他の方の質問を見て気になったんで質問します。

生には音読みと訓読みの両方があるのに、死には音読みと訓読みが同じで、と言うことは音読みしか無いように見える。日本人は死という言葉を中国人から教わるまでそんな言葉を持っていなかったんだろうか。縄文時代の日本人は死をなんて呼んでいたんだろうか。

これ哲学で聞くか国語で聞くか考古学で聞くか迷ってるんで、皆に聞いてみます。

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A 回答 (12件中1~10件)

こんにちは。


No.2kadowaki様のご回答中で列挙のいたる、いぬ、うす、きゆ、さる…などの「死」に対応する倭語が一際目をひきました。
縄文時代の日本人の死生観、自然観、時間観、空間観が息づいているようにも思われるのは私だけでしょうか。

大野晋の推論では、
「トク(トケル)」と「トキ」との関連性から「われわれの祖先は、ものがゆるみ流動してゆくこととして、時を直観したのではないだろうか」(『日本語をさかのぼる』岩波新書)とのことですが、もしかすると死生観もこれに通底するものだったと察せられます。いかがでしょうか。

たしか大野晋の説に詳しい御方がいらっしゃいましたね。
こちらにてうかがってみたいものです。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

この質問をトキと結び付けてくれたのは、私にとって新鮮でした。西洋の絵画では基本的に描かれるテーマは長いあいだ、永遠、すなわち「存在」だったように思えます。近代になっても時間を単なる座標系の一要素としてしまい、時空をミンコフスキー空間のように「静的な幾何学」で捉えて、世界を決定論的な運動方程式で記述しようとする。

一方、極東の絵画では雲の中の渦や煙の中の渦を頻りに書いて来た。少なくとも日本人は存在よりも「変化」、流転、すなわち時の流れという、次から次へと新しい物が創出される「動的な語り」の世界、あるいは確率論的な運動方程式によって描かれる世界に興味を持っていたようですね。だから日本人は永遠の命なんて言わない。死も時の流れの中の出来事として捉えようとしているのでしょうか。

西欧の「ある」世界、無時間的な世界と、日本人の「なる」世界、トキのある世界、自ずと自然観が違っているようですね。

お礼日時:2011/04/26 20:45

 cyototu先生はたいへん素晴らしいことに気付かれましたね。

私は今まで“死”という漢字の音読みと訓読みが同じだとは気付きませんでしたし、浅学にしてそういう指摘コメントに遭遇もできませんでした。
 そんな私は無論、皆様の回答を勉強するだけで、感想などの余談を書きます。

 今でこそ音読み訓読みの状況を多少理解していますが、音と訓って同じではないかという思いを抱いていました。
 つまり、“死”という漢字以外にも音と訓が一緒の語が幾つかあるのではないかと存じます。今ではカタカナ語ですが、昔の人の外来語の日本語化なんですね。
 枯(れ)る。これは今の私たちでは植物の“枯れる”であり、動物や私たち人間ではこれ以外の語があったのだろうか?
 この問題に言語の側面から直接に答えを見出す事は難しく、“枯(れ)る”なのだと、当面、受け取っていることになるのでしょうね。
 それで、cyototu先生へのご回答は平仮名の“かる”でしたね。それに漢字をあてたのですね。“枯(れ)る”と。
 私もそうだと思います。“か(れ)る”は涸れるという漢字変換もありますので、語幹の“か”は多分、同じで水やその他の液状や気体的なものとしての生命、“気”なんでしょうね。
 ところで“気”を“プラナ”と同一視する見解もあり、それはそれでいいと存じます。ほんとうは違うのですが。
 私たちでは“プラナ”は生命と(であり)意識という解釈をしております。
 ある種の存在と私たちの意識(生命)との介在的流動体です。
 自分とかこの個体の本体はその流動体全体ですので、まぁ個体の死も全体の死もないということにはなるんですが。
 つまりある意識存在の発したvibrationにその意識が観念を投射して反射という見え方が“個”であるにすぎない。

 四方山に(豊葦原)などのおしゃべりを更に加えます。
 江戸湾の広大な湿地帯であった、神田、浅草、千住、向島、柴又辺りまでの瑞穂の地が小学校時代から高校までの私の原郷・原風景です。
 確かに葦・蘆、稲穂などという草も指しますが、人間の意識とは見慣れた環境と自分を重ね合わせますから、葦・蘆、稲穂であり、自分達人間のことなんですね。
 葦・蘆は根分けができるでしょうが、それほど単独、独立でもないのですね。
 生命とか意識、そして地上の存在というものはそういう性格がありましょうね。


 A4、2200P 上下2巻の私たちのバガヴァッドギータの第八章の第19句も
 O son of Pritha, Again and again, the same throng of men helplessly take rebirth.
Their series of incarnations ceases at the coming of Night, and then reappears at the dawn of Day.(拙訳:人は為す術べもなく同じ紐に繋がり繰り返し再誕する この転生の連続はBrahmaの夜の訪れで已み その曙とともに彼らはまた現れてくる)とあります。

 更に聖書:Psalms詩編90:4-6
 "For a thousand years in Thy sight are but as yesterday when it is past, and as a watch in the night. "Thou carriest them away as with a flood; they are as a sleep: in the morning they are like grass which groweth up. "In the morning it flourisheth, and groweth up; in the evening it is cut down, and withereth."
 (拙訳:千年の過ぎ去りもあなたの目には夜のひと時の僅か昨日です あなたは彼らを大水のように流れ去らせ彼らは眠るかの如くになります そして朝にはまた草と同じに生え出させます 彼らは朝に盛んになり成長し;夕べには刈られ枯れていきます)

 涸れる:
 私も行をすれば、直ぐに何かが満ちてきて生命的になりますが、一日を終えて、行に入る前はもう、なにもかも涸れて四肢を動かすのも困難を極めます。
 だから多分、【枯れる=涸れる、或いは、涸れる⇒枯れる】なのかとも思います。

 それにしても、漢字の“死”では一括一絡めですね。特に肉体の結果状況を観察し示すことしか、私たちはできません。
 古代中国の方は“死”という語と字で死をどう観念していたのでしょう?
 外国にお住いと知りました、その外国ではどういう観念の仕方なんでしょう。
 私たちはそして、私たちの先人は仲間や国、藩のために死ぬことはそれでいいと思っています。
 残った彼らにおいて、自分は生きているし、自分は死んでいない気持ちです。
 私において、多くの方が生きています。
 【武士道とは死ぬることと見つけたり】という感情は当然なんです。草なる自分が意義だの名誉だの地位だの、権力だのは考えるだけ馬鹿馬鹿しい。
 そうやっていろんな生と死があって、全部が自分(達)だ。という気持ちで居ますが。
 それって、個的存在意識が薄弱なんでしょうか?
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この回答へのお礼

有り難うございます。参考になりました。

お礼日時:2011/04/30 05:25

No.2です。



「縮退」のお話、興味深く拝読しました。

が、私としては、「なるほど」と思いつつも、次のようなことを考えてみました。
中国語の「死」と倭語の「いたる、いぬ、......」との差異は、文字(書記)言語と音声言語との差異に置き換えられるのではないか、と。

転変してやまない現象そのものを追尾、追従しようとする音声言語が帯びる具象性に較べれば、文字言語(視覚記号)は、連続的な現象に内在する時間性のみならず、その個別性、固有性、一回性、無双性、具象性等々をも捨象するところに、つまり現象を抽象的な《概念》と化そうとするところに、そのメディア機能としての最大の特徴が認められるのではないでしょうか。

と言うか、そもそも文字とは、人間が謎に満ちた現象世界を視覚と結託して、これを攻略、支配、所有、征服しようとする営為の過程から生まれてきたと考えるしかない、つまり、現象世界の具象性を徹底的に除去し、希薄化する過程を経て生み出されたモノにほかなりませんよね。

中国語(漢字)が流入してきた当時、まだ現象世界と身体感覚で交感、照応しながら生きていた倭人には、素朴な原始生活を営んでいた倭人には、現代人の「死に何種類もあるはずがない」という死生観は想像すらできなかったのではないでしょうか。
彼らにとっては、人生の諸相が驚くべき多彩さを呈しているように、現代人が平然と「死」という一語で括ってしまう出来事にしても、「いたる、いぬ、......」といった多彩な諸相を呈して見えたことには何ら疑問を抱かなかったはずです。

その意味では、倭人にとっては、はじめに抽象的な「死」が感じられたのではなく、はじめに具象的、個別的、体感的な「いたる、いぬ、......」があったのではないでしょうか。
こうした現象に肉薄した認識、その意味では詩的認識、身体的認識、生活的認識と言っても過言ではない具象的な身体感覚が、中国からもたらされた文字という視覚記号によって概念というモノに抽象化されてしまったわけです。

その代償として、原始的な部族共同体という人間関係しか存在しなかった日本列島に、文字(の規範、制度、体系)をメディア(媒介)としてはじめて成立しうる国家(倭国)の原型が誕生することになったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

有り難うございました。参考になりました。

お礼日時:2011/04/30 05:19

縄文の言葉に対するご関心について、否定的なことを別の欄で書いて、親方に叱られてしまいました。

悪いなと思ったので、僕も出し惜しみせず、自分のアイディアをもってきました。ダメかもしれませんが、お詫びのつもりです。

僕の発想の源にあるのは、白川静が『文字遊心』でやってみせた「真」という字の解釈です。詳細は飛ばして、論理だけ描いてみます。白川が字の形成を検討すると、この「真」という文字は、どうやら元は、死体を埋めるという意味で、死と同じ意味だったらしい。しかしそれが「真実」というように誠を示す言葉になったのはなぜか?と問うているのです。彼は文字形成の検討から始め、類似した漢字を集めて、自説を補強します。その上で、「真」が「まこと」の意味になった出来るだけ古い用例を集めてきて、どうやら儒教の時期に、用例が集中していると論じます。つまり儒教では、死こそ人間の真であると考えるという思想があった。したがって、本来は不吉であった「真」という文字が、非常に好ましい言葉に転身したというのです。

同じことをこの「死」でも、ある程度まで、やってみましょう。死とは、どうやら「占+人」が元の字の形成であるようです。残念ながら、学問的な図示もってこれませんが、次のサイトが、わかりやすく書いています。
http://ameblo.jp/hatti2004/entry-10491463704.html
すると、この漢字は、占いに関連した意味をもともと持っていたらしい。占いとはいろいろな意味があるでしょう。病人を治したのも占いなら、埋葬も占い、罪人の罪状を図ったのも占いであり、天候を見たのも占いです。こう考えると「占+人」とは、当時の医学・法律・科学だったわけです。となれば「死」とは、そもそも占いのテクニカル・タームだったのではないか。
つまり中国の「占い」の技術を日本は取り込んだことによって、「死」という言葉が必要となり、あまりにその影響力が広範なので、元の言葉と取って代わったのではないか。しかし残念ながら、初出の用例を広範に渉猟することができないのが、僕の限界です。

さて、元にあった言葉は何だったのか。これは死に類似した他の言葉で、縄文から残っていると思えるものを検討しないことには、仮説が進まないでしょう。しかしそれは漢字とは同じ手法ではなく、音声的な類似を解釈するという手法になるでしょう。僕はこの手法のルールについて、想像力をめぐらすということ以外知らないので、またも恥をかき捨てることになります。
僕が注目したのは、「いぬ(逝ぬ)」と「さる(去る)」です。これらは、奇妙なことに、二つとも犬と猿に音が似ています。なぜ動物と似た発音を当てたのだろうか。紛らわしくはないのだろうか。そこで僕が考えたのは、むしろ積極的に音を似せたのではないかということです。つまり「死とは動物化することである」という発想があったのではないかと思ったのです。
我田引水を強行すると、狗神や猿神がいるのは、死ねば犬や猿になるという古代信仰の名残が今に伝わったからではないか。オオカミ(大神)と狼が同じであったということはよく言われています。最上位の神が犬なのですから、死んで犬になったら、猿になるより上等だったのか?猿は下等だったのか?とも想像力を逞しくしてみます。
しかし(占+人)という発想が入ってきて、いやいや、人は犬や猿になるんじゃないぞと教えられた。神は神でも、狼じゃないと言われた。人間が動物になるなんてとんでもないことだ。中国人が死後に人が何になるかと考えていたかは、よくご存じでしょうから、詳述しません。ただ犬や猿になるという発想を否定したであろうことは、間違いないでしょう。

ただし、以上は研究して分かったことではなく、ちょっとした思い付きです。こういう思いつきなら、無尽蔵に生産できます。死を意味した言葉が、No8のように「トク」や、他の言葉も可能性としてあるでしょう。何が死を意味した元の言葉の名残なのかが特定できないことには、仮説が宙に浮いているだけです。笑ってもいいですが、あまり笑わないでくださいね。専門外なのですから。とはいえ、ご感想を頂けると嬉しいです。
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この回答へのお礼

回答有り難うございました。

思い付きとしては面白いですが、実証性ないと説得力がありませんね。

お礼日時:2011/04/30 05:24

お礼をありがとうございました。

とても参考になります。
渦といえば縄文時代の渦巻文を私はすぐ想起してしまうのですが、渦や螺旋に思いを馳せるのはなかなかたのしいですね。
気の渦やらカルマン渦、究極的には壮大な宇宙の螺旋の軌跡などなど…。

さて、古代中国より導入された律令制における「死」についての補足をさせていただきます。
かつての刑死では生命を断つ季節があらかじめ定められていて、受刑者への配慮という点で近代のそれとは異なる死生観が見出せると益田勝実は説いています。

──立春より秋分に至るまで、死刑を奏決することを得ざれ。若し悪逆以上を犯らせん、および家人奴婢、主を殺せらば、此の令に拘らざれ。
(立春から秋分までの間には死刑を執行しない、謀反、謀大逆、謀叛、悪逆や、主殺しの罪は例外とする)──『令義解』「獄令」

このような規定は中国の『礼記』の「月令」にまで遡ることができます。
まつりごとを行うには相応の時分が適当であるという思想によるもので、やはり生命を断つに相応しい季節を定めています。

──有罪を戮し、断刑を厳にす。天地始めて粛す。(孟秋の月)
──有司に命じて、申ねて百刑を厳にし、斬殺必ず当り、法を曲げることあるなからしむ。(仲秋の月)
(孟秋の月は「有罪を戮し」、仲秋の月(八月)には、法適用の適正を期しつつ斬殺を行うべし)

この古代中国の〈秋令〉は樹木凋落の秋が人を死刑にするに相応しいと定めています。
秋に葉落ちし枯れて休眠しその後再び芽吹くことと受刑者の霊魂とが同じ原理で考慮されている所以です。

律令制が導入された当時の日本には自然の理を陰陽二気の働きとみなす理論的認識は存在し足りなかったと察せられますが、遊離魂や自然観など通底する精神的土壌が中国の刑死思想の受け皿となり、日中双方の古代の律令条文を比較した上でも、決して大国のそれに盲従することなく自国に受容しうるものを適うように導入した形跡が認められるとのことです。

さらには古代日本の生命観に照らして「還る」と「孵る」という二つの別語を関連付けています。
「黄泉からカエッタ」と「土中の卵のなかの生命が(ヨミ)ガエッタ」つまり、
生命をあらしめているタマ(霊)があちらの世界を起点として還り、あるいはこちらの世界を起点として還るのとが何ら矛盾しなく両立する循環運動であるとみなしているあたりも興味深いところです。

漢文化を学び倣いそれを「真」と古来より呼称してきた歴史的経緯は否めませんが、仮名字に託した倭語の精神性は「仮」どころか「真」でありましょう。
たしかに現在私たち日本人は「死」という言葉を頻繁に目にしたり用いて表現します。
でもそれは決して万能ではないように映るのですし、いまの世でさえも往還に連関した相応しい言葉が他に幾らでも見出せると思うのですが、いかがでしょうか。
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この回答へのお礼

有り難うございました。参考になりました。

お礼日時:2011/04/30 05:18

>と言うことは音読みしか無いように見える。



恐らく「馬(マ、バ⇒ンマ⇒ゥマ)⇒ウマ」や「菊」などと同じ外来語(中国)だと思います。

類聚名義抄には、死の古語はカル(死→枯る)と出ているようです。
今でこそ動物と植物では生と死の言葉は区別されていまが、大昔は動物も植物も同じ言葉を使っていたのではないでしょうか。

それは大昔の中国でも同じでしょう。
漢字の「生」は地面から草木が生い立つさまを表しています。
一方「死」は人が死んで横たわっているさまを表しているそうです。

今の幼児は「花が死んだ(現在は「枯れる」よりも「死ぬ」の方がやさしい言葉です)」と言います。
そして、お兄さんから「それは枯れたと言うんだ」と教わります。
古代の日本人も、中国から動植物の区別の仕方を教わったのでしょう。
(多分漢字の伝来と同時)
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

国語欄の私の質問「死という言葉」でも、#1の方の回答で「かる」と言うことを指摘しておりました。そこの回答のお礼にも書いて置きましたが、人間は歳を取ると枯れるのか、あるいは腐るのか、どうも国民によって違うようです。

古事記によると日本人は葦牙のように地面から萌え出たと言っていますね。中国人も似たように考えていたとは、勉強になりました。

お礼日時:2011/04/26 20:21

僕はこの問題について答えがないけれど、不思議に思ったので、投稿してみました。

「死」という言葉がないことと、死という概念をもたずに他国から教えもらわなければならなかったことは違うのではないでしょうか。死の他にも、「ナクナル(亡くなる、無くなる)」など、別の言葉があったでしょう。死を知らない民族などいないように思うのです。縄文人に関しては別の可能性がるとお考えのようですが、なぜそう考えるのか、教えていただけませんか。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

>死を知らない民族などいないように思うのです。縄文人に関しては別の可能性がるとお考えのようですが、

いえ、私はそう考えてはいません。それよりも、こんな大事な言葉がもしかしたら本来あった筈の日本語に取って代わってしまって、外国語を使うようになったしまったように見えるんだけど、どうなんでしょうか、そして、もしそうだとしたならば、何故そうなってしまったんだろうかと疑問に思ったからです。

お礼日時:2011/04/26 20:07

呼ばなかったのではないですか。


死は怖いから呼びたくなかった。
呼んだら来てしまいそうなので
死を招きそうなものに対しては
しっしっと言って払ったり
しーっという沈黙の仕草をしあって
死や死者が近寄るのを静かにふせいでいた
のかも。
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この回答へのお礼

私の質問を切っ掛けに一遍の詩を書いて下さったのですね。有り難うございます。

お礼日時:2011/04/26 19:59

「死」の訓は「しぬ」です。



そのうちの「ぬ」を送り仮名にするのです。
「し」という訓があるのではありません。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

だから、「しぬ」は中国から教わったわけではなく、元からあった日本語だと言いたいのですか?それに関する質問なんですが。

お礼日時:2011/04/26 08:05

○古神道の祝詞では、死亡 ( まかる ) ですね。


時代劇では「み・まかる」という言葉を使っていますから、「まかる」が古代の死を意味する言葉ですね。奈良時代以降、仏教の伝来と普及で音読みの「生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し」が広まったのでしょうが、「み・まかる」は江戸時代までは支配階級などでは一般的に使われていたようですね。
日本人(やまとの民)のルーツは現在のインドネシアあたりからの渡来人ですから、死という言葉に「ま」の音が入っているのでしょうね。
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この回答へのお礼

回答有り難うございます。

国語の欄でも「みまかる」が出て来ました。インドネシア辺りの影響がありそうだとは、面白いですね。沖縄ではなんて言ってたのでしょうか。また、「まかる」の「かる」は枯れるに関係がないのでしょうか。別に答えを出せと言っているわけではありませんが、想像を膨らませるのは面白いですね。

お礼日時:2011/04/26 08:10

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