山上憶良の短歌、
・銀も 金も玉も 何せんに まされる宝 子にしかめやも
について教えてください。

この句で、作者が結論として、子供が大切だと述べているのは、すぐにわかります。しかし、これは子供が大切にされている情景を見て、「ああ、親の愛って素晴らしい」と感嘆した句なのでしょうか。それとも、子供が粗末にされているのを見て、「ああ、子供ほど大切なものはないのに、なんてことだろうか!」と歎じた句なのでしょうか。

文法的な観点から教えてください。一般的には、親子愛に感激した句であるかのように説明されます。しかし「めやも」が「~であろうか、いいや、~ではない」反語の詠嘆であるという点からすると、僕は子供が粗末にされている情景があった上での句だと思えるのです。

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A 回答 (6件)

 出典は万葉集にある山上憶良の作品ですね。


山上憶良は奈良時代の歌人であり「貧窮問答歌」の作者として知られています。また同時にその作品「貧窮問答歌」官僚として市井の民の困窮する生活状況を記した史料としても知られています。
 長歌の書き出しは「風混じへ 雨降る夜の雨混じへ 雪降る夜は術もなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜ろいて 咳(しわぶか)ひ……… 後略」で始まり、そこには庶民の姿と都で暮らす貴族との間にある隔たりが如実に語られています。
 この作品は万葉集-巻五に「子を思ふ歌」として収められいる歌の反歌です。山上憶良が筑紫の国に赴任して視察をしていた時に、瓜を食べていたら、瓜を食べている子供の姿を思い出した。栗を食べていたら尚更のように子供の無邪気な笑顔を思い起こしてしまった、との感慨に満ちている情況を描写しているとされています。
 「めやも」を現代語風に表記するならば「めやも!」となり反語としての詠嘆を表す、とのご理解は「文法として」過不足のない答えであると考えても良い、と僕は思います。また前出の「貧窮問答歌」の事例を念頭に置くならば、奈良時代といえども生活のためにやむなく子捨てなどをする行為があったことも可能性としてはあるかもしれません。
 その根拠として山上憶良は遣唐使の一員として派遣され、中国文化の素養があったことと、国文学や日本古代史ではその出自が渡来系であることも考えられます。中国の古典漢文に見られる反語的表現は他にも「~哉(カナ)!」などもあること、そしてこの「も」を「係り結びの法則」に属する「ぞ・なむ・や・か・こそ・も」の「も」として理解することもできるでしょう。
 但し一言付言させていただくならば、「文法に拘泥する余り、肝心である作者の意図を二の次にしてしまうことには意味がない」ということも確かです。 

この回答への補足

締めるにあたって、どういう結論に至ったか、ご報告します。この反語表現が、金子vs子供という対立構造を強調するものであるというのは、No3のこの投稿をしてくださった方や、No6のハコブルさんが支持してくださった通りです(またNo5のお礼欄に僕も述べました)。しかしどういう状況を前に読んだものなのかが、わからないという問いでした。どうも文法的に見ると、他人の親子の愛情を目の当たりにして感動したのではないらしいと、思えます(よく言われるこの説には賛同が少なかった)。

いろいろ教えていただいてわかりましたが、題材にしている短歌の出典は『貧窮問答歌』です。それによれば、これは反歌であり、その前には、「瓜や栗を食べても子を思い出し、目の前に子供が浮かんで、安眠も出来ないんだ」と述べた箇所があるのだそうです。たぶん、瓜や栗はご馳走なのでしょうね。だから本当はそれを食べると嬉しいはずなのでしょう。自分が楽しければ、後のことを忘れてしまう人もいる。しかし憶良の場合は、子供に食わせてやったら喜ぶだろうな、などと思ってしまう。
問題はこの話と、短歌がどう接続するかです。反歌というのは、前の歌を受けて補足したり、強調したり、要するに述べ足りないことをつけたしているので、必ずしも直結しないでいいのです。

するとどうなるか。問題は句の中の「宝」の解釈だと思います。(1)筑紫の国へ赴任して「給金」はもらえるけれども、やはり子供に会いたいなと思ってしまうということなのか。この場合は、貧困など問題ではないのでNo4の方のような考え方に落ち着くかもしれません。(2)あるいは貧困との比較があって、他人が子供を働かせすぎて泣かせるとか、売るなどして金子に変えてしまっているけれど、俺はたとえ財宝を貰ったって、そんなことをするもんか、ということなのか。

文法的に、この句は対比を強調するものであるということを最大限に汲むと、(2)ということになるでしょう。憶良の場合、貧困を実地で見ていますから、庶民の困窮した様子が頭に思い浮かんでしまったと考えて、不思議はないと思います。

最後に空想力を働かせると、長歌の方には寝付けないと書いてありますね。夢の中で、子供と引き換えに金色を与えようなどという話を見たのかもしれません。これがあれば、お前は安楽に貧乏にもならず生きていけるぞよ、と人買いに言われたのかもしれない。周囲では貧乏でバタバタ人が無くなっていき、子供を売っている親もいる。「やった、お金だ」という声も聞こえる。しかし憶良は「俺は嫌だ」と言って歌を詠んだ――ちょっと行間に空想しすぎでしょうか。

ともあれ、皆さまのお陰で有意義でした。

補足日時:2011/04/28 00:47
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お詳しいのですね。それで回答者様は、どちらでお考えなのですか。文法的にはなるほど「めやも!」であるから、拝金主義者を前に悲しく思った歌だということはできる。しかし憶良の性格を考えると、そうではないだろう、ということのようですが。
僕としては、誰も憶良に会ったことはないから、第一に文法的に精密に読みとった上で、判断するしか無かろうとは思うのです。その上で解釈をつけて調整することはできるでしょう。たとえば貴族を前に、貧者でさえも子供を大切にするのに、貴族らは宝を大切にしてしまって情けないなぁという気持ちになった、など。貧者が子供を売ったという情景を前にしたのではなく、貴族が子供と疎遠であることを嘆いたとも考えられます。いろいろと可能性は考えられるのです。

しかし文法を見る限り、普通に言われているような「宝なんて無くっても子供がいれば一番なんだぞ、そうでしょ?」という強意には取れないのです。楽天的な歌ではなく、子供が粗末にされる悲しいことがあった上で、「子が大切なのにな」と詠嘆したと考えるべきではないかという疑問なのです。

お礼日時:2011/04/27 17:07

今さらですが「反語」を辞書であたってみると、


断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる表現。「そんなことがあり得ようか(あるはずがない)」などの類。
となっています。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E5%8F%8D%E8%AA …

「断定を強調するために、言いたいことと反対の内容を疑問の形で述べる」のは、正反対の要素を対比させることによって落差を生み出し、その落差によって一方を強く印象付けるためだろうと思います。
このように考えると、ご質問の場合の「正反対の要素」とは「金銀対子供」であり、作者が強調したいのは子供である、というところまでが、反語としての文法的な解釈ということになるのでしょう。
つまり、
>「ああ、親の愛って素晴らしい」と感嘆した句
なのか
>「ああ、子供ほど大切なものはないのに、なんてことだろうか!」と歎じた句
なのかは断定できない、と考えるのが妥当だろうという気がします。

さて、文法から離れて蛇足的に私的な空想を述べさせていただければ、
>子供が粗末にされている情景があった

とまでは思わないのですが、概ね質問者さんの感想に同感です。
いくら子供が大事といっても金銀につい目がくらんでしまう、人間のそんな弱い心情に対するアンチテーゼという意図が無意識的にでも存在していたことでしょう。
仮に、
>「ああ、親の愛って素晴らしい」と感嘆した

ものであったとしても、金銀というものを対比的要素として取り上げる以上、そういった意図があったことは明白であると捉えるのが自然でしょう。
  
  
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この回答へのお礼

ハコブルさん、ありがとうございます。覚えさせていただきました。おっしゃることは、まったくその通りだと同意いたします。確かに、これは決められませんね。ただNo3とNo4の方が、情報をもってきてくれました。今考えをまとめているところでした。僕としてはNo4の方が、反例をもってきてくれるのを待ちつつ、確かに教科書には否定的なことは書いていないのだから、そう考えるに足る背景もあるのかと思っていましたが、力を得た気持ちです。短歌は深読みすると面白いなと思っていました。今回の問いは、もう終わりかけていましたが、またご関心があったらお願いします。

お礼日時:2011/04/28 00:39

#4です。



別に質問者さんを侮辱したつもりは全くないんですけど、そのようにお感じに
なったのならすみません。
どちらかというと、
 「古典の反語というのは、普通は高校あたりで教えられているはずだけど、
  高校とかでの反語の教え方って、あんまりよくないよね」
という感じで、そっちを批判したつもりだったのですが。

それはともかく、私は「めやも」というのが反語表現でないなどと言ったつもりは
ありませんし、この憶良の歌ももちろん反語の歌です。

 「銀も金も玉もどうして勝っている宝であるだろうか。子供に及ぶだろうか」
 「銀も金も玉もどうして勝っている宝である子供に及ぶだろうか」
 「銀も金も玉も、どれだけ勝っている宝も子供に及ぶことなどあるだろうか」
 
区切りをどう見るかなどによって細部の解釈は微妙に変わるでしょうが、
いずれにせよ、この歌が、子供が金・銀・玉に勝る宝であるということを反語を
使って表現した歌であることに変わりはありません。

しかし、そのことと、この歌が子供が粗末にされていることを見て詠んだ歌だとか、
拝金主義者を前に嘆いているだとかいう解釈は、一般的には全くつながりません。
一体全体どうしてそのような解釈になってしまうのか、正直理解に苦しみます。
文法を踏まえて想像力を働かせているというより、失礼ながら、ほとんど邪推
というレベルであるように思います。
わたしには、この反語表現からは、わが子のことを何にも増していとおしく思う
親の深い愛情しか読み取れません。

これが先に挙げた長歌への反歌であることを踏まえれば、なおさらです。
もちろんこれがあの長歌の要約であるはずなどありませんが、長歌の方が
わが子への思いを詠んだ歌であるのに、同じような思いで詠んだ歌として
素直に解釈できるこの反歌に、敢えて違う解釈を与えるのは、極めて不自然です。

そもそも、質問者さんはなぜこの「子」が憶良自身の子だと考えないのでしょう。
それが不思議でなりません。


質問者さんの解釈が余りに突飛で理解不能なので、ひょっとしたら質問者さんは
反語というものの意味そのものを取り違えているのではないかと考えて、
先の回答ではそのことを書かせてもらいました。
そのあたりのことが私の勘違いだったらすみません。

この回答への補足

>むしろ疑問をさしはさむ余地が全くないようなことを敢えて疑問の形で問うことで、自分の考えが当然であるということを強調する表現です。

強意と言って悪ければ、上記の強調表現である「めやも」の他の例を教えてください。ご説明は該博な点もあると認めはしますが、他の用例を示して辞書の記載が不十分であることを示してくださるとか、言語の細かい点に分析が入らないと、学術的に納得できるものではありません。

訳をやってくださったのは、丁寧な方だと思います。しかし、それは子供に解説する方法というものです。説明の仕方と、自信のある様子から、失礼ながら塾の先生ではないだろうかと思っています。僕は塾の講師をしたことがあるのでわかるのですが、子供に学者にやるような説明をしても、何も聞いてくれません。説明するのではなく、「言い聞かす」方が効果的です。しかし僕は大人ですし、実は学者なのです。古文の専攻ではありませんから、あくまで楽しみでやっているのですが、できるだけ緻密にものを考えたいと思っているのです。

こいつはなぜ素直に納得しないんだろう?といぶかしく思ってらっしゃるかもしれないと思い、追記しました。

補足日時:2011/04/27 23:40
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そうですか。僕の感覚から行けば、回答者さんの日本語は語調が少しきついのです。今回も「理解に苦しみます」とは驚きました。そこまでの表現には、相手を批判するニュアンスが入っています。「あなたの感覚が疑われる」という意味です。たとえばお茶を引っ掛けておいて謝らない人がいる時に、「あなたの振舞いは理解に苦しみます」というなら、それは当然だと思います。相手の無理解に苛立ちを感じても当然だからです。
しかし僕の質問の場合、そこまで言われることなのか。僕の方が一方的に忍耐を求められているのも理不尽ですが、そちらに、悪気はないのでしょうね。おそらく現実の世界で、目下の人を扱う立場の方なのでしょう。とはいえ、今回の設問は、上記と似たような微細な表現の感じ方です。おわかりになっていただけるかどうか、心もとなく思いました。

僕が句について、まず思うのは、なぜ、わかりきったことを強調せねばならないかということです。強調の表現は、「何せむ」が「何せん」の強めた形であるのはご存知ですね。そして句は「何せむ」~「めやも」と問いの形を取り、強めています。ここまで強調して言わなければならなかったのは、そうではないという事例が傍にあるからだと考えられませんか。「私はまさに思った!」と強めただけというのでは、芸がありません。
加えて、「如く」の使い方です。「まされる宝 子の他に無し」などであれば、僕は回答者さんのおっしゃることに同意します。子があまりにも大切で、他に比較対象なんてないのだというのがよく伝わってきます。しかし「如く」とは、イコールだとまずは等号で結んだ上で、打ち消しているのです。この打ち消しの仕方は、比較しうるという話もあるだろうが、「私はそう思わない」と言い切ったという形です。比較の仕方にも何通りかあり、それによってニュアンスが変わるとお考えになったことはありませんか。

かくして、僕は「邪推」を述べたとは思いませんよ。いっそ不快なのでいいますが、まず邪推という言葉を、辞書で引いてごらんなさい。「悪意をもって」とあるでしょう。僕がどうして憶良に悪意を持つ必要がありますか。また定説に悪意を持つ必要がありますか。ただ楽しみでいろいろな読みの可能性を探りたいだけです。正確な日本語をお使いになるなら、「先入観があるのではないか」などとすると僕も嫌な気持ちはしませんよ。僕が何か悪いことをしたなら詫びもしましょうが、無駄に他人に不快感を与えるのは、いくら匿名のやり取りでも嫌ですよ。それとも教科書かそれに準ずるものを書いている方だったりしますか。だとしたら、僕に怒っても納得いきますが。

お礼日時:2011/04/27 23:16

> これは子供が大切にされている情景を見て、「ああ、親の愛って素晴らしい」と


> 感嘆した句なのでしょうか。それとも、子供が粗末にされているのを見て、「ああ、
> 子供ほど大切なものはないのに、なんてことだろうか!」と歎じた句なのでしょうか。

どちらでもないでしょう。
この歌は憶良自身が親として自分自身の子への愛情を詠んだ歌だととるのが普通です。
この短歌は次の長歌に添えられた反歌なんですが、こちらを見れば、わが子への
気持ちを詠んだ歌であることは明らかでしょう。

 瓜食めば 子ども思ほゆ   栗食めば まして偲はゆ
 いづくより 来りしものぞ    眼交に もとなかかりて
 安眠し寝さぬ

そもそも反語というものを根本的に誤解していらっしゃるように思います。
反語というのは、「疑問の提示+否定」ではありません。
疑問の形をとっていますが、実際にそのような疑問があるわけではないのです。
むしろ疑問をさしはさむ余地が全くないようなことを敢えて疑問の形で問うことで、
自分の考えが当然であるということを強調する表現です。
高校の古文や漢文では「~だろうか、いや、~ない」などと現代語訳させられる
とが多いようですが、「いや、~ない」の部分ははっきり言って蛇足です。
そんなものをつけるから、質問者さんのように妙な理解の仕方をしてしまう人が
出てくるのでしょう。
答えの部分は言うまでもなく決まっているからこそ、反語なのです。

この歌は、「子供はなににも勝る宝である。金も銀も、それにはかなわない」
と言っているに過ぎません。
銀や金は一般に価値あるものの例として挙げられているに過ぎず、実際に
それと子供を天秤にかけているわけではないのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。が、反歌とは要約するだけではないですよね。補足する意味もあります。反歌だからというだけでは決定打になりません。No3のお礼欄でも書きましたが、まず文法を正確にとってから、次に状況証拠を固めて、想像力を働かせるのが必要だと僕は思っています。僕はこうやって和歌の質問を他にしていますが、文法が取れないで空想力だけで解釈しているものが多いと感じています。

さて、「めやも」について。僕が高校文法ですか。一々、設問者を侮辱する必要ないのではないかと思いますが、まぁそう思うならそれも結構です。実際、辞書を引いていますから。しかし、では伺いましょう。文法的に「めやも」が強意であることを示す他の用例があがりますか。回答者さんに強く言われても、用例などの証拠がないと納得できませんよ。用例を上げろとは、ちょっと御面倒をおかけすることになりますが、大変お詳しい方のようですから、敢えて甘えさせていただきます。

お礼日時:2011/04/27 17:57

しろがねも こがねも玉も何せんに まされる宝 子じゃないですか



って貴方が聞いたら貴方はなんて感じますか。今の人だって、「子ですよね」と言えば良いところを、わざわざ否定的に「子じゃないですか」って言いますよね。でもそれを否定だと受け取る人はいないですよね。
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この回答へのお礼

お会いするのは二回目ですね。猪突先生、ありがとうございます。でも、それは「しく」をとっていないです。「子にしくめやも」は「子に如くものであるだろうか、いいや違う」だと思いますよ。全体は次のように考えています。「銀も、金も、玉も、何にも勝る宝であって、子と同等の宝であるのだろうか。いいやそうではあるまいなぁ」。

こうやって文法に即してニュアンスを考えると、財宝が何にも勝る宝だという相手に対して、反感を示していると解釈できるという質問なのです。設問で、もう少し丁寧に説明するべきだったかもしれません。いかがですか。

お礼日時:2011/04/27 15:08

私の記憶がどの程度か自信はないのですが、



高校で習った折に、
子(我が子ではなかったかも?)を亡くした悲しみの上でうたったと聞いた記憶があるような。。。。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。子を亡くした時の歌ですか。僕は当時の資料を調べていないのですが、可能性はありますね。「子供がいなくたってさ、財宝があるよ」という話をされて、「そんなわけあるか」という気持ちになった。あるいは自分が子を亡くして宝に救いを求めていたら、不意に仲の良い親子に出くわして、「ああ、やはり子に勝る宝は無かった」と思った。いろいろ考える幅ができます。

お礼日時:2011/04/27 15:21

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とても古くからお持ちの株ということですね。
この特例にあたるのではありませんか。

http://www.taxanswer.nta.go.jp/1473.htm
http://www.taxanswer.nta.go.jp/1463.htm

また、下記のサイトで上場企業名から銘柄コードを検索し、株価を知りたい年月日を入力して株価を調べることができます。

http://table.yahoo.co.jp/t

買取金額は明細書でOKですね。

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シャボン玉を吹く:
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  吹く動作から、
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   これら一連の子供の遊び全体を言う。

「シャボン玉」野口雨情作詞
       中山晋平作曲
シャボン玉飛んだ
屋根まで飛んだ
屋根まで飛んで
こわれて消えた

シャボン玉消えた
飛ばずに消えた
産まれてすぐに
こわれて消えた

風、風、吹くな
シャボン玉飛ばそ

*興味があればレコードを。
 http://www.musicasenlinea.com/videos/-;Bqx6UyRcoLI.html
*いつもながら正しくきれいな日本語で感服いたします。


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