
大東亜戦争で、「貴様と俺とは同期の桜」などと歌われ、また、「桜花」などの「桜」の文字を含んだ兵器や軍事用語なども見られました。
「花と散る」という概念が「戦い」になじむのだろうとは思いますが。
ただ、振り返って考えると、疑問がわいてきます。
質問1. 桜はユーラシア大陸に古代から自生しており、日本特有のものではありません。桜について、戦争とのこだわりを持っているのは日本人だけでしょうか。
質問2. 歴史的に検証可能な文献等で、「桜」と「戦い」を結びつける記述や証拠はいつごろに遡りますか。
質問3. 春の花にはもう一つ、「梅」があります。「梅」も日本人の心の故郷だとは思いますが、何か、構造的ないじめを感じます。例えば、「梅干し」、「梅雨」、「梅毒」、「ばい菌」など、梅のイメージを悪くする言葉は結構あります。これは単なる偶然でしょうか。それとも、何か体制的な意図が働いたのでしょうか。
回答は一部でも、個人的意見でもかまいません。よろしくお願いします。
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
日本の古典には様々な形で桜を読み込む作品がありました。
例えば西行の辞世の句「願わくば 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」を筆頭に徒然草の「花は盛りに月は隈無きを見るものかは」など数多くのモノが知られています。他方、中国の古典では「花」といえば「梅」を指す呼称です。そして「高貴な身分」や神仙を象徴するのは「桃」です。
万葉集には梅と桜を扱った作品の双方が収められていますがデータとしては前者の数が118首に対し後者は44首であり、奈良時代の意識としては「花=梅」が主流だったことをうかがい知る事もできます。
逆に「花=桜」の認識が一般に広まってくるのはそれ以後の平安時代から鎌倉・室町あたりからとされていて、この背景として挙げられている要因が「大陸文化の摂取」いわゆる「遣唐使」の存在です。
世界の先進文化を採り入れることで先進国の仲間入りを目指した一端が現れていると解釈され、それが文学の世界にも反映されています。そして平安時代には遣唐使が廃止されたことにより「花」の解釈が梅から桜へとバトンタッチされたとされています。この時期が古典の世界では「古今集」に代表される平安文学の時代です。
近代日本の政治過程に登場するナショナリズムの思想的基盤とされる「国学」殊に水戸派の考え方はこうした点で事実を誤認していると指摘されても反論の余地は殆どないでしょう。何しろ「国学」には学問としての合理性が何一つ存在していないのですから。
本居宣長が「原点回帰!」と叫び「敷島の~」との歌を詠んでも、彼が理想とした時代の「花」は「梅」の事だったのですから、それだけでも古典の素養を欠いていると酷評されても仕方のないことでしょう。
桜に「魂鎮めの象徴」としての意味を求めるならば、奈良県の飛鳥から吉野一帯の桜と霊場信仰の関係を繙いてみれば判るかもしれません。京都の古刹では桜を見かけることも珍しくありませんが、奈良の古刹では余り見かけることはありません。寧ろ大和地方から生駒を越えて大阪に入るとそこには「櫻姫」の原型となった「信太妻」の信太の森があります。神社と櫻の関係ならば民俗学に詳しい成果があるかもしれません。
植物学的には両者共にバラ科の植物ですが、花見の時に愛でる桜と果実を食する桜(実桜)は種類が異なります。この点だけは確かです。
No.6
- 回答日時:
他の回答者さんたちがおっしゃるとおり、桜(ソメイヨシノ)が人気になるのは主に明治以降の話で、特に戦争につながる考え方としては、ソメイヨシノの「パッと咲き、パッと散る」姿が軍人の美学に通じるものがあったからだと思われます。
しかしこの、「パッと咲き、パッと散って」は困るものが世の中にはあります。それが何かといえば、それは「家」です。その家の血筋がパッと散られては困りますね。その辺は「末広がりに、末永く」にしたいところです。
ですから、いわゆる家紋にはソメイヨシノは使われていないそうですよ。そういわれてみれば、こんなに日本人に親しまれている植物にも関わらず見た記憶はないですね。
梅も日本人に親しまれた植物のひとつです。梅で最も有名な和歌といえば、
東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ
でありましょう。
梅毒については、感染したときにできる疱瘡(できもの)が梅の実に似ているからという説があるそうです。梅雨は、梅の実ができる頃に降る雨という説もありますし(ただし、あまり有力ではないらしいです)、ばい菌に至っては「黴」の字を当てるので梅とはまったく関係ありません。もし同じ音だから関係があるというのなら、橋と箸にも関係はあるといえてしまいます。後ろという言葉に「うし」が入っているから牛と関係あるのかっていうと、たぶん関係ないでしょ。梅干しについては梅の実を漬物にして干したものを指すのですから、それの何が悪いイメージを彷彿とさせるのか私には意味が分かりませんでした。
前述の和歌を始めとして、梅についてもポジティブなイメージを彷彿とさせるものはいくらでも出せますから必ずしも梅は日本人にとって悪いイメージとは限りません。
ただ、ソメイヨシノが派手に咲いて派手に散りますから、その「スター性」にはかなわないってところはあると思います。そもそも桜といっても八重桜とかしだれ桜とか他にも種類があるけど人気なのはソメイヨシノだけですからね。
No.5
- 回答日時:
桜というと一般にソメイヨシノを思い浮かべる人が多いでしょうね。
ソメイヨシノは江戸時代後期に作出された品種ですが、染井吉野と名づけられたのは1900年頃と言われています。それから数年後に日露戦争があり、その戦勝の記念として軍の駐屯地や学校に植えられたのが、ソメイヨシノが全国に広まった端緒と言われています。だから軍施設には桜が多いために桜=軍のイメージが生まれたのではないでしょうか?また、日露戦争後のナショナリズムの興隆に伴い、パッと咲いてパッと散る桜のイメージを、日本人が持つ自己犠牲を厭わない勇敢な潔さと捉え、他の回答者の皆さんご指摘の「敷島の~」の本居の思想と合わせて「大和魂」の象徴としていったように思います。ですから、質問者様の言う「桜=戦い・戦争」というよりも、「桜=日本軍及び日本軍人・大和魂」というイメージがあった、と捉えたほうがいいと思います。以上から質問1についてはそのとおりだと思います。花を楽しむ品種としてここまで発達したのは日本だけで、他のアジアでは日本ほど桜に思い入れはないようです。また、西アジア以西のほとんどは桜は果樹の一種程度の認識です(西洋ミザクラといって、同じ桜の仲間ですが日本も含む東アジア産の桜とは品種が違います)質問2については判りません。
質問3ですが、梅干はそのまま梅の実を干したもののことで、悪意は考えられないでしょう。また「梅雨」「梅毒」「ばい菌」ですが、この場合は元々は黴(カビ・読みはバイ)の字を当てています。「ばい菌」については梅の字を当てているのをまだ見たことがありません。「梅雨」「梅毒」については黴と音の同じ梅の字を当てただけだと思いますし、何より桜がご指摘のような意味でもてはやされるようになったのは明治以降。梅雨・梅毒はそれ以前からある言葉ですから、体制的な意図とかは無関係だと思います。
No.4
- 回答日時:
回答1
桜に対する感性が日本人特有のものなのです。同じものであっても人によって受け止め方が異なる。それを見て何を思うかが欧米人と日本人は異なる。例えば、アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンには子供の頃、父親から貰った斧で桜の木を傷つけて、翌日発見した父親に正直に犯行を自白したところ、咎められずにその正直さをほめられたという逸話があります。これは作り話だったらしいのですが、この逸話から読み取れることは桜の木はジョージ・ワシントンの人柄を宣伝する為の出汁にしか使われていない。斧に傷つけられるための小道具としての意味しかないのです。それに対し桜は万葉集の昔から日本人に親しまれていた。桜を取り上げた和歌は数え切れないぐらいあります。例えば、
春雨の、しくしく降るに、高円の、山の桜は、いかにかあるらむ
奈良県の高円山の桜が春雨で散ってしまっただろうか、それともまだ持ちこたえてくれているだろうかと気を揉んでいる心情を表現した歌なのだろうと思います。散ったからといっていったいなんだというのかといってしまえば見もふたもない話で、それでもそういう歌が1000年の時を越えて現代にまで伝えられている。気を揉んでも散る時は散るし、いつかは必ず散るのです。それでも自分の気持ちを表現せずにいられない。これが日本人特有の感性なのです。特に戦争に結びつける意味などありません。共に戦う仲間が同じ日本人として共通する感性を持っていることを確認したいという程度の意味なのです。
回答2
いつの時代も日本人と桜は共に歴史を刻んできたというまで。戦争の時だけ疎んじる理由はありません。
回答3
梅も桜と並んで日本人に親しまれてきました。時代の流れで桜の人気が優勢になってきた感じですが、万葉集の頃はむしろ梅の人気の方が優勢だったのです。
鴬の、木伝ふ梅の、うつろへば、桜の花の、時かたまけぬ
構造的ないじめ?気のせいです。元々の「バイ」という読みの漢字が当用漢字から外されて似た字体の「梅」が当てられただけです。要は戦後の国語改革の悪しき副作用なのです。
No.3
- 回答日時:
『桜と日本人』 新潮選書 という本もありますよ。
戦争と桜を結びつけるようになったのは、明治以降だとどこかで読んだことがあります。
ソメイヨシノが咲いていくらもしないでパッと散るから、それと戦争をくっ付けてるんですよね。
ソメイヨシノが江戸時代に開発されるまでは、桜といえば主に山桜だったそうですね。山桜って、ソメイヨシノほどすぐにパッとは散りません。うちの裏山に山桜とソメイヨシノと両方ありますが、散る早さに差があります。
山桜の散り方は、木に咲く花の散り方としては普通の早さじゃないかと感じてます。藤でも木蓮(もくれん)でも割と早く散ります。
植物の花はだいたい皆、はやく散ります。「○○の花が咲いたねぇ。」と家族や近所の人達としゃべっても、ちょっと経つともう色が茶色く変わってしぼんで終わりです。花の命は短いです。
美女、小野小町が花の短さと自身の若さの短さを歌った歌が百人一首にありますが(忘れました。・・・我が身世にふる ながめせしまに・・・とかいうのだったような)、この歌の花は平安時代ですから明らかにソメイヨシノではないですね。
日本人は平安時代から桜が大好きです。梅も好きですが、桜の方がもっと好きです。日本の文化と千数百年を共にして来た桜は、日本を代表する花です。
戦争と結びつけて考えたのは主に明治から昭和20年までです。戦争と結びつけて考えなかった歳月のほうがうーんと長いです。
雑多な記になってすみません。
No.2
- 回答日時:
日本人が好きな花の一位は桜で欧米人が好きな花の第一位はバラなんです。
それ位桜は日本人が好きなものなんです。
なぜか?日本人の特徴である「潔さ」が起因しています。
この潔さというのは中国や韓国の大陸文化では決して分からない
日本人(島国)特有のものなんです。
その日本人の民族意識を現した詠があります。
本居宣長の詠です。
作者は至上の清らかさを歌ったもののようですが、後世、特に戦争中は
「散りぎわ」の潔さが特に強調されました。
いずれにせよ日本人の心、生き方を象徴する名歌と言えるでしょう。
「しき島のやまと心を人問はば朝日に匂ふ山ざくら花」
どうですか?とても美しく日本人であることを誇りに思いませんか?
また武士道の
「武士とは死ぬことと見つけたり」
この一句は生と死を選ばなければならない場合、
死を選ぶのが武士の本懐ということを説いた山本常朝の
葉隠に書かれている序文です。
忠を中心とした武士道、戦時中は天皇に忠を持ち、
潔く死ぬ。
この武士道精神と日本人の民族意識が桜という形で見事にマッチしたのです。
だから戦時中は武士道と桜を強調したのです。
(当然いいように利用されただけですが)
また、バラと違って桜はみんなで散ります。
とても美しいです。それが軍隊の団結心と結束力を向上させたのです。
今でも自衛隊の飲み会では「同期の桜」を歌います。
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