民主主義って、私の理解だと「みんなで話し合おう」「人それぞれの意見を尊重しよう」との考えが根っこにあると思ってます。(違ってますか?)
で、これってなんか変だと、前々から気になってます。
「みんなで話し合おう」と考えていない人もいますよね、実際には。「人の意見なんか関係ない」って考えも。
そんな考えも「尊重しよう」というのが民主主義なんでしょうか?
矛盾していると思うんですよね。
自分を否定する人を肯定してませんか?
「みんなで話し合おう」「人それぞれの意見を尊重しよう」って全ての人が考えているってのが前提なんですか?そうじゃない人は無視しているのですか?なんか予防線を張っていますか?

どうなんでしょう?
私の考えって変ですか?

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A 回答 (30件中1~10件)

 ANo.29です。

どうしてもANo.22の方の回答が気になりますのでこのような形での連答をお許し下さい。
「訳語」の意味を含めてのANo.22の方の回答には理解不足に基づく誤解が多々ありますが、最も気になったのは次の一節です。「必ず、国民全員の意見が統一できるわけありません。民主政において、多数者は少数者に対して最も残酷な抑圧を加えることができる。という言葉はエドマンド・バークの有名な言葉です。
悪い言葉ですいませんが、民衆は馬鹿です。なぜならば、全体主義や、衆愚政治(モボクラシー)になるからです。扇動に弱い、熱狂、狂信(進歩、平等、人権、国民主権)をする。結局は、独裁者によって、支配されます。法を無視し、権利のみを要求する(義務は欲さない)完全に退行します」
 エドマンド・バーグの言葉を引用し多数派による少数派の圧殺を強調しているものの、エドマンド・バーグの言説そのものが果たして正当な判断であるか否かも十分に検証してはいません。
 民主主義を支える一つの要素である「多数決の原理」に沿う形での意思決定があることも事実ですが、それにも一つの「前提」があることも明白です。質問者様はこの意思決定のプロセスに於いて「自らの意思を示す機会を放棄している?人が参加することを否定しているのではなかろうか。それでは民主主義とやらの本来の姿とは乖離しているのではなかろうか」との疑問を呈しておられます。
 しかしながらこれを否定する形でANo.22の方は「悪い言葉ですいませんが、民衆は馬鹿です。なぜならば、全体主義や、衆愚政治(モボクラシー)になるからです。扇動に弱い、熱狂、狂信(進歩、平等、人権、国民主権)をする。結局は、独裁者によって、支配されます。」と続けます。ANo.22の方の認識の背景には「民主的と呼ばれるワイマール憲法体制下でなぜヒトラーによるナチス政権が台頭したのか」との疑問があり、それと短絡させる形で「民主的な体制がなければヒトラーの独裁を阻むことができた」との結論に達しているのかと思われます。当時のドイツにはヒトラーでなくともファシズムが生み出される土台は十分にあったとの認識が現在の政治学や歴史学からの検証では明らかにされていることも確かです。 
 少なくとも「民主主義」と「全体主義」は相容れることのできない形態です。運動としてのベクトルは全く逆の方向を志向している。民主主義には「現実と照合し間違っていたら質して直す潜在能力」が現実と民主主義の理念の双方にあり、相互検証に基づく相互批判の形で「進化(若しくは深化)」を続ける、と私は考えております。つまり「これが“民主主義”だ」として決まった形があるわけではなく、その中身を如何に構築していくかが民主主義に求められるべき最終課題であると存じます。
 民主主義にとっての最も大事な拠り所、それは「権利としての言論の自由」をはじめとする精神の自由であり、何よりANo.22の方が主張する自由もそれによって保証されているわけですから、ご自身が力説されるような中川某氏の提起する「進歩、平等、人権、国民主権など制限すべし」とのスタンスに基づく政治体制が現出した時には「あなた自身が排除される可能性」がある、とのことも考えるべきでしょうね。
  
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/06/27 17:23

 まだ議論が続いていたので回答することをお許しいただきたいと存じます。


質問者様ご自身の混乱が多分に起因しているのではないでしょうか?。質問者様は「みんなで話し合おう」「人それぞれの意見を尊重しよう」との考えが根底にあると認める一方、異なる意見を持つ人の中には議論など参加しないとの立場もあり、其れを認めることも「民主主義」なのか、との疑問を感じている。
 一見して矛盾を内包しているよう見えますが、そこには矛盾など全くないと思われます。「異なる意見の存在」を認めていることで既に議論は始まっている。そこに異見を主張する当事者がいなくとも、それを代弁することで議論を深めることも可能です。
 その議論に「全員が参加する」ことは本来的な意味から言えば望ましい事であり、それを達成することが学校の試験的な観点からは合格点といえるでしょう。けれども「民主主義」を政治システムとして現実に運用する時、果たしてそれは完全に可能なモノとして摘要できると言えるでしょうか?。
 答は「ノー」です。近代以後の国家および政治システムでは直接民主制は機能し得ません。機能しうるのは間接民主制のスタイルでしか成り立たず、そのために「他の意見も尊重する」ことが求められる。その手法として議会に自分達の意見を反映してくれる人物なり団体を選ぶこと、これが議会制民主主義と呼ばれる形です。
 社会生活を営む中で私達は否応なしに「政治」と付き合って生きるしかありません。そして現実の中で生じる様々な問題に解答を出すことができる場所も「政治」でしかありません。「政治の場」以外にはありません。ANo.22の回答者の答と質問者様の疑問はこの意味で同根を有する問題であると存じます。
 民主主義の原点である「衆知の蓄積」は制度としての民主主義を支える最も大切な要素です。そこに「予防線を張る」「異見は排除する」との姿勢を持ち込むことは「(政治システムとしての)民主主義のあり方」に死刑宣告を突きつける事と等しいのではないのか、と僕は考えます。
 古代ギリシアから始まったとされる「民主政治」にも「これが『民主政治』だ」という明確な概念はありません。またそうして性急に結論づける姿勢そのものが民主主義のポリシーに逆行するものでもあります。
 国家に対する国民の立場は「主権者」です。本来の力関係においては主権者の立場が上位に位置するものです。
 残念ながら日本では未だに「民主主義」「政党政治」「代表制民主主義」が政治意識として成熟しているとは言い難いことも現実です。議会や政治権力をパワーゲームの場と捉え、企業や団体・宗教組織に依存して「数の力」を頼みとし、自らの「就職の場」と位置付ける人(当人はそう思ってはいないかもしれないが、傍目からみれば丸見え)も少なくありません。けれどこうした「堕落」したように見える現状を打開する!として維新や改革を気取る人達の言葉こそ、本当は注意して観察していかねばならないという事が歴史の教訓です(ドイツのナチス政権やスペインのフランコ独裁政権、スターリニズム、毛沢東に率いられた文化大革命などの粛清の嵐、更にはレーガン・サッチャリズムの「新自由主義」等々)。
 ところで質問者様はANo.22の方のコメントをどう思われましたか?。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>No.22の方のコメントをどう思われましたか?
中学生にしては、しっかりしているなぁと。

お礼日時:2011/06/27 17:25

♯27です。



>参考になる文献

たいていの憲法基本書には書いてあると思いますが、今でも名著として定評のある書籍を二つ紹介します。法律学全集3の「憲法I(清宮氏郎)」と「日本国憲法概説(佐藤功)」です。
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思想や言論の自由が保障されている限り、どんな考えを持っていてもいいし、社会に向かってどんな言論を行うことも基本的に自由です。

たとえその言論が民主主義を否定する/破壊する思想であったとしてもそれが「言論」や「政治活動」にとどまる限り許容されている、それが民主主義社会です。言論や政治活動にとどまる限り、言論の自由が保障されている社会では民主制の過程(選挙のこと)を通じて諸個人にその是非を問うことができるからです。

上記の意味(思想・政治活動レベル)では、「民主主義を否定する考えを許容する民主主義」は矛盾していないでしょう。思想としての民主主義の側面です。

しかし、問題は、たとえば民主制の過程を通して「民主制の過程(選挙制度)」そのものを否定することができるのかということですね。これは憲法学の方では昔から「憲法改正の限界」として論じられてきた論点の一つです。憲法の基本原理(民主主義など)も憲法改正手続きに則り改正することができるのかという形で論じられる訳です。

そこでは、民主主義であることを当の民主主義の手続きを通して止めるのは憲法の自殺であり認められないとか、いやいやそれが国民の意思ならばすべて認められるべきだなどとか、なんの憲法はその時の国民だけのものではなく将来の国民のものでもあるので認めるべきではないとか色々な考え方があります。今はどちらかというと、憲法改正手続きをもってしても基本原理の改正はできないというのが通説のはずです。質問者さんと同様に民主主義を実現する手段を通して民主主義を否定することを許容するのは矛盾だと考える人が多いのだと思われます。

上記の通説的な考えでは、民主主義制度の否定は民主主義の枠の中では実現できず「革命」しかありません。つまり、制度としての民主主義の側面では、民主主義の自己否定は民主主義の枠外というわけです。質問者さんの考えが「憲法改正の限界」と同質であるなら、あながち変という訳ではなく、むしろまっとうな考えと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>しかし、問題は、たとえば民主制の過程を通して「民主制の過程(選挙制度)」そのものを否定することができるのかということですね。これは憲法学の方では昔から「憲法改正の限界」として論じられてきた論点の一つです。

参考になる文献を教えていただけませんでしょうか。

お礼日時:2011/05/06 14:14

原秀男著「価値相対主義法哲学の研究」

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

司書さんにお願いして県内全ての図書館を検索してもらいましたが、残念ながら蔵書にありませんでした。

お礼日時:2011/05/06 14:11

ANo.24です。



> ・・・釣りじゃないんですけどね・・・
では、そのつもりで続けましょう。

> 約束するというものです
> 勝手に約束されても困ります」って意見には、どう対処するんでしょう?
この場合の「約束」は契約ではないことは言うまでもないです。民主主義で行こうという人たちの立場表明ですから、非民主主義者が困ることは何もないでしょう。

>> あなたがそれを言う権利は命がけで守るつもりだ
> 自分の命より他人の権利を守るって、なんかビミョー
民主主義で行こうという人たちは、実際のところ、たいへん不平等な立場に自分を置くことになるということは認めざるをえません。なんせ非民主主義者の中には自分と異なる意見や宗教を持つ人たちを制圧しようとか、中には殺してしまおうとか考える人やグループもいるわけですから。そんな連中にまで言いたいことを言わせるのは、感情的には納得できないという人も当然いますが、意見の異なる人に沈黙を強いることが許されれば最終的には虐殺にまで突き進み、社会は牢獄になります。

フランス革命後の左派右派の抗争や宗教弾圧を通じてヴォルテールが知り得た事実であり、大日本帝国・ナチスやソ連・中国、北朝鮮、あまたの独裁国家をみれば、思想と発言の自由の保証こそが国家を牢獄にしない方法と納得できるのではないでしょうか。

もっともあなたが「俺の意見は絶対で他人の意見は封殺されて当然だ」と考えていれば納得はできないかもしれませんが、民主主義者は、そういう人も含めて社会構成員と認めますから、安心して意見表明してください。

> 皆様から回答を頂いて思ったのは「意見を尊重」とは言ってる民主主義も、結局は一つの枠の中の考えであって、その枠外にある考えは無視(悪く言えば弾圧)しているんだなってことです。
> その「枠」が「価値相対主義」なのかどうかまでわかりませんが。
価値相対主義というのは言い換えれば思想と発言の自由を保証することそのものです。価値相対主義そのものは「価値絶対主義」でなくてはならないというパラドックスを内在してしまいます。

これは民主主義の哲学的考察ではよく知られた話であり、このQ&Aはこの話を質問していることからして「釣かな」と思った次第です。

> どうなんでしょう?
> 私の考えって変ですか?

このふたつの直接の答えは…「思想と発言の自由の保証」はパラドックスを内在していることは確かです。あなたの考えは変ではありませんが、昔から有名な疑問を再提出したことになっています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。


別に私は「俺の意見は絶対で他人の意見は封殺されて当然だ」と考えているわけではなくて、そういった考えに対してはどのように対処するのか、「民主主義者は、そういう人も含めて社会構成員と認め」ている事が、自分で自分の首を絞めているのではないかと感じただけ、疑問に思っただけです。
反民主主義を主張しているわけでもないので、政治ではなく哲学カテゴリーに投稿しました。そのほうが適しているだろうと思ったから。


>価値相対主義そのものは「価値絶対主義」でなくてはならないというパラドックスを内在してしまいます。
>昔から有名な疑問を再提出したことになっています。
よろしければその「パラドックス」やその「有名な疑問」を提出された方々や、それらについて論じた邦語の文献を教えてください。

お礼日時:2011/05/02 09:38

質問自体がちょっと釣っぽい気がしますが、あえて喰いついてみましょう。

できるだけ平易な言葉と理屈で答えてみようと思います。

sashimitenpuraさんの疑問は民主主義の根本にかかわる話です。「みんなで話し合おう」と考えていない人も「人の意見なんか関係ない」と考える人も「尊重しよう」というのが民主主義なんです。民主主義とは思想と発言の自由、誰でも好きなように考えてその考えを明らかにすることを約束するというものです。

自分を否定している人を肯定するのは矛盾しているようにと思えるかもしれませんが、その思いはヴォルテールの次の言葉で解消すると思います。「私はあなたの意見に何一つ賛成できないが、あなたがそれを言う権利は命がけで守るつもりだ」

民主主義でやっている社会や国にはありとあらゆる思想集団が存在します。社会を力で持って制圧し支配しようという思想も、特定の神を崇めるべきだと考える集団も、法律に反する行動をとらないかぎり発言は自由です。政府なんていらないという考えも容認されます。ただし、法律に反した行動は容認されません。

逆に言えば、特定の考え方以外を認めようとしない社会や国は民主主義とは言えません。今の北朝鮮はもとより、中国も民主主義国家ではありません。歴史的に言えばナチス支配下のドイツも第二次世界大戦前の日本も非民主主義の社会でした。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。釣りじゃないんですけどね・・・

>約束するというものです
「勝手に約束されても困ります」って意見には、どう対処するんでしょう?

>あなたがそれを言う権利は命がけで守るつもりだ
自分の命より他人の権利を守るって、なんかビミョー

皆様から回答を頂いて思ったのは「意見を尊重」とは言ってる民主主義も、結局は一つの枠の中の考えであって、その枠外にある考えは無視(悪く言えば弾圧)しているんだなってことです。
その「枠」が「価値相対主義」なのかどうかまでわかりませんが。

民主主義的に制定された「法律で対処」としても、民主主義ではない「○○主義」には関係無いですし。

お礼日時:2011/04/28 10:41

まだ開いていたので、回答します。



現在地中海沿岸の国々。。チュニジア、エジプト、シリア、イェメンなど。。。で独裁者を平和的なデモで政権から追い落として、民主主義を確立すべく革命運動が広がっています。

チュニジアとエジプトでは成功しました。30年も40年も政権を担当していた為政者がまさにその政権を長男達に移譲するところでした。

民主主義国になって、最初にすることは何か。。。国の首班を選び出すあるいは議会の代表を選び出す”公平な”選挙を行うことです。。

民主主義というのは、広く議会を開き、国民が選挙で選び出した代表が法律を作ってゆく、という制度です。多数決の法則です。一旦多数派が決められたら、少数派は次の選挙を待たなくてはなりません。少数派を納得させる制度だともいえます。

質問者さんの仰っている制度は、共和制のことかもしれませんね。憲法のもとには、国民は皆平等だと考え、憲法の大まかな前提に問題が出たときには、議会で”アメンドメント”を追加して、問題の解決に当たります。これは、少数派(少数民族や女性など)を満足させる緩衝材でもあります。

以上、アメリカでの考え方ですので、日本ではずいぶん違ってしまっているかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

No.12の方に対する「補足」「お礼」をご一読頂ければ幸いです。

お礼日時:2011/04/27 15:22

中3なのに、政治学勉強していますw



民主主義の訳語は一般的にdemocracyですね
ですが、思想(主義)をしめす -ismではありません。
たとえば、保守主義はconservatism
社会主義はsocialismのようにどれも-ism(主義)という形です
ですがdemocrasy は-cracy(制度)という形になっています
正しい言葉は民主制(民主政体)です。

中川八洋氏の著作(正統の哲学 異端の思想 「人権」「平等」「民主」の禍毒)
を読めば詳しくわかります。(今日読み終わりました)

必ず、国民全員の意見が統一できるわけありません。
民主政において、多数者は少数者に対して最も残酷な抑圧を加えることができる。
という言葉はエドマンド・バークの有名な言葉です。

悪い言葉ですいませんが、民衆は馬鹿です。
なぜならば、全体主義や、衆愚政治(モボクラシー)になるからです

扇動に弱い、熱狂、狂信(進歩、平等、人権、国民主権)をする。
結局は、独裁者によって、支配されます。
法を無視し、権利のみを要求する(義務は欲さない)
完全に退行します。
詳しくは正統の哲学 異端の思想 「人権」「平等」「民主」の禍毒を参考に

まだまだ思想に関しては未熟で勉強中ですが、よければ参考にしてください。

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/04/25 09:05

 民主主義と云うと、すべての人にとってありがたい主義のようなイメージがありますね。


 ここは民主主義の世界なんだから、変わり者の私の主義主張でも受け入れてもらえるだろうと。
 でも本当は、“多数決”の世界。

 少数意見は通らない。通らないけど尊重はする。
 政治家にとってとてもありがたい便利な言葉が「尊重します」。
 でも実質中身はないですね。心情的な役割は結構ありますが。

 他の回答者さんとのやり取りで、「人の意見を尊重したら自分を否定してしまうようだ」と言っていますが、これは多分に“心情的”事柄であって、回答者さんの意見を理屈でとらえようとしていません。
 理屈では分かっても自身の“心情”が納得しない、と言っているのです。

 「理」でとらえようとしながら「情」で受け止めてしまっているんです。

 冷静に、あるいはクールに「民主主義とは」なんて考えるように自信をコントロールしましょう。
 そうしてこそ民主主義の良し悪しを考えることになるのではないでしょうか。

 ちなみに、強い心が有れば、あるいは大きな心が有れば、他者の意見を「尊重」しても自身は堂々と胸を張っていられます。自己否定なんて気持ちにはなりません。
 ここで多くの人の意見に接し、学んで心を鍛え、自信が持てる人になってください。

 わたしも一時はくじけそうになりましたが、復活して今は厚かましいくらいでしゃばって意見を述べています。

 ここは学びの広場です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/04/25 09:05

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ロシアそのモノが、旧ソ連が(いわゆる)民主化をした結果、ソ連を構成していた共和国などが分離して残った国家です
それに、今のロシアを共産主義国家というのは無理なんじゃない?

一応自由な選挙も行っているんで、民主化されていないと言うのも難しい
実態として、民族主義的強権主義的な性質は否めないけど・・・・・

当然今の中国が共産党による一党支配を失えば、当然南方や西方地域の民族主義が高まって
国家の分離という方向に進むのはほぼ間違いない
分離した結果どうなるかは別として、民族感情として漢民族支配をそのまま継続することを良しとすることは難しいだろう

なのである日突然急激にと言うのは激変過ぎて混乱も極まるだろうから
当然漸進的にと言うことになる

で、アラブ諸国での民主化を契機とした混乱の元は、法による支配とか司法の独立が存在しないとか、行政の腐敗蔓延とか、そういった部分極端で

国の統治機構が機能しないとか国の統治機構を国民が信頼しないという部分が大きい

今の中国を見ると、司法も党の一機関としてしか機能せず、官僚機構は腐敗にまみれ
国民、市民は統治機構を如何に欺くか、如何に利用するかという観点でしか見ていない

これでは、今共産党支配を終えたとしたら極度な混乱に陥る

かといって今のままでは、共産党支配の正統性が失われて徐々に遠心力が働くことになるだろう

民主化は将来の目標として必要だが、当面の方向性としては何ものによる批判も受けない共産党という立ち位置を修正して
司法の権威や法の支配という最低限のレベルを確保しなければならない

法の支配が機能すれば、官僚機構の腐敗への抑制も働くし共産党の無理無体も抑制される

そうやって徐々に国の統治機構への信任を深めて、同時に教育の充実を図ることで
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我が日本を顧みれば、太平洋戦争敗戦時と明治維新期における体制の大転換に際して極端な混乱もなかったことは、教育の充実ということによるものと優秀な官僚機構(腐敗が無い訳でも無いが、限定的であり有効に機能していた)によるものが大きい

今の中国には、教育はあっても偏ったものであるし、官僚機構は売官制度と言っても良いほど能力ではなく金とコネが最優先されるのが現状
これではねぇ・・・・

ロシアそのモノが、旧ソ連が(いわゆる)民主化をした結果、ソ連を構成していた共和国などが分離して残った国家です
それに、今のロシアを共産主義国家というのは無理なんじゃない?

一応自由な選挙も行っているんで、民主化されていないと言うのも難しい
実態として、民族主義的強権主義的な性質は否めないけど・・・・・

当然今の中国が共産党による一党支配を失えば、当然南方や西方地域の民族主義が高まって
国家の分離という方向に進むのはほぼ間違いない
分離した結果どうなるかは別として、民族感情として...続きを読む

Qなぜ、世界の流れは封建制から民主主義(社会主義)なのか

唯物史観、社会主義史観は、人間の楽観的な捉え方によって失敗したのかどうか定かではありませんが、かならずしも万能な理論ではないと思います。
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やはり、民主主義は、封建制独占政治よりは「ましである」ということがいえるからでしょうか?

なにか、民主主義ということが金科玉条のような扱われ方をするのが腑に落ちない気がします。

Aベストアンサー

簡単にいえば、産業革命が起き啓蒙主義が誕生したからです。

産業革命が何故起きたかは#2さんの言うとおり、新しいエネルギーが発見されたからなのですが、産業革命が起こったことにより封建制度は時代遅れになったのです。

まず封建制度の特徴を見ると、世襲制・身分主義・農本主義の特徴があります。これは農業(酪農ふくむ)から上がる作物(食料)の分配し古代の時代に膨れ上がった人口(社会)を維持する為に考案されたものです。農業に優先的にエネルギーや人などの資源をさくことで、限りある資源を有効的かつ持続的に使用するものなのです。
つまり強権的な支配者を置くことで、食料分配をコントロールできるようにし、それが1世代で終わらないように世襲で身分を固定する。また商業・工業については身分を低くすることで、生存を不安定にし(つまり農民のように土地についていないので、飢饉や災害時に優先的に保障をうけられない)、商業的工業的発展を阻害して、エネルギーの使用量が急激に上がらない(上がると簡単に供給量を越える)ようにしたのです。
実際、地中海世界の古代の発展と中世の発現は、豊かだった地中海周辺の森林資源の活用と枯渇によるものであり、ルネッサンスの勃興はヨーロッパ中部の森林資源を活用したものだからです。ヨーロッパ中部の森林資源が枯渇する前に、石炭や石油などの化石燃料が発見されたために、現在まで民主主義が持続しているといえます。

また別の側面、宗教から見ると、中世の暗黒時代もエネルギー不足が原因です。古代のアルキメデスなどは十分に考え、実験を行い新しい技術を育むことが出来ましたが、新しい技術=便利になるということは、人の力の変わりにエネルギーを使って仕事をするということなのです。
そのため中世の頃は科学自体を禁止したため、現在での科学、特に数学や物理学など「考えること」が大好きな人が大量に神学を学んだため、精密なそして人間離れした宗教が猛威を振るったのです。

そしてルネッサンスから産業革命を経て、今の資本主義・民主主義が立ち上がります。実は古代でもすでに民主主義の方法論はあったのです。が、現代に続く民主主義は寄り複雑な問題を抱えています。
それは資本主義という問題点です。
産業革命で起きたことは、エネルギーを利用し機械を使用することで、マンパワーだけは到底達成できない生産量を実現し、安価に製品を作り・輸送し・販売することが出来るようになったことです。
これにより資本を持ち投資した者は莫大な冨を得てまたそれを資本として投下し、それ以外資本も技術もない者は(農業にも産業革命の波が来て、今までほど人を使わなくても生産性が上がるようになったため)、工場で働く労働者になりました。
ところがややこしいのは労働者は消費者であり、工場で出来た生産物を購入し使う立場でもあったことです。
当初は植民地政策もあり、生産は本国、消費は植民地という搾取も成り立っていたのですが、だんだん植民地が疲弊すると本国の労働者に製品を売るという方式が成り立つようになりました。
このような資本家と労働者の数が多くなるにつれて、今までの農本主義は崩れ、封建的身分も崩壊していったのです。王様よりも金持ちの資本家が出現したら王様は権威の一部を傷つけられます、「けしからん」と王様が冨を強制的に剥奪すれば、だれも資本を出して投資しようとしなくなります。これにより、資本主義の台頭に伴って、個人の自由(移動・思想の自由など)と権利(財産・生存)の確保が重要になって、民主主義に移行していくのです。
しかし封建主義の社会保障制度が崩れた後、冨を持ち裕福な資本家と何も持たない労働者が国の構成員になったため、国の運営上、誰からどのくらい税金を徴収し、労働者の生存権をどのように保障するかも、問題になっていきました。
これにより民主主義的な手続きである、選挙などを通じて国の運営方法を決定するようになり、最初は税金を多く徴収される資本家などに選挙権が与えられたものの個人の自由と権利の確保は労働者にも及ぶとして一般選挙が成人に無条件に与えられるようになったのです。
しかしここで社会主義、共産主義という問題定義が起こります。産業革命と機を一にした社会革命は、啓蒙思想が原動力になっており、封建主義から革命を起して民主主義に移行すれば、人間の尊厳・平等は守られるはずだったのです。
しかし実際には資本家(ブルジョアジー)と労働者(プロレタリアート)の格差は広がるばかりで、民主的な手続きをもってもこの差を埋めるのは難しいと説いたのがマルクスであり、であるならブルジョアジーをなくしすべてプロレタリアートの国を作れば人間の尊厳・平等は達成できると考えたのがレーニンです。ここに共産主義という新しいイデオロギーが誕生し、戦後の冷戦にまでつながるのです。

どちらも、産業革命と啓蒙思想があったからこそ生まれたといえます。(もっとも民主主義自体は古代ローマや都市国家(ポリス)などに見ることができます)

現在は共産主義の実験は失敗し、民主主義的・資本主義的な社会が世界中で謳歌しています。
しかし中世に入るきっかけとなったエネルギー不足も、石油の枯渇という形で現れており、資本主義の暴走(つまり市場主義の限界)も見えてきています。

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またはネットを利用したもっと実用的な民意をくみ上げることができるネット民主主義が出来るようになるかもしれません。
中国では一党独裁であるがために、逆にネットの中の意見に対して政府が柔軟に対応するという、新しい形の民意の汲み上げが試行されているようです。
個人の尊厳・自由という一見当たり前のような権利も、地球全体の危機がくれば、紙くずと同じように捨てられるかもしれません。
または逆に、新しい技術思想の上にまた新たな思想でもって、もっと個人の自由・権利の保障が行われる制度ができるかもしれないのです。

資本家が自由に活動し、社会を維持するためには、個人の自由が必要で、個人の自由を確保しながら社会や国を運営維持していく方法は、いまのところ民主主義しかありません。

簡単にいえば、産業革命が起き啓蒙主義が誕生したからです。

産業革命が何故起きたかは#2さんの言うとおり、新しいエネルギーが発見されたからなのですが、産業革命が起こったことにより封建制度は時代遅れになったのです。

まず封建制度の特徴を見ると、世襲制・身分主義・農本主義の特徴があります。これは農業(酪農ふくむ)から上がる作物(食料)の分配し古代の時代に膨れ上がった人口(社会)を維持する為に考案されたものです。農業に優先的にエネルギーや人などの資源をさくことで、限りある資源...続きを読む

Q社会民主主義と自由民主主義

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よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 基本的に(むしろほとんど)NO.4の方の回答の通りだと思います。以下、もう二十年も昔の大学時代のうろ覚えの知識で補足を少々。

 民主政体(治者と被治者が同一である政治体制)に、二種あります。多数決により全てを決定できる絶対民主制と、多数決によっても奪うことの出来ない個人の権利や国家作用を認める自由民主制です。後者の、法律の限界を規定する規範を憲法と言うので、立憲民主制とも言います。
 なお、法律で奪うことの出来ない個人の権利を認める主義を自由主義と言います。
 形式的に「憲法」が存在しても、その改正手続きが法律と同じ(軟性憲法)ならば、絶対民主制ですね。必然的に立憲民主制の憲法は、改正手続きが法律より厳しくなります(硬性憲法)。共産圏は私有財産制を認めないので、絶対民主制になりやすいのでしたかね(うろ覚え)。日本は、基本的人権の保障・硬性憲法なので立憲民主制すなわち自由民主主義ですね。

 次に、自由を強調して「近代国家は、基本的人権たる自由権を侵してはならない」とすると、「競争に負けて死ぬ自由」というのも保障しなければなりませんね。このような近代国家の最も出発点的な国家間を自由国家観と言います。このときの国家モデルでは、国は徴税・防衛・警察だけしていれば良いと言うことになり(国家は出来るだけ手を出さないと言う意味で消極的国家観とも言います)、「小さな国家」でよいということになります。
 これに対し、自由国家観では競争に負けたものは死を待つのみであり、また競争も形式的平等になり(つまり既得権を持つ奴が有利なので実質的に不公平)、弱者に酷であるとともに、経済活動が却って沈滞してしまう不都合が生じました。
 そこで、自由競争原理にある程度制限を加える(実質的平等)と共に、敗者の生存を確保するため、自由権にある程度の制限を加えて国家が積極的に関与することを認める福祉国家観(積極的国家観)が生じました。社会民主主義とはこの福祉国家間を意味するものと思います。
 日本国憲法は基本的人権として自由権(内心の自由、表現の自由など)の他に、生存権(幸福で文化的な最低限度の生活の保障)を保障するので福祉国家観、つまり社会民主主義の国と言えます。
 もっとも、憲法25条をプログラム規定(つまり載せているだけ)との判例・実務ですので、極めて不完全だと思います。小泉政権では市場主義経済への指向が著しかったので、さらに自由国家観の強い政治体制になってしまいました。
 補足になってませんでしたか?やっぱり

 基本的に(むしろほとんど)NO.4の方の回答の通りだと思います。以下、もう二十年も昔の大学時代のうろ覚えの知識で補足を少々。

 民主政体(治者と被治者が同一である政治体制)に、二種あります。多数決により全てを決定できる絶対民主制と、多数決によっても奪うことの出来ない個人の権利や国家作用を認める自由民主制です。後者の、法律の限界を規定する規範を憲法と言うので、立憲民主制とも言います。
 なお、法律で奪うことの出来ない個人の権利を認める主義を自由主義と言います。
 形式的...続きを読む

Q資本主義、共産主義、次は何主義?

資本主義も共産主義も問題が多いです。もっと良い主義はないのでしょうか?

考えたことありませんか?

資本主義も修正し共産主義も修正し人口爆発、資源の争奪戦をやてますが

何か・・・ボランティア主義?世界宗教?の様な 新しい思想はないものでしょうか?

僕は存在性思想を掲げましたが 桜咲かず 梅咲かず

何か良い主義ありませんか?

ちなみに当方病人のため、要点を教えて下さると有難いですm(_ _)m

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共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。
あくまで控え目で謙虚に、そして、宿主さまへの感謝の念を忘れない。

実際の人間⇔サナダムシの関係は宿主⇔寄生虫の固定的な関係ですけれども、
人間社会においては、時に、宿主がサナダムシになり、サナダムシが宿主になったりと、その都度、その役割を変えますがね。宿主とサナダムシの役割は流動的であり、同時に流動的でなければならない。固定的になってはいけない。


ちなみに、西洋の海に住むサナダムシは凶暴で宿主から栄養を一方的に搾取して宿主を劇ヤセさせたり、宿主に様々な健康障害をもたらします。
西洋のものは、思想、原理・原則だけではなく、サナダムシまで凶暴なんですよ。
Win-Winの関係を目指したりしない。
そこにあるのは一方的な搾取であり、相手を根絶やしてまでも自身の利益や正義(?)のみを追求しようとする貪欲で非情な論理。

共存共栄を願う、win-winのを目指すサナダムシイズムでしょうか。

日本周辺の海に住み、最終宿主が人間であるサナダムシは、
宿主さまから栄養のお余りをいただく代わりに、
宿主さまがガンやアレルギーなどにならないような化学物質を作り、ひそかに宿主さまの健康を守っていた。陰ながら健康に貢献させていただいていた。
宿主さまに死なれると自分もともに死ななければならないので、長い進化の過程でこのようなwin-winの関係が構築された。

このサナダムシの活動を見倣おうというのがサナダムシイズムです。...続きを読む

Q民主主義って?

一般的には多数決・三権分立・比例代表制が、民主主義の表れだと言われていますが、これらはどういう意味で民主主義だと言えるのですか?
また、これらのように制度に還元できる民主主義もあれば、制度に還元できない民主主義もあります。それぞれの定義と違いを教えて下さい。

Aベストアンサー

民主主義とは、社会的な意思決定を一人あるいは少数者で行うのではなく、社会を構成する成員全員で決めていこうとするものです。

現代国家では、成員全員が一堂に会して物事を決定するということが、物理的に無理であり、また、利害関係も複雑で価値観も多様なことから、集団としての意思決定を支配者に委ねるのではなく、討論で決定しようとするならば、代表者に討論と意思決定をしてもらうほかありません。そこで、現代においては間接民主主義という形態をとり、代議制という政治体制をとっているのです。これが、民主主義を支える原理の第一です。

次に多数決原理ですが、集団の意思決定は全員一致でなされるのが最善ですが、現実には意見の相違が存在するのが常なので、そうした意見の対立が最終的に調整できない場合には、多数の意見をその集団の意見とするしかないという、全員一致の次善の策として便宜的に生まれたものが多数決原理です。ただ、この原理がまかり通るためには、(1)徹底した討論と少数意見の尊重、(2)十分な討論が行われた後に多数決で決定されたことは、反対者もそれに従わなければならないこと、(3)集団の同質性というものが前提として必要です。

三権分立についてですが、これは、国家権力が特定の機関や一部の人に集中して、権力の濫用がなされることを防ぐために、国家権力をいくつかの機関に分散させようとする考え方を権力分立といい、この国家権力を特に立法・行政・司法の3つに分けて考えたものを三権分立といいます。社会の構成員全員で意思を決定しようとする民主主義にとっては、権力が一部に集中していると、その一部による意思決定が集団の意思となりかねない危険性を排除するために重要な原理といえるでしょう。

比例代表は、さまざまな小集団のなか(選挙区など)から代表者を選出するに当たり、代議制が前提となっている現代国家にあっては、その母体数に見合った代表者数をありあてがなされなければならないことを意味します。つまり、民主主義の求める「平等」を貫くための原理といえるでしょう。

一番初めに定義づけたように民主主義をとらえれば、制度に還元できるできないという民主主義はありえないような気がします。いかがでしょうか?

民主主義とは、社会的な意思決定を一人あるいは少数者で行うのではなく、社会を構成する成員全員で決めていこうとするものです。

現代国家では、成員全員が一堂に会して物事を決定するということが、物理的に無理であり、また、利害関係も複雑で価値観も多様なことから、集団としての意思決定を支配者に委ねるのではなく、討論で決定しようとするならば、代表者に討論と意思決定をしてもらうほかありません。そこで、現代においては間接民主主義という形態をとり、代議制という政治体制をとっているのです。こ...続きを読む

Q資本主義の次は○○主義、って当分資本主義でしょ!?

若手論客の方々の対談を聴く機会があって、頭の良い方々の議論を聴くのは刺激があってそれはそれですごく楽しいのですが、自分なりに色々疑問とか違和感も湧きました。

地域地域の共同体が崩れて、これから新しい共同体の形を模索できないだろうか、国家と個人の間に入る、理想的な中間共同体は無いだろうか…というような議論があって、1人の方は、ネット上で同じ趣味の人同士がつながって趣味共同体みたいなのができればそれでいいんじゃないか~みたいなことを言っていました。

またもう1人の方は、人間生活の元々の形態は農業だから、農業社会の再生を~みたいなことを言う人がいるが、難しいんじゃないか~とか、人間の歴史は○○年代まで農業社会で○○年代まで企業社会でそれもだんだん崩れてきて~みたいなことを言っていました。

やっぱり評論家みたいな人たちってこういう議論が好きなんだな~と思いながら聞いていたのですが、やっぱり違和感がありました。

ネット上で多くの人がつながれる、というイメージ自体は私も好きですが、それとは別の話で、現実の社会の大多数は、いまだに企業共同体、しかないと思うのです。

今までの時代は企業のつながり、お金のつながりを通してしか、人は徒党を組めなかったけど今からは違う~みたいなことを言っておられたのですが、実際そうかな…確かにネット等を通じて、新しいコミュニティみたいなものが少し芽生え始めているかもしれませんが、実際大多数の人は、学校を卒業したらもう企業の社会に絡めとられてしまっている、と思うんですね。

これは高度成長期、バブル前後、から、別に今もそんなに変わっていないと思うんです。

なんとなくバブルが崩壊してから何年もたって、ネットが登場して、リーマンショックでアメリカの凋落とか言われたり世の中が大変化しつつあるような印象がありますが、世の中の大多数の人は依然「資本主義」の論理の中で生きていて、組織の有無を言わさぬ圧力のもとで忙殺に近い生活を強いられている人が大半じゃないか、と思うんです。資本主義の次は○○主義だ、とか、農業社会、企業社会の次は○○社会だ、みたいな言い方をする人がいるようですが、資本主義も企業社会も全然終わっていないと思うんですね。

そういう感覚が、頭が良いはずの評論家、学者の方はもしかしたらちょっと分かっていないんじゃないかな~と思いました。

トヨタもそろそろ倒産するかもしれない、とか、日立の明日も危ないとか、そういう話、あり得ませんよね?

ですから、こういう言い方をすると共産主義の人ですね、と言われて終わりそうですが、言論で仕事をされる方に望みたいのは、いかに資本主義、企業の圧力から人々を解放するか、そしてそれ以外の共同体とか、BIなり、企業以外で生活を建てる方法がないか、そういうことを具体的に考えて欲しいんですね。

人間一人ひとり、ここの議論みたいにもっと社会はこうあるべき?とか、もっとこういうサービスを作るべきじゃない?とか、若い人でも本当は色々考えられるはずなのに、企業に入ったとたん、大抵の人は考える余裕を奪われていると思います。企業の価値観、あり方に全身染まることを要求されるのです。そういう意味でも、マルクスの時代から100何年たった今でも、資本主義、企業社会は依然問題を多く孕んでいると思います。

そういう議論、必要だと思いませんか?

若手論客の方々の対談を聴く機会があって、頭の良い方々の議論を聴くのは刺激があってそれはそれですごく楽しいのですが、自分なりに色々疑問とか違和感も湧きました。

地域地域の共同体が崩れて、これから新しい共同体の形を模索できないだろうか、国家と個人の間に入る、理想的な中間共同体は無いだろうか…というような議論があって、1人の方は、ネット上で同じ趣味の人同士がつながって趣味共同体みたいなのができればそれでいいんじゃないか~みたいなことを言っていました。

またもう1人の方は、人間生活...続きを読む

Aベストアンサー

僕が思想を始めた'70年代は、まだ学生運動の余熱が残っており、
それが次第に市民と遊離した過激派として追いやられ、消えて、
その後に三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれる波が
来ました。
それでは、その「三無主義の波」は去ったかというと、そのまま
時代の基調になって、今に至ります。

「いや無気力・無関心じゃない」と言われる人もいるでしょう。
しかしこの『無気力・無関心・無責任』というのは、自分の利益や
自分の仕事についての話ではなく、社会的な事についてなのだ。
要するにそれまでは、『社会は個人の意志で変えられる』という
通念があり、実際に学生に限らず社会人もデモやストライキで
大なり小なり世の中を動かした時代があったのだ。
しかし、次第に体制の締め付けと国民の軽薄化が功を奏し、
“親方日の丸”で国政は腹黒い政治家と官僚に任せっぱなしに
なりつつある中、その閉塞感への若い力の最後の抵抗が'70年
代の学生運動の騒乱であったのだ(そして敗れて三無主義)。

今、「哲学」ならまだしも、社会体制的なことに関わる「思想」的
だと思われる事を口にすれば、その内容の如何を問わず周りの
人から危険人物認定され、出版やネット発信が過ぎれば当局
のブラックリストに載る。
この、独裁者なきファシズム国家は、容易に変革できない(叩く
べき頭のない)粘着質の構造をつくり上げたのだ(抵抗できず
海外に逃げた派の私のような人間にも責任がある)。
これを動かすには、何か学術的な権威において証明するとか、
パブリックなブームに乗せるとかして、一気に数を集めないと、
隅っこで議論しても潰されるだけです。

僕が思想を始めた'70年代は、まだ学生運動の余熱が残っており、
それが次第に市民と遊離した過激派として追いやられ、消えて、
その後に三無主義(無気力・無関心・無責任)と呼ばれる波が
来ました。
それでは、その「三無主義の波」は去ったかというと、そのまま
時代の基調になって、今に至ります。

「いや無気力・無関心じゃない」と言われる人もいるでしょう。
しかしこの『無気力・無関心・無責任』というのは、自分の利益や
自分の仕事についての話ではなく、社会的な事についてなのだ。
要するにそれまで...続きを読む

Qいまの日本は民主主義というより資本主義ではないですか? 民主主義と資本

いまの日本は民主主義というより資本主義ではないですか? 民主主義と資本主義の2つの主義が両立して成り立っているのに、なぜ日本は民主主義を前面に押し出し、資本主義とは言わないのですか?

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たしかに民主主義は、資本主義の制約として働いています。しかし、資本主義の制約は民主主義でなくともよいわけで、聡明な独裁者がいろいろな制約のルールを作ってもよいではないかとも考えられませんか。

卑近な例では、進まぬ行財政改革や公務員改革に対して、現行の民主主義のシステムを嫌悪して政治のルールを破ったり無視したりしてでも新しい事態を作っていく首長が一部で人気を集めたりもしています。結果的に聡明であったかどうかは別として、このような国家的実験がいまのロシアで過去に行われたことはよく知られています。トップダウンで物事を解決していく政治システムとなっていました。

人間が行動するためには「正しい」とか「善」であるという意味付けとか、価値の付与が必要です。人を思いどおりに動かすという権力にも正統性が必要ですね。人が警察官の指示に従うのは法律によって警察官に権限が与えられているからです。為政者例えば総理大臣は日本で最も権威のある憲法に則って権力者となっているため官僚はその指揮に従います。法律は憲法に則って国会で決められたから国民はそれに従います。

しかし、何が正しいとか、善であるかは相対的なものであり、容易に判別できるものではありません。あなたの最愛の人が警官に追われてあなたの家に逃げ込んできました。警官が家の戸口に立ちました。最愛の人を守るためいないというのか。うそを付くのは悪いので警官に引き渡すのか。戦場です。人を殺したり傷つけるのは悪いのか。祖国を守るため、また横の仲間を守るため敵を銃撃するのか。

権力の正統性も同様です。その源泉は神であったり、自然法であったり、長く続いていることであったり、人民の総意であったりと権力者は自己の権力が正統であることを説明します。人民がそれを受け入れるか受け入れざるを得ないということであればなんでもよいということになります。

大衆社会になってからはメディア、うわさなどを巧みに使って人民にその気にさせるという作業が行われており、100人がそう言えばそれが事実か真実かとなってしまう状況ですね。ナチスなどが有名です。


そこで民主主義が資本主義の制約とか修正のために登場したというのではなくて、資本主義がもたらした国民の生活の状態、裕福に資産を持つ人や、雇われて仕事をするしか収入がない人、従来からの大地主や貴族などいろんな人があって、これ以上資本主義を徹底したい人や、なにも持たないので従う人、怖さを知らない人、このままでは没落してしまう人などいろいろな経済的立場として存在し、争議や内乱も含め政治的な主張や軋轢を繰り返かえすという状況が生まれたと考えます。

それぞれの国の歴史的背景、対立の勢力分布、対立の根の深さなどいろいろな要素があってなにも持たない人をどう取り込むかという解決の方法が、日本では働くしか収入がない人を政治参加に取り込む方法であったのではないかと考えます。

彼らを取り込む以上彼らの主張の一部を受け入れることとなり、結果資本主義の制約なり修正が生まれました。日本では、こうした修正した資本主義経済が発展したところ、国民が全体的にそれなりに豊かになってきたため本人の経済的立場というものがあまり気にされなくなりました。経済的立場からの発言や団結なども少なくなりました。この事態には宣伝の効果も大きいと思いますが、国民全体の所得が向上したのも事実であると考えられます。


近年の資本主義重視への揺り戻しは、小さい政府や規制緩和の動きとしてみられ、新自由主義的な政策と呼ばれますが、初期にも政府は何もしないほうがよいという考え方はありました。ワーキングプアというような現象を生み出しましたが、個人の責任をより強く吹聴することによって、社会の仕組みの変化により生じたものであるというという事実がぼかされているとも見えます。

働かざるもの食うべからずという言葉は聖書や旧ソビエト連邦の憲法の条文であり、また資本主義では持てるものは別に働く必要もないわけですから、自己責任というのは資本主義由来の言葉とは少し違うのではないかと考えます。

「持てるものが楽をして儲けて何が悪い。儲けやすいように変な規制なんか廃止しろ。わしが儲けた金に何で税金なんか払わせるのか。」そのように言ってはみもふたもありませんので、使い方や制度が悪いという問題を国民全体に啓蒙し小さな政府に誘導する必要があります。

大衆というものは、自分を自宅にプールがあるような人とは比較しないで、となりの人が海外旅行に行ったことをうらやましがるように出来ていますので、うまく不平不満をその人たちの身近に見つけてあげ誘導することが大切です。そうすれば結果的に投票者当人に不利益になることでも受け入れられます。

そこで資本主義は後ろに隠すべき物です。

たしかに民主主義は、資本主義の制約として働いています。しかし、資本主義の制約は民主主義でなくともよいわけで、聡明な独裁者がいろいろな制約のルールを作ってもよいではないかとも考えられませんか。

卑近な例では、進まぬ行財政改革や公務員改革に対して、現行の民主主義のシステムを嫌悪して政治のルールを破ったり無視したりしてでも新しい事態を作っていく首長が一部で人気を集めたりもしています。結果的に聡明であったかどうかは別として、このような国家的実験がいまのロシアで過去に行われたことは...続きを読む

Q世の中のひとには、他のひとには理解できないようなことを考えている人がいる。 自分だけしか考えていない

世の中のひとには、他のひとには理解できないようなことを考えている人がいる。
自分だけしか考えていないだろうとか、そういった自分が思っている疑問などを素直に聞いてみたい。
自分にしかないだろうと思う考え、教えてください、聞かせてください

Aベストアンサー

1.超光速によって生じる虚数エネルギーは、自乗で
  相互作用する時空において、マイナスエネルギー
  =時間軸逆行と等価となる事により、過去と未来が
  現在から対発生していると言える。

2.全ての存在の実体が、感受表面における量子相互
  作用に還元される時(あるいは存在の根源の超弦
  =量子定常波に還元される時)、その量子=光速を
  階層現象性の奥に潜在化させる事によって派生する
  非光速性に由来し、つまり階層現象を表面的に
 (=いい加減に)捉える事によって、1の「過去
 (超光速)と未来(光速下)」は可能になっており、
  即ち仮想的根拠しかない。

3.下図の4次元ミンコフスキー空間に見られるように、
  相補分化に由来する時間軸と空間軸の虚数関係に
  よって等距離点に0の界面が生じ、それが光量子の
  描く軌跡(ライトコーン)である時、存在=量子
  とは、先述の仮想的時空に対する無の射影であり、
  予測=『何かあるかも知れない』という疑問として
  生じた時空を、『本当は何も無いんだけどね』と
  無に還元するものなのだ。

1.超光速によって生じる虚数エネルギーは、自乗で
  相互作用する時空において、マイナスエネルギー
  =時間軸逆行と等価となる事により、過去と未来が
  現在から対発生していると言える。

2.全ての存在の実体が、感受表面における量子相互
  作用に還元される時(あるいは存在の根源の超弦
  =量子定常波に還元される時)、その量子=光速を
  階層現象性の奥に潜在化させる事によって派生する
  非光速性に由来し、つまり階層現象を表面的に
 (=いい加減に)捉える事によって、1の「...続きを読む

Q民主主義の国

現在、民主主義の国のほうが多いと思うのですが、民主主義以外の政治システムはどのような種類がありますか?
また、民主主義ではない国はどこですか?また、それらの国は何主義になるのでしょうか?(独裁主義とか??)

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

名実ともに民主主義の国は少ないとおもいます。
見分ける視点としては、
政権の交代が、民主的に平和に行われている。
革命で樹立された政権は、民主主義政権とはいえないとおもいます。
王制、独裁体制による世襲による政権も同様です。
基本的には、法治国家であり、基本的人権、3権分立、政教分離、。。日本は優等生です。(一票の重みをのぞけば)
民主主義の維持のためには、市場経済が不可欠とされ、経済体制が、統制経済の国は民主主義の国とはいえないと思います。
具体例として、朝鮮民主主義人民共和国、イランイスラム共和国、ミャンマー連邦。。
蛇足ですが。。
国連は民主主義の下で運営されているとは言い難い部分も多くあります。
独裁国家の代表、基本的人権が認められているとは言い難い国家の代表が、民主主義の名の下で投票する矛盾。
常任理事国の選び方、選ばれ方。。大体、一票の重みがはきっりしない多数決てあるの。。。
中国は、天安門事件の際、人民解放軍の戦車で自らの非武装の国民を踏みつぶした国家体制を維持したまま常任理事国として存在しています。

Q自由民主主義

自由民主主義とは自由主義と民主主義を合わせたもので合ってますか?
それとそれぞれの主義をわかりやすく説明してください、お願いします。

Aベストアンサー

自由主義とは、封建時代の「人は生まれつきで職業が決まっていたり将来が決定されているのだ」のアンチテーゼです。
つまりなりたいものになれる。努力すれば。という意味です。
経済が資本主義体制に替わると、こういう考え方の方が効率がいいので促進されました。
自由主義においては、他者の人権を侵害したり、公共の福祉に反したりしない限り、基本的には自由に自分の行動を決めていいし、そうでないと経済が最大効率にならず、国家にとっても損失になるという考えです。

民主主義は、政策の決定が君主や共和国議会ではなく、国民の参政権者によって決定されるという考え方です。
ただし参政権者が直接に政治を行うわけではないので、代議員を選出し間接民主主義の形態を取ります。
君主制国家においては主権は君主にあり、君主が国家の進むべき道を決めますが、対して民主主義は参政権所有者に主権があり、参政権者による意見表明を通じて、国家の進むべき道を決める、という建前になっています。
実際にやっているのは首相や大統領なので、厳密に言うと正しくないですが、しかし元首が正しくない行動を取ったと参政権者に判断されると、次の選挙で落ちるという仕組みです。
この仕組みを制度として採用している国を、現在では民主主義国家と呼びます。

自由主義とは、封建時代の「人は生まれつきで職業が決まっていたり将来が決定されているのだ」のアンチテーゼです。
つまりなりたいものになれる。努力すれば。という意味です。
経済が資本主義体制に替わると、こういう考え方の方が効率がいいので促進されました。
自由主義においては、他者の人権を侵害したり、公共の福祉に反したりしない限り、基本的には自由に自分の行動を決めていいし、そうでないと経済が最大効率にならず、国家にとっても損失になるという考えです。

民主主義は、政策の決定が君主や共和...続きを読む


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