父が心筋梗塞を数年前から煩っており、今でも治療を続けております。
現在は、京都市立病院でお世話になった先生が開業したクリニックで
お世話になっているのですが、外科的治療が必要な場合は他病院連携
を取るという体制だそうです。

私としましては、発作が起きた時の事を考えると、全ての治療が一貫
して行え、優秀な先生と設備、体制が整った病院をと考えております。

どなたか良い病院をご存じでしたら、教えて頂けないでしょうか?
タイトルには京都市と書いていますが、京都市近辺でも結構です。

何卒、よろしくお願い致します。

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A 回答 (5件)

京大病院も国立病院も大きな病院の大半が、外科的治療や緊急を要する治療に絞ってきており、日常の治療は提携の開業医に振るシステムを取っています。

お住まいが京都のどこかわかりませんが、心臓の場合、万一停止したら、時間と生存率が反比例していくので、ご自宅から出来るだけ近いところがいいと思います。
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京都桂

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こんばんは。



丸太町病院、三菱病院、武田病院、島原病院でしょうか。
あくまでも噂で聞いただけですが、質問文の条件にはあてはまっているような。
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私の父も心臓病です。


心筋梗塞が何回も悪化し、バイパス手術、ステント挿入手術をしました。
愛知県在住で、市内の病院に通院していましたが、前述の手術で紹介されたのが、
同じ愛知県の豊橋ハートセンターでした。
http://heart-center.or.jp/jp/
病院で、同室になったのが東北在住の男性で、奥様と一緒に手術を受けに来られていました。
その後、同じ愛知県に系列病院で、
名古屋ハートセンターができました。
http://nagoya.heart-center.or.jp/
京都から名古屋なら、1時間程度ではないでしょうか?
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この回答へのお礼

情報ありがとうございます。
現在は、手術等が必要な状態ではないようですが、
状況次第では起こりうることですので、こういった
情報もありがたいです。
重ね重ねありがとうございました。

お礼日時:2011/04/21 23:20

兵庫県であれば、東宝塚佐藤病院に、カテーテル専門医がいます。



その人は結構有名らしいので、距離が気にならないなら行ってみるのも一つですが。
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この回答へのお礼

情報ありがとうございます。
選択肢の一つとして参考にさせて頂きます。

お礼日時:2011/04/21 23:21

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Q戦国期・武田家の高坂昌信について

俗に”弾正”といえば、
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保科正俊「槍弾正」
あたりは有名ですよね。調べてみると、真田幸隆「攻め弾正」なんてのもあるようです。

そしてこの言葉に従えば、なんだか高坂昌信だけは蔑まれていますよね…
いずれにせよ「逃げ上手」というのも、戦国期においては重要な戦略上の能力とも考えられ、もはや「逃げ弾正」というのは褒め言葉だったのでしょうか?
高坂昌信「”穴”弾正」なんかよりは「逃げ弾正」の方が救いがある気もしますが、いかんせん「逃げ弾正」って表現はどうなのかなと…

「逃げ弾正」と「攻め弾正」のセットで表現されているのならばアレですが、その中に「槍弾正」が入ってくると蔑まれ感が倍増します。

とにもかくにも「逃げ弾正」とはどのような意味を込めて、高坂昌信を表現した言葉になるのでしょうか?高坂昌信の活躍を考えると「逃げ弾正」という言葉が、どうにもふに落ちないので…

Aベストアンサー

退却が上手く 逃げながら敵を殲滅させたツワモノ
さらに槍や弓矢が当たらず逃げる様にかわしていたから「逃げ弾正」


ちなみに織田信長 松永久秀も弾正でした

Q肺がん生検しなくても放射線治療できますか? 90歳の父に肺がんが見つかりました。放射線治療が良いみた

肺がん生検しなくても放射線治療できますか?
90歳の父に肺がんが見つかりました。放射線治療が良いみたいなのですが、生検と言って、針を肺にさして、細胞をとる検査をしなければ放射線治療できないということです。生検は、90歳にはリスクがあるそうです。生検をせずに放射線治療できるところ、ご存知でしたら教えて下さい。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

妻70歳で肺がんに亡くしました。

一番副作用が少ないという放射線治療20回照射もしましたが、骨が弱ってしまい背骨骨折で激痛、今度は、骨を強くする点滴を毎月。

抗がん治療も。ハッキリ申し上げて、何もしなのが一番よかったと。90歳のお父さんを苦しめずに、余命を家族そろって楽しく暮らすのが一番です。妻は肺のガン潰瘍45mmから13mmに縮小しましたが、ガンでは死亡せず、治療のための副作用に心臓が耐えきれずに、逝ってしまいました。治療を始めるまでは通常生活でしたが、治療を初めてすぐに、ガンでない痛み、下痢、嘔吐、やけどのような皮膚のただれ、それでも、治したい希望で抗がん治療に。3年半、苦しみまくり、最後の半年は、自分で起き上がることもできずに。

最後は、医師の診断中、息子も私も立ち会っているときに、心臓停止、医師は、まだ蘇生できる可能性はあり、と心臓マッサージを始めましたが、息子も、もう逝かせてあげてください、と。

何もしなければ、1年以内余命宣言でしたが、せめて自分の足で歩ける、食事もおいしく頂ける、体に優しい旅もできる期間が長かかったのに残念です。

標本採集の生検は、手術室で全身麻酔をして標本採集で手術と同じ。体の負担もすごいです。

妻70歳で肺がんに亡くしました。

一番副作用が少ないという放射線治療20回照射もしましたが、骨が弱ってしまい背骨骨折で激痛、今度は、骨を強くする点滴を毎月。

抗がん治療も。ハッキリ申し上げて、何もしなのが一番よかったと。90歳のお父さんを苦しめずに、余命を家族そろって楽しく暮らすのが一番です。妻は肺のガン潰瘍45mmから13mmに縮小しましたが、ガンでは死亡せず、治療のための副作用に心臓が耐えきれずに、逝ってしまいました。治療を始めるまでは通常生活でしたが、治療を初めてすぐ...続きを読む

Q武田家四天王について・・・

武田家の四天王(馬場信房・内藤昌豊・高坂昌信・山形昌景)
は高坂を除いて長篠の戦いで討ち死にしますが、
その子孫たちはどうなったのでしょうか?

一族すべて滅亡したのか、大名になったのか、旗本になったのか?
教えて下さい。 

Aベストアンサー

手元の資料で、調べてみました。あまり詳しい情報ではないのですが、
わかった事だけでも、と思い書き込みいたします。

・馬場信房の子孫

 家督は弟の信頼が継ぎ、子孫は徳川家康に属して幕臣となったようです。

・高坂昌信の子孫

 これがよく分からないのですが、子孫と思われる人として宗景、員盈、義宗、森盈、
 などの名前があります。
 直系の子孫は甲斐の国の郷士になったよですが、その他の子孫は各地に散らばったようです。
 天保年間の歌人、春日昌預は、昌信の5代目子孫だとか。
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・内藤昌豊の子孫
 内藤昌豊には、養子の昌満がいました。昌満は主家滅亡後は織田・北条
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・山形昌景の子孫
 昌景の死後、子の信継や昌純は徳川家の家臣となったようです。

お役に立たないかもしれませんが、何かのヒントになれば幸いです。

Q千葉県内の膝関節症治療で注射による治療をされている久保田医院(病院?)

千葉県内の膝関節症治療で注射による治療をされている久保田医院(病院?)さんについて、教えてください。
 母親が変形性膝関節症と診断され、現在治療中です。
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 たまたま母親がとあるところから、千葉県内で久保田医院(病院?名前が多少違っている可能性もあります。)という病院で注射を使った治療をしており、その注射を受ければ1回の治療で治るような話を聞いてきました。
 この久保田医院さん、並びにそこで行われている注射療法についてご存じの方がおられたら、その治療方法や内容等(ステロイドでしょうか?)を教えてください。
 よろしくお願いいたします。
 (ちなみに、ネット上にて調べては見ましたが、同名の医院の住所等まではわかるものの、そこがその注射療法を行う病院なのか、またどういった治療内容なのかなどまではわかりませんでした。)

Aベストアンサー

詳しいことはわかりませんが、一般的に膝関節に用いる注射はヒアルロン酸(アルツ、スベニール)、ステロイド(ケナコルト、デカドロンなど)、プラセンタ(ラエンネック、メルスモン)などです。

一回でという即効性を考えるなら、ステロイドの可能性が高いと思います。しかしこれは関節の動きに高度な障害があるときは、効果は望めないかもしれません。場合によってはあくまでも対症療法です。私は多少時間はかかっても、まずはヒアルロン酸をお試しになられた方がいいと思います。

Q武田家臣の「昌」の字

飯富虎昌、山県昌景、高坂昌信、内藤昌豊、真田昌輝、真田昌幸…。武田家臣には「昌」の字が多いですが、これは誰かからの偏諱を受けているのでしょうか? 主家である武田氏にも足利将軍家にも「昌」の字を持った人がいないように思うのですが…。

Aベストアンサー

「昌」の偏諱は武田氏16代当主、武田信昌のものだといわれています。
世代でいうと、武田信玄の3代前にあたります。
甲斐武田氏は室町時代から代々甲斐守護の座にありましたが、戦国初期において
甲斐国内の有力豪族をおさえ国主としての座を確立したのがこの信昌の代といわれています。
その経緯として、甲斐国内の豪族たちに「昌」の偏諱を与えていたのかもしれません。

Q父が脳梗塞 大病院で診療科目を複数受ける場合

父が脳梗塞で倒れ、運ばれました。
かかりつけの病院には運んでもらえず、初めての病院での入院になりました。
今は右半身が全く動かない状態です。
1~2週間はこの病院で様子を見て、リハビリ専門の病院に転院になると、説明を受けました。
父は、潰瘍性大腸炎も患っています。
脳梗塞は血流をよくしなければいけない病気で、潰瘍性大腸炎は下血を止めなければいけない病気なので、治療方法が逆になるそうです。

大病院の先生は、そういった複数の病を持った患者について、先生同士話し合って治療方法を決めてもらえるものなのでしょうか?
また、リハビリ中心の病院に転院した場合、潰瘍性大腸炎についての診察もそこで受けられるものでしょうか?

まだ気が動転していて質問内容が定まりませんが、これから私達家族がするべきことも教えていただけたら・・・と思います。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

お父様の急なご病気、ご心配なこととお見舞い申し上げます。ましてやかかりつけの病院ではなく大きな病院での治療が必要になられたということ、皆様のご不安なお気持ちお察しします。

潰瘍性大腸炎を患っておられたということですが、最近のご病気の状態はいかがでしたか? 飲み薬で症状がきちんとコントロールできている状態だったのでしょうか。

今は手足のマヒも出ておられるということですから、脳梗塞の治療を優先せざるを得ないと思いますが、その場合に潰瘍性大腸炎を悪化させる可能性があるというご説明を受けられたのですね。ご不安に思われるのも当然ですが、治療に際しての説明義務を果たす必要がありますので、その辺の事情もご理解いただけるとありがたいです。

大病院で内科の中でも専門分化していることはよくあります。医師の間で相談したり、アドバイスを求めたりすることは日常茶飯事ですから、その点でのご心配は無用かと思います。形式ばって外来を受診するという形をとらず、病棟でカルテ上で討論したり、医局で相談していることも多いです。
ただ、普段かかりつけの病院で診て頂いていたのなら、お薬の内容や大腸炎の症状がひどかったときのカメラの所見などを、今の主治医にお知らせしておくことは必要です。主治医の方から問い合わせをしているかもしれませんので、その旨確認なさってはいかがでしょうか。

今後リハビリの病院に移られる場合にも、潰瘍性大腸炎が飲み薬できちんとコントロールできているようであれば大丈夫でしょう。その分野の専門の先生がおられるかどうかは病院によりますが、内科の先生がおられれば、よほど症状が増悪して専門治療が必要な状態でなければ診てもらえます。いずれにしても受け入れが可能かどうかは事前にお返事をもらえますので、門前払いになることはありません。もし今回の治療の影響で潰瘍性大腸炎が増悪した場合にはきちんと治療して落ち着いた状態になってから転院という予定になると思います。
転院されるときにはかかりつけの先生からの情報も含めて、今回の主治医からきちんと診療情報提供書を書いていただいてくださいね。

右半身が動かないということは、言葉も出にくくなっていたりすることがありますから(左大脳での脳梗塞の場合に限りますが)、お父様自身もかなりショックを受けていらっしゃると思います。大変だとは思いますが、まずはmammmaさんがお父様とご家族をしっかり支えて差し上げてください。

少しでも早く快方に向かわれますようお祈り申し上げます。

お父様の急なご病気、ご心配なこととお見舞い申し上げます。ましてやかかりつけの病院ではなく大きな病院での治療が必要になられたということ、皆様のご不安なお気持ちお察しします。

潰瘍性大腸炎を患っておられたということですが、最近のご病気の状態はいかがでしたか? 飲み薬で症状がきちんとコントロールできている状態だったのでしょうか。

今は手足のマヒも出ておられるということですから、脳梗塞の治療を優先せざるを得ないと思いますが、その場合に潰瘍性大腸炎を悪化させる可能性があるという...続きを読む

Q武田氏家臣の「昌」について

武田信玄・勝頼の家臣の名前を見ますと、「昌○」という例が目につきます。

山県昌景
高坂昌信 (史実では春日虎昌?)
内藤昌豊
原昌胤
真田昌幸
土屋昌次
小幡昌盛

普通に考えれば、武田家当主の偏緯を受けたのだろうとなりますが、武田信玄の名は「晴信」です。信玄の初名が例えば「信昌」で、足利義晴の偏緯を受けて「晴信」としたのであれば納得できますが、そんな史実は聞いたことがありません。

「昌」の由来をどなたかご存知ないでしょうか。

Aベストアンサー

まず、家臣への名前の拝領法則ですが法則性があります。
家康の場合は
家 松平や石川家成などの縁続きの功労者
康 縁続きではないが信任されている家臣や領主
という法則があります。

信玄の場合、晴は将軍家からの字ですので、これは与えることができません。
よって信だけが与えられる文字となります。となると、功臣に与えることが可能なのは信の字ですね。ただこの文字、拝している人はほとんどが身内です。信玄の懐刀のような家臣でも拝領している人はほとんどいません。
これは信の字が武田家の一門の字であるせいだと思われます(真田氏の信は別物。これは真田氏の命名基準でつけたもののようです)。
そうなると信玄に与えることができる文字がありません。よって別の文字が必要だったのでしょう。

昌の字なのですが、このような経緯で必要になったのかと思います。由来はNO1の人のであっているかと思います。信玄以前にこの文字をつけたのは彼しかいません。
そして父は信玄がクーデターで追い出した人物、そして祖父は内乱によってなんとか家督を手にしたもののすぐに病死した人物です。
自分に一番近く、かつ名君であった人物は曽祖父の信昌となります。
よって、この字を自分の名前の変わりに与えることで、信頼の証としたのだと思います。

まず、家臣への名前の拝領法則ですが法則性があります。
家康の場合は
家 松平や石川家成などの縁続きの功労者
康 縁続きではないが信任されている家臣や領主
という法則があります。

信玄の場合、晴は将軍家からの字ですので、これは与えることができません。
よって信だけが与えられる文字となります。となると、功臣に与えることが可能なのは信の字ですね。ただこの文字、拝している人はほとんどが身内です。信玄の懐刀のような家臣でも拝領している人はほとんどいません。
これは信の字が武田家の...続きを読む

Q治療法をくと父には適用できない一般論をいう医師

主治医に重病の父の今後の治療法を聞くと
手術でとるか注射で小さくすることもできるとのこと。
念のためセカンドに行き、そこの医師には手術はもうできない
といわれました
そして外来で
主治医のすぐ下の医師に聞くと
やはり手術できないk段階だと。
しかし主治医はいってましたというと
<一般論でしょ。>
といわれました
そんなことありますか?
父の今後の治療方針を聞くと
父にはもうできない一般論をいうなんて。
これは
主治医の勘違いでしょうか?
あるいはなにかほかの治療を知っているすごい先生でしょうか
セカンドに行くというからどうでもよくなった患者だからでしょうか

とても冷たい感じの
病院の部長という立場の先生が主治医です

Aベストアンサー

ある程度、進行してしまうと有効性が示されている治療法がない状況になる事はよくあります。この場合、それでも奇跡を信じる家族と家族のためになんらかの治療法を提示する場合があります。それがここで言われている”一般論”的な治療法と思われます。

Q長篠合戦 武田軍の敗因は?

長篠の合戦で武田軍は何故敗れたのでしょうか?

そもそも織田信長による鉄砲隊の一斉射撃は無かったわけだから
だとしたらいくら勝頼が愚将でも山県や飯富、馬場美濃に高坂といった武田二十四将や
甲陽五名臣といった最強クラスの武将が そうあっさりと織田 徳川軍に負けるでしょうか?

織田軍には当時 中国計略中の羽柴秀吉や北陸で戦っていた柴田勝家 前田利家らのエース級の武将が不在だったわけで どう見ても織田軍に勝ち目はなさそうなのですが…

Aベストアンサー

戦争においては、兵力の多寡が大きな影響を与えます。昔だろうが今だろうが、基本的に兵力が多いほうが勝ちます。例えば城攻めを除けば名作戦が少ないといわれる秀吉ですが、しかしほとんどの戦役に勝利をしています。九州攻めしかり、小田原攻めしかり。九州攻めも一部で大敗しましたが、最終的には勝利しています。なぜ秀吉が勝ち続けられたのかというと、やる前から勝てるだけの兵力を集めたからです。つまり最初から「こりゃ勝つだろ」というだけの兵力を集め運用したことが秀吉の凄さであったといえます。
あの孫子の兵法書にも、名将というものは本来「戦う前から勝てる体制にしておく」ものであると書いてあります。

さて、武田軍というとやれ二十四将だのなんだのといわれていますが、まあ過度に宣伝されている部分もあります。どこかの質問者さんのように捏造というつもりはないですけどね。
その武田軍どころか名将武田信玄と直接戦って大敗したのが徳川家康です。ご存知、三方ヶ原の合戦です。ところがこの三方ヶ原の合戦、家康は大敗していながら主だった家臣を誰も失っていないのです。あの本多忠勝を始め、後に関ヶ原の合戦の前哨戦の伏見城の戦いで壮烈な戦死をとげる鳥居元忠や赤備えで有名な井伊直政ら、誰も戦死していないのです。つまり、戦いには負けたものの、徳川軍は弱くはなかったのです。
というか、あまり知られてないのですが、家康の野戦指揮能力って信玄や謙信クラスに匹敵するんですけどね。小牧・長久手の合戦の野戦指揮なんてまさに変幻自在というべきものでしたしね。

だから、武田軍は精兵、織田軍は弱いなんてよくいわれますけど、確かに織田軍は強くないけど、徳川軍は武田軍と互角の実力を持っているのですよ。
そして、悪魔的にドSの信長は長篠の合戦でも要となる設楽ヶ原南部にその家康を配置します。設楽ヶ原北部は起伏がある地形で、さらにそこに織田軍は柵を作り、空堀を掘りました。つまりそこにちょっとした城を築いたのです。それでそこに大量の鉄砲を用意して万全の「防御陣地」としました。
一方、設楽ヶ原南部は地形が緩やかでかつ開けています。そこに徳川軍が配置され、周到な信長は徳川軍が突破されたときに備えてその背後に息子の信忠を隠しておきました。つまり信長は家康を使い捨ててもいいと考えていたのです。ドSですね!
実際問題、戦いが激しかったのはこの家康が担当した設楽ヶ原南部だったのです。

つまり信長の戦略は、織田軍の正面の北部戦線は陣地と鉄砲でしっかり守り、南部は徳川軍をこき使って勝てば上々だし、仮に徳川軍が突破されても戦略予備の息子信忠が武田軍を食い止めるから無問題というものであり、実際に信長の戦略の通りになったのです。

長篠の戦役において、武田勝頼は戦術的勝利を追求するしかありませんでした。精鋭武田軍を率いるのであれば、戦術的勝利は見込めますからね。戦術的勝利が突き抜けることで戦略的勝利につなげようとしていたのです。
しかし対する織田信長は最初から戦略的勝利を狙っていました。信長にとっていちばん恐れていたことは、織田・徳川連合軍の数の多さに勝頼が驚いて、決戦を避けて撤退されることでした。だから、まるで武田軍を恐れているかのように腰が重い動きを見せたり、息子信忠の軍勢を隠したりして「織田軍は精兵武田軍との決戦を恐れている」あるいは「両軍の兵力はほぼ互角である」と思わせようとし、そしてそれは成功したといえるでしょう。
稀代の戦略家、織田信長の方が一枚も二枚も役者が上であったということですね。

戦争においては、兵力の多寡が大きな影響を与えます。昔だろうが今だろうが、基本的に兵力が多いほうが勝ちます。例えば城攻めを除けば名作戦が少ないといわれる秀吉ですが、しかしほとんどの戦役に勝利をしています。九州攻めしかり、小田原攻めしかり。九州攻めも一部で大敗しましたが、最終的には勝利しています。なぜ秀吉が勝ち続けられたのかというと、やる前から勝てるだけの兵力を集めたからです。つまり最初から「こりゃ勝つだろ」というだけの兵力を集め運用したことが秀吉の凄さであったといえます。
あ...続きを読む

Q脳梗塞で倒れた父の治療とリハビリについて教えて

87歳の父が約4か月前に脳梗塞で倒れました。この度皆様のお知恵を拝借したいのは、現在の治療方法についてです。

脳梗塞は左脳の半分くらいの大きさで、現在、左手左足が麻痺している状態で栄養は鼻からチューブで取っています。

右手は、握力もある程度あり、よく動きます。
右足は、最初は自らの屈伸などもできたのですが最近は自らはしなくなりました。
私がゆっくりと屈伸などさせてあげると、少し痛いそうです。

左手足は全く感覚がないようです。

会話はできます。
話しかけると、ほぼ的確に返答してくれます。
ただ、夢と現実が交錯しているようなお話をすることもあります。

好きな音楽を聞かせてあげると、感想も言えます。

脳梗塞発症から2か月間は救急病院に入院し、その後今の病院に転院しました。

現在の病院も、本命のリハビリ病院に行くための順番待ちのための、経過的入院です。


以下は現在の病院に転院してからの検査で分かったことです。
MR画像では、心臓から脳へ行く血管の片方が非常に薄く、(これは今回の脳梗塞が原因なのか生まれつきなのかはわからないと主治医はおっしゃいます)、
あわせて、造影剤撮影で、腹部大動脈の乖離が見られるが、緊急ではなく年齢と体力も考え手術はしない、という診断をされています。

そのため、脳梗塞治療としては血圧をある程度上げた方がいいのに対し、動脈乖離に対しては血圧を下げた方がいいとのことで、今は薬でバランスが取れており血圧は安定しています。


主治医がおっしゃるには、現在は嚥下訓練や運動訓練などのリハビリをすると、血圧が上がるリスクを伴うということで、まったくリハビリができていない状態です。

ちなみに、初回の救急病院では、少しですがプリンを食べることはできました。

家族としては、父の「食べたい・飲みたい」という積極的な思いが聞き入れられずもどかしさを覚えますし、このまま病院の意思に沿ってリハビリなしでただ寝ているだけでは、このまま衰弱してしまうのではないのかと心配です。


そこで皆様のお知恵を拝借したのですが、
このまま病院の方針にお任せするのが良いのか、それとも何か他にいい方法が考えられるのか?
皆様のお知恵を拝借できましたら、大変ありがたいです。
どうぞよろしくお願い致します。

なお父は、数年前に心臓にステントを入れましたが、倒れる前夜まで大変元気にしていました。

87歳の父が約4か月前に脳梗塞で倒れました。この度皆様のお知恵を拝借したいのは、現在の治療方法についてです。

脳梗塞は左脳の半分くらいの大きさで、現在、左手左足が麻痺している状態で栄養は鼻からチューブで取っています。

右手は、握力もある程度あり、よく動きます。
右足は、最初は自らの屈伸などもできたのですが最近は自らはしなくなりました。
私がゆっくりと屈伸などさせてあげると、少し痛いそうです。

左手足は全く感覚がないようです。

会話はできます。
話しかけると、ほぼ的確に返答して...続きを読む

Aベストアンサー

リハビリ期になられたら その病院で どの様なリハビリをしているか

付き添い よく観ておくと良いと思いますよ。

病院から 「こういうリハビリをしてください。」と、説明&指示があると思いますので

その説明・指示に従うのが 一番安全ですし 効果的だと思いますよ。

ここは 一般論しか話せないですし お父様の状況を詳しく知るすべがないので

医師&看護師の 説明&指示が一番だと思いますよ。

私の父も数年前に 脳梗塞になりましたが 今は少し左手に力が入らない程度まで回復しました。

お父様が 少しでも 回復される事を 願っております。

また 御家族の皆さんも お体には ご自愛下さい。


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