世界には様々な教えがありますね。
僕は全くの無宗教。すべての出来事は単なる組み合わせの結果だと思っています。
スーちゃんこと田中好子さんがお若くしてお亡くなりになりました。
彼女の才能は皆さんお認めになるようですが、
このような才能にあふれた、世の中にとって必要不可欠な人材が、
志なかばで亡くなっていく不条理を宗教ではどのように教えているんでしょうか。
僕は先にも書きましたが全くの無宗教なので、単に彼女が病気になったと言うだけの事実しか感じませんが、宗教はそのような事実以外の部分が教えに入っているようなのでその辺を教えてください。
世の中には死んでもかまわないような悪人がごろごろいます。
一例を挙げると宅間守という人間ですね。
こいつは生きていてはいけない人間だったと思います。
もし神なんてものがいるんだったら、宅間が池田小学校に討ち入りする前に殺してほしかった。
でも実際には宅間はたくさんの子供を殺してから死んだわけですから、
そこに神の何らかの影響があったとは思えません。
もし、これも神の思し召しだというならいったいどういう説明をつけるのでしょうか。
田中好子さんは必要な人間です。
彼女のような世の中に必要な人間を殺し、どうでもいいような腐った人間を生かす、
これが神によって行われているならどうしてなのか、その辺の説明を信者の方々は誰からどのようにして聞いているのですか。
納得がいく説明を受けているんでしょうか。
教えてください。

A 回答 (4件)

>彼女のような世の中に必要な人間を殺し、どうでもいいような腐った人間を生かす、


これが神によって行われているならどうしてなのか

上記に関してですが、
個人的には、「○○さんは世の中に必要」、「○○さんはどうでもいい腐った人間だ」と考える事は殆どありません。
宗教を信仰すればするほど他人を自分の考えで判断しなくなると思います。
「腐った人間だ」と考える事が心に浮かんでも、「いや待てよ、本当にそうだろうか」と自分の主観を疑るようになります。

私は、他人より「自分自身の在り方」に眼が向くようになりました。
自分の人生を前向きに考え、与えられた生活の中で力を発揮する事に可能な限り集中するようにしています。

神が自分に命を与え、才能を与え、神に依り運命が決定されているのであれば、その中で悔いの無い活動をして自己満足を積み重ねていくことに(例え評価されなくても)人間の悦びはあると確信しています。
ですので、明日死んでも悔いはありません。

宗教・聖典解釈に関しては、記述箇所によっては様々な意見があり、否定的な見解に(感情的に)こり固まってしまう信者のケースをよく聞きます。
しかし、本来宗教や神仏への信仰は、人生に対する「希望」「肯定的悦び」を促進するためにあると思います。
少なくとも、信仰とはそういうものであるべきだろうし、そうであった方が幸せです。
神を抑圧者であると震え慄く信仰者ではなく、人生を共に歩むパートナーとして歓迎する信仰者でありたいと思っています。
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宗教にも色々あります。


キリスト教のような教義も体系もはっきりしている
宗教と、日本の神道のように、教義もはっきりしない
宗教もあります。

で、神道のような宗教はそんなことを説明なんか
しません。説明する必要がないからです。

説明するのは、キリスト教のような教義だった
宗教でしょう。
教義がありますから、それが全体として矛盾があっては
なりません。だから色々説明する必要がでてくるのです。

私はキリスト教の信者ではないので、そこら辺りをどう
説明しているのか、正確には知りませんが、
神の御心は人間なんかには理解できない、という便利な
一般条項がありますから、それで説明がつくと
思います。
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ひとつ大きな前提に間違いがある



神は人の味方じゃない

俺は無宗教だけど、神の存在は信じている
右往左往する人間を観察してほくそ笑んでいるのさ
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そんな説明ができりゃあ、宗教なんぞいらんわ!


無理に考えて質問練り出さなくてもいいから。

この回答への補足

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補足日時:2011/04/22 12:50
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