15、16世紀にメキシコ銀・日本銀の世界的流通によって、
特に中国をはじめとして、
アメリカをもちろんふくめて、世界の経済構造が大きく変わったと思うのですが、
そのことについて言及した、邦文・英文を問わないので、
論文・書物・専門書をおしえてください。
全世界史的なことでなかなか調べがつきませんので。

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A 回答 (3件)

 新大陸の銀がスペインを通じてヨーロッパへ大量流入したことの世界経済的な意味については、以下が参考になるのではないかと思われます。



・イマニュエル・ウォーラーステイン著『近代世界システム---農業資本主義と「ヨーロッパ世界経済」の成立---』全2巻、川北稔訳、岩波現代選書、1981年。

 ウォーラーステインの世界システム論は様々な批判にもさらされていますが、重要な著作であることは確かですので、読んで損はないのではないかと思います。
 この本は一種のベストセラー(私の持っているのは1997年に出版された第22版です)なので、多分まだ絶版になっていません。本屋で入手可能でしょうし、なかったとしても図書館には必ずあります。
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1の方と同じく国会図書館のwebopacでの検索です。

件名検索欄に「銀」と入れて検索したところ和書洋書あわせて69冊ヒットしました。そのうちの1冊が↓なんですが、参考になりますか?

Spenders and hoarders   the world distribution of Spanish American silver, 1550-1750
著者名  : Kindleberger, Charles Poor, 1910-  
出版地  : Pasir Panjang, Singapore
出版者  : ASEAN Economic Research Unit, Institute of Southeast Asian Studies
刊行年  : 1989
件名   : 銀 / 歴史 / Silver History. /
ISBN : 9813035285  

参考URL:http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/search.cgi?MOD …
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世界的流通ということになるかどうかはわからないのですが、国立国会図書館のWebOPACで調べたところ、


小葉田淳『金銀貿易史の研究』(法政大学出版局,1976)あたりに糸口がありそうな気もします。
この著者の方は中世・江戸時代などの貨幣などを中心として研究しておられるようです。
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この回答へのお礼

この本を実際にゲットしました。
ありがとうございました。

お礼日時:2001/05/23 13:42

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Qホームセンター?

休み日に人が多くなるところは色々ありますが、このホームセンターも人が多くなります。

コメリやバローなどの日曜大工用品などが売っているホームセンターです。

私は日曜大工をよくするので、よくいきますが、平日でも人が多いくらいです。ホームセンターとはこんなにも需要があるものなのでしょうか?

あなたはホームセンターでよく何を買っているのですか?

Aベストアンサー

何かをしたい直したい買いたいという欲求は百人十色、ですからその需要に応えているホームセンターなので混んでいるのかと思います。

私もその時々で、足りないものを買います。
歯ブラシ、台所用スポンジ、キッチンタオル、お米・・・
私みたいな人が多いのかも知れません。
だから賑わっている!

Qササン朝 銀の流通

歴史初学者です。

ササン朝ホスロー1世が銀を流通させて経済を発展させたというのは、つまりどういうことですか?

どのように銀を流通させ、結果なぜ経済が発展したのですか?

全くの初心者なので分かり易くお願い致します。

Aベストアンサー

貨幣というのは、一つの商品と考えたら分かりやすいと思います。

例えば、
小麦1に対して、魚2と交換する=物々交換経済

小麦1に対して、銀貨1枚と交換、その後、銀貨1に対して魚2と交換=貨幣経済


この時、確実に銀貨1と小麦1が交換できると人々が思わなければなりません。これが「信用」であると思います。
この「信用」は通常、国家が保証します。
貨幣に銀を使う場合、銀の含有量がその目安となります。
一口に銀貨と言っても、純銀で無いこともあり、その場合は信用が下がります。
また、銀貨の重さも一つの価値判断として用いられます。

例えば、現在の銀の指輪を思い起こしてみてください。
同じ大きさ・重さの銀の指輪でも、銀の含有率で価格が違いますよね?

つまり、「銀を流通させて経済が発展する」というのは、銀貨による貨幣経済の活性化を指す事だと思います。
その為には、「銀貨」の「信用」が大切となります。
この「信用」を得るには、銀の含有率や重さが一定でなければなりません。
古代の貨幣経済に使われる貨幣には、金・銀・銅などが使われます。
しかし、金は高価で貴重ですし、銅は価値が(相対的に)低いので大量な商品をやりとりするには向きません。
そこで、よく使われるのが銀となるのです。

ただ、この「銀貨」の価値を保つには、国家が安定していてそこそこの鋳造技術が必要となります。
ササン朝は、鋳銀の技術に優れ、またホスロー1世期には国内も安定していたため、周辺国家との物流のやりとりの価値基準の中心に据えられたみたいですね。(これを基軸通貨と言います)
まぁ、現代でいう米ドルみたいな感じですね。
「円が売られた、ドルが買われた」というのも貨幣が一つの商品であるというのを現していますね。

因みに、ローマ帝国の銀貨は時代を下るにつれて銀の含有量が下がったりするのですが、銀の含有量が下がるのと政情が不安定になるのとが一致する事があり、銀の含有量が国家が安定しているかの一つの目安になると言わる事もあります。

参考URL:http://ha-coins.shop-pro.jp/?mode=f5

貨幣というのは、一つの商品と考えたら分かりやすいと思います。

例えば、
小麦1に対して、魚2と交換する=物々交換経済

小麦1に対して、銀貨1枚と交換、その後、銀貨1に対して魚2と交換=貨幣経済


この時、確実に銀貨1と小麦1が交換できると人々が思わなければなりません。これが「信用」であると思います。
この「信用」は通常、国家が保証します。
貨幣に銀を使う場合、銀の含有量がその目安となります。
一口に銀貨と言っても、純銀で無いこともあり、その場合は信用が下がります。
ま...続きを読む

Q関西の大型ホームセンター

関西の大型ホームセンター

たいした目的もなくホームセンターへ行くのが好きです。
関西で、1日時間をつぶせるような大型のホームセンターってどこですか?
私は、阪神間に住んでますが、買物というより半分レジャーなので、多少遠くてもかまいません。

ちょっと昔、ポートアイランドにムサシというホームセンターができて、
あっというまに閉店してしまいました。大好きだったのに‥‥(お金は落としませんでしたが)。

Aベストアンサー

堺浜シーサイドステージの、ホームズは、結構デカイです。
デカイだけでなく、シーサイドステージには、ケーズデンキやら、温泉施設やら、映画館やらボーリング場まであって、レジャー感覚の一日つぶすなら、もってこいではないでしょうか。
http://www.seasidestage.com/shop/facil_homes.html


ただし、絶対注意することは、シーサイドステージに行く人を狙って、警察がねずみ取りしてます。
高速湾岸線をくぐって、次の左カーブを曲がるまでは、飛ばさないでください。

Q丁銀・なまこ銀

江戸時代の丁銀・なまこ銀って秤で計らないといけないお金でしたっけ?

Aベストアンサー

江戸次第の金銀貨は、江戸は金つかい、上方は銀つかいといわれ、東西で主につかわむる貨幣が違っていました。
銀はもともと重さによる秤量貨幣で、丁銀、豆板銀、なまこ銀、小粒銀などはすべて重量を軽量して使いましたが、のちには一分銀、一朱銀などの銀の定位貨幣も発行されるようになりました。
もともとは丁銀を端数はつかったりしていましたが、それでは不便というので豆板銀が作られました。
なまこ銀や小粒銀は西日本の一部で使われていた秤量貨幣です。

Qホームセンターには…

ホームセンターと言われる店の具体的な名前をいくつか教えて下さい。
ダイクマってホームセンターですか?

Aベストアンサー

参考URLに「ホームセンター情報」として全国のホームセンターの一覧表があります。

ダイクマはディスカウンストアです。

参考URL:http://www.remus.dti.ne.jp/~oiron/hc.html

Q世界史○世紀を一言で言うと?

現在大学受験のために世界史を勉強しています
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私の目指す東大ではかなり広い世界の各地域の関係などを問われることがあるのですが、各地域が同時代においてそれぞれどのような状況にあるか瞬時にイメージすることができません

現在イメージできるのは13世紀がモンゴルの時代というくらいです
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タイトルには便宜上一言と書きましたがそこまで短くなくてもいいです


回答お願いします

Aベストアンサー

東西の文化が交わる事象がおこった年代を中心にそこから時間軸をずらすという方法を私は取ってました。

メジャーな線でモンゴルに着想したのはいいと思います。少しマイナー(でもないかな?)な時間軸だと8世紀のタラス河畔の戦いですかね。これに関する資料を読めば中国は唐、中近東はアッバース朝ですので東西の時間軸が読み取りやすいですね。

Q岐阜県のホームセンター

岐阜県のホームセンター

岐阜県で最大の売場面積を持つホームセンターは何処でしょうか?

Aベストアンサー

スーパービバホーム岐阜柳津店
「売場面積11,284平方メートルで岐阜県最大級のホームセンターです。」
http://shop.vivahome.co.jp/user/svh/gifuyanaizu_svh/

Q20世紀の中国への移民 20世紀には、海外から中国へ移民する人もたくさ

20世紀の中国への移民 20世紀には、海外から中国へ移民する人もたくさんいたと思います。
日本人や韓国人は、中国のどこへ移民したのですか?
日本人は、満州への移民が有名と思いますが、満州以外にも移民したのですか?
また韓国人も中国へ移民したりしたのですか?

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戦前に焦点を当てた質問と受け止めて回答します。
中国国籍の中国人になる、と言う意味の移民は殆どいないでしょう。ですが、租界と呼ばれる治外法権地域に居住する日本人の居留民なら大勢いました。また、この時期の韓国は日本の施政権下に置かれていましたので、日本人の一部、と言う事になります。
日本人居留民の多くは、上海や天津など都市部で、現地の中国人を相手に、雑貨商などの零細な商業を営んでいたようですが、欧米人の貿易商のように金持ちではなかった為、政情不安になったり、内乱が発生しても、母国日本に引き上げる事は容易ではありませんでした。故に、これ等居留民を保護するために軍隊が出動するケースが頻発し、しばしば火種になったのです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%9F%E7%95%8C

Qホームセンターでムカデ駆除剤の粉末はどこのホームセンター行けば売ってま

ホームセンターでムカデ駆除剤の粉末はどこのホームセンター行けば売ってますか?教えて下さい。

Aベストアンサー

まず、お住まいの地域が分からないと沖縄にいて、北海道にあったらどうします?

 京都ではドラッグストアで見かけました。ただし、在庫切れの可能性もあります。
 お薬を扱っているようなホームセンターを探してみては?

Q「(歴)史的[研究]方法の学者」?

下の一節はある英語の大学入試に出された英文の和訳です。

お教えいただきたいのは、下の第2段落に2箇所出てくる ” scholars of historical method”のイメージについてです。この ”historical method”はある著名な英和辞書では「(歴)史的[研究]方法」という訳語が当てられており、「歴史的真実の研究によって一般的原理を引き出すこと」と説明されていました(『小学館ランダムハウス英和大辞典』)。

具体的には
(1)この表現は同じ第2段落に出てくる「歴史家」(原文では”historian”)という表現とはイメージとしてどんな違いがあると考えればいいのでしょうか?
(2)素人にもわかりやすく、この” scholars of historical method” 訳語をつけると何がよろしいのでしょうか?

私は歴史学や歴史研究にはまったくの素人ですので、優しく解説していただくと助かります。


「歴史を書く」とはどういう意味だろうか.歴史家は歴史研究の結果をまとめているとき,実際は何をしているのだろうか.私たちのほとんどは,歴史を重要なでき事を本質的には客観的に記述したものと考えるのに慣れている.過去の事実は「そこ」にあり,優秀な歴史家のすることは,「実際に」起こったことを立証し,そして,なぜこれらのでき事が「必然的に」重要なのかを示すことだけである.

しかし,最近,”scholars of historical method” がこの前提を疑いだした.「重要なでき事」を構成するものは何かということは,真剣に議論されなければならないということが常に同意されていた.しかし,最近の2,30年間になってようやく,歴史家はこのような論争をどう決着をつけたらいいのかに注目するようになった.どのでき事を取り上げて議論するべきか,どれを取り上げるべきでないかを決めるのにどんな基準を用いるのか.これらの基準は何に由来するのか.徐々に ”scholars of historical method” は,「歴史」は歴史家が執筆している時代の文化を必然的に反映するということを示すようになってきた.

例えば,19世紀の数人の一流歴史家が,イギリス市民戦争(清教徒革命)について記述した.そして彼らの研究は信頼でき,また徹底したものだった.それでは,どうして20世紀の歴史家が,その戦争について新しい歴史書を書こうという気になったのか.これはただ19世紀の歴史書は後代の歴史家や読者の「歴史」に関する基本的要求,つまり彼ら独自の文化の立場から「理解できる」説明に対する要求を,もはや満たさなくなったからにほかならない.どのでき事を記述して,どのように解釈するべきかという選択は,歴史家の精神を形成した文化によって決定された要求にしたがってのみ可能になる.
(以下の段落は省略)

*字数制限がありますので以下に原文の第2段落だけを示します。
Recently, however, scholars of historical method have begun to question this assumption. It has always been agreed that what constitutes 'an important event' must be the subject of serious debate. But only in the last few decades have historians had their attentions drawn to how such debates can be settled. What standards are used in deciding which events to take up and discuss, and which to ignore? Where do these standards come from? Increasingly, scholars of historical method have demonstrated that 'history' inevitably reflects the culture of the period in which the historian is writing.

下の一節はある英語の大学入試に出された英文の和訳です。

お教えいただきたいのは、下の第2段落に2箇所出てくる ” scholars of historical method”のイメージについてです。この ”historical method”はある著名な英和辞書では「(歴)史的[研究]方法」という訳語が当てられており、「歴史的真実の研究によって一般的原理を引き出すこと」と説明されていました(『小学館ランダムハウス英和大辞典』)。

具体的には
(1)この表現は同じ第2段落に出てくる「歴史家」(原文では”historian”)という表現と...続きを読む

Aベストアンサー

歴史学の本質的な問題を突いた文章ですね。
ザッと簡単に解説を試みたいと思います。

●歴史学の大きな流れについて。

歴史の父と言われるのは、古代ギリシアのヘロドトスです。
西洋では、一応彼が初めて「歴史的記述」を行ったと考えられています。
しかし、この「歴史的記述」というのは、彼が聞いて回った事柄や伝承などをただ「記述」しただけです。(しかし、それについて彼は多大な努力を払っています)
ルネッサンスに入って、失われた古代ギリシア・ローマ時代が意識されはじめます。(これが失われた時代が「中世」という位置づけ、目覚めはじめたのが「近代」、そして「中世と近代の間」が「近世」です。)
このルネッサンス期に行われた歴史著述の目的は二つです。
「1、歴史的教訓を引き出す」と「2、国の継承権を主張するための道具とする」です。
これら二つの記述は、目的が目的なので、記述者の意図によって必ずしも正確な歴史記述とはなりません。(それが、「意図的改変」なのか「史料が少ないための思いこみ」によるのかを明らかにするのは難しいので、最近言われるように「歴史の捏造=悪」と評価するのは間違っています)

そして、近代に入ると自然科学(の哲学)が発達したのと同様、歴史にたいしても「科学的な」意識が生まれてきます。
その事を明確に主張したのが、「近代歴史学の父」といわれるランケです。
彼は、「歴史記述は客観的でなければならず、そのために徹底的に史料批判をして、耐えられたモノだけが真実を語っていると考えるべきである」との「歴史哲学」を生み出しました。
「客観的」なのだから、ルネッサンス期に行われた「記述の目的の為に、歴史をねじ曲げる行為」を「捏造=悪」とした訳です。
そして、これによって「歴史」から「歴史科学」となり「歴史家」から「歴史学者」となったとの概念が生まれます。

しかし、これに異を唱える人が現れます。
いくら史料批判を試みたところで、所詮歴史記述とは「主観」が入り込む余地が大きく、「(自然科学のような)科学」にはなり得ないではないかとする批判です。
これをクローチェが「所詮、歴史記述とは現在の反映である」というような内容(ちょっと正確な言葉は忘れました・汗)を述べています。
つまり、史料(特に文字史料)自体も人が書いたモノなのだから、その時点で(書き残した人の)「主観」が入る。
そして、その史料を読む人(歴史家)も、今まで生きてきた経験や思想・価値観からくる「主観」が(無意識的に)入り込む。
故に、同じ「史料」を読んでも、その解釈は千差万別で定まることはない(また定める事は出来ない)。
だから、「歴史」とは所詮「現代」に利用される性質のモノである、というわけです。

そこで、疑問が生まれてきます。
疑問1我々は何故「歴史を記述」しようとするのか?
疑問2何故、ランケが言うように「歴史」は「客観的」でなくてはならないのか?
疑問3クローチェが言うように、歴史記述が「主観的」でしかないなら、「歴史を客観的に見ようとする行為」は無駄なのか?

これらの疑問に一定の回答を与えたのが、フランスで台頭した「アナール学派」です。
彼らは、歴史を今までの「国家・民族の歴史」から「人口・経済・統計学」などの「社会学的見方」で歴史を捕らえようとしました。
つまり、「数字は嘘をつかないのだから、客観的データが採れる」という事と、「その数字から浮かび上がってきた内容から、一般法則を引き出し、未来予測に役に立てる」とう事をしようとしたわけです。
しかし、当時の統計が正確である事はまず無く(現代のような統計学的なモノの見方自体存在していなかった)「数字」自体を明らかにする事も難しいと言えます。
また、統計資料があったとしてもどの「史料」を選択するかでも、人間の「主観」が入り込んでしまいます。
「国家・民族的歴史記述」からの脱却にはある程度寄与したものの、歴史の「客観・主観」問題には何ら回答を与えていないと言えます。

※「国家・民族的歴史記述」とは、「国家主義者や民族主義者」が「歴史」を「意図的」に語ることで、政治的道具にしようとする行為。
日本の「慰安婦問題」や「沖縄の集団自決問題」なんかは良い例。

結果、アナール学派の回答は疑問1に対して「社会、歴史の一般法則を導き出し、未来の役に立てる」を、疑問2に対して「国家主義や民族主義のプロパガンダに利用されないためにも「客観的」である必要がある」という回答を与えました。
しかし、一番の疑問としてもよい疑問3には答えていません。
そして、未だにこの論争は続いていると言えます。


質問者様が提示なさった文章は、この大きな歴史学の流れを汲んだものと言えると思います。

>つまり彼ら独自の文化の立場から「理解できる」説明に対する要求を,もはや満たさなくなったからにほかならない.どのでき事を記述して,どのように解釈するべきかという選択は,歴史家の精神を形成した文化によって決定された要求にしたがってのみ可能になる.

この部分は、正に「歴史とはしょせん主観的である」と述べているように思えませんか?
これに対する反論をする事も可能であるかもしれません。
(長く語り伝えられてきた出来事なのだから、精神・文化に関係なく重要だと見なせるではないか、、、とか)

まぁ、一時期、上記のような論争が下火になっていたのが、最近再び燃え上がろうとしているというところでしょうか。

>(2) 素人にもわかりやすく、この” scholars of historical method” 訳語をつけると何がよろしいのでしょうか?

私なら、「歴史哲学」としたいところですが、「素人にもわかりやすく」との事なので、「歴史研究の方法を研究する人」でしょうか?

では、参考になれば幸いです。
長文、失礼しました。

歴史学の本質的な問題を突いた文章ですね。
ザッと簡単に解説を試みたいと思います。

●歴史学の大きな流れについて。

歴史の父と言われるのは、古代ギリシアのヘロドトスです。
西洋では、一応彼が初めて「歴史的記述」を行ったと考えられています。
しかし、この「歴史的記述」というのは、彼が聞いて回った事柄や伝承などをただ「記述」しただけです。(しかし、それについて彼は多大な努力を払っています)
ルネッサンスに入って、失われた古代ギリシア・ローマ時代が意識されはじめます。(これが失...続きを読む


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