あなたが「戦国武将と言ったら誰?」と言われた時に一番先に頭に出てくる武将を教えてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (13件中1~10件)

>戦国武将と言ったら誰?




    ↓
好き嫌いでなく、頭に浮かぶと言えば「織田信長」
やっぱり、桶狭間以降の大活躍、旧戦法や価値観を改め戦国の世を一応は終焉させた功労者。
織田なくして、豊臣も徳川も無いと思いますから・・・
    • good
    • 0
この回答へのお礼

大体ぱっと最初に思い浮かぶのはやはり「織田信長」ですわな。

自分もそうやと思ったんですけど、若しかしたら他の人は別やと思ったので。

回答有難うございました。

お礼日時:2011/04/29 10:02

戦国武将といわれると最初にでてくるのはやはり


織田信長かな。
あるいは、斉藤道三か。

ネガティブな面では、
松永弾正久秀
将軍殺して大仏焼いて主家を滅ぼしてますからね、この人。
戦国武将なら、誰でもやりそうだけど、実際にしたのはこの人ひとり。
    • good
    • 0

真田信幸



幸村の兄貴 祖父、父と同じくチートな能力 
徳川を撃退した上田合戦の功労者
    • good
    • 0
この回答へのお礼

長野県民として誇りに思います。
流石真田!
日の本一の兵ですね!

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/17 14:46

石田三成


大谷吉継
宇喜多秀家
小西行長
・・・の四武将!!
    • good
    • 0
この回答へのお礼

石田三成に大谷吉継、それに宇喜田秀家ですが。
小西幸長も同じですね。
彼等は関ヶ原における西軍の武将達ですが、残念ながら自分は東軍派の武将達が好きです。
ごめんなさい。
回答有難うございます。

お礼日時:2011/05/17 14:48

なぜか武田信玄が出ていないので信玄にします。


家康をギャフンといわせた後の病死はつくづく残念です。
    • good
    • 0

伊達政宗です





何個か前の回答の
関羽雲張は中国の三国時代
蜀の武将です。
    • good
    • 0

こんにちは


やはり、島津義弘です。
自分の中では最強でしょう。
九州、朝鮮、関ヶ原、凄いです。
    • good
    • 0

こんにちは。



東北出身なもので、
誰かが名前を挙げてくれるだろうと思ってましたが、
もう我慢できません。
この人を忘れてもらっては困ります。

伊達政宗です。
    • good
    • 0

上杉謙信



ストイックさが何とも ^^;)

敵に塩を送る。普通の人にはできません。
    • good
    • 0

『前田利家』



いや…マイナーで申し訳ありません、地元贔屓なもので…(^ー^)ゞ>金沢出身
    • good
    • 0
この回答へのお礼

いえいえ、そんな事ありまへん。

お気持ちわかりますよ、自分は長野に居るんで真田幸村公を尊敬しています。

「日の本一の兵」と言われた上に、上田城の戦いでは家康の嫡男である秀忠を苦しませる程の戦い方をしたもんですからの。

有難うございました!

お礼日時:2011/04/29 10:23

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qあなたの好きな戦国武将を教えてください!

好きな戦国武将ベスト3とその武将の簡単な解説をお願いします!

Aベストアンサー

・本多忠勝
・上杉謙信
・鈴木重秀

上二名は義を重んじた点と武にも長けていた点。(かなり大雑把にいうとですが)
鈴木重秀は雑賀衆の頭領として多彩な才能を披露すると同時に、当時鉄砲を使用したことで有名な信長軍よりも鉄砲技術に優れていた点を評価。(ある意味最先端を行っていたのは雑賀かなっと。)
まぁ雑賀の寝返りまくりの「義」を無視した方針はあまり好きではありませんが。

Qあなたの好きな戦国時代の武将(姫含む)は?

どなたになるでしょう。
教えてください。複数居る方はお好きなだけあげてくださって結構です^^

Aベストアンサー

鳥居強右衛門。

武将でなくてごめんなさい。

Qこの4人の戦国梟雄の中で一番狡猾なのは誰だと思いますか?

1. 斉藤道三

2. 北条早雲

3. 松永久秀

4. 宇喜多直家

理由も添えて教えて下さい♪

Aベストアンサー

2.の早雲かなぁ
小田原の攻略方法はずるいですもんね…

3.の久秀の強い方に味方(三好→織田→信長包囲網)するのは当時当たり前でしたし
1.4.の道三、直家は謀将ってイメージなもんで(早雲もですが)

ただ、イメージが悪いのは久秀ですが

Q好きな戦国武将トップ5

タイトル通りです。よろしくお願いします。
ちなみに僕は、
1、立花宗茂
2、本多忠勝
3、真田幸村
4、鳥居強右衛門
5、鳥居元忠
できれば理由もおしえてください(自分は載せてないけど・・・)

Aベストアンサー

1 真田幸村
家康が最も恐れたともいわれた武将で、
大坂の役のときの勇姿には感動した。
最期さえもカッコイイ。

2 真田昌幸
頭が良くて真田家でいちばん戦略も優れている。
家康さえも恐れた武将。

3 本多忠勝
何より強いし、人格も武力も優れている

4 豊臣秀吉
すごい才能の持ち主。
天下統一を成し遂げたこと、その過程は後々のことがあっても
やっぱり偉大だし、賢い人だと思う。

5 前田利家
豊臣家を陰で支えた人物。

真田幸村のことは小学生の頃から好きでした。(遠い昔・・・)
学習漫画を読んでいて、幸村の最期のところになるといつも「死なないでほしい」と思ったものです・・。(結末が分かっているのに)

Q好きな戦国武将ベスト5教えてください

ちなみに僕は
1織田信長:天才的で何にもとらわれない発想は突出している。
2蒲生氏郷:部下思いの武将。秀吉に暗殺されたという噂あり。
3豊臣秀吉:農民から天下へ。大変前向きで明るい。晩年は独裁的。
4北条早雲:謎多い人物。農民の税金を軽くするなど、義の心あり。
5上杉謙信:誠実をもってならした珍しき大名。とにかく無欲。

です。理由なんかもあったら書いてください。

Aベストアンサー

1位を2名挙げます。

1) 立花宗茂
天下一の武勇に加え、秀吉の自分と元の主家の大友家への恩顧を忘れない義理堅さ。これほど爽やかな戦国武将はいないと考えます。

1) 大谷吉継
石田三成だけでは「関ヶ原の合戦」は起きなかったでしょう。三成と共に西軍を旗揚げし、「石田などに何も出来まい。挙兵したらひねり潰すまで」と高をくくっていた徳川家康を天下分け目の合戦に引きずり出したのは多くが吉継の加担によるものと考えます。
義と友情のために命と地位を全て差し出した行為は、歴史上も稀なのではないでしょうか。

立花はその人物を惜しまれて徳川家の大名として柳川の旧領を回復し、大谷は関ヶ原で壮烈な最期を遂げたわけですが、「義人」として「武人」として甲乙つけ難いです。

3) 徳川家康
豊臣秀吉没後、天下第一の武将としての地位を得るまでの過程は略します。今川傘下の三河の小大名の嗣子の地位からここまで来ただけでも凄いことですが。

秀吉没後、石田・大谷が挙兵して西日本の大名をほとんど味方につけて家康に挑んできたのは「計算違い」だったでしょう。
それに対し、西軍の最大部隊である毛利部隊を封じることが戦勝のカギと読み切り、吉川広家に徹底した調略を行って、関ヶ原合戦で毛利部隊2万余が陣取る南宮山のふもとを
「毛利は決して参戦しない。参戦したらオレは関ヶ原で死ぬが、そのリスクは限りなくゼロ」
と読みきって通過し、関ヶ原という「死地」に入って西軍を最終的に粉砕したのは「見事」としか言えません。

広家は毛利家の中では「非主流派」「不満分子」であったようで、棟梁である輝元の信頼もあまりなかったようです。毛利家の主流は輝元→元の養嗣子の秀元→外交顧問格の安国寺恵瓊であったようで、西軍加担に反対した広家の意見は通らず、輝元は西軍の総帥となり、輝元の陣代として秀元が毛利の野戦軍を率いて美濃に進出しました。
ところが、「非主流派」である広家が何故か毛利の野戦軍の先鋒であり、当時の軍法として「先鋒部隊の『最初に攻撃する権利』は侵すことが出来ない」というものがありました。
これが「吉川隊が先鋒を承るのが毛利家の軍法」で家康他に周知のことであったのか、毛利の野戦軍が関ヶ原に進む過程で「偶然に吉川隊が毛利部隊の先鋒になったのか」分かりませんが、家康が、もともと親家康派で、策士の素質があり調略するのが容易な広家を調略し、大谷や立花と似たような人で「調略不可能」であった秀元(毛利家のナンバー2)には一切調略を行わなかったというのは「凄い判断」です。
家康の広家への調略が「120%成功」しなかったら、東軍と西軍の合戦は史実とは全く違う様相になっていたでしょう。

また、関ヶ原の合戦の勝利で反対派を一掃して天下を取った後も、家康は秀吉との約束どおり秀頼に実の孫娘の千姫を嫁がせています。千姫は「徳川家が豊臣家に差し出した人質」であり、逆に豊臣家は徳川家に人質を出しておりません。
関ヶ原から大阪の陣まで15年と言う実に長い年月が経っていますが、家康は最後まで豊臣家を滅ぼし、秀頼を抹殺する意思は持っていなかったと思われます。
実際、豊臣家が滅んだ大坂夏の陣の直前の時点であっても、秀頼が徳川家に「大坂城を退去します。適当な替地を頂ければ幸いです」「江戸に屋敷を構え、母を住まわせます」と申し入れれば、恐らく秀頼はその人生を全うし、現在まで豊臣家の子孫が続いていたと考えます。

大坂の陣は、時代の変化を無視して大坂城という大要塞に蟠居し、巨万の富を有する秀頼・淀殿母子は、自分の死後に秀忠の手に余り、天下の太平を乱すことになると考えた家康の「苦渋の決断」であったと考えます。どこかで秀頼が折れてくれれば、家康も安心して秀頼を優遇したと思うのですが残念なことです。

と、長文を書きましたが、私が最も「評価する」戦国武将は徳川家康です。人の住めない場所であった江戸を巧妙な土木工事によって現在の東京に仕上げ、諸河川の氾濫で農耕不可能だった関東平野の大部分を沃野に変えた民生手腕も見事です。

4) 最上義光
戦国史に詳しい人、また山形市民以外には恐らく全く知られていない人ですが、名門・最上家の社稷を守り、江戸幕府の大名として出羽に広大肥沃な領地を確保したのは偉業と言えます。ただ、後継者育成に失敗して、大名としての最上家は義光の死後あっという間に消えてしまいました。
そのため史料が乏しく、最上のライバルであった伊達家の史料によって語られることが多いため、かの大河ドラマ「独眼竜政宗」では陰謀を巡らすしか能のない男に描かれてそのイメージがくっついてしまった気の毒な人です。

5) 蒲生氏郷
この人が数え40歳の若さで病死しなければ、秀吉死後の日本がどうなったか?実に惜しい大器です。

1位を2名挙げます。

1) 立花宗茂
天下一の武勇に加え、秀吉の自分と元の主家の大友家への恩顧を忘れない義理堅さ。これほど爽やかな戦国武将はいないと考えます。

1) 大谷吉継
石田三成だけでは「関ヶ原の合戦」は起きなかったでしょう。三成と共に西軍を旗揚げし、「石田などに何も出来まい。挙兵したらひねり潰すまで」と高をくくっていた徳川家康を天下分け目の合戦に引きずり出したのは多くが吉継の加担によるものと考えます。
義と友情のために命と地位を全て差し出した行為は、歴史上も稀なのでは...続きを読む


人気Q&Aランキング

おすすめ情報