題名どおりの本を探しています。

最近「江戸時代を生きていた人たちはどんな生活をしていたのだろう?」と思うことがあります。



肉は食べていたのか?
下着とかはどうしていたのか?
書物などは全て手書きだったのか?
今の憲法みたいのはあったのか?
何をした場合殺されてしまったのか?

などなど・・・


それらが書かれている分かりやすいけど、ある程度詳しい本はないでしょうか?

できるだけいろいろ知りたいのです。



分かりにくい説明ですいませんがよろしくお願いしますm(__)m

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A 回答 (4件)

林美雄『江戸の二十四時間』河手文庫。


石川英輔『大江戸えねるぎー事情』。
中公新書『江戸の刑罰』『江戸の料理』。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
お礼が遅くなってしまい申し訳ございませんでした。

今度書店や図書館に行ったときに探してみたいと思います。


ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/29 21:29

 読みやすいところだと、映画にもなった「武士の家計簿」や、「下級武士の食日記」のような当時の記録の解説本なども出ています。



http://www.amazon.co.jp/dp/4106100053
http://www.amazon.co.jp/dp/4140881658
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなって申し訳ございませんでした。

武士の家計簿は題名だけ知っていました。
面白そうなので今度見たみたいです。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/29 21:28

 所謂、雑学本の類や蘊蓄を語るようなモノは余りお奨めできません。

引用されている史料に対しての誤読や誤訳が横行し、またそれによって新たに誤った知識を垂れ流す危険性が多いことにもよります。
 直接に知るならば「浮世風呂」や「浮世床」のような江戸時代の作品を読んだ方が多くの情報を知ることも可能です。また東京都の武蔵野市では以前(92年頃だったと記憶しております)に「悉皆調査」と呼ばれる歴史資料の調査が行われその詳細な報告書が存在します。こうした報告書には参考文献がリストアップされていることもあり、それらを手掛かりとされては如何でしょうか?。
 
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなって申し訳ございませんでした。

TANUHACHIさんがいうとおりにしてみます。
まずは江戸時代の作品を読んでみたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/29 21:24

下着はないですが、



武士の世界 全3巻 柏書房 1982年


武家の食事・職制・刑罰など武士のことが当時の絵がメインで出版されています。

評価の高い本なのですが、入手困難ですね。
(私は入手に2年ぐらいかかりました)
お近くの図書館で一応検索されてみるといいかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
お礼が遅くなってしまい申し訳ございませんでした。

近くの図書館で探してみたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2011/05/29 21:25

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私は舞台で見たことがありますが、ストーリーは「狐の嫁入り」と直接の関係はないと思いますよ。
辞書に出てくるのは、「狐の嫁入り」という言葉がこの時代(江戸の享保年間)から使われていたことが文献で確認できる例としてあがっているだけだと思います。

参考URL:http://osaka.yomiuri.co.jp/bunraku/gallery/dan.htm

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 しかし、農村生活に関する限り、基本的には江戸時代の延長だといえそうです。たとえば、明治初期と末期における全就業人口に占める農業の割合は72%から65%に、GDPの割合は44%から37%へと低下しましたが、急激な変化というほどのことでもなさそうです。

 なによりも、農家戸数が550万戸のままほとんど動いていないことが、安定した農村生活の何よりの証拠だと思われます。変わらなかった第一の理由は、日本固有の「家」制度にあると考えられます。近代的な均等相続制度では、農地の細分化、流動化は避けられず、小農経営の持続性は失われがちです。

 日本の場合、経営耕地面積は小規模ですが、長男が農地を相続する制度のため、土地だけでなく、親世代まで蓄積された資本や技術、あるいは経営知識までそっくりそのまま次世代に継承されることになります。その代り、二三男はそれなりの教育を受け、都市に産業労働者として流出する仕組みです。

 これに対し東アジア、さらにヨーロッパでは一般に分割相続が普通で、世代交代ごとに土地財産は分割され、経営ノウハウも分散、断絶することになります。

 第2に、名望家や在地地主を頂点とするムラ共同体の役割があります。農家の間に強い信頼と互助の関係が結ばれ、生産や生活の基盤を形成していました。この関係は、良好な地主小作関係の維持発展にも役立ったようです。小作人というと、強欲な地主のもとで搾取されるというイメージがありますが、実は自作農と小作農のあいだに平均耕地面積や収穫量の違いはなく、小作だから貧しい、収奪されているというイメージは統計的には裏付けがありません。

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 明治時代は変化の激しい時代なので、大まかにひとくくりすることは難しいと思います。

 しかし、農村生活に関する限り、基本的には江戸時代の延長だといえそうです。たとえば、明治初期と末期における全就業人口に占める農業の割合は72%から65%に、GDPの割合は44%から37%へと低下しましたが、急激な変化というほどのことでもなさそうです。

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Q仏壇の壇の漢字はどういう意味ですか?

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壇=土を盛り、飾る所
仏壇=仏さまをまつる所
花壇=花を飾る所

http://www.e-butsudan.com/01_about.html

仏壇の起源はお釈迦さまを家でまつる為の寺院の小型化したもののようです。
奥が深いですね。
須弥山と繋がります。

Q【江戸時代の話】「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」は「江戸は火事が多かったから」、「銀行が無かったか

【江戸時代の話】「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」は「江戸は火事が多かったから」、「銀行が無かったから」、「そもそも江戸っ子は貧乏だった」という3大理由がインターネット上に挙げられていますが多分間違っていますよね?

江戸時代、江戸は火事が多かったので頼母子講(たのもしこう)という相互会があった。

少額を毎月12人から集めて12人分を1人に渡す。これを1年間繰り返して12人が1年のうち1ヶ月だけ大金を得ることが出来る銀行のような仕組みがあった。

この事実で仮説1の火事が多かったから宵越しの銭は持たなかったとうう説は間違いとわかる。

大金が回ってくる仕組みを火事が多いので大金を持たなかったという江戸っ子の説は矛盾に気付く。

2つ目の仮説。銀行はなかった。けれども頼母子講という少額を積み立てて大金を引き出す銀行みたいな仕組みがあったのでこれも嘘の仮説だと分かる。

最後の仮説の江戸っ子は貧乏だったという説。

江戸時代に流通していた通貨は金貨、銀貨、銭貨の3種類。

銭貨の価値は現在の価値で50円程度。

江戸時代の江戸っ子の日当が50円程度だった?

金貨の価値が20万円程度だった。

江戸時代の大工に月収は2万円。2万円/30日で日当で666円。

1日銭貨を13枚。

当時の大工は高給取りだったとすると一般庶民のブルーワーカーは大工がホワイトカラー職で現代の月収50万円職に値すると一般庶民のブルーワーカーの月収は25万円として6枚。

で、1日6枚で飯が3食で銭貨3枚が余る。で、相互会に毎日銭貨3枚を預けると月で99枚。1枚50円で5000円。

金貨が20万円なので月5000円で12人で相互会を組んでいるので年1回月収が6万円のときがある。

年1回大金を掴んでも6万円なら江戸っ子は20万円の価値がある金貨を一生見ることがなかったのかも知れない。

ということは、江戸っ子は宵越しの銭は持たないの話には続きがあって、(けど江戸っ子は銭貨を大金の銀貨に変えて貯金していた)。要するに1番価値がない銭貨を持たないで銀行(相互会)に預けて大金にするという仕組みが江戸にはあったので当時の人は江戸の仕組みを珍しく思い、「江戸には銀行という仕組みがある」ということを「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」と表現したのが真相ですかね。

【江戸時代の話】「江戸っ子は宵越しの銭は持たない」は「江戸は火事が多かったから」、「銀行が無かったから」、「そもそも江戸っ子は貧乏だった」という3大理由がインターネット上に挙げられていますが多分間違っていますよね?

江戸時代、江戸は火事が多かったので頼母子講(たのもしこう)という相互会があった。

少額を毎月12人から集めて12人分を1人に渡す。これを1年間繰り返して12人が1年のうち1ヶ月だけ大金を得ることが出来る銀行のような仕組みがあった。

この事実で仮説1の火事が多かったから宵越し...続きを読む

Aベストアンサー

すごいですねえ。
いろいろ計算して、ここまで考えると、おもしろいですね。

私は、ただ、単に、
物に執着して、がつがつ貯めこむのは粋じゃない。
きっぷ(気風)がいいことが美徳、という考えが江戸では一般的だったから、
(本当にもらったら、もらっただけ使ってしまう人ばかりでなくても)
そういう気質だと、おもしろがって、または、自慢気に、言っていたのではないかと思いました。
開き直ったスローガンみたいな(笑)。
で、そういう風潮ができたのは、
やはり、長屋に住んでいるような、大部分の人が、
ぎりぎりの生活で、贅沢はできない状況だったからでしょう。

ところで、たのもし講、私が小さい頃、母がやっていましたよ。近所のおばちゃんたちと。
なつかしい言葉です。

Q壇蜜はいつ頃NHKのどんな番組に出演するでしょうか

ロマンポルノ女優出身の宮下順子や白川和子は別格としても、及川奈央、飯島愛、古くは桜木ルイなど堂々たる裏AV女優までがこれまで数多NHKに出演しています。 壇蜜はヘアーヌードを披露しただけで、露出度から言ってもNHKが出演を拒む理由は見当たりません。 皆さんは、壇蜜がいつ頃NHKのどんな番組(バラエティ、ドラマ等)に出演すると思いますか? もし既に出演しており、私が見落としておればもうし訳ありません。 いつどんな番組に出たのか教えてください。

Aベストアンサー

さ来年あたりの大河で花魁の役。だといいなあ。
和なお色気だけでなく、知性とウィットもある彼女にはピッタリ。
日舞の心得もあるらしいし。

Q江戸時代と現代についての質問です;;

”江戸時代と現代の比較”について、今取り組んでいるのですが、
わからない項目がいくつかあるので、教えてください(><;)

(1)ごみ処理の方法の比較
(2)法律の比較
(3)生活水準の比較
(4)住民感情(ごみに対するもの)の比較

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

あなたのご質問については、各地での状況が違いますので、江戸を例にとってお話しをしましょう。

>>(1)ごみ処理の方法の比較

「よもやま話」でもお話しをしますが、とにかく、リサイクルシステムが完備されており、
例えば、大根1本にしても、庶民は、まず皮をむいて味噌汁や煮物で食べる。その後、皮は千切りにして、「いためて」食べる。葉っぱは「お浸し」などで食べる。・・・つまり、残るところがない。
しかし、武家や商家、料理屋などでは、当然、そこまでは食べませんので、残飯が出ます。これらは、農家の人たちが定期的に町内を回って回収し、農家の肥料などに使いました。
また、火事などで焼けた廃材などは、江戸は千代田城(江戸時代、「江戸城」とは呼ばず「千代田城」または「舞鶴城(ぶかくじょう)」と呼び、庶民は、ただ単に「お城」とよんでいました)のすぐ近くまでが海でしたので、柵を作って、そこへ投棄しました。
つまり、埋め立てに利用したのです。現代の「夢の島」ということです。

>>(2)法律の比較

江戸で出される「○○令」などは、基本的には、江戸の庶民に対してのみの法律でした。
また、「武家諸法度」のような法律は、大名に対してのもので、諸国の庶民は、その地の領主(大名など)の管轄で、その地だけでの法律がありました。
従って、江戸で出された「禁止令」などは、主に、江戸の庶民に対してだけの効力しかありませんでした。

>>(3)生活水準の比較

う~ん。これは難しい。
江戸時代も物価の変動があり、一概には言えませんが、
例えば、大工の賃金は年収で約120万円位といわれており、その収入の中で、妻や子ども4~5人を養っていたようですので、士農工商の人々は、自分なりの工夫で生活をした、と思います。
ただし、逆に貧乏だったのは、武士(主に、御家人)の方かもしれませんね。
少ない俸給の中で、冠婚葬祭などにしても体面が重んじられていましたから、札差などからは、借金、借金、またまた借金と、借金地獄だったようです。ですから、江戸時代も終わりに近づくと「御家人株」と言って、身分を売ることさえ行われました。
風呂屋・・・8文(約100円)
蕎麦・・・・16文(約200円)
庶民としては、士農工商の下に「非人」「穢多(えた)」と呼ばれる最下層の人々もいました。
非人:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E4%BA%BA
穢多:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E5%A4%9A

>>(4)住民感情(ごみに対するもの)の比較

江戸は、盛時で、庶民が50万人、武士は軍事上の秘密から公表はされていませんが、武家地の町割り図から見て、同じく50万人位、つまり、江戸は100万人都市で、世界一の大都会だったのです。
しかし、し尿処理など(「よもやま話」参照)や、さまざまなリサイクルシステムがあり、世界一綺麗な街だったのです。
例えば、フランスなどは、排泄物を自室の洗面器などにして、窓から道路や川へ捨てていました。
そこで、靴やドレスの裾が汚れないように考え出されたのが「ハイヒール」だったのです。

(よもやま話)
題して・・・「EDOの街はECOの街」

(1)下肥問屋
江戸の街は武家地が25%、庶民の地が15%、後の60%は農地でした。渋谷、原宿、麻布なども農地でした。
盛時には江戸の人口100万人と言われて世界一の大都市でしたが、農地が大部分だったのです。
現代では、「食い倒れ」と言うと「大阪」を指しますが、昔は、江戸が一番の「食い倒れ」でした。
こうした贅沢な庶民の排泄物は、農家の野菜作りには大変優良な下肥でした。
農家は、長屋の大家と提携して、年に数回「汲み取り」にやって来て、その代わりとして、年に「たくあん漬」10樽とかを大家に収め、大家は店子に配ったりしました。
元禄年間(1680~)頃には、下肥の争奪戦が勃発し、「下肥問屋」なる職業が成立し、下肥の値段が急騰したため、勘定奉行より「公定価格」まで提示されました。
また、大奥などのやはり優良な下肥は「葛西権四郎」なる者が一手に引き受け、堀を伝って舟で運び、農家に売買していました。

(2)古紙回収屋
紙は、当然、貴重品。
現代の「チリ紙交換」と同じように、役所や商家などで書き損じた紙は「古紙回収屋」が引き取り、また、街中を篭をしょって歩き、紙くずを拾い集めたりしました。
再生紙は、「浅草紙」と呼ばれ、トイレットペーパーになりました。
これは、今も昔も変わりませんね。

(3)古着屋
武家や大店から古着を買い取り、庶民の女性が集まりやすいように、長屋の近くに店を出すのが一般的でした。

(4)端切れ屋
これも、反物から着物を作った残りの布地を買い取り、古着屋と同じく、女性の集まりやすい長屋近くに開業。
昔は、少々の破れは布を当ててつくろいました。
良く、TVの時代劇で子どもが、何の「つぎはぎ」もない着物で遊んでいますが、とんでもないウソ。

(5)着物のリサイクル
旦那の着古し→子どもの着物に仕立て直し→おしめ→雑巾。

(6)傘の古骨買い
番傘(蛇の目傘)の壊れたものを買い取り、折れた骨は取替え、油紙も新しく張り替えて、再度、店先へ。

(7)焼き継ぎ屋
現代では、茶碗や皿などが割れると、ハイ「廃品回収」ですが、江戸時代には、立派な職業。
割れた茶碗や皿に「ふのり」と「粘土」を混ぜた「天然の接着剤」でくっつけて、火で焼けば「元通り」。

(8)たが屋
水桶などの「たが」のゆるんだ物を直す職業。

(9)らう屋
キセルの修理屋。

(10)ゲタの歯入れ屋
磨り減った下駄の歯の交換屋。

(11)古鉄買い
火事で消失した家などに使われていた「釘」を買い集め、再び、新しい「釘」にして大工などに販売。

(12)灰買い屋
家庭の灰や焼け跡から「灰」を買い取り、農家に販売。
天然のアルカリ成分なので土の再生に利用された。

(13)廃材の再利用
「ふすま」「障子」「戸」などは、全て同じ寸法。従って、取り壊した家などから、そうした物を買い取り、長屋や商家などでの取替えをした。
「柱」も数種類だけの寸法なので、古い建材ですぐに家が建てられた。

(14)風呂屋(湯屋)
江戸の街は、密集しており、一度火事が起きると広範囲に消失した。
そこで、庶民の家では「風呂」を造ってはいけない禁止令が発令された。
風呂屋を開業するには、勘定奉行所の許可が必要だった。
また、「薪」も近隣の農家から買う必要があり、高かった。
しかし、大体は町内に1軒位は湯屋があり、湯銭は8文(約100円)で蕎麦の16文の半値だったため、風呂好きな暇な大家などは朝夕の2回の風呂屋通いをした。
かの有名な大店の「三井越後屋(現:三越)」の店員でさえ湯屋通いをしました。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

あなたのご質問については、各地での状況が違いますので、江戸を例にとってお話しをしましょう。

>>(1)ごみ処理の方法の比較

「よもやま話」でもお話しをしますが、とにかく、リサイクルシステムが完備されており、
例えば、大根1本にしても、庶民は、まず皮をむいて味噌汁や煮物で食べる。その後、皮は千切りにして、「いためて」食べる。葉っぱは「お浸し」などで食べる。・・・つまり、残るところがない。
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