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喩えば遠くの国の素晴らしい景勝地の話を聞いたとします。自分も是非行って見てみたいと思い、そしてお金をためて飛行機やバスなどの乗り物に乗って、あるいは途中人に尋ねながら歩くなどして終に着く。この場合は、そこに行きたいという気持ちと、実際に行くと言う行動が伴って初めてその景勝地を拝むことが実現します。

ここに、ある人が理想を持って歩いていても、その理想に実際に到達していることとは異なります。
目指すものと、その目指したものに到達することとの間の隔たりをいかにして人は埋めることができるのでしょうか。人が何某の理想を目指すとき、人はその目指した理想のように行動することが求められ、それを為すことが理想を実現することであると思います。

こんな人は素晴らしいなと感じるような人や言葉に会うこと、あるいは自分はこんな人生を送ってみたいと思えるような人生を実現すること、は、それぞれ、素晴らしさを吟味すること、人や言葉、邂逅について吟味すること、人生について吟味することによって、それぞれのより詳細な像を得、自身が具体的に行為することを可能にし、次第次第に自分の目標とするところに迫ってゆけるでしょう。

質問ですが、皆さんの考える素晴らしいなと感じるような人や言葉とは何でしょうか。
或いは、どのような人生を送ってみたいと思われるでしょうか。

よろしくお願いします。

ちなみに自分は、聖人に会うこと、真実の言葉を聞くこと、後悔しない人生を歩くことを目標にしています。それぞれを吟味すると、聖人とは浄らかな人であり、真実の言葉とは一つの事を言い表している言葉であり、後悔しない人生とは、晴れも曇りも雨もあったが、総じて奇跡的(全てがそれでよかった)な人生であったと言えるような人生のことです。
そして、目を澄ますこと、聡い耳を持つこと、勇気を持って歩くこと、などが、目指すところに近づくことです。

「実現すると言うこと」の質問画像

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A 回答 (29件中1~10件)

zakky74でございます。



lightwave8さん、大変にお久しぶりでございます。

lightwave8さんから観まして、お応えするのに随分と時間が掛かっている様に見えている事でしょう。大変にお待たせしております。途中で締め切っていても良さそうなものですが、未だ開いている事に嬉しく思う事もありますし、逆に待たせすぎた上に何の連絡も入れていない点を大変に申し訳ないと恐縮する点もございます。

僕は、人類69億人の幸せの実現に向けて毎日を過ごしておりますが、その中のプロジェクトに関わる様になってからライフスタイルがゴソッと変化しました為に、以前の様なペースでQ&Aサイトに関わる事も出来なくなったのでございます。

それが返信が遅れた理由でもありますし、安易にいつでも返信できるという思いを選択した事がずるずると長引いて結局、今に至る事にもなっていました。

今日は、フッと時間が空き、ここに割く事が出来ました。

ですが、以前の様なペースでは関われないにしましても、自分の書いた事の説明責任と、純真な心から問われた事についてのお応えは果たしたいと思っておりますので、今後とも宜しくお願い致します。

未だ残っている項目として、

・この時代の苦しみや無知。
・解くと結ぶ。

があったかと思います。

話の流れは、HITOTSUがどういう一つであるのかの全貌を明らかにしようとするところにありまして、差を取るという事のイメージや奥行きがキッカケとなって展開している話題でございました。

それを、判断基準の問題性5つという人間の出発から入りまして、そこに時間軸が加わると人類歴史はどういう経路を辿ってきたのかの振り返りをしながら、第一の知の爆発、第二の知の爆発としてそれぞれ、聖人たちの輩出、学術の台頭、の形で観ました。

知の爆発を、エンジンだとかエネルギーとみなした上で、そのエンジンが破壊されているのが今の時代であるという観方でしたし、今までのエンジン、つまり知の爆発が永久エンジン・永久機関・永久エネルギーではなかったという観方でした。

そこから、上に挙げました2点に繋がって行きます。

先に、大雑把な展開を示しますと、今の時代に向き合っている苦しみや無知というのは、知の爆発のエンジンが停止している事によりまして、今までのエンジンでこれを賄う事はもはや不可能であるという点、そしてそうであるならば、それを賄う新しい知の爆発が必要となりますが、その条件として、解くと結ぶという点を挙げています。

今までの知の爆発では果たす事の出来なかったのが、この解くと結ぶだったんですね。

言い換えれば、従来の悟るという事、つまり差を取ると言った時の意味は解く(ほどく)事が精一杯でしたし、むしろそれがその時代においてはとても十分であったんです。

そして、今からの時代(実は本当は今までも、ですが)においての悟るという事、つまり差を取ると言った時の意味は解く事だけでは満足しませんでして、同時に結ぶ(むすぶ)事も必要としているんですね。

結ぶ事が出来た時に、解く⇔結ぶ、という循環が起こり、エンジンの基本要素である1Cycleを為しえるのでございます。

即ち、今までの知の爆発のエネルギー切れ、有限式、限界、停止・・・といったのは、解く⇔結ぶというサイクルを実現していない知の爆発であった事が理由として挙げる事が出来ます。

今からの第三の知の爆発は、この弱点を補うものでございまして、解く⇔結ぶという動きを自由自在に再現する事が出来るという点で、これまでとは大きく違います。

それ故に、悟る事の話の上に学術(第二の知の爆発)の話や科学・数学などの話を(大雑把ではありますが)乗せこんでいるのでございます。lightwave8さんから見ますと、科学・数学などには触れる機会が少なかったり、理解が難しく感じる事や、何故この領域が悟りと関連するのかが見えにくい事もあるかもしれませんが、極力は専門過ぎるところを省き、他のジャンルとも整合が取れそうな印象として受け取ってもらえる様に配慮しますので、お付き合い下さいませ。

今日もまた概要でおわる事、真に恐縮かつ自分でも不甲斐ないと思うところもあるのでありますが(笑)、次回からのQ&Aを更に楽しみにしておりますので、今日は一時、失礼させて頂きます。

今後とも宜しくお願い致します。
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この回答へのお礼

お忙しい中お越しくださり有難うございます。
エンジンのワンサイクルの喩えはわかりやすく思いました。
私は科学や数学には疎いですが、必要であれば遠慮なくお話ください。

>今日もまた概要でおわる事、真に恐縮かつ自分でも不甲斐ないと思うところもあるのでありますが(笑)、次回からのQ&Aを更に楽しみにしておりますので、今日は一時、失礼させて頂きます。

お時間よろしいときにお越しくださいませ。質問は開けておきますので。楽しみにしています^^。どうぞよろしくお願いします。

お礼日時:2011/08/07 21:59

zakky74でございます。



第2の知の爆発は、天動説から地動説へ変化した事をキッカケにして起こりました。地動説は、個人一人ひとりの抑圧やウンザリから自由でありたいとする心情を解き放つかの様に、ショックを与え、そのショックは勢いよく広がっていきます。

それまで神は絶対であったのに、絶対でなかった・・・一体どれくらいのショックだったのでしょうか?だから、神・聖書・教会・牧師を中心に置いてきた理解方式・認識方式には信用が出来なくなり、信じる事の真実性が破られ、疑う事や考える事によって真実を探求しようとする姿勢が強くなります。

地動説をキッカケに起きたのが第2の知の爆発となる学術でした。

この学術の特徴は、どの様なものだと思いますか?

今まで見た全てのモノを疑うところから始まります。宇宙自然の仕組み・メカニズムを語ってきた神・聖書・教会・牧師が破れているのだから、これはもう自分で確認するしかない・・・として、本来の人間らしい知的好奇心や知的欲求が目まぐるしく盛んになります。

真実は一体何なんだろう?

どんなに頑張って見ても、地球は動きませんし、天は地球の回りを回っています。そんな地球が天の周りを回っていて人間を騙したのだから、目の前に見える至るものも、やっぱり人間を騙しているかもしれません。

結果的に、この姿勢がそのまま学術の土台、学術のスタンスとなります。パッと見える世界を疑い、一体どんな仕組み・メカニズムによってその様に見えているのかを分析・解析する様になりました。

ニュートン・デカルトの功績によって、学術の中でも特に数学・物理学が開けてきて、ありとあらゆる現象に説明を与えます。数学・物理学はもっとも客観性が高く、自分たちの主観がない状態で客体を観察する事ができるという点でとても画期的でした。

それまでは、信じるという主観から宇宙自然の仕組み・メカニズムを思い込みで見ていましたが、数学・物理学の貢献によって主観が排除され、客観的な観察を可能にしたところから、次々と発見や発明が起こっていきます。

それまでの宇宙観も大きく覆され、宇宙自然の仕組み・メカニズムはx軸・y軸・z軸の座標と方程式によって記述する事が可能になります。個人一人ひとりは、誰もが皆、宇宙自然の仕組み・メカニズムを客観的に理解し認識出来るのが、大ヒットします。

ところが、アインシュタインの相対性理論の登場によって、宇宙観には修正が加わります。彼は、それまではお互いに分離・独立していると考えられていた時間と空間を、光とは何だろうという追求をする中で統合して理解する事に成功しました。

光に対する追求をする中で、E=m c^2という有名な方程式も登場し、物質とエネルギーもお互いに変換が可能である事を突き止めました。

分離・独立であると思っていた時間と空間、そして物質とエネルギーというのは、結果的にそれを超えた何かによって統合されていく事に気付くものです。

アインシュタインも、この宇宙自然のメカニズムは、シンプルな法則によって成り立っているハズだとして、光と重力を統合して理解しようと挑みました。当時、光を指し示す電磁力と至るところに働いている重力の2つの力が発見されていましたので、この2つの力を同時に説明する事で、万物はシンプルに統合され、一つの理解方式によって全てを理解出来ると彼は考えました。

結果的に、アインシュタインは発見する事が出来ず、100年後には私の事も理解する人が現れるだろうと言い残したそうです。つまり、100年後には一つのシンプルな法則が発見されているだろう、という事ですね。

後に、力には他に2つがある事が発見されました。弱核力と強核力です。そして、まずは、電磁力と弱核力が統合されました。それを統一理論と呼びます。次に、強核力までもが統合されます。これを大統一理論と呼びます。

こうなってくると、電磁力・弱核力・強核力においては、シンプルな一つの理解方式によって条件によって電磁力・弱核力・強核力を理解する事になります。ですから、あと残る重力を統合できれば、4つの力全てを統合整理した事になりアインシュタインの悲願を達成した事になります。

アインシュタインの時代には、電磁力と重力しか発見されていなかった為に、一番難しい重力の統合を先に試みようとした訳です。

4つの力を統合し、一つのシンプルな理解方式によって宇宙の仕組み・メカニズムを説明する事が、物理学の夢であり到達地点です。それさえ理解出来れば、万物の誕生メカニズムを説明する事になると考えている為に、或いはその理論だけで全ての理論を語ると考えている為に、万物の理論だとか、最終理論と言っています。

宇宙のメカニズム・仕組みを解き明かし宇宙の誕生メカニズムを理解しようとする中で、ニュートン・デカルトの宇宙観に続き、相対性理論の宇宙観が登場しますが、以後、量子論による宇宙観、ひも理論による宇宙観、M理論による宇宙観など、それまでの説明不足分を補いながら宇宙観が進化発展していきます。

ひも理論にまで来ると、万物を構成する要素はひもの振動パターンで理解する様になり、108元素から見ると、ひもの振動パターンだけで整理できるのですからかなりシンプルです。

ところが、この振動パターンが5つある為に、それをもってシンプルと言って良いのか?などの疑問もあり、M理論が登場します。M理論は、5つの振動パターンは膜によって起きている事を説明するもので、ここまで来ると数学上では一つに統合されています。

数学上では。

ところが方程式で整理整頓しM理論を提唱した当人でさえ、宇宙の誕生メカニズムを明確に説明する事は基より、銀河・太陽・地球・植物・動物・人間を説明したり、ダークエネルギー・量子振動・力・光・物質・生命・精神を、明々白々に説明するには至っていません。

一つが一体何なのか・・・それが膜だといっても、どういうメカニズムで全てを誕生させているのかの細やかなメカニズムは全く分からず、また膜というものがどういうものであるのかも分からない状態です。

これは次の様にイメージしてみると良いかもしれません。
(少し荒くいきます)

物質を分けて見た時に、原子がありました。
原子を分けて見た時に、素粒子がありました。
素粒子を分けて見た時に、ひもがありました。
ひもを分けて見た時に、膜がありました。

膜にまで来た時に、もはや分けるべきモノがなくなってしまったんです。ですが、その膜が何であるかは結局分かりません。

分からない膜によって、ひもが出来ています。
分からない膜によって、ひも・素粒子が出来ています。
その様にして、
分からない膜によって、ひも・素粒子・原子・物質。

結果的に、何も分かっていない事が分かったという事ですし、そもそもどうやって、ひも・素粒子・原子・物質が出来ているのかの細やかなメカニズムまでも当然分かっていません。

一つにまで到達しているのに、分からないという事が分かったという奇妙な状態が今の物理学の現在地です。第二のアインシュタインと言われ、万物の理論に到達するのはこの人だろうとの注目の高いホーキング博士は近頃、万物の理論は存在しないかもしれないとまで言っている様です。

方程式では整理したエドワード・ウィッテン博士は、Mとは何ですか?の質問に対して何とでも言ってもらって構いません、と言っています。

今、いいところまで来てはいるのですが最後の詰めが、何と詰めれない詰めとなってしまっている物理学・科学の現在地があり、とても悩んでいます。特に、光よりも細やかな領域においては、科学らしさである客観的や再現性ともなる実験による検証が極度に難しくなります。数学を使って、方程式レベルでは光より細やかな領域を追求する事は出来ますが、それを確認出来ないというジレンマが起きているんですね。

一言で言えば、ひも理論もM理論も、自由自在に活用出来ない状態です。自由自在に活用出来るくらいにまでは整理整頓はされていません。

分からない事が分かった。
それが物理学の現段階の答であり疑問です。

>>>>・西洋の物理学・数学の悩み、学術が悩んでいる世界。

が観えてきますでしょうか?

人間として生まれてきたからには宿命があります。
人間は、考える存在です。

それは、世界とは何なのか?人間とは何なのか?生きることは何なのか?・・・そこに対する答を得る事です。そして、人間を完成させる事ですね。

そんな追求として、第一の知の爆発によって神・聖書・教会・牧師を中心とした宇宙自然の仕組み・メカニズムは破れました。次に、第二の知の爆発によって学術を中心とした宇宙自然の仕組み・メカニズムは(必死に隠してはいますが実は)破れています。

現象として現れているのが、このところの技術革新や大発見のスピードの遅さです。経済格差が問題なのではなく、技術革新や大発見に関する長期沈滞が問題です。

で、人間は考える存在です。
答を見付ける宿命を背負っています。

ですが、その答を頼るべきエンジンが第1も第2も破れてしまっているという致命的な問題点があるのが、今の時代の現在地です。すみません、また字数制限が近づいています。

>>>>・この時代の苦しみや無知。
>>・解くと結ぶ。

は次回触れます。

学術は、宇宙自然の仕組み・メカニズムを個人一人ひとりが理解できて認識出来る様にさせた点で、大きな功績でした。ですが、中身が無い事が明らかになったという事です。伝達方式は何となく組みあがりましたが、伝達すべき答が。

それが学術の悩みです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
自分の知らない物理などの話、とても面白く聞くことができました。
次回を楽しみにしています^^

とても贅沢な回答をしていただいているようで、うれしく思います。

お礼日時:2011/06/19 21:35

「山路来て何やらゆかし、菫草。



肥田春充翁によりますと、「【神聖な真理】は無心状態の身体の正中心に宿る」そうです。

そもそも、有限な宇宙にも端の特殊な構成要素が存在していませんね。
つまり、小宇宙は既に身近に潜んでいるのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
答えは身近にある、これは本当のことだと思います。
心の旅においては、遠くに行くのではなく深まりを見るのが、道程であると私も思います。
自分自身のいる場所が、そのまま目的地になるのがゴールかなと思います。

小宇宙は身近に潜んでいる、わかる気がします。自分本位というのではないですが、求心的な意識、真ん中を意識することは、曲がっていない心、正直な気持ち、自分の本心を見ようとすることでもあるとも思いました。

肥田さんについては知らなかったので調べてみましたら、色々な肩書きがありました。しいて言うなら武道家?なのかなと。YOUTUBEにも載っていました^^。

お礼日時:2011/06/16 21:48

zakky74でございます。



返信が随分と遅くなりました。

これ以上、遅くなるのを僕側で気にした為に、本題に切り込む訳ではありませんが、本題に切り込む前段階の準備程度に軽く触れておきたい事がありまして、今回は簡潔に終えたいと思います。

>およそ見えてきたのではないでしょうか。いろんな錯誤が人間には存在しているので、一つから複雑が説明され得ないと。無境界と境界の喩えが出てきましたね
。次いで、第三の知の爆発と言うもので、イメージ出来ない世界をイメージさせる
事に成功し、悟り言語なるものが開発され、それを伝達することが可能になった
と。

>実に楽しみです。続きをお願いいたします。
>長らくのお付き合い有難うございます。

了解しました。

>>・西洋の物理学・数学の悩み、学術が悩んでいる世界。
>>・この時代の苦しみや無知。
>>・解くと結ぶ。

には、未だざっくりとしか触れておりませんでした。

ここからは、こちらに入りたいと思います。背景や全体の流れは、前回の投稿にも(或いはそれまでにも)含まれてきますので、そちらを参照下されば理解し易いかと思います。

学術を引っ張ってきた数学・物理学では、どの様に真実を見ようとしているのかについて、その一端を垣間見れたらと思います。

天動説から地動説が起きる前までは、宇宙自然の仕組み・メカニズムを語るのは神・聖書・教会・牧師たちが中心であり全てでした。ところが天動説の理解方式・認識方式では、説明の出来ない様々な現象がありました。

説明されない様々な現象を説明出来る様になった新しい理解方式・認識方式が、地動説をキッカケにして開けてきます。それが、数学・物理学を筆頭とした学術の開花ですね。

学術は、神・聖書・教会・牧師による理解方式や認識方式なしで、或いはその単語を使わなくても、個人一人ひとりが扱えるという意味で、個人から見ればとても大ヒットでした。

個人一人ひとりの頭の中に、宇宙自然の仕組みを入れ込む事に大きく貢献したのは、ニュートン・デカルトです。x軸・y軸・z軸の直交座標を導入し、どんなに大きなものであっても頭の中に入れ込み、方程式化して計算する事に成功しました。

そうして、宇宙自然の仕組みが益々理解出来る様になっていきます。やがて、ニュートン・デカルトによる宇宙観だけでは説明されない事も、アインシュタインが相対性理論によって説明して相対性理論的な宇宙観へ進化発展したり、相対性理論だけでは説明されない事も、量子論が説明して量子論的な宇宙観へと進化発展したり・・・と、宇宙自然の仕組み・メカニズムは、どんどん理解され、解明される様になっていきました。

ある時から、物理学者たちの関心は、宇宙自然の仕組みをシンプルな法則によって明らかにする事が出来るだろう・・・と信じる様になり、何とかしてシンプルな法則を見つけたいとする様になっていきました。

例えば、アインシュタインは、空間と時間を統合して説明出来る理解方式・認識方式を持っていました。それが相対性理論なのですが、ニュートン・デカルトの宇宙観では時間と空間は、バラバラ・分離・独立であったところが、アインシュタインによると相互に関係性があるというんです。

つまり、2個であった時間軸と空間軸が、1個の時空間へと統合共存されたのでシンプルになっているんですね。この様にして、彼は重力と光の問題も、きっと統合される何らかの理解方式・認識方式があるだろうと信じていた訳です。

統合と言えば、相対性理論はマクロの宇宙観では非常にピッタリくるのですがミクロの宇宙観には適さず、逆に量子論ではミクロの宇宙観には非常にピッタリくるのですがマクロの宇宙観には適しません。

しかし、同じ宇宙自然である為に、両者の宇宙観は統合して理解・説明される何らかの体系がある筈だとして、両者を統合しようとする試みが為されています。

いずれにしても、宇宙自然を作るたった一つの法則を知りたい。
宇宙自然は、そんな美しい姿であろう。

いつしか物理学者たちはそう信じていった訳です。
そんな理解方式・認識方式は一体なんだろう?と。

以下、学術博士たちのコメントを借ります。

『科学の最終目標は、全宇宙の事象をすべて説明することのできる1つの理論をもたらすことです。』 (スティーヴン・ホーキング博士)

『われわれが観測しているのは自然そのものではなく、われわれの探求方法に映し出された自然の姿だ』 (ハイゼンベルク博士)

『原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダや老子といった思想家がかつて直面した認識上の問題にたち返り、大いなる存在のドラマの中で、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない。』 (ニールス・ボーア博士)

『西洋科学の構造に東洋の同一化の教理を同化させることによって解き明かされるだろう。一切の精神は一つだと言うべきでしょう。私はあえて、それは不滅だといいたいのです。私は西洋の言葉でこれを表現するのは適さないということを認めるものです。』 (シュレディンガー博士)


『とても抽象的で想い描くのは難しいでしょう。これは非常にうまく隠されていて、私たちには見る事が出来ないのです。この考えが正しければ、別の次元は遠くではなくすぐそばにあると言えるでしょう。ただ、私たちには見えてないだけです。世界をほんの少し違う見方で考えてみる。それが大切です。』 (リサ・ランドール博士)


僕は、学生の頃からブラックホールの事やビッグバンの事など、宇宙自然がどうやって誕生したのか、何によってそれが作られる様になっているのか、について興味がありました。

他にもタイムマシンの事やダークマター・ダークエネルギーの不思議さなど、雑誌Newtonに取り上げられる様な事にとても心ひかれワクワクしてクビを突っ込んでいました。

そんな折に、出会ったのが相対性理論や量子力学でした。ここで紹介したコメントは、その時の関心パートともピッタリ重なるものですが、それにも増して、東洋文明と西洋文明の何たるかや、人類文化文明歴史をどう整理するのか、といった話にまで展開し得るコメントでもあります。

物理・科学の事は難しくて分からないと仰るかもしれませんが、ここいらは何となくでも構いませんし、そんなもんなんだ・・・くらいでも構いませんので、物語程度にでも聞いてみて下さい。

すみません。

途中なのですが、今日はここまでにさせてください。
また近い内に、続きを書き足しますね。

因みに、

>>・西洋の物理学・数学の悩み、学術が悩んでいる世界。
>>・この時代の苦しみや無知。
>>・解くと結ぶ。

の流れとして書き記しています。
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この回答へのお礼

ご回答有難うございます。

>途中なのですが、今日はここまでにさせてください。
また近い内に、続きを書き足しますね。

楽しみにしています。^^


>因みに、

>>・西洋の物理学・数学の悩み、学術が悩んでいる世界。
>>・この時代の苦しみや無知。
>>・解くと結ぶ。

の流れとして書き記しています。


 了解です。

お礼日時:2011/06/12 14:25

zakky74でございます。



>>一体どうして複雑に見えているのか?
>>知りたくはないですか?
>ぜひお聞きしたいところです。

論理とイメージによって話を展開しています。
ただ、イメージの伝達がどうしても弱くなります。

人間は、深いところから、無限アイデンティティ・有限固定アイデンティティ・エネルギー・イメージ・感情・思考・表情・言葉・行動というモデルで表現する事が出来ます。

直接面と向かって交流する時と、今の様にQ&Aを通じての話をする時では、無限アイデンティティ~行動の内の部分的にしか共有出来ないのかが見て取れると思うのですが、lightwave8さんが人間の判断基準を一旦おいて話を受け取ってもらえる事は、僕側としても話を展開し易くて、とても有り難いんですね。

人間は、それが難しいんです。

パッと見てフッと思う判断基準や認識のクセが働きますと、多くの人は、この内の言葉(文字)しか伝達がされません故に、しかも相手側がその言葉(文字)を受け取った後に起きる認識・判断・表現のプロセスが、

・人間五感覚脳の認識のクセ3つ
・判断基準の問題性5つ

が働いた上で、しかも

・実に言葉(文字)のみでの表現(本来は無限アイデンティティ~行動までが表現されている)

に留まってしまっている為に、特にネット上では部分的な疎通・交流しか出来ない仕組みになっています。

lightwave8さんに、判断基準を一旦は置いておく事をお願いした事の大きな理由はそこにあります。正確なイメージを伝達・共有しようとする時ほど、この問題には繊細でありたかった訳です。

また、僕側からのイメージ伝達も正確に表現され得ません事も、同時にお分かり頂けるかと思います。それについては代案を考えておりますので、機会を見ましてお伝え致します。

まずは、判断基準を一旦横に置いて頂いて、本当にありがとうございました。引き続き、宜しくお願い致します。


>ここら辺からより詳しい説明へと移行していただけるでしょうか?そして、

了解しました。

・一つから、どうやって複雑が出来ているのかを説明出来ない理由、そのイメージが無い理由について。

・僕がお伝えしたい差を取る、はどうしてそれが可能になっているのか、その理由について。

をお話したいと思います。そして、

>ここら辺りに着地できればと思います。

・西洋の物理学・数学の悩み、学術が悩んでいる世界。
・この時代の苦しみや無知。
・解くと結ぶ。

について膨らましながら、今の時代、この日本と悟りがどんな関係があるのかについて語ってみたいと思います。

前回の投稿No.24にて、外の王様から自由になったフランス市民革命と、中の王様からは未だ自由になっていない事について触れています。

外の王様の支配権力から自由になったのを牽引したのは、数学・物理学・経済学など学術を土台とした知の第二の爆発によります。この知の第二の爆発の影響によって、当時の市民たち(商人)が市民革命を起こしました。

商人たちが権力を取ったので、王様の暴力よりは商人の財力が力の中心となり、カオス(無秩序)に対して秩序を構築しようとします。

因みに、知の第一の爆発とはお釈迦さま・老子・孫子・ソクラテス・プラトン・イエスキリストなど聖人たちが多く輩出された時代です。

知の爆発を、エネルギーが広がっていく事とイメージしてみて下さい。或いは、子どもが成長する時の体の大きさと見立ててみて下さい。

始めは勢いよく広がります。

ですが爆発によって生産されるエネルギーは、永遠に生産される訳ではなく、エネルギーの広がりは、スピードを弱めながら徐々に縮まりやがては広がりを止めて停滞します。子どもの成長で言いますと、あるところまで行くと身長が止まりますね。

その様に、知の第一の爆発も、知の第二の爆発も、そのエンジンが停止した頃、それ以上はエンジンとして機能しません。

限界が来た頃に新しいエンジンが創られます。

知の第一の爆発の限界には知の第二の爆発が、そして知の第二の爆発にも今また限界が来ています。中からの支配権力、中の王様、判断基準から自由になる事・・・ですね。

西洋の理解方式・認識方式では答を出す事が出来ません。

中からの支配権力、中の王様に対して答を返せるのは、東洋です。これは、心を悟らねばなりません。判断基準から自由とは、実は悟ることだったんです。

東洋が、答を持っています。
ですが、疑問に感じた事はありませんか?
答を持っている東洋は、どうして今のレベルなのでしょうか?

判断基準からの自由、それが悟ることでクリアできるのでしたら、悟りとは今までにもあったんですよ。知の第一の爆発は既に起きています。西洋も東洋も問わず、悟りを得た人は沢山いました。

そして、東洋は内面の世界にとても充実しており、認識センスなどは抜群であったハズです。判断基準の問題性を、解決している様に思えるにも関わらず、一体どうして戦争を終わりにさせる事が出来ず、東洋では王様による支配権力の問題一つも解消する事が出来ず(西洋は解決しました)、個人の目覚めを導く事が出来なかったのでしょうか?

2011年現時点になっても未だに世界に戦争紛争が終わらず、経済格差や人種差別などがなくなっていないのでしょうか?鬱・自殺をなくす事が出来ず、雇用問題一つも解決できないのが、悟りなのでしょうか?

悟りとは、そんなものなのでしょうか?
答えとは、そんなものなのでしょうか?

いいえ。
悟りや答には、未だ続きがありました。

悟りとは、差を取る事です。

全ての差が解けてなくなり、HITOTSUしかないシンプルな世界そのものになってしまった状態です。それは、全ての境界線が解けてなくなる世界、無境界線イメージです。或いは、全ての差がないことは、限りが無い状態なので無限でもありますね。

聖人たちの表現を借りれば、無我・無為・無知・無念・無想・無常・無刀・・・など、今まであると思っていた我・為・知・念・想・常・刀などが無いんだとしています。

無境界線イメージ。
無限。

それを、一体どうやってイメージするのでしょうか?

人間は、イメージ出来ない事は出来ません。

トイレに行こうとする時にも、現在地のイメージ、トイレの場所のイメージ、現在地からトイレの場所までの全体地図のイメージ・・・など、イメージがあるから実際にその行動を取れます。

トイレに行くイメージがなければトイレには行けません。

では、無境界線イメージをどうやってイメージするのでしょうか?無我をどうやってイメージするのでしょうか?

HITOTSU。

そもそもそれをイメージする事も無理ですし、むしろイメージするな!の世界じゃないですか。

言葉にも表現できません。暗記言語は、既にイメージを持っていますし、境界線を持っています。HITOTSUだなんて、それを言葉で表現する事は出来ません。そんな性質のモノではないんです。

では悟った人たちは、HITOTSUをどの様に表現したのでしょうか?悟りを得ていない人たちは、どの様に受け取るのでしょうか?

勿論、悟った人たちが伝えたいのは無境界線イメージです。それを、伝える時の伝達手段は、言語を使っているんですね。暗記言語です。

すると、受け手である悟っていない人は、暗記言語を受け取りますが何と暗記言語は、境界線イメージですし、我・為・・・刀、ですね。そして、そういうものだとして受け取ります。

つまり、無境界線イメージであるにも関わらず、伝達手段である暗記言語が既に境界線イメージであるし、無想を表現しているのですが、聞いた側は想で受け取ってしまう訳ですね。

つまり、HITOTSUをどう伝達するのかに大変なジレンマが生じます。悟った人たちは、自らが悟りを得てHITOTSUそのものにはなれましたが、何と伝達手段はHITOTSUを表現するものではなく、エゴ人間が使う暗記言語だったんです。

これでは、HITOTSUが伝わるハズがございません。

これが、HITOTSUが活用できない理由でもあり、一人ひとりの意識の問題、認識の問題、個人が悟るしかない・・・という様な解釈にも繋がる理由でもあります。

つまり悟った人たちは、悟りを伝達できるまでの悟りを得ていないという限界がありました。これが、東洋と西洋の文明格差の理由でもあります。

答え・・・と言えば、明確にイメージ出来る事ですし、活用可能なものです。しかし、HITOTSUが指し示しているものがイメージ出来ない事なのでしたら、それをどう共有し、活用するのでしょうか?

そこが、第一の知の爆発の弱点でもあります。
そして、第二の知の爆発はイメージ出来る世界が発達します。

学術は、部分的にイメージ出来る世界を追求し、後でそれを疎通・交流して、合一して上昇させようね・・・という統合認識の意欲・意志がありました。学術の出発はそうです。

ところが、学術でもそれが起きていません。
学術は、疎通・交流が更に大変になりました。

僕がお伝えしている悟り(差を取る)とは、この両者の限界を同時に超えているものです。即ちそれを可能としているのは、第三の知の爆発であり、両者の限界を超えた21世紀悟り、サムライの悟りです。

イメージ出来ない世界をイメージさせる事に成功。
悟りの伝達道具、暗記言語とは違う悟り言語が開発。

すみません、文字制限の為に未だ途中段階ではありますが、一つから複雑が説明され得ない理由と、それが可能になっている理由について、見えてきましたでしょうか?
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この回答へのお礼

ふむふむ・・・
>すみません、文字制限の為に未だ途中段階ではありますが、一つから複雑が説明され得ない理由と、それが可能になっている理由について、見えてきましたでしょうか?

およそ見えてきたのではないでしょうか。いろんな錯誤が人間には存在しているので、一つから複雑が説明され得ないと。無境界と境界の喩えが出てきましたね。
次いで、第三の知の爆発と言うもので、イメージ出来ない世界をイメージさせる事に成功し、悟り言語なるものが開発され、それを伝達することが可能になったと。
実に楽しみです。
続きをお願いいたします。

長らくのお付き合い有難うございます。

お礼日時:2011/06/05 21:27

zakky74でございます。



部分と全体の観点から観る時、コミュニケーションは全体の流れや全体像を掴む事が大切だといわれています。部分にはまると、交流している様で全く交流になっていないケースをよく見かけます。

lightwave8さんの意図として僕が受け取ったのは、全体像を理解したいという事でした。その意味で、先に全体像をお伝えしてみたいと思います。

>一つ一つの差を埋める作業も大切かと思いますが、まずは、ザッキーさんのおっしゃりたいことの概観をつかめたらなと思っております。

その場合、先に前提となる話を共有したいと思います。

人間には判断基準の問題性があります。

1.誰もが皆、判断基準を持っている
2.一人ひとりの判断基準は全部バラバラで違う
3.かといって、無理矢理一つにさせたらもっと問題
4.人間の判断基準は不完全
5.不完全なのに無意識では完全だと思っている

この5つの判断基準の問題性を置いといたままでは、人間は出発からして既にカオス(無秩序)だという事です。人と人が分かり合えず、しかも何と出会っても問題と出会う様になっているという事です。

つまり、全体像を掴みたいという意志やキモチがあっても、判断基準が働いているという問題性に向き合わない以上は、キモチだけが空回りしていて、結局は自分の判断基準としか出会っていない事になります。

lightwave8さんが、ご自身の判断基準の事は一旦置いておく時に、最も差を取るについての全体像が理解出来るかと思います。コミュニケーションは、お互いの信頼や協力によって成り立つと考えていますので、その点ぜひ宜しくお願いします。


人類文化文明歴史を振り返りますと、実は判断基準の問題性は人類誕生以来500万年間クリアできた事がございません。未だに悩んでいる問題です。

しかし、何らかの形でこの問題と向き合ってきたのが人類文化文明歴史の流れだと理解できます。このカオス(無秩序)に対して、力を使って秩序を構築しようとしました。

始めは王様による暴力、次は市民(昔の商人たち)による財力、そんな力を使って無秩序を秩序立てようとしてきたのが、人類文化文明歴史です。

王様による暴力の時代は、社会プレートとしては農業社会、富の象徴としては農場でした。この時代にも限界が来て、暴力という力だけでは秩序立てる事が無理になったのが天動説から地動説への大転換です。

この時より数学・物理学・経済学など学術が台頭し、その勢いでフランス市民革命やイギリス産業革命が起きて、王様が市民(当時の商人たち)によって倒されます。そうして、社会プレートは産業社会、富の象徴としては工場となり、市民による財力が新しい秩序を構築する力となっています。

王様による暴力も、市民による財力も、それが始まった当初は大ヒットしましたが、今の時代、特に日本ではもはや財力という力でも秩序を構築する事が不可能になってきました。

確かに、今の時代、特に日本はカオス(無秩序)を迎えています。生きる意味や価値が喪失し、人間の尊厳性が破壊され、何をどの様に考えれば良いのかも分からず、死ぬ事よりも生きる事が苦しい状態。

情報知識は溢れていても幸せになっていない事実、情報知識は豊富であっても実は何一つ理解をしていない事実。生きるとは一体どういう事なんでしょうか?

今、学術の影響と、市民・商人たちの先導もあって、個人戦・個人主義が進み、相対比較や競争が激しくなり、生きる事に疲れている状態があります。個人は、王様のいた時代と比べれば、とても自由になりましたが、真に自由かと言いますとそうではありません。

一体、どうして未だに自由になっていないのでしょうか?

それが外の王様を倒す事には成功しましたが、中の王様を倒す事には失敗しているからです。つまり、市民革命によって得た自由は途中段階にあり、未だ中途半端であるという事です。

中の王様、それが判断基準の問題です。
中からの支配権力に常に従っているから自由ではありません。

この判断基準の問題性に向き合う事が、中の王様から来る支配権力に完全に勝利する事ですね。つまり、判断基準の問題性を解消解決する事がとても重要な時に来ています。

判断基準の問題性を、別の角度から表現します。

判断基準から自由になっていない・・・それは知っている世界から自由になっていないという事です。知っている事が完全だと思っている、そんな知の完全性のワナにはまっています。

知の完全性を一旦おいておく事。

知の完全性ではなく、知は不完全性であるという事に気付く事ですね。そして、無知の完全性にまで行く。

知の完全性だと、相対世界から抜け出せません。

知の不完全性、無知の完全性・・・その絶対世界にまで到達する事です。これによって知ってる世界から自由になりますし、判断基準から自由解放されます。

真の市民革命です。
ですが、これでも弱い。

これだけだと、知っている事の意味や価値などが喪失されてしまい、それでは一体何の為に、この世に、人間となって生まれてきたのか、そんな生きる意味や価値までが喪失し、虚無に走ったり、無気力・無感動にも繋がったりします。

絶対世界にまで到達すれば、それは次は相対世界へと戻ってくるのが人間としての生き方ではないでしょうか?

それが、知の不完全性を補う世界です。

無知の完全性にまで明確に辿り着くものは、全ての知の不完全性を補って、知を完成させる事が出来ます。全ての分離バラバラの情報知識は、実は単なる表現レベルで終わっている残念な点があります。学術もそうです。

ただ、部分的な、条件的な領域で留まり、そこで表現しているだけです。自己主張、自己表現。それは動物の雄叫びや叫びと変わりません。

人間は、違います。

人間は、表現を超えて、疎通・交流を果たします。次に合一、更に上昇までさせます。そんな上昇された知を手に入れること、それによって判断基準の問題性が解消されていきます。同時に、統合学問が誕生し、知の大統合が起きます。

ところで、知の不完全性、無知の完全性とは表現を変えれば悟りの境地の事ですが、これでも不完全であると僕は言っています。東洋の悟りの弱点です。

悟りは、一言で言えば全ては一つ・・・の世界ですが、全てが一つなのでしたら、一体どうやって複数のものが生まれているのかを説明せねばなりません。

一体どうして複雑に見えているのか?
知りたくはないですか?
僕は、全ては一つ・・・では満足しませんでした。
それで?・・・みたいな(笑)。

現代人は多かろうと思います。

一つから、どうやって複雑な世界が出来ているのか?それを明々白々に語る時に、本当に一つであると心から腑に落ちるのではないでしょうか?

つまり、仏教の悟りやインドのヨガには致命的な弱点があります。

色から空になる事はよく説明するし案内もするのですが、それでは空から色には一体どうやってそうなるのかを誰も、何も説明しません。それでは片側通行です。そして、現実世界に空を活用する事が出来ません。

実際、人類文化文明歴史は全てが一つの世界を現実に活用出来ませんでした。理由は、一つからどうやって複雑が出来ているのかを説明出来ないからです。そのイメージがありません。

僕がお伝えしたい差を取るというのは、色から空、それを理解・説明・イメージする事は基より、空から色、それまでも理解・説明・イメージする事を指しており、その両者がHITOTSUだと言っています。

一つ・・・ではなく、HITOTSUです。
次元が違います。

色と空の差を取るというのは、お互いに行ったり来たりするのが明確にイメージ出来るから差を取ると言えます。粒子も出来たり波動も出来たり、実数も出来たり虚数も出来たり・・・全ての複雑はシンプルに、そしてシンプルは複雑に・・・それがHITOTSUから理解・説明出来る時に差を取ると言えます。

全てが一つ・・・それだけでは足りません。
そして、差を取れません。

21世紀悟りは、西洋の物理学・数学を説明し切ってしまう事。学術が悩んでいる世界を全て解決してあげる事。そうでないと、この時代の苦しみや無知を解決する事は出来ません。

昔は、学術のイメージがありませんでした。今は、学術によって教育が行われ、インターネットによって情報知識は豊富です。悟る為には、これら全ての情報知識をひも解(ほど)かねばなりませんが、同時に結んであげる事も必要です。

解いたり
結んだり

それが自由自在にできる時に差を取るといっています。
解くだけでは差を取るとは言いません。

大雑把な世界、抽象的な世界、感覚の世界、それは未だ差を取っていません。差を、ぼかしただけです。そして、判断基準の問題性を解消解決できるのが悟り(差を取る)です。
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この回答へのお礼

長らくお付き合いありがとうございます。

なるほどなるほど、自己の判断基準を差し置いて読んでみましたが、以前よりはだいぶわかってきました。
絶対から相対の世界へ戻ってくる、空から色へを説明する、HITOTSUというものもでてきましたね、往復すると言う形でしょうか、解いたり結んだりともおっしゃっています。

>一体どうして複雑に見えているのか?
>知りたくはないですか?

ぜひお聞きしたいところです。

>実際、人類文化文明歴史は全てが一つの世界を現実に活用出来ませんでした。理由は、一つからどうやって複雑が出来ているのかを説明出来ないからです。そのイメージがありません。

>僕がお伝えしたい差を取るというのは、色から空、それを理解・説明・イメージする事は基より、空から色、それまでも理解・説明・イメージする事を指しており、その両者がHITOTSUだと言っています。

ここら辺からより詳しい説明へと移行していただけるでしょうか?そして、

>21世紀悟りは、西洋の物理学・数学を説明し切ってしまう事。学術が悩んでいる世界を全て解決してあげる事。そうでないと、この時代の苦しみや無知を解決する事は出来ません。

>昔は、学術のイメージがありませんでした。今は、学術によって教育が行われ、インターネットによって情報知識は豊富です。悟る為には、これら全ての情報知識をひも解(ほど)かねばなりませんが、同時に結んであげる事も必要です。

ここら辺りに着地できればと思います。

お礼日時:2011/06/02 18:47

zakky74でございます。



実は今回、また少し違和感を感じております。それ故に、まずそちらから確認したいと思います。

違和感を感じるキッカケとなったのは、特に以下の箇所です。

>私がする覚りの説明は、
>・・・差を取ると言うのはあまりイメージとしてはありません。

これを見た時に、やや違和感を感じました。

>今の段階ではまだなんともいえませんし、理解もあまりしていないようです。

実は、ここは理解出来るところもあるのですが。僕が、フッと思ったのは、ここまでの内容で出会う事がある筈でございますし、lightwave8さんでしたら(僕側の思い込みかもしれませんが)、一段階ここまででの内容を受け取って何かしら気付く事・感じる事があるであろう・・・との予測がありました。

ただ、それは僕側の思い込みのケースもあるので、その場合はそこまで気にする事でもないのですが・・・そうして読み流していると、

>>lightwave8さんは論理とイメージによって、それが悟りであるかどうかを確認できないのでございましょう。
>覚りとは自覚できる性質のものであって、第三者に証明する必要の無いものだと私は考えています。
>まあ私の覚り観はおいておいて、

ここで、lightwave8さんご自身の覚りに対するイメージを仰っています。また、「おやっ?」という印象を受けました。ここで、一体どうしてlightwave8さんご自身の覚りに対するイメージが出てきているのだろう?と疑問を覚えます。

また、

>ザッキーさんのお考えを述べてくだされば結構ですので

と出てきているのも「えっ?」という印象を受けました。

それで、もしかしたらコミュニケーションがズレている可能性があるかもと思い、先に確認したいと思いました。

前回の投稿No.21では、それまでのやり取りで僕がお伝えした「差を取る」のイメージとは違うイメージとしてlightwave8さんが受け取っていたので、それとは違うという事を確認しようという目的がありました。

その方法として、lightwave8さんが受け取っていた「差を取る」のイメージがありましたから、そのイメージから出発して僕がお伝えしていた「差を取る」についての表現を再確認する事で、違いが鮮明になると判断しました。

ですので、No.21で僕側として意識していた事は、lightwave8さんが受け取っていた「差を取る」のイメージから出発した文章でございました。

No.21では、前半はイメージに違いがある事を中心にお話しましたし、後半はどの様に食い違いがあるのかを浮き彫りにする事を中心にお話しました。後半は、

>>ここからは何がどう違ったのか?という事を共有出来たらと思い、

に始まる文章です。ここまでと、ここからが、前半と後半を分ける箇所です(前半も後半も、一貫した目的がありますので分ける必要は無いのですが構造化・視覚化させると分かりやすいかと思いまして)。

それで、先ほど触れましたNo.21の目的が鮮明に現れている箇所は

>>lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージの方を活用しましょう。

にて表現しています。

このセンテンスに、先ほど触れた「lightwave8さんが受け取っていた「差を取る」のイメージがありましたから、そのイメージから出発して」という意図が込められております。

そうして、そのイメージから出発した際に、生じる他の表現との間に整合性が取れない箇所が出てくるハズですので、それを確認する為に、No.12に既に表現してある

>>>>>>>>「明確に細胞が誕生してからは、・・・全員が悟らないとその悟りは偽物だよ。」
>>>>>>>>「悟りも思い込み。だって、悟りが何であるかを・・・悟りが当たり前、悟りは差を取ることだから。」

の箇所を引用しながら、2つの文章のいずれにおいても、「差を取る」というイメージがズレているならば、文章の整合性までが崩れる事をお気付き頂けるかなぁと思いまして、再度掲載しています。

その確認の意図を込めた文章は、

>>lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージでは、その様な事が起きるものなのでしょうか?歴史はどうでしたでしょうか?

>>lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージではこの様な表現が出てきますか?lightwave8さんの仰る悟りは、第三者が確認可能な悟りなのでしょうか?

でした。

その後に続くのは、同じ内容の事ですが、更に引いて見た時の事として再確認する内容です。何度も繰り返し反復していますが、確認したい事は出発のイメージがズレている事によって、整合性が取れなくなってしまっている事の確認をしたいという目的に沿っています。

要は、くどいかもしれませんが同じ内容だったんです^^;

そこに対して如何でしたでしょうか、との問い掛けでしたので、lightwave8さんは気付いた事、感じた事をお応えになったり、或いは出発のイメージがズレていた事を明確に理解・納得・自覚されるか、若しくは出発のイメージとは全くのズレもない場合でしたら、僕の投げ掛けや問い掛けに対しては、こういう意味で整合性が取れていますよねだとか、僕が提示した幾つかの例を素材としながら、僕がお伝えした通りの「差を取る」のイメージから出発して、何をどの様に「差を取って」いくのかを立証(若しくは確認)する様な内容を語るか・・・他にも幾つか返答の可能性は考えられるでしょうが、僕が投げ掛けた問いや意図に対する返答であると見ていました。

ところが、冒頭にも述べました通り、違和感を感じたのでございます。ここからは、予測の域を出ませんが、確認の意味も込めて、lightwave8さん側では何が起こっていたのかを見たいと思います。


もしかしたら、lightwave8さんは

>>lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージの方を活用しましょう。

であったり、その後に続く

>>lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージでは、

という表現、若しくはそれに因んだ表現を、lightwave8さんご自身が元々持たれていた「差を取る」のイメージの事だと受け止められたのでないでしょうか?

ところが、lightwave8さん側としては「差を取る」のイメージは元々無かったからこそ、僕に聞いたハズなのに、その僕から逆に「差を取る」のイメージを聞かれたり振られたりするのは違和感が走ったのではなかろうかと推察します。

lightwave8さんは、lightwave8さん側の「差を取る」のイメージを活用しましょう・・・と僕から投げ掛けられていますし、この流れは未だ僕から「差を取る」のイメージを受け取っている途中だとlightwave8さんご自身は認識しているのもあって、違和感は感じながらも、その流れに乗ったのではないでしょうか?

しかしlightwave8さんには「差を取る」のイメージはありませんから、lightwave8さんから見た時に、僕側には「悟り=差を取る」という理解をしている様に映りますから、「差を取る」の事ではなく悟りの事を仰ったのではないかと観ています(蛇足ですが、lightwave8さんの中では、悟りよりは覚りとして理解しているのではないかと推測しています)。

それで、頂いたお礼欄のlightwave8さんの発言には、随所にlightwave8さんご自身の覚りに対するイメージを説明して頂いているのでしょう。ですから、lightwave8さん流の表現、lightwave8さんらしい覚り観が生き生きと表現されています。

そして、lightwave8さんの覚り観や覚りに対するイメージの事を語りますから、僕がお伝えしている悟りや差を取るのイメージとは当然違うハズです。その事を、lightwave8さん自身も分かっている為、これを書きながら(もしかしたらlightwave8さんは)一体、何で私はこれを書いているのだろう?とか、これはzakky74さんが語る事じゃなかっただろうか?などの疑問や考えが、一度や二度は出たかもしれませんね。

それで、lightwave8さんご自身の覚り観はおいておいて、僕がお伝えしようとする差を取るのイメージを引き出そうとして、

>まあ私の覚り観はおいておいて、ザッキーさんのお考えを述べてくだされば結構ですので、よければ続きをお願いいたします。

を仰ったのではないかと思います。字数制限もあって、途中で止めていた事もあったでしょう。それが、

>よければ説明を続けてください。今の段階ではまだなんともいえませんし、理解もあまりしていないようです。

に現れている様な気がしていました。

さて、これは僕側の推測であり、思い込みでもあり、lightwave8さんから確認するまでは分からない事なのですが、現段階で僕はこの様に思っている為に、もしこの推測が本当にそうであったとすると、この先には進めないんですね。

つまり、lightwave8さんが誤解をされている状態でNo.21を読み進め、お礼欄を書いた事となりますが、誤解が解けた後でもう一度No.21を読むならば、まるで違った文章(勿論、文字は同じなのですが、意味や指し示すイメージや受け取る印象など)になるからです。

如何でございましょうか?

すみません、足踏みしている様に見えるかもしれませんが、実はとても超スピードでお互いのキョリが詰まっていると思っています。宜しくお願い致します。
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この回答へのお礼

長文恐れ入ります。
細胞増殖の喩えや、一人が悟れば皆悟ると言う箇所のイメージは共有できていると思います。これは差を取るのイメージと言ってよいのでしょうか。
ただ、論理とイメージによって立証できる、と言う部分が理解できていません。
 
コミュニケーションは多少ズレて居ますが、ハンドルの遊び部分のように、多少解釈に余裕があった方がスイスイ会話を運転できるかなぁという気持ちもあります。一つ一つの差を埋める作業も大切かと思いますが、まずは、ザッキーさんのおっしゃりたいことの概観をつかめたらなと思っております。
全ては一つ・・・そこからです、というザッキーさんの言葉にはなにか魅力を感じますので、その続きを聞きたいなと思っています。

よろしくお願いします。

お礼日時:2011/05/28 12:29

 たぶん、


 理想は持っているのだけれど、なんかもう一つしっくりしない、確信のようなものが持てない、といった気持ちがあって、こうした質問をしたんだろう、と推測しましたが“たぶん”当たっていると思います。

 よく云う処の“真理”なるものを掴みたいのではないでしょうか。

 私にとっての答えは、自身の好ましい心=優しさとか、善い意味での向上心、と云った心は神とか佛とかいう世界の精神の反映である、と受け止められたことです。

 宇宙の本体は『絶対の大心霊体である』といった、お坊さんがいますが、この宇宙の現象は物質と精神の合体であると、受け止めることに違和感がなければ、宇宙の精神も人の心も同質と思えます。

 たとえて、大海を宇宙の精神、とするならば人の心はコップの中の海水、と言えます。

 ・・・・・なんて、考えるようになったら自分の好ましい方の心に随えばよいのだ、と思えて心が安定しました。

 もちろん生身の人間、俗人ですので目先の喜怒哀楽に一喜一憂してますが、「人生」なるものへの疑問は解消し、その意味で心は安定しています。
 
 

 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
回答者さんのたぶんは当たっています。理想は持っているのだけれど、実際ではない。むしろ実現するという方に主眼をおいたほうが、まっとうな歩き方ができるのではないかと言う問いかけでもあります。できもしないことを追いかけなくてもすむでしょう。

宇宙と自身が同質であるという考え方はわかる気がします。エーテルと言う概念がありますが、それでも説明がつくかと思います。
しかし命は短くて、若さも短くて、我々が長大な宇宙と比べれば随分と異なるのも事実です。そのような中で、おっしゃる好ましい心=やさしさとか向上心 といったものが、俄然現実味を帯びて、人生の伴侶として相応しいように感じられます。

お礼日時:2011/05/26 00:15

zakky74でございます。



差を取るという事のイメージの共有について、伝達不足である事を確認しました。失礼致しました。

lightwave8さんがその様に受け取っている事は分かりました。ですが僕がお応えした方向性と違いますので、どこまで迫れるかは分かりませんが、今一度お伝えしてみたいと思います。

>現段階ではそう受け・・・と同義になるのかなと。

実は、現段階のその理解が既に誤っています。
誤って理解・・・誤解でございます。
何とか解消したいです。

>空による擬似非の悟りに・・・も考慮しての事です。

僕は、そのアンチテーゼみたいなものの内容までは分かりませんが、仰ろうとする事の何たるかは分かる様な気がします。

ですが、それとは明確に違います。

>「個にして全、全にして個」・・・はわかるのですが、

明確に分かる場合は、全ての個を明確に説明できます。

>それそのままでは何の解決にもならないなと思ったりもします。

ですので、抽象的に分かっている状態なのだと推察します。

>根拠や背景と言うのは、自分がどうしたいのか、何ができるのか、と言うことに注目・・・、と言うのです。

なる程ですね。
大変、参考になりました。
ありがとうございます。

>ですから、差を取ると言いましても、・・・何であったといえるのでしょうか。
>そうして全ての差を取っていったとき、それで全てはどうであったと言えるのでしょうか。

lightwave8さんの、差を取る・・・の理解ではその様になるかもしれませんね。その判断基準ですと、仰る通りでございます。つまり、全ては一つ・・・だったら、全てが違って見える(個々の)全ての現象をどう理解して、どう説明すれば良いのか・・・有り体に言えば、どう生きれば良いのか?に対して答が出ません。

>ザッキーさんのお話は、梵我一如の教えに近いものがあるのかなと思って居ますが如何でしょうか。

なるほど、その様に受け取っていらっしゃったんですね。
ですが、それとは明確に違います。

ここからは何がどう違ったのか?という事を共有出来たらと思い、振り返りを含めながらlightwave8さんの誤解に対する理解、僕の説明不足に対する理解になれば(共有、理解・・・の主語は、僕とlightwave8さんの両方)良いなぁと思っています。

宜しくお願い致します。

ご質問は、差を取るとはどういう意味であったのかでした。それは、僕が印象に残っている言葉を羅列したセンテンスからlightwave8さんが引っ張ったものでした。

「悟りは差を取る事だから。」

が入っているのはNo12の

>>>>>>「明確に細胞が誕生してからは、細胞が細胞をコピーするでしょ?それと同じだよ、悟りも。一人が明確に悟ったら、隣の人も必ず悟るハズ。悟りは差を取る事だから。その時代の人、全員が悟らないとその悟りは偽物だよ。」

の箇所ではないかと思います。恐らくlightwave8さんは、ここを中心に疑問が生じたのではないかと思います。或いは、漢字・ひらがなに拘らなければ、同じ差を取るという表現は、

>>>>>>「悟りも思い込み。だって、悟りが何であるかを他の人が確認できないんだったら、思い込みと一体なにが違うの?今までの悟りは思い込みと同じレベル。今からの悟りは違うよ、明確に。確認出来る。テスト出来る。今はね、論理とイメージで立証出来るんだよ。だから、誰もが皆、悟れる。悟りが当たり前、悟りは差を取ることだから。」

にも触れています。lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージの方を活用しましょう。

その場合、「一人が悟ったら、隣の人も必ず悟るハズ。・・・」などと言う表現が出ますでしょうか?ここには、「必ず」だとか「ハズ」という言葉が入っておりますし、「その時代の人、全員が・・・」などと言っている訳です。

繰り返しますが、lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージでは、その様な事が起きるものなのでしょうか?歴史はどうでしたでしょうか?

同様に、もう一つの方を確認したいです。

もう一つの方には、「悟りも思い込み。だって、悟りが何であるかを他の人が確認できないんだったら、思い込みと一体なにが違うの?今までの悟りは・・・」などと触れてありますが、この様に言い切っている理由について思いをめぐらしてみて下さい。

lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージではこの様な表現が出てきますか?lightwave8さんの仰る悟りは、第三者が確認可能な悟りなのでしょうか?即ち、「論理とイメージで立証出来るんだよ。だから、誰もが皆、悟れる。」という事なのですから、lightwave8さんの仰る悟りや差を取るのイメージですと、次に僕から(或いは第三者から)確認のテストが来る事になります。それは別の機会にするとしましても、lightwave8さんは論理とイメージによって、それが悟りであるかどうかを確認できないのでございましょう。

ですから、僕がお伝えした悟り(差を取る)についても、論理とイメージによる確認(質問)が途中段階で終わっており、何となく分かった様な抽象的理解で留まっています(そして、僕も説明を怠りました・汗)。

如何でございましょうか?

lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージでは、そうした論理とイメージによる確認や立証、若しくはテストが出来ないのでございます。

ですから、(明確な確認やテストでなかったとしても)主観的な悟りに対する質問に対する見解は応える事が出来ますが、客観的な悟りに対する質問が来た時には応える事が出来ないのでございます。

(それが悟りとどうして確認できるのか?・・・など)

答を持っていますでしょうか?
lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージは。

もし答があるのでしたら、お応え頂きましたらそこから話を進めましょう。もし答が無いのでしたら、ここからはlightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージが、具体的に何に弱いのかについて確認しつつ、僕がお伝えしようとした「差を取る」とのイメージとの違いについて共有できればと思います。

>>>>>>>>悟りは差を取る事だから。
>>>>>>>とはどういう意味でしょうか。

に続き、

>>>>>>悟りとは何でしょうか?という悟りのWhatについて、五感覚脳の認識でも理解出来る表現が、悟りとは差を取る事という表現ですね。

とお応え致しました。ここで、説明不足があります(すみません・苦)。五感覚脳の認識というのは、人間だったら誰もがやっている認識活動の事で、この人間五感覚脳の認識にはクセが3つあります。

1.部分だけを取る
2.違いだけを取る
3.過去のイメージと繋げて取る

ですから、人間五感覚脳が認識する世界は、分離・バラバラ・複雑・・・です。そんな分けられた世界を前提として、その中でどう理解して、意味・価値を見出すのかが人間がやっている事です。

その場合、多様な分けられた世界が生じます。lightwave8さんの仰る「差を取る」のイメージですと、「五感覚脳の認識でも理解出来る・・・」とはならないのではないでしょうか?

現に、lightwave8さんは理解出来ていますでしょうか?

僕がお伝えする「差を取る」ですと、五感覚脳の認識でも理解出来る状態ですので、分離・バラバラ・複雑・・・の世界を、理解して、意味・価値を見出すという事です。全ては一つ、以上、終わり・・・では、ありません。そこから・・・です。

全てが一つを理解した・・・だったら、複雑に見える全ての現象を、本当に一つから出来ているのかを検証したいじゃないですか?その検証作業なしに、確認作業なしに、一体どうして全てが一つだと言い切る事ができるのでしょうか?

検証・確認作業が無い状態では、単に一人よがりの悟りであり「差を取る」です。それは、その人の主観の悟りでもあるので、「思い込み」と何ら変わりがありません。周りの人から見ても確認出来る事が重要ではないでしょうか?

それ故、以下の事を確認出来るとお伝えしました(No12)。

>>>>>>自分と自分以外の差を取る。
>>>>>>神と神以外の差を取る。
・・・
省略
・・・
>>>>>>違いと同じの差を取る。

取り分け、lightwave8さんにご注目頂きたいのは、

>>>>>>N極とS極の差を取る。
>>>>>>粒子と波動を差を取る。

です。

梵我一如の教え・・・その時代には、この様な概念があったのでしょうか?そして、その時代の人間には、意識イメージとして粒子や波動などの明確なイメージなどがありましたでしょうか?特に、ここには多様な方程式が駆使されているケースもございます。そのイメージは?

そうしたイメージの差、概念の差、それを取るという事です。
まず、差を確認せねば始まらないのではないでしょうか?

だって。
取る差がない(笑)。

そうした人間五感覚脳の認識によっても理解出来る!・・・そんな差の取り方であると言っています。抽象的な差の取り方ではございませんね。とは言え、

相対性理論と量子論の差を取る。
重力・電磁力・弱核力・強核力の差を取る。
実数と虚数の差を取る。

を付け加えておけば良かったと、僕側では反省しています。
文字制限もありまして・・・ここまでで一旦如何でしょうか?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私がする覚りの説明は、人格の完成や、苦悩からの解脱、安らぎと言ったようなことです。差を取ると言うのはあまりイメージとしてはありません。

よければ説明を続けてください。今の段階ではまだなんともいえませんし、理解もあまりしていないようです。因みに私は物理には疎い方なので、やさしい説明をよろしくお願いします。

>lightwave8さんは論理とイメージによって、それが悟りであるかどうかを確認できないのでございましょう。

覚りとは自覚できる性質のものであって、第三者に証明する必要の無いものだと私は考えています。覚った証拠を見せてみろと言われれば、自分を見せる以外に方法は無いのでは無いでしょうか。覚った者の振る舞いや言動を見て、他者が彼を覚者であると見るか否かは他者の問題であって、覚者自身の問題では無いような気がします。因みに聞いたところでは、覚った者には幾つか身体変化が生じ、それは他人にも確認できるものであるようです。

まあ私の覚り観はおいておいて、ザッキーさんのお考えを述べてくだされば結構ですので、よければ続きをお願いいたします。

お礼日時:2011/05/25 18:54

zakky74でございます。



実は、胸の内を明かしますと、僕が差を取るという事の意味をお伝えした後のlightwave8さんからの返事を受けて、僕は少し違和感の様なものを感じていました。それ故に、確認したところがございます。

>>・「自分」と「自分以外」の差を完全になくしてしまう事、の意味だったのでしょうか?つまり、自分もなくなり、自分以外もなくなり・・・という事の意味だったのでしょうか?
>そうではないですし、そういうことはありえないと思います。

>>・「自分」と「自分以外」の差をなくす・・・それは「自分」から「自分以外」までの架け橋を渡し、また「自分以外」から「自分」までの架け橋を渡し、「自分」と「自分以外」の両者を行ったり来たりする・・・という事の意味だったのでしょうか?
>差をなくすとはおよそ分別にこだわらないの意味だと取りました。両者を行ったり来たりすると言うイメージはありません。

>以上のような感じですがいかがでしょうか。

なるほどですね。

lightwave8さんの差を取る、差を取り去るという意味を聞いてみてですが、その形で受け取って頂いても構わないですが、僕がお伝えしたかった全体像ではなかった事が分かりました。やはり説明不足でしたか。お応え頂きありがとうございました。

そして更に確認したい事ですが、今回のlightwave8さんの受け取った事によりますと、lightwave8さんは、

・自分もなくなり、自分以外もなくなり・・・という事は不可能だと思っている。

・分別にこだわらない・・・という差をなくすはありますが、分別にこだわる・・・という差をなくすは無いと思っている。

と、現段階では受け取っているという事ですよね?
そして、そう思っていらっしゃる何かしらの根拠や背景があるんですよね?
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この回答へのお礼

>と、現段階では受け取っているという事ですよね?
>そして、そう思っていらっしゃる何かしらの根拠や背景があるんですよね?

現段階ではそう受け取っています。物事を空じれば確かに差はなくなるのですが、自分と他の差をなくしたり、分別にこだわるという差をなくしたりすると、結局は何もしていないことと同義になるのかなと。空による擬似非の悟りに対するアンチテーゼみたいなものがありまして、差を取り過ぎないということも考慮しての事です。「個にして全、全にして個」などの言葉もありますが、それの意味するところはわかるのですが、それそのままでは何の解決にもならないなと思ったりもします。根拠や背景と言うのは、自分がどうしたいのか、何ができるのか、と言うことに注目しているということがあるでしょうか。
ある経典には、森の中で座禅する僧、舎利仏を、在家の信徒、結摩詰が叱ると言う描写があります。舎利仏は「在った」のでしょうが、行為はしていません。その事を指摘されたのでしょう。何を振舞おうが振舞わないでいようが、心が動じているようであればそれでは定とは言えない、と言うのです。

ですから、差を取ると言いましても、行為していることと行為していないこととの差を取ると、それでは行為について何であるといえるでしょうか。分別にこだわらないことと、分別にこだわることとの差を取るといったとき、確かにある種の平等は認められるのですが、その時分別そのものは何であったといえるのでしょうか。
そうして全ての差を取っていったとき、それで全てはどうであったと言えるのでしょうか。
ザッキーさんのお話は、梵我一如の教えに近いものがあるのかなと思って居ますが如何でしょうか。

お礼日時:2011/05/23 18:36

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