大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?

すいません、もう一つ。

幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

私はまるで歴史ド素人なので恥ずかしい質問ですが、宜しくお願いします。

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A 回答 (9件)

>大航海時代(日本では戦国乱世の時代あたりですよね?)、何で日本はポルトガルやスペインあたりの植民地にされずに済んだのですか?



イスパニア(現スペイン)とポルトガルは当時、世界で植民地獲得競争を繰り広げていた。

1539 年には、ポルトガル国王ジョアン三世の要請を受けて、キリスト教イエズス会のF.ザヴィエルらがアジアでの布教を始めた。目的は植民地支配である。最初から武力を行使すると味方に多数の犠牲者が出るので、先ず先兵として宗教者を送り込み、現地の人々の心を支配しておけば、植民地支配が容易になる、という目論見でした。この方法は成功しました。ザヴィエルらは、日本においても布教を行うべく1549年に来日し、布教を始めました。

ザヴィエルらが日本へ来て知ったのは、ほかのアジア諸国の人民に比べて日本の人民は教養が高く、さらに戦が強いことでした。

1467年に始まった応仁の乱以後、日本国内は乱れに乱れ、内乱時代(戦国時代)でした。戦国の時代は、武器の発達が進みます。さらに武士たちの武闘能力も向上し、剣術や砲術の力が向上します。戦国時代の日本は、世界で最強の軍事大国だったという学者もいます。

そうした事情を知ったザヴィエルらキリスト教関係者が、本国の王へ「日本を植民地にするのは非常に困難です」といった報告をしたものと思われます。

織田信長はキリスト教を公認しましたが、豊臣秀吉はキリスト教を禁止し、キリスト教関係者を国外追放しました。イスパニア王フェリペ二世の日本征服の野望を知ったからです。

徳川政権もキリスト教を禁止しました。その上、鎖国しました。西洋人は日本を征服するチャンスを失ったのです。


>幕末の黒船来航の時は外圧に負けて開港させられ、不平等条約まで結ばされましたが、他のアジア諸国のように植民地にまではされなかったのはなぜなんですか?

日本も植民地にされ、列強によって分割される危険がありました。それを避けられたのは、

(1)人民の教養が高かったから。西洋の外交官は、江戸の町の本屋の店頭で、女や子供が立ち読みするのを見て、日本は植民地にすることはできないとあきらめました。多くの人が文章を読めたのです。(日本よりも西洋の方が文盲率が高かった。)

(1)武士階級が支配していたからです。清(中国)は科挙に合格した文官が支配する国でした。西洋列強の手が隣国に及んできても危険を感じませんでした。しかし日本の支配層は武官(武士)ですから、清が英国との戦争で負けて香港を割譲したことを知り、さっそく日本もやばいぞと危機感を抱きました。武士の仕事は戦争ですから、国の危機には敏感なのです。

(2)徳川幕府の外交が巧みだったからです。大政奉還と王政復古の直後の慶応3年12月16日(1868年1月10日)、15代将軍徳川慶喜が大坂城に6カ国の公使を招いて接見し、「朝廷は王政復古を宣言したが、朝廷側に内部事情があり、依然として徳川幕府が主権者である」と説明し、政権承認の確認を求め、さらに内政不干渉を約束させました。欧米諸国の目にも、この段階では、三職をトップとする新政府の実力は甚だ脆弱であり、国際社会の承認に値する政権とは見えなかったはずです。しかし徳川慶喜が各国に内政不干渉の約束を取り付けた結果、その後の内戦(戊辰戦争)では外国の介入を招きませんでした。慶喜の側近に国際法を理解していた人材が豊富だったからこその成果と言えます。徳川幕府の大手柄と思います。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。大いに参考になりました。ただ、ここで疑問が1つ。織田信長の天下が続いてキリスト教が日本の公認宗教として広く普及していたら、ポルトガル・スペインの思惑通り、植民地化の足掛かりとされていたでしょうか…。

お礼日時:2011/04/24 15:51

#8です。



ロシア革命と日露戦争についてコメントされていましたので補足しておきます。有名な話ですけどね。
日露戦争が避けられなくなったとき、日本政府は明石大佐という人をロシアに送り込みます。明石大佐の任務は、レーニンに活動資金を渡すなどして革命運動を後押しし、ロシア政府を揺さぶることによって間接的に日露戦争を有利にしようとしました。いわゆる秘密工作ってやつです。
結果的に明石大佐の秘密工作は日露戦争に影響を与えました。アメリカで日露が停戦交渉になったとき、実は日本はもう国力をほぼ使い果たしていました。長期戦になればロシアが有利になったのです。しかし、国内事情が不安定になっていたロシア政府も戦争の長期化は望まず、停戦交渉となったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。重ねて勉強になりました。歴史は表層だけ見ていてはいけないと反省しました。また機会があったら御教示よろしくお願いします。

お礼日時:2011/04/26 18:19

あまり指摘されないのですが、実は外交情勢が(全く日本が関わらないところで)「たまたま」日本に有利になっていったという側面も見逃せないと思います。



戦国時代末期は、スペインと特にポルトガルが没落しオランダが台頭する時期でした。スペインやポルトガルがあわよくば日本を植民地に、とは思っていたでしょうがちょうど江戸幕府が開かれる辺りはオランダの全盛期に重なる時期なので、なんだかんだで実行する能力はなかったと思います。
鎖国をした江戸幕府も、オランダとは長崎の出島で繋がっていました。幕府を開いた当時は東アジアでいちばん元気があった欧州列強はオランダだったのですから、なんだかんだいっても賢明な判断をしていたということですね。
あとは現実問題として、日本や朝鮮のような極東地域は彼らからすると「辺境中の辺境」で、わざわざ大軍を送って植民地にするほどでもない、という判断もあったと思います。これは欧米で使われる太平洋で切られている地図を見るとなんとなく実感できると思います。その地図から見ると、日本て本当に端っこです。

そして幕末ですが、「戦艦百隻で攻め込んだるわ」「白い旗をプレゼントしたる。戦争になったらな、白旗が降参の印や。いざ戦争になったら必要やろうから事前に渡しといたる」と恫喝して開国させたペリーのアメリカはその後南北戦争という国内大戦争となります。当然、日本とか外国とかかまっている場合ではなくなったのでアメリカは日本植民地レースから脱落します。
そしてその他の欧州列強ですが、ちょうど同じ時期にクリミア戦争という大戦争を欧州は欧州でしています。クリミア戦争といえばナイチンゲールが活躍したことで有名ですが、しかし世界史ではかなり大きな戦争なのに日本では今一つマイナーです。マイナーなのには理由があって、同じ時期が幕末だからです。
欧州は欧州で戦争があって遠いアジアで植民地争奪戦をやっている場合ではなかったのです。
そして南北戦争が終わって大量の中古兵器が市場に流れ込んでいたちょうどその頃、極東の日本が「武器をくれ。西洋式の武器を売ってくれ」と大量の注文が舞い込むことになりました。市場でだぶついていた武器は欧州では旧式になったものですが、日本に持っていくとアラ不思議、最新式武器としてボッタクリ値段でも飛ぶように売れるので、ここは武力で植民地にするより武器売ってひと儲けしたほうがいいわいとなったのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。とてもいい勉強になりました。思わぬ国際情勢の展開に救われたり、たまたま地勢学的に見て有利だった面が強かったわけですね?
しかし日本て何か「持ってる」のかなと思います。元寇の時の暴風雨とか日露戦争の時のロシア革命とか、戦後復興の時の朝鮮特需とか、そして幕末も戦国時代も、いろんな幸運があったわけですね。不思議な国だなと思いました。

お礼日時:2011/04/25 06:25

No.6です。




>織田信長の天下が続いてキリスト教が日本の公認宗教として広く普及 していたら、ポルトガル・スペインの思惑通り、植民地化の足掛かりとされてい たでしょうか…。

信長もいずれ、ポルトガルまたはスペインの野望に気付いたと思います。そのときは政策を転換してキリスト教を禁止したでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。重ねて勉強になりました。

お礼日時:2011/04/24 23:47

 大航海時代、日本は、船の建造技術ではヨーロッパ諸国に劣っていましたが、その他の工業技術については、同等レベルで、経済的生産力では、ヨーロッパ諸国を上回っていました。


 
 当時の経済的生産力の基本である人口は、日本が2000万人以上であるのに対して、ポルトガルはその10分の1以下で、イギリス・スペイン・フランスといった諸国の数倍の人口である上に、戦国時代で武器生産が盛んであり、日本1国の鉄砲の保有量は、ヨーロッパすべての国の鉄砲保有量よりも多かったと見られています。

 鉄の生産が全く行われていなかった、マヤ・インカ帝国をスペインが滅ぼして、広大な領土を獲得したという特殊なケースはありますが、鉄の生産がおこなわれていた地域を、広くスペイン・ポルトガルが占領したというようなことは、歴史上起こっていません。

 大航海時代から300年間、18世紀頃まで、旧大陸の欧米の植民地というものは、貿易拠点の港と港湾都市及びそれを守る砦という、領土からすれば点の支配でしかありません。
 17世紀末の世界の強国=清・ムガール帝国・オスマントルコであり、全て人口の多いアジアの国です。

 18世紀にヨーロッパでは産業革命が進み、人口の少ないヨーロッパの強国の生産力が、アジアの国を上回るようになり、この図式が崩れてくるようになりました。
 これ以降、ヨーロッパの植民地支配は、貿易拠点の点の支配から、地域経済を丸ごと支配する面の支配に変わっていきます。

 とはいっても、何万もの軍隊をヨーロッパからアジアに派遣して、広い面積を植民地化するという形での植民地化ではありません。
 インドや中国などの豊かな地域の地方政権の「内乱」に乗じて、軍需物資を供給し、その代金として地方政権の徴税権を得るような形の「経済支配」をおこなっていきます。

 幕末の日本は、当時世界でも飛び抜けて教育レベルが高く、このような欧米列強の植民地化の手法について理解している者も多くいました。
 徳川幕府15代将軍徳川慶喜は、幕府対西国雄藩連合という全面的内乱を回避し、『多額の負債を負い、国内が荒廃した新生日本』という、ヨーロッパ列強が植民地化するのに最適の環境を作らない幕引きを行いました。

 もし、幕末に徳川幕府が徹底抗戦していたら、日本はヨーロッパの植民地になっていた可能性大です。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。大変勉強になりました。日本人の教育水準の高さと為政者の知恵が、外国支配を退けた面があったわけですね。ちょっと感動しました。

お礼日時:2011/04/24 15:39

日本が幕末に植民化されなかったのは、日本が千年近くに渡る幕府体制で本質的に軍事国家であり、シビリアンコントロールの国ではなかったからです。

その反対にシビリアンコントロールが千年以上に渡り徹底していた朝鮮は列強にあっという間に併呑されてしまいました。シビリアンコントロールの国は軍事の恐ろしさを体で理解していなかったからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なるほど、軍事国家だったという視点を忘れていました。勉強になりました。

お礼日時:2011/04/24 15:33

戦国時代の日本には10万挺ほど鉄砲があり、兵力数10万です。

関ヶ原で10万規模の戦争です。これに対してヨーロッパは1万とか2万程度の軍隊しか持っていません。フランス革命以降に10万規模の軍隊が登場するのです。

10万対1万!どちらが勝ちますか?


幕末ですが、大英帝国で10万の軍隊、当時の武士は40万です。浦賀だけで100門以上の洋式砲を備え、黒船来航の翌年には品川台場が建設されています。


不平等条約と言われますが、そもそもその内容は読んだ事がありますか?
当時の日本には真っ当な司法制度はなく、外国人に対して欧米基準の裁判が行われるか疑問でした。だから外国人犯罪者の裁判は領事によって行われるようにしたのです。スネルのような犯罪者が日本で出る(武器の密輸販売)とは想定していなかったのです。関税自主権は現在も無いです。それに関税率は普通です。当初は価格に関税がかけられていたのに対して改正されたのは重量に関税でした。これを元に戻すのが明治時代の外交交渉です。現在は価格に関税です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。人口は国力、という点を痛感させられました。関税の点については私の勉強不足だった事を反省しています。

お礼日時:2011/04/24 15:31

当時の世界の最先端はヨーロッパ周辺であり、各国が激しい競争をしていました。


そこから比較すると日本は僻地に過ぎず、冒険家が採算を度外視して何とか到達できる
レベルでしかありませんし、往復だけで相当なコストもかかる。そんな無駄遣いができる
余裕もなかったでしょう。

幕末については、利用価値が少なかったからに過ぎません。資源もないですし、
開国当時は、ヨーロッパと比較すると技術水準も相当遅れていました。
あんな離れ小島は無視して構わん、そういうノリでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なるほど、植民地経営するにも採算が合わないということだったんですね。参考になりました。

お礼日時:2011/04/24 15:27

東アジアが植民地化されていったのは19世紀です。


戦国時代はまだ植民地化の波は東アジアには来ていません。

黒船来航の後植民地化の圧力が日本に強くかかるには、いささか時間がかかります。
幕末からしばらくは、アメリカは南北戦争、イギリスはボーア戦争で新たな植民地獲得どころではありません。
それにとなりに植民地にするのにもっとおいしい対象、中国がありました。
その間に日本は富国強兵を押し進めた訳です。
当事植民地にするには中国のほうが豊かで、また日本は武士と呼ばれる野蛮で精猛な陸兵が跋扈する厄介な国です。
艦砲でちょっと脅せば屈服する国ではなかったので、この時期は中国のほうがおいしかったわけです。

その後ロシアがシベリア鉄道をつくり、東方進出に乗り出しました。
この圧力を強く受けたのは、日本と中国利権を持つイギリスです。
日本はイギリスと同盟を結びイギリスの尖兵となることでさらなる富国強兵をおしすすめ、日露戦争に勝利することによりやっと列強の一角にのし上がりました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。歴史の流れが分かりやすい説明で大いに参考になりました。

お礼日時:2011/04/24 15:24

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Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Qなぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのか?

題の通りなんですが、なぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのでしょうか?

植民地支配されてもおかしくない状況であったのに欧米が進出してこなかったのにはどんな理由があるのでしょうか?

どんな意見でもかまいませんので回答していただけると光栄です。

Aベストアンサー

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかしかった。
仏教、神道がの生活の隅々まで行きわたる一方、当時の日本人は宗教の”まやかし”の部分もちゃんと理解していた。

当時、日本の文明のレベル(特に底辺のレベル)が高く、西欧文明を日本流に取り入れることに成功した。
実は、他の植民地となった国々はこれが出来ず、欧米人の思うようにコントロールされてしまっている。
例えば、日本人はヨーロッパ人以上の識字率を誇っていた。
一部のインテリが欧米を見て知識を得ると、すぐに翻訳したり本を書いたりして、
それを印刷(江戸時代からの木版印刷、貸本屋のインフラがあった)し、あっという間に全国民に広めた。
寺子屋の伝統があったので国民皆教育の立ち上げも早かった。
市場経済のインフラもすでにあったので、欧米の商人と対等に渡りあえた。

明治維新が驚異的に早く終結した。
たいていの国々は封建制→中央集権制の変換に100年はかかり、
この間に国土は荒れ、富も消耗し、人材は消失し、国民の間に憎悪だけが蓄積する。
この間に先進国にいろいろな利権を奪われる。
これが最小限で済んでしまった。
また、幕府側も新政府側もそのことを熟知しており、さっさと手締めした。

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかし...続きを読む

Q日本は強かったの? 他国から歴史をみたら日本なんてなんてことない国だったの?

第一次、第二次世界大戦の時代
私は今まで、日本はアメリカに負けたけど、日本は戦争に強かった。と思っていました。零戦とか戦艦大和とか聞くし、神風特攻隊を出撃させたのは、作戦には疑問を持ちますが、とにかく日本は強かったんだと思っていました。でも、実際そうなんでしょうか?戦争に関して知識は豊富ではないですが、昔のVTRなどをみていると、簡単に言うと、ずるい方法をとったりしていたようにいわれてました。(約束破り?)
私は日本で日本の歴史を勉強するので日本は負けたけど、すごかった、強かった、というような感じを受けるものが多いですが、ほかの国から歴史を見たら、日本なんてなんてことなかった かのような存在だったのでしょうか?教えてください

Aベストアンサー

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸軍は弱かった、人命無視のムチャクチャな作戦をやって自滅して行った…という悪いイメージがありますが、仔細に見るとそうでもありません。

A) 支那事変は、蒋介石率いる国民政府が、上海周辺にドイツ軍事顧問団の指導で建設した第一次大戦型の塹壕陣地(第一次大戦の常識では『突破不可能』。ゼークトラインと呼ばれた)を建設した上で、上海に駐屯していた海軍の上海特別陸戦隊を襲撃し、救援にやってくる日本陸軍を、上海周辺の塹壕陣地に誘致して殲滅する、という計画で始まりました。

蓋を開けてみますと、上海特別陸戦隊は意外なほど頑強に戦って陸軍の援軍が来るまで持ちこたえ、杭州湾に上陸した日本陸軍3個師団は、国民政府が頼みにしていたゼークトラインを「浸透戦術」を巧妙に用いることで少ない損害で突破し、国民党軍を包囲殲滅しながら国民政府の首都である南京へ進撃しました。

これは蒋介石にとって全く予想外のことで、国民政府軍は総崩れとなりました。日本陸軍は、上記のランキングでは「ランキング対象外」の国民政府軍より「遥かに強かった」と言えます。

ウィキペディア 第二次上海事変
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%8A%E6%B5%B7%E4%BA%8B%E5%A4%89

B) ポツダム宣言受諾の「後」に、ソ連軍が北方から千島と南樺太に侵攻しました。
千島列島の北端である占守島、日本領であった南樺太には、比較的装備が良く、兵員も充実した守備隊が残っていました。
8月15日以降のソ連軍の攻撃に対し、占守島と南樺太の陸軍部隊は善戦し、
「占守島においては、上陸したソ連軍をもう少しで海岸に追い詰めて全滅させるところまで戦う」
「樺太においては、ソ連軍の南下を食い止め、南樺太の日本人が北海道へ逃げる時間をかなり稼ぐ」
という戦いぶりを見せています。

<海軍について>
日本海軍については、アメリカに次いで世界第二位の戦力を持っていたのは異論がない所で、戦前においては、東太平洋は「日本の海」でした。

「空母機動部隊」はアメリカと日本だけが編成して運用できたものですし、18インチ砲搭載の戦艦を建造できたのは日本だけです。第二次大戦終結までに完成させた大型空母の隻数で言えば、アメリカが圧倒的に多いわけですが、次に多いのは日本です。第三位のイギリスにかなり差をつけているはずです。

無限の物量と高度な技術を持つアメリカと戦っては、昭和19年のサイパン沖海戦で日本空母機動部隊が壊滅し、レイテ沖海戦で航空機の援護のない「レイテ湾への特攻」を命じられた水上部隊がろくな戦果を挙げられずに甚大な被害を受け、「沖縄への大和特攻」(坊の岬沖海戦)で終わったわけですが、アメリカ海軍相手にここまで戦える海軍は日本海軍だけだった、というのは紛れもない事実でしょう。

ご質問が「第一次、第二次世界大戦の時代、日本は強かったの」
ですが、
「アメリカには勝てないが、かなり強かった」といえます。

第二次大戦の時期の列強陸海軍ランキングを仮に作成してみます。

陸軍
1) アメリカ
2) ドイツ
3) ソ連
<この間、かなりの差>
4) 日本 4) フランス 4) イギリス
7) イタリア
(他はランキング対象外)

海軍
1) アメリカ
2) 日本
3) イギリス
<この間、かなりの差>
4) イタリア 4)フランス
6) ドイツ
(他はランキング対象外)

<陸軍について>
日本陸...続きを読む

Q江戸末期の日本はなぜ列強の侵略を免れたか

他のアジア諸国がいとも容易く列強に植民地化されていた当時、日本も江戸幕府が脆弱になり内戦が起きていた頃です。 薩長対江戸幕府の争いに乗じてイギリスやフランス、アメリカ、ロシアはなぜ侵略行動を起こさなかったのか、又は起こせなかったのかを教えてください。 当時の列強の国内事情及び列強間の関係、日本の事情を重ねて教えていただけると幸いです。

Aベストアンサー

 当然ながら、侵略行動を起こしています。その方法は、今までインドなど人工の多い国の場合と同様の伝統的な方法で行っています。

 インドでは、敵対的な関係の藩王国に、イギリス・フランスなどがそれぞれ借款による資金提供・兵器輸出をして戦争をさせ、提供した資金の返済に「徴税権」などを担保にして、停戦後にその国の税収を差し押さえ、統治機構を徐々に乗っ取っていきました。(借金返済を拒否すれば、資金提供・武器輸出をしてもらえなくなり、敵対国に負けて自国が消滅してしまうので、欧米列強に対して、自国経済の切り売りをしてしまいました。)

 日本でも、薩摩・長州にはイギリスが、幕府にはフランスが支援し、内戦が長期化しても資金提供(後で返済を要求されますが)・武器供与を継続しますという申し入れを受けていました。

 それに対して、徳川慶喜は、鳥羽伏見の戦いで幕府内の主戦派に「鳥羽伏見の戦い」を戦わせて、幕府の自力では内戦に勝てない実態を体験させた後、戦闘行為を放棄し内戦を事実上終結させてしまいました。

 幕府内主戦派には、幕府の必勝作戦として、薩摩・長州軍が江戸に進軍した時点で、当時東洋一といわれた幕府海軍によって、東海道を遠江・駿河で上陸作戦を行い、物資輸送を遮断し、江戸に入場した朝廷軍を干し上げる戦略が提唱されていました。

 これが実行されていた場合、江戸に侵攻した朝廷軍が壊滅し、フランス兵器で武装した関東の幕府軍とイギリス兵器で戦う薩摩・長州などを主体とした名古屋以西の朝廷軍が対峙し続ける長期戦となり、イギリス・フランスに対する借金がどんどん増えて行き、戦争に勝とうとすれば、日本の国家主権にかかわる領土・権利を担保に、お金を借り続けることになっていたでしょう。

 明治維新時に、日本が植民地化されなかった背景には、欧米列強のアジア侵略のパターンを知っていた人々が、『如何に内乱を短期・小規模化して、政権交代をするか。』という点について、努力を重ねたからです。
 戦力を持ちながら、ほとんど戦わずに政権を移譲した「徳川慶喜」は、日本の植民地化を防いだ、隠れた功労者と言えます。(朝廷側が政権を確立するまでに幕府兵力とまともに戦ったのは、鳥羽伏見と上野の彰義隊程度で、合計二日しかありません。)

 当然ながら、侵略行動を起こしています。その方法は、今までインドなど人工の多い国の場合と同様の伝統的な方法で行っています。

 インドでは、敵対的な関係の藩王国に、イギリス・フランスなどがそれぞれ借款による資金提供・兵器輸出をして戦争をさせ、提供した資金の返済に「徴税権」などを担保にして、停戦後にその国の税収を差し押さえ、統治機構を徐々に乗っ取っていきました。(借金返済を拒否すれば、資金提供・武器輸出をしてもらえなくなり、敵対国に負けて自国が消滅してしまうので、欧米列強に対...続きを読む

Q17世紀までの国力の差

日本には西洋至上主義で考えている人が多いですが、18世紀までの西洋、東洋の学問、文化、軍事力のレベルを比較すると、

17世紀の学問、文化水準
中国=イスラム>西洋=日本
17世紀の軍事力
トルコ=スペイン=イギリス>中国=日本=オランダ=ポルトガル=ロシア=フランス
くらいが妥当ではないのでしょうか?

また、18世紀の学問、文化水準については
中国=イスラム=西洋=日本
18世紀の軍事力
イギリス=ロシア>トルコ=オランダ=フランス≧中国=日本=スペイン
くらいになってきて、西洋が東洋に決定的な差をつけたのは19世紀になってからというのが実際のところではないでしょうか?

Aベストアンサー

15世紀~17世紀の世界歴の記載は、『貿易』がその経済的実態以上に大きくクロースアップされています。(今までなかった新しい事象が始まったことによる記載)
 その反面、18~19世紀の貿易量の急拡大については詳しく述べられることが少ないようです。

 ですから、15~17世紀において、海上交易を行った国の国力について、過大評価する錯覚を起こしやすい面があります。

 また、産業革命が起こるまでの第一次植民地時代の注意点として、
A.支配地が広く見えても・・・
1、実際に支配しているのは、拠点都市だけである。
2、その周りの広い土地は、独占交易できる勢力圏である。
B.金・銀の略奪地となっていたこと
 当時のスペイン・ポルトガル人が錯覚したように、現在の高校生も錯覚するのですが・・・
 『大量』の金・銀・財宝を手に入れると、金・銀・財宝の価値は下がってしまうことに注意。
 価格革命(南米産の銀が、スペインを通じて、ヨーロッパに大量供給されたため、銀の価値が暴落した。) ⇒ 財宝の本国への供給は、国力増強にはつながらなかった。
 
※高校の世界史教科書・参考書を参考にしてください。

<本題>
A.17世紀まで、ヨーロッパ諸国は、アジアの大国の足元にも及びませんでした。

17世紀まで、強国=人口の多い国という単純な図式で、オスマン=トルコ、ムガール帝国(インド)、清が三大強国で、人口もトルコ=1億、インド=2億、中国=3億レベルでしょうか。(人口についてきちんとした統計資料がなく、ざっくりした推定レベルですが・・・)
 
「一国の国力=生産力=人口」 であったわけです。この図式の中では、国土が広い≒人口が多いわけで、ヨーロッパ諸国に比べて広大な面積を支配する

 この三国の中ではもっとも人口が少なく、陸軍国であったトルコに対して、貿易立国が始まり海軍力が向上し始めたヨーロッパの海軍連合が、海賊主体で構成されたトルコ海軍に初めて大規模な勝利をしたのが、レパントの海戦(16です。

 海軍で勝利したとは言っても、人口による国力差がもろに出る陸軍では、依然としてヨーロッパは分が悪く、1683年にはオスマン=トルコによって、ウイーン包囲されています。
(この作戦が大失敗で、オスマン=トルコのヨーロッパにおける優位が崩れだします。)

17世紀における
国力は・・・・
 中国>インド>トルコ>日本(人口3000万人)=イギリス=フランス=ドイツ諸国連合=イタリア諸国連合≧スペイン>オランダ=ポルトガル
 といった感じでしょうか。

 ドイツ・イタリアは、全体としてはそれなりの潜在力があったものの、ドイツ諸国やイタリア諸国が完全に一致団結して対外行動を取ったことは、17世紀においてはありませんので、他国に対しては、分が悪くなっています。

 オランダは、17世紀初頭、対外貿易・工場制手工業の発達で、人口の割に国力を充実させましたが、イギリスに海上覇権を奪われ、国力を失っていきます。

 ムガール帝国のシャー・ジャハーン(在位1628 - 1658)が王妃を弔うために建てさせたタージ・マハルは、なんと「イタリア産の白い大理石」で作られています。

文化水準について・・・・
 幕末、日本に来たヨーロッパ人(=ヨーロッパ社会において文化レベルが高い人々)は、日本庶民が本を読んでいることに驚いています。
 日本の識字率は、当時世界最高レベルで、その国民的教育レベルの高さが、明治維新以後の経済発展の基礎になります。
 また、高等数学においても、ニュートンやライプニッツと同時期に、1674年、関考和が「発微算法」で、導関数の考え方を発見しています。

 17世紀の文化水準については、各地域の特色の違いはあるものの、各国毎に優劣をつけることができるだけの明確な差があるのかどうか。
 ⇒ 明確に回答するだけの知識を持ち合わせていませんので、疑義を呈するに留めます。

軍事力について・・・・
 国力があれば、軍事力は、短期間に拡充できます。また、実体として、平和国家であったり、海上戦力が極端に低かったり、また海上戦力が陸上戦力に比べて卓越していたりするので、世界的な強国かどうかの比較においては、軍事力での比較より、国力の比較のほうが適当と考えます。


B.18世紀になって
「一国の国力=生産力=人口」という図式が崩壊します。

・産業革命によって、「一国の国力=生産力 ≠ 人口」となったのです。
 産業革命以後の第二次植民地は、本国から供給される商品の消費地として、政治・経済を含めた支配を受けるようになります。

15世紀~17世紀の世界歴の記載は、『貿易』がその経済的実態以上に大きくクロースアップされています。(今までなかった新しい事象が始まったことによる記載)
 その反面、18~19世紀の貿易量の急拡大については詳しく述べられることが少ないようです。

 ですから、15~17世紀において、海上交易を行った国の国力について、過大評価する錯覚を起こしやすい面があります。

 また、産業革命が起こるまでの第一次植民地時代の注意点として、
A.支配地が広く見えても・・・
1、実際に支配...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む

Q江戸時代、藩がどう分布していたかがわかりやすい日本地図を探しています。

たとえば、
今の山口県のあたりには長州藩があり、藩主は毛利家
ということが見てわかりやすい日本地図を探しています。
そのような地図がおいてあるサイトをご存知の方はいらっしゃいますか?

Aベストアンサー

江戸時代初期は大名の取り潰しが多かったので、いつの時代が必要なのか難しいですが、一応300藩と言うことで参考URLをご覧ください。
地方ごとに分かれています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~me4k-skri/han/hantop.html

Q自分が在日かどうか調べる方法

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証明)を取れば両親のこともわかるのですか?
母親の祖母が在日で帰化していた場合、その事はどの世代まで表記されるのでしょう?

ちなみに私は両親の戸籍から分籍(転籍)しており、本籍は東京ですが、出身および両親の本籍は大阪です。


在日か調べたい→戸籍を取れ、という解答はよく見るのですが、
具体的な方法が見つからず困っています。


また在日がどうのという質問に非難が集中している様子を見ることがありますが、
まぁ私のアイデンティティを明確化させたいだけですので、今回はご容赦ください。
日本生まれの日本育ち、ここ数世代の直系は全員日本人の日本人!と、
日本生まれの日本立ち、でも曾祖母は朝鮮人だから87.5%はチョッパリニダ!では、
やはりちょっと心持ちが変わるので、はっきりさせたいのです…。

今年で21才になりますが、自分の起源がどこにあるのかわかりません。

今まで運転免許を取ったり、引っ越ししたり、分籍をしましたが、特に苦労したことはありませんでした。
それに親からも在日外国人の家系である、というような事を言われたことはありません。

しかし確実に、ここ数世代のうちに、外国人が混じってはいない、という確証がありません。


ということで自分が在日外国人の流れをくんでいるか調べたいです。
この場合、どのような手段を取ればいいのでしょうか?

自分の本籍地で戸籍謄本(全部証...続きを読む

Aベストアンサー

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q韓国人が一発で黙る歴史の真実

東アジアでは昔から「王」は「皇帝」の家来です。
従って朝鮮王と名のることは中国皇帝の家来ですと宣言することです。(日本は天皇がいた。)
このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

Aベストアンサー

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。

>このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

私も激しくなる事はあっても黙らないと思います。
まず、李氏朝鮮は古くは明、後に清に冊封していた事は明らかです。
韓国でどういう歴史を教えているか知りませんが
嘘の多い韓国の大河ドラマですが「チャングムの誓い」「イ・サン」「トンイ」で世子(セジャ・次期朝鮮王)、世孫(セソン)を世継ぎとして明や清に認めてもらうと言う場面が多々あります。
少なくとも、李氏朝鮮は明や清に朝貢、冊封していた事は認めています。
もし、そう言う認識が韓国に無いのならばこのドラマを作った監督は韓国マスコミや民衆に袋叩きになっていると思います。

中国に対しても韓国5000年の歴史と大統領が発言したりして中国より歴史があると言ったりしています。歴史観でほんの少しでも日本寄りの発言をすると韓国メディアや国民から袋叩きにあって社会的に抹殺されます。
それがソウル大学の教授でもですよ!
まだ、社会的な抹殺で殺人でないだけ良いですが…
(添付YouTubeを見てください)

韓国の有識者は日本併合(植民地)時代の本当の歴史等を知っているとは思いますが全体としては臨時政府などと言い方を変えたり、テロリストを反日であれば英雄にしてしまうように都合のいい歴史観にしています。
考古学的に何の検証もしていない神話レベルの話で韓国5000年の歴史と大統領が発言してもはばからない国です。
現在は日本は、歴史は歴史で神話とは別というのが日本人の共通認識のはずですが韓国人がどこまで区別しているのか、全く分かりません。

何せ、韓国では日本は悪でなくてはならない国であり、韓国は常に正義であり善であると教えている国です。
今の韓国には日本人が何を言っても逆なでする事はあっても肯定する人はなく無駄な気がします。
多少の隠れ親日派は作れるかもしれませんが公に口にする人はいないと思います。
韓国で権威のある歴史学者、大学の教授の発言でも親日でなくとも日本を少しでも擁護する内容であれば叩かれます。

李氏朝鮮末期の記録は欧米の記録や写真などが多少なりとも存在しています。
そう言った物、資料を直視する韓国人は少ないのです。
今の韓国と日本で歴史観を埋めようとしても一方的に韓国の歴史観を押し付けられるだけです。
今のうちに、そう言った客観的な資料を集めておくとか、日本、中国の文献を集めておくとか準備しておくくらいしかないと思います。
あまり人の事を言える立場では無いですが慰安婦問題なら「韓国軍のベトナム人大虐殺」「米軍慰安婦」とかで対応するしかない。

添付YouTubeでも言っているように
韓国とは暫く距離を置いて付き合うのが無難だと思います。

【日韓問題】 韓国人から見ても異常な…韓国人ブロガー・シンシアリー氏 .
↓↓(YouTube)

https://www.youtube.com/watch?v=cluHbI5i7gU

失礼な表現、記載、誤記等ありましたら済みません。

>このことを韓国人に教えてあげれば韓国人は黙るしか無いと思いますがどうでしょうか?

私も激しくなる事はあっても黙らないと思います。
まず、李氏朝鮮は古くは明、後に清に冊封していた事は明らかです。
韓国でどういう歴史を教えているか知りませんが
嘘の多い韓国の大河ドラマですが「チャングムの誓い」「イ・サン」「トンイ」で世子(セジャ・次期朝鮮王)、世孫(セソン)を世継ぎとして明や清に認めてもらうと言う場面が多々あります。
少なくとも、...続きを読む

Qもし現代人が江戸時代で1ヶ月生活するとしたら、何で困るでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? それとか、今のように肉食はそんなにしなかったはず。 せいぜい鳥や兎の肉くらいでしょうか? あと、お酒もそうですね。 現代人に飲めますか?

匂い。 どうでしょうか? 当時の家の中や、町全体、一体どんな匂いがしていたでしょうか? そして1ヶ月間、現代人に耐えられるでしょうか?

風呂。 現代人が躊躇なく当時の銭湯に入れますか? 当時は毎日入っていたんでしょうか?

トイレ。 現代人に当時のトイレで大・小できるでしょうか? 特に女性の場合。

人によって感じ方が違うと思いますが、上に挙げた以外で 「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?

空想の話で恐縮です。

時代小説を読んでいて時々思うのですが、もし今の日本人がタイムマシンか何かで数百年前の江戸時代に戻り、そこで1ヶ月ほど当時の一般庶民の家に滞在するとしたら、何で困ると思われますか? あるいは何も困る事はないでしょうか?

例えば食事。 衛生状態は今ほど清潔ではなかったはず。 もしかして最初の食事で腹痛や下痢をおこし、ギブアップになるでしょうか? それとか味付け。 現代人の口に合うでしょうか? 我慢しないで1ヶ月食べ続ける事に何も問題ないでしょうか? ...続きを読む

Aベストアンサー

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキのバケツではなく、木の桶で運びますから重たい。道具は何でも重たくて大変。飯炊きの釜や薬缶もアルミ製のものはありません。みんな鉄か瀬戸物です。
(4)カマドに火を着けます。火打ち石でやります。なかなか火が着かず難しいです。火吹き竹で空気を送り込んでやっと景気よく燃え出しました。飯を炊きます。一人当たり三匹の目刺をあぶります。
(5)雨戸を開けます。障子はみな紙です。ガラスではありませんので、吹き降りの日だと雨戸を閉めないといけません。昼間でも暗いです。
(6)家族そろって朝食。
(7)食器などを洗います。油の着いた食器を洗うのは大変です。ママレモンはありませんのでギトギトがなかなか取れません。水道の水でジャージャーやるわけのもいきません。
(8)井戸端で盥で洗濯します。これも大変です。

・・・女性は大変でしょう。田舎の明治生まれの女は、以上のようなことをやっていました。江戸時代とそんなに変わりません。電気(裸電球)とマッチだけが江戸時代よりマシなだけです。

>「1ヶ月滞在するとしたら、おそらく大多数の現代人にはこれが苦痛だろう、あるいは無理だろう」 と考えられるのは、どんなものでしょうか?
・・・夏場の暑いときに一ヶ月滞在すれば、参るでしょう。
・網戸がないので蚊に食われる。
・ハエがブンブン飛び回る。食卓の食べ物にハエがたかる。
・冷房や扇風機がないので暑い。雨の日は雨戸を閉めるのでこれも暑い。
・便所が臭く、人の体も臭い。
 夏場でいいことは、行水などで女性の裸を見る機会が多いことくらいかな。

 下級武士のご新造さんの一日(朝のみ)。
(1)最初にご新造が起床、用便を済ませます。汲み取り便所だから臭いですね。蛆が湧いています。ハエが便所に限らず、そこいらじゅうブンブン飛び回っています。しゃがんでウンコ・オシッコするのはきついですぞ。
(2)次に井戸端で洗顔します。釣る瓶で水をくみ上げて、その水で洗顔、大体は外の吹きさらしですから、これからの季節は寒いですぞ。
(3)朝食の準備にかかります。井戸端で味噌汁の実にする大根を洗い、米を研ぎます。台所の水がめに水を張ります。ブリキ...続きを読む


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