最近、英語の文章を読んでいると男尊女卑について書かれているものを読みました。その時に読んでいて思ったのは、本来「男尊女卑」という考え方は、根本に「女尊男卑」があるが故の表面的な「男尊女卑」だったのではないかと思いました。確かに日本では明治以降はそのままの意味の「男尊女卑」の考え方だったのではないかと思います(その結果女性解放運動なども広まったのかと)。ある文献では、昔、男が村の会議で決議を出す際には、決議の前の晩に妻や母などに意見を聞いてから、決議を出したそうです。このことについて色々な意見があると思いますので、色々な人の意見を聞いてみたいと思っています。
また、上述の続きの様になりますが、近年の男女平等は結局のところ、女性が女性の権利を自ら狭めているように感じられるのですが、これについてどう思いますか?
よろしくお願いします。

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A 回答 (6件)

1,昔から、女性は、名を捨て、実を取って来た


  のだと思います。
  表面は男を立て、内では男を支配してきたのです。
  現在でも、サラリーマンの男は、収入の殆どを嫁さんに
  取り上げられています。
  専業主婦の実労働時間は2,5時間~4時間と言われています。
  これに対して、男は一日中働いています。
  男はコンビニ弁当なのに、奥さんはレストランで食事です。
  自殺の70%は男です。

2,かといって、男は別段これを不満にも思っていません。
  それは「男は偉いから、女子供を命懸けで守り養うのだ」
  と洗脳されている為です。
  これが男尊女卑の姿だと思います。

3,それなのに、むやみに男女平等を強調したのでは
  御指摘の通り、女性の権利を狭める結果になると
  思います。
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>女性が女性の権利を自ら狭めている


これには激しく同意します。あれもしたいこれもしたいと言いながら知らない内に自分の首を締めてることに気付いてる女性ってほとんどいないですよね、笑けます。
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世界中の歴史を見ていえることは、「権利」の裏には「義務」がある、ということです。



そのため「権利」を行使できる主体は「義務」として自らの命を犠牲にする覚悟が必要であり、事実多数の命が義務として失われています。
これは主に戦争に借り出せて戦死することを意味していますが、今回の原発事故をみるまでもなく、戦争以外の仕事でも死亡することは多々あるわけです。

これらの代償としての権利であって、その主体を「男性」が保持していた(つまり女性には分け与えなかった)というのは非常に語弊のある理解の仕方といえます。
まず、近代に至る以前の社会では、すべての人が平等に権利と義務を持っていた、ともいえません。身分制度によって男性でも義務から解放(また義務を負うことを求められない)という社会のあり方だってありましたし、奴隷にはまった権利も義務も課せられませんでした。
男性が、女性が、という以前の問題だったわけです。

他の方の回答に「中東では男性は働かなくてよいが、女性が働く」というのは偏った見方で、確かに男性が働かない制度を持つ国もありますが、彼らは戦争になれば真っ先に戦死する運命にある、という前提があっての「だから平時はまったく働かない」なのです。
(それが現代的な社会制度に合致するかは別の主題です)

次に地域的なことをすこし書きますが、まずヨーロッパから中東、中国までの大陸は確かに「男性優位」の社会的風潮を見て取ることができます。これは、放牧民族的な知恵が影響していると思われ、まずなによりも優秀な「雄」が絶対的に優位な立場を維持することが各民族全体の運命に関わる、という思想があったのではないかと推測しています。
これが社会的な風土と一致すると中東の一夫多妻制などにつながるわけですが、前提として「女性は子供同様守るべき存在」であったわけです。そうでないと、砂漠などの厳しい気候では子孫をのこしていけなかったのでしょう。ヨーロッパになると、キリスト教の影響もあってもうすこし女性の自由度があがっていますが、はやり権利の主体として男性並に行動するのは難しかったでしょうから「庇護」という考え方はどうしても着いてまわったのだと思います。
ところで、同じヨーロッパでも古代ローマ時代からイタリアでは女性の発言権が意外に強く、選挙権は持っていなかったものの、社会参加はかなり行われていたようです。それに比べて昔のガリア人やゲルマン人は「女性は子供と同様庇護するもの」という考え方が強かったようで、現代でもマリア様を敬うイタリア人と厳格なピューリタニズムを信奉するドイツやイギリス人のように、同じヨーロッパでもコントラストが大きいといえます。

さて、日本のほうはどうであったかというと、ご存知の通り日本の神々には女性神も多く天皇でさえも古代は女帝が輩出されています。
また社会制度的にも、日本は古代から女性に財産権がありましたし、商家の家督は女性がついで男性は入り婿するというしきたりも西日本には色濃く残っています。そもそも「女将」が旅館や飲食店の主人として君臨しているのですから、日本の社会制度は昔から以外にも男性と女性が同程度の権力を握ることができたのです。

もちろん戦争という力のぶつかり合いは男性が優位であることは間違いないため、どうしても男性に権力が集中しがちではあるのですが、それでも日本の女性は昔からかなり権利を有していたということは間違いないのです。
ちなみに、フランスの女性は夫婦の強度財産に関する相続権または離婚時の分離件について1965年の法改正まで権利を有していません。ところが日本の法律では江戸時代にはすでに「妻の持参金については離縁時に全額妻に返すこと」という風に規定されていますので、皆さんが思っている以上に日本の男女関係は以外にも平等に近かったのです。(もちろん、男尊女卑でなかったとはいいませんが)

さて、現代になると近代化の影響(啓蒙思想での個人の権利の不可侵化)によって奴隷制もなくなり、女性の権利も認める方向に変わってきました。その後には子供の主体的な不可侵権を定めた世界子供条約も制定されています。

この流れをうけて、アメリカやヨーロッパではウーマンリブ運動が1960年代になると盛んになります。アメリカの公民権運動が1950年台から盛り上がりを見せ、1960年代には一定の成果(1964年の公民権法にて平等がなったとされる。もちろん人種差別が消えたわけではない)があったことがその背景にあるのは明らかです。

このとき、アメリカの公民権運動もウーマンリブも、その後の日本の女性解放運動には見られない特色があります。それは「(白人)男性と同じ義務を私たちにも負担させよ」という主張があったということです。
そもそも公民権運動の源流には第二次世界大戦時の黒人部隊の活躍がありますし、ウーマンリブは女性が自らの財産(可処分所得)を得るということが目的でした。
そのためには、戦争なら戦死する可能性があるということ、所得のためなら「男性と同じ働きをする」ということは、義務として当然だったということです。
女性が可処分所得を得るのはとても重要なことであり、この点、財布の紐を女性が握っている日本とは大きく事情がことなるのです。(世界的に見て、奥さんが旦那の給料を管理するのは、日本・中国・韓国の儒教文化圏だけです)

ところが日本にウーマンリブが輸入され女性解放運動になると、この「権利と義務」というフィロソフィーがまったく抜け落ちてしまいます。
そのため、セクシャルハラスメント(本来は上司の立場の女性が強要すれば、セクハラになる)が女性が一方的に被害者になるような解釈をされていますし(逆セクハラという言葉は本来ありえない)、「男だから(仕事でも)女の子に重い荷物を持たせるのはマナー違反」などの言動がはびこることになるのです。

これは結果として「女性が女性の権利を自ら狭めているように感じられるのですが」ということにつながり、また女性の中にも「権利も適当でいいから義務を押し付けないで」という勢力(便宜上玉の輿派としましょう)とバリバリ男性と同等かそれ以上の勢いで仕事をしたい勢力(キャリアウーマン派)が対立し、社内で女VS女の対立が激しくなるのです。
最近の女性キャリアウーマンのアンケートには、女性の社会進出を妨げる要因に「楽をしたい女」をあげることも多くなっているのです。

これは、まさに「楽をしたい女=義務を放棄する女」と言い換えることができるでしょう。
男尊女卑という言葉の裏には、女女尊卑も存在するのです。

また、女性は最近の少子化について「子供を生むか生まないかは女性の権利」と考えている人がおおくなっているようですが、権利は必ず義務と一体ですから、権利を主張するなら少子化の責任は女性の責任であり、社会的にも男性的にもまったく少子化解消のサポートをする必要がない、と言い換えることも出来てしまうのです。

こういう社会における立ち位置と、社会に対する意識の低さが、女性の権利を自ら妨げていることに気づかないことが私は非常に残念です。

日本の社会はそもそも、民主的な革命も経験せず、また異民族に攻められたから国土を守る、という社会に対する義務の輪郭が明確になる機会を歴史上にあまり持っていません。
そのため、義務と権利、という概念が男性を含めて社会に根付いているとは言いがたい側面があります。

しかし、否が応でも40年仕事をするしかない男性としては義務感と権利を意識しないでは、仕事を人生の中に位置づけることは難しいと思います。そしてそれが位置づけられているからこそ、日本の発展があったわけですし、今回の原発の危機に際しても関係者が不眠不休で働いてくれるのといえるのです。

義務を果たさないで逃げていることはできません。自分たちに都合のいいことばかり考えていると自分のクビを閉めることになるのです。
質問者様はそれを感じているのだと思います。私も感じます。

当の女性たちが早くそれに気づくことを期待するしか無いのだと思います。
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古今東西それぞれの社会によって違いますし、また各家庭によっても実際には違っていたでしょうから、一概に、本来がどうだったとか、いついつの時代にこうだったということは言えないと思います。



ただ、私としては、男と女は違う(「良い悪い」ではなく「違う」)と思いますし、また、一人が代表者になるなら、代表する構成員の意見を吸収するのが代表者の務めだと思います。

具体的には例えば、男性のプライドを立てて、女性が一歩下がっているふりをしていれば、男性が機嫌がいい分、女性にとっても世の中がうまく回っていくし、一方では、女性を立ててレディファーストにしておけば、女性が機嫌よくいられるうえに、男性は自分がカッコいいと思って悦に浸れます。

また、家庭内で女子供の意見を聞いておけば、「さすがにお父さんは立派だ」と思ってもらえるうえに、会議では見識者だと思われるし、誰からも文句が出ない分、地位が安定します。これを女帝社会のように、男女逆にしてもいいのでしょうが、出産や月経に手間やリスクが多かった時代には難しかったのでしょう。

それから、「近年の男女平等」がどういう状態を指しているかは知りませんが、今の女性の多くが望んでいるのは「仕事も恋も出産も」であり、それを叶えるには最低でも半年の育児休暇と、安定した母乳提供のための勤務体制が望ましいわけなので、国民総生産を落とさない限りは、すぐには夫婦ともに完全に同等の勤務をすることはできないと思います。

したがって、女性も男性も育児に多くの時間を避けるような勤務体制が必要であり、それを社会全体で実現できて初めて、男女ともに、かなり等しい量の権利を享受できるわけですが、その権利の内容は男と女で微妙に違います。一例としては、女性は「妊娠出産する権利」をほしいところですが、男性には、妊娠出産関係にそれほど時間数を割く必要がありません。
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男女平等。


解釈のしかたも人それぞれの難しい問題ですね。

参政権だけで言うならば、男性が女性の意見を聞いた上で参加すれば問題ないと思います。

ですが、現在の男尊女卑とは元々女性の方が給金が低いとか、望んだ職に就けないとかそういう意味合いの方に重きを置いています。
国によっては一夫多妻の国も、結婚する相手も選べない国もあります。
そこで平等を訴えるのは当然の事かと私は考えます。
それに会議で大事な事を決めるならば、近しい人に意見を求めるのが普通だと思います。
男性女性問わず。

女性専用車両だってそうです。他の車両は混んでるのにあの車両だけガラガラって事が多くありますね。
だからムカつくっていう男性を見かけますが、過去痴漢に遭った事のある女性が果して満員電車に乗りたいでしょうか?
極端に言うなら男女別の車両と、どちらでも乗れる車両を作ることが一番平等ですが。
痴漢に間違われたくないと手の位置等に気を使って電車に乗っている男性も多いみたいですしね。

レディースデイがズルイ!と言う意見が多くて、メンズデイを設けている映画館も増えましたし。

働く女性が増える半面、働かない男性も増えてますよね。

中東では夫は働かなくて良い。子供を産んで尚且つ家計を支えるのも女性の仕事。そういう国もあります。
でもそれが普通なんですよ。彼等にとっては。

差別というのは、国民性と意識の違いではないでしょうか。
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自由度が高すぎて、


旧態依然の「女」だから許される部分を使い続ける女性と
自ら悪い部分を捨て、自立心、向上心旺盛な女性とに分かれてる気がします。

つまり、女性の地位を貶めている、あるいは向上しないのは実は同性の女性が原因ではないか?と考えてます。

女性をひとくくりにして考えるのが間違えだと言われそうですが、
男性の役割は昔からほとんど変わってませんので、女性の自由度は?が湧きます。
実際に専業主夫なんていまだレアなケースの反面、女性は2択が許されます。
どっちを選んでも誰からも責められない。

もっともそれが原因で女性が出世しにくい社会のままになってると思いますが。
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