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民主主義って、私の理解だと「みんなで話し合おう」「人それぞれの意見を尊重しよう」との考えが根っこにあると思ってます。(違ってますか?)
で、これってなんか変だと、前々から気になってます。
「みんなで話し合おう」と考えていない人もいますよね、実際には。「人の意見なんか関係ない」って考えも。
そんな考えも「尊重しよう」というのが民主主義なんでしょうか?
矛盾していると思うんですよね。
自分を否定する人を肯定してませんか?
「みんなで話し合おう」「人それぞれの意見を尊重しよう」って全ての人が考えているってのが前提なんですか?そうじゃない人は無視しているのですか?なんか予防線を張っていますか?

どうなんでしょう?
私の考えって変ですか?

A 回答 (30件中1~10件)

個人的な考えですが



民主主義って、時の権力者から一方的に支配されるのではなく、全員の意見を出しあって、良い方法を見つけだそうって事だと思います。
みんなが参加できる権利がある、って事。

考えたくない、話し合いたくない人は、それがその人の意見です。
不参加したい人は、自ら権利放棄して、施行しているんですよ。

今、地方選挙していますが、投票しない人は参加拒否です。
そういう人は、あれこれ文句言っちゃいけないんですよ。
不参加表明したんだから。
中には「投票したい候補者がいない」って言いますが、そのために被選挙権があるわけで、自分が投票したい候補者に自分がなれるんですよ。

ちょっと脱線しましたが、強制的に参加させるのは、民主的ではないです。
しない人は、しない事が意志表示なのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>考えたくない、話し合いたくない人は、それがその人の意見です。
>不参加したい人は、自ら権利放棄して、施行しているんですよ。
このようなご意見もよく耳にしますが、これもなんか変と前からおもっているんです。
これは民主主義の考え方であって、民主主義の考えじゃなければ(それがどんな考えかはわかりませんけど)「自ら権利放棄して」いないんじゃないかなって。
で、そのような考えも尊重するのが民主主義のはずなのに、「放棄している」って判断されるのは、権力者か何かわかりませんけど、とりあえず多数の人たちに民主主義って考えを押し付けられてるのかな?って思うんですよ、選挙のたびに。
考えを押し付けられているなら、それって民主主義じゃ無いような・・・

お礼日時:2011/04/22 13:27

【いつか話したくなったとき話してくれればいいさ】という感覚なのでは?

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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/04/22 13:27

実際の民主主義というのはwikiなどを見ればわかると思いますが、


国民から選ばれた議員が議会を使って政治を行うこと、のような意味ですね。


>「みんなで話し合おう」「人それぞれの意見を尊重しよう」との考えが根っこにあると思ってます。(違ってますか?)

その考えが根っ子にあるのは間違っていません。

>そうじゃない人は無視しているのですか?
そうじゃない人も政治に参加できます。
それが民主主義です。
無視はしていませんが支持はされにくいと思います。
でも「私は人のいうことを聞かない」って考えを表に出しては選挙に勝てません、
だから隠すわけですね。
他人からその人がそういう考えを持っているかどうかはわかりません、
ですから政治家の中には人の意見を聞かない(現総理大臣のような)人もいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2011/04/22 13:28

哲学カテでもなんでもない。

社会のお勉強ですな。

民主主義という事は「多数決」(←重要w)です。投票するのは国民一人一人です。
他の考え方を尊重しなければならない義理はありません。

「民主主義は民衆の自己責任」です。

意見を尊重するから話し合って、多数決によって決めるのです。
民主主義でなければ、その機会すら存在しない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「哲学」か「政治」か迷ったんですよね。

>意見を尊重するから話し合って、多数決によって決めるのです。
それが民主主義の考えってのは理解しているつもりなんですが、その考えではない人を民主主義はどう扱うんだろう?尊重されるのかな?

お礼日時:2011/04/22 13:31

なるほど、


民主主義の大原則は「多数決」なんです。
だから少数意見が正しくても多数に潰されるんです。

「みんなで話し合おう」「人それぞれの意見を尊重しよう」
というのは正しいです。

しかし、どちらかに決めなければならない場合は、
「みんなで話し合おう」「人それぞれの意見を尊重しよう」とした後に、
多数決の意見が優先される。というだけの話です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。


意見が正しいとか正しくないとか優先されるされないとかではなくて、相反する意見、それも民主主義の根っこにある考えに反する意見を尊重するなら、民主主義は成立しないような気がするので・・・

お礼日時:2011/04/22 13:36

 こんにちは。



 すべてを端折って 一点のみこう考えます。

 ○ 民主主義という思想において 人が人を代表することができるか? 

 これです。
 たぶん直接民主制は――インタネットで可能かどうか どうでしょう?―― むつかしいでしょうから 次善の策として 代表制が取り入れられているかと思われます。
 ただしその次善の策においても・それを採りつつも 《人が人を代表し得るか あるいは 少数意見をどう扱うか》という課題がつねに考慮されなければならないものと考えます。
 伸びのない回答のままですが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

でも、ごめんなさい。
よくわかりません。

お礼日時:2011/04/22 13:36

あなたの持っている考え方が本当の民主主義です。


ですから
現在あるものは民主主義ではありません。
そうではない、かけ離れたものを
私たちは民主主義だと思わされているだけなのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>あなたの持っている考え方が本当の民主主義です。
わたしの「考え方」???

お礼日時:2011/04/22 13:38

辞書からの抜粋ですが、民主主義とは、


「近代民主主義においては、国民主権・基本的人権・法の支配・権力の分立などが重要とされる。現代では政治形態だけでなく、広く一般に、人間の自由と平等を尊重する立場をいう。デモクラシー。」
となっています。
短くすると、
「人間の自由と平等を尊重するために権力の分立がなされている政治機能」と言えるように思います。

>「人の意見なんか関係ない」

という考えの人がいてもいいでしょう。
ただ、他者の自由と平等に抵触しなければ、という条件が当然つくわけです。
抵触すれば法的に対応することになる。
ですから、
>自分を否定する人を肯定

することにはならないでしょう。
むろん、自由、平等、権力の分立に多様な問題は含んでいるので単純には語れませんが、基本的にはそういうことだろうと思います。
独裁国家などの場合は、権力の分立が為されていないため、他者の自由や平等ではなくて独裁者の自由に抵触するか否かで諸々の事柄が判断される。
これが民主国家との大きな違いになるのでしょう。
  
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>ただ、他者の自由と平等に抵触しなければ、という条件が当然つくわけです。
>抵触すれば法的に対応することになる。
ってことは、民主主義はある条件があって成り立つ考え方で、その条件にあわない考えは尊重されないんですかね?
考えただけで法的に対応、たとえば警察が捕まえるとかは無理だろうし。

お礼日時:2011/04/22 14:22

>人の意見なんか関係ない」って考えも。


そんな考えも「尊重しよう」というのが民主主義なんでしょうか?

>矛盾していると思うんですよね。

矛盾はしていないと思います。話し合っていけば、そういう考えが間違っていることが分かります。

多数意見が必ずしも正しいとはいえません。少数意見が採用されないのは、それが正しくないというわけでもありません。でも、話し合って決めるという過程で、多数が正しいと思えば、それが正しいはずだということに決めたのです(多数決の原理)。そして、少数派のひとに、自分たちは少数意見だったから引き下がるべきだと納得させるのには、そのシステムがいいだろうと考えたのです。

今のところこのシステム以外にもっといいものは見つかっていないのではないでしょうか。
全員が賛成するまで、延々と会議を繰り返す(ユダヤ教の?)システムもあるそうですが、効率の問題で日本では採用されては居ません。


>意見が正しいとか正しくないとか優先されるされないとかではなくて、相反する意見、それも民主主義の根っこにある考えに反する意見を尊重するなら、民主主義は成立しないような気がするので・・・

会議では尊重はするけど、その意見をじっくり聞いて最後まで尊重するわけではなく、やはりそのひとたちには論理を尽くして説得し、それで理解されなければ最後には「やっぱり間違っていますよ」と宣言しなければならないでしょうね。そういうことを繰り返して、ひとびとは賢くなっていくのだと思います(啓蒙主義)。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>話し合っていけば、そういう考えが間違っていることが分かります。
そもそも話し合うことを否定する考えの人とは、話し合えませんよね?


だからその、うまく書けないけど、例えば、話し合わないし人の意見も尊重しない人がいて、その人を民主主義の考えだと、そんな人も尊重して会議して、で、少数意見だから採用されない、と。

でも、その考えの人がもし天下をとったら、あるいは「話し合おう」って誘う人説得する人を殺したら、そんな意見を尊重したがばっかりに、民主主義じゃ無くなっちゃうと思うんですよ。だから自分を否定しているんじゃないかなって。

お礼日時:2011/04/22 14:31

#8です。



>民主主義はある条件があって成り立つ考え方で、その条件にあわない考えは尊重されないんですかね?
考えただけで法的に対応、たとえば警察が捕まえるとかは無理だろうし。

「>人の意見なんか関係ない」という意見も、ひとつの意見として尊重されるべきだというのが民主主義だろうと思います。
どのようなものであれ「主義」という以上は何らかの対立概念があるでしょう。
『「>人の意見なんか関係ない」という意見は意見として認めない、尊重しなくても良い』という考えは尊重されるべきではない、ということになります。
ただ、意見として尊重するからといって必ずしもその内容に従う必要はない、というのもまた民主主義でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>どのようなものであれ「主義」という以上は何らかの対立概念があるでしょう。
対立する考えって、単純に考えたら(私には単純な考えしかできませんけど)無視したり「そんな考えは駄目」って言って押さえつけるものだと思うんですよね。
実際、家庭とか職場ではそんな感じにやってますし。
でもそれって上下関係があるからできること、やってもいい事で、上下関係が無いのが、タテマエかもしれないけど、どんな意見も尊重するのが、主張する機会を与えるのが民主主義なんじゃないでしょうか?
対立する概念を、それに従わないとしても、尊重するのって、自分を否定しているようでなんかおかしな気がします。

やっぱり私の考えはおかしいのかな?

お礼日時:2011/04/22 15:31

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