仏教関係の本を読んでいると、よく「宇宙」という言葉がでてきますが、どんなものを指しているのでしょうか?
空気がなくて、太陽風が吹いてて、ハヤブサが飛んでたところ・・・ではないですよね?

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A 回答 (3件)

仏教では須弥山を中心とする


世界観を持っています。
下記サイトを見てください

http://tobifudo.jp/newmon/betusekai/uchu.html
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この回答へのお礼

インド人らしく?数字が私の想像を超えるものすごい範囲で、想像できませんね。ありがとうございます。

お礼日時:2011/04/27 23:11

日本語で曼荼羅と訳されているものじゃないでしょうか。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%BC%E8%8D%BC% …

http://www.google.co.jp/search?q=%E6%9B%BC%E8%8D …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2012/02/18 14:13

一まとめに「三界」といわれるものでしょう。


「三界」でお調べになってみてください。
物理レベルの宇宙から、精神レベルの宇宙までをも含んでいるようです。
ですが、この解釈は昔から一向に進んでいないのが実状です。
科学が発達した現代においては、古臭いただの宗教思想に過ぎないものとして、まともに顧みられる事もなくなってしまったようです。
瞑想という体験に基ずいてのみ明らかにされる世界である、という事で、科学的観測を適用できない非現実的なものとして扱われてきたようです。
しかし、完全に否定はされていないのです。
一般的には「三界」という宇宙観を、肯定も否定もできないまま、現在に至っているのだと思われます。
個人的な推測を申し上げれば
「欲界」「色界」「無色界」はそれぞれ別に存在するのではなく、精神的観察眼の違いにより得えられた階層的な世界観だと思われます。
この階層的な世界観のすべてが仏教でいうところの宇宙なのでしょう。
「三界」と表される宇宙の中に、私達が知っているこの一つの宇宙が含まれる可能性があるという事にもなります。
精神レベルの違いに応じた、物理レベルの宇宙が無数に存在する、といった考えすらもできます。
この辺に関する事は、宇宙の人間原理主義とか、多次元宇宙論とか、仏教の唯識とかを引き合いに出して論ずる事も可能でしょう。
しかし、いずれも不確定的のように思えます。
見方によっては、唯物論的宇宙観が一般化した現在においても、仏教の「三界」の宇宙観は、宇宙の真実に対して深い命題を突きつけていると見る事もできそうです。
この宇宙の物理的解析が進んでも、果たしてそれだけで宇宙の全てが分かるものかどうか疑問もありますし・・・

仏教においては、瞑想による精神的段階においての「三界」という世界観があり、それらの全てが宇宙である、というように整理なされたらよろしいと思われます。
尚、瞑想によらない日常的感覚によって知覚しうる世界は「欲界」と「色界」の一部に限られたものであると推測していますが
この辺も識者からは、勝手に唱えたらよろしい・・・とお叱りを受けそうですね(笑)。
ご参考になさってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やっぱりかなり広い意味で使ってるんですね。

お礼日時:2012/02/18 14:09

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Q仏教と戦争

識者の皆様、よろしくお願いします。

仏教では戦争をどのようにあつかっているのでしょうか。
不殺生などの言葉がありますが、例えば仏教が一般的に言う戦争、宗教戦争など限らず、反戦という立場をとっているとしたら、そのよりどころとなる教えは仏教学的に見てどこにあるのでしょうか。
また、もし過去において、実際に起こった戦争と反戦という教えの整合性(政治的な意味合いも含めて)をとるという意味合いから、こうした反戦争の立場が調整されたといったような経緯があるでしょうか。

観念的なご回答よりも、仏教学的におこたえいただけると助かります。

また、こうした疑問に参考になるウェブサイトなどご存知でしたらご紹介いただけると助かります。
こちら海外につき、いろいろな文献を手に取って目を通すような環境にありません。

皆さんからのご意見をよろしくお願いします。

Aベストアンサー

涅槃経に
「善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・無槊(むさく)を持すべし」
とあります。

経典には小乗経典と大乗経典があります。
小乗経典は釈尊の死後百年後、大乗経典は紀元前後にできたといわれています。
涅槃経は大乗経典です。

釈尊の死後、しばらくの間は活字化された経典がない状態が続いたといわれています。
つまり、みなが釈尊の教えを口伝えで伝えていたんですね。

涅槃経は釈尊の死後、数百年後にできたといわれています。

アショカ大王は、仏教帰依後は戦争をやめたようです。
カニシカは仏教を尊びつつも、インド攻略は続けていたようです。



宗派によってよりどころとする経典はまったく違います。
うちは法華経をメインテキストととらえます。
他の経典はサブテキストです。

お念仏を信じておられる方などは、
浄土三部経をメインとされ、他をサブとされるようです。
(間違ってたらごめんなさい)

詳しくは天台の五時八教などを参照されると良いでしょう。
(文献学的に五時八教は間違っているのでは、という説もあるにはあります。)

僕自身は法華経を小さな頃から信じていましたが、
「大乗経典は釈尊死後数百年後にできた→大乗経典は釈尊の直接の教えではない」
という説を知ってから、かなり悩み、いろいろな宗派の考え方を知ろうと努力しました。

結局、理屈ではどの宗派が正しいのかは、最後までわかりませんでした。

ただ、僕は法華経に帰依しているとなんとなく心地よい、生活が上手くまわる、法華経を捨てるだけの理由がない、といった風に、
信仰を捉えるようになりました。

僕はあくまでも専門家ではないので、
もっと詳しい方にいろいろ聞いてみられると良いでしょう。

涅槃経に
「善男子、正法を護持せん者は五戒を受けず、威儀を修せずして、応に刀剣・弓箭・無槊(むさく)を持すべし」
とあります。

経典には小乗経典と大乗経典があります。
小乗経典は釈尊の死後百年後、大乗経典は紀元前後にできたといわれています。
涅槃経は大乗経典です。

釈尊の死後、しばらくの間は活字化された経典がない状態が続いたといわれています。
つまり、みなが釈尊の教えを口伝えで伝えていたんですね。

涅槃経は釈尊の死後、数百年後にできたといわれています。

アショカ大...続きを読む

Q日本の仏教とタイなどの仏教は違うのでしょうか?

日本の仏教とタイなどの仏教は違うのでしょうか?
ずいぶん昔(まだ子供のころ)、お坊さんのお話でそのようなことを言っていたのを思い出したのですが、何が違うのか忘れてしまいました。。。
日本の仏教の方が、寛容でいいな、と思ったのは覚えています。
ご存知の方よろしくお願いします。

Aベストアンサー

質問者さんがいくつくらいの年齢なのか知りませんが、それらの違いは高校の世界史や倫理で習います。

日本→大乗仏教
タイなどの東南アジア→上座部仏教

仏教の歴史
釈迦(ゴーダマ=シッダルタ)がインドのマガダ国で仏教を開く。当時のバラモン教を批判。すなわち、カースト制度(身分制度)を批判。
    ↓
インド初の統一王朝であるマウリヤ朝のアショーカ王が仏教に帰依する。この時の仏教は上座部仏教。
上座部仏教とは…仏教を篤く信仰したもののみが救われるという考え方。
    ↓
次の統一王朝、クシャーナ朝は大乗仏教を信仰。
大乗仏教とは…信仰するしないなんて関係ない。仏様は万人を救済してくださる。故に上座部仏教を蔑視し、万人救済する自分たちの大乗仏教に対して信仰した者しか救われないとする彼らを「小乗仏教」と
蔑視。
    
日本に仏教が伝播した過程

紀元後1c、中国の後漢に大乗仏教伝来。第二代明帝は洛陽(現在の西安)に白馬寺建立。
      ↓
朝鮮にも伝来。そして、朝鮮の百済が日本に仏教を伝播させる。その当時の日本は飛鳥時代。その仏教を受け入れるか否かで蘇我氏と物部氏の戦争が起こる。

東南アジアにどのようにして上座部仏教が伝播したかは、あいにく知りません。しかし、東南アジアは上座部仏教圏。(インドネシアは世界最大のイスラム教国)

つまり…大乗仏教→万人救済を目指している。日本や中国はこれ。細かい宗派の違いはわかりません。
  上座部仏教→信仰を篤くしたものが救われる考え方。タイなどの東南アジア。大乗より戒律が厳しい。

>日本の方が寛容
その通りだと思います。日本は仏教よりも儒教なんじゃないでしょうか。礼儀を重んじるなど、親・兄弟を大切にするなどといったのを日本人は重視していると思います。だから日本は儒教国です。
日本が仏教国なら真面目な仏教徒は怒ります。なぜなら、仏教では牛は神聖なる生き物です。それを日本人は食いまくってます。仏教国なんて、とんでもありません。つまり、犬を食う韓国人が野蛮だとか、鯨を食べる日本人は野蛮だとか、ロブスターなどを生きたまま調理するのは動物虐待だとかほざいている西洋人は自分たちも牛や豚を食いまくってるんですから、私たちのことをとやかく言う権利はありません。文化の違いです。なお、現在のインドでは仏教の発祥地にもかかわらず、ほとんど信仰されていません。民間信仰のヒンズー教とイスラム教のどちらかです。ベンガル分割令だって、ヒンズーとイスラムの分離でしたし、仏教は世界でもかなりマイナーな宗教です。

私は仏教よりも、どちらかというとキリスト教の方が詳しいので、これくらいのことしか教え切れませんが、質問者さんに役に立ったら幸いでございます。

質問者さんがいくつくらいの年齢なのか知りませんが、それらの違いは高校の世界史や倫理で習います。

日本→大乗仏教
タイなどの東南アジア→上座部仏教

仏教の歴史
釈迦(ゴーダマ=シッダルタ)がインドのマガダ国で仏教を開く。当時のバラモン教を批判。すなわち、カースト制度(身分制度)を批判。
    ↓
インド初の統一王朝であるマウリヤ朝のアショーカ王が仏教に帰依する。この時の仏教は上座部仏教。
上座部仏教とは…仏教を篤く信仰したもののみが救われるという考え方。
    ↓
次の統一王...続きを読む

Q太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人

太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか?

Aベストアンサー

>>太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか? 
 太平洋戦争の中心て的な位地には日蓮主義者の方が多くいたようです。代表的な方々を歴史的な流れを抑えてあげていきますと、太平洋戦争以前の明治34年田中智学は従来の怠惰に慣れた宗門を激しく批判するとともに、新しい日蓮主義というものを宣言します。田中智学の日蓮主義の核心は「侵略的態度」にあり、日蓮聖人を大元師となして、大日本帝国の力で「法華経」による世界統一を果たそうというものでした。その思想が与えた衝撃は当時の日本の意欲に燃える若者は田中智学の「国柱会」に次々と加わっていきました。
 その影響は昭和の超国家主義にまで及びます。満州事変の首謀者石原莞爾、2・26事件に連座した北一輝、要人暗殺を謀って血盟団の井上日召など、いずれも熱心な「法華経」の信者であり、日蓮聖人の崇拝者でありました。石原莞爾などは昭和15年、当時の戦争をまさしく日蓮聖人によって予言された世界統一のための大戦争につながるものと位置づけています。(『最終戦争論』)近代日蓮主義の特徴は、それが積極的な侵略のイデオロギーの一翼を担い、その先鋭と結びついたところがあります。
 だからといって他の宗派が無関係かといえばそうではありません。先のtaishi1さんのお答えにも出ていますが、浄土真宗本願寺派の門主・大谷光瑞は「王道の道は武備を整えること」といって当時の日本を肯定するようなことを言って、他の宗旨とともに侵略戦争に引き込まれています。ただ、禅や浄土の思想はいわば時代の後ろからついていったのに対し、当時の日蓮主義は先頭に立って時代を作り出していったといえるのです。
 こういったことに関しては『今のお寺に仏教はない既成仏教教団の宗派別問題点』遠藤誠 現代書館に詳しく取り上げられています。

 余談ではありますが、少し私の意見をのべさせてただきます。こうしたことについて話し合うとき「ガンジーの非暴力の精神でなくてはいけない」というひとがいます。誰でも外から見ていれば非暴力、戦争反対をとなえる事はできます。しかし、そういっている人たちがどれほどの覚悟で言っているのでしょうか。日本がもし一億総動員の翼賛体制になったら、そのときもその信念が貫けるのでしょうか。特高に付けねらわれて「アカ」「非国民」とののしられ、逮捕され拷問させる。・・・自分ひとりが犠牲になるならそれも堪えられるかもしれません。でも、家族親戚にまでその手が伸びるかもしれない。それでもそれがつらぬけるか?? 私ははっきりいってそれが出来るほど強い人間ではありません。私は戦争には反対ですし、人も殺したくないと思っても、拷問に耐え、家族まで巻き込んで、自分の信念を貫けるほど強い人間ではない。多分そのような状態になったら裏では文句を言いながら、表では国家を賛美するでしょうね。自分の弱さは私自身が一番知っています。 
 そんなことを考えていたときに知ったのが仏教学者である田村芳郎氏のこんな話です。田村氏は『法華経』の信仰をもっておられた方ですが、学徒出陣の折に上官から「天皇陛下と法華経どちらが上か?」と問われて、「天皇陛下」と答えざるを得なかったそうです。心の中にある「法華経が上だ」というおもいを言葉に出していたならば、それこそ不敬罪で大変なことになっていたでしょう。田村氏は「そのことへの慙愧が学問の原点になった」としばしば語っておられたそうです。そのとき「天皇陛下」と答えざるをえなかったのを、誰も攻めることは出来ません。ただ、そのことを棚上げしておいて、戦後になって倫理道徳を振り回すことなく、たとえやむをえなかったとはいえ、そう答えてしまった自責の念一生持ち続け、それを内にこめて原点とされたところに田村芳郎という方の誠実さを感じます。そういった仏教界の戦争への関与の問題を考えるとき、私は他人事とは思えずにいます。

 なんだか余談が長くなってしまいました。申し訳ありません。支離滅裂な文章かとは思いますが、文意を読み取っていただきたく思います。
 合掌 南無阿弥陀佛

>>太平洋戦争、仏教界で戦争肯定を唱えた人がいると聞きました。自分で調べましたが手がかりがつかめません。誰がどの宗派の人がそのようなことをとなえたのか、わかりますでしょうか? 
 太平洋戦争の中心て的な位地には日蓮主義者の方が多くいたようです。代表的な方々を歴史的な流れを抑えてあげていきますと、太平洋戦争以前の明治34年田中智学は従来の怠惰に慣れた宗門を激しく批判するとともに、新しい日蓮主義というものを宣言します。田中智学の日蓮主義の核心は「侵略的態度」にあり、日蓮聖人を...続きを読む

Q【仏教・阿字観(あじかん)】仏教での阿字観は「自分の本能を見つめ直す」という意味があるそうです。

【仏教・阿字観(あじかん)】仏教での阿字観は「自分の本能を見つめ直す」という意味があるそうです。


なぜ本能のままに生きたらダメなんでしょう?

Aベストアンサー

阿字観は真言宗の瞑想法であり、宇宙の本源を表す梵語の「阿」字を観想します。悟りに至るための瞑想法です。

阿字観に限らず、仏教は自分の本性を見つめ直して、真の自己に目覚める教えです。(本性であって本能ではありません)

>なぜ本能のままに生きたらダメなんでしょう?
仏教に限らず、本能むき出しで他人のことは考えないで行動する人は排除されます。それは社会の常識です。

Qなぜ人は宗教にハマるのか? キリスト教徒の増加は戦争と連動していた。 戦争が起こればキリスト教徒は増

なぜ人は宗教にハマるのか?


キリスト教徒の増加は戦争と連動していた。

戦争が起こればキリスト教徒は増加した。

最近、イスラム教徒が増加しているという。

中東のアラブの春やISISの活動等のイスラムで内乱が起こったので増加したのだ。

宗教は戦争と内戦と内乱等の人が死ぬ争い事で信者が増えることが分かる。

仏教信者が減少の一途をたどっているのは戦がないからである。

よって、キリスト教、イスラム教、仏教の3択なら仏教が1番であると確信した。

Aベストアンサー

各宗教が出来た過程を知りましょう。
出来た理由と似たり寄ったりな理由でみな宗教に興味をもちます。
宗教だけでなく、哲学や思想や主義といったものも同類です。

Q「小乗仏教」という言葉の使用が適切でない理由

「小乗仏教」という言葉の使用が適切でない理由とは何ですか?

以前、仏教について「仏教は主に小乗仏教と大乗仏教に分類されるが、小乗仏教という言葉の使用は適切ではない」という話を聞きました。
イマイチこの意味がわからないのですが…。

小乗仏教は上座部仏教の蔑称であるから適切ではない、のでしょうか?

どなたか回答お願いします。

Aベストアンサー

もともと「大乗仏教」と「小乗仏教」が存在したわけではありません。
釈迦の教えを忠実に守る上座部仏教というのがあり、
それに対し後から出てきた一派(つまり新興宗教)が自らを大乗(仏教)と名乗り、先に存在する上座部仏教のことを古くて小さな考えしか持たない小乗(仏教)だと罵った言い方をしたものです。

上座部仏教にすれば、大乗と名乗る団体こそ新参者に過ぎない軽蔑すべき団体ですが、いかにせん大衆を味方につけた大乗側の圧倒的な勝利に、上座部仏教は小乗との汚名を着せられた格好になったものです。

歴史的に考えても、釈迦の教えを忠実に守る上座部仏教は決して低く見られる存在でなく、大乗側が勝手に付けた蔑称は好ましくないと言うことです。

Qスリランカの紛争と仏教の教義

シンハラ人のスリランカ政府では、なにか紛争で闘うことを正当化するために仏教の教義を使用していますか?
前線の兵士にはどのような殺生に対する言い訳を用意しているのでしょうか?

他に、仏教が戦争や殺戮・暴力行為の正当化に使われた例などありましたらお教え下さい。

Aベストアンサー

>なにか紛争で闘うことを正当化するために仏教の教義を使用していますか?

スリランカの場合は、宗教の教義は無関係の様ですね。

>仏教が戦争や殺戮・暴力行為の正当化に使われた例などありましたらお教え下さい。

日本の場合は、奈良時代の寺院と朝廷の対立。
朝廷の資金力・武力よりも、寺院の資金力・武力が強かったようです。
桓武天皇は、この堕落した奈良仏教から逃れるために平安京に移ったのです。
平安時代でも、各新興宗教各派が武装対立しています。
鎌倉時代では、日蓮宗寺院が他宗派寺院を攻撃しています。
戦国時代では、北陸吉崎・比叡山延暦寺・大坂本願寺・紀州根来寺の戦闘部隊が有名です。
平成の時代では、創○学会が「他宗派を信じると、地獄に落ちる」と信者用教本?に書いてあります。

隣のSouth Korea(韓国)でも、高麗時代に仏教寺院が王室と戦闘を交えています。
歴代高麗王は、仏教を徹底的に弾圧しました。
高麗王朝末期には、仏教寺院数は二桁にまで減少しています。
韓国の国定教科書では「秀吉が寺院を焼いたので、韓国には仏教寺院が少なく、侵略から逃げたので山奥に寺院が残っている」事になっています。

>なにか紛争で闘うことを正当化するために仏教の教義を使用していますか?

スリランカの場合は、宗教の教義は無関係の様ですね。

>仏教が戦争や殺戮・暴力行為の正当化に使われた例などありましたらお教え下さい。

日本の場合は、奈良時代の寺院と朝廷の対立。
朝廷の資金力・武力よりも、寺院の資金力・武力が強かったようです。
桓武天皇は、この堕落した奈良仏教から逃れるために平安京に移ったのです。
平安時代でも、各新興宗教各派が武装対立しています。
鎌倉時代では、日蓮宗寺院が他宗派...続きを読む

Q仏教で言う「空」を分かりやすく説いた本は?

仏教で言う「空」について、本当に理解している人が書いた、分かりやすい本を教えて戴きたいです。
どうぞ、よろしくお願い致します。

これまで、「釈尊の悟り」、「仏教百話」、「やさしい唯識」、「唯識のすすめ」、「はじめての唯識」、「「唯識」の読み方」、「仏教の思想2、存在の分析<アビダルマ>」、「日本人のための宗教原論」などを読みました。
なんだか、うすうす分かった様な気がしていますが、論理展開に無理があるような説明だったり、途中から論理が飛躍しているような説明だったりしていて、今一、はっきりと、「なるほど。良く分かった!」と思えるような説明にめぐり合っていない気がしています。

キチンと理解したいので、反論や疑問を感じないほどの、行き届いた論理展開をしている本を読みたいです。

どうぞよろしくお願い致します。

Aベストアンサー

>仏教で言う「空」について、本当に理解している人が書いた、分かりやすい本を教えて戴きたいです。

比較的「分かりやすい本」となると、まずは「仏教の思想3、空の論理<中観>」をお薦めいたします。
また、すでに唯識関係の入門書・概説書をお読みのようですので、同シリーズの「4、認識と超越<唯識>」も、中観派の空思想とこれを前提とした唯識思想との関係について考察している点でお薦めです。

なお、空思想は、アビダルマが固執した客観的な「存在の分析」への批判を通じ、主体・客体のいずれもが空(無自性)であり、すべては《縁起》(唯識の依他起性)でしかないことを明らかにしたものです。

この辺の事情について、「今一、はっきりと」理解なさりたいと思われるなら、やはり空思想を体系化した龍樹菩薩(ナーガールジュナ)の『中論』をお薦めしたいところですが、全部で500頌にもなり、実は私もまだ読み通してはいません。

でも、中観思想の中核的な哲学を説いた『中論』第15章に対する月称の注釈と、やはり龍樹になる『論争の超越』については、『世界の名著2、大乗仏典』(中央公論社)に収録されていますので、是非ご一読なさるようお薦めいたします。
長尾雅人氏の平明で論理的な解説と併せ、大いに参考になると思います。

>仏教で言う「空」について、本当に理解している人が書いた、分かりやすい本を教えて戴きたいです。

比較的「分かりやすい本」となると、まずは「仏教の思想3、空の論理<中観>」をお薦めいたします。
また、すでに唯識関係の入門書・概説書をお読みのようですので、同シリーズの「4、認識と超越<唯識>」も、中観派の空思想とこれを前提とした唯識思想との関係について考察している点でお薦めです。

なお、空思想は、アビダルマが固執した客観的な「存在の分析」への批判を通じ、主体・客体のいずれもが空(...続きを読む

Q仏教

仏教では暴力や戦争についていかに考えているかを600字程度で説明お願いします。

Aベストアンサー

 法華経や十界論の生命状態で考えるなら、
 地獄の命の状態でしょう
 誰にでもある最低の生命状態です。
 地獄もこの世にあるとも言われます。
 恨みの念で苦しんでる状態。
 行動など宿命や宿業などの、本人の持ってるものとして語られてますね。
 そういうところに生まれなきゃいけないとか。
 魔と仏の戦いという言葉も見つけます。
 魔は、お互いの間で争わせているともいいます。
 逆に仏の世界は、人と人が仲良くなってる現実。
 簡単に説明はつかないでしょうが、、お勉強してみてください。
 人の中には地獄の命も仏の命もあるといわれ、周囲の影響で、互換を通じて影響され瞬間瞬間生命状態は変わるといわれてます。その生命状態の表情、気持ち、行動や言動、結果を助ける縁、結果を報じられる。と、それらが一体で自分にあると聞きます。
 仏教では、この宿命を転換できる、宿業が転換できると説きます。ですから運命は変えられるといいます。その現象は現実に現れ、結果、自分が変わってる、成長してるという結果になるんじゃないでしょうか。
 つまり、自分が変わることで運命も変わるという、、道理でいえば、至極当たり前で納得する話ですね。そこから人格成長ともとらえられますね。
 暴力や戦争は、そういう生命状態とともに、宿命や宿業などが絡むと思います。

 日本で言えば、核の放射能の問題が2度目に出てきてますね。これは日本が持ってるものでしょう。
 今回は東電の問題ですが、、、つまり持ってるものが、現実に現れてるだけで、どこかに隠れてるものでもなく、現実をあるがままに見ればいいだけです。
 病気の遺伝子を持ってる人が病気を発祥するという至極当たり前なものとして、現実と生命を一体としてみればいいと思います。偶然ではないということでしょうね。

 法華経や十界論の生命状態で考えるなら、
 地獄の命の状態でしょう
 誰にでもある最低の生命状態です。
 地獄もこの世にあるとも言われます。
 恨みの念で苦しんでる状態。
 行動など宿命や宿業などの、本人の持ってるものとして語られてますね。
 そういうところに生まれなきゃいけないとか。
 魔と仏の戦いという言葉も見つけます。
 魔は、お互いの間で争わせているともいいます。
 逆に仏の世界は、人と人が仲良くなってる現実。
 簡単に説明はつかないでしょうが、、お勉強してみてください。
 ...続きを読む

Q仏教は《目覚めよ》という以外に何を言っていますか

挑戦的な質問ですが おしえてください。

・三身(法身・応身・報身)の説〔→http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3417579.html〕などを除けば 精神分析や心理学を伴なった哲学・倫理学〔のみ〕だと思うという意味です。(それがわるいというのではなく そう理解していいのでしょうかという趣旨です)。

・修行のことは分かりません。その成果を言葉にして表現したものに限って 質問しますという意味です。

・けっきょく たとえば《エポケー(判断停止・現象学的還元)》の内容になるのが 《目覚めよ(ブッダになれ)》だと思うのです。(おおきく歴史からすれば むろん 後者の基礎に立って 前者が 出たことになります)。

・たとえば親鸞の述べるところ――単純に《他力本願》という絶対者への帰依――は 信仰だと思います。けれども そのほかでは 大きく言って けっきょく(良い悪いは別です) 〔修行をともなった〕哲学の問題だと思われて来ます。

大雑把ですが 取り組むとすれば 基本的な性格内容にかかわるのではないかと考えました。このような趣旨に対して ご教授いただけるとありがたいです。

挑戦的な質問ですが おしえてください。

・三身(法身・応身・報身)の説〔→http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3417579.html〕などを除けば 精神分析や心理学を伴なった哲学・倫理学〔のみ〕だと思うという意味です。(それがわるいというのではなく そう理解していいのでしょうかという趣旨です)。

・修行のことは分かりません。その成果を言葉にして表現したものに限って 質問しますという意味です。

・けっきょく たとえば《エポケー(判断停止・現象学的還元)》の内容になるのが 《目覚めよ(ブッ...続きを読む

Aベストアンサー

#1です。

いえ、私の方こそ、
昔のノートやらを見直すきっかけになったので、
とても有意義な時間でした。

そうです。唯識は学問です。
とても様々に勉強されているように感じたので、
是非『唯識三十頌』を図書館などで紐解かれると良いかと思いました。
「円成実性」はその最後の方にに書かれています。
それを、とても伝えたくて追記で書かせて頂きました。

ちなみに「円成実性」は完成された姿ですから、
「因縁生起」をも飛び越えると性質を持っています。
(ここはどうも私は納得できないところですが・・)
確かにその意味で明るいところに帰ってきます。

これは私の私見ですが、般若波羅密として
こうして本当の悟りを得られたとしても、
人はその喜びをあくる日には忘れてしまうと思います。
それを日々体感できるように(もしくは日々体感できる世界で生まれるように)
信仰へと変わってゆくのかも知れません。

うーん、やはりエポケーとすると上からの精神上の発想なので
肉体的な働きが含まれてこないと思います。
阿頼耶識は意識を下から考えます。
ノエマ(相分)とノエシス(見分)といったものは、
「自証分(self-cbnsciousness)」というそれを
自分が意識できることで認知でき、
自己意識が自己意識であると意識する「証自証分(conste)」。
これは「不離身識」の本質を意味しています。

ともあれ、二千年以上前の前の人間がこれだけ近代西洋哲学でも難しい
そういう思惑を作り上げたと考えるだけで、
私などはワクワクしてしまいます(汗。

私も分かっていないところがあるのに気付きました。
こういう機会を久々に与えて下さり、
この度はありがとうございました。

#1です。

いえ、私の方こそ、
昔のノートやらを見直すきっかけになったので、
とても有意義な時間でした。

そうです。唯識は学問です。
とても様々に勉強されているように感じたので、
是非『唯識三十頌』を図書館などで紐解かれると良いかと思いました。
「円成実性」はその最後の方にに書かれています。
それを、とても伝えたくて追記で書かせて頂きました。

ちなみに「円成実性」は完成された姿ですから、
「因縁生起」をも飛び越えると性質を持っています。
(ここはどうも私は納得できない...続きを読む


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