こんばんは。
質問の内容は、gooやyahoo知恵袋に多々ある、「死にたい」「自殺したい」といった内容の質問に対しての回答に、疑問をよく持つようになったからです。それを以下に挙げて、そして自分の考えを書きます。それに対して何かお考えを頂けると、自分の考える材料となるので嬉しいです。
1:「死ぬ気があればなんでも出来る」
一念発起して、返り咲いた人もいなくはないでしょう。しかし、そもそも「死ぬ気」と「なんでも出来る」というのは、ベクトルが違いませんか?凡人の私たちには、そうはうまくいかないと思います。
2:「生きれなかった人もいる」
今回の大地震のことを引き合いに出してくる人もいらっしゃいます。確かに、今回の地震で、私も生に対する実感、とでも言えばいいでしょうか、そういうのを感じました。しかし、やはり毎日嫌なことが起こってくると、こういう実感もたやすく打ち消されてしまいます。現に「地震で死にたかった」なんて言う人もいます。
3:「ネットで相談している分には自殺なんてしない」
なぜでしょうか。確かに、死にたいと言っているのに相談するということは生きたいの裏返しかもしれません。しかし確証はないと思いませんか。
4:「あなたが虚しく過ごした今日という日は昨日死んでいった人があれほど生きたいと願った明日」
有名な言葉だと思います。ただ気になります。その死んだ人は所詮、他人ではないですか。その人が大切な人ならまだ分かります。でも、この言葉を受けて死にたい人の明日が光り輝くというのでしょうか……
5:「生きていればいいことがある」
気休めの言葉です。
6:「自殺すると後処理も大変だし、飛び込みでもしたら鉄道からの多大な請求が家族に来る」
こちらのことを考えて自殺を踏みとどまる方もいらっしゃいます。でも、死んでしまえば後処理や請求なんてどうとでもよくなるではないですか。死後にはこういうことは持っていけませんし。
7:「死ぬと天国にいけない/地獄に落ちる」
天国や地獄はあるのかもしれませんよ?でも……私としてはそういう世界はないと思います。
ざっと思いつく限り、書いてみました。私は、自殺は最後の手段だと思います。誰しもが使えば、この苦に溢れる世界から逃げられるからです(苦があるからこそ、喜びもあると思いますが)。でも、死ぬ前にせめて誰かに相談してみる、というのが必要だと思います。結局のところ、自殺を止めるには、死にたい人の認識をうまく変えさせることだと思います。
ただ、上記の回答は、自分はあまり、乃至は絶対いいとは思えないものばかりです。
皆さんはどう思われますか?
読んで頂きありがとうございました。
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
まず、「死にたい」というのは略されていると思うんですね。
「死にたいほど苦痛です」だと思うんです。
「死にたいほど苦痛です」に対して、1から7の返事は的外れですよね。
「非常に痛い」って医者に言って、「眠ってますか」「食事はとってますか」「気のせいかもしれないので、気持ちをゆっくりもって」とか言われたら、「・・・・・」って沈黙したくなりますよね。
「痛くて眠れない、痛くて食べれない、なのに痛いというのは錯覚だって言うんですか もういいです」って。
で、普通共感というと、相手が悲しんでいたら悲しくないのに一緒に悲しんであげるってのを共感と考えますよね。
「私も小さい頃 両親が離婚して辛かったからわかるよ」はあなたの痛みと同じ痛みを味わったことがあるって言っているわけですよね。
だから 痛みがわかるって。
心理学的共感は、それとちょっと違う。
「死にたい」と言われたら相手は今「死にたいほど辛い心境に今いるんだ」と知ること。
前述の医者は、患者の心境を知らないので、共感していないんです。
「死にたい」といわれて、「そうか・・・死にたいほどなんだ、、、それは非常に辛いよね」
こういわれたら、死にたいといった人は「この人は自分の今の心をわかってくれた」となるわけです。
「1から7の人たちは、わかってくれなかった。だけど この人は自分の心を理解してくれた。1から7の人は私の心を否定した。でもこの人は私の心を肯定してくれた。私を肯定してくれた。この人は他の7人とは違う。わかってくれる 私の気持ちがわかる唯一の人」
となるわけです。
すると閉じていた口を開き始める。
7人に話さなかったことを話し始める。
絶望に至った経緯を話し始める。
話したところで、過ぎてしまったことは取り戻せはしない。
だけど、ここに至るまでの心の経緯を、その人だけは読めるので、ひとりぼっちではなくなるわけです。
話を聞き終わった後、ずっと黙り、、、「辛かったですね」と言う。
よくそこまで耐えて今までこれたとは言わない。
「本当に 本当に 辛かったですね」と言う。
ここで、相手の心が氷解して、感情が蘇ったら、泣くだけ泣かせて感情を開放するのを黙って見守っていてあげる。
ひとしきり泣いて落ち着いたら、「十分がんばったから、もうがんばらなくてもいいんですよ」と言う。
「真面目で責任感が強く、他人に人一倍やさしいあなただから、今回のことは絶望と感じ、自分の存在を否定したわけですが、例え全世界もあなたも、あなたの存在を否定しても、私にこのような話をしてくださったあなたは、私にとって貴重な人だと思えてなりません。私にとってあなたは存在価値があるとしかいいようがありません。 頑張りやが本質のあなたを私は否定しません。これからも無理をされるでしょう。 そしてつまずくでしょう。 だけど、今は少し鋭気を養うため休む時ですよ。 休んでいい時ですから休みましょう」
って言ってもらえたら、私だったら、「休んでもいいんだ それが許されるんだ」と心の荷が下りると思います。
回答ありがとうございます。
死にたいほど「苦痛です」。確かに。苦痛に感じることが無ければ通常はこの思いは頭を過ぎりませんね。
回答者さんのプロセスが、一番死にたいという人に効果的だと思いました。
というのは将に「共感」だと思うからです。こちらはどこまでも聞き手に徹して、そして相手を肯定する、とでも言えばいいでしょうか、言葉を言う。現実は変わっていないのかもしれませんが、ふっと軽くはなると思うのです。
No.19
- 回答日時:
自殺というテーマで議論がなされる時、
必ずと言っていいほど、「神」という言葉が出てきますよね。
「死」について考える時、宗教観を持つか持たないかで違いが生じてくる。
どちらが正しいのかの議論はあまり意味がないと思います。
そもそも、神という概念は人間の都合で作られた偶像でしょ。
自然のメカニズムを説明するのに都合良く使われている概念でしかない。
人間の側に立って自然を理解しようなどという思考法が間違っている。
死も自然のメカニズムの一つに過ぎないワケで、
それをそれぞれの立場で理屈をつけているだけじゃないでしょうか。
自殺を肯定するにしても否定するにせよ、
理屈をつけて理論武装するのはいくらでも出来るでしょう。
自らの命を絶つのはいけないこと。
基本的にはそんなんですが、
自殺しようとしても、死にきれない人がいれば
簡単に成功しちゃう人もいる。
この違いをどう説明すればいいのでしょう。
おそらく、宗教では説明しきれないでしょうね。
神が万物の創造主ならば、DNAを開発したのは神?
宿命をプログラミングしたのも神なんでしょうか。
何故、何の目的で…
この問いに明確に答えられる宗教家はいるでしょうか。
とはいえ、魂や霊は確かに存在します。
しかし、その存在を宗教で説明するには限界がある。
なぜなら、人間を主体にした思想だからです。
自力では抑えきれない自殺願望というか衝動は確かにある。
それを思い止まらせてくれる存在が周りにいるかいないか。
それによって、結果は大きく変わります。
自殺しようとする人間の個別的な要因だけで死か生かが決まるわけじゃない。
環境や周りの状況など様々な要因が重なり合った結果なのです。
それを個人の責任に求めるのは無理がありますよね。
少なくとも、人間が認識し得る「神」という存在の仕業ではない。
もちろん当事者の意思だけで生死を決められるものでもありません。
あらゆる生命のDNAを開発し管理運営している存在。
そして、あらゆる宿命をプログラミングするだけでなく、
大宇宙におけるすべての天体の運命さえ支配している存在がいるのでは…
その存在の極一部を宗教が説明しているに過ぎない。
普遍の真理を宗教は説明しきれないから、宗教戦争なる事態が起きる。
世界のあちこちで未だに続く地域紛争の火種となっているのは宗教でしょ。
権力者の都合で、自殺は美徳にさえなる。
そんな愚かな人間の在り様さえ、
神をはるかに超えた存在の意図なのかも知れません。
もし、その存在に興味をお持ちなら…
参考URL:http://www.tokusa.org/fuan_kokufuku.html
回答、ありがとうございます。
私がこの質問を書いたときはほとんど神のことは考慮に入れていませんでした。それは死ななきゃ分からないことだと思ったからです。例えば死んだら地獄があるとかでしょうか。
>自力では抑えきれない自殺願望というか衝動は確かにある。
>それを思い止まらせてくれる存在が周りにいるかいないか。
>それによって、結果は大きく変わります。
これはそうですね。人間はどうしても一人では弱い存在です。だからこそ周りの力がどれだけ大きなことか。
No.18
- 回答日時:
zakky74でございます。
人間活動を大雑把に整理してみますと、
認識活動
判断活動
表現活動
を行っております。
認識活動⇒判断活動⇒表現活動
の順番ですね。
このうち、見えると言いますか捉える事の出来る活動は、何と表現活動のみなんでございます。認識活動も判断活動も、見る事も聞く事も触る事も出来ません。
繰り返しますが、人間活動の内、捉える事ができるのは表現活動のみでございまして、認識活動・判断活動を捉える事が出来ません。
まず、この事を強く、何度も確認する事が重要かと思います。
>私が思う、認識を変えさせるのが難しいと思う理由は、認識が固まっているからです。
仰る通りです。認識が固まっているからです。ところが、更に深く突っ込みますと、認識が固まっているという生ぬるい表現ではなく、認識方式が固まっているという事です。
更に凄まじいのは、認識方式が固まっているという事を、認識出来ない様になっているという事でございます。認識方式を認識出来ない時点で、その認識方式を変化させようとする事が出来ないのでございますね。
>「明日もきっと悪い」「何も変わらない」「もう無理」……未来は誰にも分かりませんが、1日2日はまだ予想できます。だから今までの認識で、次もその次も、きっと一ヵ月後も……とどんどん思考を傾けてしまうと思います。
「明日もきっと悪い」「何も変わらない」「もう無理」・・・は、認識ではなく、判断ではないでしょうか?認識は、更に深い領域です。
そして、認識を認識出来ないという点も問題なのですが、判断活動を支えている判断基準という問題が更に厄介でございます。
判断基準によって、判断一つひとつが決まります。
つまり、「明日もきっと悪い」「何も変わらない」「もう無理」・・・という判断は、判断基準から出発して得られた判断です。判断一つひとつを支えている大前提となる判断基準について熟知している人は、500万年間の歴史上を見ましてもそこまでおりませんでした。
>確かに学術は多々広がりをみせていますね。そういう風にまとめるのはいいとは思いますが……逆に分かりにくくなっているのですね。
仰る通りです。
学術を支えている土台・・・ここが既に腐っておりますれば、学術によって現状の課題を突破する事は無理でございましょう。
学術も、認識活動・判断活動・表現活動・・・を理解できておりません。表現活動のみに留まっているのが学術の手痛い現実なんですね。
今日は、認識のクセ3つと判断基準の5つの問題性を紹介します。
◎人間五感覚脳の認識のクセ3つ
1.部分だけを取る
2.違いだけを取る
3.過去のイメージと繋げて取る
◎判断基準の5つの問題性
1.誰もが皆、判断基準を持っている
2.一人ひとりの判断基準は全部違う
3.かと言って一つにさせたらもっと問題
4.人間の判断基準は不完全
5.不完全なのに無意識では完全だと思っている
繰り返しますが、人間活動は、認識活動⇒判断活動⇒表現活動の順に行われますが、認識活動・判断活動は捉える事が出来ません。その上で、認識活動には脳の認識のクセ3つがあり、判断活動には判断基準の問題性5つがございます。
如何でございましょうか?
突破口が見えて来ますでしょうか?
再びの回答ありがとうございます。
>認識方式が固まっているという事を、認識出来ない様になっているという事でございます。
ちょっと言葉で言い表せないのですが、なんとなくそうだと思います。
No.17
- 回答日時:
7.に関連しますが、
多くの方が、「死ぬこと=苦しみから解き放たれて天国」という考え方で、現在の苦しみに絶望し、それらから開放されることを目的に自殺します。
ただし、自殺で即天国はほとんどありえないし、地獄にも行けず、本来の寿命がくるまで地上に引き止められて、自分の両親、配偶者、子供たち、職場などの関係者が、自分の自殺によって苦しんでいる様子を見続けることになったりする可能性もあります。
どうあがいても、死んで霊になった自分は、苦しむ彼らを助けることはできません。
もちろん、「そんなことはありえない」と賭けて、自殺する選択もありですが、賭けが外れた時、生きている時以上の苦しみが続くことでしょうね。
回答ありがとうございます。
私も死ぬことは苦しみからの解放だと思います。
ただその後のことは分からないので、霊になって死んだあとの現実を見せ付けられるのは、死ぬより大きな苦しみを味わうかもしれませんね。
No.16
- 回答日時:
絶望ってわかるかな?
望みが断たれた状態。
そうなったときに辛いだけの時間を生きるのか、もう止めにしとくか、ってのは重要な哲学だね。
ワシなんか、絶望ってなんだ? ってこと15年ぐらい考えた結果、絶望なら生きなくても良いという結論に達した。
だけど、絶望ってのはそう滅多にあるもんじゃアないから、絶望でもないのに生きる事を諦めてしまうってのは勿体ないとおもうな。
回答ありがとうございます。
確かに、絶望なら生きなくて死を選んでもいいと思います。
こういう質問サイトの人も何かに絶望して書いていると思います。例えば何らかの理由で生きるのが嫌になった、もう人生に希望を持てない……といった感じで。
ただしMokuzo100nennさんの仰る絶望より浅いものだとは思いますが……私も含めて。
例えば失恋した、いじめにあった……もう生きていることが嫌だ、というのは確かに絶望をしているでしょうが、長い人生を経てそれを見ればいい経験だったなぁ、つらかったが今は生きていっている……と思い起こせるものだと思います。でも若い人など(現代人と言えばいいでしょうが)はたやすく絶望に飲まれやすいです。でなければこれほどの「死にたい」という思いは出てこないと思います。
八方手を屈しても無理でどうにもならない、誰の手も借りれなかった、それが絶望だと思います。となれば絶望はそう滅多にあるものじゃあないと思います。
No.15
- 回答日時:
1:「死ぬ気があればなんでも出来る」
・死ぬ気があること。
・なんでも出来ること。
二つには関連性がないと思います。
ただ、聞くともっともらしく聞こえるようで、二つの文章を、言葉遊びのように「れば」で単にくっつけているように思えます。
2:「生きれなかった人もいる」
今死にたい人。生きたくて死んだ人。
人の命は、その人だけのものだと思うので、比べられないものを無理に比べても意味はないと思います。
・生きたかったのに、病気や事故で生きれなかった人もいる。
でも、別の場所には、同じように、
・生きたかったけど、死を選ぶ人もいる。
今まさに死を選ぼうとしている人に、別の他人の人生の苦しみや結果を語っても、全く効果はないと思います。
逆に、そういう言葉を聞くと、「ああ、やはり私の気持ちは周りには理解されないのだ」と絶望感と孤独感を
深めてしまうと思います。
これは摂食障害で、周りが「食べたくなければ食べなきゃいいのに」「食べたければ食べればいいのに」
と無神経な言葉で本人をさらに傷つけて心を閉ざさせるパターンと似ていると思います。
3:「ネットで相談している分には自殺なんてしない」
ネットでしか相談する場がないのなら、自殺の可能性はあると思います。
4:「あなたが虚しく過ごした今日という日は昨日死んでいった人があれほど生きたいと願った明日」
これももっともらしい響きですが、今苦しさに耐えられない、生きることに耐えられない人には意味がないです。
他人との比較やお説教は、絶望感を深めて、とどめを刺すような気がします。
もし、この言葉をそのまま良い言葉だと受け止めているのなら、今まで自殺など考えずに生きてきた幸せな
人なのではないでしょうか。
5:「生きていればいいことがある」
他人が自殺をくい止めてその結果未来にいい結果が実際あったとしても、それはあくまで他人の経験で、自分の
将来の保証にはなりません。
じゃあ、私も生きていればいいことがあるんですか?とその人に聞いたら、曖昧な返事が返ってくるでしょう。
成功者の上から目線のお説教や正論も、絶望感を深めるでしょう。
人はそもそも、いいことが欲しくて、そのために生きているわけでもないと思います。
6:「自殺すると後処理も大変だし、飛び込みでもしたら鉄道からの多大な請求が家族に来る」
後処理のことも人にまかせてもいい、迷惑がかかってもいい、それでも、私は今死にたいんだ、
という極限状態になったら、こういう理屈や計算は吹き飛ぶと思います。
優先順位が、人への迷惑か、自殺を実行して自分の望みをかなえることか。
その順位次第が入れ替わると危険だと思います。
7:「死ぬと天国にいけない/地獄に落ちる」
宗教観のある人なら、効果があるかもしれませんが、そもそも、生きているこの現実世界が地獄以上の地獄なら、
効果がないでしょう。
死ぬこと=苦しみから解き放たれて天国、という考え方もあると思います。
身近な人より、病院やカウンセラーなど、専門家に相談したほうが良いかもしれませんね。
身近すぎると、逆に話を聞いてくれなくなったり、見捨てられたりすると、その反動が大きいと
思うので。
回答ありがとうございます。
3については、現実で誰かに相談しても、自分が納得する、もしくは真剣に取り合ってもらえなかったときなどに、ネットに相談する人が多いと思います。顔が見えない分よりひどいことを言われる可能性もありますが……
7については、死ぬこと=今ある苦しみからの解放だと思います。これが根源にあります。死ねば今の苦しみは全て無くなるのは確かですから。ただその後の苦しみについては……分かりかねます。という生きている人間には一生分からないと思います。
仰るとおり、カウンセラーや専門家に頼るのが、こういうところで相談するよりましだと思います。仮にも「専門」家ですから。しかしどうもそれはそれで、カウンセラーの人との相性が悪くて悩みを解消できない人もいらっしゃるでしょう。
No.14
- 回答日時:
N0.5です。
少し追加しておきます。
No.5では、「自殺を否定する側にしても、肯定する側にしても」と記述しましたが、No.13にてkigurumiさんが触れられておられるように、「自殺を肯定する方向性と否定する方向性」の両方の立場があります。もう一点、忘れてはならない事柄として、「死後が在ると思う方向性と無いと思う方向性」の両方の立場があるということです。
「自殺における考えに対する考え」とメタ的な視点にて思索されるのでしたら、これら2重の方向性が、自殺しようとする者、およびその周囲の人々に、それぞれ「ありうる」ということを念頭に置く必要性があるでしょう。
ようするに、すくなくとも、「自殺しようとする人の心中での思い(2x2) x 周囲の人々の思い(2x2)」 = 16通りです。
先に引用させていただいた質問・回答でのNo.5の私の回答(http://oshiete.goo.ne.jp/qa/5473977.html?best_fl …)は、質問者の内に「自殺を否定する」香りを嗅ぎつけたけれど、当人の「死後が在ると思う方向性と無いと思う方向性」、および周囲の人々の状況については不明だったケースに該当します。
あと、「共感」という言葉を用いておられますが、「共感」できない部分が非常に重要なこともあり得るでしょう。「共感すら不可能だけれども・・・」といった思いが必要なのかも知れません。
極端な例でいえば、当人が「自殺を肯定し、死後があると思っていて」、周囲の人々が「自殺を否定し、死後がないと思っている」場合、ないし、両者が全く逆の立場であった場合、悲劇は生じることでしょう。
このような場合、当人のみならず、周囲の人々をも含めて、「死後の有無に関わらず、自殺によって解決できない問題、(共感できないにしても)共有すべき問題、それらは、死によっても決して切り離され得ない問題を含んでいる」ということについて、深く考えることが大切だと思っています。
自殺はそういった問題からの逃避、および周囲の許容でもあるわけですから、問題を先送りしているだけとも言えます。
以上、取り留めもなく書き散らしましたが、何らかの参考になれば幸いです。。。
再び回答ありがとうございます。
上の回答に書きましたが、私はこの質問を書いているときはほとんど全くといっていいほど死後のことは深く考えていませんでした。死後の世界?あるなら見せてみろ!と思っていましたし、じゃあ死後の世界があるならそっちで頑張って今の世界は放棄するの?とも思っていました。なので私も死後の世界は無いという方向性を持っていますね。
>「共感すら不可能だけれども・・・」といった思いが必要なのかも知れません。
これは興味深いです。
No.13
- 回答日時:
>一番死にたいという人に効果的だと思いました。
私自身、自殺を悪とは考えていません。
それもひとつの選択だと思っています。
だけど、死ぬ必要が無いのに、現実苦しさから脱出することができずに、苦しみから解き放たれるには、死ぬしかないと思っているのなら、「もったいない」と思う。
そりゃあ 癌とかで末期で激痛の人に対して、「自殺なんて考えてはだめ」とはいえません。
現実医療では末期患者の苦しみを緩和するため、モルヒネを打ってますよね。
モルヒネを打てば、死期が早まる可能性がある。
薬で早めに殺すわけです。
もちろん本人の同意を得て。
それでも激痛は緩和されるが、苦しいものは苦しい。
だけど薬による安楽死に近いものがある。
そのような医療を認めつつ、自殺がまるで悪いことであるかのように、自殺を考える人を責めるようなさらに追い込むような、鞭うつような対応は、ひどすぎると思う。
1から7は、全部その人の考えを否定していますよね。
「あなたが自殺を考えているが、それは良くないことです。今すぐ改めなさい 改心して良い人間になりなさい」って。
ひどい・・・・ 何様?と思ってしまいます。
なんの権利があって、立てなくてうずくまっている人に 鞭を打つ 石を投げる、叩く蹴る殴る。
「今すぐやめなさい」って私はそういう暴行を加える奴らを羽交い絞めにしたくなる。
それに、日本はもともと自殺は悪いことではなかった。
失敗をしたら穢れに入ったとされ、それで穢れを清めるために、潔く命を絶ち、穢れを断つって考えたあった。
日本は総理大臣がコロコロ変わりますが、問題が起こって穢れに入ったとき、辞職をすることで穢れを断つって考えがあるからだと思う。
自分が不祥事に気付かなかったせいで、民族全体が穢れに入ったのなら、自分が民族の穢れを断つために辞職をし、国民を穢れから解き放つって考えなんだと思う。
無責任という意見があるが、辞職は宗教的な考えがあってのことだと思う。
自分が意図せずとも運が悪くて、ひどいことになってしまう場合もある。
周りは自分がかわいいから、一人だけに責任をかぶせて、身を守る。
人のいい人ほど、「お前が全部悪い」と言われると、素直に「自分のせいだ」と思うわけです。
話を聞くと、「なんで周りが助けなかったの、制裁を受けたとき、庇ってあげなかったの。他のひとだって責任があったでしょう。一人だけに責任を押し付けず、和を保つことを考えるべきだったでしょう。」って発見が結構ある。
「みんないいときは利用するけど、自分が巻き込まれそうになると、途端に手のひら返して、他人に責任を押し付け知らん振りすんだよな 汚いな」 って思うことは何度も見てきた。
人のいい人ほど、餌食になってしまう。
とはいえ、誰からも背信されたので、その人は寒くて凍えてしまっていて、思わず「死にたい」って現在の苦しみの極みを言葉にするわけです。
苦しみの極みの状態だってわかってあげることが 何より先決でしょ?
「自殺はいけない」とか「残された家族がかわいそう」とか なんでもう背負えないのに背負わせるんだろうって、その無神経さが怖すぎる。
そうじゃない、苦しみの極みだって言ってるのに どうして その言葉を受け取らないで、的外れな返答をすんだろう って思う。
それのひとつはキリスト教の善悪が日本の思想に影響を与えているのだと思う。
キリスト教は生きるも死ぬも全部神様が計画しているって考え。
だから神様の計画の前に死ぬことは、神様の計画を台無しにするので、大罪だとされるわけです。
これはユダヤ教もそう。
だから、メキドの丘に立てこもったゼロテ党は、仲間が持っている槍に倒れて、殺人でも自殺でもないかのようにして集団自決したわけです。
そのキリスト教の考えが入ってくるまでは、日本は自殺は悪いことではなかったんです。
神様というと、みんなキリスト教の雲の上から人間を監視している全知全能のおじーたちゃんを想像しますよね?
でも 本来日本の神様は、疫病神や貧乏神もいたりして、神は全知全能などではなく自然と同じく畏怖の対象としていたんです。
西洋の概念によって日本が影響を受けて、考え方が変わっってしまったかわかったと思います。
1から7の人たちは自殺を悪だと前提にして、悪を考えている人を攻めています。
でも、訴えている人は「とっても苦しい」って言っているんです。
ズレズレですよね。意思疎通ができていない。
再びの回答ありがとうございます。
私も自殺は悪だと思いません。
>「自殺はいけない」とか「残された家族がかわいそう」とか なんでもう背負えないのに背負>わせるんだろうって、その無神経さが怖すぎる。
ここ気になりました。質問することでより重たいものを背負わされる……
キリスト教の、死ぬと大罪というのは日本に浸透していますね。しかし今死にたい人には響きにくいでしょう。
確かに、今死ぬのはもったいないと思います。ただそれは未来から見てです。今から見れば、苦痛からの解放が優先されるでしょうから。
No.12
- 回答日時:
認識と存在が完璧に分離されている学術的理解方式、学術的認識方式によって、そうした現象が起こるかと思います。
自殺したいと想う人も、そこに対して言葉を送る人も。dissapointさんが仰る通り、僕も認識が変わる事かと思います。
ですが、認識活動とは意識活動の認識だけではありません。無意識活動の認識までを含みます。つまり、人間の五感覚脳の認識だけによって生まれた意識現象の一部分だけを見て、認識活動とは言いませんし、認識が変化する事はありません。
認識が変化する事はなぜ、難しいのでしょうか?
ただでさえ難しいのに、より難しくさせたのが学術です。
学術は、意識現象だけに着目して、人間の意識現象の更に一現象のみに着目して、○○学となっています。そして、自分自身が何であるかとか、自分以外との繋がりは何であるかについて、分からない様になっています。
学術的理解方式・学術的認識方式では、生きる意味と価値には繋がりません。
認識の影響を無視し、認識の作用を否定しているからです。
認識の変化の為には、認識技術が必要です。
認識技術は、科学技術のアプローチや学術のアプローチからでは無理です。
まず、人間五感覚脳の認識だけに固定された固定観点を自由自在に変化・運動・移動させる観術(認識技術)によって、鬱ゼロ・自殺ゼロ・殺人ゼロ・・・の未来が切り開かれていくことでしょう。
それが、日本から始まる認識革命です。
回答ありがとうございます。
私が思う、認識を変えさせるのが難しいと思う理由は、認識が固まっているからです。
「明日もきっと悪い」「何も変わらない」「もう無理」……
未来は誰にも分かりませんが、1日2日はまだ予想できます。だから今までの認識で、次もその次も、きっと一ヵ月後も……とどんどん思考を傾けてしまうと思います。
確かに学術は多々広がりをみせていますね。そういう風にまとめるのはいいとは思いますが……逆に分かりにくくなっているのですね。
No.11
- 回答日時:
一般的に自殺はどうしていけないのかという前に、死と殺人について述べなければなりません。
死の本質とは「関係の喪失」です。
あの人が死んだから二度と話せなくなってしまいとても悲しい、という感情がそれです。この感情と、自分もいつか他者との関係を喪失をする時が来る、といった恐怖、そして体に感ずる痛み、自分の体が後戻りできないのだという予感・体感、朦朧としてはっきり言語化できない意識に対する失意、周囲の利己的な態度、その他のもろもろの自己に湧き上がる心情が死に対する普遍的な感覚を構築しています。
そして、殺人については、その関係の喪失を能動的に行うのでいけない、と言う理由から道徳が構築されているのではないでしょうか。
この上で自殺について言及したいのですが、自殺とは本来利得関係である人間関係の喪失を、主体的・能動的に行う事、となります。
この「自殺」は、人の迷惑をかけない「愚行権」に該当するという見解もあるかもしれませんが、それと同時に個人の意志の尊重を相互いに認め合って成立しているのが現代社会なので、その反する二律で、「個人の自殺に口を出す/出さない」の見解が決定していないのが、この自殺に対する社会的対処の問題だと考えています。
----
私の中で、ごく簡単な体系として自殺を分類すると次のような樹形図を描いています。
■自殺
1.理念としての自殺
(愛の達成の為。福島原発に自ら赴く人や、特攻隊など。)
2.心情としての自殺
(1)身体的苦痛からの解放
・ガン患者が余命が少なくなる鎮痛剤を用いるなど
(2)精神的苦痛からの解放
・いじめを苦に自殺など
こうした理由で自殺される人達を、質問に挙げられた言葉を投げかけれるのは非常に簡単です。
しかし、簡単なゆえに非常に安直です。私もこれらの言葉が自殺をしたい人達の問題を本質的に解決しているとは決して思いません。
むしろ逆効果の場合も多々あります。
個人的な意見ですが、私も幼少の頃、親に「死ぬ気になってやれば何でもできるんだ」とそれこそ何度も言われて、精神的に殺された記憶があります。
親の事を思えば、そう思わざるを得ない環境であったのだな、当時は苦しかったのだな、そうした死にもの狂いでなければ乗り切れなかったシーンもあったのだな、と思うのですが、エンジョイした周囲の家庭環境と比べれば、それを言われ続けた私が精神的に疲労するのも
必然的な帰結であったように思われます。
そうした中、周囲が健やかに成長して行く中で、一人で苦しんでいる私が得た答えは「天命を全うしているか否か」でした。
復讐に全力を尽くす人生も、貧乏・みじめから逃げ出す人生も、もっと言えば、現在の社会的システムを既存の良い部分を残したまま、上記に挙げた社会の悪い部分を改善するのも、自分の人生を無駄にはせず、天命を全うしている結果になると思うのです。
---
これらを踏まえた上での質問の回答は、
「現代は自殺の抑止について、抑止の言動が自殺者の問題を解決していない。解決する為にはもっと自殺に内在する問題の本質を掘り下げた上で、抑止できる理由・自他ともに納得できる言葉や、あるいは社会体制などを整えなければならない。私としては、『天命を全うしているか否か』が良いと思う(※天寿を全うする、という事ではない。)」
になります。
回答ありがとうございます。
「関係の喪失」ですか。確かに私が死んだから今まで培ってきた経験は私から切り離されますね。
1:理念に対する自殺
この回答は見たことがあります。死にたいから原発に行くとか、逆に死にたければ原発へでも行け……
2はどちらとも多いにあり得ることですね。
社会体制はまだ不十分だと思いますが、結局のところ死にたい人が少しでも歩み寄ってくれなければ、やはり難しいと思います。サインとでも言えばいいでしょうか、そういうのは気づきにくいからです。
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