仏教に関する基本的な質問なのですが、宗教には全くド素人なので小学生に教えるような感じがお願いします。
1. 仏教は大乗、小乗と分かれたり、また密教とか禅宗とかありますよね? これらは一体何がどう違うのでしょうか?
2. 一部を除いて大体のお坊さんは頭を丸めていますよね? 多分、頭髪を切る事で俗世間とは縁を切るという意味が込められているのかなと思うのですが、この習慣(?)はいつ頃から始まったと考えられるのでしょうか?
写真で拝見したダライラマ14世は日本の僧と同じように頭を丸めていました。 でも、元祖のお釈迦様はどうだったのでしょうか?
また頭を丸めない宗派があるはずですが、俗世間と縁を切るという考えは無いという事になるのでしょうか?
3.日本の仏教界だけでも色々な宗派に分かれているようですが、本来、お釈迦様が唱えた教え(原始仏教?)に最も近いのはどれでしょうか?
専門用語を使われると全くのチンプンカンプンになって質問した意味が無くなると思いますので、それこそ小学生にざっくりと教えてあげるような感じでお願いできれば有難いです。
No.15
- 回答日時:
以下を参照ねがいます。
「仏教と量子力学について」
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6716207.html
ANo.2
>小学生にざっくりと教えてあげるような感じで
ざっくりと言うと、
「善い行いをすれば必ず報われ、悪い行いをすれば必ず報いを受け、全ての結果は自分に返ってくる。」
ということが、物理学的に証明されているという事です。
No.14
- 回答日時:
古代インドの、釈迦が提唱し伝えたとされる。
仏(悟りに導くもの)を縁として、悟り、が起こる。
仏主義、ブーディズム、と言われる思想、考え方、が、元々の、仏教、です。
何に対して、仏教、だったのか。
それは、それまでの、それまでの、古代インド哲学、バラモン思想、に対抗するものであり。
バラモン思想、ヒンズー思想。の、神、精神主義、に対する、知恵主義、でもあります。
実際に釈迦から聞いた、言葉として、信憑性が高いと言える。古い教典の言葉は
、殆ど。00(対象としての仏=縁)と知恵によりて見る者(個人の内なる仏=縁)は
00となる(との悟りに至る)。という形式になっているようです。
「己を陽炎泡沫の如きものと、思う者、には既に、知恵、がある。」
「己を陽炎泡沫の如きものと、知恵によりて見る者は、自らの苦悩を癒す。」
これが。釈迦が最も頻繁に語っていた、言葉、と伝えられています。
「恨みは恨みによって止むものではない、恨みを捨てる、ことによつて恨みは止む」
そして、法印、の一つになっているのが
「人間の一切は苦であると知恵によりて見る者は自らの苦悩を癒す」
これが、一切皆苦、となっているのでしょう。
釈迦の死後、100年ばかりで、バラモン思想の反抗、として大乗運動、が起こります。
釈迦の知恵、理法、が正しく伝承されなければ、いずれそうなる。
仏教は滅びる、という事は、釈迦自身が解っていたことのようです。
やがて大乗仏教は、バラモン思想と一体になり。ヒンズー教の成立、復活、となり。
釈迦は、ブラフマンの6番目の転身、生まれ変わり、として。蓮の台座に座らされ、
神様、仏様、となります。
釈迦にとって最も居心地の悪い場所、のはずです。
小学生に解るようにですが
戦後、地方にまで、日曜学校、なるものが開かれ。紙芝居を見せ、話を聞かせる。
クリスマスの日には、プレゼントまでくれる。形態で、キリスト教の布教活動がされていました。
、心、に働きかけるキリスト教は子供にでも解ります。
しかし、知恵、に働きかける、仏教は、子供には?。
心の反対のものが知恵である事、自体が理解出来ないのが普通なのです。
イエスが十字架に架けられたのが、29歳とききますが。
29歳とは、釈迦が、国も王子という立場も、妻、子、も捨てて、修行(知恵とは何かを求めて)
に旅だった歳なのです。
ニーチェが「彼(イエス)ももう少し長生きをしていたなら、その思想も変わったものになっていた」
と言うように。30歳やそこらで、知恵、(理法の会得)は無理、青年の思想、心の思想、を超えない。とも言えるでしょうし。
今時の震災の対応に、日本人の礼儀正しさ、優秀さ、が注目を集めているようですが。
70年ばかり前にアインシュタインが気付き、言っている事でもあります。
しかし、知恵、という意味で、恥ずかしい、悔しい、と言うべき事もありました。
それは、船が全滅している。昔は、津波が来る、となれば。人は高台に、船は沖へ、だったのです。
津波が来る、と一斉に沖に向かっている船の映像を見た記憶があります。
津波は、短時間に起こる(大きな)満ち潮の形態であり。映画や動画が描くような、
10mを越すような、逆巻く波、ではない。船は安全なのです。目の前に来てからでも、
沖に向かって進めば、どうという事はない。
それが、沖に向かう船は一隻も見られなかった。それどころか、マスコミは、船に取り残された人が救助されました。などと言っていました。船に残った者は、津波を知っていた。知恵があった。と言えることではないでしょうか。津波警報には、船は(近くの人を乗せて)沖へ、が忘れられていた。何のための情報化社会なんでしょうか。何のための勉強、科学知識、なんでしょうか。
。
有難うございました。
私には少々難しい解説を頂いたのですが、一生懸命読ませて頂きました。
後半の部分の津波に関する記述ですが、たしかに船は沖合いに出した方が良かったように私も映像を見て感じました。
今まで見た事が無かったのですが、津波って台風の大シケのような怒涛の状態ではなく、水位が上がり、そして一定の方向に進む波のようなものですから、沖合いに出ていれば転覆もしなかったでしょうし、港内の船同士が衝突したり、津波の押されて建物の天井部分に残されるといった事態も無かったと思います。
これらを考え合わすと、情報化社会が進むと、逆に先祖から言い伝えられてきた「生活の知恵」が退化し、そして自分では何も判断できない人間ばかりを生み出す事になるような感じがしました。
色々考えさせられるご意見に感謝します。
No.13
- 回答日時:
inmarsat さま、こんにちは。
maggaと申します。
僕なりに思うところを書いてみますね。
★1★
まず御釈迦様が、冥想で発見なさったことの中から
我々生命にとって必要で役に立つものを語ってくださったのが仏教、ブッダの教えだと思っています。
その後、御釈迦様の遺言の一部で我々では判断付かない事柄があって(「些細な戒律の変更してもよい」→「じゃあ変えよう」「何が些細か誰もお釈迦様に聞いてないからわからないだろう」)、分裂はしないまでも~派~派と自分はこう思うという範囲内での分派があったと思います。(変えよう派が分裂したことになってるかちょっとわからないです。今残ってないみたいですしね^^;)
その後、とうとう分裂する祖師(先導者)が出てきて、その大元の分派の方々を馬鹿にして、我々は大乗、あなた方は小乗といったことから、大乗小乗という名が世間的に定着してしまったのでしょうかね^^;
そして時がたち、小乗と言っていた分派もなくなった今は大元の教えを守っている初期仏教を小乗としているような印象を受けます。
大乗というグループネーム内を観ても多種多様な教え・宗教がありますが、今からでも新たな宗派も作れるでしょう。
初期仏教の「御釈迦様の確かめたこととその方法といわれるものをそのまま真に受けるのではなく検証的に確かめていく」という姿勢と違い、これこそ真の仏教といった感じで信仰が主になっているように僕は感じています。
どちらが正しくてどちらが間違っているというより、方針が違っていると感じているんです。
最初に決めるか、探索するか。。。
禅宗は初期の方法と似ているものもある感じもしますが。
★2★
御釈迦様が弟子に聞かれて、服装や髪型、沐浴に関して決めたのだと記憶しています。
坊主の理由が縁を切るという意味合いは聞いたことが無いです。
髪型・服装などに悩まされるの事を極力させるためにそのようにしているのだと僕は思います。
お釈迦様は師匠で弟子の格好をどうするか聞かれて答えた立場ですから剃られていないかもしれませんね。
★3★
日本にも原始仏教・初期仏教・テーラワーダ仏教のサンガがお寺を構えていますよ。
スマナサーラ長老など100冊近く出版されていると思います。
「テーラワーダ仏教『自ら確かめる』ブッダの教え」など概要を知るのに役に立つと思いますよ。
以上が僕の思うところでした。
至らないところもあるとは思いますが、何か思索に役立てば幸いです。
~生きとし生けるものが幸せでありますように~
magga様、こんにちは。そして有難うございました。
連休の関係でお礼が遅くなって、すみません。
しっかりと拝読させて頂きました。
まず原始仏教というものが今の時代にも存在しているのですね。驚きました。
となると、彼らの目線からは「他の仏教宗派の全ては間違っている、お釈迦様の教えとは違う」という風に見えているのでしょうか? ちょっと気になってしまいました。
また逆に他の宗派からどう見られているのかも気になります。
もし本当にお釈迦様の教えを「解釈無し」でそのまま実践しているとなると、これは本当に侮りがたい存在になるでしょうし、一体自分たちは何をやっているのだろうか? というような迷いが出てくるように思います。
例えは変ですが、超高級ブランドの直営店で買った本物と、中国の露天で買ったコピー品のような関係に近いかなと思うのですが。
仏教に関する基礎知識さえ無いのですが、この辺を分かりやすく教えて頂けると有難いのですが・・・
No.11
- 回答日時:
本来の仏教の目的とは、我々にある基本的というか、根幹となるもの、つまり、人間として絶対に知っておくべき重要な点を教えようとするためにあるのですが、それは誰もがその自身の内にすばらしい特性を持っていて、それを発揮させることによって、あらゆる所願は満足し、あるいはいかなる困難をも克服していくことが出来るというもので、つまりは、早い話が我々にとって『鬼に金棒』たる宝の存在を教えようとするものなのです。
そして、この自身の宝とも言うべき特性に自ら気付き体現したのが釈迦であり、それで、そのことを他の人々にも知らしめようと始めたのものが仏教であり、その真理が説かれているものが『法華経』なのですが、今から2800年程前の当時の人々にとって、いきなり核心的な『法華経』を説かれても理解し難く、信じ難いため、法華経の部分部分を様々な比喩や方便等を用いて、当時の人々にその説法が受け入れやすいように噛んで含ませるように種々に説いて行ったのです。これはちょうど、子供にいきなり大学講義の内容を説いてもチンプンカンプンであり、やはり、堅苦しくないおとぎ話や童話等から始めれば難なく受け入れてもらえるようなものかと思われます。
そして、そのように解りやすいものから説いて行き、少しづつ人々の理解度、受け入れる能力を高めるようにして行ったのです。つまり、小乗教から大乗教へと導いて行ったのです。それが法華経を説くまでに方便として説かれた一般的によく知るところの阿弥陀経や大日経、般若心経等々なのです。結局、法華経以外はすべて法華経へと至らせるために一時的に説いた仮の教えに過ぎず、いくらそれらを拠り所としても自らの特性を開き活用することなど出来ず、かえって閉ざしてしまうことになるのですが、後世の僧侶や論師等がその仏説を顧みずに自分勝手に広めたものが法然、親鸞の念仏であり、空海(弘法大師)の真言宗、達磨大師の禅宗等なのです。逆に釈迦の真意に沿うように法華経を広めたのが天台、妙楽、伝教、日蓮であり、法華経こそが仏意仏勅(ぶっちょく)であり、それ以外の諸経は方便に過ぎず、いくらそれらを崇め奉ろうが、自らの持つすばらしい宝をその人生に活用することは決して出来ないことを教え説いて行ったのです。
それと密教とは真言宗のことで、唯授一人(ゆいじゅいちにん)と言って、教義を秘伝として一人にしか伝えないようにしたもので、まったく仏教の本義から掛け離れた馬鹿げたものであり、禅宗も教外別伝と言って、釈迦の真意は経典では伝えられず、ただ心のみで伝承できるとしたものであり、つまり、まったく仏説を無視した仏教とは名ばかりの単なる有名無実の宗教でしかないのであり、仏教といえば本来、法華経であり、そこにこそ釈迦の真意、本意があるのです。
なお、僧侶が坊主頭にするようになったのは、天台大師の時であり、髪型などに気を病む、つまり、仏道以外のことに気を使わせないようにするためであり、服装も年中袈裟にしたのも同じことかと思われます。
有難うございました。
仏教に対する基礎知識さえ無いのですが、何となく、表面的ですが理解できたかなと感じています。
abc2008様のご意見を伺って、密教も禅宗も、お釈迦様が本当に考えておられた事とは違う道を歩んでいるという事なのですね。
もしタイムマシンが発明されて、お釈迦様が今の高野山や永平寺のあり方をご覧になったとすれば、何と感じられるのかなと興味を持ってしまいました。
No.10
- 回答日時:
この質問の中で、私が判った気になるのに一番時間が掛かったのが密教でした。
それが判った気になれたのは中年過ぎからでした。私の独断と偏見では、これだけは自分で経験しなくては解らないことだと思います。密教を理解するには、それに対峙した顕教とは何かを解る必要がある。顕教とは、この世界の真理は文章に表すことができると言う立場だと私は理解しました。ですから、先人達の書いて来た書物を読み、自分で思索してそれを言葉に表せるようになれば真理が解る、と言う立場です。だから、極論すれば一人で勉強していても解るようになる。
一方密教では、真理には文章に書き表されない部分があり、そして多分その部分が大変に重要な部分であると考える立場だと思います。すなわち、師と弟子の間で、師の唾にまみれながら、師のオーラを感じながらでなくては解らないことがあると言う立場です。
私は学者として歳を取って来ましたが、幸運にも私は実際に私にとって人生を全く変えてしまった二人の師に巡り会えて、密教の世界を体験できました。その遭遇以前、私には顕教的な世界認識しかありませんでした。しかし、その幸運な遭遇によって、如何に密教的な智の伝達が重要であるかに目覚めました。
その経験と家内に巡り会えたと言う経験から、私は人生に取って一番重要な出来事は遭遇であると考えております。遭遇は貴方の人生を決定的に変えてしまうからです。
有難うございました。
お礼が遅くなって、すみません。
本当に含蓄のあるご意見だったと思います。
密教というものが、漠然とですが何となく分かったような気がします。
書物というか、文字に書いたものを勉強するだけでは会得できないものなのでしょうね。
このような愚問に解説して頂いて感謝します。
有難うございました。
No.9
- 回答日時:
1. 仏教は大乗、小乗と分かれたり、また密教とか禅宗とかありますよね? これらは一体何がどう違うのでしょうか?
○後代の頭の悪い弟子たちが作った分類でしかないのですよ。
釈迦仏教は小乗と大乗を同時に含蓄するものでした。例えば、釈尊は菩提樹の下で悟りをお開きになると、すぐに伝道を始め、1000人以上を弟子にしています。これは小乗から大乗へという意味ですね。それを自身、早い段階で実践しています。有名なカーシャパ3兄弟の折伏というのがあって大きな教団を丸ごと折伏して弟子にしています。この教団は火祭りをする宗教団でね。拝火教徒といいますが、火を祭ることは外道のすることだという有名な「火の説法」をして折伏したのですね。だから「護摩焚き」などという密教儀式は釈迦仏教ではありません。後代にインドのベーダと混ざった別のものです。
釈尊は菩提樹の下で反省的瞑想をしながら悟りを開いたといいます。この反省的瞑想が後代に禅につながったのでしょうが決して頓知問答が禅ではないのですね。中国で頓知問答に成り下がってそれが伝わったのでわけのわからないものになっただけですね。
仏教は口伝がたくさんの経文として残っていますのである程度は読めばわかるはずですが、読みきったものがいなかったので、適当なところで発展してきた結果、いろいろ分かれたのですね。
ということで「後代の頭の悪い弟子たちが作った分類でしかない」ということです。
現代の仏教もこんな体たらくですからまあ滅んでいくでしょうね。でも釈迦が説いた真の教えは本物ですから新しい道が開けると思いますよ。
2.剃髪は釈迦教団に入る儀式であったのですね。釈尊の時代はみな、坊主になって釈尊に帰依しています。当時の感覚でいえば仏教教団の学生になることですからね。それが面々と形式として残っているということですね。学生という身分ですから妻帯はだめですよね。還俗すれば妻帯は自由でしたので、在家の弟子もたくさんいたのですね。ということで釈迦教団はわりと自由な教団なんですね。ということで自由のない仏教教団は釈迦仏教ではないのですね。「お経読みの仏教知らず」なんです。
有難うございました。
分かりやすく解説して頂いて、有難うございました。
お釈迦様が火を祭る事を認めないというのは、初めて知りました。
よく「護摩焚き」といって、修行の一環として裸足で火の上を歩くのがありますが、本来は認められていないのですね。
良いかどうかは別として、長い歴史を経る内にお釈迦様が考えられていた仏教とは違う形になっているのでしょうね。
となると、今多くある宗派の中で最もお釈迦様が考えておられたのに近いはどれか? という次の疑問が湧いてきました。
No.8
- 回答日時:
お釈迦様が、この時代を視察されたら、どう思うかは分かりませんが、自分の教えは、千年しか通用しない、と有効期限を切られております。
正法、像法、末法の3つの時代があって、お釈迦様の法華経は正法(千年)、次に天台の竜樹という人が像法(千年)に通用する法華経を広めて、最後に日蓮大聖人が末法(万年)に通用する法華経を広めています。
お釈迦様も末法は濁悪の時代になることは、お見通しだったので、あまり驚かないかもしれません。
有難うございました。
へー、お釈迦様ご自身が千年しか通用しない教えだと考えておられたのですか。
となると、今の仏教の姿を見ても驚く事は無さそうですね。
No.7
- 回答日時:
密教ですか? 本来の密教はこっちですが・・・。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%86%E6%95%99
私の書いた「密教系」はこっちの意味です。「系」と付けたのは「密教」という言葉にも厳密な定義があるからです。
http://www.cnet-ga.ne.jp/kenta/mitsu/mikyou.html
もっとぶっちゃけて言えば、よく幽霊などが出てくる系のラノベとか出てくる真言、「ノウマク・サマンダ・バザラ・ダン・カン」と唱えたりする方が密教ですね。真言が効果を表すのは、ちゃんと修行しないとだめですから、個人が修行する系が密教系と言い換えてもいいかと。
ちなみに「僧の修行」と言う点では、大乗仏教も結構厳しいですよ。経典を語るには悟りに至る必要がありますし、悟りは厳しい修行のもとでのみ至ることが出来る・・・と言う事になっていますので。
あと、「お釈迦様が考えておられた仏教とは小乗の方」はその理解で正しいです(だから"上座部"仏教なんです)。大乗仏教はその意味では「仏教の亜流」ですが、キリスト教、イスラム教とは発想が近いので、いわゆる「世界宗教」としての仏教は、むしろ大乗仏教が正解・・・のような気もします。
有難うございました。 何度も教えて頂いて恐縮です。
密教に関して、wikipediaを読んでみました。 難しかったですが、なぜ密教と呼ばれるのかについては、やはりイスラムやヒンズーからの圧迫のために人知れず布教を続けたからなのでしょうね。
それと、師匠から口伝えに(?)教えを受けた人だけが理解できる内容だからなのでしょうね。
一口に仏教といっても、本当に幅が広いと思いました。
No.6
- 回答日時:
1 ブッダが説かれたのが小乗仏教です。
今から2500年前悟りの能力を8段階にされて、即涅槃の人や10 回生まれて涅槃に行く人などに分けられました。
働かないでサンガ(寺院)で学んで涅槃に行くのは理解しても、行けない庶民が何故托鉢の食事を布施しなければ
ならないのか。との考えが広まりました。
500年後の西暦0年頃に大きな乗りものである船で、皆が涅槃にとの考えが広まって
その人たちの考えも凡字(サンスクリット語)で書かれていました。
西遊記でヒマラヤをこえてインドに着いたときに、ブッダの言葉と 後で作られた言葉を区別することは無理でした。
サンスクリットで書かれていた書物は全てブッダの言葉と受け入れたのです。
その為に矛盾が生まれて悩み そしていろいろな解釈が生まれていきました。
密教はブッダが使われていた言葉の発音にこそ力があると。禅では座禅こそが。と
2 定かではありませんが、サンガでの生活では髪を切るのではなく、髪を抜いていたと考えます。
今でもインドでは髪を抜いていく宗教がありますから。
ブッダも丸めていたと思います。
俗世と縁を切ることもそうですが、女人との縁は難しく、悟ることが出来ない事実を受け入れて 結婚もするようにしました
今では全ての宗派で結婚を認めています。
3 私とは宗派は違いますが、永平寺の曹洞宗だと思いますが、ブッダの教えと経典には私の理解を超えています。
世界にはいろいろな宗教があるが、科学の進歩と相容れないがブッダの教えは、科学の進歩と共に証明されていく。
アルバート アインシュタイン
有難うございました。
とても勉強になりました。
僧侶の結婚についてですが、私は一部の宗派では一生涯結婚できない定めになっていると思っていたのですが、実際には違うのですね。
学生時代に日本史を学んだのですが、女人と酒は堕落の見本のように考えられていた時代があったと記憶しています。
時代が変われば仏教の姿も変化するようですね。
妄想なのですが、もし将来タイムマシンが発明されて、お釈迦様が日本の仏教の姿をご覧になって、どんな風に感じられるか・・・嘆かれるか感動されるか、とても興味がありますね。
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