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宇宙誕生の前には「時間も空間もない無」だとか、
宇宙の外も「無」だとか説明されてますが、
よくイメージできません。

「『無』の世界が『有る』」というのも???です。

どなたか、教えてください。
お願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

ideaismさん、こんにちは。

無について考える前にトポロジーについて考えてみましょう。空間には必ず境界や外部があるわけではありません。例えば1次元ユークリッド空間Rには境界や外部はありません。有限な多様体でも境界がないものはいくらでもあります。例えば線分は両端という境界を持ちますが、これを閉じて円にすると境界はなくなります。一般相対論と宇宙原理によれば宇宙の可能な構造はたった3種類しかありません。曲率が正の場合と0の場合と負の場合です。曲率が正の場合は閉じた有限な宇宙となり、0の場合と負の場合は開いた無限の宇宙になります。このことはずいぶん昔から分かっていたことなのですが、曲率の値は長い間分かりませんでした。最近ではCOBEの観測などから曲率は0ではないかと言われているようです。曲率の値がいずれでも宇宙の境界とか外部のようなものはありません。btf2003さんが言われるように宇宙の外に無があるのではなく、宇宙の外というもの自体がないのです。最近宇宙が多重連結空間になっている可能性が検討されているようです。すると曲率が0や負であっても宇宙が有限であることが可能になります。その場合でも宇宙の境界とか外部のようなものがないことに変わりありません。
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ビッグバンの前はどうだったとか考えてしまいますね。

「無」であったとか言われてもほんとうにイメージはわきません。個人的には「有」しかなかったと思いたいです。説明上、「無」という概念を使っていると考えたいですね。右という概念を創ってしまったので、同時に左が生まれた感じかな。

アクティブ消音というのか専門家でないのでわかりませんが、(騒)音って波長だと思いますが、逆向きの波長で音は消えるそうです。音で音を消すって言うことですが、宇宙の無っていわば、その消された状態であったものが揺らぎか何かわかりませんが、有になったというイメージはどうでしょうか。

騒音というノイズがあり、我慢できません。そこに、そのノイズの逆方向の波長にすれば、ノイズはゼロというか直線というか、ノイズは消音される原理があります。ビッグバン以前の宇宙ってそのアクティブ消音状態と言うことです。今は、消音されていない状態と言うことになります。

あくまで私が思いついたイメージでした。
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>物理学者が名声を上げるために、よくわからないことを『無』と、いかにも難解なように言っただけで、本当は本人も解ってなかったりして・・・



物質が全く存在しない状態が「無」という
ところだというのは全て共通している
単純なことです。

 ただ宇宙論の場合は、物質が存在する器と
しての空間がない状態が予想されるので、
空間がなければ当然そこには物質もない
つまり「無」だろうと言っているわけです。

>「『無』の世界が『有る』」というのも???です。

 宇宙論から離れて、空間があっても、
つまりこの宇宙の中にも無という状態が
本当に存在するかということについては、
記録に残る限り2000年前のギリシャ
時代からあります。
 17世紀に現代物理学が発展し始めたころ、
数学者ルネ・デカルトが無の存在はありえないと
して幾何学的議論から(現在、中、高校で教えて
いるような)原子論、つまりこの世の物質は
粒の集まりだとう考えを否定しています。

 ビリヤードのボールのような、球を寄せ集める
ことを考えてみて下さい。何かの固まりを集めると
その間に必ず隙間ができます。
 ビリヤードのボールの話なら、その隙間には
空気がありますから無には見えませんが、
話が物質の究極の形、つまりこれ以上小さい
ものはないという素粒子という話になると
事態が変わってきます。
 これ以上小さいものはないわけですから、
素粒子の固まりの隙間を埋めるものがない
のです。つまりその隙間には物質が完全に
存在しないので、完全な「無」のはずです。
 
 以上のような考えをデカルトは幾何学的
思考から厳密に論じ、「無」は存在しない、
原子(今で言う素粒子)という物質の存在も
ありえないとしました。

 しかし、原子という形での存在がなく、
「無」の空間がないのだとすると、この世は
全て物質で満たされていることになり、
人間の把握できる物質以外の存在はありえない
ことになりますので、本当にそうなのかと
いう議論が続いたのです。

 神の存在を信じていたデカルトの考えを
逆手にとって、同時代の哲学者ボルテールは
「この世の無という隙間がなく、物質だけで
全て満たされているのだとすると、物質とは
違うはずの神は一体どこに存在しているのか?」
とデカルトに反論しています。

 これだけ聞くと単なる哲学ー宗教論争の
ように聞こえるかもしれませんが、20世紀の
はじめに一旦認められた原子論(素粒子論)
が否定されつつある現在、デカルトの議論、
つまり「無」は存在しているか?原子は
存在しているか?という疑問は
未だ現代科学の議論の中心にあることが分かり
ます。
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ANo.#7の方の答は、一つの考え方として正しいと思います。


もう一つの考え方として、「『無』の世界が『有る』」とイメージするなら、それは可能だと思います。

我々は、物質が存在する世界で生きていますから、先ず物質がないと言うことそのものを認められないだけなのです。
理論物理学の世界で、これ以上分けることが出来ない物質を素粒子とする考え方があります。
一つの考え方として認めるなら、素粒子が一つしかない世界はイメージできると思います。
この世界には果てはありませんね。
これがイメージしにくければ、1000個有る世界ならイメージできるでしょうか。
今イメージした世界は、粒子の個数という観点から有限の世界です。
この有限という言葉及び状態を、先ず頭に入れて下さい。

今仮に、判りやすく地球という一つの世界を考えてみましょう。
そしてあなたの手を見てください。
手の指の爪、その爪はもしかしたら何億年か前は、恐竜の体だったかも知れませんね。
もしかしたら木の幹だったかも知れない。
ここにあるのは一つの組み合わせの問題です。
組み合わせが有る限り、そこには時間が存在します。
今この組み合わせの世界を地球に限れば、時間が有限であることはイメージできると思います。
そうでなければ全く同じ世界が何度も出現することになりますからね。
こういう説明で有限を理解していただけるなら、無限のイメージも可能ではないかと思います。

そうそう、必要なのは、時間も空間もないと言うことの説明でしたね。
先ず時間が無いという事は、素粒子が無い状態をイメージしていただければ、簡単に説明できるかと思います。
時間という物のイメージを我々は、知らず知らずのうちに変化の中に求めて居ます。
変化の生じ得ないところに時間は存在し得ません。
素粒子さえないのですから、当然空間は存在し得ません。

宇宙と我々が言う場合、そこは限られた世界です。
有限の向こうには、何もありません。
これは、太さの無い一本の線を考えていただければ、判りやすいと思います。
これを線分とすれば、有限ですが、線分の向こうはどちらにも無限です。

この考え方は、不思議な絵と呼ばれる点で描かれた訳の判らない絵と全く同じです。
上手く合えば、全く別の綺麗な絵が現れますが、そのまま見たのでは、何が描かれているのか全く判りません。
禅問答の絵画版と言ったところでしょうか。
でも、確かに全く違ったものが見えます。
これと同じで、時間も空間もないことも、「『無』の世界が『有る』」ことも、間違いなく正しいのです。
でも、これでは答になっていないかなあ。
単なるヒントと言うことで、自信無しとしておきます。
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 四角い水槽をイメージしてください。


物質は中に入った水で、空間は水槽です。

 物質は水槽という空間の次元で支えられています。
高さ方向のある水槽の中にあるので、中の水にも
高さがあります。つまりこの状態だと
水は3次元的に存在しています。

 水槽を破壊すると、水は回りの床に
流れて広がります。床が二次元的な
面なので、この状態では水は二次元的に
存在するのです。

 空間の方向が無くなたぶんだけ、物質の
方向もなくなるということで、
上の水槽の例で言うと、
3→2次元と次元を落とすと
物質の次元も下がりますから、
そのまま0次元にすれば、物質は
存在しないに等しくなります。
つまり無です。
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No.5です。

解説をお願いされてしまいました。困ったな。

まず「片手の鳴る音やいかに」の方ですが、これは実は
私にも分かりません。何となく連想したので書いてしまったの
ですが、私が書いたこと自体に深い意味はありません。
元々は、考案と言って、禅の修行僧に悟りを開かせる(?)
ために考えられた定番の練習問題みたいなものです。
私は禅僧ではありませんので、答えは知りません。

「北極点よりさらに北にある地面」ですが、物理的に考えれば
「そんなものはありません」ということになると思います。
実体としては存在しないものなのに、概念としては構築できて
しまう。そこら辺の「言語」というものの不思議とも危険とも
言えるパワーについては、No.7さんが的確に指摘されている
通りです。
「ビッグバンの前」というのは、要するに「無い」のです。
「無い」ことをもっとはっきり表現するために「時間も空間も無い」
などともってまわったような表現を使ったのだと思いますが、
逆に、それで分かりにくくなってしまったような面もあるのかも
しれません。
ただし、現時点でもっとも矛盾が少ないと考えられている説です。
実証することは不可能ですから、実際はどうだったのかは
分かりません。
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「哲学」カテかな?と私も最初は思ったのですが、質問者はあくまで科学的な回答を求めておられるのです。


それをいうなら、この質問は「言語学」カテにも通じるんじゃないかと思います。

たとえば、砂漠に生きる民族の言語に「雪」という言葉はありません。というのも、必要ないからです。
同じようにエスキモーに「砂嵐」という言葉はありません。
何がいいたいかというと、言語というのは「あるもの」に対して定義されてきたという経緯があるということです。
ところがあるときから「ないもの」つまり抽象概念に対応する言葉も生まれてきました。
たとえば「権利」という言葉、これは実態がありません。が言葉はあります。これは明治時代に英語の「right」を輸入してきて漢字を当てはめただけの「和製英語」だったりします。それまでの日本には「権利」という考え方(=抽象概念)がなかったため「権利」という言葉もなかったのです。このため、「right」を訳そうとした当時の日本人は困ってしまいました。そして「権利」という言葉を作り出した、というわけです。

このように、実体に対応する言葉をレベル1、抽象概念に対応する言葉はレベル2と呼ぶとします。
で、質問者の言っている「無」という言葉はレベル2の言葉なのです。

一般的にはレベル1の言葉が多いので「言葉がある」=「実体もある」と考えがちなのですが、レベル2の言葉では「言葉があるからといって実体が伴うとは限らない」のです。ですから「『無』が『有る』と考えるのは早計です。
レベル2の言葉はたくさんありますよ。「愛」「信頼」「友情」「心」などなど。

ですから、「無」というのはあくまで科学者が実体として存在しない(もしくは人知では図りえない)概念を、一般人に説明するために便宜的に作り出したレベル2の言葉ではないかと、私は考えます。
で、レベル2の言葉でもイメージは湧くものもありますよね。たとえば「心」とか。これは「あるということは科学的には証明できません」。が「なんとなくわかります」よね?
質問者は「無」についても同じように「なんとなくわかりたい」のだと思います。私もわかりたいです。でも「なんとなくでもわからない」のだとおもいます。それが歯がゆいんだと思います。

私も同じような思いですので、気持ちはわかります。
しかし、「北極点よりさらに北にある地面」、うーん、言いえて妙ですね。優秀な科学者の頭脳の中にはこういうイメージが「なんとなく」つかめているんでしょうね。
こういうイメージをつかめる人が「天才」なんでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。。。

レベル2(抽象概念に対する言葉)に関しての説明は非常にわかりやすかったです。

おしゃるとうり、「無」について「なんとなくわかりたい」のですがわからない。
物理科出身の私は、四次元時空に関しては、それまでイメージできなかったのが、なんとかイメージできるようになりました。相対論は飛躍が無いためです。
しかし、無に関しては実験的に証明できない事を、勝手に言っているという印象を受けます。
「これは、科学なのか?」と疑問にも思います。
物理学者の中にも、ホーキングの宇宙論に疑問を唱える者が少なからずいると聞きました。
まだ、ぜんぜん確定できない仮説の一つにすぎないものを
「これが先端物理だ」という論調に疑問を覚えます。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/10/14 15:20

>宇宙誕生の前には「時間も空間もない無」



ではなくて、宇宙誕生の前には時間も空間もない。
(「広義の天文学」の考え方によると)

>宇宙の外も「無」

ではなくて、宇宙の外はない。
(「広義の天文学」の考え方によると)

あなたの疑問は「哲学」のカテゴリーで質問された方が、もっと深い答えが帰ってくるかも知れません。
それとも、他に理由があってこのカテゴリーを選ばれたのでしょうか?
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とりあえず、ホーキング等の理論を支持するなら、


「北極点よりさらに北にある地面」みたいなものですかね。

サリンジャーの「ナイン・ストーリーズ」の扉にある公案
「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音やいかに。」
を思い出しました。やはり「無」は宗教に通ずる?
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この回答へのお礼

>「北極点よりさらに北にある地面」
>「両手の鳴る音は知る。片手の鳴る音やいかに。」

お恥ずかしい限りですが、解説お願いできないでしょうか?
よろしくお願いします。

お礼日時:2003/10/10 03:37

人類の英知によってまだ知りえないこと、それこそが「無」ではないでしょうか。


井の中の蛙で考えると、蛙にとっては井の中が世界であり、すべてであるということで、井の外のことは無であると考えるでしょう。
しかし。頭のいい蛙がいて同じような井戸がまだ存在すると考える。
その時点で無の世界は有になった。
しかし、その外はと考えると、これはまだ無であると・・

知りえないことが「無」なのでしょう。
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この回答へのお礼

>人類の英知によってまだ知りえないこと、それこそが「無」ではないでしょうか。

んーー、それだったら『無知』とか『未知』という言葉の方が適切だろうと思います。

そうか!
物理学者が名声を上げるために、よくわからないことを『無』と、いかにも難解なように言っただけで、本当は本人も解ってなかったりして・・・

回答ありがとうございます。

お礼日時:2003/10/10 03:30

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