お読みいただきありがとうございます。どのカテゴリーが適当かわからないままここで質問させていただきます。

 時代劇ではよく傷口に消毒のために口に含んだ焼酎(まさか日本酒ではないと思います)を吹きかけるシーンがありますが、これについて疑問がいくつかあります。

(1)日本人が酒(アルコール)に消毒作用があるという知識を得たのはいつ頃なのでしょうか。

(2)それが一般常識になったのはいつ頃なのでしょうか。

(3)その頃の焼酎のアルコール度数はどのくらいだったのでしょうか。

(4)口に含んで吹きかける焼酎に本当に消毒する能力があるのでしょうか。素人考えではアルコール度数がある程度下がること、口中にも雑菌はいると思われることから口に含んで吹きかけるよりも直接傷口を焼酎で洗った方がよいように思うのですが。

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A 回答 (3件)

時代劇には詳しくないので、(4)だけ。



傷口に対してのアルコールの消毒はあまり意味が無いと言われております。
一時的に菌が少なくなってもまたすぐに入ってしまうからです。

また、アルコールは80%が一番消毒効果があると言われており、口に含んで雑菌も一杯でというさらに効果は・・・


水で洗うのが一番です。

この回答への補足

 お礼書くの忘れました(--; ご回答ありがとうございました。

補足日時:2011/04/25 21:49
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この回答へのお礼

 ほほー、80%ですか。素人考えだとより純粋アルコールに近い方がいいんじゃないかと思うんですが違うんですね。勉強になりました。

お礼日時:2011/04/25 21:35

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%82%A2%E3%83 …

上記によれば、日本では「平安時代」からのようですね。

確かに「時代劇」でよく見かけますね。

時代劇とは言っても、多くは江戸時代が多いですね。

水戸黄門、遠山の金さん、暴れん坊将軍など。
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この回答へのお礼

 回答ありがとうございます。

 最初真面目に読み始めて頭が混乱しました。こんなサイトがあるんですねぇ。ビックリです。ひととき笑わせてもらいました。

お礼日時:2011/04/25 21:42

時代劇やん(^w^)




そんなに難しく考えなくてもイイんじゃない??(^_^;)



時代劇やドラマには暗黙の了解ってもんがあるやん!
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この回答へのお礼

 おっしゃるとおり、時代考証など関係なく楽しめばいい時代劇もたくさんありますよね。必殺仕事人シリーズとか...(^^;

 ただ、今回の質問はあくまで「日本におけるアルコール消毒の歴史」(そんな大げさなモンじゃないか)に注目したもので、時代劇に着目したなら別のカテゴリーにアップしていました。ゴメンなさい。

 いずれにしてもご回答をありがとうございました。

お礼日時:2011/04/25 21:26

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Aベストアンサー

現在は自然治癒能力に任せるのが主流になっているので、むやみに消毒や軟膏を使う事はありません。
大きな傷でも無い限り、通常は水道水で洗浄して乾かして置くのが常識になっています。

http://www.nikkeibp.co.jp/archives/375/375119.html

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きつく縛る以上の手当ては出来なかったようです。
江戸時代初期に南蛮医術に続いてオランダ医学が伝来したので、当時のヨーロッパで知られていた薬やメス、包帯類は数が少なく貴重品であったにせよ、日本でも使われていたと考えられます。しかし、戦場では昔ながらの
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小便や馬糞が効果があるなどの記述が時代小説などに見られます。オランダ医学が盛んになるまでは日本の医学は漢方中心ですが、漢方は内服薬で自然に健康体を作る
という考え方なので外傷には効果が少なかったようです。なお手術に欠かせない全身麻酔を初めて実用化したのは幕末の医師華岡青洲です。江戸時代といえどもオランダ医学を学んだ医者のいるところでは当時の西洋並みの治療が行われていたと考えていいでしょう(設備の差はあっても)

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といった感じです。

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アメリカに35年ほど住んでいる者です。

まず、blonde と言う単語ですが、eが付いたりつかなかったりしますが、ここアメリカではeをつけるのが普通となっています.

そして、そのブロンドの殆んどの地毛はブルネットなんですね. (子供の頃はブロンドでバービーのような毛であっても、十代になると色が変わってきます) でもそのような、染めたブロンドの人の事をなんて言うかというと、ブロンドの色であれば、ブロンド、と言うんですね. Natual blondeとbleached blondeの違い、となるわけですね. (マリリン/モンローは後者になります)

ただ、こちらでは、髪毛の色の名前はたくさんありますので、それによって、「いつも」同じ色の髪の毛の色を言います. dark blonde, light brown, brown, brunet等のように、色が濃くなります.

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こちらでは、この地毛と染めた色の事が普通に分かっていますので、運転免許書、ないし、パスポートでも、地毛ではなく、いつもの髪の毛、と言う事で、表記しています.

また、最近では、東洋人も染めますので、brunetと言う言い方で、ダークブラウンに染めていれば、その色の髪の毛をしている、と言うようになってきています. (I'm a brunet but the real hair color is black、と言う具合ですね)

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また、日本女性の染めているダークブラウンはblack hairとはいえませんね. ですから、brunetのほうが自然なかんじです。

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アメリカに35年ほど住んでいる者です。

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 以下はわたしが書いたものの抜粋です。テーマが少し違うため直接お役に立たないとは思いますが、もともととても長いものですので、ヒントになりそうなところだけをブツブツと切り取ったものをご回答として。。。
 
1.世界史から見た「車」

●紀元前1595年、ヒッタイトの軍勢が古代バビロンを攻略し占領した。この戦いでは木製の車輪を持ち2頭の馬に引かれた戦車が登場している。この時代に戦車として応用されていたくらいだから、一般の物資運送用には、さらに古くから「車」は存在していたであろう。
●ほぼ起元の頃に当たる古代ローマの時代にも一頭の馬に引かせた戦車(チャリオット・シャリオ)が戦争で使用されていたし、カルタゴの名将ハンニバルのアルプス越えや敗走のシーンにも戦車は登場する。古代ローマと言えば勇壮な戦車競争があるが、ローマ人はエトルリア人からこれを教わったという。
●10世紀以降の頃、わが国では「源氏物語」が書かれた時代、ヨーロッパの主要都市では馬に引かせる荷車が広く普及している。パリではゴミや水を道路に投げ捨て、これを豚が処理していたという。ここに荷車が通るから、道路は年中ヌタヌタ状態で悪臭もひどかったという。それが理由で、やがて道路には側溝と歩道が作られ、次第に石材で舗装されるようになり、さらに大規模な暗渠が整備されることとなった。
●1200年のハンザ同盟の頃のドイツ、わが国では平清盛全盛の時代、ここにも馬車が活躍している。1618年に起こった三十年戦争では人も乗る幌馬車が活躍している。
●18世紀から19世紀、イギリスで起こった産業革命では輸送力が大きく貢献している。また、乗用の辻馬車が生まれ、炭鉱の坑内でもトロッコが活躍している。これらはディッケンスはじめ多くの文学にも登場する。
●1818年、独立間もないアメリカで、開拓民のために土地を給付する法律が施行されて、民衆は新天地を求めて西へ西へと移動を始めた。2頭または4頭の馬に引かせる幌馬車や4頭の馬に引かせる駅馬車(ステージコーチ)などは西部劇でもなじみ深い。

2.日本史から見た「車」

●古墳時代の出土品のなかに円形で、中央に穴があり、穴から外周に向けで多数の線を刻んだものがある。これが「車輪」を模したものか、あるいは宗教的な宝具なのかは不明。
●奈良朝の時代(6~8世紀頃)、唐からさまざまな文化文明が流入している。「車輪」や「車」の概念もまたあったと思われるが記録に乏しい。
●平安時代(10世紀頃)、牛車(ぎっしゃ・御所車)が見られる。平治物語絵巻「六波羅行幸巻」にはこの牛車が克明に描かれているが、一部を鉄などで補強した直径の大きな車輪に特徴があり、ここに当時の「車」が置かれた環境を見て取れる。
●天正20年(1592)、秀吉が朝鮮に出兵した時代、大坂城の火薬庫に多数の荷車に積んだ火薬が搬入されたという記録がある。特に大坂、堺などでの荷車の普及は顕著というが、その姿は不明。
●天文、元亀(16世紀頃)から始まったいわゆる戦国時代、たしかに「車」に関する記述は少ない。まして「乗用」ともなるとまったく見当たらない。少ないこともまた、その理由の推測と考証の足がかりとなる。
●文久2年(1862)に発生した生麦事件に対してイギリスへの賠償が行われることになり、イギリス軍艦パ-ル号に積み込まれる賠償金を運ぶ多数の「大八車」の絵が1963年9月12日号のイラストレイテッド・ロンドン・ニューズ紙に掲載されている。

3.構造と機能から見たわが国の「車」(あまり関係ないので1項のみ)

●路面からのショックを吸収するサスペンションバネの概念の遅れもまた、乗用の「車」の普及度の低さに関係しているかもしれない。とかくのんびりと進む牛車(御所車)の場合はともかく、バネを介在させない「車」では今日の舗装路でも、とても長時間は乗っていられたものではない。

4.中世までの環境から見たわが国の「車」

●これまでに述べたように、「車」というものは、過去、人の力、あるいは家畜の力を利用して運行できるものでなくてはならなかったし、また、その車輪の仕様や車体の寸法が当時の道路事情に合致していなくては利用度が低かったはずである。
●馬は長距離に適しているし歩行速度も速い。その点、牛は長距離には適さないし、その速度も遅いが、根気が良く、短距離かつ長時間の労役には適していた。いわば高回転高トルク型エンジンに似た馬の特性、低速トルクの高いエンジンに似た牛ということになろうか。
●戦国の世には、長距離に及ぶ街道はまだ完全に整備されてはいなかった。
●多くの軍勢は表立って街道筋を通ることを避け、山野を横切ることで、その実勢力を傍の目から隠し、同時に移動距離を縮めていた。そして戦場となるのは自然のままの原野である。このような戦術と環境では「車」は利用度が低かったはずである。
●馬、れん台、輿、駕籠などはこの点、地形やその他の環境に対して対応性と踏破性が高い。
●当時の道路事情といえば、例えば大坂、江戸、京など大都市の市中においてはかなり整備されていたはずである。しかし、ヨーロッパと異なって舗装が遅れたわが国では、一旦雨が降れば車輪がスタック(頓挫)して、そこから引き出すのにさぞかし難渋したことであろう。
●当時の都市計画から見ると、例えば大坂や堺、江戸などでは市中に物資運搬用の船が往来できる堀や運河を縦横にめぐらせることに重点が置かれていた。「車」の積載量に比較するとまさに桁違いに運搬効率の高い船への依存度が高かったからであろうし、大八車などは近距離用として副次的に使用されていたと考えられる。
●中距離、遠距離まで大八車などが引き回されることは、一部の地域や方角を除いて少なかったものと考えられる。一方、乗用ともなると、近距離なら駕籠や馬の方が地形や道幅に左右されない分だけ有利で、利用度の高さで勝っていたはずであり、ここにも乗用の「車」の普及が遅れた理由があるのではないだろうか。
●堀や運河、川などの多い大都市では当然のことながら橋が掛けられている。当時の木橋ではアーチ型に構造材を組み合わせていたことを考えに入れなくてはならない。万一、橋の上り勾配で力負けして「車」が止まってしまうと、「転がり抵抗」も加わって、再度発進させることには大変な労力を要する。坂の多い地域もまたしかりである。物資運搬用の大八車なら丁稚などに手伝わせることもあったであろうが、このような環境においては人力はもとより、牛馬を使う「車」が乗用の営業運行にまで発展しなかった理由がここにもありそうである。
●都市間の移動となると、とかく問題となるのが箱根、山科といった山道、峠道、そして、当時は橋がなかった一級クラスの河川であったろう。たとえ大名行列といえども、そして大人数のお供がいるにしても、「車」はとかく不便であったに違いない。ここでも駕籠、馬、れん台の方が利用度の高さではるかに勝っている。
●当時の街道を考えてみるにつけ、現存する旧東海道(横浜市戸塚区、保土ヶ谷区内)の道路の幅員の狭さに驚かされる。車幅1700ミリの5ナンバー車が一台やっと通過出来る程度の道幅であり、大八車などが頻繁に往来するにはあまりにも狭い。

 以下はわたしが書いたものの抜粋です。テーマが少し違うため直接お役に立たないとは思いますが、もともととても長いものですので、ヒントになりそうなところだけをブツブツと切り取ったものをご回答として。。。
 
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●紀元前1595年、ヒッタイトの軍勢が古代バビロンを攻略し占領した。この戦いでは木製の車輪を持ち2頭の馬に引かれた戦車が登場している。この時代に戦車として応用されていたくらいだから、一般の物資運送用には、さらに古くから「車」は存在していたであろう。
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Q消毒&長期保存のために焼酎を使う場合の度数は?

レモンや ショウガの蜂蜜漬けを作ろうと思い、
ガラス容器の消毒&長期保存できるようにとホワイトリカーを
買いに行ったんですが大きいサイズしかなく、
甲類の焼酎 25度を買ってきたんですが、
これでは 効果はないでしょうか?

確か果実酒用のホワイトリカーは35度だったと思うんですが、
35度ないと意味ないのでしょうか?

Aベストアンサー

「意味無い」とまでは言えないで、まあ問題無いでしょうね。

しかし酒好きの私ならば35度を買い直しに行きます。
手元の25度は美味しく飲みます。

ご質問の文面から察すると、焼酎を使う目的は消毒ですよね?消毒だけならばOKですが、漬け込みにも使うのでしたら35度が良いです。
出来上がりが違います。

Q江戸時代船が川を遡るときはどうしてましたか?

江戸時代の物資運搬の主な手段は船でしたが、
船が川を遡って上流に行く場合は、どうしていましたか?
隅田川のように海に近くて、水面穏やかな川でしたら、手漕ぎで大丈夫と思いますが、
荒川、利根川などの中流、上流などは、そのようにはいきません。
人や馬が引いて登ったとすると川に沿ってそれ用の道があったと思いますが、そのような話は聞いたことがありません。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

川舟といえば、全国的に使われた高瀬舟ですね
基本的には人力で引上げていきます
高瀬川では一艘に3、4人の「曵き子」がついたようですが、
(綱道がありました)
たいていは船に乗っている人員で引上げました
最低編成では船頭(船)、中乗り(櫂でこぐ)、艫(とも=船尾)乗りは最後尾で櫓を操りるのですが、
瀬が早い場所になると船頭が船に残り、その他の人が岸に上がって船を引くのです
川によって、事情は少し異なり
風を利用したところもあります

◆高瀬川(運河)
9箇所の舟入り(船着場)があった
http://park23.wakwak.com/~hotaru2/ayu.html
◆富士川(帆掛け=風の利用)
4人一組の図や写真があります
(新しいものは帆かけ舟実演行事の写真)
◆岡山県の勝山
川沿いに石畳の船着場があります
こういうところはまだ引きやすいかと思います
http://4travel.jp/traveler/sansai_meijin/album/10268324/

Qお米1合はご飯何グラムですか?

お米1合(150g)は炊きあがり後の「ご飯」になった時は大体何グラムでしょうか?
また、炊飯ジャーなどで、容量6L等とありますが、このリットルはどの状態の事を差すのでしょうか?(米?ご飯?、容積?)

Aベストアンサー

一合150gのたきあがりは約300gです。ちなみにお茶碗一杯150gおにぎり一個100gすし一貫20gカレー一人前300g弁当一個220gが標準です。


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