プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

ネットの掲示板などで、よく就職の相談をみかける。
「仕事がない。どうすればいいでしょうか?」みたいな感じで。

それに対して、こういう回答がよくある。
「仕事を選んでいるからダメなんだ。その気になれば
なんでもあるだろう。要はやる気だよ。」

なぜ、こんなに人は他人に厳しいのか?
こんな回答をする奴は、就職に困った経験などもっては
いないのではないのか。
仕事を探すというのは、口で言うほどそんなに簡単なことではない。
肉体労働をした事ない人が、ある程度歳をとってから
肉体労働をするのは無理だ。

僕も2年ほど前に仕事を失った。
そしてなんとかバイトとはいえ今の仕事を続けているが、
僕は全然運がいいほうで、現実はもっと厳しい。
それゆえ、就職に困っている人の気持ちはわかる。

しかし、それを甘えという人がいる。
仕事を選ばなければ、何でもある。と言い切る人がいる。
その人は他人に厳しく自分にはやさしーい人ではないのか?

みなさんはどーおもいます?

A 回答 (9件)

<砦なき者>



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A0%A6%E3%81%AA% …

人は砦の外に出たものに、身の安全な場所 砦から 石を投げる。


これテレビ化されて観たのですが、ニュースキャスターの人は、報道というある意味強い立場から、世の中のことを取り上げて、断罪していってた。
正義の使者であるかのように 報道という武器で なぎたおしていってた。
彼はテレビ局という砦の中から、石をぶつけていた。


その彼が砦から出ることになった。

守られなくなった彼に、砦から石がぶつけられた。


砦を失った男の物語。

顔の無い人たち つまり 視聴者が 砦から彼に石をぶつけた。
顔が無いというのは、どこの誰かわからないってこと。

顔が見えないという立場で、群集にまぎれて、連帯のうちの一人という特定できないところから 石を投げる。



そして、そうやってきたものが、やがて 砦をなくし、砦側から石を投げられる立場にたつ。
かつて自分がいた場所から石が飛んでくる。

砦を失ったものは、そこでかつての自分の姿を見るわけです。


でも、砦に戻ったら、また砦の外にいる人に石をぶつける側になる。


中には砦の外で石をぶつけられたときの痛みを覚えている人もいる。

どれほど その石が痛かったか覚えている人もいる。


世の中、砦から一度も出たことが無い人と、砦から出た人と、かつて砦の外に出て痛い思いをさせられたが砦の戻ったものといる。

どちらの気持ちもわかる人もいる。


砦の外は荒野。
砦の中に戻る戻り方がわからない 入り口が見つからない人もいる。


人によっては前職が1000万もらっていたので、200万下がる800万の年収じゃ仕事はしないって人もいる。

500万だったが、200万でもいいから砦に戻るって人もいる。

800万の仕事などできない それじゃあ 生活していけない といっている人は 甘えとは違うと思う。

レベルを下げると、そこで妥協してしまい、さらに妥協して河口してしまうので、ここがラインだとして、それ以下の仕事はしないってことで、レベルを下げたくないから、それ以下の仕事はしようとしないのではないかと。


結局 生活保護を受けるまで1000万の仕事じゃないとしないぞ として、生活保護を受けたら「かつて俺は1000万の年収があった男だ」と過去の栄光に満足して残りは生活保護で暮らす人もいる。

甘え、、、とはちょtっと違う。


バイトってのは、背に腹はかえられないし 生きていくためなら 最低限の生活がなんとかできるバイトをしつつ、正社員のチャンスをうかがうってひとつの選択だと思う。


だけど、レベルを落とすと、そのレベルから抜け出るのが困難になる。
今の状態が日常となり、いつか チャンスがあれば、バイトじゃなくて正社員になるんだって思っていても、今の仕事が精一杯なら、社員になる活動ができないじゃないですか。
いつか がずっと続いてしまう。
それに なんとか 収入があるので、そんなに焦らない。

で、結局バイトから抜け出せないまま 年をとっていく。


すると企業側は、年齢が行った人は その分野でキャリアを積んでいる人として欲しがるわけです。
ですから キャリアを積んでいない年齢がいった人は採用しない。
それくらいなら 大卒のまったくキャリアが無い人をまっさらな状態から育てたほうが安上がり。

それに 年齢がいくと 自分より年上の人を指導するのが大変困難。
新卒なら怒鳴れるが、目上の新人だと 怒鳴れない やりにくい。

そういうわけで、企業はとしがいった人を採用したがらないので、社員になりたければ、なるべく早くバイトから抜け出たほうがいいと思う。


それか今のバイトの仕事をキャリアとして、幹部にまでなるとか。
バイトの経験がいかした正社員登録。
キャリアと能力を見込まれ、社員として人材を確保するわけです 企業は。

家賃とか扶養手当の支給とか年金とかその他いろいろな福利厚生で、保護し生活の安定をはかり 働きやすいようにしてやる。


経費のうち 人件費が一番かかる。
だから、企業は利益をあげたい場合、なるべく社員はとらず、社員の三分の一の経費で済むバイトを雇う。
というわけで、バイトが多いところは、それだけ薄利だってことです。

人件費を安く抑えたいってところだと、ずっとバイトを雇いつづけ、バイトの人もひとまず生活費は稼げるからって、正社員の就職活動を本気でしなくなる。

悪循環。


だけど、どういう生き方であれ、バイトで自立しているのなら、それはそれで頑張っている 社会にしがみついている根性あるひとだと思います。

根性あるひとだと砦の中にいる人がおもえば、半砦との境界線にいる人に対して 石は投げない。

砦の外にいて、砦から石をぶつけられた人は「今にみていろ その砦の住民に絶対なってやる そして俺は砦の外のやつに意思は絶対にぶつけない」って思う人もいる。

だけど 喉元すぎればで、砦の中の安全な暮らしをしていると、砦の外の人の訴えが悲痛だと共感できなくなる。

難しいですが、他人になんと言われよと、言った人がどうにかしてくれるわけじゃないので、「うるせーんだよ」って砦から石を投げる人に怒鳴りつければいいと思う。

砦の中の人は「悔しかったら 砦の住民になれ それだったら 対等にものがいえる、半人前のヤツは一人前の人の言える立場じゃあない」と言われるかもしれない。

そうしたら、、、「一回しねよ」って言えばいいと思う。
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自分が成しえない理想を、人に押し付けているだけです。


または、自分で自分が分らないだけです。
あるいは、自分を叱咤激励しているだけです。
だいたい選びもしないで合わない仕事に就いても
長続きしません。それが分らないんでしょうね。

現実社会で、本当に役に立つ言葉とは
例えるなら、OKWAVEサポートが使うような言葉。
優しく、しかも確実に、真綿でジワジワと締め付けるような
言葉だと思います。サポート・・・怖いですねー。
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昨今の就職難では、それは普通のレベルの発言です。


それが厳しいと感じるのは、質問者自身が弱いからです。また、こんなジャンルを
哲学カテに投稿している事からも、自身の過大評価が酷いと思います。

社会に出れば分かりますよ。厳しく言われているうちが華だと。
期待されなくなって無視されたら、もはやどうにもならないから。

同調意見前提の質問は、得てして自分に「甘い」んでしょうな。
周囲への文句や不平・愚痴だけでは全く進歩しません。
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相手の顔を見て、自分の顔を晒して発する言葉と、自分の名も出さず、顔も出さずに発するネットでの言葉は大きく違う。

どちらが重みのある言葉なのか、ということは人により事情により異なるだろうから一概には言えない。が、どちらも思いのこもったものには変わらない。社会に閉塞感が漂えば、個々の思いとは即ち不満、ということになる。

世の中への不満をネットで吐露する、ぶちまける、というのは(そういう人がいて、そういう動きがあるのは)思うに自然なことだ。メンタル面でも個々健康に良い。それが全く許されない社会であるのなら、その社会を統治する国家にはどこかおかしい所があるはずだと思う。

就職の活動、というのは面倒だ。履歴書を書くということ一つをとっても、写真の写り具合を気にする、読みやすい字を心掛けつつ、思い出したくもない経歴を書く、志望動機を書く、加えて趣味を書く。(・・・趣味?趣味だと?)・・・。そして採用・不採用の判断基準も分からないまま、結果が届く。

社会人なら当然のこと、ではある。コネのない人間は自分の実力をアピールしなければ道は拓けない。そして拓けたら拓けたらでさらなる苦労が我々を待っている。(勿論「やりがい」というものもあるが・・・)人に「厳しい」人、というのはそんな苦汁をよく知る人だ。

誰もが書き込める。誰もが読める。そんなネットの特殊性が、職が無い辛さを吐く書き込む側と、採用する側の「事情」をよく知る側、との間に齟齬を生んでいる。雇用情勢が不安定になる、ということは、その齟齬が、「持つ者・持たざる者」の単純構造では括れなくなる、ということだ。明日は我が身、なのだ。

東日本を襲った震災は個々の小さな悩みを吹き飛ばす破壊力を見せた。それによって生じた波紋は多かれ少なかれ日本に暮らす誰しもに影響を及ぼしている。目に見えることのない「社会の閉塞感」は現実の脅威を前になりを潜めたが、これが再び我々の前に噴出するかどうか、という問いを解く鍵が個々人の内にある、ということは実は誰もが本能的、経験知的に知っていることだ。

ネット上であろうが現実(リアル)であろうが、言葉は鍛えられていなければ力を持たない。「言葉を研磨すること」、が、一つの方向を示す羅針盤になる、と思う。

   ※

・・・コラム風に書くと、こんな感じです。
私って世の中に言いたいことが結構あったんだなあ。言いたいこと言ってすみません。
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確かに、人間は自分に甘く他人に厳しい。


ただ、それが現実です。
人を採る側もそっち側の人間が多いでしょう。

また、否定しておきながら、代替案を準備しないのはちょっとずるい気がします。
否定しといて、フォローしないと言う点では同じじゃないですかね。

と思いました。

まあ、みなさん自分の主義主張で答えるのだと思いますし、
その結果気持ちがすれ違うのも仕方ないかと思います。
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言葉で厳しくすることは実効性を持ちえるが、


言葉で優しくすることは救済にはならないから。
もちろん、慰める事で精神的に楽になることも
あるだろうが、ここはその目的(交友)の場ではない。
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「仕事が無い」と言う表現の前に省略があるんですね。



(自分のやりたい)仕事が無い。
(家族を養える)仕事が無い。
(学歴相応の)仕事が無い。
(終身雇用の)仕事が無い。
(年寄りでも出来る)仕事が無い。
(未経験者でも出来る)仕事が無い。

等々。

省略された前段部分の合意がないから、議論がかみ合わないのでしょう。
哲学以前ですね。
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>仕事を選ばなければ、何でもある。

と言い切る人がいる。

一面真理を突いた言葉であろうと思います。
もちろん質問者様の言い分も理解できます。しかし、たとえば
日本以外から、語学など日本人よりも数倍ハンディを持った人々が続々と日本に職を求めてやってきているのも事実です。
このような現実を見れば、私には必ずしも「他人に厳しい」回答とも思えないのです。

このことについて、質問者様はどのような感想をお持ちですか。
「何でもある」というのは、ともかく働いていきていこうと真剣に考え、選択肢を広く取るるならば、なくはないという意味に取ればそのとおりではないかと私などは思うものです。

>肉体労働をした事ない人が、ある程度歳をとってから
肉体労働をするのは無理だ。

よく分かります。私自身先年再就職して半年、過酷な労働で身体を壊しました(涙;;)。休職しましたが、
しかし食い詰めていたらやっぱり石にかじりついて続けていたと思います。

>その人は他人に厳しく自分にはやさしーい人ではないのか

その可能性は否定しません。しかしそれは証明できないことであり、ひょっとすると、それを書いたたひとも就職に悩み、職場を選ばずに貪欲に3K職場で稼ぎながらかつかつ生きている人かもしれません。

確実にいえることは、そういった厳しい回答にも何らかの解決の真理があるのであり、いずれにせよ回答を受けた当の質問者様がどう解釈して生かしていくかということにあるのだろうと思います。
反面教師と言う言葉がありますが、何事であれやってきた情報は無駄にはならず解釈しだいで自分の滋養にしていくこともできるわけです。

否定することは簡単です。見ない聞かない動かないということですが、それだけでは解決にはならないでしょうね。

偉そうに申しました。失礼いいたしました。
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他人の問題は、その相手の性格・人格に問題があると考えます。



自分の問題は、自分の置かれてる状況のせいにします。

例えば仕事でミスをしたとします。

まわりの人は自分のことを
『どじな奴だから』
『ぬけてる性格だから』と思います。
そういう人間だからと考えます。

でもミスをした自分は、
『昨日寝不足だったんだよな』
『悩み事があって仕事がろくに手につかなかった』
と状況のせいにします。


多くの方がそうだと思います。


例えがうまく伝わったかわかりませんが、
他人に厳しく自分に甘く感じるのはそのせいだと思います。
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