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皇帝または天皇を君主とする国家は「帝国」。
王を君主とする国家は「王国」です。

それらの違いは君主の呼び名だけによるもので、政治体制については
両者の間に違いはありません。
しかし、「帝国」という言葉には悪者的なマイナスイメージがあります。

「帝国主義」は覇権主義や軍国主義といった概念と同一として論じられます。
皇帝もいないアメリカで「アメリカ帝国主義」って言葉は変だし、
もし何も悪い事してなくても「大日本帝国」がなんか悪そうってのは心外です。

なんで「帝国」は悪者扱いなんでしょうか?

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A 回答 (9件)

まずは、基本的な事として、「王(king)」と「皇帝(emperor)の違いから。



洋の東西で若干意味合いが異なりますので、以下に纏めてみます。

ヨーロッパの場合

・皇帝
ヨーロッパの皇帝の概念は、ローマ帝国時代にまで遡ります。
帝政ローマになっての初代の皇帝はガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌス(アウグストゥス)とされています。
しかし、ローマは王政を打倒して共和制になったという経緯があります。
そのため、ローマ共和国時代に「王政アレルギー」と言って良いほど、政体が共和制から君主制に移行することに敏感になっていました。
でも、アウグストゥスが生きた時代には共和制では対応出来ない時代になっていました。
そこで、彼は「王」という称号を使わず、「インペラトール(羅・imperator)」という称号を使いました。
これは、共和制ローマ時代には「統帥権」を中心にした最高指揮官の称号でした。
(※そのほかに「アウグストゥス(称号)」「カエサル」という呼称も皇帝の称号として利用されるようになっていきます)

ローマ帝国崩壊後は、この「インペラトール(或いはカエサル)」は「ローマ皇帝の後継者」の称号となっていきます。
ローマ崩壊で一端途絶えた皇帝ですが、A.C.800年にフランク王国国王カールがローマ教皇レオン3世によってローマ皇帝に戴冠されます。
この後、フランク王が皇帝も兼ねるようになりました。
フランク王国崩壊後に、またもや皇帝は途絶えますがドイツ王オットー1世がローマ教皇ヨハネス12世によって戴冠されます。
これが、神聖ローマ帝国の始まりとなります。
その後、ローマ皇帝>ドイツ皇帝 or ロシア皇帝>ナポレオンへと引き継がれていきます。
ただし、ナポレオンは「皇帝を僭称」したのに近い感じです。
ロシア皇帝というか、東欧諸国には日本語で「皇帝」と訳される「ツァーリー」というのが出てきますが、これは「ローマ帝国の後継者=皇帝」を周辺国が僭称し始めたのが始まりとされています。
ナポレオンは、飛ぶ取り落とす勢いでフランスはおろか大陸中を席捲していた絶頂期に、勢いにのって皇帝を名乗っちゃったって感じです。
称号も「フランス人民の皇帝」ですので、ローマ帝国の後継者という意味合いは薄れていると言えます。
彼は、「教会は皇帝の下だ!」と言わんばかりに、ローマ教皇ピウス7世から帝冠を取り上げて、自分で被っちゃいました。(800年のシャルルマーニュの戴冠以来、皇帝冠は教皇が被せるのが慣わし)

もうお気づきかと思いますが、この「インペラトール」の英語が「エンペラー(emperor)」です。

一方、「キング(king)」というのはもう少し曖昧な称号です。
「KING」は、血族を示すキン「KIN-」から派生した言葉といわれています。
つまり、「血統」を強く意識した称号であり、政治的に作られた「エンペラー」とは概念が全く異なります。
で、この「王権」の正統性には幾つかの理由があり、政治的につかいわけられてきました。
まず大前提は、語源からも分かるように血統です。
その後に、一つは封建制度による家臣群から認められた「王権」。 (封建制)
もう一つは、ローマ教皇から「王」として認められること。(王権神授説)
という二つの論理がありました。
この二つを、政治力学的に使い分けて様々な歴史を形作ってきました。

このように、エンペラーはローマ皇帝の後継者という意味合いが強く、キングは一勢力の統治権を示す意味合いが強いと言えます。
そこに、キリスト教カトリックの「教皇権」との兼ね合いが加わってきます。


・東洋の場合

東洋の皇帝はの概念は、中国は秦の始皇帝にその源を発します。
秦が中国を統一するまでは、様々な国が乱立していました。
そして、各国の君主は「王」という称号を用いていました。
そのため、「王」という称号にありがたみを感じなかった秦の王様は、「皇帝」という称号を作り名乗りました。(これが秦の始皇帝)
「皇」の字は「自(はじめ)」と「王」の合わせ文字だと言われています。
そこに「帝(みかど)」を合わせました。
「帝(みかど)」には「天子」という意味が込められています。
「天子」とは、「天の命によって天下を収めるモノ」という意味です。
こうした理由があり、秦の始皇帝移行は「天の命によって天下を収めるモノ」として「皇帝」が中国を統治していくことになります。

一方、「王」は周の時代に「天子」の意味で用いたのが最初だと言われています。
最初は、封建制の関係から周以外の国は周王に配慮して「王」という称号はつかいませんでしたが、周の権威が落ちるとともに各君主が「王」を名乗り始めます。
で、「天子」であるはずの「王」が乱立することになりました。
それに終止符を打ったのが、秦の始皇帝です。

・・・と、話が前後しましたが、「帝」も「王」も「天子」を示す称号でしたが、それにありがたみがないとして「秦の始皇帝」が統一を記念して(?)「皇帝」を名乗り始めたのが、皇帝のはじまりです。
その後は、「王」は「皇帝」の下の位となってしまいました。

・日本の天皇

日本の「天皇」が「皇帝」にあたるのか「王」にあたるのかは、様々な議論が分かれるところです。
一応、「天皇」は中国の「皇帝」の別名です。
それを日本が導入したのは、天武天皇の時代という説が有力なようです。
その後、明治期に欧米に天皇の立場を説明するのに「エンペラー」を訳語として与えました。
それが慣例化して、欧米では「天皇=エンペラー」となります。

と、まぁ大雑把にはこんな感じですね。

>「帝国主義」は覇権主義や軍国主義といった概念と同一として論じられます。

これは、18~19世紀以降の時代に対して使われる言葉です。(なので、実際のローマ皇帝とか秦の始皇帝とかとは意味合いが違います。)

18~19世紀は、産業革命をとおして確立された資本主義経済の元、市場の独占や余剰生産品輸出のための市場拡大を狙ってヨーロッパ各国が植民地獲得競争をしながら拡大していった時代です。
「帝国主義(imperialism)」という言葉は、イギリスの保守党はディズレイリ内閣が大英国主義を唱え積極的に植民地獲得を目指した政策に対して、自由党グラッドストンが批判して用いたのが最初と言われています。
そのことから、18世紀末~第二次世界大戦後位までの時代を「帝国主義時代」などと言われたりします。

時代が後者の方が新しいこと、戦後に植民地政策が誤りだったとされたこと、日本においては戦後「大日本帝国」の方向性が否定されたこと等から「悪者扱い」というイメージが持たれやすいんだとおもいます。
日本の天皇のは、英語では「Emperor」と訳されますが、けっこうこれを嫌う人も多いと聞きますが、それもこうした「イメージ」からなんでしょうね。

ではでは、参考になれば幸いです。
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念のため、Wikiを貼っておきます。

植民地主義の代名詞のような物です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%9D%E5%9B%BD% …

 これから分かるように、19世紀~20世紀初頭の先進国は、全て帝国主義なのです。日本だけでは有りません。戦争に負けた日本は、帝国主義の悪の部分を全て引き受けざるを得ませんでした。その反面戦勝国は、善人ぶる為、植民地を手放さざるを得なくなったのです。
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確かに「帝国」と言うと悪のイメージですね。


冷戦時代、米ソは「アメリカ帝国」、「ソビエト社会主義帝国」とお互い呼び合い非難していましたし、現在は中国の事をその覇権主義から「中華帝国」と呼んだりします。
スターウォーズでも「皇帝」と「帝国」は悪役でした。


>皇帝または天皇を君主とする国家は「帝国」。
「皇帝」に統治された国だけが「帝国」なのかと言うと少し違うような気がします。
「帝国」の定義はケースバイケースで色々複雑なのですが、大雑把に大別してみました。

(1)広大な領土を保有し複数の国家・民族を支配する大国を指すケース
ローマ帝国、モンゴル帝国・・・様々ありますが、このケースの場合政体は関係ありません。
帝制じゃなくても「帝国」と呼ばれる事が多々あります。
例えば、ハプスブルク朝時代のスペイン帝国や大英帝国などは王制でありながら「帝国」と呼ばれますね。


(2)自称帝国(ナンチャッテ帝国)のケース
(1)に当てはまらない小国が自分で帝国を名乗るケースです。大抵は過去存在した大帝国の系譜から帝国を名乗ることが多いですね。
例えば、ブルガリア帝国(東ローマ帝国の系譜)、イラン帝国(ペルシャ帝国の系譜)など・・・。
ちなみに「大日本帝国」は帝国憲法公布時は帝国としての実質を伴わないナンチャッテ帝国でしたが、朝鮮半島や台湾を領有するに至り名実共に「帝国」になりました。


>なんで「帝国」は悪者扱いなんでしょうか?
悪者にされる帝国は(1)の帝国です。
それは、一つの民族が異なる複数の民族を支配する帝国の存在は「民族自決」の原則に反するからです。
つまり各民族は自分達で自分達の政治を行う権利があり、他の民族がそれを侵してはならないという20世紀になってから生まれた考え方に基づきます。
米帝、赤い帝国、中華帝国などは超大国が各地で弱い民族を迫害している事を非難した呼称ですね。

ただ・・・
昨今の民族間対立・民族紛争など見ていると、本当に民族自決の原則が正しいのか・・・。
個人的には疑問に思います。
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 「皇帝または天皇を君主とする国家は『帝国』王を君主とする国家は『王国』です」。

この定義付けが先ず問題です。およそ10年ほど以前に話題となったアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの共著になる『帝国(原題“Empire”)』を分岐点として「帝国」の概念は変化しています(実際にはそれ以前から概念の再検討がなされています)。
 それまでの「領域としての空間」に基づく「国家」の概念から「領域をはみ出す形として1つの価値観に基づく組織」へと意味が変わってきていることをご存知でしょうか。
 この観点からいえば“皇帝もいないアメリカで「アメリカ帝国主義」は変だ”との考え方も成り立ち得ないと考えることができます。
 領域に基づいての「国家」を説明するならば、19世紀から20世紀にかけての「帝国主義」の形を説明することは可能ですが、1945年以後及び冷戦構造の崩壊に象徴されるグローバリズムの加速度的な伸張をそれだけで説明することには限界が生じることも確かです。
 けれども「帝国」を脱領土的な支配装置もしくは価値観と定義するならば、現在のグローバリズムのあり方を説明することも可能です。以下は『帝国』に語られる「帝国」を端的に説明している一言です。
---------------------------------------------- 
 世界が国境を越えて活動するようになり、いわゆるグローバル化してきた。
そのため、近代の産物である国民国家の役割が、徐々に低下してきた。
それに代わって、新たな世界秩序が登場してきた。
その世界秩序を、本書は<帝国>と言っている。
-----------------------------------------------

 失礼かとは存じますが、質問者様には「日本は悪いことをしていないのに大日本帝国との名称で、その様な扱いをされることは心外」との歴史認識があるようですが、「大日本帝国憲法」下の体制で過去の日本が行ってきた事をお調べになれば判ることです。歴史の評価は別問題として、かつての「領土に基づく国家」を基準として考えても、その領土の枠の外にある別の国家へと自らの領域を拡大する行為を正当なモノとして認知できますか?。
 また「帝国」の君主が皇帝である、ことは良しとしても天皇と皇帝は全く同質の存在であることの根拠は何に基づく記述でしょうか。これ一つとってみても様々な議論が展開されるほどの大きなテーマであることに間違いはありません。

 
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手許にあるガッケンエリア教科辞典から


465ページを原文そのまま引用させていただきます。

皇帝と王
 王は,一部族,一民族の長,あるいは一つ
の領域の支配者を意味するのに対して,皇帝
は,いくつかの部族や民族,あるいはいくつ
かの領域からなる一つの文化世界を支配し,
各地の諸王の上に立つものとされる。
 古代西アジアの多様な民族,多くの地域を
統一したべルシアの王が「諸王の王」という,
皇帝のような称号を用いていた。また,紀元
前3世紀,秦は各地の諸王をおさえて中国全
土を統一し,秦王の政がはじめて「皇帝」(す
なわち始皇帝)と号した。この称号は,それ
までの各地の諸王よりいちだんと上に立つ支
配者であることを示すと同時に,天上の至上
神から,その徳によって人間界を統治する命
をうけた者であることをも示していた。そこ
で中国では,不徳で皇帝の資格なき者ほ,そ
の座から追われるべきであるという,いわゆ
る易姓革命の考え方があった。
 一方,ローマも,前1世紀,地中海世界を統
一するとローマ帝国となり,その元首である
皇帝は各地の属領や服属国の王の上に君臨し
た。ローマ帝国の東西分裂後まもなく,西ロー
マ帝国はゲルマン民族の侵入によって滅亡
するが,東ローマ(ビザソティソ)帝国とそ
の皇帝はその後もながく東ヨ一口ッパにおけ
る最高の権威としての地位を保ちつづけた。
 やがて西ヨーロッパが一つの世界として統
一されていったとき,フランク国王カール(チ
ャールズ)1世,つづいて東フランク国王オ
ットー1世は西方におけるローマ皇帝の継承
者という意味で,ローマ教皇から帝冠をあた
えられた。西ヨーロッパのキリスト教世界に
おける唯一の皇帝として,神聖ローマ皇帝は
他の諸国王より一段上の存在であり,教皇と
ならんで西ヨーロッパ全体を指導するものと
考えられていたのである。
 こうした全ヨーロッパの指導者としての皇
帝という理念(いわゆる「ローマ皇帝理念」)
を,現実の政策のなかで追求した最後の神聖
ローマ皇帝ほ,16世紀のカール5世であった。
 彼はスペイソに君臨し(スペイン王として
ほカルロス1世),ネーデルラントを支配し
て,強大なハブスプルク帝国を築いたが,フ
ランスやイギリスほ彼の意のままにはならな
かった。16~17世紀,ヨーロッパ各国が絶対
主義国家を形成しつつあったとき,超国家的
な「ローマ皇帝理念」は,もはや過去のもの
になっていたのであった。一方,ビザソティ
ン帝国滅亡後,モスクワ大公国はその皇帝位
を継承したと称してロシアの「皇帝(ツァー)」
と名のり,ロシア革命までその称号が続いた。
 ヨーロッパ人が本格的に植民地を支配する
ようになると,本国と植民地を統合するもの
としてヨーロッパ諸国の王が皇帝の称号を用
いる場合もでてきた。これは古い皇帝理念で
はなく,帝国主義につながる新しい皇帝のあ
り方であるといってよいであろう。
 イスラム世界でも,ウマイヤ朝以降の王と
もいうべきカリフは世襲的な王朝の支配者で
あり,アッパース朝のカリフは,各地の諸王
を従えて実質的にほ皇帝のような存在であっ
た。しかし,やがてトルコやモンゴルなどの
勢力が西アジアにおよんできてイスラム世界
が分裂すると,カリフは宗教上の権威を保つ
だけになってしまった。モンゴルの活動がお
さまった15世紀には,その後継者ともいうべ
きティムールが帝国を建て,トルコ部族の中
から西アジアで覇をとなえていたオスマン=
トルコと対決した。
 このオスマン=トルコの王(スルタン)は,
のちにカリフの称号もゆずりうけて,正統ス
ンニー派イスラム世界における皇帝ともいえ
る地位についたのであった。一方,ティムー
ルの子孫はインドにはいって土着の藩王を従
えて久しぶりにインドの統一をなしとげ,ム
ガル帝国を建て,その皇帝の位についた。
 中国やインド,トルコなどで皇帝やスルタ
ン,カリフの地位が根底からゆらぐようにな
ったのは,やはりヨーロッパ人の進出による
ものであった。これらの国では19世紀から20
世紀にかけて,こうした地位があいついで廃
止され,今日では植民地支配からぬけだすだ
けではなく,皇帝に象徴されるような古い伝
統的な社会体制から脱却する努力が続けられ
ているのである。      (青木道彦)
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個人的な意見ですが、歴史の授業で習った限り王国は「みんなが認めた王様の国」で、帝国は「武力によってたみに認めさせた皇帝の国」というイメージが強いです。



中国を例に取れば、大昔に小さかった国を次々と武力侵略し始皇帝が皇帝を宣言しました。

比べて王国は、小さな国が互いに少しずつ距離を縮めて最終的に相談のうえで王を決める(隣国に男性が生まれず隣の国に嫁がせて国家統合とか…)形が多く比較的平和的に出来てきた感じがします。

しかも、自国である日本も昔大日本帝国として戦争へと走りました。それゆえか、帝国と聞くと戦乱を連想させ平和を重んじる日本人に嫌悪感を抱かせるのではないでしょうか?
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すぐ僕の手もとに 中国史 上 宮崎市定著


があるのですが、
147~148ページの皇帝制度の解説を読むと、

(部分的にそのまま引用させていただきますが、)

>帝は原来、最高神を呼ぶ呼称で、

>(意味の)第一は、古代の王者足るべきもののあるべき
理想の復活 で

>単に中国人民の君主であるばかりでなく、地球上に住む
凡ての人類に共通の主権者でならなく て、

>対立するものを認めなく て、

>宇宙間唯一の存在 で、

>外国の君主に対しては、倭王とか、日本国王とか、
地名を冠して呼び、それが限定した地域の君であることを
示し て、
(そういえば、室町時代、足利義満がそんな風に
明の皇帝に呼ばれたことがありましたよね。
確か日明貿易という実を得るため名を売ったとか。)

>皇帝の世は永久に万世まで続くはずだ から、
>後世のことを慮って区別する必要はない ので
>国号は不必要になった

・・・・・・・・

これを読んだ限りでは、「皇帝」は一国を支配する「王」
とは違うんだぞ、
世界征服するのが当然なんだぞ、
という様なイメージに僕には感じ取れるのですが。

世界史上、「帝」が出てきた例をぱっと思いつくだけでも、

ドイツとスペインでフランス王国を挟み撃ちにしようとした
ハプスブルグ帝国、

ヨーロッパ中を侵略しようとした
ナポレオン第一帝政、

それにヒトラーの第三帝国、

・・・・・・・・。

中国史 上、下 宮崎市定著
もしまだお読みになってなかったらお勧めします。
とても面白い本でしたよ。
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ここらへんが参考になるかも


http://blog.goo.ne.jp/yappi27/e/c56dbc94a16040b9 …
印象の問題ですので線引きが難しく、中国とローマで違う皇帝の概念なのです。
ひとつの民族の最有力者がキングであって、複数の民族を統一する存在がエンペラー。
帝国は侵略なくしてあり得ない国家なのに対して、王国はカリスマがあれば平和的に設立します。
また王国は必ず世襲ですが、帝国は絶対に世襲ではなく任命制ですので、交代すると全く違う統治になることがあるので、信用が置けない。
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20世紀前半までは かっこいい言葉だったが、社会主義国にとっては否定すべき概念で、一生懸命否定したから。




それらの違いは君主の呼び名だけによるもので、政治体制については両者の間に違いはありません。

それを言ったら、何も言えなくなる。
大まかな分け方としては、王は民族的紐帯を前提とし、皇帝はそうではない、民族集団を統治するものとされる。
そして、19世紀は西欧において「民族国家」が正しいとされ20世紀前半は、東欧において「民族国家」が正しいとされ、20世紀後半は世界的に「民族国家」が正しいとされた時代。
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