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ただたんにキリストを信じる人達を増やすのが福音なのでしょうか?


それではそこらへんにある新興宗教が体裁のよい事を並べて宗教に引きずり込むのと変わらないように思います。


新訳聖書で伝えている福音とはなんなんでしょうか?

A 回答 (5件)

「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。

それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書 3章16節)
これが新約聖書で説く福音です。

これだけでは理解しにくいと思いますので、若干解説を加えます。
まず、キリスト教ですから、当然神の存在を前提としています。そして、神は唯一で(一神教ですからね)その本質は愛である、というのがキリスト教の中核である事は聞いたことがあると思います。

以下はキリスト教の教義です。ご存知でしたら★マークまで飛ばして下さい。
神は愛なので、人間が滅ぶのを望まないため、救いの基準を大幅に緩和する事にしました。
救いの旧基準は旧約と言われ、600余りの律法=一種のルール・掟(おきて)を守れば救われる、というものでした。この律法に背いた状態(ルールを守れなかった状態)が罪とされ、罪を犯した者は滅びる(=救われない)というのが旧約聖書のテーマの一つです。旧約聖書では、神はかなり厳しい存在として記されています。(実は端々に優しさを垣間見せているのですが、全体として怒る神のイメージが強いですね)

救いの旧基準はさて置き、大幅に緩和された救いの新基準とは何か?
救いの新基準は新約と言われ、冒頭で引用した「御子を信じれば滅びない=救われる」というものです。
では、御子を信じるとはどういう事か?
イエス=キリストが神の独り子であり、人類にとっての救い主である、事を認めることです。
では、救い主であるとはどういう事か?
イエスは、全人類が旧基準(旧約)に背いた罪を肩代わりするために十字架の上で死んで、三日後に復活した、という事です。
★(教義の説明終り)

新約すなわち新しい約束は、新しい救いの基準です。この救いは「イエス=キリストを神の子であり救い主であると信じる」ことができれば全人類に等しく与えられる、という超単純かつ簡単なものです。
救われる為の難しい基準が、簡単な基準(ただ信じるだけ)になったのですから、それは良いお報せ=福音だと言えましょう。
よって、ご質問の「聖書でいう福音」とは、冒頭の聖書の一節に書かれた内容を指すのです。

ご質問本文にある「キリストを信じる人達を増やす」行為は宣教または伝道と言います。
質問者さんが違和感をお持ちなのは、その宣教を行っている団体なり人物が偽善的に感じられるからだと思われます。偽善的というのは、本質を見失っているからです。
質問者さんが二十歳以上でしたら、投票しに選挙に行った事があると思います。その選挙を国民の義務だ、という人がいますね、本当は国民の権利なのに。(義務なら投票しないと罰せられるはずです)
これは、投票する事が目的となってしまい良い代表者を選ぶ、という本質を見失っている人に多い発言です。
宣教という福音を伝道する行為も同じです。義務感でやっている人は、残念ながらクリスチャンにも大勢います。本当は、「誰でも簡単に救われる」という事を伝える権利を持っているのに。

キリスト教徒ではない方の回答が多かったので、キリスト教徒の回答も参考になるかと思い久しぶりに投稿しました。読みにくい箇所がありましたらご容赦ください。
参考になれば幸いです。

P.S.
上記は一キリスト教徒の意見です。全てが正しいとは思いこまないでください。しかし、聖書はキリスト教の経典ですから、イスラム教徒やキリスト教に偏見を持った人に聞くよりは一般的な回答になっていると思います。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。


確かに偽善的な人達や職業義務的に伝道もしくは様々な宗教の布教をする人達が多いのを感じます。


ただ僕の中では真実の神は存在すると思います。


キリストに興味を持ち、聖書を読むようになってから特にはっきりとわかるように闇の中の人生から光の中の人生に導かれたのを感じています。


本来の福音とは神とキリストを一人一人の命の中に伝えて行く事が福音なんではないかと、回答者様の答えから導きだせました。


ちなみにクリスチャンではありませんがいろいろな人達に福音を述べ伝える事ができるのでしょうか?

お礼日時:2011/05/16 23:14

 こんにちは。



 ★ 新約聖書で伝えている福音とはなんなんでしょうか?
 ☆ けっきょく イエスとは何だったのか? に行き着くのでしょうか? 
 その趣旨でお答えします。

 闇の中にいる人間が光を見ることができるようにする手段についてという切り口です。人びとの罪が贖われるためには 何が為されなければならなかったかという問題です。
 そしてそのあと さらにこの《めぐみ》の上になおめぐみがあたえられるというところまで考えてまいります。

 いくつかありえたのでしょうが もっともふさわしい手段というのは 神が人間となって 人間として(ということは 人びとに決してその生前には 神であることが分かられずに 人間として)去っていくことだったのだと思われます。(すでに 特に事割らずにそういう物語として述べてまいります)。

 人間としてというのは たとえば弟子たちも 最後には全員 イエスを裏切ったという事態を意味します。つまりイエスが神であるとは ほんとうには 心得ることなど出来なかった。
 あるいは はりつけになったイエスの脇腹を突くと 血が出たのだし実際 人間として死を死んだということ。などです。

 人間としてでなければ――つまり神として 十字架上から降りて来たりして奇蹟を起こしたなら もう話は別だということになってしまうという意味なのですが 人間としてでなければ―― わたしたち人間の生活上の尽力が 到底 最終の目的に達することなど出来ないとわたしたちが思ってしまう。

 しかも神が肉となった人間としてでなければ 人に見させる光は ただの理性の光にとどまってしまう。コギトとしての光 もしくは コギトの根源なる観念ないし思念としての神に終わってしまう。
 逆に言いかえると 神は人間の精神なのではないと知らせる必要があった。
 
 以上は たとえば次の聖書の箇所について捉えたものです。

 ▲ (ヨハネによる福音書1:1-18) ~~~~
 1:1 初めにことばがあった。ことばは神と共にあった。ことばは神であった。
 ・・・
 1:14  ことばは肉となって、わたしたちの間に宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
 ・・・
 1:16 わたしたちは皆、この方(* =肉となったことば)の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
 1:17 律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現われたからである。
 ・・・
 ~~~~~~~~~~~~

 このキリストと呼ばれるようになったイエスの出現が 旧約聖書からつづくものであることについて次を見ておきます。ヘブル書という新約聖書の中の一節です。

 ▲ (ヘブル書8:7-13)~~~~~~~~~~~~~~~~
 もし、あの最初の契約(* むろん モーセの)が欠けたところのないものであったなら、第二の契約の余地はなかったでしょう。
 事実、神はイスラエルの人々を非難して次のように言われています。

   「見よ、わたしがイスラエルの家、またユダの家と、
    新しい契約を結ぶ時が来る」と、主は言われる。

   「それは、わたしが彼らの先祖の手を取って、
    エジプトの地から導き出した日に、
    彼らと結んだ契約のようなものではない。
    彼らはわたしの契約に忠実でなかったので、
    わたしも彼らを顧みなかった」と、主は言われる。

   「それらの日の後、わたしが
    イスラエルの家と結ぶ契約はこれである」と、主は言われる。

   「すなわち、わたしの律法を彼らの思いに置き、
    彼らの心にそれを書きつけよう。
    わたしは彼らの神となり、
    彼らはわたしの民となる。
    彼らはそれぞれ自分の同胞に、
    それぞれ自分の兄弟に、
    『主を知れ』と言って教える必要はなくなる。
    小さな者から大きな者に至るまで
    彼らはすべて、わたしを知るようになり、
    わたしは、彼らの不義を赦し、
    もはや彼らの罪を思い出しはしないからである。」
     (旧約・エレミヤ書 31:31-34)

 神は「新しいもの」と言われることによって、最初の契約は古びてしまったと宣言されたのです。年を経て古びたものは、間もなく消えうせます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ▲ (ヨハネ福音 1:16 ) わたしたちは皆、この方(* =肉となったことば)の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。
 ☆ 最初の《恵み》は いわゆる原罪が贖われたことのようです。では 次の《恵み》は 何を言うのでしょうか?
 ▲ 更に恵みを受けた。
 ☆ とすでに過去形で書いていますが 潜在性として与えられたとすれば おそらく現在時におけるこの身と心における復活ではないのか。と見ますが どうでしょうか? 
 《わたし》の中のふるい人がほろび あたらしい人がよみがえったかのように踊り出て来る。身も心もあたらしいわたし。
 復活は 永遠の生命とも言いますが たぶん今の寿命の二倍くらいでよいのでしょう すなわち二百歳を ひとは思う存分互いに自由に生きることになりましょう。同感と浮動する共感と反感 これらに人びとの思いは三分されたかたちにて。


 * なお《宣教という愚かな手段》(パウロ)は はりつけのイエスの話を伝えるその初めには用いられたようです。
 
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。


旧約から新訳までの長い期間をへてイエスキリストに辿り着き神への罪の購いと光が人間には必要な者なのですね。

お礼日時:2011/05/16 23:20

>そのGoodNewSも考えたらそれだけの事ではないような気がします。




うーーん、、、、えっとですね、イエスが語ったとされることの中に、旧約聖書に無いものは無いらしいです。

一応 ネットで牧師さんに聞いたことがあるんです。
「イエスが独自にといた教えがひとつでもありますか? あったら教えてください」って。

牧師さん「ありません」と答えました。

新約聖書は旧約聖書の簡略版なんです。
1時間半の映画のあらすじ、3分くらいで喋ろうと思えば喋れますよね?
あんな感じで旧約聖書の斜め読みが、新約聖書なんです。

約は約束の約ですが、何も変わっていないので、新しく神様が人間と契約したことは何も無いはずです。

ところが、政治家は新約聖書を利用して治世をうまくすることを思いつき、異邦人と言う言葉を利用して、ヘブル人だけではなく、それ以外の人とも契約をしなおしたぞ ってしたのだと思えるんです。

ユダヤ人にとって、サマリア人は異邦人になります。
もともと同じ民族で、サマリアを首都として女神をその都市の守り神としていたのですが、聖職者同士で権力争いをして、南北に国が分裂し、南の王国は北の人をサマリア人として見下していたんです。
いろいろな理由をつけて。
自分たちとは信仰内容が違うとして、異邦人だってしてたんです。

でももともと同じ民族ですから、サマリア人も家族だって新約聖書は言っているのだと思います。

そういうイスラエルの民族の話なのに、なぜかユダヤ人以外(異邦人)にも布教しましょうってなったわけです。
それは、ローマ帝国の利益が絡んでいると思います。
ローマ帝国は全盛期の頃の支配地域をみてもらうとわかりますが、アフリカからイギリスまで広い地域をローマ帝国としていたんです。
アフリカは地下資源、財宝が取れるので国として取り込みたいし、超えた土地も支配下に置くと、都市に肥沃な土地に産物を供給できて、兵士をわんさか養えますよね。


そして新約聖書にずらずらと書いてある都市に、ローマ帝国の直轄地を作り、そこを基盤として周辺の人々を皇帝に従わせていたんです。
その各都市に大教会区を作り、その各教会が皇帝の勅令を信者である市民に伝えるという重要な役割をしていたわけです。
新聞やテレビが無い時代に 広大な土地の隅々まで統治するため、皇帝はキリスト教会を利用したわけです。

ユダヤ人はアフリカからギリシャ もっとあちこちに膨大な数住んでいて教会がありましたから、それをキリスト教会の建物にし、そこから周辺の人々を支配していたってわけです。
ユダヤ教徒からキリスト教徒に改宗しないと、ものすごく生活しずらくなる法律を作り、のっとっていったのだと思えます。


福音というと「イエスの教え」とされますが、イエスの教えとされるものは、なんら新しいものは無い。
イエス物語の作家は、イスラエル人以外にも旧約聖書の教えを述べ伝えよなんて書いてない。

そう言いくるめたのは、、、キリスト教を利用した政治家だと思う。
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布教が福音じゃないです。



福は幸福の福でしょ? 音は声とか情報なので、good news、良い知らせ のこと。

で、ローマ・カトリック教徒は全員、良い知らせを世界の隅々にまで伝えるという義務を背負っているので、good newsを知らない人に伝えなければならないんです。


で、肝心のgood newsとはなにか?


「イエスが全人類の罪を肩代わりしたので、全人類から罪が消えた 喜べ」ってのがgood news。


えっと、一応2000年ほど前に、イエスが消したってことになってます。
その後、罪を一切犯さなければいいのですが、徐々に罪を犯してしまうと、まったく善の世界の天国に、属性が違うために入れなくなる ってことらしいです。

それじゃ まずいので、マフィアのボスとかは、臨終の際に法王を呼んで、「あなたから一切の罪が消えました」って儀式をしてもらうそうです。
死ぬ間際なので、一切の罪を消してもらった後死ぬので、100%善意となり、天国に直行ってわけですね。

そのほかの人は、イエスが再来したとき、死亡した人も墓の中から蘇らせるらしいです。
バイオハザードって映画ありますよね。
キリスト教徒はイエスが来たとき死から蘇らせてもらうことになっており、だから 死亡して腐敗途中の人は、バイオハザードみたく墓の中から どろろーん って。。。。

どうしてかというと、イエスが来たとき蘇るから、火葬してもらうと肉体がなくなるので土葬にするわけです。
土葬で腐敗していっている最中に蘇らされると、ゾンビみたいな状態で蘇り、その姿のまま永遠にイエスとともにクラスことになるわけです。
いやぁぁぁぁ。
火葬して骨粉砕してもらうぅぅ。
あ、わたし キリスト教徒じゃないから、蘇ることは無いわ 安心。

キリスト教徒の人は墓からひっぱりだされて、「あんた 俺と一緒に天国で仲良く暮らすグループ」「あんた地獄いき ばいばーい」って振り分けするらしいです。

そんなこともgood news? うーーん

「イエスが罪を消した」だけだと思う。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。


確かにキリストが十字架で償う事で人類の罪を購うという事が新訳聖書だと思います。


そのGoodNewSも考えたらそれだけの事ではないような気がします。


クリスチャンではないですが、最近聖書を読んで、今の布教型の宗教に違和感を感じます。

福音という意味は究極何ではないかと思い、福音という意味を知りたくて今回質問してみました。

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/05/16 01:06

回答になっていなかったら済みません。



日本語の福音ということばは、古代ギリシア語の

「ευαγγελος」 (アクセント記号無視)「エウアンゲロス」と読みます。

を日本語に翻訳した言葉です。
この単語は
「ευ」と「αγγελος」
から成り立っており、「ευ」は「良いこと」、「αγγελος」は「知らせ」の意味なので、全体としては
「良い知らせ」、「良い知らせをもたらすこと」の意味でキリスト信者の勧誘とは関係ないと思います。

ただ、考えるに、キリスト信者が、キリストを信じていない人に「良い知らせをもたらす」=キリストの教え(良い知らせ)を伝える=勧誘する という様に用語の用い方が変わったのかもしれません。

私は信者ではないので、間違っているかもしれませんが、福音という言葉はキリスト信者の間で用いられる用語であるように思います。

余談ですが、「αγγελος」(読み:アンゲロス)は英語の「angel」になります。
更に余談ですが、おそらく「エヴァンゲリオン」は「福音書」の意味です。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。


良い知らせという意味は


人類の罪を被り、十字架に掛けられたキリストという意味なのでしょうか?


キリストが人間の罪を十字架で購う事で神と新しい約束即ち新訳聖書の始まりですが、福音という意味には究極を感じます。


ただたんにキリストを述べ伝える意味ではないような究極の意味があるのではないかと思います。


ただ本当に福音の意味がわかれば今みたいな宗教アレルギーも無くなるのかもしれません。

お礼日時:2011/05/16 00:49

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