機械と人間の持つ「身体」の相違に着目して、結果的に生まれる「心」に相違があるとする見解があります。心身の相関に重きを置く立場で、社会との接点であり思考を枠づけする「身体」が違えばおのずと「心」のあり様も異なるはずだ、というもので、機能主義派の持つ楽観的態度を消極的にではありますが、批判しています。従来の認知科学の前提を批判して認知を「身体としてある行為」とみるF.ヴァレラ(「身体化された心」工作舎)などにその一端があります。

そしてもうひとつ、機能主義に対する論陣が割と少数派であるなかで、異彩を放つものとして、ロジャー・ペンローズのそれが挙げられるようです。
私自身もペンローズの著作は十分に理解できませんので、詳細はうまくお伝えできませんが、彼の立場は、「心」の概念を現在われわれが物理的・論理的にうまく記述できないのは、基本的な物理法則をわれわれがまだ理解できないでいるからだ、というものです。したがって、現在のコンピュータ理論上にあるAI研究では、人間の「心」は絶対に理解できないし創造できない、としてミンスキーやホフスタッターらの方向性を批判しています。
ペンローズいわく、「心」の働きには量子力学を超える深いレベルの法則(量子重力論)が不可欠であり、究極の統一理論であるその未知の法則が人間の思考や意識の働きを実現化させているのだ、というものです(詳しくはペンローズ「皇帝の新しい心」みすず書房、を参照なさって下さい)。

まず「心」という言葉の問題ですが、およそ機械との関係で論じられる時には、「意思や感情」などの総体という意味で使われているのがほとんどではないでしょうか。AI関連で出版されている書籍での「心」は、英語では通常“mind” であって、“spirit”や“heart”、“soul”について論じたものではありません。ここから伺えるように、日本語の「心」という言葉の持つ広いニュアンスのうち、現実には「意思や感情」という意味に限定的に使われているわけです。
つまり「機械と心の関係」を巡る多くの議論の焦点は、ふつ...続きを読む


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